●英国:地方選挙実施 スコットランド議会は独立派優勢 毎日新聞 2007年5月3日 20時49分
英国で3日、スコットランド議会、ウェールズ議会、イングランドとスコットランドの計344地方自治体の議会選挙の投票が行われた。スコットランド議会では与党・労働党の退潮が必至で、スコットランド独立を目指すスコットランド民族党(SNP)が第1党に躍進する可能性がある。ブレア首相が率いる労働党はその他の地方選挙でも大幅に議席を減らしそうだ。
統一地方選挙の焦点になったスコットランド議会選挙(定数129)に関する政党別支持率調査の結果は、(1)民族党34%(2)労働党32%(3)自由民主党16%(4)保守党13%--などの順だった(2日付地元紙)。野党の民族党は改選議席を約20議席増やすと予想されている。労働党は過去50年間にわたり強固な地盤だったスコットランドで独立派政党に敗北すれば、大きな痛手を受ける。
各地の投票は3日午後10時(日本時間4日午前6時)に締め切られ、即日開票される。4日中には大勢が判明する見通しだ。
ブレア首相は来週中に退陣を正式表明するとみられる。地方分権推進で1999年設立したスコットランドとウェールズの両議会で労働党後退が確実になれば、後継政権に暗い影を落とすのは避けられない。次期首相の最有力候補、ブラウン財務相はスコットランド出身。有権者の労働党離れの背景には特に、ブレア政権のイラク戦争支持に対する反発が強く作用しているとみられる。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/news/20070504k0000m030089000c.html
●wasaweb|エッセイ|2007年英国選挙 2007年4月9日
イギリスというと小選挙区制度で選ばれた議員がウェストミンスターにある国会議事堂で国政を担うが有名で、イギリスの政治となると、どうしても、ロンドンに目が向けられる。しかし、イギリスにはウェストミンスター以外にも比較的権限の強い議会が、スコットランド、ウェールズと北アイルランドにある。もちろん、地方自治体の議員もいる。今年(2007年)5月3日に選挙が行われるのは、これらスコットランドとウェールズの議会と地方選挙、そしてイングランドの一部の地方選挙だ。
今回の選挙は様々な視点から注目されている。大きくわけて三つある。まずはブレア政権、そして、彼が辞任したあとの労働党政権の行方がある。地方選挙が国政に与える影響といえばいいだろう。二番目は連合王国内でのスコットランドの政治的な位置。もう一つは選挙制度だ。連合王国内では北アイルランドに導入された、「単記移譲式投票制度」や「優先順位記述投票」と訳されている、single transferable vote という制度が今度スコットランドの地方選挙で使われることだ。この方式については後述する。
スコットランド、ウェールズともに労働党王国といってもいいほど地盤が固い。そのため、労働党はスコットランド・ウェールズ両「国」で与党だ。その反面、もしイングランド議会があったら、保守党有利になるだろう。現在ブレア政権への風当たりは非常に強く、労働党は現時点の世論調査で、自由民主党との連立与党であるスコットランドでは第一党から転落し、かわりにスコットランド国民党が議会での最大勢力になるとの予測で、また定員60名の内30議席を保有しているウェールズでは議席減が免れないという模様だ。今から負ける負けると言えば、結果がどんなにひどくても、最悪の事態ではない、というふうに言い訳ができる、と勘ぐっているいる人もいるらしい。ブレア首相の退任時期についてはかなり臆測が飛び交っているが、この選挙で労働党が惨敗すれば、5月3日ないし翌4日に辞意を正式に表明しなければならないだろう、という報道もイギリスの新聞に載っていた。
<以下省略>
http://www.wasaweb.net/jp/opinion/15.php
●スコットランドの静かな革命 フィリップ・シュレジンガー 訳・清水眞理子
スコットランドは、グレートブリテンの「ふところ」から離れてヨーロッパの「自治国」としての地位を手に入れる、大きな一歩を踏み出している。スコットランド議会が最後に開かれてからほぼ3世紀後にあたる1997年9月11日、エジンバラに向けて政治を取り戻すことに、スコットランドは圧倒的多数で賛成した。スコットランド法は、スコットランド議会に大きな権限を分与するものであり、1998年夏前には下院で採択される見込みである。1999年には、スコットランド議会の選挙が行われることになっている。かりにスコットランドが連合王国の中にとどまるにしても、この政治的地位は欧州連合(EU)内での独立に向けてのステップとなりうるであろう。
