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あやかし(姫)@~。ほにゃらら・・・おばちゃん( 秘かに生息 )。  

おばちゃんの不思議ばなし

2010-09-24 03:49:09 | 老いを いかにせむ
じっちゃん(主人の父)の容体は一進一退。このところ食べ物がのどを通らないらしい。フルーツは食べる。
食べないから、痩せた。息は相変わらず苦しそう。

昨日、ワタシは初めてお医者様にお出会いした。多分とうちゃんより若い。夜中でも往診に来て下さる。お医者様というお仕事はやはり命と係わる仕事であるから命がけだ。(余程のエネルギーの持ち主でなければ、体が持たないよな。)と思ってしまった。

医学の発達とともに、病人は薬によって生かされる状態というのがごくごく一般的で、軽度の鬱とボケと肺のお薬のどれをどのように優先させ使っていくか?という問題があって、それはあちらを立てればこちらが立たず状態であるらしい。

じっちゃんのお世話をしている、母(義母)も気丈に働いているけれどやはり疲れている。とうちゃんに会えることだけが救いみたいなところがある。

ワタシが若い時は、申し訳ないが言いたいことが全く言えず、心の中でずい分と母のことを否定してきたけれど、ここまで来ると”尊敬”という言葉でしか表せないように思う。ワタシと母の関係は、占いで考えると、外見から価値観から殆ど眞逆の関係にあるといっても過言ではない。(陰占)だから苦しかったのだな~と今は思える。
ワタシにこのような介護ができるか?と言えば、恐らく出来ない。介護してもらう側になることだって考えられなくはない。まあそこを占いの知恵を使って抜けていきたいとは思っているけどね。

>母ととうちゃんがお買いものに出かけている間に、急いでお仏壇にお水とミルクをお供えして拝む。実は●●家にも水子がいる。例の観音様の声が聞こえるというおばさんにミルクを供えるように言われたのでね。

まさか介護の最中にある母にそうしてくださいとは言えないから、ワタシが密かに勝手にやらせて頂くことにしたんだ。(→出雲から帰ってからは、ずっと我が家の仏壇もどきにミルクはお供えしている。)

それから、水回りのお掃除。一番はトイレ。洗面所。お医者様がいらっしゃるので、寝室と廊下のふき掃除。お風呂場までは手が回らなかった。ワタシはお掃除が苦手なのだけれど、母はとても綺麗好きで、おうちはいつもきちんと片付いている。親たちの良いところは見習い、いけないところ?は直していくように心掛けようと思う。
< おばちゃんの不思議ばなし  >
母とおばちゃん( 義母の姉 )の関係は、母の方が強い。占い的にも断然強い。じっちゃんとおばちゃんをたして、母と丁度釣り合うくらいのエネルギー関係にあると思う。

だから、どちらかというと、ワタシはおばちゃんの味方みたいな感じで若い時から過ごしてきたようなところがある。おばちゃんも、それなりにストレスはあるから、話を聞いてあげる。

その話の中で、驚いたことがあるんだ。母とおばちゃんの祖父の話。どうやらその祖父は心臓が悪く、びっくりしてはいけないヒトだったのだが、B29が飛んできたのに驚いて心臓発作をおこして亡くなった。突然死。

遺体が自宅に運ばれてきた時には、手足が亡くなった時のまんま死後硬直していたらしい。
家族は、(はて困った)と、多分霊能者のようなヒト?に尋ねたところ、”雨水に打たれた じゃり?石?で手足をなでるとよい”と言われそのようにしたら、不思議なことに関節が柔らかくなったらしい。こういう不思議な話を母もおばちゃんもよく知っている。
生と死の境目には、現代医学や科学の力の及ばない摩訶・摩訶不思議な空間が存在しているのだ。目に見えているものだけが存在するのではないということをもっと知るべきなのだとワタシは思う。

>写真はアメ横にある、日蓮宗のお寺。
コメント
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