●日中友好の歴史鍛訪 梅屋庄吉と孫文
http://www.stv-japan.jp/shibozazhi/210103-50-53.pdf
●孫文と梅屋庄吉、友情の50点を展示 : 読売新聞 2011年6月21日
台湾の対日窓口機関である台北駐日経済文化代表処(東京・白金台)で7月14日まで、特別展「孫文と日本の友人たち――革命を支援した梅屋庄吉たち」が開かれている。今年は清朝を打倒した辛亥革命(1911年)から100年にあたり、同展は、中国革命の先駆者で、台湾では「国父」と呼ばれる孫文(1866~1925年)の業績を、日本人との交流という視点から紹介している。
梅屋庄吉(1868~1934年)は、長崎出身の実業家。梅屋は孫文に「君は兵を挙げたまえ。我は財を挙げて支援す」と革命支援を約し、多額の資金を提供したほか、孫文が亡命した際には自宅にかくまった。特別展では、孫文が梅屋に贈った書や、革命軍から梅屋への武器注文書など、約50点を展示している。16日の開幕式で、梅屋のひ孫・小坂文乃さん(43)は、「国境を超えた友情が今につながっていることを知ってほしい」と話した。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20110621-OYS1T00183.htm
●東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 特別展「孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本」 本館 特別5室 2011年7月26日(火) ~ 2011年9月4日(日)
中国が新しい国家に生まれ変わろうとする19世紀終わり頃から20世紀前半にかけて、中国と日本で、互いに親密な交わりを持ちながら活躍した2人の人物がいました。中国の革命運動に生涯をささげた孫文(1866-1925)と、日本の映画産業の地盤を築きつつ、孫文を物心両面にわたって手厚く支援した梅屋庄吉(1868-1934)です。
本展は、孫文が中心的な役割を果たした辛亥革命(1911)から100年の節目にあたり、孫文と梅屋庄吉、そして彼らと密接に関わった人々やゆかりの地を当時の生の資料によってご覧いただこうとするものです。
展示の中核となるのは、梅屋庄吉の曾孫にあたる小坂文乃氏の手元で大切に保管されてきたアルバム及び関連遺品と、東京国立博物館や長崎大学などが所蔵する当時の稀少な写真約260点。浅草、長崎、上海、パリ、ニューヨークなど、まるで100年時代をさかのぼったかのように、世界の情景をお楽しみいただけます。いずれも歴史の実像を物語るきわめて貴重な資料でありながら、これまで一般にはほとんど目に触れることがなかったものです。
初公開の資料の数々により、激動の時代における中国や日本の様相を存分にご鑑賞いただけます。
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1398
●上海協力機構は新たな地政学的現実: The Voice of Russia 14.06.2011
カザフスタンの首都アスタナは14-15日、上海協力機構の記念すべき創設10周年を祝うサミットの会場となる。機構参加国であるロシア、カザフスタン、中国、キルギス、ウズベキスタン、タジキスタンの首脳らは過去10年間の総括を行うだけでなく、機構の発展を図る長期的な戦略を検討する構えだ。
上海協力機構が創設された時代というのは、世界が多極化することをやめ、国際関係において、発展の経済モデルにおいて西側の一つのモデルのみが大きな影響力を行使するという非常に複雑な時期にあった。そういった時代を経て今日、機構は多極化社会の一つの面として確固とした位置を占めているということができる。それは組織が地域のみならず、世界においてもパワーバランスを保証しているからだ。
近い将来、上海協力機構は金融経済の中心、政治の要としての役割を演じる可能性がある。過去10年間で機構は地方組織の枠を超え、影響力の大きい存在へと様変わりしてきた。
ロシア大統領特別代表レオニード・モイセーエフ上海協力機構担当はこの機構の参加なしに多くの国際問題は効果的に解決を図ることができないとして次のように語っている。
