原文:http://www.house.gov/paul/congrec/congrec2006/cr021506.htm
それは100年前には「ドル外交」と呼ばれた。第二次大戦後、特に1989年のソ連崩壊後はこの政策は「ドル覇権」へ進化した。しかし、これらの長年に渡る大成功は終わり、我々のドルの優位性は失われつつある。
「金貨を持つものが法律を作る」と言う諺がある。かつては、それは「公正で正当な取引には真の価値を持つものの交換が必要である」事を意味した。最初は単なる物々交換だった。そして、金貨には普遍的な魅力があり、厄介な物々交換取引の代用品として便利であることが発見された。財やサービスの交換を円滑化するだけでなく、雨の日の為に貯蓄したいと考える者にとっての価値貯蔵手段にもなった。
マネーは市場で自然に成長したが、同時に政府の権力も強まってマネーを独占的に支配する様になった。政府は金貨の品質と純度を補償することに成功することもあった。しかし、政府はやがて収入以上に支出を行うようになった。国民は常に増税には反対であった。それ故、王や皇帝たちが金貨に含まれる金の量を減らすことで通貨量を増大させる様になるまで長くはかからなかった。王や皇帝たちは臣民がその詐欺に気付かないことを常に望んでいたが、臣民は常にそれに気付き、激しく反対した。その為、指導者達は他国を征服することでより多くのゴールドを手に入れる事を強いられた。国民は自分達の平均収入を越えた生活に慣れ、サーカスとパンを楽しむようになった。外国の征服はによって贅沢のための資金調達を行うことは、より勤勉に働き多く生産することよりも合理的な代替手段であるように思われた。また、外国を征服することは母国にゴールドだけでなく奴隷をももたらした。征服した土地で人々から税金を取り立てることは、帝国建設の動機となった。この政府システムは暫くの間良く機能したが、人々は道徳的堕落のために自ら生産しようとしなくなった。征服可能な国の数には限りがあり、それは常に帝国の終焉をもたらした。ゴールドがもはや手に入らなくなれば、彼らの軍事力は崩壊した。当時、ゴールドを持つ者は実際に法律を制定し、裕福に暮らしたのだ。この一般的法則は時代が変わっても色あせなかった。金貨が使用され、正直な商行為が法律により保護された時には、生産力の高い国が成功した。強力な軍隊とゴールドを持つ富裕な国家が帝国や祖国の繁栄を支えるための安易な財宝だけを求めて成功するならば、それらの国は崩壊した。
今日もその法則は同様であるが、その過程は著しく異なっている。ゴールドはもはや王国の通貨ではなくなった。紙が通貨となった。現在の真実はこうだ:紙幣を印刷する者が法律を制定する--少なくとも暫くの間は。ゴールドはもはや使われていないが、軍事的優越性と貨幣生産過程の支配によって外国に生産と支援を強制するという目的地は不変である。ペーパーマネー(訳者注:ゴールドなどの実物資産の裏付けのない非兌換紙幣を指すと思われる)を印刷することは偽造に他ならないが、国際基軸通貨の発行者は必ずシステム支配を保証する軍事力の保有国でなくてはならない。この壮大な仕組みは事実上の世界通貨の発行国に永遠の富を保証する完璧なシステムである様に見える。しかし、一つ問題がある。それは、このようなシステムは偽造を行う国家の国民性を破壊してしまうのだ。ゴールドが通貨であった時代に外国を支配してゴールドを手に入れていた場合と同じである。貯蓄すること、生産する事への動機が失われ、その一方で借金やとめどない浪費が奨励される。
国内で通貨量を増大させる圧力の出所は、企業の繁栄の受益者に加えて、補償としてのばらまき福祉を求める人々や障害者が挙げられる。両方の場合とも、各自の行動に対する個人の責任は否定されている。ペーパーマネーが拒絶される時、あるいはゴールドが底をついた時、繁栄も政治的安定も失われる。その国は、経済的・政治的システムが新しいルールに適応できるまでは、従来の収入以上の生活ではなく収入以下の生活に苦しむことになる。今は亡き紙幣印刷過程を動かしていた人々はもはやルールを制定しなくなっている。
