最終章だけど、、、

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秋彼岸

2020-09-17 18:58:34 | 日記
お彼岸の入りを迎えました。
暑さ寒さも彼岸まで、は夜間には実感しますが、日中はまだまだです。

1982年から入っていた生協を脱会することにしました。
市民生協と県民生協が今度一体化するという知らせがきまして、利用をしていたときにかけてきた協力金?が、うやむやになる可能性もありそうなのでは、と、思いきって問い合わせてみました。掛け金約85,000円くらい、来年四月に戻ってくるそうです。多年に渡り、ありがとうございました、と丁寧に言われました。会員だった40年弱のうち、しっかり利用していたのは、最初の20年間でした。ムスコのいた時代には、まず、食べさせることが、私の生きる道の半分くらいを占めていましたので(笑)

「ノカンゾウ」

毎月取り寄せているフジッコの黒豆の酢入り煮が三か月目に入っていよいよ、悪い癖、だんだん飽きてくる、消費しにくくなる、たまってくる、が始まっています。まだ開けてもいない荷を解いたら、もちろん印刷ですが、上の絵が入っていました。おおたいくや画だそうです。
そういえば、草原で見かけたような。。。季節の花ですね。
もうしばらくは、この健康食品を毎月の印刷の絵に惹かれて、購買を続けようと思いました。その他にもいくつもサプリメントなど気慰めにとっているのですけどね。


今朝、花を求めに車を走らせていたとき、ちょっと思いついて、郊外へ参りました。
近年通ったことのない国道より1本か2本うちに入った道路から撮影した光景です。重たく垂れる稲穂の田んぼが美しい。
そして、何だか遠くの記憶にあるのが、この建物でした。
そうだ、この廃墟は、病院だったんだ。
整形外科病院でした。ちょうど30年くらい前、住宅ローンを完済してほぼ貯金ゼロになったところで、親子三人で、海外旅行に行くことにしました。
シンガポールとマレーシアでした。小学生のムスコが大喜び。出発前に私に腰痛が生じて、その時にお世話になったのがこの病院でした。何とか治して、旅行に出たい、との思いを察していただき、帰るまで無事でした。
好機逃がすな、です。ムスコ小6の夏、オーストラリアにホームステイしながら母子二人の旅ができたものの、あとは、ムスコと旅したのは婚約時代の親子4人のときのみ。これからもきっと実現は望めないでしょう。連れ合いの英国長期出張時に、ムスコも私も多忙で同行できず、何しろ、三人しかいないのに、それぞれが、それぞれの用事であちこち飛んだ一時代もありました。
思い出の象徴ともいえるこの病院・・・後継ぎさんがいらっしゃらなかったのか。。。よもやの経営不振か。。。
花を買って、やっと活けました。巨峰も少々ですが母にお供えしました。

ついでに、自宅のあちこちの花を生け変えて、掛け軸と色紙をやっと秋モードにしました。

明日は、義父の祥月命日、お寺さまにいらしていただきます。お仏壇の仏花はもとより、家じゅう秋の花、シュウメイギク、孔雀草、花ナス、菊、庭からはそろそろフジバカマ、水引草、糸ススキなど手折ることにしましょう。
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