●ブラゴベッシェンスク到着
今回のロシア旅行ではダブルエントリービザを準備した。ブラゴベッシェンスク訪問中に対岸の中国黒竜江省黒河(ヘイヘ)を日帰りで訪れるのが目的である。スケジュールの関係上、黒河滞在が約2時間と非常に短くなってしまったが、中露国境を訪れるという旅行の目的は達成できた。
夜行列車でブラゴベッシェンスクに到着した後、トロリーバスでアムール川沿いのレーニン広場まで移動した。英語は通じないので、たどたどしいカタコトのロシア語で周囲のロシア人に質問するしかないのだが、全般にロシア人は非常に親切で、「このバスに乗れ」と身振り手振りで教えてくれる。レーニン広場からはガイドブックを頼りにアムール川沿いの道を対岸を眺めながら歩くと数分でホテルに着いた。午前中にも関らず部屋を用意してくれたので、チェックインを済ませて部屋に入り早速シャワーを浴びる。シャワーの湯の温度がやや低いが、ロシアではぬるま湯でも出るだけマシと考えねばならない。部屋の窓からはアムール川が一望でき、対岸の黒河や川を行き交う船も観察できる。
昼前にホテルを出てアムール川沿いに東(下流側)数分歩くと黒河に渡る船着き場に着いた。中国人・ロシア人の担ぎ屋・運び屋が大勢いて、商品の詰まった大きな袋が山積みになっている。本当はすぐに黒河に渡りたかったのだが、スケジュールの関係上その前にアムール州立博物館に行くことにしていた。ロシア人にカタコトのロシア語で道を尋ねながら川沿いの道を西(上流側)に30分ほど歩いて博物館に辿り着いた。
●アムール州立博物館
博物館はアムール州の気候・行政区分・生息する動物・先住民族・歴史・ブラゴベッシェンスクの昔の写真など盛りだくさんな内容であった。私が特に注目したのは、北清事変当時のロシア側が対岸の黒河を砲撃して炎上させている絵、日本軍のシベリア出兵の写真、赤軍がブラゴベッシェンスクを包囲している図などであった。
シベリア出兵の日本兵
ブラゴベッシェンスクを包囲する赤軍
西暦1900年の北清事変の際にブラゴベッシェンスクで中国人を虐殺した後黒河を砲撃するロシア軍
●中露国境越え
博物館見学を昼過ぎに終えていよいよ黒河訪問である。アムール川沿いの道を東(下流側)に20分ほど歩いて船着き場に着いた。
船着き場の入り口
税関の出口で荷物を待つ運び屋のロシア人と中国人の群
行列に並んで切符を買う。値段が分からないのでとりあえず1000ルーブル札を出すと、切符らしき紙を2枚と50ルーブルの釣りが帰ってきた。レシートは500ルーブルと450ルーブルの2枚である。カタコトのロシア語で近くのロシア人に尋ねると往復切符らしい。
係員に聞いて隣の建物にある出入国管理場に向かう。列に並んでいるのは何故かロシア人ばかりで中国人はほとんど見かけなかった。窓口では係員がパスポートを慎重に検査し、なにやら電話して問い合わせたりしている。おかげで私の後のロシア人の行列が伸びてしまったが、彼らは当然のことのようにおとなしく待っているのが印象的だった。20分ほどでそこを通過し、待合室で次の船を待つこと30分、ようやく船に乗り込んだ。
私の乗った船は中国製で、船内に船のサイズなどのデータが表示されていた。全長37.77m、全幅7.72mだが喫水は1.14mと非常の底の浅い船である。
乗客は9割がロシア人(アジア系含む)、残り1割が中国人であった。船室はほぼ満席で、船室の外には人や荷物が溢れていた。
やがでエンジンがうなりを立て始め、緑色のアムール川の水に渦巻きを作りながら船が動き出した。船はアムール川の中心線付近に着いた後方向を変えて少し上流に遡り、その後また方向を変えて中国側の船着き場に着いた。
アムール川の中程ですれ違った船
所要時間は10分程度だろう。途中、警備員の制止を恐れつつ恐る恐る船で写真を撮ったが、誰も制止しようとしない。運が良かっただけかもしれないが、おかげで念願の中露国境で沢山写真を撮ることができた。
