●【中国を読む】真の環境保護協力とは 福島香織-世界からのニュース:イザ! 04/15 12:04
町に充満する刺激臭に吐き気を覚えた。昨年末、重慶市を訪れたときのこと。製薬工場の汚水処理場の排水口からほとばしる水は白く泡立ち、その泡は消えずに長江の支流・嘉陵江の広い水面を覆っている。川岸から離れて丘の方に足をむけると古い体温計工場。ここから漏れ出る水銀で土壌が汚染されているのか、畑一面のキャベツが植わったまま腐っていた。
まるでレイチェル・カーソンの「沈黙の春」の世界だ。だが中国の地方ではこんな状況は、特に珍しくもない。だから人々に危機感はみじんもなくて、近くの食堂に入れば女たちはせかせかと給仕にいそしみ、男たちが酒を飲みながら火鍋をつつくそばで子供が遊ぶ。その魚はどこから、と聞くのも恐ろしくて、私も黙って注文した料理にはしをつけた。
このほど東京で行われた日中首相会談では日中の省エネ・環境協力が強く打ち出された。だがあの汚染末期症状を思い返すと、わずかばかり技術協力がどれほど役にたつのかとも思う。
■深刻な汚染状況
いまさらだが、中国の環境汚染は相当ひどい。目下の公式データでは、全国70%の河川が汚染され、40%が使用不可能、都市の地下水の95%以上が汚染され、国土の3分の1に酸性雨が降る。工場排水やゴミ、農薬、化学肥料などによる土壌汚染は耕地の10%以上で、その経済損失は年間200億元。
最近は、汚染の人体への影響も注目されており、全国で年間1500万人の気管支炎、2・3万人の呼吸器系疾患、1・3万人の心臓病死が環境とかかわりがあるといわれる。鉛中毒症の児童は全国に20万人以上、都市の夫婦の1割が不妊や異常出産に苦しみ、全国200万人のがんによる死者の7割について環境汚染との因果関係を指摘する医師もいる。こういった内容は新華社系雑誌など中央メディアが報じたものだ。
日本も振り返れば、水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく…と、世界にまれに見る大規模公害を高度経済成長期に経験した。えらそうに言うつもりはない。ただあんなすさまじい悲劇はもう、どこの国であろうと起こってほしくない。そのために、日本ができることをする、というなら国民としておおいに支持したい。
だが、現場で感じた人々の意識の低さに一抹の不安を感じる。中央政府は環境保護に熱心らしいが、住民があんな状況では、いくら技術や金を投入しても、どぶに投げ込むようなものではなかろうか、と。
■技術と意識改革
日本の今の高水準の環境技術と環境意識は、公害裁判という長く厳しい闘いの中で築かれたものだろう。住民が団結し粘り強く戦い、巨大権力である大企業や地方自治体・国に反省を迫ったプロセスが国民の環境意識を鍛えた。それを可能にしたのは、曲がりなりにも司法が独立し、体制批判報道の自由がマスコミに与えられていた日本の民主主義システムのおかげであった。
関係筋によれば、中国政府も公害裁判関連の法整備を考えているという。中国でも企業が巨額の賠償金という傷みを経験しなければ、状況は変わらないという意見は多い。しかし、デモや集会、報道の自由もなく、共産党の指導に従ってしか機能しない司法のもとで、あの複雑な公害裁判が行えるのか。
そう考えると、真の日中環境保護協力とは、技術や資金の提供だけでなく、中国の政治改革に向けた適切なアドバイスも含まれるべきではないのか、と思うのだ。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/47781/
●ケイさん中文語録 | ・支那人/中国人が住み着いた所は必ず禿げる。
≪中国人が住み着いた所はすぐ禿げる≫
支那大陸は日本の面積の約25倍強もある広大な地域だ。 しかし自然環境は極めて貧しい。 大部分は不毛の土地である。 まず気候である。 北部は冬季になると極寒かつ恐ろしいほどの乾燥地獄になる。 西部は降水現象のない砂漠である。 中東部は黄河という暴れ河が縦横している。 かつてひとたび黄河が氾濫すると数万・数十万単位で死人が出た程の暴れ河である。 南東部が僅かに緑地帯となっている。 以上は人造衛星から眺めると一目瞭然である。 木が無ければ水は降らないし溜まらない。 中国大陸の水が極悪なのはこれが原因である。 そして中国には木造家屋が無い理由でもある。 建造物は悉くが泥と石の塊であり寒々とする。
では何故中国人 (漢族) が住み着くと土地が禿げるのか?