1997年5月1日、ブレア率いる「新労働党」の勝利で、スコットランドの自治問題は、再びイギリス政治の主要な課題とされた。ほぼ20年前の1979年、保守党の勝利によって地方分権化の最後の試みは一掃された。保守党は18年間のサッチャー、メージャー両政権下を通じて、分権案に激しく反対を続けた。
これに対して新しい労働党は、憲法の改革を「近代主義的」綱領の要としていることが明らかになる。スコットランド議会とウェールズ議会の創設の他に、政府が提案しているのは、情報公開法の制定、欧州人権条約の国内法制化、上院の世襲貴族議席の廃止、ロンドン市長の選任方式の改革などである。憲法改革派が、このように「民主革命(1)」を望んでいるのに対し、「スコットランドに巨大な権限を与えることが、連合王国の分裂につながってしまうのではないか懸念する者もいる(2)」。
<以下省略>
http://www.diplo.jp/articles98/9804-2.html
●英女王が米国訪問=入植400年記念 2007/05/04-10:54 〔AFP=時事〕
英国のエリザベス女王(81)夫妻は3日、同国の米国への入植400周年の記念行事に出席するため、16年ぶりに米国を公式訪問した。エリザベス女王一行を乗せた航空機は同日、バージニア州リッチモンドに到着、空港には赤いカーペットが敷かれた。女王の訪米は6日間の日程で、まず米国最古の議会であるリッチモンドのバージニア州議会で演説する。エリザベス女王の訪米は、湾岸戦争が終結した直後の1991年の訪問以来で16年ぶり。最初の訪米は半世紀前の入植350周年のときだった。女王は4日には、50年前にも訪れた104人の英国人が初めて米国に定住植民地を開いたバージニア州のジェームズタウンを訪れ、記念行事に出席する。
http://www.jiji.com/jc/a?g=afp_int&k=20070504012254a
●ブレア首相が5月9日に辞職する予定という一部報道について考える。
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/ed69e3232b0fa2f3b1dc706c6e2bd0ad
●大統領選挙とキリスト教徒殺人事件を巡るトルコの政治的緊張は対欧戦争や内戦に繋がるか?
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/3d4eba152c4c0201139256d6cbdbafbe
●顧客ヒヤヒヤ?高級売春摘発でワシントン激震-世界からのニュース:イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/50084/
●イスラエルで首相退陣求め大集会・10万人以上が参加 2007年5月4日 日本経済新聞
イスラエル中部テルアビブのラビン広場で3日夜、昨年夏のレバノン攻撃の失敗をめぐりオルメルト首相やペレツ国防相に引責辞任を求める市民集会が開かれ、イスラエルのメディアによると、全国から10万人以上が参加した。レバノンの民兵組織ヒズボラとの戦闘に関する政府調査委員会が首相らの指揮を厳しく批判したことを受け、市民団体や予備役兵団体などが呼び掛けた。主要政党が直接関与しない集会としては異例の規模で、主催者側は「成功」として、さらに首相らの追及を続ける方針だ。イスラエル軍放送によると、オルメルト首相は集会後「民主的な意思表示には敬意を表するが、今は辞任すべき時でなく、調査委が指摘した誤りを正していく」と述べ、辞任をあらためて拒否した。集会では舞台の背景に「失敗者は去れ」と書いた横断幕が掲げられ、従軍中の息子を失った親や退役軍人らが次々に発言、首相らに辞任を求めた。
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20070504STXKF001904052007.html
● サウジ・エジプト間に橋=アカバ湾またぎ50キロ 2007/05/03-22:32〔AFP=時事〕
