国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

ハルキ神学校の再開問題と聖ソフィア大聖堂の返還問題:コンスタンティノポリス総主教庁とトルコの対立

2007年03月15日 | トルコ系民族地域及びモンゴル
●トルコのキリスト教徒は選挙の後でより多くの権利を望む Turkish Daily News 2007年3月14日

<要約>
約二億五千万人と推定される全世界の東方正教会信者の精神的指導者であるコンスタンティノポリス総主教庁のバルトロメオス1世総主教が、訪問中のオーストリアで3月12日にトルコでは少数派のキリスト教徒の権利が損なわれていると発言。昨年のローマ法皇ベネディクト16世のトルコ訪問以後も状況は変わっておらず、5月の大統領選挙で状況が改善することを願うと主張している。
バルトロメオス1世総主教は、イスタンブール郊外の島にあるハルキ神学校の再開運動を続けており、トルコ政府による神学校の閉鎖が続いていることでトルコでのコンスタンティノポリス総主教庁の存続が危うくなっていると言う。「我々が我が国の変化を願うのは、外国やブリュッセルの圧力ではなく、それがトルコ人に必要だからだ。我々はトルコ社会の一部で、トルコで生まれ、トルコで学び、トルコで働いており、恐らくトルコで死ぬだろう。だから、我々は二流市民ではなく、多数派と同等の権利を持つ市民であると感じたいのだ。」
http://www.turkishdailynews.com.tr/article.php?enewsid=68155






●プーチン大統領がバチカン訪問、ローマ法王と会談 2007.03.14- CNN/AP


バチカン市──ロシアのプーチン大統領は13日、バチカンを訪問し、ローマ法王ベネディクト16世と会談した。ロシア首脳とローマ法王の会談は約3年ぶりで、プーチン大統領とベネディクト16世の会談は今回が初めて。今週イタリアとギリシャを歴訪中のプーチン大統領は、13日午後にローマ近郊の基地に到着した。ローマ法王との会談は、ロシア正教とカトリックの対立緩和と、妥協点の模索が焦点とされる。ロシア正教は、伝統的教区で布教活動を行っているとして、カトリックを非難。バチカン側は、人口1億4400万人のロシアでわずか60万人前後のカトリック信徒に対象を限定して活動していると述べ、ロシア正教の主張を否定している。両宗派間には、資産をめぐる対立もある。
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200703140006.html





●ベネディクト16世、東方教会を訪問 - トルコ 2006年 12月 01日

写真は30日、総主教庁で共同声明への署名を控え、握手を交わすベネディクト16世(左)とバルトロメオ1世。
【イスタンブール/トルコ 1日 AFP】4日間の日程でトルコを訪問中のローマ法王ベネディクト16世は30日、コンスタンティノープル総主教バルトロメオ1世とともに、イスタンブールのコンスタンティノープル総主教庁とSt. George教会を訪れた。ベネディクト16世にとって、イスラム教国訪問は今回が初めて。訪問最終日となる12月1日には、イスタンブールのCathedral of the Holy Spiritでミサを執り行う予定。
http://www.afpbb.com/article/1134991




●コンスタンティノポリス総主教庁 - Wikipedia

元来は、古代キリスト教の五大総主教座(ローマ、コンスタンティノポリス、アンティオケイア、エルサレム、アレクサンドリア)のひとつで、きわめて古い伝統をもつ。かつては東ローマ帝国の首都の教会として、また東方正教会の首長として、東ローマ皇帝に任命された総主教が東ローマ帝国領だった現在のトルコ・ギリシャからブルガリア・セルビア、さらにはロシアまでを管轄し、ローマ教皇とキリスト教会の首位の座を争うほどの地位を誇っていた。また、東ローマ皇帝が幼帝の時に総主教が摂政となった例も複数あり、聖俗に渡って影響力を持っていた。

当時の総主教座は聖ソフィア大聖堂(現在のアヤソフィア博物館)に置かれていた。

オスマン帝国統治の時代は、東方正教会に属するギリシャ人、セルビア人、ルーマニア人、ブルガリア人、ヴラフ人(アルーマニア人)、正教徒アルバニア人、正教徒アラブ人を管轄する行政区分(ミレット)の長となり、総主教の下の大主教や主教が、正教徒の行政・司法・教育を担当し、宗教税を徴収した。