理由は彼らは我先を争って樹木を伐採してしまうからである。 労働の対価として薪と水の時代が長いこと続いた。 そのくらい木と水は貴重だったのである。 中国で給金のことを現代でも『薪水/xin1 shui3 (シンシュイ)』と言うのはその名残である。
いま北京一帯は砂漠化へと進んでいる。 毎年春の黄砂現象は深刻になる一方である。 記録的といわれた1990年4月の砂塵嵐もいまでは並嵐である。 一瞬のうちに空は暗黒となり突風が吹き荒れてくる。 そして砂塵が吹き狂う。 車は前照灯無しでは無論走れない。 ありとあらゆる物体は砂埃の攻撃の的になる。 人は全身砂まみれ、商品も塵まみれ、食品はジャリジャリ。 吹き溜まりはあっという間に数十センチの黄色い砂山が出現する。 砂というより粉・塵である。 それを片付けるのには人工の労力を要する。 無駄な使役である。
漢族中国人がしない植林をヴォランティアーでせっせとやっている日本人が居る様だが焼け石に水であろう。 ひとたび反乱・戦乱が始まれば元の木阿弥、支那人民は即刻盗賊・夜盗に変貌して禿山になるからである。 『百八の湖が有れば百八の賊有り、千の山が有れば千の匪有り』 という中禍民賊 の住む国である。 これが 『中共は国ぐるみで強盗を働く国』 だと言われる由縁である。 為政者、共産党、共産軍、公安警察、個人経営者から親子親類兄弟全員で毎日騙し合い罵り合いをやっている臨戦体制国家である。 強盗・破落戸国家の面目躍如である。 古生代・中世代なら樹木だけで済んでいたものが近代では、鉄道線路・高圧電線・避雷針導線・高速道路路肩のガードレイル・上下水道管・宇宙技術・意匠デザイン・電脳ソフトコンテンツ・街路灯の電球・公共水道の蛇口・他人の金庫や財布・政府公金・外国籍投資者の資金・・・ありとあらゆる物が盗みの対象である。 とにかく形のある物、持てる物なら何でも盗むし、喰える物なら犬でも猫でも人でも喰ってしまう野蛮な民族なのである (笑)。 先を争ってむさぼる様にして飲食する漢人の食事風景を見ると禽獣を彷彿とさせるのはこの所為である。 顔で笑って尻で罵ることを同時に出来るのが漢族なのである。 それでも尚中国に尾っぽを振っている日本人は、聞く耳を持たないのではなく聞きたくないだけなのだろう。 お気の毒様と而言(しかいう)。
日本の会社員の営業マンが 『奴が通った跡にはペンペン草も生えない』 (根こそぎ持っていかれる) と言われて一喜一憂することは無い、本義から言うと貶されているのである。 アラブ・印度系の世界で言われている 『中国人が通った跡はペンペン草も生えない』 というのは全くの貶し言葉なのである。 ちなみに 『日本人が通ると神社と学校が出来る』 と戦前に言われていたそうである (笑)。
http://kaythai.blog60.fc2.com/blog-entry-75.html
●中国での工場管理は苦労だらけ Yahoo!ブログ - 台湾春秋
まず驚かされたのは、現場作業員と、事務・技術・経理などの間接スタッフの隔絶である。極端に言えば、人種が違うくらいの感覚だ。
中国では農民戸籍と都市住民戸籍が、厳然と区別されている。間接スタッフは基本的に北京市内の住民で、現場ワーカーは周辺地域の農民である。市民が農民をバカにすること甚だしい。現場でも、この差別感覚を実感することが多い。
部下の倉庫作業者が大怪我をした。そのとき中国人の副部長が言ったことは、“彼は農民だから、部長が心配することはない”。ある現場労働者がオートバイ事故で亡くなった。“葬式に出たい”というと、“相手は農民だから行くな。絶対補償金を出せという話になる”と。
こうなると、もう同じ中国人という感じはない。北京市政府幹部の奥さんが、“農民と工場労働者は目先のことしか関心がなくて汚い。人間のクズです“と言う。実際にその通りと思われる部分もある。工場の備品やトイレットのパーパーも、すぐなくなる。