3日付のサウジアラビア紙アラブ・ニューズは、アカバ湾をまたぎ、同国北部のタブク地方ラスフマイドとエジプトの保養地シャルムエルシェイクを結ぶ橋が来週着工されると伝えた。ティラン島を通って全長50キロ、総事業費30億ドルの大規模プロジェクトだ。定礎式には、サウジのアブドラ国王が出席する。建設を担当するのは、サウジやエジプトなどの企業からなるコンソーシアムで、工期は3年を見込んでいる。同紙によると、昨年2月にサウジからエジプトに向かっていたフェリーが紅海で遭難し、約1000人が死亡する惨事が発生したのを受け、建設に向けて具体的に動き出したという。
http://www.jiji.com/jc/a?g=afp_int&k=20070503012249a
【私のコメント】スコットランド議会の選挙が現在開票中だが、予想通り独立派のSNPが躍進している。スコットランド議会の選挙制度は日本やドイツの選挙制度と同様に小選挙区と比例代表区の両方を持つが、総議席数は比例代表区の得票に相関する傾向があり、日本型ではなくドイツ型である。この選挙制度の導入を行ったのは労働党のブレア政権であり、保守党の頑強な反対を押し切ってスコットランドの自治を含めた地方分権化を推進したのもブレア政権である。そもそも、英米などの国際金融資本系国家では小選挙区制により小政党の出現が阻止され、それ故に国際金融資本が二大政党両方に献金することで容易に影響力を行使できるというシステムが取られていた。スコットランド議会の選挙制度はそれを完全に覆す画期的なものである。
このように考えると、ブレア政権は労働党の牙城であるスコットランドを連合王国から独立させて切り離して連合王国(大英帝国)を崩壊させるという計画を実行している様に見える。ブレアもまた、東洋的な「わざと負ける」という戦略を実行しているのかもしれない。エリザベス女王の16年ぶりの訪米も、「英国人入植400周年記念式典出席」という明目とは別に、連合王国の君主としての花道なのかもしれない。あるいは国際金融資本の世界支配の終焉を飾る式典として出席したのかもしれない。
ブレア首相を巡る醜聞、イギリスの石油メジャーBPのCEOだったジョン・ブラウン卿の同性愛の愛人問題、米国の有力政治家を巡る高級買春疑惑などのスキャンダル、イスラエルでの反政府デモ、トルコの大統領選挙を巡る混乱なども、実際には各国の政府当局が「わざと負ける」という戦略のために裏で工作し実行している可能性が考えられる。これらの国々は従来は国際金融資本の強い影響下にあったが、国際金融資本の世界支配崩壊と共に国力が低下しはじめている。かつては我慢していた周辺国(例えばトルコに対するアルメニア・ギリシャなど)はこの機会を逃さずに襲いかかることも考えられるが、その前に内紛と敗北を演出することで周辺国の不満をガス抜きするとともに、余力を残した状態で敗北することで敗戦処理を自国有利に導くことが目的ではないかと想像する。
ナポレオン戦争以後の戦争は人口増と民主主義のプロパガンダによる兵士供給力のために多数の死者を出す凄惨なものとなった。しかし、今や先進国では人口が減少し始めており、核兵器という破滅的兵器の出現もあって先進国間、核兵器保有国間の戦争は事実上消滅している。現代の戦争は、政治家・外交官・マスコミ関係者などの貴族的階層が謀略やプロパガンダを用いて行う劇場型戦争となり、一般庶民は単なる観客としてそれを鑑賞するという国際金融資本の世界支配前の中世欧州的な形式に逆戻りしている様にも思える。
サウジとエジプトの間の橋の着工という事件も、ベーリング海峡トンネル構想と同様に海を隔てる陸と陸を繋ぐものであり、ランドパワーの増大・シーパワー(国際金融資本)の低下を意味していると思われる。アラブ地域で最大の人口を持つエジプトと、メッカの守護者でありアラブで最も富裕なサウジが陸路で結ばれることの意味は余りに大きい。将来的にはアラビア半島からエジプトを経てマグレブ諸国までのアラブ世界の統合が進み、それに対抗する勢力としてクルディスタンからイランを経てアフガニスタン、パキスタン西部に及ぶペルシャ系民族地域の統合が進むのではないかと想像する。
ペルシャ系民族やアラブ人とヨーロッパ人の間に挟まれたトルコ系民族は今後やや困難な状態になると思われるが、カザフスタンが将来EUに加盟する可能性があるとされていることを考えると、トルコの中でも宗教的に寛容な地域(恐らく西部)がキリスト教徒との共存政策を打ち出してEUに加盟する、というような未来像が予想される。その過程では、宗教的寛容やクルド問題を巡る何らかの内戦が避けられない様にも思われる。現在のトルコ政府はクルド人地域の分離独立を厳しく弾圧しているが、実際には貧しく宗教的寛容性のないクルド人はトルコのお荷物的存在である。