ーこの10年間、機構は実に大きな歴史を刻んできた。すべてゼロからスタートさせてきた最重要な路線における一連の協力は現在、加盟国の国益に関わるすべての分野を網羅するにまでいたっている。テロ対策、安全、安定を保障する問題から手をつけ始めた協力が次第に経済、金融協力、健康医療にまで及ぶようになってきたのだ
本サミットでは最も頭の痛い問題である麻薬対策戦略についても話し合いがおこなわれる。世界の多くの国で何百万人もの市民を苦しめているこの問題を解決するためには、アフガニスタン産の麻薬の密輸経路を断つための共通のメカニズムを打ち立てることが必要と認識されている。サミットではもう一つ、非常に重要な問題である組織の拡大についても話し合われる。最近までこの問題は凍結されてきたものの、これからの近い将来、おそらく新たな加盟国を加えるものと予測されている。まずは今日組織のなかですでにオブザーバー国の地位を得ているインド、イラン、パキスタン、モンゴルが加盟を果たすことだろう。このほかアフガニスタンの主導部も加盟の意向を表している。サミット開催期間では、ロシアのメドヴェージェフ大統領とアフガニスタンのハミド・カルザイ大統領の会談も実施される。
ロシア大統領特別代表レオニード・モイセーエフ上海協力機構担当は現在あるフォーマットにおいても上海協力機構は世界で最も高い評価を受けているとして、さらに次のように語る。
ー過去10年で達成されたものの中で最も重要なものに数えられるのが中央アジア地域におけるこの機構の比類なき役割が国際社会から確固とした認知をえたことだろう。それは国連の特別決議の中で、上海協力機構は中央アジアの安定を維持するために主要な組織であると称されていることにもうかがえる。
上海協力機構の議長国は今年のカザフスタンがつとめた後、次は機構の中でも最も主要な役割を演ずる一国である中国へとバトンが渡される。この時期、機構の協力は、いまある6カ国のフォーマットの枠を超える存在となっているかもしれない。
http://japanese.ruvr.ru/2011/06/14/51695460.html
【私のコメント】
今年は、清が滅亡して中華民国が誕生した辛亥革命から百周年である。これを記念して、台湾の日本大使館である台北駐日経済文化代表処で特別展「孫文と日本の友人たち――革命を支援した梅屋庄吉たち」が開かれている。また、東京国立博物館では特別展「孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本」が7月26日(火) ~ 9月4日(日)の日程で開催予定である。こちらは北京政府の後援だという。 興味があったので先日台北駐日経済文化代表処を訪問した。
梅屋庄吉は映画会社日活の前身の会社の一つの創業者であり、映画事業で得た多額の資金を惜しみなくアジア諸国の革命に投じたという。日立の創業者である久原房之助、昭和7年に五・十五事件で暗殺された犬養毅首相など、辛亥革命を人的・経済的に支援した多くの日本人が特別展で紹介されていた。梅屋庄吉が孫文を支援した資金額は合計で現在の価値に換算して兆単位になるらしい。日本支配階層は中国の政権をコントロールすることの重要性を認識し、その為に民間資金を通じて革命支援を行ったのであろう。その後第二次大戦を経て現在に至るまでの期間も、中国政権を巡って日本と国際金融資本は激しく対立し続けていたのだと想像する。
私がこの展示で痛感したことは、革命には巨額の資金が必要であり、大国の政府か国際金融資本といった巨大組織の支援なしには不可能であるということだ。私がリンクで取り上げている「ウォール街とボルシェビキ革命」(by サットン)も、ロシア帝国を倒してハザール系ユダヤ人による独裁政権をロシアに作りたいというウォール街の金融ユダヤ人たちの野望を細かく記している。太田述正氏はこれは偽書だと主張しているが、実名では真実を語ることが危険だからではないかと私は想像している。恐らく、明治維新も日本で革命を起こして新政権をコントロールしたいというイギリスの国際金融資本が金銭面で援助していたのだろう。長州藩や薩摩藩が幕府を倒す大戦争を行ったのは、どう考えても自己資金ではない。