「ドル外交」はウィリアム・ハワード・タフト(訳者注:第27代米国大統領、1909-1913在任)とフィランダー・C・ノックス国務長官(1909-1913在任)によって制定された。それは、ラテンアメリカと極東に於ける米国の営利目的投資を増進させる目的であった。マッキンリー(訳者注:第25代米国大統領、1897-1901在任)は1898年に対スペイン戦争をでっち上げ、その必然的結果であるセオドア・ルーズベルト(訳者注:第25代米国副大統領、1901年3月―9月在任、マッキンリー大統領の暗殺により第26代米国大統領に就任、1901-1909在任)によるモンロードクトリンは、米国のドルと外交的影響力を用いて米国の対外投資を保護するというタフトの攻撃的手法の先駆けとなった。この手法は「ドル外交」という有名な肩書きを得ている。ルーズベルトの政策変化の重要性は、米国の内政干渉はもはや、米国にとって利害関係のある国が欧州の支配に対して政治的に、あるいは財政的に脆弱である様に見えるという単なる外見のみで正当化されうるという点にある。我々は正義を主張しただけでなく、米国の商業上の利益を欧州から防衛するという米国政府の公的な「義務」をも主張したのだ。
この新しい政策は19世紀末の「砲艦外交」の後に続くものであり、軍事力による脅迫に訴える前に影響力を獲得可能であることを意味した。ウィリアム・ハワード・タフトの「ドル外交」が明確に示される迄に、アメリカ帝国の種子は植えられていたのだ。米国憲法の制定者から我々に引き継がれた、自国に対する愛情も敬意も失った肥沃な政治的土壌の中でその種子は成長する運命にあり、実際に成長した。20世紀後半にドル「外交」がドル「覇権」に移行するまでに長い時間はかからなかった。この移行は、財政政策とドルそのものの性質の劇的変化なしには起こらなかっただろう。
米国下院は連邦準備制度を1913年に作った。それから1971年までの間、健全財政の原則は意図的に弱体化させられた。この間、連邦準備制度は戦争費用を賄う、あるいは経済を操作する目的でマネーサプライを意図的に増加させることが非常に容易であることを発見した。議会からの抵抗はほとんどなく、その一方で政府に影響力を行使する特殊利益団体は利益を得た。
ドルの優越性は第二次大戦後に非常に促進された。米国は多くの外国とは異なり破壊を逃れ、米国の金庫は全世界のゴールドで満杯だった。しかし、世界は金本位制の規則へと回帰しない事を選択し、政治家はそれを賞賛した。請求書の支払いのために紙幣を印刷する政策は、不要な支出を抑制する政策や増税よりもずっと人気があった。短期的な利益はあるにしろ、不均衡はその後何十年もの期間、制度化された。
1944年のブレトンウッズ合意は英国ポンドに取って代わる卓越した世界的準備通貨としてのドルの地位を確固たるものとした。米国の政治的、軍事的影響力によって、また米国が保有する膨大なゴールドの実物によって、全世界は躊躇なく米国ドル(35分の1オンスのゴールドに等価と定義されている)を準備通貨として受け入れた。ドルは「ゴールド同然」とされ、その比率で図部手の外国の中央銀行が交換可能であった。しかしながら、米国市民にとっては、ゴールドの保有は違法であった。この金為替本位制は当初から失敗する運命にあった。
米国は多くのものが予想したとおりに行動した。米国はより多くのドルを印刷したが、そこにはゴールドの裏付けはなかった。しかし、世界は安心してそのドルを25年以上も受け取り続けてきた—フランスやその他の国々が1960年代末に、米国財務省に輸送された35ドルごとに1オンスのゴールドを支払うという約束を実行するように求めてくるまでは。この結果、膨大な量のゴールドが流出し、全く不完全に考案されていた偽の金本位制の終焉をもたらした。
ニクソン(訳者注:第37代大統領、1969-74就任)が1971年8月15日にゴールドの窓を閉じて残る2億8千万オンスのゴールドの払い戻しを拒否した時に全ては終わった。本質的には米国は破産を宣言したのであり、市場を安定させるために何か別の金融制度が必要であることは誰にも理解されていた。驚くべき事に、新たな制度は米国が世界準備通貨を印刷するに際して何ら制限を加えなかったのだ。ゴールドとの兌換性が存在するという見せかけすらない、全く何の制限もないのだ!新たな政策はずっと大きな不備があるにも関らず、ドル覇権の拡大へのドアが開かれることになった。