http://blogs.yahoo.co.jp/kim123hiro/46246468.html
●北極地政学と倉前盛通氏の「新新ハートランド理論」から見た内モンゴルの砂漠化問題の重要性
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/adfa118b9ea20a88c9940ee73c56c7d7
【私のコメント】
世界で環境汚染問題を最も深刻に受け止めている人々は中国の都市住民ではないだろうか?彼らの飲み水を取水する河川の上流では、多数の工場が汚水を垂れ流している。汚水を処理せずそのまま流せば、処理費用が節約できて儲かる。集団の利益を重視する日本ですら公害問題が叫ばれるまでは処理問題が重視されなかった事を考えれば、集団の利益を無視して徹底的に個人に利益を追求する中国の国民性から考えて、工場が自主的に環境保護に投資することはあり得ないだろう。
中国の環境問題は、水資源の受益者である下流の大都市が上流の自治体に対して環境保護を要求し、植林による緑化や工場排水処理を実行させ、その進度に応じて自治体に報奨金を支払う、更に植林労働者への給与も支払うという形式が最も有効であると想像する。禿げ山に植林すると金が貰えると知った中国の農民は争って植林を始め、命懸けで盗伐者と戦うようになるかもしれない。具体的には上海都市圏が揚子江流域全体を、広州経済圏が珠江流域全体を支えることになる。植林運動は中国の農村に新たな職を生み出して大都市への出稼ぎの必要性を減少させると共に、都市部が支払った金が消費に廻って経済成長を生み出す効果も期待できる。緑化の進度を計測するという明目で大卒者向けの職を増やすこともできるだろう。
この案は、従来政府に多くの金を吸い上げられる一方であった上海が、自己の利益のために資金を使えるという点で上海の政治的勝利という側面がある。そして、最も砂漠化が深刻な黄河流域~華北平原では、黄河の断流のために下流の大都市が地下水に依存する傾向があり、従って黄河上流域の緑化運動を求める声が揚子江や珠江よりも弱くなると想像される。
これは根拠のない私の想像だが、現在の中国政府は黄河上流域や内モンゴルの砂漠化を故意に推進しているのではないかと思う。砂漠化により近い将来に北京は砂に埋まって無人地帯となり、内モンゴルも農耕が不可能になって漢民族が大量に脱出する。中国人は集団の利益より個人の利益、目先の利益を追求する性格が染みついており、黄河上流域や内モンゴルの環境を守るには漢民族の農民を地域から追放する以外に解決策は存在しないからだ。また、砂漠が北京を飲み込み黄海沿岸に達すれば、満州と中国本土は砂漠で切り離され、それによって中国本土がロシアに与える脅威を小さくすることもできる。
日本人や極東のロシア人は、利己主義的な中国人の巨大な人口を非常に恐れている。しかし、中国の都市部の住民は日本人や極東ロシア人よりも遙かに頻繁に中国の農村出身出稼ぎ者と接しており、上流の地域の環境汚染の悪影響をもろに受ける立場にある。上海などの都市部住民は日本人やロシア人よりもずっと中国人の巨大な人口を恐れているのではないだろうか。そう考えると、日露両国の代理人として上海・広州などの沿海部大都市が中国の農民の意識を改善してくれる、というシナリオは十分考えられるだろう。
町に充満する刺激臭に吐き気を覚えた。昨年末、重慶市を訪れたときのこと。製薬工場の汚水処理場の排水口からほとばしる水は白く泡立ち、その泡は消えずに長江の支流・嘉陵江の広い水面を覆っている。川岸から離れて丘の方に足をむけると古い体温計工場。ここから漏れ出る水銀で土壌が汚染されているのか、畑一面のキャベツが植わったまま腐っていた。
