国際情勢の分析と予測

地政学・歴史・地理・経済などの切り口から国際情勢を分析・予測。シャンティ・フーラによる記事の引用・転載は禁止。

金日成と金正日の名は「日本人に成る」 「正義の日本」という大日本帝国への強い愛国心を示している?

2007年04月25日 | 韓国・北朝鮮
●金日成 - Wikipedia

金日成(キム・イルソン、きんにっせい、 1912年4月15日 - 1994年7月8日)は、朝鮮の抗日運動家・革命家、朝鮮民主主義人民共和国の政治家。1948年から1972年までは同国の首相であり、1972年から死去まで国家主席であった。また朝鮮労働党の創立以来、死去まで一貫して最高指導者の地位にあった。 称号は朝鮮民主主義人民共和国共和国英雄(三回受称し、三重英雄と称される)。

少年時代まで「金成柱」(キム・ソンジュ(「金聖柱」という説も)という名であったが、活動家となって以後は「金一星」(キム・イルソン)と名乗り、さらに「金日成」(発音は「金一星」と同じ)と改名した。

金日成は、1912年4月15日、平壌西方にある万景台(マンギョンデ)で生まれた。 金日成の父母はキリスト教徒であったとも、父は牧師であったとも言われるが、北朝鮮の公式文献では両親の信仰については触れられていない。彼の家族は抗日派もしくはそのシンパであったためか、1919年3月1日の独立運動直後1920年に、金日成をつれて朝鮮を出て南満洲(中国東北部)に移住した。

金日成は吉林の中学校に通いながら抗日青年運動に参加した。彼は抗日活動で逮捕されたため、中学校を退学になった。


・中国共産党入党
金日成は、南満洲における他の朝鮮人共産主義者たちと同じように、コミンテルンの一国一党の原則にもとづいて1931年、中国共産党に入党した。1932年4月、抗日武装闘争を開始。中国共産党の指導する東北抗日聯軍で、朝鮮人パルチザン部隊を率いるに至った。

東北抗日聯軍は中国革命に従事するための組織であったために朝鮮独立を目指す潮流は排除されがちだった。朝鮮人隊員はしばしば親日派反共団体である民生団員であるというレッテルを貼られて粛清された。のちに、同じく親日派反共団体である協助会の発足とその工作により粛清は激化した(民生団事件) 当時の金日成について、中国共産党へは「信頼尊敬がある」という報告があった一方で「民生団員だという供述が多い」という内容の報告が複数なされていた。にもかかわらず、金日成は粛清を免れた。


・抗日パルチザン活動
1937年6月4日、金日成部隊である東北抗日聯軍(連軍)第一路軍第二軍第六師が普天堡(ポチョンボ)の町に夜襲をかけた事件(普天堡の戦い)を契機に、金日成は抗日パルチザンの英雄として有名となった。国境を越えて朝鮮領内を攻撃して成功した例は稀有だったこと、それが大きく報道されたこと、なにより、日本官憲側が金日成を標的にして「討伐」のための宣伝を行い多額の懸賞金をかけるなどしたことが、金日成を有名にした。

また、この事件によって東北抗日聯軍第六師長である金日成の正体について多くの伝聞が飛び交った。彼を27歳で平壌近郊出身とするもの、36歳の人物だとするもの、日本陸軍士官学校卒業生だとするものなどである。また、普天堡襲撃に関与した者が逮捕されたときの供述が事前の情報と矛盾することからこのことから、普天堡襲撃を行った東北抗日聯軍第六師長・金日成と、後にソ連軍政下で有力指導者として登場した金日成とは別人ではないか疑う意見が出たことがある。しかし、現在、両者は同一人物で間違いないと反論されている。

その後、日本軍は東北抗日聯軍に対する大規模な討伐作戦を開始した。咸興(ハムフン)の第19師団第74連隊に属する恵山(ヘサン)鎮守備隊(隊長は栗田大尉だったが、後に金仁旭少佐に替わる)を出撃させ、抗日聯軍側に50余名の死者を出し退散させた。このように討伐部隊に追われる困難な状況のなかで、1940年3月には金日成部隊は、日本軍討伐隊・前田部隊を事実上「全滅」させている。 このとき金日成部隊は200余名のうち31名の戦死者を出している。