世界は何か新しいものに乗り込み始め、途方もない資金運用者達の言いなりになった。そこには、OPECとの間で全世界の原油価格を独占的にドルで値決めするという協定を結んだ米国政府の強い支持があった。これによってドルは世界の通貨の中で特別の地位を手に入れ、事実上ドルの価値が原油によって「裏付けられ」た。その代わりに、米国はペルシャ湾岸の豊富な石油を有する様々な王国を侵略の脅威や国内での政変から守ることを約束した。この取り決めは、この地域での米国の影響力を嫌がるイスラム過激派運動を刺激した。この取り決めはドルに人為的な強さを与え、途方もない財政的利益を米国にもたらした。ドルの力が続く限り、米国は石油や他の商品を非常に割安な価格で購入することで貨幣的インフレーションを輸出することが可能になった。
このブレトンウッズ後体制は1945年から1971年の間に存在した体制よりはるかに脆弱だった。石油とドルの協定は有用だったが、それはブレトンウッズ体制の疑似金本位制には到底及ばなかった。19世紀末期の金本位制より不安定であることは言うまでもない。
1970年代を通して、ドルは崩壊寸前であった。石油価格は上昇し、ゴールドは1オンス800ドルまで急上昇した。1979年には体制を守るために21%の金利が必要となった。未収収益(訳者注:石油ドル体制によるもの)にも関わらず1970年代にドルに加わった圧力は1960年代の無謀な財政赤字と貨幣的インフレーションの反映であった。我々は大砲とバターの両方を手に入れることは出来ないというウィリアム・ベンジャミン・ブライアン(訳者注:ウッドロウ・ウィルソン大統領の元で1913-1915に国務長官に就任)の主張は詐欺ではなかった。
ドルは再度救助され、その後は真のドル覇権の時代が1980年代初期から現在まで継続している。主要国の中央銀行や国際的商業銀行の途方もない共同作業によって、ドルはまるでゴールドであるかの様に扱われている。
連邦準備制度理事会のアラン・グリーンスパン議長(訳者注:1987-2006就任)は下院銀行委員会で、彼が過去に示した金本位制に好意的な姿勢を私が問題として取り上げた際、彼やその他の中央銀行の銀行家は非兌換紙幣(ドル体制)をゴールドであるかのように見なしていると何度も反論した。その度に私は強く反論し、真の価値を持つ貨幣への要求を考慮すれば、彼らが本当にそれほどの業績を残したのならばそれは数世紀に渡る経済学の歴史を否定するも同然だと指摘した。彼は気取って自信ありげに私の主張に同意した。
最近は中央銀行や様々な金融機関(それらは全て不換紙幣によるドル本位制の機能を維持することを既得権益にしている)が膨大な量のゴールドを市場で売却ないし貸し出している。金価格の下落によりその政策には疑問が呈されているにも関らずである。彼らは金価格固定化への希望を決して白状しないが、彼らが金価格の下落が市場に信頼感を与えると信じていること、彼らが紙切れをゴールドに転換することに驚くべき大成功を収めていると信じていることの証拠は豊富に存在する。
金価格の上昇は不換紙幣への不信任の指標であると歴史的に見なされてきた。この最近の努力は1960年代に米国財務省がドルは健全でありゴールドと同じぐらい優れたものであると世界を納得させるために1オンス35ドルでゴールドを売っていたのとは全く異なるものだ。大恐慌の時期でさえ、ルーズベルトは最初の法令の一つで米国市民のゴールド保有を違法とすることで、欠陥のある貨幣システムの指標としての自由市場でのゴールドの価格決定を禁止している。1970年代初めにゴールドの保有が再度合法化された後に、下落するドルからの安全な避難所を求める人々の熱意をくじくために米国財務省とIMFが何トンものゴールドを市場に投げ売りして金価格を固定しようとした時、経済学の法則によってその努力に歯止めがかけられた。
1980年から2000年までの間の市場を欺くための努力も、ドルの真の価値に関して言えば失敗であることが再び立証された。過去5年間にドルはゴールドに対して50%以上も減価している。強力な印刷機や連邦準備制度のマネー創造能力をもってしても、全ての人を常に欺くことは不可能なのだ。