イラク北部のクルド人地域が将来独立して油田の力で富裕になるならば、トルコ南東部のクルド人地域を切り離してイラクのクルド人地域に統合させることはトルコにとっても有益なように思われる(無論人口や面積が減少することは国力低下になるが、トルコの人口が近い将来ドイツを上回ると予想される事を考えるとトルコの人口の多さは欧州諸国に対する脅威であり、その脅威を小さくすることはトルコにとって有益であるという見方もできる。クルド人地域を切り離して小さくなり、宗教的寛容になったトルコならばEUに加盟できるかもしれない。それは、カザフスタンなどの旧ソ連圏のトルコ人の未来にも好影響を与えると思われる。)。ただ、クルド人は本来の居住地である東部から西部の大都市に大量に移住しており、クルド地域分離を行う際には膨大な数の住民交換が必須となるだろう。それは第一次大戦後のトルコとギリシャの間、あるいは北キプロス共和国成立時の南北キプロスの間で実行された住民交換が先例となると想像される。
【5月5日追記】
●独立派が第1党に=スコットランド議会-英地方選 2007/05/05-08:55 時事通信
【ロンドン4日時事】3日投票が行われた英地方選のスコットランド自治議会(定数129)選挙は4日夜、結果が判明し、独立を目指すスコットランド民族党(SNP)が47議席を獲得、第1党に躍り出た。
スコットランドでこれまで圧倒的強さを見せてきた労働党は1議席差の46議席で、第2党に転落した。保守党17議席、自由民主党16議席だった。
SNPは第1党となったものの、過半数には及ばず、いずれかの政党と連立を組む必要がある。労働党が自民党と引き続き連立を組む可能性もあり、自民党の動向が連立政権づくりのカギを握ることになりそうだ。
SNPは、2010年に独立の是非を問う住民投票を実施することを公約にしている。今回、20議席増の大躍進を遂げたが、同党の独立の主張が支持されたというより、労働党批判票の受け皿になった面が強いとみられている。スコットランドの世論調査では、独立支持派は3分の1程度にとどまっている。
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2007050500070
英国で3日、スコットランド議会、ウェールズ議会、イングランドとスコットランドの計344地方自治体の議会選挙の投票が行われた。スコットランド議会では与党・労働党の退潮が必至で、スコットランド独立を目指すスコットランド民族党(SNP)が第1党に躍進する可能性がある。ブレア首相が率いる労働党はその他の地方選挙でも大幅に議席を減らしそうだ。
統一地方選挙の焦点になったスコットランド議会選挙(定数129)に関する政党別支持率調査の結果は、(1)民族党34%(2)労働党32%(3)自由民主党16%(4)保守党13%--などの順だった(2日付地元紙)。野党の民族党は改選議席を約20議席増やすと予想されている。労働党は過去50年間にわたり強固な地盤だったスコットランドで独立派政党に敗北すれば、大きな痛手を受ける。
各地の投票は3日午後10時(日本時間4日午前6時)に締め切られ、即日開票される。4日中には大勢が判明する見通しだ。
ブレア首相は来週中に退陣を正式表明するとみられる。地方分権推進で1999年設立したスコットランドとウェールズの両議会で労働党後退が確実になれば、後継政権に暗い影を落とすのは避けられない。次期首相の最有力候補、ブラウン財務相はスコットランド出身。有権者の労働党離れの背景には特に、ブレア政権のイラク戦争支持に対する反発が強く作用しているとみられる。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/news/20070504k0000m030089000c.html
●wasaweb|エッセイ|2007年英国選挙 2007年4月9日
イギリスというと小選挙区制度で選ばれた議員がウェストミンスターにある国会議事堂で国政を担うが有名で、イギリスの政治となると、どうしても、ロンドンに目が向けられる。しかし、イギリスにはウェストミンスター以外にも比較的権限の強い議会が、スコットランド、ウェールズと北アイルランドにある。もちろん、地方自治体の議員もいる。今年(2007年)5月3日に選挙が行われるのは、これらスコットランドとウェールズの議会と地方選挙、そしてイングランドの一部の地方選挙だ。