中国側の船着き場。中国黒河の文字が見える。
中国側に着くと入国管理である。入国用・出国用の二枚の書類に記入し、四十五元の入国費用をルーブル札で支払って(釣りは中国元だった)行列に並ぶ。特に時間はかからず、一分程度で窓口を通過してようやく中国に入国した。既にロシア時間で午後三時(中国時間では午後一時)になっていた。
●黒河訪問
中国人の係員に英語で最終船便の時刻を訊ねると午後三時との返事であった。後二時間しかないので、黒河の中心市街地に行くのは諦めて、船着き場の隣にある巨大な「大黒河島国際商貿城」という建物を見ることにした。船から下りたロシア人も皆買い出し目的と見え、そこに向かっていた。
大黒河島国際商貿城の入り口
大黒河島国際商貿城は三階建てで、中は中国人商人の商店が一杯である。店員は皆中国語で話しかけてくる。商品は日本の百円ショップで売っているような雑貨、衣類、靴・帽子、カーテンから清涼飲料・乾燥果実などの食料品、更には携帯電話・カメラ・液晶テレビなどの電化製品まで非常に幅が広かった。
大黒河島国際商貿城の店内
一階の通路には何と値札付きで自動車まで展示されていた。
客のほとんどはロシア人で、中国人の売り子と価格交渉しながら熱心に品定めしていた。広大な建物全体を歩き回るだけで1時間経過してしまった。せっかくなので雑貨店で適当な雑貨を一つ買ったが、価格交渉が必要なのが実に面倒であった。支払いはルーブルで可能だった。
大黒河島国際商貿城の駐車場から黒河の市街地方向を撮影
大黒河島国際商貿城の近くにあったアムール川の遊覧船乗り場。客はおらず、係員が暇そうにしている。
●再び中露国境越え
最後の船に乗り遅れるとまずいので、最終船便の30分前に船着き場に向かった。案の定、買い出しを終えたロシア人で大混雑である。出国管理の行列に並んで窓口を通過するだけで30分かかってしまった。船便は建前上は午前二便、午後二便となっているのだが、実際には両方の船着き場には合計8隻の船が並んでおり、始発便と最終便の間は客で船が一隻満員になる度に出航するという状態になっているようだった。中国時間で午後3時20分頃に船が出発した。
船内から中国側の船着き場を撮影
客は行きの船と同じく9割がロシア人、1割が中国人である。そして、甲板には大きな袋に入った荷物が満載されていた。行きの船と同様、写真撮影は特に制止されなかった。アムール川では「航道管理07」と大書された中国船とすれ違いになった。
アムール川ですれ違った、「航道管理07」と大書された中国船
船内からロシア側の船着き場を撮影
ロシア側の船着き場に到着すると、客が一斉に上陸し始め、同時に甲板の袋詰めの貨物の荷揚げ作業が始まった。作業員が船から埠頭に荷物を乱暴に投げ、埠頭側では作業員がそれを並べていた。
上陸する乗客と陸揚げされる荷物
私も船を下り入国管理に向かう。窓口では20分ほど待たされ、係員が持参した入国カードに記入して再びロシアに入国した。
●アムール川の夕暮れ
ブラゴベッシェンスクは夏時間の影響もあり、日没は午後8時頃であった。曇り空で太陽は見えなかったが、暗くなるまでアムール川沿いを散歩した。やや肌寒い気温であったが多くの人が川沿いの道で散歩したり酒を飲んだりしていた。また、川沿いの道から河原に降りる通路も幾つか設置されており、数名のロシア人が河原を散歩していた。
河原で犬を散歩させるロシア人
私も河原に降りてアムール川のさざ波と対岸の中国を眺めながら散歩した。今更ながら、500m程度の川を隔てて中国とロシアという二つの超大国が隣接しているという事実が頭では分かっていてもなかなか納得できない。川の右側の市街地と左側の市街地が異なる文明圏に属しているのだ。
河原から上流方向を撮影。写真の右側がブラゴベッシェンスク、左側が黒河。