・ソ連への退却
最終的に、金日成部隊は討伐作戦を逃れてソ連領沿海州へと越境・退却する。日本による大規模討伐作戦によって東北抗日聯軍は壊滅状態に陥ったが、金日成部隊は早期の決断で比較的、勢力を温存し得た。また朝鮮人パルチザンの勢力温存の背景には間島地域の朝鮮人移住民の支援も影響したと思われる。

金日成は1940年8月頃越境するが、スパイの容疑を受けてソ連国境警備隊に一時監禁される。その後周保中が彼の身元を保障して釈放される。1940年12月のハバロフスク会議を経て、金日成部隊はソ連極東軍傘下の第88特別旅団(旅団長は周保中)に中国人残存部隊とともに編入され、金日成は第一大隊長(階級は大尉)となった。彼らはソ連ハバロフスク近郊の野営地で訓練・教育を受け、解放後には北朝鮮政府の中核となる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%97%A5%E6%88%90





●金正日 - Wikipedia 1942年2月16日 生まれ

金正日(キム・ジョンイル)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政治家。朝鮮労働党総書記、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長、朝鮮人民軍最高司令官。事実上の独裁者とも言われている。称号は朝鮮民主主義人民共和国共和国英雄(2回受称し、二重英雄と称される)。国家主席金日成の嫡子である。
出生がソ連であったため、幼いころは「ユーラ (フルネームはユーリ・イルセノビッチ・キム)」という名前を名乗ったが、朝鮮半島の解放後、おそらくソビエト連邦軍政期から朝鮮式の「キムジョンイル」を名乗ることとなった。1980年の第6次党大会にて金正日という表記が確認された。また、「キムジョンイル」の名が公式文書に登場した当初、日本では金正一の字があてられていた。ちなみに朝鮮人が父母の名から字を取ることは当時、稀であり、朝鮮の伝統的な命名ルール(行列字)ではあり得ないこととされている。

・金正男(金正日の長男):母国語の朝鮮語の他に英語、日本語も話せるようである。
・金正哲(金正日の次男):母は大阪鶴橋生まれの在日朝鮮人二世で、帰国した高英姫
・金正雲(金正日の三男):同上

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%AD%A3%E6%97%A5






●朴正煕 - Wikipedia

朴 正煕(パク・チョンヒ、1917年11月14日 - 1979年10月26日)は、クーデターで政権を奪取した大韓民国の軍人、政治家。第5~9代大統領(在任:1963年 - 1979年)を務め、軍事独裁政権・権威主義体制を築いた。

朴正煕は植民地統治下の朝鮮慶尚北道善山郡(現在の亀尾市)で生まれた。貧しい農村部家庭の末子であった。父親は科挙に合格したが、日本によって韓国が併合された後に没落し墓守をしていた。大邱師範学校を卒業し教師をした後、日本国籍のまま満州国軍の新京軍官学校で学び、同校を首席で卒業する。優秀な成績のため、特に選ばれて日本の陸軍士官学校に留学した。その後、創氏改名によって高木正雄と名乗った。1944年に日本の陸軍士官学校を卒業(57期)し、終戦時は満州国陸軍中尉だった。

大韓民国が独立した後、新たに創設された韓国軍に入隊した。一方で南朝鮮労働党(共産党)に入党し、軍内党細胞の指導者であったことが粛軍運動で発覚して逮捕され、死刑を宣告される。しかし、南朝鮮労働党の内部情報を提供したこと、北朝鮮に通じていることが米軍当局に評価されて釈放された。朝鮮戦争勃発とともに軍役に復帰し、さらに戦闘情報課長から作戦教育局次長へと昇進した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E6%AD%A3%E7%85%95





●金丸信 - Wikipedia

金丸 信(かねまる しん、1914年9月17日 ‐1996年3月28日)は、日本の政治家、元衆議院議員(12期、終生、自由民主党所属)。政治の世界、自民党おいて権勢を誇り、『政界のドン』と呼ばれたキングメーカーである。

