●中国の国民貯蓄率はなぜ高いのか 張 明 季刊中国資本市場研究 2008 Spring
要約:
1.近年、中国の国内貯蓄率が高止まりしている原因は、個人貯蓄率が高いことだけではなく、政府貯蓄や企業貯蓄も関係している。歪められた所得税制度の下では、賃金所得の伸びが遅れており、国民所得の分配では、個人より政府や企業が優先されている。政府や企業の消費性向が個人より低いのは当然であり、偏った分配は政府や企業の貯蓄率を押し上げている。
2.その上、各部門間の貯蓄が互いに代替できていないことも、貯蓄率を押し上げている。多くの制度上の欠陥により、政府と企業の貯蓄が増えても、個人の将来への不安は解消されず、個人の貯蓄率の低下にはつながっていない。
3.貯蓄率を引き下げるためには、①所得分配制度を改革し、政府や企業部門ではなく、個人部門により多くの国民所得を振り分けること、②教育・医療・社会保障など社会公共サービスに対する政府投資の拡大を急ぐこと、③国有企業が政府に対して配当を行う制度を早期に実行し、上場会社が定期的に配当するという制度や習慣を確立し、民間企業の外部資金調達のルートを拡大すること、が求められる。
Ⅰ.注目される貯蓄の動向
最近、中国のマクロ経済が直面する問題に対して、その原因を貯蓄率の高さに求める論調が多い。経常収支の黒字は、国内の貯蓄が投資を上回った結果であるとみられている。例えば、2005年の国内貯蓄率(対GDP比)は48.1%、国内投資額は同42.6%で、その結果として、商品・サービスの純輸出額はGDPの5.5%に達した。過去2年間、経常収支の黒字のGDPに対する割合は高まり続けているが、このことは国内貯蓄率と国内投資率の差がさらに拡大した現れであると見なされている。
国内投資率が高すぎるかどうかについては、現在も意見が分かれている。しかし、貯蓄率が世界的に見ても高水準にあることは、議論の余地のない事実である。このため、人々は問題の原因を貯蓄率の高さに転嫁する。貯蓄率さえ下げれば経常収支の黒字が縮小し、ひいては過剰流動性やインフレ、資産価格を抑える抜本的な手段になると考えるのである。
消費は貯蓄の鏡であるため、多くの人が貯蓄率の高さを消費の不足だと捉え、消費を拡大すれば貯蓄を減らすことができると考えている。しかし、こうした見方は表面的すぎると私は考える。高い貯蓄率の原因について、より踏み込んだ分析をしなければ、提案する政策は緻密さを欠いた、実効性に乏しいものになってしまう。
Ⅱ.いずれも高い各部門の貯蓄率
中国の高い貯蓄率の原因を分析するには、各部門の貯蓄率という視点から国内貯蓄率を読み解く必要がある。国の貯蓄は、個人貯蓄、政府貯蓄、企業貯蓄といった部門に分けられる。重視すべき点は、各部門の間で、貯蓄の定義が全く異なることである。個人貯蓄は、個人の可処分所得から個人消費を引いた額に等しい。政府貯蓄は、政府の可処分所得から政府消費を引いた額に等しい。企業貯蓄は企業の内部留保に等しいが、これは企業が消費行動を行わず、投資しか行わないことが理由である。
部門別の貯蓄率という観点から、中国の高い貯蓄率をみると、個人貯蓄率の国内貯蓄率への寄与が近年では下降し続ける一方、政府貯蓄率や企業貯蓄率の寄与が上昇し続けている。つまり、近年、中国の国内貯蓄率が高止まりしている原因は、高すぎる個人貯蓄率だけではなく、政府貯蓄や企業貯蓄も関係しているのである。世界銀行のエコノミストであるKuijs氏の試算によれば、2003年の中国の個人貯蓄、政府貯蓄、企業貯蓄がGDPに占める割合は、それぞれ16.6%、7.0%、18.9%であった。
東アジア諸国・地域は貯蓄率の高い経済主体の典型と考えられている。部門別の貯蓄率についてこれらの国々を比較したところ、次のような興味深い事実が明らかになった。
まず、2004年以前、中国の部門別の貯蓄率はいずれも東アジアの中で最も高いわけではなかったが、全体の貯蓄率でみると最も高かった。
また、他の東アジア諸国・地域の場合、1つないし2つの部門で貯蓄率が高いが、残りの部門の貯蓄率は低い水準にあった。例えば、日本では企業貯蓄率は高いが、個人貯蓄率や政府貯蓄率は相対的に低い。韓国では、政府貯蓄率や企業貯蓄率は高いが、個人貯蓄率は相対的に低い。シンガポールでは、個人貯蓄率や政府貯蓄率は高いが、企業貯蓄率は相対的に低い。一方、中国の貯蓄率は3部門のすべてが高い水準にある。これこそ、中国の国内貯蓄率が高止まりしている根本的な原因である。
Ⅲ.代替性の低い部門間の貯蓄
上述の特徴的な事実から、中国の高い貯蓄率について、所得分配という背景を踏まえつつ、各部門の貯蓄が互いに代替可能であるかを中心に分析することができる。こうした枠組みは、現在の中国の高い貯蓄率の原因を、より適切に説明できると思われる。
突き詰めて考えてみると、中国の高い貯蓄率の問題は、所得分配の問題であると言える。歪められた所得税制度の下では、賃金水準の伸びが遅れており、国民所得の分配では、政府や企業という個人以外の部門が偏重されている。政府や企業の消費性向が個人より低いのは当然であり、偏った分配は政府や企業の貯蓄率を押し上げている。
次に、中国の国内貯蓄率の高止まりの最も重要な原因として、各部門間の貯蓄を互いに代替できない点が挙げられる。