現代では、各国の正教会が独立したために、主にトルコ国内のギリシャ系住民と、クレタ島、アトス山の各修道院および海外にいるギリシャ人正教徒を管轄するのみとなっているが、コンスタンティノポリ総主教は「世界総主教(エキュメニカル総主教)」(全地総主教)という称号を持ち(総主教庁のサイトによれば「コンスタンティノポリスの大主教、新しいローマとエキュメニカルの総主教」となっている。「新ローマ」はコンスタンティノポリスの創建時の正式名称)、東方正教会の各教会の中でも第1位の格式を持っている、ただし、歴史的経緯から各国の正教会はあくまでも対等であり、コンスタンティノポリス教会は席次の上でその筆頭であるに過ぎない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8E%E3%83%9D%E3%83%AA%E7%B7%8F%E4%B8%BB%E6%95%99%E5%BA%81




●アヤソフィア - Wikipedia


アヤソフィアは、トルコのイスタンブルにある博物館。東ローマ帝国(ビザンツ帝国・ビザンティン帝国)時代に東方正教会の大聖堂として建設され、帝国第一の格式を誇る教会、コンスタンティノポリス総主教座の所在地であった。東ローマ帝国の代表的な遺構であり、しばしばビザンティン建築の最高傑作と評価される。その歴史と威容から、オスマン帝国の時代においても第一級の格式を誇るモスクとして利用された。

1453年5月29日、 コンスタンティノポリスを占拠したオスマン帝国のメフメト2世は、その日の午後に市入城するとすぐにこの大聖堂に赴いた。彼は大聖堂入り口の土を自らのターバンに振りかけて堂内に入り、コスタンティノポリス総主教庁から大聖堂を没収、モスクへ転用することを宣言した。このときにハギア・ソフィア大聖堂に接続する総主教館は破壊され、ハギア・ソフィア内部は十字架が取り外された。アヤソフィア・ジャミィと呼ばれるようになったこの聖堂はトプカプ宮殿の側に位置し、オスマン帝国の君主が毎週の金曜礼拝に訪れ、帝国において最も格式の高いモスクのひとつとされた。1934年に、ムスタファ・ケマルによってアヤソフィア・ジャミィは世俗化され、1935年には正式にトルコ共和国の博物館に改められ、以来一般に公開されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A4%E3%82%BD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2






●トルコのEU加盟に関して


<<3/23、トルコで重大報道>>

 ○2002/03/23、トルコの民放TGRT及び新聞Turkiyeが報道

EUの新たなネライは、ハギア・ソフィア

 欧州連合閣僚理事会(Council of Europe Parlamentar Assembly)全体会議の議長補佐官兼トルコ代表団長である、ウルシュ・ギュルカン氏は、欧州閣僚理事会全体会議の議長であるペーター・シーダー氏宛てに書簡を送った。その中で、同氏は「ハギア・ソフィアのキリスト教世界への返却(*1)」と題する決議案文書の(各議員への)配布が行われないことを希望する、と述べた。

 また、ギュルカン氏は、欧州連合閣僚理事会のメンバーによる、欧州閣僚理事会のメンバーであるルーマニアのヴァディム・トゥードル氏が提案した、27名の賛同署名付きの決議について、「イスタンブルを、コンスタンティノープルという名称で呼んでいること」、及び「占領下にある壮麗なるキリスト教都市」と定義した事に遺憾の意を述べた。また、ギュルカン氏は、イスタンブルについて、「占領下にある、1つのキリスト教の都市という表現も不適切である。」と述べた。

 「ハギア・ソフィア聖堂を博物館にする」という決定(*2)は、諸々の信仰に対するトルコの尊重の結果であり、同様に、諸文明の間(はざま)で、平和的に増築(*3)が行われたのである、とギュルカン氏は説明している。また、同氏は、「トルコは、諸文明の間で、平和の為に、イスラム教の原理主義に対しても、キリスト教の原理主義に対しても、共に断乎として反対の立場をとっているのである。」と述べた。