不換紙幣本位体制のあらゆる欠点にも関わらず、ドルの影響力は成功を収めた。この結果は有益に見えるが、システムに組み込まれた酷い歪みが残された。そして案の定、ワシントンの政治家達は只憂慮するばかりで粉飾決算から突発する問題を解決する事が出来ず、その一方で内在する政策の欠陥を理解し解決することも出来なかった。保護貿易主義、為替相場の固定、懲罰関税、政治的動機を持つ制裁、企業への補助金、管理貿易、物価統制、金利と賃金の統制、超国粋主義的感情、軍事的圧力、そして戦争という手段までもが取られた。それは全て、深刻な欠陥のある貨幣システム・経済システムによって人為的に作られた問題を解決するためである。
短期的には、不換の準備通貨の発行者は巨大な経済的利益を手に入れる事ができる。しかし、長期的には世界通貨を発行する国にとっての脅威を引き起こす。今回はそれが米国に当てはまる。諸外国が実物財と引き替えに米国ドルを受け取り続ける限り、我々は抜きん出た存在であり続ける。米国の議員の多くはこれが利益である事を理解していない。彼らは中国の対米貿易黒字を批判している。しかしながら、これは海外に製造業の職が失われる事に繋がる。我々はより他者に依存し自給持続できなくなるからだ。諸外国はその高い貯蓄率によって米国ドルを蓄積している。そして、寛大にもそれを我々に低い金利で貸し戻して、我々の過剰消費の資金調達を助けているのだ。
誰もが聞き飽きたと感じるだろう。しかし、米国ドルがその減価によって外国に従来ほど歓迎されなくなるか、更には拒否される様な時がやがて訪れるだろう。それによって全く新しい試合が開始され、我々は収入以上、生産以上の生活のつけを支払うことになる。ドルに関する心証の変化は既に始まっているが、最悪の事態はこれから訪れる。
1970年代に米国がOPECと結んだ、石油価格をドル建てとするという合意はドルに傑出した準備通貨としての途方もない人工的な力を与えた。全世界にドルに対する需要が生まれ、毎年生み出される膨大な新しいドルが吸収された。昨年だけでM3(訳者注:マネーサプライ指標の一つだが、この演説後の2006年3月に公表が中止されている)は7000億ドル以上も増加している。この人工的なドル需要に米国の軍事力が加わることで、米国は生産力も貯蓄もなしに、そして消費者の支出や赤字の限界なしに世界を「支配」するという類のない地位についた。問題は、それが持続不可能であることだ。
物価高はその醜い頭を擡げ始めており、あぶく銭によってもたらされたNASDAQのバブルは弾けた。住宅バブルも同様にしぼみ始めている。金価格は二倍になり、連邦政府の支出は途方もない規模となり政治家にはそれを統制する意志がない。昨年の貿易赤字は7280億ドルを超えている。2兆ドルの対イラク戦争費用は途方もないものだ。そして、イランと恐らくはシリアに対する戦争の拡大が現在計画されている。 それを止める唯一の力は、世界がドルを拒絶することだ。それはやってくる運命にあり、正常化のために金利を21%に引き上げる事を必要とした1979-1980年より更に悪い状況になるだろう。 しかし、当座の所ドルを防衛するために可能なあらゆる手段が行われるだろう。 米国とドルの保有者は、全ての見え透いた言い訳を継続することで共に利益を得る。
グリーンスパン前議長(訳者注:1987-2006年1月就任)は連邦準備制度を去った後の最初のスピーチで、金価格の上昇はテロへの懸念が原因であり、金融問題への懸念や彼が任期中にマネーサプライを増やし過ぎたことは原因でないと言った。ゴールドの信頼は疑われるべきであり、ドルは支えられるべきということだ。ドルが市場要因により深刻な打撃を受けた時でさえ、主要国の中央銀行やIMFは必ずや考え得る全ての手段を用いて、安定性を回復するためにドルを吸収するだろう。最終的には彼らは破綻する。
●ドル覇権の終焉:ロン・ポール下院議員の議会演説 2006年2月15日 (その2)へ続く
それは100年前には「ドル外交」と呼ばれた。第二次大戦後、特に1989年のソ連崩壊後はこの政策は「ドル覇権」へ進化した。しかし、これらの長年に渡る大成功は終わり、我々のドルの優位性は失われつつある。