1970年代の日中国交回復以降の日本の対中援助も、日本が中国をコントロールするための手段であると考えられる。戦前の南京親日政権の協力者の息子であった江沢民は恐らく日本の協力者で、その出自を隠すために激しい反日言動を行ったのだと私は想像している。日本は上海・大連などかつて支配した地域に重点的に進出して影響力を拡大している。上海は事実上日本の経済的植民地である。外交経験に乏しい中国政府は、表向きは日本・米国と軍事的に対立しているが、実は裏では米国に敵対視されるという現状に怯え、日本政府に指示を仰ぎ続けているのではないかと私は妄想している。アジア大陸の大国が集合する上海協力機構は一見日本を仲間はずれにしているが、実際はこの上海協力機構は日本政府がコントロールしているのではないかと私は考えている。将来米国の世界覇権が崩壊すれば日本は公式に上海協力機構に加盟し、事実上その指導国家に就任することだろう。
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http://www.stv-japan.jp/shibozazhi/210103-50-53.pdf
●孫文と梅屋庄吉、友情の50点を展示 : 読売新聞 2011年6月21日
台湾の対日窓口機関である台北駐日経済文化代表処(東京・白金台)で7月14日まで、特別展「孫文と日本の友人たち――革命を支援した梅屋庄吉たち」が開かれている。今年は清朝を打倒した辛亥革命(1911年)から100年にあたり、同展は、中国革命の先駆者で、台湾では「国父」と呼ばれる孫文(1866~1925年)の業績を、日本人との交流という視点から紹介している。
梅屋庄吉(1868~1934年)は、長崎出身の実業家。梅屋は孫文に「君は兵を挙げたまえ。我は財を挙げて支援す」と革命支援を約し、多額の資金を提供したほか、孫文が亡命した際には自宅にかくまった。特別展では、孫文が梅屋に贈った書や、革命軍から梅屋への武器注文書など、約50点を展示している。16日の開幕式で、梅屋のひ孫・小坂文乃さん(43)は、「国境を超えた友情が今につながっていることを知ってほしい」と話した。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20110621-OYS1T00183.htm
●東京国立博物館 - 展示 日本美術(本館) 特別展「孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本」 本館 特別5室 2011年7月26日(火) ~ 2011年9月4日(日)
中国が新しい国家に生まれ変わろうとする19世紀終わり頃から20世紀前半にかけて、中国と日本で、互いに親密な交わりを持ちながら活躍した2人の人物がいました。中国の革命運動に生涯をささげた孫文(1866-1925)と、日本の映画産業の地盤を築きつつ、孫文を物心両面にわたって手厚く支援した梅屋庄吉(1868-1934)です。
本展は、孫文が中心的な役割を果たした辛亥革命(1911)から100年の節目にあたり、孫文と梅屋庄吉、そして彼らと密接に関わった人々やゆかりの地を当時の生の資料によってご覧いただこうとするものです。
展示の中核となるのは、梅屋庄吉の曾孫にあたる小坂文乃氏の手元で大切に保管されてきたアルバム及び関連遺品と、東京国立博物館や長崎大学などが所蔵する当時の稀少な写真約260点。浅草、長崎、上海、パリ、ニューヨークなど、まるで100年時代をさかのぼったかのように、世界の情景をお楽しみいただけます。いずれも歴史の実像を物語るきわめて貴重な資料でありながら、これまで一般にはほとんど目に触れることがなかったものです。
初公開の資料の数々により、激動の時代における中国や日本の様相を存分にご鑑賞いただけます。
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1398
●上海協力機構は新たな地政学的現実: The Voice of Russia 14.06.2011
カザフスタンの首都アスタナは14-15日、上海協力機構の記念すべき創設10周年を祝うサミットの会場となる。機構参加国であるロシア、カザフスタン、中国、キルギス、ウズベキスタン、タジキスタンの首脳らは過去10年間の総括を行うだけでなく、機構の発展を図る長期的な戦略を検討する構えだ。