まず、中国では、個人貯蓄と政府貯蓄は互いに代替できていない。リカードの等価定理に照らせば、政府がある年度に消費支出を減らした場合(政府の貯蓄率は増加)、合理的な個人は、政府が将来的に税金を引き下げるだろうと予測し、当年度の消費を増やすことになる(個人の貯蓄率は低下)。逆もまた同様である。つまり理論上は、政府貯蓄と個人貯蓄は、相互に代替が可能である。
しかし、中国の実情を見ると、政府の消費支出が低く、特に教育や医療、社会保障などへの支出が限られているため、個人の間では将来の生活に対する不安が広がっており、これに備えることが貯蓄の強い動機となっている。こうした状況のもとで、政府貯蓄と個人貯蓄が相互に置き換えられるというメカニズムは、機能していないのである。
また、中国の個人貯蓄と企業貯蓄も互いに代替することができない。先進国であれば、多くの個人が企業の株式を保有しており、企業が配当を見送った場合(企業の貯蓄率は上昇)、合理的な個人は企業貯蓄の増加が将来の株価上昇につながると考え、所得向上を見込んで当年度の消費を拡大する(個人の貯蓄率は下降)。逆もまた同様である。このように、理論上は個人貯蓄と企業貯蓄は相互に置き換えることができる。
しかし、中国の企業には出資形態を問わず、配当という習慣がない。国有企業の場合、1994年の税制改革以降、国への配当を行っていない。上場会社の場合でも、配当という習慣が定着しておらず、連続して配当を出す上場会社の比率は極めて低い。株式の追加発行に際して、証券監督管理委員会の規定を満たすために“不本意ながら”配当を出している程度である。民間企業の場合、外部からの資金調達が少なく、自らの蓄積で再生産をまかなう必要があり、配当を行う動機がない。中国では、企業は一般的に、個人への配当を行わず、個人による株保有も低い水準にとどまっている。企業価値と個人資産との関連性は分断されており、企業貯蓄と個人貯蓄の代替メカニズムが機能していない。
さらに、中国の政府貯蓄と企業貯蓄も互いに代替できていない。先進国であれば、国有企業は定期的に政府へ配当を行うため、政府貯蓄と企業貯蓄の間には、個人貯蓄と企業貯蓄との間と同様の代替メカニズムが存在する。しかし、すでに述べた通り、中国では国有企業が政府に配当を行わないため、政府貯蓄と企業貯蓄の間の代替メカニズムが機能していないのである。
以上を総合すると、中国においては一連の制度的要因によって、部門別の貯蓄率の間では代替メカニズムが機能しておらず、これが国内貯蓄率の高止まりにつながっている。
Ⅳ.貯蓄率を引き下げるための方策
では、いかにして中国の高い貯蓄率を引き下げるべきだろうか。これまでに述べた大枠を踏まえれば、提案すべき政策ははっきりしている。
まず、所得分配制度を改革し、政府や企業部門ではなく、個人部門により多くの国民所得を振り分けることである。
次に、教育・医療・社会保障など社会公共サービスに対する政府支出の拡大を急ぐことである。これにより、政府の貯蓄率を下げることができる上、個人のリスク対応のための貯蓄性向を減らすことができ、個人貯蓄率を引き下げることができる。同時に、政府貯蓄と個人貯蓄の代替メカニズムの回復にも役立つ。
最後に、国有企業が政府に対して配当を行う制度を早期に実行し、上場会社が定期的に配当するという制度を確立し、民間企業の外部資金調達のルートを拡大することである。これは単に企業貯蓄率の引き下げに役立つだけでなく、企業貯蓄率と個人貯蓄率、企業貯蓄率と政府貯蓄率の間の代替メカニズムの強化にもつながるのである。
http://www.tcf.or.jp/jp/data/publications/CCMR-2-1_SPR2008_03.pdf
●中国―驚くべき銀行融資と家計貯蓄率の実態 | 時評コラム | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉
日本をはるかに上回る中国の家計貯蓄率
日本とは違う中国のすごさをもう一つ示そう。それは家計の貯蓄率だ。下の図を見ていただきたい。日本と中国の家計貯蓄率の推移をグラフにしたものである。
中国の2008年一般家計貯蓄率は28.8%と過去最高となった。日本はここ数年3%台を推移している。ここでわれわれは新しい情報をインプットし、旧態依然としたイメージを改める必要がありそうだ。
1.日本は貯蓄性向が高い。これは間違いである。
2.米国は貯蓄性向が低い。これも間違いである。
3.日本と中国は貯蓄率が高く消費が十分ではない:消費が十分でない点は正しいが、貯蓄に関しては10倍近い開きが出てきた。
家計貯蓄率とは、可処分所得に対する貯蓄の割合である。日本の家計貯蓄率は、1980年代には18%あった。それが次第に落ちてきて、上のグラフにもあるように1990年代末には10%を割り込み、いまや3%台となってしまった。この低下の原因は二つある。一つは、家計に余力がないこと。もう一つは、高齢化社会のため年金所得から貯蓄に回る額が少なくなっていることだ。
中国は日本ほど高齢化が進んでいない。まだ社会そのものが若いといえる。そして、社会保障制度が未整備であるため将来への不安が根強く、景気の冷え込みで一挙に貯蓄意識が高まったのだ。企業が稼いだお金が家計に回りにくい構造が改善していないという背景もあるだろう。ちょうど昔の日本のように「将来に備えて貯蓄をしましょう」という感じだ。日本のピークは1975年の23%強だが、中国はそれより高く、ぐんぐん伸びて、いまや28%を超える家計貯蓄率となっている。