1938年、徴兵により入営した。柔道をしていたことから、体格がよく、自分のサイズに合う軍服がなかったという。 その後、関東軍電信三連隊第二中隊に配属され、満州に渡る。だが、すぐに風邪をこじらせ、新京(現・長春)の病院に入院し、内地送還となり、兵役免除となる。 内地に戻った後、茨城県久慈郡(現・茨城県常陸太田市)にいる姉夫婦のもとで、静養をした。その後、実家に戻り、家業である造酒屋を継ぐ。後に山梨県酒造組合常務理事にも就任している。

1990年、日本社会党のツテを頼り田辺誠らと訪朝団を編成。団長として朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問する。金丸と金日成主席が、日本語でサシ(一対一)で対談を行う。しかし、記録係を挟んでいなかったため、この時のやり取りが公式文書として残っていないため、一体何を話したのかが謎となっている。この空白の数時間の間に取り決められたといわれる約束が、日朝の交渉においてしばしば「金丸さんが金日成主席と約束した」という形で北朝鮮側から持ち出されることがある。

このとき自民党の代表として国交正常化や統治時代の補償とともに『南北朝鮮分断後45年間についての補償』という約束を自民党、社会党、朝鮮労働党の3党で交した(後の金丸の脱税捜査の際に発見された無刻印の金の延べ棒数億円分はこの時北朝鮮から貰ったのではないかとする疑惑もある)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E4%B8%B8%E4%BF%A1






●田中角栄 - Wikipedia

田中角栄(1918年5月4日 - 1993年12月16日)は日本の政治家。元衆議院議員(16期)、内閣総理大臣(第64代、第65代)。

1939年 - 4月、応召、満州国で兵役に就く。
1940年 - 3月、陸軍騎兵上等兵となる。
1941年 - 2月、大病を患い内地へ帰還。10月、治癒と共に除隊。東京の飯田橋で田中建築事務所を開設。
1942年 - 3月、事務所の家主の娘、坂本はなと結婚。11月、長男正法が誕生(1947年9月、5歳で死亡)
1943年 - 12月、田中土建工業を設立。理研工業(理化学研究所の産業部門)などの仕事で急成長する。
1944年 - 1月、長女真紀子が誕生。
1945年 - 8月、日本の第二次世界大戦における敗戦に伴い、滞在していた朝鮮半島から帰る(最後は理研工業移転の仕事で大田(たいでん、テジョン)にいた)。田中土建工業は戦災を免れる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E8%A7%92%E6%A0%84






●小泉純一郎 - Wikipedia 1942年1月8日生まれ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E7%B4%94%E4%B8%80%E9%83%8E





●日朝首脳会談 - Wikipedia

1回目:2002年9月17日、平壌の百花園招待所で、日本の首相・小泉純一郎(自由民主党総裁)と北朝鮮の事実上の国家元首である国防委員長・金正日(朝鮮労働党総書記)が行った。 両者は「日朝平壌宣言」に署名し、国交正常化交渉を10月に再開することで合意した。

2回目:2004年5月22日、平壌の大同江迎賓館で、前回と同じく小泉純一郎と金正日が行った。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%9D%E9%A6%96%E8%84%B3%E4%BC%9A%E8%AB%87






●山崎拓 - Wikipedia

満州国大連市(現在は中華人民共和国の大連市)で生まれた。父方の祖父の山崎和三郎は飯塚炭鉱を経営し、玄洋社の幹部であった。2006年3月13日、突然韓国を日帰りで訪問し、金大中前大統領や与党・ウリ党の鄭東泳議長、野党・ハンナラ党の李相得元事務総長と個別対談した。山崎本人は今回の訪韓を「私用だ」「表敬訪問だ」と発言していたが、「日韓の現状や将来についての意見交換をした」とした。

2007年1月9日今度は北朝鮮を電撃訪朝する。本人は直前の5日に福岡市で行われた会合で「一番大事なのは北朝鮮の非核化だ。中国や米国の政治家から『日本の政治家は北朝鮮を説得する行動をとれないのか』とよく言われる。今年の私の政治行動の中で重点問題として取り組んでいく決意だ」と語っていた。安倍政権の外交政策に対する牽制目的があるものと言われており、政府・与党内から強い不満が出た。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E6%8B%93