まるでレイチェル・カーソンの「沈黙の春」の世界だ。だが中国の地方ではこんな状況は、特に珍しくもない。だから人々に危機感はみじんもなくて、近くの食堂に入れば女たちはせかせかと給仕にいそしみ、男たちが酒を飲みながら火鍋をつつくそばで子供が遊ぶ。その魚はどこから、と聞くのも恐ろしくて、私も黙って注文した料理にはしをつけた。
このほど東京で行われた日中首相会談では日中の省エネ・環境協力が強く打ち出された。だがあの汚染末期症状を思い返すと、わずかばかり技術協力がどれほど役にたつのかとも思う。
■深刻な汚染状況
いまさらだが、中国の環境汚染は相当ひどい。目下の公式データでは、全国70%の河川が汚染され、40%が使用不可能、都市の地下水の95%以上が汚染され、国土の3分の1に酸性雨が降る。工場排水やゴミ、農薬、化学肥料などによる土壌汚染は耕地の10%以上で、その経済損失は年間200億元。
最近は、汚染の人体への影響も注目されており、全国で年間1500万人の気管支炎、2・3万人の呼吸器系疾患、1・3万人の心臓病死が環境とかかわりがあるといわれる。鉛中毒症の児童は全国に20万人以上、都市の夫婦の1割が不妊や異常出産に苦しみ、全国200万人のがんによる死者の7割について環境汚染との因果関係を指摘する医師もいる。こういった内容は新華社系雑誌など中央メディアが報じたものだ。
日本も振り返れば、水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく…と、世界にまれに見る大規模公害を高度経済成長期に経験した。えらそうに言うつもりはない。ただあんなすさまじい悲劇はもう、どこの国であろうと起こってほしくない。そのために、日本ができることをする、というなら国民としておおいに支持したい。
だが、現場で感じた人々の意識の低さに一抹の不安を感じる。中央政府は環境保護に熱心らしいが、住民があんな状況では、いくら技術や金を投入しても、どぶに投げ込むようなものではなかろうか、と。
■技術と意識改革
日本の今の高水準の環境技術と環境意識は、公害裁判という長く厳しい闘いの中で築かれたものだろう。住民が団結し粘り強く戦い、巨大権力である大企業や地方自治体・国に反省を迫ったプロセスが国民の環境意識を鍛えた。それを可能にしたのは、曲がりなりにも司法が独立し、体制批判報道の自由がマスコミに与えられていた日本の民主主義システムのおかげであった。
関係筋によれば、中国政府も公害裁判関連の法整備を考えているという。中国でも企業が巨額の賠償金という傷みを経験しなければ、状況は変わらないという意見は多い。しかし、デモや集会、報道の自由もなく、共産党の指導に従ってしか機能しない司法のもとで、あの複雑な公害裁判が行えるのか。
そう考えると、真の日中環境保護協力とは、技術や資金の提供だけでなく、中国の政治改革に向けた適切なアドバイスも含まれるべきではないのか、と思うのだ。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/47781/
●ケイさん中文語録 | ・支那人/中国人が住み着いた所は必ず禿げる。
≪中国人が住み着いた所はすぐ禿げる≫
支那大陸は日本の面積の約25倍強もある広大な地域だ。 しかし自然環境は極めて貧しい。 大部分は不毛の土地である。 まず気候である。 北部は冬季になると極寒かつ恐ろしいほどの乾燥地獄になる。 西部は降水現象のない砂漠である。 中東部は黄河という暴れ河が縦横している。 かつてひとたび黄河が氾濫すると数万・数十万単位で死人が出た程の暴れ河である。 南東部が僅かに緑地帯となっている。 以上は人造衛星から眺めると一目瞭然である。 木が無ければ水は降らないし溜まらない。 中国大陸の水が極悪なのはこれが原因である。 そして中国には木造家屋が無い理由でもある。 建造物は悉くが泥と石の塊であり寒々とする。
では何故中国人 (漢族) が住み着くと土地が禿げるのか?