*1.1453年、オスマン・トルコは、東方正教会の総本山・世界総主教座のあったハギア・ソフィア(=聖なる叡智の意味)聖堂をイスラム教のモスクに改築した。

*2.その後、ミフラーブ(メッカの方向を向いたイスラム教独特のくぼみ)、ミンバル(正面右側の階段状の説教台)、天井の6枚の円盤、四隅のミナレット(イスラム教独特の尖塔)が追加された。また、スルタン5名の陵墓も西側にある。この増築について、ギュルカン氏は「平和裡の増築」であると主張しているが、これについてはさまざまな見解に分かれている。破壊しなかったので資源の有効利用と見る人もいれば、キリスト教文明に対する汚辱である、という見方も存在する。(日本にたとえてみれば、ちょうど、”蒙古が550年前に責めてきて、京都を占領し、神社仏閣を改築してラマ教の寺院に変えてしまい、未だに居座っている。”という感情に近いかもしれない。

*3.1931年のケマル・アタテュルクの決定による。

○ローマとコンスタンティープルの関係は、日本人にとっては、奈良(政治的基礎を作った街)と京都(文化的基礎=「日本人というもの」のアイデンティティを作った街)に相当すると思われる。1992年のEU経済統合、2002年の単一通過EUROの導入、2003年のEU軍創設、2004年の東方拡大((1)バルト3国、(2)旧神聖ローマ帝国でドイツ・オーストリアと深い関係が有る、ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリー、スロヴェニア)、(3)地政学上の地中海の要衝である元ヨハネ騎士団領に起源を発するマルタ、(4)同じく地政学上の東地中海の要衝であるキプロスの10カ国が加盟の見込み)によるEUの統合推進は、「欧州人」意識の高揚に繋がることは疑いようのない事実である。

http://www.turkiyegazetesi.com/archive/archive/default.asp?p1=news&style=det&id=142741&online=-1&winmode=pop



※この決議案提出の背景は複雑なものがあるようですが、当方の知る限りでは、今月に入って次のようなことがありました。
以下、時系列で説明します。

3/11-13
・東方正教会のコンスタンティノープル世界総主教ヴァルトロメオス(露:ワルフォロメオス、英:バーソロミュー)1世が、米国を公式訪問。3/13にブッシュ大統領と会談し、1971年にクーデター後の軍事政権によって閉鎖された神学校(在イスタンブール・ハルキ)の再開に対する協力を取り付ける。

3/14 米国から帰国した総主教が、上記の神学校の再開をマスコミで強く要望することをアピール。また、これに関して、トルコの大手全国ネットのTGRTが次のように報道。「東方正教会のコンスタンティノープル世界総主教ヴァルトロメオス1世は、イスタンブルにバチカンのような独立国を作るためにアメリカと手を打った模様」

☆この件に関するイタリアの報道
http://www.enec.it/idiritti.cap5.htm

3/22 TGRTが、次のように報道。

「欧州閣僚理事会全体会議に、『ハギア・ソフィア(トルコ語ではアヤ・ソフィア)を教会に戻すように』と言う内容の決議が提出された。」「(同決議においては)『イスタンブル(コンスタンティノーブル)をキリスト教の都市にするように』と要求している。」


☆冒頭記事(3/23Turkiye新聞=TGRTと同系列)のギュルカン氏のコメントは、上記の決議案に対するものであり、欧州閣僚理事会議長宛てに書簡を送り、決議案の文案が欧州閣僚理事会のメンバーに配布されることを中止することを要求している。

☆この決議の提案者は、ルーマニア政府の閣僚であるが、賛同者の国籍は、ポルトガル、サン・マリノ、リトアニア、英国、ベルギー、フィンランド、ルーマニア、ギリシャ、ノルウェイ、ポーランド、ロシア、イタリア、ウクライナ、スペイン、アルメニア、フランス、キプロス、グルジアと18カ国に上っている。従って、下手な発言をすると、全欧州を敵に回すことになるので、軽率な発言をしないように、政府関係者・外務省関係者は注意を喚起してもらいたい。

 なお、次の会議日程は、3/27-28、ロシアのサンクトペテルブルグで開催の予定。
http://yasai.2ch.net/kokusai/kako/981/981224211.html