【私のコメント】
4月23日の私の記事「大日本帝国の精神の正統な後継者は北朝鮮か?」で引用した文章には、下記のような興味深い一節がある。

・金策は息子に「国泰」という名前を付けている。「国家安泰」を願った名で、朝鮮風ではなく日本人の思い入れそのものである。金国泰は労働党書記として金正日の秘書的な側近の地位にあって、現在でも米国やロシアとの交渉の重責を担っている。また『日本書紀』で白村江の戦の項に、「金策」の意味は「金文字で書かれた勅語」だと記述されている。「金策」という名称は単なる個人名ではなく、日朝の歴史に因んだ、ある想いが込められていることを暗示しているといえる。


さて、金策と共に大学名に名を残す北朝鮮建国の英雄の名は金日成である。公式には「日」は太陽を指すとされているが、これは日本を意味している様にも思える。日本人になりたい、あるいは朝鮮を日本のようにしたいという朝鮮人の強い願いが読みとれないだろうか?更にその息子の名は正日。わざと負けるための戦いを日本が1941年に開始した直後に生まれた彼の名は、大日本帝国の正しさを北朝鮮の地で保ち続ける様にとの金日成の願いが込められている様にも思える。金正日の長男の名は正男。金策の息子の金国泰と同じく、実に日本的な名前である。金正日が父親の名から「日」の一文字を取り、金正日の息子達が父親の名から「正」の一文字を取っているのも朝鮮にない風習である。名前の漢字一文字を同世代で統一するのは中国の伝統的な命名法だが、父親の金正日と三人の息子が全て名前の一文字目が「正」であることは中国の常識では金正日と三人の息子が親子ではなく兄弟又は同世代に属する親族であることを示してしまい、混乱を招く決して取るべきでない方法である。つまり、金正日は三人の息子の名付け方について、明らかに朝鮮的でも中国的でもない、日本的な方法を選択しているのである。

4月23日の記事で引用した文章は一見「金策」と「金国泰」について書いている様に見えるが、実は金日成・金正日・金正男の三世代の名前が日本(大日本帝国)に対する強い愛国心を込めたものであることを言いたいのではないかと思われる。





北朝鮮では17は神聖な数字の一つだという説もある。日本の首相として初訪朝した小泉首相と金正日は共に昭和17年生まれである。小泉首相の第1回訪朝は2002年9月17日であり、日本政治のドンとされ1990年に社会党の田辺誠と共に訪朝した金丸信の誕生日と同じである。今年の5月17日には南北朝鮮間鉄道の運転開始が予定されている。

事実上日本の最高権力者として戦後初訪朝した金丸信は、日中国交回復の田中角栄と同様、徴兵され満州に派遣された後に何故か病気で除隊され日本に帰国、戦争末期の時期も本土で暮らしている。2007年1月に電撃的に訪朝した山崎拓代議士も満州国大連市生まれ、朴正煕元大統領も終戦時は満州国陸軍中尉である。金日成も朝鮮生まれとされるが活動の拠点は最初は満州、後にソ連領沿海州である。

これらの人々の満州にまつわる縁、17という数字へのこだわりは何を意味するのだろう?




・帝国陸軍は本土決戦で破れたら満州で亡命政権つくり、ソ連と組んで英米に対抗するという計画を持ってました。そのため三種の神器を奉天にもっていくつもりでいた。ソ連裏切りでこの計画が崩壊したので、終戦したのです。

・それでも「満州の残滓」は、朝鮮半島の北部に別の国家を作り、戦後もチャンネルは生きていた。彼らはまだ「あの戦争」を継続している。属州と成り果てた「日本」ではなく、本来「あるべき日本」を妄想しながら。よど号事件の犯人はそれを知った。今後彼らが解放され、「拉致問題」は思わぬ方向に・・・ってなるんですかねぇ。