「われわれ日本は貯蓄ばかりしている国だ」といってきたけれども、いまでは貯蓄額はともかくとして、毎月貯蓄に回す貯蓄性向は非常に小さくなっているのが実態だ。貯蓄総額という意味では、たしかに個人金融資産はたくさんある。しかしそれも今回の株式市場の急落で140兆円くらい失われて、もはや1500兆円というよりは1400兆円台と情報修正しておいたほうが良い。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090428/149784/?P=3
●生産能力過剰の深刻化 57兆円刺激策で裏目に-中国 2009/09/09(水) [サーチナ]
中国国家発展・改革委員会(発改委)の張平主任は8月25日、全国人民代表大会(全人代)常務委員会に対して、経済運営の報告を行った。このとき張主任は、外需の落込みと4兆元(約57兆円)の経済対策の結果、中国に深刻な生産能力過剰問題が発生していることを明らかにしたのである。
彼によれば、「外需の急激な低下により、生産能力過剰問題が突出している。2008年末までにわが国の粗鋼生産能力は6.6億トンに達したが、内需は5億トンに満たない。セメントの生産能力は18.7億トンであるが、内需は14-15億トンにすぎない。電解アルミ、石炭化学工業、板ガラス、苛性ソーダも深刻な過剰である」
なお、この点につき工業・情報化部の朱宏任総工程師も、「現在、鉄鋼業は生産能力過剰が1億トンを超えているのに、今年の新規プロジェクト着工は前年同期比20%前後増えている。セメントの生産能力過剰は3億トンに近いのに、建設中の生産ラインは200を超えており、新たに増える生産能力は2億トンを超える。アルミ精錬業の生産能力利用率は65%前後にすぎないのに、建設中の酸化アルミ・電解アルミの生産能力はそれぞれ560万トン・200万トンである。このほか、造船、化学工業、板ガラス等の業種もかなり深刻な生産能力過剰問題が存在し、太陽エネルギー・風力エネルギー等の新産業の重複建設、無秩序な立ち上げ問題も軽視できない」としている
この状況を受け、8月26日に国務院常務会議が召集され、一部業種の生産能力過剰と重複建設の抑制、産業の健全な発展について検討された。ここでは、以下の2点が決定されている。
(1)現在、構造調整政策の効果は初歩的に現われており、企業の生産経営の困難状況はある程度緩和され、産業発展は総体として好転している。しかし、一部産業の構造調整の進展が速くなく、一部の業種の生産能力過剰・重複建設問題はなお際立っている。鉄鋼・セメント等生産能力過剰の伝統産業がなお盲目的拡張を行っているのみならず、風力発電・多結晶シリコン等新興産業も重複建設の傾向が現れている。
現在、わが国経済は穏やかに回復に向かうカギとなる時期にあり、科学的発展観を真剣に実施し、成長の維持において構造調整の推進を更に重視し、一部業種の生産能力過剰・重複建設を断固として抑制し、市場の需要に適合したハイテク産業・サービス業を大いに発展させなければならない。調整の方向・程度・テンポをしっかり把握し、経済発展方式を適切に転換し、経済発展の質・効率を高め、経済の全面的に協調し持続可能な発展を促進しなければならない。
(2)増量の抑制と在庫の適正化を結びつけ、分類指導と、維持するものと抑制するものとを区別することを結びつけ、新産業の育成と伝統産業のグレードアップを結びつけ、市場の誘導とマクロ・コントロールを結びつけなければならない。法律・経済・技術・基準・所要の行政手段を総合的に運用し、産業・環境保護・土地・金融政策を協調させ、産業の健全な発展を誘導するために力を合わせなければならない。
当面、鉄鋼・セメント・板ガラス・石炭化学工業・多結晶シリコン・風力発電設備等の業種への指導を重点的に強化しなければならない。
2003年の過剰投資により、2004年末に生産能力の過剰は一時深刻化した。しかし、2005年以降輸出が急増したため、問題が見えなくなっていたのである。しかし、輸出が激減したところに、投資を中心とした経済対策が発動されたため、中国経済の慢性病といえる生産能力過剰問題が再発したのである。指導者たちが、経済成長の維持とともに構造調整の加速を強調する背景には、このような事情がある。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0909&f=column_0909_004.shtml
●「合成の誤謬」なぜ節約・貯蓄が不況を招くのか? プレジデント 2009年9月11日(金)
節約が所得の目減りを招く「合成の誤謬」
「ワンコイン亭主」。昼食代が500円玉1枚のサラリーマンを揶揄する言葉だが、これはもう古い。最近は大手スーパーが300円前後の弁当を売り出すなど、節約志向はさらに進み、価格競争は激しさを増している。小遣いカットに悩まされるご同輩も多いはずだ。
節約は悪いことではないし、商品やサービスを見極めるのは正しいことだろう。しかし、ゆきすぎはいかがなものか。