今回の選挙は様々な視点から注目されている。大きくわけて三つある。まずはブレア政権、そして、彼が辞任したあとの労働党政権の行方がある。地方選挙が国政に与える影響といえばいいだろう。二番目は連合王国内でのスコットランドの政治的な位置。もう一つは選挙制度だ。連合王国内では北アイルランドに導入された、「単記移譲式投票制度」や「優先順位記述投票」と訳されている、single transferable vote という制度が今度スコットランドの地方選挙で使われることだ。この方式については後述する。
スコットランド、ウェールズともに労働党王国といってもいいほど地盤が固い。そのため、労働党はスコットランド・ウェールズ両「国」で与党だ。その反面、もしイングランド議会があったら、保守党有利になるだろう。現在ブレア政権への風当たりは非常に強く、労働党は現時点の世論調査で、自由民主党との連立与党であるスコットランドでは第一党から転落し、かわりにスコットランド国民党が議会での最大勢力になるとの予測で、また定員60名の内30議席を保有しているウェールズでは議席減が免れないという模様だ。今から負ける負けると言えば、結果がどんなにひどくても、最悪の事態ではない、というふうに言い訳ができる、と勘ぐっているいる人もいるらしい。ブレア首相の退任時期についてはかなり臆測が飛び交っているが、この選挙で労働党が惨敗すれば、5月3日ないし翌4日に辞意を正式に表明しなければならないだろう、という報道もイギリスの新聞に載っていた。
<以下省略>
http://www.wasaweb.net/jp/opinion/15.php
●スコットランドの静かな革命 フィリップ・シュレジンガー 訳・清水眞理子
スコットランドは、グレートブリテンの「ふところ」から離れてヨーロッパの「自治国」としての地位を手に入れる、大きな一歩を踏み出している。スコットランド議会が最後に開かれてからほぼ3世紀後にあたる1997年9月11日、エジンバラに向けて政治を取り戻すことに、スコットランドは圧倒的多数で賛成した。スコットランド法は、スコットランド議会に大きな権限を分与するものであり、1998年夏前には下院で採択される見込みである。1999年には、スコットランド議会の選挙が行われることになっている。かりにスコットランドが連合王国の中にとどまるにしても、この政治的地位は欧州連合(EU)内での独立に向けてのステップとなりうるであろう。
1997年5月1日、ブレア率いる「新労働党」の勝利で、スコットランドの自治問題は、再びイギリス政治の主要な課題とされた。ほぼ20年前の1979年、保守党の勝利によって地方分権化の最後の試みは一掃された。保守党は18年間のサッチャー、メージャー両政権下を通じて、分権案に激しく反対を続けた。
これに対して新しい労働党は、憲法の改革を「近代主義的」綱領の要としていることが明らかになる。スコットランド議会とウェールズ議会の創設の他に、政府が提案しているのは、情報公開法の制定、欧州人権条約の国内法制化、上院の世襲貴族議席の廃止、ロンドン市長の選任方式の改革などである。憲法改革派が、このように「民主革命(1)」を望んでいるのに対し、「スコットランドに巨大な権限を与えることが、連合王国の分裂につながってしまうのではないか懸念する者もいる(2)」。
<以下省略>
http://www.diplo.jp/articles98/9804-2.html
●英女王が米国訪問=入植400年記念 2007/05/04-10:54 〔AFP=時事〕
英国のエリザベス女王(81)夫妻は3日、同国の米国への入植400周年の記念行事に出席するため、16年ぶりに米国を公式訪問した。エリザベス女王一行を乗せた航空機は同日、バージニア州リッチモンドに到着、空港には赤いカーペットが敷かれた。女王の訪米は6日間の日程で、まず米国最古の議会であるリッチモンドのバージニア州議会で演説する。エリザベス女王の訪米は、湾岸戦争が終結した直後の1991年の訪問以来で16年ぶり。最初の訪米は半世紀前の入植350周年のときだった。女王は4日には、50年前にも訪れた104人の英国人が初めて米国に定住植民地を開いたバージニア州のジェームズタウンを訪れ、記念行事に出席する。
http://www.jiji.com/jc/a?g=afp_int&k=20070504012254a
●ブレア首相が5月9日に辞職する予定という一部報道について考える。
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/ed69e3232b0fa2f3b1dc706c6e2bd0ad
●大統領選挙とキリスト教徒殺人事件を巡るトルコの政治的緊張は対欧戦争や内戦に繋がるか?