私が見た限り、中国人とロシア人は非常に友好的であり、喧嘩などの場面は見かけなかった。しかしながら、本音では中国人は奪われた領土の奪還を狙っており、ロシア人は中国人の復讐を非常に恐れていることだろう。対立を抱えつつ表面上は友好関係を維持するという、大陸国家同士の複雑な関係の一端を垣間見ることが出来たように感じた。
●ブラゴベッシェンスク市街地と夜行列車
翌日はアムール川沿いの遊歩道やブラゴベッシェンスクの市街地をのんびりと散策したあと、ハバロフスク行きの夜行列車で国境の町を後にした。
アムール川の中程に停泊している船。国境監視の船と思われるが、中国船かロシア船かは分からない。
レーニン広場のアムール川沿いに展示された小型の軍艦。台座に1945の数字が刻まれており、第二次大戦での対日攻撃に使用されたと思われる。
アムール川沿いの並木道
対岸の黒河市街地
ブラゴベッシェンスク市街地。ほとんどの道は並木道になっていて清々しい。
ブラゴベッシェンスクのデパート
ブラゴベッシェンスクのデパート前の人々。このあたりがブラゴベ銀座の様だ。
ブラゴベッシェンスク駅
出発前の夜行列車(左側)と、到着した2両編成のローカル列車(右側)
夜行列車の車内の様子
今回のロシア旅行ではダブルエントリービザを準備した。ブラゴベッシェンスク訪問中に対岸の中国黒竜江省黒河(ヘイヘ)を日帰りで訪れるのが目的である。スケジュールの関係上、黒河滞在が約2時間と非常に短くなってしまったが、中露国境を訪れるという旅行の目的は達成できた。
夜行列車でブラゴベッシェンスクに到着した後、トロリーバスでアムール川沿いのレーニン広場まで移動した。英語は通じないので、たどたどしいカタコトのロシア語で周囲のロシア人に質問するしかないのだが、全般にロシア人は非常に親切で、「このバスに乗れ」と身振り手振りで教えてくれる。レーニン広場からはガイドブックを頼りにアムール川沿いの道を対岸を眺めながら歩くと数分でホテルに着いた。午前中にも関らず部屋を用意してくれたので、チェックインを済ませて部屋に入り早速シャワーを浴びる。シャワーの湯の温度がやや低いが、ロシアではぬるま湯でも出るだけマシと考えねばならない。部屋の窓からはアムール川が一望でき、対岸の黒河や川を行き交う船も観察できる。
昼前にホテルを出てアムール川沿いに東(下流側)数分歩くと黒河に渡る船着き場に着いた。中国人・ロシア人の担ぎ屋・運び屋が大勢いて、商品の詰まった大きな袋が山積みになっている。本当はすぐに黒河に渡りたかったのだが、スケジュールの関係上その前にアムール州立博物館に行くことにしていた。ロシア人にカタコトのロシア語で道を尋ねながら川沿いの道を西(上流側)に30分ほど歩いて博物館に辿り着いた。
●アムール州立博物館
博物館はアムール州の気候・行政区分・生息する動物・先住民族・歴史・ブラゴベッシェンスクの昔の写真など盛りだくさんな内容であった。私が特に注目したのは、北清事変当時のロシア側が対岸の黒河を砲撃して炎上させている絵、日本軍のシベリア出兵の写真、赤軍がブラゴベッシェンスクを包囲している図などであった。
シベリア出兵の日本兵
ブラゴベッシェンスクを包囲する赤軍
西暦1900年の北清事変の際にブラゴベッシェンスクで中国人を虐殺した後黒河を砲撃するロシア軍
●中露国境越え
博物館見学を昼過ぎに終えていよいよ黒河訪問である。アムール川沿いの道を東(下流側)に20分ほど歩いて船着き場に着いた。
船着き場の入り口
税関の出口で荷物を待つ運び屋のロシア人と中国人の群
行列に並んで切符を買う。値段が分からないのでとりあえず1000ルーブル札を出すと、切符らしき紙を2枚と50ルーブルの釣りが帰ってきた。レシートは500ルーブルと450ルーブルの2枚である。カタコトのロシア語で近くのロシア人に尋ねると往復切符らしい。
