ぽかぽかと行きましょう

急がず、後れず。自分の歩幅でぽかぽか行くようなブログです。

東日本大震災1周年の今日。

2012年03月11日 | 一行法師

311246.

3月11日。午後2時46分。日本全国で黙祷。

国立劇場で、追悼式。天皇陛下ご病気ご療養中にもかかわらず、おしてのご出席。

お言葉を述べられる。

三県の遺族の代表の方々の言葉に涙する。

正座してテレビを見る。

先の太平洋戦争終結の八月一五日、昭和天皇のラジオでの詔勅以来のような気がする。

一面焼け野原の東京。日本一体となっての復興。東京オリンピックの時には、戦前の日本を上まわる復興と成長。

瓦礫の広がる津波被害の東北沿岸も、必ず、遠からず旧に倍する復興と新しい東北の時代がやって来るものと信じる。

今日は、昨日では無い。明日と言う未来にかけて、日本中力を合わせて前進。

被災を免れた他府県の人たちも決して他人事のように傍観してはならない。

ナマズの住む日本列島、いつどこで大地震が起こるか分からない。

現在の科学でもってしても、予知不能であり何パーセントの確率で何年以内とか、おおよそ漠たるものである。

防災の心構えと、何処で何が起きようとも、お互いわが事としての、助け合いの精神と、その実行力であろう。

一年間で、「絆」と言う言葉もすっかり使い古された感がある。

口先では無い「絆」、何が出来るか考えて見よう。

逆に、被災者の方々からの言葉や、困難を乗り切ろうとする努力、生きる力の尊さを、教えられる、この頃である。


デジタル三種の神器

2012年03月10日 | デジタル・インターネット

ノートパソコンに、ケイタイとタブレット。

ノートパソコンは、動かないでデスクに座っている。デスクトップのパソコンのように場所を取らない。

ケイタイは、電話機代わりで持ち歩いてきた。次々と機種を変更してデジカメの役も果たしている。カメラの画素数が1300万画素でデジカメを凌ぐ。

これはスマートフォンに乗り換えないで携帯電話で通して行く。

そして今年になって、タブレットが加わった。なかなかの優れもので外出時のインターネットには欠かせない。ワンセグも楽しめるが、ビジネスでも、画像のプレゼンが出来る。商品の写真を実物のように見せることが出来る。趣味の絵画の補助もしてくれると思う。

語学の助けにもなる辞書が充実していて、富士通モバイル統合辞書+と言うのは各国語の辞典を利用できる。

他に、小型のネットブックは、3年前にパソコンが壊れた時に応急処置として使っていたが、接続が悪くてずいぶんと苦労した。接続のEM(イーモバイル)が契約切れと同時に解約し、手元に残ったネットブックは光ポータブルで無線ラン接続しXPで使い続ける。

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50年間の会社勤めで、事務機や、文具はほとんどアナログでこなしてきた。

電卓なんかは無くて、算盤。東京オリンピックで、外国人バイヤーが来た時は、思い切って英文タイプライターを買ってレターのやりとりをしたが、ビジネス英語など不得手で商談などまとまらなかった。

配布資料は、ガリ版印刷、いわゆる謄写版。堀井の謄写版が有名であった。学校のテストのプリントや、お芝居やドラマの台本なども懐かしい。インクで袖が汚れないように、黒のアームカバーをしたもんだ。

その後、青焼きコピーが出て、プリントの他、設計図など青焼きだった。

コピーを焼くと言った。ある時上司が、新入社員にこれを五枚焼いて来いとの命令にほんとに、原紙ごと燃やしてしまった。どうやら作り話らしいが。

そのうちに、本格的なコピー機が出来て沢山のコピーがとれた。

電話も、携帯と言うよりも下げて歩くほどの電話器。偉い人の車には自動車電話がついた。

平社員は、ポケットベルを持たされ呼び出しがあると近くの公衆電話に走ったものだ。

そのころから、ワープロが出たように思う。会社の資料作りには、ローマ字入力で毎晩遅くまで、シコシコと作業をして終電すれすれで帰宅した。

英文タイプライターをかじったおかげで、タイピングは出来た。ワープロも今のノートパソコンのように薄いのがでて、仕事もワープロと共に持ち帰って深夜まで続いた。

初期のは、印字がリボンテープであったが、熱転写の用紙が出て楽になった。しかし時間が経つと字が消えてしまうので、トナーのコピーでフォロウした。

コンピュータは、大きなものであった。あっその前に、パンチ式のがあったか。

キーパンチャーと言うお仕事があったです。

だんだんに、コンピューターもパーソナルユースになり、ブラウン管のパソコンが出来た。

今でも使っているところもあるかもしれないが、まあほとんど液晶画面になっている。

ケイタイ電話はあっという間に多機能になり、取扱説明書を読んでも分からないことが多い。

そんな時、ショップにかけ込んで、設定してもらったりもする。

この先どこまでついて行けるか。

昔話が愚痴になったので、早く寝てしまおう。


バーバー・ジージー。

2012年03月08日 | 日常・身の回り

婆ばあァ爺じいィではない。

お客が爺ばかりの、Barber-shop、つまり床屋のことである。

髪が伸びきったので、駅前の安いその床屋にいった。

安くても、丁寧にきれいに調髪してくれる。

街中の床屋が「ランチ定食」に例えるなら、こちらは「牛丼」に当たる。

早い・うまい・安いの牛丼のようなもの。

したがって、吉天のような年金生活の爺ばかりがやってくる。

カットも、顔剃りや、シャンプーもきっちりやってくれて、きれいに整髪してくれる。

そして、手際よく早い、一般の床屋さんより1000円も安いのは有難い。

店の名前は、バーバー・ジイ―ジーではなく、本当はおしゃれな名前が付いているのだが、覚えられない。

ともかく、さっぱりして帰って来た吉天なのでした。


日本画のクラス。

2012年03月07日 | 絵画、日本画。
趣味の日本画の教室を4月から休むことにした。
日本画の勉強もさることながら、教室のメンバーと会えないのも残念。
やはり、みんなと一緒だから描くことも楽しい。
自分の家で時間を見てスケッチしたりはなかなかできない。
実質、絵から遠ざかることになる。一年の空白は他で埋めることはできないのではないか。
事情が許せば、休まずに続けたい気持ちはあるのだが。

見守り隊の猫。

2012年03月07日 | 我輩も猫である。

ここに越して来た時から我が家の様子うかがいに来る猫。

時々は塀を超えてやって来る、見守り隊の猫。

庭から、塀の上から、セキュリティーは任せて安心か。

餌をやるわけでもないのでボランティアで、監視カメラの役をやってくれている。

近くのお家で飼われているらしく、点検が終わると帰って行く。

ネコのミタ。

口をきかないので目撃証言は、できニャア~でござるよ。

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弥生三月も忙しくなりそうな気配。

2012年03月03日 | 日常・身の回り

雛の節句も、明日は片付け。

相変わらず身の周りの整理整頓が出来ない。

未解決のことども書き出したら、大小28ものことがある。

優先順位を付けて、やりこなすにしても、TVも見ないでひきこもって集中するしかない。

気になっている確定申告も急いでやっておかないと間に合わない。

その他、もろもろ、やりたいが体調を崩さないようにして、11時過ぎたから、もう寝てしまおう。