そのとき、父は蒲田の軍需工場の工場長として、オーナも皆疎開して留守の工場を、女子社員と二人きりで守っていた。
遠くの方から、ズドン、ビリビリと爆撃の音が近づいて来る。
そして、工場の真上で直撃弾の落下、ものすごい轟音で、もはやこれまでと、身をこごめていた。
やがて爆撃もおわり、我にかえったとき、周りを見回すと大きな穴がそこかしこに、穴と穴の間で助かっていた。
当時の蒲田は、沼地跡で地盤が軟らかく、直撃弾が屋根を突き破り、爆発もせずに地中に穴を開けて めり込んだのだった。
恐怖の爆撃から、まさに九死に一生を得て父が田舎に帰ってきたのは、それから間もなくであった。
昭和20年八月十五日は、田舎の隣家で、父は終戦の玉音放送を聞いて「日本負けた!」と大声で叫んで帰ってきた。
その後も、ズドン、ビリビリの空襲体験は、毎度、口をついて出て聞かされた。
恐ろしい体験は、死ぬまで消えずに残っていたに違いない。
今日、3月10日は、東京大空襲の日。