●ハルキ神学校- Wikipedia, the free encyclopedia

プリンセス諸島とハルキ島(トルコ語ではHeybeliada島の写真


ハルキ神学校の写真



<要約>

ハルキ神学校は9世紀にマルマラ海のプリンセス諸島の一つであるハルキ島(トルコ語ではHeybeliada島)に建設されたトリニティ修道院の跡地に1844年に建設された。1971年にトルコ政府によって閉鎖されるまではコンスタンティノポリス総主教の神学校の中心であった。学生はギリシャ人だけでなく全世界の東方教会の信者を含んでおり、国際的な神学校であった。東方教会の数多くの神学者、学者、僧侶、司教、総主教(バルトロメオス1世総主教も含む)がこの神学校の出身である。多くの総主教・司教・神学校教師がこの神学校の地下に葬られている。1971年にこの神学校は私立大学を禁止するトルコの法律によって閉鎖されたが、これは明らかにローザンヌ条約の侵害である。1998年にはハルキ神学校の評議会は解散を命じられ、それは国際的な非難によってトルコ政府が命令を撤回するまで継続した。

ハルキ神学校は近年国際的に注目されている。1999年にトルコを訪問したクリントン米国大統領はハルキ神学校を訪れ、トルコの大統領に学校の再開を促した。1998年には米国の上下両院がハルキ神学校の再開支持を決議している。欧州連合もトルコのEU加盟交渉の一部としてこの問題を取り上げている。しかしながら、神学校は依然として閉鎖されており、トルコの民族主義的な政党、特に共和人民党は再開に強く反対している。
http://en.wikipedia.org/wiki/Halki_seminary






●内藤正典-中東・西欧マンスリー-ローマ法王ベネディクトゥス十六世の発言~何が問題か 2006.9.25

問題の箇所:
法王自身のスピーチの文脈は、「理性と神(信仰)は両立できる。一例を挙げれば、ギリシャ的な理性と知をそなえたビザンツ皇帝マニュエル二世パレオロゴスの上記の発言があるのではないか」ということであって、あくまで「理性と信仰との共存」を言うために引用したように読める。実際、法王庁も、16日までの段階では、この線で解釈してほしいという意向を明らかにしていたが、イスラーム世界からあまりに激しい反発を受けたので、ついに、法王自身による遺憾の意の表明に至った。

国際政治への波及:
現法王は、ラッツィンガー枢機卿時代に、トルコのEU加盟に反対していた。法王は、トルコのEU加盟問題に言及し、人口のほとんどをムスリムが占めるトルコがEUに加盟することで、ヨーロッパのキリスト教世界としての一体性が損なわれることを懸念していた。

トルコのEU加盟をめぐっては、ドイツのバイエルン州首相で連邦与党を構成するキリスト教社会同盟(CSU)の党首、エドムント・シュトイバーも同様の発言を繰り返し、強く牽制している。今回の講演がバイエルンで行われたことを考えると、偶然の一致とは考えにくい。

この問題が表面化したのは、つい数年のことである。EUが、トルコとの正式加盟交渉に入ることを決定した2004年以降に、この種の発言が、ヨーロッパ各国で噴出した。しかし、トルコがEUに加盟を申請したのは、いまから四十年以上も前の1960年代初頭のことである。

トルコは、何度も申請を却下されながら、ついに、EU側が示した人権状況の改善や法の支配、民主化などの条件をクリアして交渉開始にこぎつけた。こぎつけるやいなや、「トルコの国民がイスラーム教徒だからヨーロッパの一員たるにふさわしくない」という反対意見が強まったのである。

だが、トルコ人がイスラーム教徒になったのは、千年以上も前の話である。イスラームだから嫌だというのならば、最初にEECに加盟申請したときに、そう言って謝絶すればよかった。半世紀近くも交渉して、ようやく門の前に到達してから言うべきことではないし、あまりにフェアではない。