「金貨を持つものが法律を作る」と言う諺がある。かつては、それは「公正で正当な取引には真の価値を持つものの交換が必要である」事を意味した。最初は単なる物々交換だった。そして、金貨には普遍的な魅力があり、厄介な物々交換取引の代用品として便利であることが発見された。財やサービスの交換を円滑化するだけでなく、雨の日の為に貯蓄したいと考える者にとっての価値貯蔵手段にもなった。
マネーは市場で自然に成長したが、同時に政府の権力も強まってマネーを独占的に支配する様になった。政府は金貨の品質と純度を補償することに成功することもあった。しかし、政府はやがて収入以上に支出を行うようになった。国民は常に増税には反対であった。それ故、王や皇帝たちが金貨に含まれる金の量を減らすことで通貨量を増大させる様になるまで長くはかからなかった。王や皇帝たちは臣民がその詐欺に気付かないことを常に望んでいたが、臣民は常にそれに気付き、激しく反対した。その為、指導者達は他国を征服することでより多くのゴールドを手に入れる事を強いられた。国民は自分達の平均収入を越えた生活に慣れ、サーカスとパンを楽しむようになった。外国の征服はによって贅沢のための資金調達を行うことは、より勤勉に働き多く生産することよりも合理的な代替手段であるように思われた。また、外国を征服することは母国にゴールドだけでなく奴隷をももたらした。征服した土地で人々から税金を取り立てることは、帝国建設の動機となった。この政府システムは暫くの間良く機能したが、人々は道徳的堕落のために自ら生産しようとしなくなった。征服可能な国の数には限りがあり、それは常に帝国の終焉をもたらした。ゴールドがもはや手に入らなくなれば、彼らの軍事力は崩壊した。当時、ゴールドを持つ者は実際に法律を制定し、裕福に暮らしたのだ。この一般的法則は時代が変わっても色あせなかった。金貨が使用され、正直な商行為が法律により保護された時には、生産力の高い国が成功した。強力な軍隊とゴールドを持つ富裕な国家が帝国や祖国の繁栄を支えるための安易な財宝だけを求めて成功するならば、それらの国は崩壊した。
今日もその法則は同様であるが、その過程は著しく異なっている。ゴールドはもはや王国の通貨ではなくなった。紙が通貨となった。現在の真実はこうだ:紙幣を印刷する者が法律を制定する--少なくとも暫くの間は。ゴールドはもはや使われていないが、軍事的優越性と貨幣生産過程の支配によって外国に生産と支援を強制するという目的地は不変である。ペーパーマネー(訳者注:ゴールドなどの実物資産の裏付けのない非兌換紙幣を指すと思われる)を印刷することは偽造に他ならないが、国際基軸通貨の発行者は必ずシステム支配を保証する軍事力の保有国でなくてはならない。この壮大な仕組みは事実上の世界通貨の発行国に永遠の富を保証する完璧なシステムである様に見える。しかし、一つ問題がある。それは、このようなシステムは偽造を行う国家の国民性を破壊してしまうのだ。ゴールドが通貨であった時代に外国を支配してゴールドを手に入れていた場合と同じである。貯蓄すること、生産する事への動機が失われ、その一方で借金やとめどない浪費が奨励される。
国内で通貨量を増大させる圧力の出所は、企業の繁栄の受益者に加えて、補償としてのばらまき福祉を求める人々や障害者が挙げられる。両方の場合とも、各自の行動に対する個人の責任は否定されている。ペーパーマネーが拒絶される時、あるいはゴールドが底をついた時、繁栄も政治的安定も失われる。その国は、経済的・政治的システムが新しいルールに適応できるまでは、従来の収入以上の生活ではなく収入以下の生活に苦しむことになる。今は亡き紙幣印刷過程を動かしていた人々はもはやルールを制定しなくなっている。