係員に聞いて隣の建物にある出入国管理場に向かう。列に並んでいるのは何故かロシア人ばかりで中国人はほとんど見かけなかった。窓口では係員がパスポートを慎重に検査し、なにやら電話して問い合わせたりしている。おかげで私の後のロシア人の行列が伸びてしまったが、彼らは当然のことのようにおとなしく待っているのが印象的だった。20分ほどでそこを通過し、待合室で次の船を待つこと30分、ようやく船に乗り込んだ。
私の乗った船は中国製で、船内に船のサイズなどのデータが表示されていた。全長37.77m、全幅7.72mだが喫水は1.14mと非常の底の浅い船である。
乗客は9割がロシア人(アジア系含む)、残り1割が中国人であった。船室はほぼ満席で、船室の外には人や荷物が溢れていた。
やがでエンジンがうなりを立て始め、緑色のアムール川の水に渦巻きを作りながら船が動き出した。船はアムール川の中心線付近に着いた後方向を変えて少し上流に遡り、その後また方向を変えて中国側の船着き場に着いた。
アムール川の中程ですれ違った船
所要時間は10分程度だろう。途中、警備員の制止を恐れつつ恐る恐る船で写真を撮ったが、誰も制止しようとしない。運が良かっただけかもしれないが、おかげで念願の中露国境で沢山写真を撮ることができた。
中国側の船着き場。中国黒河の文字が見える。
中国側に着くと入国管理である。入国用・出国用の二枚の書類に記入し、四十五元の入国費用をルーブル札で支払って(釣りは中国元だった)行列に並ぶ。特に時間はかからず、一分程度で窓口を通過してようやく中国に入国した。既にロシア時間で午後三時(中国時間では午後一時)になっていた。
●黒河訪問
中国人の係員に英語で最終船便の時刻を訊ねると午後三時との返事であった。後二時間しかないので、黒河の中心市街地に行くのは諦めて、船着き場の隣にある巨大な「大黒河島国際商貿城」という建物を見ることにした。船から下りたロシア人も皆買い出し目的と見え、そこに向かっていた。
大黒河島国際商貿城の入り口
大黒河島国際商貿城は三階建てで、中は中国人商人の商店が一杯である。店員は皆中国語で話しかけてくる。商品は日本の百円ショップで売っているような雑貨、衣類、靴・帽子、カーテンから清涼飲料・乾燥果実などの食料品、更には携帯電話・カメラ・液晶テレビなどの電化製品まで非常に幅が広かった。
大黒河島国際商貿城の店内
一階の通路には何と値札付きで自動車まで展示されていた。
客のほとんどはロシア人で、中国人の売り子と価格交渉しながら熱心に品定めしていた。広大な建物全体を歩き回るだけで1時間経過してしまった。せっかくなので雑貨店で適当な雑貨を一つ買ったが、価格交渉が必要なのが実に面倒であった。支払いはルーブルで可能だった。
大黒河島国際商貿城の駐車場から黒河の市街地方向を撮影
大黒河島国際商貿城の近くにあったアムール川の遊覧船乗り場。客はおらず、係員が暇そうにしている。
●再び中露国境越え
最後の船に乗り遅れるとまずいので、最終船便の30分前に船着き場に向かった。案の定、買い出しを終えたロシア人で大混雑である。出国管理の行列に並んで窓口を通過するだけで30分かかってしまった。船便は建前上は午前二便、午後二便となっているのだが、実際には両方の船着き場には合計8隻の船が並んでおり、始発便と最終便の間は客で船が一隻満員になる度に出航するという状態になっているようだった。中国時間で午後3時20分頃に船が出発した。
船内から中国側の船着き場を撮影
客は行きの船と同じく9割がロシア人、1割が中国人である。そして、甲板には大きな袋に入った荷物が満載されていた。行きの船と同様、写真撮影は特に制止されなかった。アムール川では「航道管理07」と大書された中国船とすれ違いになった。
アムール川ですれ違った、「航道管理07」と大書された中国船
船内からロシア側の船着き場を撮影
ロシア側の船着き場に到着すると、客が一斉に上陸し始め、同時に甲板の袋詰めの貨物の荷揚げ作業が始まった。作業員が船から埠頭に荷物を乱暴に投げ、埠頭側では作業員がそれを並べていた。
上陸する乗客と陸揚げされる荷物