上海協力機構が創設された時代というのは、世界が多極化することをやめ、国際関係において、発展の経済モデルにおいて西側の一つのモデルのみが大きな影響力を行使するという非常に複雑な時期にあった。そういった時代を経て今日、機構は多極化社会の一つの面として確固とした位置を占めているということができる。それは組織が地域のみならず、世界においてもパワーバランスを保証しているからだ。
近い将来、上海協力機構は金融経済の中心、政治の要としての役割を演じる可能性がある。過去10年間で機構は地方組織の枠を超え、影響力の大きい存在へと様変わりしてきた。
ロシア大統領特別代表レオニード・モイセーエフ上海協力機構担当はこの機構の参加なしに多くの国際問題は効果的に解決を図ることができないとして次のように語っている。
ーこの10年間、機構は実に大きな歴史を刻んできた。すべてゼロからスタートさせてきた最重要な路線における一連の協力は現在、加盟国の国益に関わるすべての分野を網羅するにまでいたっている。テロ対策、安全、安定を保障する問題から手をつけ始めた協力が次第に経済、金融協力、健康医療にまで及ぶようになってきたのだ
本サミットでは最も頭の痛い問題である麻薬対策戦略についても話し合いがおこなわれる。世界の多くの国で何百万人もの市民を苦しめているこの問題を解決するためには、アフガニスタン産の麻薬の密輸経路を断つための共通のメカニズムを打ち立てることが必要と認識されている。サミットではもう一つ、非常に重要な問題である組織の拡大についても話し合われる。最近までこの問題は凍結されてきたものの、これからの近い将来、おそらく新たな加盟国を加えるものと予測されている。まずは今日組織のなかですでにオブザーバー国の地位を得ているインド、イラン、パキスタン、モンゴルが加盟を果たすことだろう。このほかアフガニスタンの主導部も加盟の意向を表している。サミット開催期間では、ロシアのメドヴェージェフ大統領とアフガニスタンのハミド・カルザイ大統領の会談も実施される。
ロシア大統領特別代表レオニード・モイセーエフ上海協力機構担当は現在あるフォーマットにおいても上海協力機構は世界で最も高い評価を受けているとして、さらに次のように語る。
ー過去10年で達成されたものの中で最も重要なものに数えられるのが中央アジア地域におけるこの機構の比類なき役割が国際社会から確固とした認知をえたことだろう。それは国連の特別決議の中で、上海協力機構は中央アジアの安定を維持するために主要な組織であると称されていることにもうかがえる。
上海協力機構の議長国は今年のカザフスタンがつとめた後、次は機構の中でも最も主要な役割を演ずる一国である中国へとバトンが渡される。この時期、機構の協力は、いまある6カ国のフォーマットの枠を超える存在となっているかもしれない。
http://japanese.ruvr.ru/2011/06/14/51695460.html
【私のコメント】
今年は、清が滅亡して中華民国が誕生した辛亥革命から百周年である。これを記念して、台湾の日本大使館である台北駐日経済文化代表処で特別展「孫文と日本の友人たち――革命を支援した梅屋庄吉たち」が開かれている。また、東京国立博物館では特別展「孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本」が7月26日(火) ~ 9月4日(日)の日程で開催予定である。こちらは北京政府の後援だという。 興味があったので先日台北駐日経済文化代表処を訪問した。
梅屋庄吉は映画会社日活の前身の会社の一つの創業者であり、映画事業で得た多額の資金を惜しみなくアジア諸国の革命に投じたという。日立の創業者である久原房之助、昭和7年に五・十五事件で暗殺された犬養毅首相など、辛亥革命を人的・経済的に支援した多くの日本人が特別展で紹介されていた。梅屋庄吉が孫文を支援した資金額は合計で現在の価値に換算して兆単位になるらしい。日本支配階層は中国の政権をコントロールすることの重要性を認識し、その為に民間資金を通じて革命支援を行ったのであろう。その後第二次大戦を経て現在に至るまでの期間も、中国政権を巡って日本と国際金融資本は激しく対立し続けていたのだと想像する。