「ドル外交」はウィリアム・ハワード・タフト(訳者注:第27代米国大統領、1909-1913在任)とフィランダー・C・ノックス国務長官(1909-1913在任)によって制定された。それは、ラテンアメリカと極東に於ける米国の営利目的投資を増進させる目的であった。マッキンリー(訳者注:第25代米国大統領、1897-1901在任)は1898年に対スペイン戦争をでっち上げ、その必然的結果であるセオドア・ルーズベルト(訳者注:第25代米国副大統領、1901年3月―9月在任、マッキンリー大統領の暗殺により第26代米国大統領に就任、1901-1909在任)によるモンロードクトリンは、米国のドルと外交的影響力を用いて米国の対外投資を保護するというタフトの攻撃的手法の先駆けとなった。この手法は「ドル外交」という有名な肩書きを得ている。ルーズベルトの政策変化の重要性は、米国の内政干渉はもはや、米国にとって利害関係のある国が欧州の支配に対して政治的に、あるいは財政的に脆弱である様に見えるという単なる外見のみで正当化されうるという点にある。我々は正義を主張しただけでなく、米国の商業上の利益を欧州から防衛するという米国政府の公的な「義務」をも主張したのだ。
この新しい政策は19世紀末の「砲艦外交」の後に続くものであり、軍事力による脅迫に訴える前に影響力を獲得可能であることを意味した。ウィリアム・ハワード・タフトの「ドル外交」が明確に示される迄に、アメリカ帝国の種子は植えられていたのだ。米国憲法の制定者から我々に引き継がれた、自国に対する愛情も敬意も失った肥沃な政治的土壌の中でその種子は成長する運命にあり、実際に成長した。20世紀後半にドル「外交」がドル「覇権」に移行するまでに長い時間はかからなかった。この移行は、財政政策とドルそのものの性質の劇的変化なしには起こらなかっただろう。
米国下院は連邦準備制度を1913年に作った。それから1971年までの間、健全財政の原則は意図的に弱体化させられた。この間、連邦準備制度は戦争費用を賄う、あるいは経済を操作する目的でマネーサプライを意図的に増加させることが非常に容易であることを発見した。議会からの抵抗はほとんどなく、その一方で政府に影響力を行使する特殊利益団体は利益を得た。
ドルの優越性は第二次大戦後に非常に促進された。米国は多くの外国とは異なり破壊を逃れ、米国の金庫は全世界のゴールドで満杯だった。しかし、世界は金本位制の規則へと回帰しない事を選択し、政治家はそれを賞賛した。請求書の支払いのために紙幣を印刷する政策は、不要な支出を抑制する政策や増税よりもずっと人気があった。短期的な利益はあるにしろ、不均衡はその後何十年もの期間、制度化された。
1944年のブレトンウッズ合意は英国ポンドに取って代わる卓越した世界的準備通貨としてのドルの地位を確固たるものとした。米国の政治的、軍事的影響力によって、また米国が保有する膨大なゴールドの実物によって、全世界は躊躇なく米国ドル(35分の1オンスのゴールドに等価と定義されている)を準備通貨として受け入れた。ドルは「ゴールド同然」とされ、その比率で図部手の外国の中央銀行が交換可能であった。しかしながら、米国市民にとっては、ゴールドの保有は違法であった。この金為替本位制は当初から失敗する運命にあった。
米国は多くのものが予想したとおりに行動した。米国はより多くのドルを印刷したが、そこにはゴールドの裏付けはなかった。しかし、世界は安心してそのドルを25年以上も受け取り続けてきた—フランスやその他の国々が1960年代末に、米国財務省に輸送された35ドルごとに1オンスのゴールドを支払うという約束を実行するように求めてくるまでは。この結果、膨大な量のゴールドが流出し、全く不完全に考案されていた偽の金本位制の終焉をもたらした。
ニクソン(訳者注:第37代大統領、1969-74就任)が1971年8月15日にゴールドの窓を閉じて残る2億8千万オンスのゴールドの払い戻しを拒否した時に全ては終わった。本質的には米国は破産を宣言したのであり、市場を安定させるために何か別の金融制度が必要であることは誰にも理解されていた。驚くべき事に、新たな制度は米国が世界準備通貨を印刷するに際して何ら制限を加えなかったのだ。ゴールドとの兌換性が存在するという見せかけすらない、全く何の制限もないのだ!新たな政策はずっと大きな不備があるにも関らず、ドル覇権の拡大へのドアが開かれることになった。
世界は何か新しいものに乗り込み始め、途方もない資金運用者達の言いなりになった。そこには、OPECとの間で全世界の原油価格を独占的にドルで値決めするという協定を結んだ米国政府の強い支持があった。これによってドルは世界の通貨の中で特別の地位を手に入れ、事実上ドルの価値が原油によって「裏付けられ」た。その代わりに、米国はペルシャ湾岸の豊富な石油を有する様々な王国を侵略の脅威や国内での政変から守ることを約束した。この取り決めは、この地域での米国の影響力を嫌がるイスラム過激派運動を刺激した。この取り決めはドルに人為的な強さを与え、途方もない財政的利益を米国にもたらした。ドルの力が続く限り、米国は石油や他の商品を非常に割安な価格で購入することで貨幣的インフレーションを輸出することが可能になった。
