入り口でアルコール消毒をし、ビニール袋に靴を入れ
松本城のお城の中を見学します。
内側の床より約50cm低く作られた「武者走」武士が矢玉を持ち走っていたそうです。
「矢狭間」は、攻めてくる敵に弓を放った小さな窓
石垣から登ってくる敵を石を落として攻撃する「石落し」など
防備が見られます。
お城の見学ってこの季節がいいですね。
寒くも暑くもなくて。
昔の人は暑さと寒さにも耐えないとならなかったんですよね(^_^;)
下の写真の鉄砲の弾、その横の箱が携帯用で持ち歩くんですって。。。
鎧を着けてるだけでも重いのに、戦って大変だったんですね。
確か一斗缶位の大きさがあったような気がします。
花頭窓(かとうまど)
鎌倉時代に中国から伝わった仏教建築で、天守建築では格式の高い窓です。
松本城の階段はかなり急で四階から上は斜度がかなりあり
手すりにつかまりながら登ります。
頭上には梁があるので頭上も注意です。
ゆあちゃんが大丈夫?大丈夫?と気にしてくれ
ビニール袋に入った靴を持ってくれました。
この前まで私が世話を焼いてたのに(笑)
気にしてくれるのは、ありがたいような
あぁ~心配されるほど、歳をとったんだなぁと複雑な心境(笑)
城下町をみて農民一揆の話を思い出しました。
松本藩の年貢は近隣の藩と比べ、とても重く農民は苦しさを堪えて納めていました。
重い年貢に加え近年の不作が続き農民の生活は困窮を極め
餓死をする農民もいました。
そして「貞享騒動」・・・農民一揆がおきました。
農民の声を命がけで訴えた「多田加助」
残酷な刑で無念の死を遂げます。幼子までも。
松本城の天守閣は呪いで傾いた?など色んな話があります。
安曇野のホームページ 「多田加助」
検索すると色んなサイトがあります。
天守四階の御座所
城主が座っていたんですね!
客人が入る所ではなかったそうです。
四階から五階の階段が一番傾斜があり斜度61度。
服装や持ち物に気を付けて見学することをお薦めします(#^.^#)
天守三階には窓がありません。
外からは分からないようになってるんですね。
外からみると本当は六階建てなのに、五階建てに見える秘密です\(^o^)/
徳川家光が訪れるかもしれないと作った「月見櫓」は
残念ながら見られませんでした。
結局、せっかく造ったのに来なかったんですよね。
この前のブラタモリでやってました(笑)
松本城を見学したあとは、城下町を散策します\(^o^)/ つづく
だから年貢が重い?一揆?
九州島原の乱が起きた島原城も松倉氏が4万3千石なのに10万石並の城を建て過酷な重税とキリスタン迫害が原因でした。
昨秋ゆっくりと島原、天草を訪ねました。
富山は加賀100万石の属領、前田家は加賀金沢の領民には優しく、能登、越中の領民には取り立てが厳しかったそうです。
それが原因で金沢の人はおっとり、能登、富山の人はガツガツしていると言われています。
松本は街道の拠点でもあり、街道整備も大変だったようです。
ただ、松本市民は松本をこよなく愛し長野や信州ではなく
「松本」という地名に誇りがあるそうです。
天草、私も世界遺産になる前ですが行きましたよ(*^_^*)
今の時代も数百年後にはどう伝わるんでしょうね。
しかも上に行くほどきつくなる
手すりと言うより四つん這い出歩く感覚
写真撮って横にしたら四つん這いってね(笑)
10万石でこの大きさはデカ過ぎなんでしょうね
宇和島が同じ10万石ですが数分の一の天守閣です 小さいですよ(笑)
お孫さんに労ってもらう年齢 嬉しいようで寂しいようで私もすぐになるんだなって実感です
お城の見学は冬は寒く、夏は暑いですよね~
この季節はいいですね(笑)
急な所は階段と言うよりハシゴのようでした。
松本城、何かで読んだ気がするので、間違えかもしれませんが
昔はもっと大きかったそうです。
今、公園になってるところまであった・・・
みたいな???
違うかな(笑)
平地に建てられている
珍しい城なんですよね
お城って、ちょっと小高くなっている所に
建てられている事多いですものねぇ〜
外から見ると
あまり高そうに見えませんが
中から見ると
けっこうな高さがありますねぇ〜
お城から外を映したpoohさんの写真見るとかなり高い感じです
気づかってくれるお孫ちゃま
可愛いですね!
子供の成長も早いけど
お孫ちゃまの成長も早いのでしょうね
確かに!確かに!
平地ですね。
言われるまで気が付きませんでした。
どこのお城も階段ですが、このお城の傾斜は結構ありました。
ただ、神社や寺の階段を登るのと違って
息切れはしませんでしたが(笑)
この前まで、娘が高校や大学だったような気がしますが
孫が追っかけで成長しますね(笑)
歳をとる訳です(^_^;)
1617年(元和3年)信濃松本藩主より明石藩主となった小笠原忠真は・・・ウイキペデイア
明石城と縁があるんですね。
小笠原忠真さん、それから豊前国小倉藩の初代藩主(1916年)になったんだって!
姫路城に10回くらい行って、多少城のことを知っているかと思っていたら、
「矢狭間」、「花頭窓」・・中国から伝わった仏教建築で、天守建築では格式の高い窓、「四階から上は斜度がかなりあり」、
「貞享騒動」・・・農民一揆、「多田加助」、「階段が一番傾斜があり斜度61度」
などなどかなりの知識を吸収していますね。すごい です。
>この前のブラタモリでやってました
私も日頃見ないこのブラタモリを見ていたんだということ気づきました。
いやー、松本駅から城は見たのに、ここはいまでも行きたいです。
有難うございまsた。
城や仏閣の事は本当に知識がなく、聞いても素通りしてしまいます。
松本で農民一揆があって、何とかという名前の人が
立ち上がったんだよなぁ
等、記憶には断片だけしか残っていなくて(^_^;)
ブログを書くのに調べました(笑)
私は姫路城に入たことが無いので、行ってみたいです。