・満州国や北朝鮮は帝国陸軍の脳内では、ドゴールであり、戦後の日本はビシー政権なのです。彼らはそう信じています。ここがわからないと、戦後史は理解できません。


江田島孔明氏とbanabuna氏の以上のやりとりで示される「満州の残滓」の中心は、実は金日成ー金正日ー金正男と続く直系一族そのものではないかという大胆な仮説を私は提唱したい。金日成は日本人になりたいという強い願いを持った親日派の朝鮮人で、日本の残置諜者として満州や沿海州を経て北朝鮮に入ったのではないだろうか?彼らの名は日本への強い愛国心(残念ながら日本では失われてしまっている)を示しており、その長男による世襲システムは、明治維新によって実際には失われてしまったとされる万世一系の皇統の復活を叫んでいるのではないだろうか?そして、朴正煕元大統領も彼らの同志として大日本帝国の正義のために戦い、壮烈な戦死を遂げたのではないだろうか?

米情報筋によると、北朝鮮の金正日労働党総書記は亡き妻の遺言に従って次男の金正哲氏を後継者にする意向であるとの時事通信の報道もあるが、もし私の想像が正しいならば、皇室と同様に長男の正男氏が次の指導者に選ばれるのではないかと思われる。




【4月26日追記】
1971年5月10日生まれの金正男の名前は、当時韓国の大統領であり、満州出身者として金日成と志を同じくする仲間であったと考えられる朴正煕氏の創氏改名後の氏名である「高木正雄」の「正雄」と非常に似通っている。金日成・金正日は高木正雄の名前から「正男」という名前を付けたのかもしれない。

今後、韓国や北朝鮮という国家の枠組みが一度壊されて新たな統一国家が作られる時、その指導者がだれになるかが重要な問題になると思われる。一つの候補は李氏朝鮮の王族の子孫であり、統一朝鮮は李氏朝鮮の再興を目指すことになるだろう。もう一つの候補は金日成ー金正日ー金正男と続く、大日本帝国の朝鮮地域国家の建設を目指すものである。朴正煕元大統領の長女でありハンナラ党前党首の朴槿恵氏もそこに加わる事があり得るかもしれない。

李氏朝鮮再興か、それとも大日本帝国の朝鮮地域国家建設か?この対立軸が今後の朝鮮半島政治の最も重要なポイントになるように思われる。

付け加えておくが、日本から朝鮮半島、満州に至る地域を占める大東亜共栄圏の構想は、大陸国家の奴隷的存在に甘んじるという朝鮮半島国家の運命をコペルニクス的に転換するものであり、それ故に朝鮮人にとっては「正義」であるのだと思う。そして、日本列島に居住する日本国民の国益と朝鮮半島国家の国益は同一ではないことに注意が必要だ。

近い将来に朝鮮半島の人々が「大日本帝国万歳!」とか、「天皇陛下万歳!」「大東亜戦争万歳!」を叫ぶ日が来るかもしれない。そして、その様な発言は自虐史観に洗脳された多くの日本人の脳髄に衝撃を与え、日本は一挙に大東亜共栄圏という名の日韓併合に突っ走りはじめるかもしれない。しかし、我々はそこで冷静になって踏み止まるべきだろう。

重要なのは大日本帝国の名誉でもない。大東亜戦争の正義でもない。重要なのは日本の国益である。60年以上前の時代と現在では社会情勢が大きく変わっている以上、目指すべき日本の姿も大きく変わっている筈である。我々日本人は朝鮮半島の人々の「万歳!」の声に惑わされずに冷静に日本の国益を考え、かつての大東亜共栄圏構想にこだわることなく中立の立場から新たな日本の進むべき道を選ぶべきだろう。
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25 コメント

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極秘事項 (孔明と北朝鮮とイラン)
2007-04-25 00:13:37

満鉄調査部を調べよ。戦後の秘密はそこにある。
返信する
極秘事項さんへ (princeofwales1941)
2007-04-25 00:46:53
>満鉄調査部を調べよ。戦後の秘密はそこにある。