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/3d4eba152c4c0201139256d6cbdbafbe
●顧客ヒヤヒヤ?高級売春摘発でワシントン激震-世界からのニュース:イザ!
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/50084/
●イスラエルで首相退陣求め大集会・10万人以上が参加 2007年5月4日 日本経済新聞
イスラエル中部テルアビブのラビン広場で3日夜、昨年夏のレバノン攻撃の失敗をめぐりオルメルト首相やペレツ国防相に引責辞任を求める市民集会が開かれ、イスラエルのメディアによると、全国から10万人以上が参加した。レバノンの民兵組織ヒズボラとの戦闘に関する政府調査委員会が首相らの指揮を厳しく批判したことを受け、市民団体や予備役兵団体などが呼び掛けた。主要政党が直接関与しない集会としては異例の規模で、主催者側は「成功」として、さらに首相らの追及を続ける方針だ。イスラエル軍放送によると、オルメルト首相は集会後「民主的な意思表示には敬意を表するが、今は辞任すべき時でなく、調査委が指摘した誤りを正していく」と述べ、辞任をあらためて拒否した。集会では舞台の背景に「失敗者は去れ」と書いた横断幕が掲げられ、従軍中の息子を失った親や退役軍人らが次々に発言、首相らに辞任を求めた。
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20070504STXKF001904052007.html
● サウジ・エジプト間に橋=アカバ湾またぎ50キロ 2007/05/03-22:32〔AFP=時事〕
3日付のサウジアラビア紙アラブ・ニューズは、アカバ湾をまたぎ、同国北部のタブク地方ラスフマイドとエジプトの保養地シャルムエルシェイクを結ぶ橋が来週着工されると伝えた。ティラン島を通って全長50キロ、総事業費30億ドルの大規模プロジェクトだ。定礎式には、サウジのアブドラ国王が出席する。建設を担当するのは、サウジやエジプトなどの企業からなるコンソーシアムで、工期は3年を見込んでいる。同紙によると、昨年2月にサウジからエジプトに向かっていたフェリーが紅海で遭難し、約1000人が死亡する惨事が発生したのを受け、建設に向けて具体的に動き出したという。
http://www.jiji.com/jc/a?g=afp_int&k=20070503012249a
【私のコメント】スコットランド議会の選挙が現在開票中だが、予想通り独立派のSNPが躍進している。スコットランド議会の選挙制度は日本やドイツの選挙制度と同様に小選挙区と比例代表区の両方を持つが、総議席数は比例代表区の得票に相関する傾向があり、日本型ではなくドイツ型である。この選挙制度の導入を行ったのは労働党のブレア政権であり、保守党の頑強な反対を押し切ってスコットランドの自治を含めた地方分権化を推進したのもブレア政権である。そもそも、英米などの国際金融資本系国家では小選挙区制により小政党の出現が阻止され、それ故に国際金融資本が二大政党両方に献金することで容易に影響力を行使できるというシステムが取られていた。スコットランド議会の選挙制度はそれを完全に覆す画期的なものである。
このように考えると、ブレア政権は労働党の牙城であるスコットランドを連合王国から独立させて切り離して連合王国(大英帝国)を崩壊させるという計画を実行している様に見える。ブレアもまた、東洋的な「わざと負ける」という戦略を実行しているのかもしれない。エリザベス女王の16年ぶりの訪米も、「英国人入植400周年記念式典出席」という明目とは別に、連合王国の君主としての花道なのかもしれない。あるいは国際金融資本の世界支配の終焉を飾る式典として出席したのかもしれない。