理由は彼らは我先を争って樹木を伐採してしまうからである。 労働の対価として薪と水の時代が長いこと続いた。 そのくらい木と水は貴重だったのである。 中国で給金のことを現代でも『薪水/xin1 shui3 (シンシュイ)』と言うのはその名残である。
いま北京一帯は砂漠化へと進んでいる。 毎年春の黄砂現象は深刻になる一方である。 記録的といわれた1990年4月の砂塵嵐もいまでは並嵐である。 一瞬のうちに空は暗黒となり突風が吹き荒れてくる。 そして砂塵が吹き狂う。 車は前照灯無しでは無論走れない。 ありとあらゆる物体は砂埃の攻撃の的になる。 人は全身砂まみれ、商品も塵まみれ、食品はジャリジャリ。 吹き溜まりはあっという間に数十センチの黄色い砂山が出現する。 砂というより粉・塵である。 それを片付けるのには人工の労力を要する。 無駄な使役である。
漢族中国人がしない植林をヴォランティアーでせっせとやっている日本人が居る様だが焼け石に水であろう。 ひとたび反乱・戦乱が始まれば元の木阿弥、支那人民は即刻盗賊・夜盗に変貌して禿山になるからである。 『百八の湖が有れば百八の賊有り、千の山が有れば千の匪有り』 という中禍民賊 の住む国である。 これが 『中共は国ぐるみで強盗を働く国』 だと言われる由縁である。 為政者、共産党、共産軍、公安警察、個人経営者から親子親類兄弟全員で毎日騙し合い罵り合いをやっている臨戦体制国家である。 強盗・破落戸国家の面目躍如である。 古生代・中世代なら樹木だけで済んでいたものが近代では、鉄道線路・高圧電線・避雷針導線・高速道路路肩のガードレイル・上下水道管・宇宙技術・意匠デザイン・電脳ソフトコンテンツ・街路灯の電球・公共水道の蛇口・他人の金庫や財布・政府公金・外国籍投資者の資金・・・ありとあらゆる物が盗みの対象である。 とにかく形のある物、持てる物なら何でも盗むし、喰える物なら犬でも猫でも人でも喰ってしまう野蛮な民族なのである (笑)。 先を争ってむさぼる様にして飲食する漢人の食事風景を見ると禽獣を彷彿とさせるのはこの所為である。 顔で笑って尻で罵ることを同時に出来るのが漢族なのである。 それでも尚中国に尾っぽを振っている日本人は、聞く耳を持たないのではなく聞きたくないだけなのだろう。 お気の毒様と而言(しかいう)。
日本の会社員の営業マンが 『奴が通った跡にはペンペン草も生えない』 (根こそぎ持っていかれる) と言われて一喜一憂することは無い、本義から言うと貶されているのである。 アラブ・印度系の世界で言われている 『中国人が通った跡はペンペン草も生えない』 というのは全くの貶し言葉なのである。 ちなみに 『日本人が通ると神社と学校が出来る』 と戦前に言われていたそうである (笑)。
http://kaythai.blog60.fc2.com/blog-entry-75.html
●中国での工場管理は苦労だらけ Yahoo!ブログ - 台湾春秋
まず驚かされたのは、現場作業員と、事務・技術・経理などの間接スタッフの隔絶である。極端に言えば、人種が違うくらいの感覚だ。
中国では農民戸籍と都市住民戸籍が、厳然と区別されている。間接スタッフは基本的に北京市内の住民で、現場ワーカーは周辺地域の農民である。市民が農民をバカにすること甚だしい。現場でも、この差別感覚を実感することが多い。
部下の倉庫作業者が大怪我をした。そのとき中国人の副部長が言ったことは、“彼は農民だから、部長が心配することはない”。ある現場労働者がオートバイ事故で亡くなった。“葬式に出たい”というと、“相手は農民だから行くな。絶対補償金を出せという話になる”と。
こうなると、もう同じ中国人という感じはない。北京市政府幹部の奥さんが、“農民と工場労働者は目先のことしか関心がなくて汚い。人間のクズです“と言う。実際にその通りと思われる部分もある。工場の備品やトイレットのパーパーも、すぐなくなる。