全く同意します。


返信する
同胞殺し (CatSit1)
2007-04-25 17:57:18
日本の真の敵はアメリカ・・というのは戦後の繁栄を享受する日本人が認めたくないキツイ現実ですねぇ。
なにせ地政学的にいって、日本はイギリスと並ぶ100%純粋のシーパワーでしかありえないですからね。
アメリカと仲たがいしていい事などありません。
仮に彼等がまだ「あの戦争」を戦っており、戦後日本がビシー政権のごとき情けない存在であるとしても、彼等は日本の「本家」となることはできません。
心情的に共感する部分があるとしても、国益(日本の国民社会、国民経済の)からすれば、彼等は切って捨てなければならないのでしょうね。
返信する
CatSit1さんへ (princeofwales1941)
2007-04-25 21:10:34
>日本の真の敵はアメリカ・・というのは戦後の繁栄を享受する日本人が認めたくないキツイ現実ですねぇ。

ケネディ暗殺の経緯を見れば分かるように、米国は国際金融資本vs反対勢力の激突が最も激しい国の一つです。日本の真の敵は国際金融資本であり、反対勢力は重要な味方だと思います。


>仮に彼等がまだ「あの戦争」を戦っており、戦後日本がビシー政権のごとき情けない存在であるとしても、彼等は日本の「本家」となることはできません。心情的に共感する部分があるとしても、国益(日本の国民社会、国民経済の)からすれば、彼等は切って捨てなければならないのでしょうね。


彼らは日本の本家にはなれないでしょうが、大東亜共栄圏の大陸側の本家にはなれると思います。日本にとても、友好的な勢力が朝鮮半島や満州に存在することは安全保障上は有益と思われます。従って、切り捨てる必要はないのではないかと思います。
返信する
アメリカ人 (ヴェエジ)
2007-04-25 21:59:45
アメリカ人は3種いるよ
返信する
イラン戦争 (終わりの始まり)
2007-04-25 22:28:41
悪の枢軸であるイランが滅びる時、北朝鮮も消滅する。
戦後の膿が一掃される日も又近い。
返信する
小野田氏語る (wave)
2007-04-25 23:00:11
日本の本土が占領されても満州国が新日本として生き残って戦っていると信じていたと。
返信する
Unknown (Unknown)
2007-04-25 23:46:43
アメリカ軍部は国際金融の巨大な敵であるらしい
ということがわかってきた。
返信する
満州から来た男 (映画人)
2007-04-26 00:25:44
満州から来た男、三輪耀山
満州生まれの岡崎久彦、その弟子である
岡本行夫(江田島孔明)、そしてCIA

岸信介、佐藤栄作から繋がる日本政界と親米派。
その全貌が満州国にあったのか。。。

恐るべき特務機関員、江田島孔明
返信する
想定すべき? (面白い発想だが)
2007-04-26 00:39:22
いつも面白いネタをありがとうございます。

管理人氏の仮説が正しいとすれば、自民党の苦戦が予想される今度の参議院選挙で北朝鮮になんらかの動きがあるのでしょうか。ただ、北にしても自己の生存を最優先しなくてはならないですから、ストレートに動きにでるかはちょっとわかりにくいです。

日本のランドパワー派の影のラインは、今なお日本、朝鮮半島、満州と地下水脈として生きている。というのは面白いというより、想定しなくてはいけないシナリオの一つでしょう。対米戦争はこのランドパワー派を一網打尽にすべく、日本のシーパワー派(英米派)が練りに練った戦略だったということになります。戦後、大陸での戦争での歴史捏造は、実は日本のシーパワー派がすすんでやったという管理人氏の読みは、実にするどいと思われます。後に起こる、反省した後の日本での反応(反中)も計算に入れているのでしょう。

管理人氏のコメントにありますが、

> 短期的な政権樹立ではなく、数十年・数百年単位での安定した東アジア世界を実現するには、満州地域に虚構であっても国民国家を建設するのが良いのではないかと思います。それは満州国がかつて目指し、そして大日本帝国の敗北により挫折した路線でもあるのです。

これがランドパワー派の戦略骨子になるでしょう。主体が誰であろうとも、効果は同じというるかはどうでもいいということになります。

江田島氏はコラムは対外的な意味もあるようで、本音はコメントに出るように思えます。そのためBLOGでの発現を大切にしているようです。
返信する

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