人口100人の村があるとしよう。ミクロ経済学者は「全員がa円得すれば、村全体の富は100×a円増える」という。しかしマクロ経済学者は、「村全体の富の増加は単純に個々が得した分の合計ではない」と反論する。誰かが得をするということは、別の誰かが自らの富を差し出している可能性があるからだ。
所得のうち、消費に回す割合のことを「消費性向」という。もし消費性向が1(所得のすべてを消費に回す)なら、すべての所得は消費を通して企業の売り上げに転換され、最終的に消費したのと同じ額が所得として自分の懐に戻ってくる。
しかし、消費性向が0.5に下がると、半分のお金は個人の手元に滞留し、世の中に出回るお金の量は減る。その結果、所得も減少を余儀なくされる。そして、その減った所得の半分しか消費しなければ、ますますお金の流れは悪くなり、所得はさらに減少する。
現実の世界を見渡してみよう。ボーナスカットなどで収入が減った今、飲食も、服飾も、繁盛店は低価格帯の店ばかりだ。大胆な値下げを行うことで、ヒットが生まれている。人々は所得の目減りを補えるような消費行動をとるようになり、供給側もそれに合わせた商いを行っている。消費性向の低下が現実に起きているのだ。
消費性向を抑えるのは、貯蓄をしたいから。もちろん貯蓄をするのは悪いことではないし、日本人の美徳といっていいかもしれない。低所得化で貯蓄率は低下傾向にあるが、それでも貯蓄に励むのは「将来の不安に備えたい」「富を増やしたい」という思いからである。
好景気のときには世の中にお金がたくさん動いているから、ある程度貯蓄をしても(消費を抑えても)、所得が減る心配は少ない。金利も高く、株価も上昇するから資産も効率よく増やせる。しかし、不況時に貯蓄を増やすと、低価格のモノばかりを選択することになり、出回るお金は減る。前にも触れたように、景気が悪化して企業業績も振るわず、所得にはね返る。まさに負のスパイラルである。
つまり、個人にとって節約はいいことであっても、すべての人が節約に励むと消費が減って景気は悪化し、それにともない個々人の所得も減ってしまう。言い換えれば、節約で消費を削ることはミクロ経済学者的視点では正しい行為なのだが、マクロ経済学者の視点で考えると、正しい行為とは言い切れなくなる。これを経済用語で「合成の誤謬(ごびゅう)」という。個人にとっては合理的な行動も、多くの人が同じ行動をとると好ましくない結果を招く、という意味である。
銀行にお金を預けると、企業への融資などに回るが、貸し渋りが起きるとお金は滞留して何も生み出さない。企業の資金需要がなくなれば結果は同じである。規制緩和などビジネスチャンスを増やす施策も必要だが、新しいビジネスを生み出す、個々人の「発想」「チャレンジ精神」を喚起していくことも重要だろう。
ビジネスマンの小遣いが減れば、本を読んだり、セミナーに足を運んだりして、発想の土壌をつくる機会も少なくなっていく。仕事帰りに部下を誘って、酒の席で士気を高めることもままならない。「景気対策のために小遣いを増やしてほしい」。そんな切り札で、世の奥様方の財布の紐を緩められないだろうか。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20090911-00000001-president-bus_all
●中国の内需拡大を阻んでいるもの~「アフリカの陥穽」は避けられるのか~ - 中国風
http://blog.goo.ne.jp/huangjinchengjp/e/d2939913afd284f41e71d67cab6865c9
【私のコメント】
中国は貯蓄率が非常に高く、それが膨大な貿易黒字に繋がっている。世界的景気後退の中で、現在の中国に求められているのは内需拡大であり、その為には貯蓄を減らして消費を増やす必要がある。2005年の国内貯蓄率(対GDP比)は48.1%に達しているが、この一部が消費に向かうだけで中国は内需の劇的拡大を成就できるのだ。
しかし、現実には中国の貯蓄率は高止まりしており、内需拡大の障壁であり続けている。この原因を分析したのが冒頭の張 明氏の論文である。それによると、政府の消費支出が低く、特に教育や医療、社会保障などへの支出が限られているため、個人の間では将来の生活に対する不安が広がっており、これに備えることが貯蓄の強い動機となっていること、中国では企業部門や政府部門の貯蓄が多すぎること、各部門の貯蓄が代替できないことが挙げられている。中国の高貯蓄率は構造的なものであることが示されている。
現在はこの高貯蓄率は外貨準備への米国債積み上げと言う形で処理されている。しかし、近い将来に米国が破綻しドルが暴落すると、中国はドルと元のペッグから離脱せざるを得なくなる。欧州も保護主義に向かい、中国は欧米という工業製品の輸出先を失って大恐慌に陥るだろう。十三億という膨大な人口を抱えながら内需を拡大できず輸出に頼るしかないという中国の弱点が、結果的に中国を滅亡させることになるのだ。そして、大恐慌下の中国では上海を筆頭とする沿海地域が北京政府から独立し、社会保障の充実や議会制民主主義の導入を含めた社会民主主義的国家を目指してゆくことになると想像する。
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要約:
1.近年、中国の国内貯蓄率が高止まりしている原因は、個人貯蓄率が高いことだけではなく、政府貯蓄や企業貯蓄も関係している。歪められた所得税制度の下では、賃金所得の伸びが遅れており、国民所得の分配では、個人より政府や企業が優先されている。政府や企業の消費性向が個人より低いのは当然であり、偏った分配は政府や企業の貯蓄率を押し上げている。
2.その上、各部門間の貯蓄が互いに代替できていないことも、貯蓄率を押し上げている。多くの制度上の欠陥により、政府と企業の貯蓄が増えても、個人の将来への不安は解消されず、個人の貯蓄率の低下にはつながっていない。
3.貯蓄率を引き下げるためには、①所得分配制度を改革し、政府や企業部門ではなく、個人部門により多くの国民所得を振り分けること、②教育・医療・社会保障など社会公共サービスに対する政府投資の拡大を急ぐこと、③国有企業が政府に対して配当を行う制度を早期に実行し、上場会社が定期的に配当するという制度や習慣を確立し、民間企業の外部資金調達のルートを拡大すること、が求められる。
Ⅰ.注目される貯蓄の動向
最近、中国のマクロ経済が直面する問題に対して、その原因を貯蓄率の高さに求める論調が多い。経常収支の黒字は、国内の貯蓄が投資を上回った結果であるとみられている。例えば、2005年の国内貯蓄率(対GDP比)は48.1%、国内投資額は同42.6%で、その結果として、商品・サービスの純輸出額はGDPの5.5%に達した。過去2年間、経常収支の黒字のGDPに対する割合は高まり続けているが、このことは国内貯蓄率と国内投資率の差がさらに拡大した現れであると見なされている。
国内投資率が高すぎるかどうかについては、現在も意見が分かれている。しかし、貯蓄率が世界的に見ても高水準にあることは、議論の余地のない事実である。このため、人々は問題の原因を貯蓄率の高さに転嫁する。貯蓄率さえ下げれば経常収支の黒字が縮小し、ひいては過剰流動性やインフレ、資産価格を抑える抜本的な手段になると考えるのである。
消費は貯蓄の鏡であるため、多くの人が貯蓄率の高さを消費の不足だと捉え、消費を拡大すれば貯蓄を減らすことができると考えている。しかし、こうした見方は表面的すぎると私は考える。高い貯蓄率の原因について、より踏み込んだ分析をしなければ、提案する政策は緻密さを欠いた、実効性に乏しいものになってしまう。
Ⅱ.いずれも高い各部門の貯蓄率
中国の高い貯蓄率の原因を分析するには、各部門の貯蓄率という視点から国内貯蓄率を読み解く必要がある。国の貯蓄は、個人貯蓄、政府貯蓄、企業貯蓄といった部門に分けられる。重視すべき点は、各部門の間で、貯蓄の定義が全く異なることである。個人貯蓄は、個人の可処分所得から個人消費を引いた額に等しい。政府貯蓄は、政府の可処分所得から政府消費を引いた額に等しい。企業貯蓄は企業の内部留保に等しいが、これは企業が消費行動を行わず、投資しか行わないことが理由である。
部門別の貯蓄率という観点から、中国の高い貯蓄率をみると、個人貯蓄率の国内貯蓄率への寄与が近年では下降し続ける一方、政府貯蓄率や企業貯蓄率の寄与が上昇し続けている。つまり、近年、中国の国内貯蓄率が高止まりしている原因は、高すぎる個人貯蓄率だけではなく、政府貯蓄や企業貯蓄も関係しているのである。世界銀行のエコノミストであるKuijs氏の試算によれば、2003年の中国の個人貯蓄、政府貯蓄、企業貯蓄がGDPに占める割合は、それぞれ16.6%、7.0%、18.9%であった。
東アジア諸国・地域は貯蓄率の高い経済主体の典型と考えられている。部門別の貯蓄率についてこれらの国々を比較したところ、次のような興味深い事実が明らかになった。
まず、2004年以前、中国の部門別の貯蓄率はいずれも東アジアの中で最も高いわけではなかったが、全体の貯蓄率でみると最も高かった。
また、他の東アジア諸国・地域の場合、1つないし2つの部門で貯蓄率が高いが、残りの部門の貯蓄率は低い水準にあった。例えば、日本では企業貯蓄率は高いが、個人貯蓄率や政府貯蓄率は相対的に低い。韓国では、政府貯蓄率や企業貯蓄率は高いが、個人貯蓄率は相対的に低い。シンガポールでは、個人貯蓄率や政府貯蓄率は高いが、企業貯蓄率は相対的に低い。一方、中国の貯蓄率は3部門のすべてが高い水準にある。これこそ、中国の国内貯蓄率が高止まりしている根本的な原因である。
Ⅲ.代替性の低い部門間の貯蓄
上述の特徴的な事実から、中国の高い貯蓄率について、所得分配という背景を踏まえつつ、各部門の貯蓄が互いに代替可能であるかを中心に分析することができる。こうした枠組みは、現在の中国の高い貯蓄率の原因を、より適切に説明できると思われる。
突き詰めて考えてみると、中国の高い貯蓄率の問題は、所得分配の問題であると言える。歪められた所得税制度の下では、賃金水準の伸びが遅れており、国民所得の分配では、政府や企業という個人以外の部門が偏重されている。政府や企業の消費性向が個人より低いのは当然であり、偏った分配は政府や企業の貯蓄率を押し上げている。
次に、中国の国内貯蓄率の高止まりの最も重要な原因として、各部門間の貯蓄を互いに代替できない点が挙げられる。
