ノートパソコンに、ケイタイとタブレット。
ノートパソコンは、動かないでデスクに座っている。デスクトップのパソコンのように場所を取らない。
ケイタイは、電話機代わりで持ち歩いてきた。次々と機種を変更してデジカメの役も果たしている。カメラの画素数が1300万画素でデジカメを凌ぐ。
これはスマートフォンに乗り換えないで携帯電話で通して行く。
そして今年になって、タブレットが加わった。なかなかの優れもので外出時のインターネットには欠かせない。ワンセグも楽しめるが、ビジネスでも、画像のプレゼンが出来る。商品の写真を実物のように見せることが出来る。趣味の絵画の補助もしてくれると思う。
語学の助けにもなる辞書が充実していて、富士通モバイル統合辞書+と言うのは各国語の辞典を利用できる。
他に、小型のネットブックは、3年前にパソコンが壊れた時に応急処置として使っていたが、接続が悪くてずいぶんと苦労した。接続のEM(イーモバイル)が契約切れと同時に解約し、手元に残ったネットブックは光ポータブルで無線ラン接続しXPで使い続ける。
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50年間の会社勤めで、事務機や、文具はほとんどアナログでこなしてきた。
電卓なんかは無くて、算盤。東京オリンピックで、外国人バイヤーが来た時は、思い切って英文タイプライターを買ってレターのやりとりをしたが、ビジネス英語など不得手で商談などまとまらなかった。
配布資料は、ガリ版印刷、いわゆる謄写版。堀井の謄写版が有名であった。学校のテストのプリントや、お芝居やドラマの台本なども懐かしい。インクで袖が汚れないように、黒のアームカバーをしたもんだ。
その後、青焼きコピーが出て、プリントの他、設計図など青焼きだった。
コピーを焼くと言った。ある時上司が、新入社員にこれを五枚焼いて来いとの命令にほんとに、原紙ごと燃やしてしまった。どうやら作り話らしいが。
そのうちに、本格的なコピー機が出来て沢山のコピーがとれた。
電話も、携帯と言うよりも下げて歩くほどの電話器。偉い人の車には自動車電話がついた。
平社員は、ポケットベルを持たされ呼び出しがあると近くの公衆電話に走ったものだ。
そのころから、ワープロが出たように思う。会社の資料作りには、ローマ字入力で毎晩遅くまで、シコシコと作業をして終電すれすれで帰宅した。
英文タイプライターをかじったおかげで、タイピングは出来た。ワープロも今のノートパソコンのように薄いのがでて、仕事もワープロと共に持ち帰って深夜まで続いた。
初期のは、印字がリボンテープであったが、熱転写の用紙が出て楽になった。しかし時間が経つと字が消えてしまうので、トナーのコピーでフォロウした。
コンピュータは、大きなものであった。あっその前に、パンチ式のがあったか。
キーパンチャーと言うお仕事があったです。
だんだんに、コンピューターもパーソナルユースになり、ブラウン管のパソコンが出来た。
今でも使っているところもあるかもしれないが、まあほとんど液晶画面になっている。
ケイタイ電話はあっという間に多機能になり、取扱説明書を読んでも分からないことが多い。
そんな時、ショップにかけ込んで、設定してもらったりもする。
この先どこまでついて行けるか。
昔話が愚痴になったので、早く寝てしまおう。