問題なのは、現法王が、イスラームへの嫌悪を隠さないシュトイバー党首らと同じ趣旨の発言をしていたことである。それが本音ならば、今回の発言は、むしろストレートに法王の反イスラーム感情を表明したものと受け取ってよいはずである。

http://www.global-news.net/ency/naito/daily/060925/01.html





【私のコメント】全世界の東方正教会信者の精神的指導者であるコンスタンティノポリス総主教庁のバルトロメオス1世総主教がウィーンでトルコ政府による迫害を非難している。ハルキ神学校の再開問題を含め、東方教会とトルコ政府の間の対立は余りに根深い。コンスタンチノープル総主教庁はローマ法王庁と同格の教会とも考えられ、その指導者がトルコ政府を公式に批判したというのは余りに重大なニュースである。2002年の欧州閣僚理事会全体会議による『ハギア・ソフィア(トルコ語ではアヤ・ソフィア)を教会に戻すように、イスタンブルをキリスト教の都市にするように』と言う内容の決議、2006年10月末のローマ法皇のコンスタンチノープル総主教庁訪問、3月13日のプーチン大統領のバチカン訪問もこれと関連している可能性があるだろう。

欧州で「欧州文化に同化しないイスラム教徒」への反感が高まっていること、程度の差はあれ欧州でイスラム教徒が二流市民扱いされていることを考えると、トルコでキリスト教徒が二流市民として迫害されるのは相互主義の点からは当たり前という見方もできる。しかしながら、東方教会のみならずカトリックやプロテスタントの信者も含めて欧州人はイスタンブールを欧州の都市であると考えている。歴史的に見てもコンスタンチノープルは欧州文化の中心の一つであったし、オスマントルコも多民族国家としてイスラム教徒とキリスト教徒の共存を認めていた。オスマントルコ滅亡後のトルコ共和国がトルコ民族の国民国家を目指したこと、トルコ共和国が欧州キリスト教文明の中心の一つであるコンスタンチノープルを領土に含めたことがこのキリスト教弾圧の原因の全てであり、その解決は容易ではない様に思われる。

今年5月に予定されている国会議員の投票による大統領選挙、11月4日に予定されている総選挙を控え、トルコ国内の世論の動向だけでなくイスラム主義の与党と世俗主義の軍の力関係にも注意が必要だろう。
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7 コメント

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Unknown (Unknown)
2007-03-15 02:28:48
ハンチントンは、現在7つもしくは8つ、主要な文明が存在すると主張している。

1.中華文明(儒教文明)
2.日本文明
3.ヒンドゥー文明
4.イスラム文明
5.ロシア正教会文明
6.西欧文明
7.ラテンアメリカ文明
8.アフリカ文明 -存在すると考えた場合

21世紀の世界はエネルギーと水と食糧を奪い合う時代になるが3つとも日本にはあまり存在しないな。。。
返信する
Unknown ()
2007-03-15 04:34:56
トルコはなんだかんだ言って潜在能力はある
EUが加入に否定的なのは理解できるが
返信する
Unknown (Unknown)
2007-03-15 21:33:45
http://tanakanews.com/070313oil.htm
石油の国際政治
2007年3月13日  田中 宇

【この続きは2週間後に公開します】



つまりは、既に決定済みということですね。



http://homepage.mac.com/ehara_gen1/jealous_gay/michael_kane.html
「ルビコン川を渡る」:9-11事件とチェイニー副大統領の関与

マイケル・ケイン



田中宇氏の二週間というのと株式市場の動きは関係があるのでしょう。


嗚呼、無情
返信する
Unknown (Unknown)
2007-03-16 01:26:25
マネーという砲弾が飛び交い多くの国々が滅びる戦の予兆

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070315-00000306-reu-bus_all
ロシア株式市場、いずれバブル崩壊へ=ジム・ロジャーズ氏
3月15日14時46分配信 ロイター

[モスクワ 14日 ロイター]
 米著名投資家のジム・ロジャーズ氏は14日、ニューヨークでロイターとの
電話インタビューに応じ、ロシアの株式市場は過大評価されており、「割合早く」
バブルが崩壊する可能性があるとの認識を示した。
 同氏は、ロシアの「無法な資本主義」が露呈しつつあるとし、「自分なら
ロシアには絶対投資しない」と述べた。
 「ロシアは、ひとつの大きなバブルだ。このバブルはいずれはじける。
割合早く現実化するだろう」とも発言。
 ロシアでは国家が資産を差し押さえており、企業オーナーは、ロンドンでの
新規株式公開(IPO)を通じて現金を手にしている、との見方も示した。
 「ロシアはひどい。誰もが資産を奪い取ろうとしている。ロシアを旅すれば
分かるが、鉄道やパイプラインや道路に多額の投資は行われていない。これは
無法な資本主義だ」と述べた。
 ロシアは原油高などを背景に好景気が続いており、昨年は株価が80%急騰
した。今年は、世界的な株安の影響で年初からの下落率が約7%に達している。
 同氏は、ロンドンに相次いで上場しているロシア企業について「(企業を分析
する)手掛かりがない。
『お金はもらうが、そのお金で何をするか言うつもりはない』という姿勢だ」と発言。
 「今回は(1998年8月のロシア危機よりも)ひどいことになるだろう。
1998年は株式市場のバブルだったが、今回は住宅・商品市場でバブルが
膨らんでいる」と述べた。
返信する
Unknown (Unknown)
2007-03-16 03:00:35
この記事をどう考えますか?