まず、中国では、個人貯蓄と政府貯蓄は互いに代替できていない。リカードの等価定理に照らせば、政府がある年度に消費支出を減らした場合(政府の貯蓄率は増加)、合理的な個人は、政府が将来的に税金を引き下げるだろうと予測し、当年度の消費を増やすことになる(個人の貯蓄率は低下)。逆もまた同様である。つまり理論上は、政府貯蓄と個人貯蓄は、相互に代替が可能である。
しかし、中国の実情を見ると、政府の消費支出が低く、特に教育や医療、社会保障などへの支出が限られているため、個人の間では将来の生活に対する不安が広がっており、これに備えることが貯蓄の強い動機となっている。こうした状況のもとで、政府貯蓄と個人貯蓄が相互に置き換えられるというメカニズムは、機能していないのである。
また、中国の個人貯蓄と企業貯蓄も互いに代替することができない。先進国であれば、多くの個人が企業の株式を保有しており、企業が配当を見送った場合(企業の貯蓄率は上昇)、合理的な個人は企業貯蓄の増加が将来の株価上昇につながると考え、所得向上を見込んで当年度の消費を拡大する(個人の貯蓄率は下降)。逆もまた同様である。このように、理論上は個人貯蓄と企業貯蓄は相互に置き換えることができる。
しかし、中国の企業には出資形態を問わず、配当という習慣がない。国有企業の場合、1994年の税制改革以降、国への配当を行っていない。上場会社の場合でも、配当という習慣が定着しておらず、連続して配当を出す上場会社の比率は極めて低い。株式の追加発行に際して、証券監督管理委員会の規定を満たすために“不本意ながら”配当を出している程度である。民間企業の場合、外部からの資金調達が少なく、自らの蓄積で再生産をまかなう必要があり、配当を行う動機がない。中国では、企業は一般的に、個人への配当を行わず、個人による株保有も低い水準にとどまっている。企業価値と個人資産との関連性は分断されており、企業貯蓄と個人貯蓄の代替メカニズムが機能していない。
さらに、中国の政府貯蓄と企業貯蓄も互いに代替できていない。先進国であれば、国有企業は定期的に政府へ配当を行うため、政府貯蓄と企業貯蓄の間には、個人貯蓄と企業貯蓄との間と同様の代替メカニズムが存在する。しかし、すでに述べた通り、中国では国有企業が政府に配当を行わないため、政府貯蓄と企業貯蓄の間の代替メカニズムが機能していないのである。
以上を総合すると、中国においては一連の制度的要因によって、部門別の貯蓄率の間では代替メカニズムが機能しておらず、これが国内貯蓄率の高止まりにつながっている。
Ⅳ.貯蓄率を引き下げるための方策
では、いかにして中国の高い貯蓄率を引き下げるべきだろうか。これまでに述べた大枠を踏まえれば、提案すべき政策ははっきりしている。
まず、所得分配制度を改革し、政府や企業部門ではなく、個人部門により多くの国民所得を振り分けることである。
次に、教育・医療・社会保障など社会公共サービスに対する政府支出の拡大を急ぐことである。これにより、政府の貯蓄率を下げることができる上、個人のリスク対応のための貯蓄性向を減らすことができ、個人貯蓄率を引き下げることができる。同時に、政府貯蓄と個人貯蓄の代替メカニズムの回復にも役立つ。
最後に、国有企業が政府に対して配当を行う制度を早期に実行し、上場会社が定期的に配当するという制度を確立し、民間企業の外部資金調達のルートを拡大することである。これは単に企業貯蓄率の引き下げに役立つだけでなく、企業貯蓄率と個人貯蓄率、企業貯蓄率と政府貯蓄率の間の代替メカニズムの強化にもつながるのである。
http://www.tcf.or.jp/jp/data/publications/CCMR-2-1_SPR2008_03.pdf
●中国―驚くべき銀行融資と家計貯蓄率の実態 | 時評コラム | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉
日本をはるかに上回る中国の家計貯蓄率
日本とは違う中国のすごさをもう一つ示そう。それは家計の貯蓄率だ。下の図を見ていただきたい。日本と中国の家計貯蓄率の推移をグラフにしたものである。
中国の2008年一般家計貯蓄率は28.8%と過去最高となった。日本はここ数年3%台を推移している。ここでわれわれは新しい情報をインプットし、旧態依然としたイメージを改める必要がありそうだ。
1.日本は貯蓄性向が高い。これは間違いである。
2.米国は貯蓄性向が低い。これも間違いである。
3.日本と中国は貯蓄率が高く消費が十分ではない:消費が十分でない点は正しいが、貯蓄に関しては10倍近い開きが出てきた。
家計貯蓄率とは、可処分所得に対する貯蓄の割合である。日本の家計貯蓄率は、1980年代には18%あった。それが次第に落ちてきて、上のグラフにもあるように1990年代末には10%を割り込み、いまや3%台となってしまった。この低下の原因は二つある。一つは、家計に余力がないこと。もう一つは、高齢化社会のため年金所得から貯蓄に回る額が少なくなっていることだ。
中国は日本ほど高齢化が進んでいない。まだ社会そのものが若いといえる。そして、社会保障制度が未整備であるため将来への不安が根強く、景気の冷え込みで一挙に貯蓄意識が高まったのだ。企業が稼いだお金が家計に回りにくい構造が改善していないという背景もあるだろう。ちょうど昔の日本のように「将来に備えて貯蓄をしましょう」という感じだ。日本のピークは1975年の23%強だが、中国はそれより高く、ぐんぐん伸びて、いまや28%を超える家計貯蓄率となっている。