ブレア首相を巡る醜聞、イギリスの石油メジャーBPのCEOだったジョン・ブラウン卿の同性愛の愛人問題、米国の有力政治家を巡る高級買春疑惑などのスキャンダル、イスラエルでの反政府デモ、トルコの大統領選挙を巡る混乱なども、実際には各国の政府当局が「わざと負ける」という戦略のために裏で工作し実行している可能性が考えられる。これらの国々は従来は国際金融資本の強い影響下にあったが、国際金融資本の世界支配崩壊と共に国力が低下しはじめている。かつては我慢していた周辺国(例えばトルコに対するアルメニア・ギリシャなど)はこの機会を逃さずに襲いかかることも考えられるが、その前に内紛と敗北を演出することで周辺国の不満をガス抜きするとともに、余力を残した状態で敗北することで敗戦処理を自国有利に導くことが目的ではないかと想像する。
ナポレオン戦争以後の戦争は人口増と民主主義のプロパガンダによる兵士供給力のために多数の死者を出す凄惨なものとなった。しかし、今や先進国では人口が減少し始めており、核兵器という破滅的兵器の出現もあって先進国間、核兵器保有国間の戦争は事実上消滅している。現代の戦争は、政治家・外交官・マスコミ関係者などの貴族的階層が謀略やプロパガンダを用いて行う劇場型戦争となり、一般庶民は単なる観客としてそれを鑑賞するという国際金融資本の世界支配前の中世欧州的な形式に逆戻りしている様にも思える。
サウジとエジプトの間の橋の着工という事件も、ベーリング海峡トンネル構想と同様に海を隔てる陸と陸を繋ぐものであり、ランドパワーの増大・シーパワー(国際金融資本)の低下を意味していると思われる。アラブ地域で最大の人口を持つエジプトと、メッカの守護者でありアラブで最も富裕なサウジが陸路で結ばれることの意味は余りに大きい。将来的にはアラビア半島からエジプトを経てマグレブ諸国までのアラブ世界の統合が進み、それに対抗する勢力としてクルディスタンからイランを経てアフガニスタン、パキスタン西部に及ぶペルシャ系民族地域の統合が進むのではないかと想像する。
ペルシャ系民族やアラブ人とヨーロッパ人の間に挟まれたトルコ系民族は今後やや困難な状態になると思われるが、カザフスタンが将来EUに加盟する可能性があるとされていることを考えると、トルコの中でも宗教的に寛容な地域(恐らく西部)がキリスト教徒との共存政策を打ち出してEUに加盟する、というような未来像が予想される。その過程では、宗教的寛容やクルド問題を巡る何らかの内戦が避けられない様にも思われる。現在のトルコ政府はクルド人地域の分離独立を厳しく弾圧しているが、実際には貧しく宗教的寛容性のないクルド人はトルコのお荷物的存在である。イラク北部のクルド人地域が将来独立して油田の力で富裕になるならば、トルコ南東部のクルド人地域を切り離してイラクのクルド人地域に統合させることはトルコにとっても有益なように思われる(無論人口や面積が減少することは国力低下になるが、トルコの人口が近い将来ドイツを上回ると予想される事を考えるとトルコの人口の多さは欧州諸国に対する脅威であり、その脅威を小さくすることはトルコにとって有益であるという見方もできる。クルド人地域を切り離して小さくなり、宗教的寛容になったトルコならばEUに加盟できるかもしれない。それは、カザフスタンなどの旧ソ連圏のトルコ人の未来にも好影響を与えると思われる。)。ただ、クルド人は本来の居住地である東部から西部の大都市に大量に移住しており、クルド地域分離を行う際には膨大な数の住民交換が必須となるだろう。それは第一次大戦後のトルコとギリシャの間、あるいは北キプロス共和国成立時の南北キプロスの間で実行された住民交換が先例となると想像される。
【5月5日追記】
●独立派が第1党に=スコットランド議会-英地方選 2007/05/05-08:55 時事通信
【ロンドン4日時事】3日投票が行われた英地方選のスコットランド自治議会(定数129)選挙は4日夜、結果が判明し、独立を目指すスコットランド民族党(SNP)が47議席を獲得、第1党に躍り出た。
スコットランドでこれまで圧倒的強さを見せてきた労働党は1議席差の46議席で、第2党に転落した。保守党17議席、自由民主党16議席だった。