私がこの展示で痛感したことは、革命には巨額の資金が必要であり、大国の政府か国際金融資本といった巨大組織の支援なしには不可能であるということだ。私がリンクで取り上げている「ウォール街とボルシェビキ革命」(by サットン)も、ロシア帝国を倒してハザール系ユダヤ人による独裁政権をロシアに作りたいというウォール街の金融ユダヤ人たちの野望を細かく記している。太田述正氏はこれは偽書だと主張しているが、実名では真実を語ることが危険だからではないかと私は想像している。恐らく、明治維新も日本で革命を起こして新政権をコントロールしたいというイギリスの国際金融資本が金銭面で援助していたのだろう。長州藩や薩摩藩が幕府を倒す大戦争を行ったのは、どう考えても自己資金ではない。
1970年代の日中国交回復以降の日本の対中援助も、日本が中国をコントロールするための手段であると考えられる。戦前の南京親日政権の協力者の息子であった江沢民は恐らく日本の協力者で、その出自を隠すために激しい反日言動を行ったのだと私は想像している。日本は上海・大連などかつて支配した地域に重点的に進出して影響力を拡大している。上海は事実上日本の経済的植民地である。外交経験に乏しい中国政府は、表向きは日本・米国と軍事的に対立しているが、実は裏では米国に敵対視されるという現状に怯え、日本政府に指示を仰ぎ続けているのではないかと私は妄想している。アジア大陸の大国が集合する上海協力機構は一見日本を仲間はずれにしているが、実際はこの上海協力機構は日本政府がコントロールしているのではないかと私は考えている。将来米国の世界覇権が崩壊すれば日本は公式に上海協力機構に加盟し、事実上その指導国家に就任することだろう。
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その前に日本は、トルコ系諸国首脳会議(現加盟国:トルコ、カザフスタン、アゼルバイジャン、ウズベキスタン、キルギスタン、トルクメニスタン)に加盟するか、最低でもオブザーバー参加すべきだ。
トルコは、この会議の将来像を、イスラム圏に限定せず、モンゴルまで拡大する構想を持っている。
それに、日本人は広義のトルコ系民族と言っても良いから、加盟しても不自然ではない。
日本にとっても、外交の幅が広がり、対中・対露戦略にもプラスになるはずだ。
日本がもたもたしていると、プリンスの大嫌いな韓国、が先に出しゃばって加盟してしまうぞ。「ウリ民族もトルコ系ニダァ~」とわめいて。
奇しくも、米国在台協会(米国の対台湾窓口機関)でも「孫文と米国」というテーマで特別展を開催している。
日米台で何らかの暗黙のメッセージ(政治的意図)があるのでは?
トルコは北方モンゴロイドの中の一部族に過ぎません。また、西方への移住の過程でコーカソイドと混血しています。宗教も、キリスト教より更に排他的なイスラム教で、日本人とは相容れないです。私はトルコとの過剰な友好関係には反対です。
西南アジア・北アフリカの乾燥地帯はイスラム教が支配的で、エジプト・サウジアラビア・イラン・トルコが四大国家になります。エジプト・イラン・トルコはそれぞれアラブ・ペルシャ・トルコ系民族を代表する国家であり、サウジアラビアはイスラム教を代表する国家です。欧米支配階層は、イスラム統一国家の成立が欧州の安全保障上の危険に繋がることから、西南アジア・北アフリカのイスラム地域をこの4大国に分割支配させる方針なのだと思っています。
技術はない資源は豊富と日本にとって与しやすい相手ではありますが。
一部にはシーパワーの覇権は終わりランドパワーへの覇権交代と言うところもありますが日本に取り強大な大陸国家連合の誕生は歓迎すべき物なのでしょうか。
これもなにも、日本の古代史が謎の空白地帯になってしまったからでしょうよw
その原点が、邪馬台国論争。
明治維新はイギリスが手引したということだと対露協調は成り立ちから無理筋な訳ですね。
イギリス人は病的なほどロシア人を信用しないと言われてますので。
明治開国からシーパワーの末席に加えられイギリス極東出張所から現在はアメリカの出先機関になっていますが対露という面ではまともにつきあえたためしがありません、させてもらえなかったのですが。
アメリカが東洋から撤退となると日本の支配者が交代する事になりますが裏での国内覇権争いに外国からの革命援助資金流入など相当な混乱が予想されますが米ポチ利権の自民党が長く政権を握ったように強大な利権を手にした勢力により統治されていく様に思えます。
米国撤退後の日本の姿についてお考えはありませんか?