「われわれ日本は貯蓄ばかりしている国だ」といってきたけれども、いまでは貯蓄額はともかくとして、毎月貯蓄に回す貯蓄性向は非常に小さくなっているのが実態だ。貯蓄総額という意味では、たしかに個人金融資産はたくさんある。しかしそれも今回の株式市場の急落で140兆円くらい失われて、もはや1500兆円というよりは1400兆円台と情報修正しておいたほうが良い。
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090428/149784/?P=3
●生産能力過剰の深刻化 57兆円刺激策で裏目に-中国 2009/09/09(水) [サーチナ]
中国国家発展・改革委員会(発改委)の張平主任は8月25日、全国人民代表大会(全人代)常務委員会に対して、経済運営の報告を行った。このとき張主任は、外需の落込みと4兆元(約57兆円)の経済対策の結果、中国に深刻な生産能力過剰問題が発生していることを明らかにしたのである。
彼によれば、「外需の急激な低下により、生産能力過剰問題が突出している。2008年末までにわが国の粗鋼生産能力は6.6億トンに達したが、内需は5億トンに満たない。セメントの生産能力は18.7億トンであるが、内需は14-15億トンにすぎない。電解アルミ、石炭化学工業、板ガラス、苛性ソーダも深刻な過剰である」
なお、この点につき工業・情報化部の朱宏任総工程師も、「現在、鉄鋼業は生産能力過剰が1億トンを超えているのに、今年の新規プロジェクト着工は前年同期比20%前後増えている。セメントの生産能力過剰は3億トンに近いのに、建設中の生産ラインは200を超えており、新たに増える生産能力は2億トンを超える。アルミ精錬業の生産能力利用率は65%前後にすぎないのに、建設中の酸化アルミ・電解アルミの生産能力はそれぞれ560万トン・200万トンである。このほか、造船、化学工業、板ガラス等の業種もかなり深刻な生産能力過剰問題が存在し、太陽エネルギー・風力エネルギー等の新産業の重複建設、無秩序な立ち上げ問題も軽視できない」としている
この状況を受け、8月26日に国務院常務会議が召集され、一部業種の生産能力過剰と重複建設の抑制、産業の健全な発展について検討された。ここでは、以下の2点が決定されている。
(1)現在、構造調整政策の効果は初歩的に現われており、企業の生産経営の困難状況はある程度緩和され、産業発展は総体として好転している。しかし、一部産業の構造調整の進展が速くなく、一部の業種の生産能力過剰・重複建設問題はなお際立っている。鉄鋼・セメント等生産能力過剰の伝統産業がなお盲目的拡張を行っているのみならず、風力発電・多結晶シリコン等新興産業も重複建設の傾向が現れている。
現在、わが国経済は穏やかに回復に向かうカギとなる時期にあり、科学的発展観を真剣に実施し、成長の維持において構造調整の推進を更に重視し、一部業種の生産能力過剰・重複建設を断固として抑制し、市場の需要に適合したハイテク産業・サービス業を大いに発展させなければならない。調整の方向・程度・テンポをしっかり把握し、経済発展方式を適切に転換し、経済発展の質・効率を高め、経済の全面的に協調し持続可能な発展を促進しなければならない。
(2)増量の抑制と在庫の適正化を結びつけ、分類指導と、維持するものと抑制するものとを区別することを結びつけ、新産業の育成と伝統産業のグレードアップを結びつけ、市場の誘導とマクロ・コントロールを結びつけなければならない。法律・経済・技術・基準・所要の行政手段を総合的に運用し、産業・環境保護・土地・金融政策を協調させ、産業の健全な発展を誘導するために力を合わせなければならない。
当面、鉄鋼・セメント・板ガラス・石炭化学工業・多結晶シリコン・風力発電設備等の業種への指導を重点的に強化しなければならない。
2003年の過剰投資により、2004年末に生産能力の過剰は一時深刻化した。しかし、2005年以降輸出が急増したため、問題が見えなくなっていたのである。しかし、輸出が激減したところに、投資を中心とした経済対策が発動されたため、中国経済の慢性病といえる生産能力過剰問題が再発したのである。指導者たちが、経済成長の維持とともに構造調整の加速を強調する背景には、このような事情がある。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0909&f=column_0909_004.shtml
●「合成の誤謬」なぜ節約・貯蓄が不況を招くのか? プレジデント 2009年9月11日(金)
節約が所得の目減りを招く「合成の誤謬」
「ワンコイン亭主」。昼食代が500円玉1枚のサラリーマンを揶揄する言葉だが、これはもう古い。最近は大手スーパーが300円前後の弁当を売り出すなど、節約志向はさらに進み、価格競争は激しさを増している。小遣いカットに悩まされるご同輩も多いはずだ。
節約は悪いことではないし、商品やサービスを見極めるのは正しいことだろう。しかし、ゆきすぎはいかがなものか。