SNPは第1党となったものの、過半数には及ばず、いずれかの政党と連立を組む必要がある。労働党が自民党と引き続き連立を組む可能性もあり、自民党の動向が連立政権づくりのカギを握ることになりそうだ。
SNPは、2010年に独立の是非を問う住民投票を実施することを公約にしている。今回、20議席増の大躍進を遂げたが、同党の独立の主張が支持されたというより、労働党批判票の受け皿になった面が強いとみられている。スコットランドの世論調査では、独立支持派は3分の1程度にとどまっている。
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2007050500070
フランスが参加した模様どす。
その条件は「女の大統領」を選択せよ。
右派サルコジ氏、優位を維持=6日に決選投票-仏大統領選
【パリ4日時事】フランス大統領選挙は6日、決選投票が行われ、2期12年務めたジャック・シラク氏(74)に代わる次期大統領を選出する。最新の世論調査では、右派、国民運動連合(UMP)のニコラ・サルコジ総裁(52)が左派、社会党のセゴレーヌ・ロワイヤル元環境相(53)に4-9ポイントの差をつけ、優位を維持している。深刻な治安・失業問題を抱えるフランスの国民が、両候補のどちらに今後5年の政権を託すかが注目される。(時事通信)
東南アジア諸国連合・日中韓(ASEANプラス3)の財務相会議が5日、京都市内で開かれ、通貨危機に備えて外貨を拠出し合う新たな多国間体制の構築を盛り込んだ共同声明を採択して閉幕した。
【ワシントン=古森義久】終戦直後の日本国内で占領米軍の命令により売春施設が多数、開かれ、日本人「慰安婦」数万人が米軍に性の奉仕をして、その中には強制された女性もいたことが米側にいまになって伝えられ、米議会下院に慰安婦問題で日本を糾弾する決議案を出したマイク・ホンダ議員は4日、議会調査局に調査を依頼した。しかし同議員は戦争中の日本の慰安婦は旧日本軍が政策として一様に拘束し、強制した女性ばかりだった点が米軍用慰安婦とは異なると述べた。
AP通信の4日の報道によると、終戦直後の1945年9月、日本当局が占領米軍からの命令で東京都内などに多数の米軍用の売春施設を開き、合計数万人の日本人「慰安婦」が雇用、あるいは徴用されたことを証する日本側書類が明るみに出て、ホンダ議員は米軍用慰安婦に関して米軍自体がどんな役割を果たしたかなどの調査を議会調査局に依頼したという。
同議員は自らが追及している戦時中の日本軍用の慰安婦と戦後の米軍用の慰安婦の比較について「日本軍の慰安婦は日本帝国軍隊の政策として性的奴隷という目的のために少女や女性を拘束し、強制し、拉致したのだから、米軍のそれとは異なる」と語った。
AP通信は4月26日、東京発で米占領軍が進駐直後、日本の政府や旧軍当局に売春婦の調達や売春施設の開設を命じた一連の日本語書類が発見されたと報じ、その内容として(1)1945年8月末から9月にかけ、米軍の命令を受けて日本政府の内務省などが東京はじめ茨城県などの地方自治体に「慰安婦」集めを指示し、合計7万人以上の女性が売春に従事した(2)米軍当局はそれら女性の一部は強制徴用されたという報告があることを知りながら、慰安所開設を認め、連日連夜、米軍将兵が詰めかけることを許した-と報道した。同報道はこの米軍慰安所にかかわって当時の日本側関係者数人を実名で紹介し、その談話をも引用した。
しかしこれら日本の米軍用慰安所は連合軍最高司令官のマッカーサー元帥の命令で1946年3月末には閉鎖されたという。
日本側でも終戦直後に米軍から売春施設開設を命じられたことについては旧日本軍が米軍進駐受け入れの準備組織として結成した「有末機関」のメンバーたちの証言が残っている。このように軍隊に売春という組み合わせは旧日本軍に限らず、米軍も同様だったわけだが、ホンダ議員らは旧日本軍の慰安婦はみな「帝国の軍隊の政策として」強制徴用された点が日本側一般とは異なると言明している。
(2007/05/05 21:43)