http://kaokao.shazarn.com/kaoDB/?page=26
さらには、OPECが最近、これまで米ドルを公式通貨としていたものを、他国の通貨も使えるように変更すると述べた。といったこともある。
他国通貨の受け入れを可能にし、米ドルでの石油取引を限定する決定をした。

2007年3月21日は、その最も重要な日である。
イランは米ドルの使用を禁止し、その日以降イラン国内で使った者は刑務所に入れられる。
返信する
トルコに対する非難決議のテクスト (Aletheiajp)
2007-04-27 03:28:46


トルコに対する非難決議のテクスト
記事が扱っている"The Armenian Genocide Resolution "のテクストは下記参照。
・H. Res. 106:
 http://www.govtrack.us/congress/bill.xpd?bill=hr110-106

また、これとは別の上院のトルコ非難決議のテキストは下記参照。
・S. Res. 65: A resolution condemning the murder of Turkish-Armenian journalist
 http://www.govtrack.us/congress/bill.xpd?bill=sr110-65

返信する
満州から来た男の秘密 (スカル&ボーンズ)
2007-04-27 15:45:33
江田島孔明、佐藤栄作、岸信介と満州国の繋がりと闇

http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/abe_shinzo.html
日本次期総理候補一位の安倍晋三は韓国系 佐藤元総理が告白
対韓タカ派が韓国系だなんて…

2006年5月17日(プレシアン)
この4月、日本の独島(竹島)周辺海底測量騷動を背後で指揮する
など、日本の対韓タカ派の代表走者として知られる安倍晋三官房長
官が壬辰の乱以後、朝鮮から日本に渡った韓国人の子孫であること
が明らかになって注目されている。
このような事実は金忠植(キム・チュンシク)東亜日報論説委員が
最近発刊した本『悲しい列島-永遠の異邦人400年の記録』(ヒョヒ
ョン出版)で明かされたことで、壬辰の乱直後の1598年日本に連行さ
れた陶工で日本の陶磁器宗家を成すまでになった沈壽官(シム・スグ
ァン)家門の14代子孫をインタビューする過程で明らかになった。
この『悲しい列島』によれば、14代沈壽官は1964年から72年まで日
本総理を務めた佐藤榮作(1901~75)がなくなる1年前、自分を訪ね
て来て佐藤家も壬辰の乱以後日本に渡って来た韓国系であることを直
接告白したと明らかにしたというのだ。
「佐藤さんの言うことは驚くべきことでした。私に『あなたは日本
へ来てからどれくらいになりましたか』と問うので、400年近くなっ
たと言ったら、『私たちの家門はその後に渡って来た家』というので
す。半島のどの故郷からいつ来たかは詳らかに分からないが、自分の
先祖が朝鮮から渡って来て山口に定着した、という話だったです。」

Nuclear War against Iran by Michel Chossudovsky
■米国・イスラエル・トルコ三カ国による「イラン先制核攻撃」計画がついに最終段階に入った
http://www.globalresearch.ca/index.php?context=viewArticle&code=%20CH20060103&articleId=1714

-雑記-□■PR「環太平洋連合」 江田島孔明著 500円■□ 下記
サイトから500円で販売(ネット配信)します。9月15日販売開始
。 ... 下記発言によりその亀ちゃんを瞬間風速で抜き文字通り日
本一の自信家となったのは当総研の客員研究員の佐藤文隆氏であ
る。 ...
www.asahi-net.or.jp/~EW7K-STU/zakki-5.htm -
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