このブレトンウッズ後体制は1945年から1971年の間に存在した体制よりはるかに脆弱だった。石油とドルの協定は有用だったが、それはブレトンウッズ体制の疑似金本位制には到底及ばなかった。19世紀末期の金本位制より不安定であることは言うまでもない。
1970年代を通して、ドルは崩壊寸前であった。石油価格は上昇し、ゴールドは1オンス800ドルまで急上昇した。1979年には体制を守るために21%の金利が必要となった。未収収益(訳者注:石油ドル体制によるもの)にも関わらず1970年代にドルに加わった圧力は1960年代の無謀な財政赤字と貨幣的インフレーションの反映であった。我々は大砲とバターの両方を手に入れることは出来ないというウィリアム・ベンジャミン・ブライアン(訳者注:ウッドロウ・ウィルソン大統領の元で1913-1915に国務長官に就任)の主張は詐欺ではなかった。
ドルは再度救助され、その後は真のドル覇権の時代が1980年代初期から現在まで継続している。主要国の中央銀行や国際的商業銀行の途方もない共同作業によって、ドルはまるでゴールドであるかの様に扱われている。
連邦準備制度理事会のアラン・グリーンスパン議長(訳者注:1987-2006就任)は下院銀行委員会で、彼が過去に示した金本位制に好意的な姿勢を私が問題として取り上げた際、彼やその他の中央銀行の銀行家は非兌換紙幣(ドル体制)をゴールドであるかのように見なしていると何度も反論した。その度に私は強く反論し、真の価値を持つ貨幣への要求を考慮すれば、彼らが本当にそれほどの業績を残したのならばそれは数世紀に渡る経済学の歴史を否定するも同然だと指摘した。彼は気取って自信ありげに私の主張に同意した。
最近は中央銀行や様々な金融機関(それらは全て不換紙幣によるドル本位制の機能を維持することを既得権益にしている)が膨大な量のゴールドを市場で売却ないし貸し出している。金価格の下落によりその政策には疑問が呈されているにも関らずである。彼らは金価格固定化への希望を決して白状しないが、彼らが金価格の下落が市場に信頼感を与えると信じていること、彼らが紙切れをゴールドに転換することに驚くべき大成功を収めていると信じていることの証拠は豊富に存在する。
金価格の上昇は不換紙幣への不信任の指標であると歴史的に見なされてきた。この最近の努力は1960年代に米国財務省がドルは健全でありゴールドと同じぐらい優れたものであると世界を納得させるために1オンス35ドルでゴールドを売っていたのとは全く異なるものだ。大恐慌の時期でさえ、ルーズベルトは最初の法令の一つで米国市民のゴールド保有を違法とすることで、欠陥のある貨幣システムの指標としての自由市場でのゴールドの価格決定を禁止している。1970年代初めにゴールドの保有が再度合法化された後に、下落するドルからの安全な避難所を求める人々の熱意をくじくために米国財務省とIMFが何トンものゴールドを市場に投げ売りして金価格を固定しようとした時、経済学の法則によってその努力に歯止めがかけられた。
1980年から2000年までの間の市場を欺くための努力も、ドルの真の価値に関して言えば失敗であることが再び立証された。過去5年間にドルはゴールドに対して50%以上も減価している。強力な印刷機や連邦準備制度のマネー創造能力をもってしても、全ての人を常に欺くことは不可能なのだ。
不換紙幣本位体制のあらゆる欠点にも関わらず、ドルの影響力は成功を収めた。この結果は有益に見えるが、システムに組み込まれた酷い歪みが残された。そして案の定、ワシントンの政治家達は只憂慮するばかりで粉飾決算から突発する問題を解決する事が出来ず、その一方で内在する政策の欠陥を理解し解決することも出来なかった。保護貿易主義、為替相場の固定、懲罰関税、政治的動機を持つ制裁、企業への補助金、管理貿易、物価統制、金利と賃金の統制、超国粋主義的感情、軍事的圧力、そして戦争という手段までもが取られた。それは全て、深刻な欠陥のある貨幣システム・経済システムによって人為的に作られた問題を解決するためである。