自己資金ではないなら何か。
討幕運動は関が原の仕返しという要素があったにすぎない。
>アジア大陸の大国が集合する上海協力機構は一見日本を仲間はずれにしているが、実際はこの上海協力機構は日本政府がコントロールしているのではないかと私は考えている
幾らなんでもこれはねえ。
史那人をわが国へ入れると日本人は史那人を嫌う。現在朝鮮人を嫌いぬいていることを見れば、似たようなものだろう。
孫文なんかちょうど戦後ODAでわが国にたかったように、当時の日本人にたかったに過ぎない。
妙な幻想を日本人が史那人に抱いて、資産と人生を棒に振った人は多い。
近代の日中関係は日本人の史那に対する無知(逆に言うと自国と日本人への無知)に起因しているに過ぎない。
史那人に日本国籍を与えること事態、史那人に対する無知を現しているに過ぎない。
満州残留孤児二世三世の行動を見れば分かりそうなもので、直ちに対処をとればいいが福島と同じで実質何もせず、福島が困っているように彼等と接点がある人々が困っている。
我田引水が多いのではないか。思わぬ見方もありますが。
しかしわが国の真の敵は亜米利加が真の味方も亜米利加です。この矛盾にどのように対応するかがわが国の外交政策の基本である。その一系としての対中共がいこうがある。
それと対史那人外交はまた別だが、その区別が日本側につかないのが致命的である。
史那人は追い出すことだが、中共とは付き合うことである。これが対中共外交の基本である。
したがって、領事館用敷地は売却をしてはならない。作るなら信州の山奥に許可を出すことである。
本文と関係のない内容のコメント申し訳ございません。先日、集団ストーカー被害者の一人が鍬を持った加害者に殺されかけました。(動画1)彼はその後に警察に証拠をもっていきましたが、その事実を警察は必死に隠蔽しようとしています。また、少し前に一人の集スト被害者が数人の人間に無理やり拉致されました。(動画2)最後に他の被害者が警察官に顔に警察手帳を押し付けられたビデオも紹介します。私達、被害者は警察に何度も被害届を出しているのですが、必ず生活安全課という殆ど創価からなる部署に通されて圧力を掛けられ被害を隠蔽されてきました。日本では1998年より毎年3万人以上の自殺者と8万件以上の行方不明届けが出されています。上記の自殺は本当に自殺の数字なのでしょうか。
1http://www.youtube.com/watch?v=KjqR6YH4TF4
2http://www.youtube.com/watch?v=T2Ja7U6-Jqk
3http://www.youtube.com/watch?v=IRAnbMxKRJs
大日本・満州帝国の遺産 興亡の世界史(18) 姜尚中 玄武岩 講談社
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2807181
もともとこの姜尚中はじめ日本の左派は戦前の日本を全否定しながら
「東アジア共同体」なるものを称揚したり
戦前のアジア主義者と妙に似た主張をしてたりすることは指摘されてたけど
ここまで直接的に持ち上げちゃった本は類をしらない。