私も船を下り入国管理に向かう。窓口では20分ほど待たされ、係員が持参した入国カードに記入して再びロシアに入国した。
●アムール川の夕暮れ
ブラゴベッシェンスクは夏時間の影響もあり、日没は午後8時頃であった。曇り空で太陽は見えなかったが、暗くなるまでアムール川沿いを散歩した。やや肌寒い気温であったが多くの人が川沿いの道で散歩したり酒を飲んだりしていた。また、川沿いの道から河原に降りる通路も幾つか設置されており、数名のロシア人が河原を散歩していた。
河原で犬を散歩させるロシア人
私も河原に降りてアムール川のさざ波と対岸の中国を眺めながら散歩した。今更ながら、500m程度の川を隔てて中国とロシアという二つの超大国が隣接しているという事実が頭では分かっていてもなかなか納得できない。川の右側の市街地と左側の市街地が異なる文明圏に属しているのだ。
河原から上流方向を撮影。写真の右側がブラゴベッシェンスク、左側が黒河。
私が見た限り、中国人とロシア人は非常に友好的であり、喧嘩などの場面は見かけなかった。しかしながら、本音では中国人は奪われた領土の奪還を狙っており、ロシア人は中国人の復讐を非常に恐れていることだろう。対立を抱えつつ表面上は友好関係を維持するという、大陸国家同士の複雑な関係の一端を垣間見ることが出来たように感じた。
●ブラゴベッシェンスク市街地と夜行列車
翌日はアムール川沿いの遊歩道やブラゴベッシェンスクの市街地をのんびりと散策したあと、ハバロフスク行きの夜行列車で国境の町を後にした。
アムール川の中程に停泊している船。国境監視の船と思われるが、中国船かロシア船かは分からない。
レーニン広場のアムール川沿いに展示された小型の軍艦。台座に1945の数字が刻まれており、第二次大戦での対日攻撃に使用されたと思われる。
アムール川沿いの並木道
対岸の黒河市街地
ブラゴベッシェンスク市街地。ほとんどの道は並木道になっていて清々しい。
ブラゴベッシェンスクのデパート
ブラゴベッシェンスクのデパート前の人々。このあたりがブラゴベ銀座の様だ。
ブラゴベッシェンスク駅
出発前の夜行列車(左側)と、到着した2両編成のローカル列車(右側)
夜行列車の車内の様子
日本やロシアに「侵略」された「北清事変」や
イギリスに侵略された「アヘン戦争」の「後遺症」から立ち直れてはいないようですね。
ロシアは来年から2013年までの6年間に合計5660億ルーブル(約2兆5400億円)を投じ、シベリアのバイカル湖東方からベーリング海までの広大な地域を開発する「極東・バイカル湖東方開発計画」をこのほど確定した。
プーチン大統領の極東重視政策に基づき作成された同計画は、韓国・中国・日本・米国などの投資を念頭に入れている。ロシア政府は今年10月に1回目の投資誘致団をソウルに派遣する予定だ。
11日に入手されたロシア経済発展貿易省の極東・バイカル湖東方開発計画によると、同地域に対する投資額合計5660億ルーブルのうち、ロシア政府が投じる額は4260億ルーブル(約1兆9000億円)で、残りは12の地方政府や海外・民間投資で賄われる。
地域別に見ると、12の地方政府のうち韓国と地理的に近い沿海地方・ハバロフスク州・サハリン州の3地域に合計投資額の50%に当たる2830億ルーブル(約1兆2700億円)が投じられる。2012年にアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議が開催されるウラジオストクを含む沿海地方だけで1500億ルーブル(約6730億円)が割り当てられている。
分野別では、道路など交通インフラ建設に42%相当の2372億ルーブル(約1兆650億円)、ガス田地帯開発などのエネルギー分野に26%相当の1482億ルーブル(約6650億円)が投じられる予定だ。
http://www.chosunonline.com/article/20070912000022