「水」
昔話>桃太郎だったか、お爺さんは山へ柴刈りに、お婆さんは川へ洗濯に・・・こんな始まりで、大きな桃がどんぶらこ、どんぶらこと流れてきて、物語となる。
吉天が子供のころ、お婆さんが川へ洗濯に行くのに一緒についていったことじゃ。お爺さんがいなかったので、お婆さんが山へ柴刈りにも行ったのじゃ。言ってみれば、今から六、七十年前、吉天の家は桃太郎の時代と同じ生活をしておった。
そのころの日本は、観光地でなくても、どこでも田舎は山紫水明の地じゃった。
小道を通って、竹薮を抜けて行くと、そこには滾々(こんこん)と、きれいな湧き水が流れ出る小川があって、ちょうど人一人のれる石の足場が、格好の洗濯場となっていた。
大きな桃が流れてきても何の不思議もない情景の中で、お婆さんは洗濯板に洗濯物と石のように硬い石鹸をこすり付けては、濯ぎ、 しぼって、ブリキのバケツに入れ持ち帰り、庭先の竹竿に干した。
湧き水は冬温かく、夏冷たく きれいであった。
「湯水の如く・・」の言葉どおり豊富な天然の水はいくら使ってもタダだった。
また、大きな家では、前を流れる川から塀のうちに取り込んで、洗濯も、茶碗や食器類の洗い物、野菜物もみんなその川戸で洗っていたが、川上も川下もなくすべて水に流してきれいになった。
今どきのように、油物や、合成洗剤もなかったので、生活用水と言っても、川上から川下に行くまでに浄化されて問題がなかったのでありましょう。今でも不思議に思うのは、川上で赤ん坊のおむつ(布おむつ)を洗い、川下の家で野菜物を洗っていたことだ。もちろん飲料水は、井戸水でしたが、農薬や、工業廃棄物がしみこむ事もなかったので安全でした。
このように、「水」は天然自然の恵み物で、空気同様に有難いとの意識もなく生活いたして居ったのです。ただし、田畑の水は、農作物の生育を左右するので、時に水争いが起きる。「我田引水」とは、文字通り我が田に水を引く事で、自分の都合の良い方向に話を引き込む事に転じた。
水も空気も汚染されるようになったのは、文明や科学が進んだごく最近の事で、長い桃太郎と同時代を生きてきた吉天爺の幼少のころにはもう戻らん事じゃろう。
「水」について、「少し昔の話」じゃった。
「は~るのおがわは、さらさらゆくよ~・・」 ほうけた爺さんが唄って居るでよォ。
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