亡き実母の祥月命日です。
来年が十七回忌にあたります。
義父は母の2日後に身罷りました。
15年前の私は、50代になったばかり、夫は典型的仕事人間。
京都で大学生活を送っていたムスコは、夏休み中で帰省していたはずですが、
その夏のムスコの記憶がまるでありません。
7月に入院、ややあって死の宣告を受け、二か月後に旅立った母の夜の付き添いは、私ということになり、70日間病院の(今でいうホスピス待遇で)夜を共に過ごしました。
7月中は授業がありましたから、昼夜兼行、8月は年休もとったりして、何とかやりくりしたのでしょう。
母と過ごす最後の数十日を、心をこめて時を重ねた記憶がないのも情けないです。
健康寿命が長くなった現在も、病魔の前には長生きは許されません。母は存命なら九十代半ば。まだまだ私のことをあれこれ気にかけてくれていたようにも思われます。
あの時の私も未熟でした。母の死をどうやって乗り越えたのか、全く体感した部分がありません。
ただひたすら申し訳なく思うのは、母の亡くなった年齢まであと十年余りになった今、元気だった母の記憶力をからかったり、すいぶんぞんざいな口のきき方をしていたことです。
すでに、私は、母の晩年に比べて全く恥ずかしい限りの無精者に成り下がっています。
① 手紙を書かない
② 日記を書かない
③ 読書に集中しない
④ 縫物をしない
⑤ 茶道華道をさぼる
⑥ 煮物を作らない
⑦ 義理堅くない
⑧ 家の内外の掃除や整頓を徹底しない
もっとあるのですが、筆まめだった母、いつも針仕事に余念がなかった母、茶道が生きがいだった母のムスメとしては失格なのは、母自身、育て方が悪かったから・・・と諦めてくれている、と居直っています。
私の日常生活に読書が密着しなくなるとは、母は思ってもみないことでしょう。
これを機に、日々の暮らしを意識的に改善する、と自分を律する前に今の私は、そんなことできるはずがない、と全く消極的、短絡的です。
母の存在がなくなって、もう注意をしてくれる人がいない、母は私にとって一種の箍(たが)だったのだろうか、大人になることなく、子役として母の人生の一部だったのか・・・
確かにこの15年、母なしで生きては参りました。
よりよく生きる、という目標がないままに、幸い健やかに日を重ねただけです。
もともと他の人との関わりの少ない生活のところ、この半年はその距離がさらに大きくなったので、よけいに前向きになれない傾向にあるのだ、とも言い聞かせます。
母がこの世を去った年齢になるまであと十年余り。
世の中がまたもう少し自由に出歩ける状態になったときに、何をしたいか、どこへ行きたいか、目標を持つこれからにしたい、と、今日という特別な日に思い知りました。
お彼岸が近いので、今日の墓参は、その時に兼ねさせてもらうことにして、とりあえず、仕事の帰りに、とびっきり勢いのいい菊を求めたいと思います。自宅の写真(父母、二組の義父母の総勢6名の写真立ての中で母のを前面に出して、お抹茶を点てて、お菓子も心をこめておきたいと思います。
限りある時間と知りながら、漫然と過ごしたこの15年間でした。今日からは、どうせできないから、とさじを投げる前に、些細なことからでも自分に何かを課していきたいものです。
何かに焦がれる自分でありたい、体力・気力の衰えをも納得の上、それでも「したいこと」はまだあるはず、と自分に発破をかけたいと思うのです。。。
来年が十七回忌にあたります。
義父は母の2日後に身罷りました。
15年前の私は、50代になったばかり、夫は典型的仕事人間。
京都で大学生活を送っていたムスコは、夏休み中で帰省していたはずですが、
その夏のムスコの記憶がまるでありません。
7月に入院、ややあって死の宣告を受け、二か月後に旅立った母の夜の付き添いは、私ということになり、70日間病院の(今でいうホスピス待遇で)夜を共に過ごしました。
7月中は授業がありましたから、昼夜兼行、8月は年休もとったりして、何とかやりくりしたのでしょう。
母と過ごす最後の数十日を、心をこめて時を重ねた記憶がないのも情けないです。
健康寿命が長くなった現在も、病魔の前には長生きは許されません。母は存命なら九十代半ば。まだまだ私のことをあれこれ気にかけてくれていたようにも思われます。
あの時の私も未熟でした。母の死をどうやって乗り越えたのか、全く体感した部分がありません。
ただひたすら申し訳なく思うのは、母の亡くなった年齢まであと十年余りになった今、元気だった母の記憶力をからかったり、すいぶんぞんざいな口のきき方をしていたことです。
すでに、私は、母の晩年に比べて全く恥ずかしい限りの無精者に成り下がっています。
① 手紙を書かない
② 日記を書かない
③ 読書に集中しない
④ 縫物をしない
⑤ 茶道華道をさぼる
⑥ 煮物を作らない
⑦ 義理堅くない
⑧ 家の内外の掃除や整頓を徹底しない
もっとあるのですが、筆まめだった母、いつも針仕事に余念がなかった母、茶道が生きがいだった母のムスメとしては失格なのは、母自身、育て方が悪かったから・・・と諦めてくれている、と居直っています。
私の日常生活に読書が密着しなくなるとは、母は思ってもみないことでしょう。
これを機に、日々の暮らしを意識的に改善する、と自分を律する前に今の私は、そんなことできるはずがない、と全く消極的、短絡的です。
母の存在がなくなって、もう注意をしてくれる人がいない、母は私にとって一種の箍(たが)だったのだろうか、大人になることなく、子役として母の人生の一部だったのか・・・
確かにこの15年、母なしで生きては参りました。
よりよく生きる、という目標がないままに、幸い健やかに日を重ねただけです。
もともと他の人との関わりの少ない生活のところ、この半年はその距離がさらに大きくなったので、よけいに前向きになれない傾向にあるのだ、とも言い聞かせます。
母がこの世を去った年齢になるまであと十年余り。
世の中がまたもう少し自由に出歩ける状態になったときに、何をしたいか、どこへ行きたいか、目標を持つこれからにしたい、と、今日という特別な日に思い知りました。
お彼岸が近いので、今日の墓参は、その時に兼ねさせてもらうことにして、とりあえず、仕事の帰りに、とびっきり勢いのいい菊を求めたいと思います。自宅の写真(父母、二組の義父母の総勢6名の写真立ての中で母のを前面に出して、お抹茶を点てて、お菓子も心をこめておきたいと思います。
限りある時間と知りながら、漫然と過ごしたこの15年間でした。今日からは、どうせできないから、とさじを投げる前に、些細なことからでも自分に何かを課していきたいものです。
何かに焦がれる自分でありたい、体力・気力の衰えをも納得の上、それでも「したいこと」はまだあるはず、と自分に発破をかけたいと思うのです。。。