人口100人の村があるとしよう。ミクロ経済学者は「全員がa円得すれば、村全体の富は100×a円増える」という。しかしマクロ経済学者は、「村全体の富の増加は単純に個々が得した分の合計ではない」と反論する。誰かが得をするということは、別の誰かが自らの富を差し出している可能性があるからだ。
所得のうち、消費に回す割合のことを「消費性向」という。もし消費性向が1(所得のすべてを消費に回す)なら、すべての所得は消費を通して企業の売り上げに転換され、最終的に消費したのと同じ額が所得として自分の懐に戻ってくる。
しかし、消費性向が0.5に下がると、半分のお金は個人の手元に滞留し、世の中に出回るお金の量は減る。その結果、所得も減少を余儀なくされる。そして、その減った所得の半分しか消費しなければ、ますますお金の流れは悪くなり、所得はさらに減少する。
現実の世界を見渡してみよう。ボーナスカットなどで収入が減った今、飲食も、服飾も、繁盛店は低価格帯の店ばかりだ。大胆な値下げを行うことで、ヒットが生まれている。人々は所得の目減りを補えるような消費行動をとるようになり、供給側もそれに合わせた商いを行っている。消費性向の低下が現実に起きているのだ。
消費性向を抑えるのは、貯蓄をしたいから。もちろん貯蓄をするのは悪いことではないし、日本人の美徳といっていいかもしれない。低所得化で貯蓄率は低下傾向にあるが、それでも貯蓄に励むのは「将来の不安に備えたい」「富を増やしたい」という思いからである。
好景気のときには世の中にお金がたくさん動いているから、ある程度貯蓄をしても(消費を抑えても)、所得が減る心配は少ない。金利も高く、株価も上昇するから資産も効率よく増やせる。しかし、不況時に貯蓄を増やすと、低価格のモノばかりを選択することになり、出回るお金は減る。前にも触れたように、景気が悪化して企業業績も振るわず、所得にはね返る。まさに負のスパイラルである。
つまり、個人にとって節約はいいことであっても、すべての人が節約に励むと消費が減って景気は悪化し、それにともない個々人の所得も減ってしまう。言い換えれば、節約で消費を削ることはミクロ経済学者的視点では正しい行為なのだが、マクロ経済学者の視点で考えると、正しい行為とは言い切れなくなる。これを経済用語で「合成の誤謬(ごびゅう)」という。個人にとっては合理的な行動も、多くの人が同じ行動をとると好ましくない結果を招く、という意味である。
銀行にお金を預けると、企業への融資などに回るが、貸し渋りが起きるとお金は滞留して何も生み出さない。企業の資金需要がなくなれば結果は同じである。規制緩和などビジネスチャンスを増やす施策も必要だが、新しいビジネスを生み出す、個々人の「発想」「チャレンジ精神」を喚起していくことも重要だろう。
ビジネスマンの小遣いが減れば、本を読んだり、セミナーに足を運んだりして、発想の土壌をつくる機会も少なくなっていく。仕事帰りに部下を誘って、酒の席で士気を高めることもままならない。「景気対策のために小遣いを増やしてほしい」。そんな切り札で、世の奥様方の財布の紐を緩められないだろうか。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20090911-00000001-president-bus_all
●中国の内需拡大を阻んでいるもの~「アフリカの陥穽」は避けられるのか~ - 中国風
http://blog.goo.ne.jp/huangjinchengjp/e/d2939913afd284f41e71d67cab6865c9
【私のコメント】
中国は貯蓄率が非常に高く、それが膨大な貿易黒字に繋がっている。世界的景気後退の中で、現在の中国に求められているのは内需拡大であり、その為には貯蓄を減らして消費を増やす必要がある。2005年の国内貯蓄率(対GDP比)は48.1%に達しているが、この一部が消費に向かうだけで中国は内需の劇的拡大を成就できるのだ。
しかし、現実には中国の貯蓄率は高止まりしており、内需拡大の障壁であり続けている。この原因を分析したのが冒頭の張 明氏の論文である。それによると、政府の消費支出が低く、特に教育や医療、社会保障などへの支出が限られているため、個人の間では将来の生活に対する不安が広がっており、これに備えることが貯蓄の強い動機となっていること、中国では企業部門や政府部門の貯蓄が多すぎること、各部門の貯蓄が代替できないことが挙げられている。中国の高貯蓄率は構造的なものであることが示されている。
現在はこの高貯蓄率は外貨準備への米国債積み上げと言う形で処理されている。しかし、近い将来に米国が破綻しドルが暴落すると、中国はドルと元のペッグから離脱せざるを得なくなる。欧州も保護主義に向かい、中国は欧米という工業製品の輸出先を失って大恐慌に陥るだろう。十三億という膨大な人口を抱えながら内需を拡大できず輸出に頼るしかないという中国の弱点が、結果的に中国を滅亡させることになるのだ。そして、大恐慌下の中国では上海を筆頭とする沿海地域が北京政府から独立し、社会保障の充実や議会制民主主義の導入を含めた社会民主主義的国家を目指してゆくことになると想像する。
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これでハルマゲドン
所詮、こんなものなのでしょう。
アメリカと中国は一蓮托生。
日本はいいとこどりすべきでしょうね。