短期的には、不換の準備通貨の発行者は巨大な経済的利益を手に入れる事ができる。しかし、長期的には世界通貨を発行する国にとっての脅威を引き起こす。今回はそれが米国に当てはまる。諸外国が実物財と引き替えに米国ドルを受け取り続ける限り、我々は抜きん出た存在であり続ける。米国の議員の多くはこれが利益である事を理解していない。彼らは中国の対米貿易黒字を批判している。しかしながら、これは海外に製造業の職が失われる事に繋がる。我々はより他者に依存し自給持続できなくなるからだ。諸外国はその高い貯蓄率によって米国ドルを蓄積している。そして、寛大にもそれを我々に低い金利で貸し戻して、我々の過剰消費の資金調達を助けているのだ。
誰もが聞き飽きたと感じるだろう。しかし、米国ドルがその減価によって外国に従来ほど歓迎されなくなるか、更には拒否される様な時がやがて訪れるだろう。それによって全く新しい試合が開始され、我々は収入以上、生産以上の生活のつけを支払うことになる。ドルに関する心証の変化は既に始まっているが、最悪の事態はこれから訪れる。
1970年代に米国がOPECと結んだ、石油価格をドル建てとするという合意はドルに傑出した準備通貨としての途方もない人工的な力を与えた。全世界にドルに対する需要が生まれ、毎年生み出される膨大な新しいドルが吸収された。昨年だけでM3(訳者注:マネーサプライ指標の一つだが、この演説後の2006年3月に公表が中止されている)は7000億ドル以上も増加している。この人工的なドル需要に米国の軍事力が加わることで、米国は生産力も貯蓄もなしに、そして消費者の支出や赤字の限界なしに世界を「支配」するという類のない地位についた。問題は、それが持続不可能であることだ。
物価高はその醜い頭を擡げ始めており、あぶく銭によってもたらされたNASDAQのバブルは弾けた。住宅バブルも同様にしぼみ始めている。金価格は二倍になり、連邦政府の支出は途方もない規模となり政治家にはそれを統制する意志がない。昨年の貿易赤字は7280億ドルを超えている。2兆ドルの対イラク戦争費用は途方もないものだ。そして、イランと恐らくはシリアに対する戦争の拡大が現在計画されている。 それを止める唯一の力は、世界がドルを拒絶することだ。それはやってくる運命にあり、正常化のために金利を21%に引き上げる事を必要とした1979-1980年より更に悪い状況になるだろう。 しかし、当座の所ドルを防衛するために可能なあらゆる手段が行われるだろう。 米国とドルの保有者は、全ての見え透いた言い訳を継続することで共に利益を得る。
グリーンスパン前議長(訳者注:1987-2006年1月就任)は連邦準備制度を去った後の最初のスピーチで、金価格の上昇はテロへの懸念が原因であり、金融問題への懸念や彼が任期中にマネーサプライを増やし過ぎたことは原因でないと言った。ゴールドの信頼は疑われるべきであり、ドルは支えられるべきということだ。ドルが市場要因により深刻な打撃を受けた時でさえ、主要国の中央銀行やIMFは必ずや考え得る全ての手段を用いて、安定性を回復するためにドルを吸収するだろう。最終的には彼らは破綻する。
●ドル覇権の終焉:ロン・ポール下院議員の議会演説 2006年2月15日 (その2)へ続く
「高度」な「金融理論にもとづいた」
「ヘッジファンド構築技術」が
「ダンボール入りの肉まん」であったことがばれた。
したがって「ドル」がまったくの「詐欺通貨」
であり「米国の看板経済理論」が「すべて砂上の楼閣」であることがばれ、ゆくゆくは「キリスト教」や
「西洋文化の優位性」、「ギリシャ哲学の限界」にまでたどりつき、「論理の破綻」を覆い隠す「畸形論理学にたよった」学問体系であった、ことまでたどり着くでしょう。(すでにずいぶん前にヴィトゲンシュタインが言っていなかったっけ)
そうして
「性根が腐ったやつの理論はもともと腐っている」
という公理にたどり着く。
ね、ブレジンスキ~クン、キッシンジャ~クン
そうだろ?
どちらが勝つかによって日本の未来は決まる。