http://blogs.yahoo.co.jp/kim123hiro/46246468.html
●北極地政学と倉前盛通氏の「新新ハートランド理論」から見た内モンゴルの砂漠化問題の重要性
http://blog.goo.ne.jp/princeofwales1941/e/adfa118b9ea20a88c9940ee73c56c7d7
【私のコメント】
世界で環境汚染問題を最も深刻に受け止めている人々は中国の都市住民ではないだろうか?彼らの飲み水を取水する河川の上流では、多数の工場が汚水を垂れ流している。汚水を処理せずそのまま流せば、処理費用が節約できて儲かる。集団の利益を重視する日本ですら公害問題が叫ばれるまでは処理問題が重視されなかった事を考えれば、集団の利益を無視して徹底的に個人に利益を追求する中国の国民性から考えて、工場が自主的に環境保護に投資することはあり得ないだろう。
中国の環境問題は、水資源の受益者である下流の大都市が上流の自治体に対して環境保護を要求し、植林による緑化や工場排水処理を実行させ、その進度に応じて自治体に報奨金を支払う、更に植林労働者への給与も支払うという形式が最も有効であると想像する。禿げ山に植林すると金が貰えると知った中国の農民は争って植林を始め、命懸けで盗伐者と戦うようになるかもしれない。具体的には上海都市圏が揚子江流域全体を、広州経済圏が珠江流域全体を支えることになる。植林運動は中国の農村に新たな職を生み出して大都市への出稼ぎの必要性を減少させると共に、都市部が支払った金が消費に廻って経済成長を生み出す効果も期待できる。緑化の進度を計測するという明目で大卒者向けの職を増やすこともできるだろう。
この案は、従来政府に多くの金を吸い上げられる一方であった上海が、自己の利益のために資金を使えるという点で上海の政治的勝利という側面がある。そして、最も砂漠化が深刻な黄河流域~華北平原では、黄河の断流のために下流の大都市が地下水に依存する傾向があり、従って黄河上流域の緑化運動を求める声が揚子江や珠江よりも弱くなると想像される。
これは根拠のない私の想像だが、現在の中国政府は黄河上流域や内モンゴルの砂漠化を故意に推進しているのではないかと思う。砂漠化により近い将来に北京は砂に埋まって無人地帯となり、内モンゴルも農耕が不可能になって漢民族が大量に脱出する。中国人は集団の利益より個人の利益、目先の利益を追求する性格が染みついており、黄河上流域や内モンゴルの環境を守るには漢民族の農民を地域から追放する以外に解決策は存在しないからだ。また、砂漠が北京を飲み込み黄海沿岸に達すれば、満州と中国本土は砂漠で切り離され、それによって中国本土がロシアに与える脅威を小さくすることもできる。
日本人や極東のロシア人は、利己主義的な中国人の巨大な人口を非常に恐れている。しかし、中国の都市部の住民は日本人や極東ロシア人よりも遙かに頻繁に中国の農村出身出稼ぎ者と接しており、上流の地域の環境汚染の悪影響をもろに受ける立場にある。上海などの都市部住民は日本人やロシア人よりもずっと中国人の巨大な人口を恐れているのではないだろうか。そう考えると、日露両国の代理人として上海・広州などの沿海部大都市が中国の農民の意識を改善してくれる、というシナリオは十分考えられるだろう。
一方的に侵略と言われるのには違和感があります。
暴露されたCIA (キシンジャーの秘密)
2007-04-16 15:32:17
江田島孔明はキシンジャーの部下だ-1
2007-04-14 / Weblog
江田島孔明氏はフリーの国際情勢評論家と言うふれ込みだが?
1.核武装論はユダヤの参謀キシンジャーと江田島孔明は同時期に喚くが?
http://blog.goo.ne.jp/kitaakari1948_1948/d/20070414
http://www.teamrenzan.com/archives/writer/omnibus/post_248.html
日本人った阿呆やったのね