●レイプ被害者にむち打ち刑 サウジで司法めぐり国際論議 2007年12月15日 SANSPO.COM
厳格なイスラム法の適用で知られるサウジアラビアで、拉致され集団レイプの被害に遭った女性(19)に対し、事件直前に夫以外の男性と2人きりだったことなどを理由に、裁判所が禁固6月とむち打ち200回の刑を言い渡し、国際的な論議を巻き起こしている。加害者の男7人は2~9年の禁固刑を言い渡された。
司法省は、女性が一緒にいた男性との不倫関係を認めたと発表。拉致される直前、車内で性行為に及んでいたと示唆し女性の罪を強調、イスラム法に従った判決とし「外国の介入」を非難する。
だが、欧米メディアは女性の権利や司法制度の問題点に焦点を当て大々的に報じ、ブッシュ米大統領も4日の記者会見で「同じことが娘の身に起きたら、私は被害者を助けない国家に怒りを抱く」と批判。サウジのサウド外相は「判決は見直される」と述べ、沈静化に乗り出している。
事件は昨年、東部カティフで発生。一審は女性にむち打ち90回、レイプ加害者には禁固10月~5年の判決を言い渡し、女性側が控訴した。
イスラム法は配偶者以外との性行為はもちろん、女性が親族以外の男性と2人きりになることも禁じている。イスラム教スンニ派教学の最高権威機関アズハル(カイロ)のオスマン研究員は「男女が2人きりになれば性行為の誘惑が強まるのは自然の摂理。過ちを防ぐためだ」と説明する。
被害者とはいえ、親族以外の男性と車内で2人きりになった女性は「罪を犯した」と受け止める市民は、エジプトでも少なくない。ただ同研究員は、禁を破った女性を罰するか否かや量刑は、個々の裁判官に委ねられていると指摘。今回の判決が通常より重いとの認識を示した。(共同)
http://www.sanspo.com/sokuho/071215/sokuho057.html
●51才の男性にレイプされた16才の少女が死刑 - GIGAZINE 2006年07月28日
何を言っているのか分かりませんが、そういうことらしいです。
事件が起きたのは今から2年前のイラン。2004年8月15日、Atefah Sahaalehという16才の少女がイランの公共広場で絞首刑に処されました。
経緯は以下の通り。
・BBC NEWS | Programmes | Execution of a teenage girl
イスラムの法律である「シャリーア」によると、死刑に相当する罪は大きく3種類。殺人、麻薬密輸入、そして婚外交渉、だそうで。少女が死刑にされた理由は「姦通」の罪と言うことですが、もちろん結婚なんてしていないわけで。このことは出生証明書と死亡証明書の双方が揃っていることから証明されており、これがきっかけで調査が行われたそうです。
彼女は13才の頃にパーティに出席した際、自動車の中で少年と2人きりでいたという理由で「道徳警察」によって「純潔に関する犯罪」で逮捕され、刑務所で短期間ではあるが放り込まれ、むち打ち100回の刑を受けたそうです。
また、刑務所からの釈放後、彼女の年の3倍と同じくらいの年齢の男性から暴行を受けていたそうで。それが、Ali Darabiという既婚で子どもがいる51才の男性。この男から数回にわたってレイプされていた、とのこと。
彼女はこの事実を警察や家族にも言わず、結果として再び道徳警察によって逮捕されたそうです。
さらに追い打ちをかけるようにしてとんでもないことに、彼女が不道徳の原因であり、地域の同年代の少女に対して悪影響を与えている、という申し立ても地元民によって行われたそうです。
逮捕されてから3日後、彼女は裁判にかけられ、この段階にいたってついにレイプされた事実を告白したのですが、年齢を考えると、レイプされたことが証明できなければ彼女の罪となり、そしてレイプされた事実を証明することがイランの法廷では極めて難しく、さらに男性の証言の方が女性の証言よりも重視されるため、絶望的状況となりました。
彼女は自分の主張が全く受け入れらないため、裁判官に叫んで訴え、挙げ句の果てにベールを脱ぎ捨てたそうです。その行為が致命的な打撃となり、彼女には死刑が宣告されました。翌朝の午前6時、絞首刑となりました。
彼女の死刑は家族には通知されず、裁判所の記録によると彼女の年齢は「22才」ということで処理されたそうです。一応イランもいろいろな国際法に批准しており、18才以下の場合にはイスラム法を適用しないとなっているのですが、それを無視するために「22才だ」ということにしたようです。22才という年齢は裁判官が彼女の体を見て決めたそうです。
ちなみにレイプした男性の方は95回のむち打ち刑で済みました。
2006/07/28 20:06追記
あと、調べてみるとイランの絞首刑というのは日本のような首つり式ではなく、まずクビに縄をくくりつけ、その縄をクレーンで引っ張って首を絞めるという方法のようです。BBCのサイトに置いてある画像は何かの比喩なのかと思ったら、そうではないようです。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20060728_execution_teenage_girl/
●第53号/「名誉の殺人」とは何か? 中村 衛
普通ここスウエーデンの人口は八百万と云われている。ところが昨日の日刊新聞 「メトロ」(2002年12月20日)によると、この国の人口増加は1994年以来今年2002年が最も大きく、まもなく総人口は九百万に達するそうである。(それでも東京の人口よりも少ない)。しかしこの人口増加は自然増加ではなく外国よりの移民が増えたためである。同じ日刊新聞「メトロ」によると、今やこの国に住む5人に1人は(片親が外国生まれと言うケ-スを含めると)外国移民だという。例えばここストックホルムで日常使用されている言葉はスウエーデン語以外に50ヶ国語に達するという。ではどこの国からそんなに多くの外国人がこの国に来ているのであろうか。先ずトップを占めているのは隣国からのフィンランド人。次に多いのはユーゴスラビア人。それから、やはりお隣のノルエー、デンマーク、そしてドイツと続く。6番目と7番がイラク、イランで9番がポ-ランド、10番目に多い移民がトルコ人である。これから分かるようにスウエ-デンに居住する外国人の大半はヨ-ロッパ系の白人であり、彼等はたいした問題もなくスウエ-デン社会に入っていける。問題になるのは非ヨ-ロッパ系、特に昨年の9月11日以来はイスラム教徒であるアラブ人やトルコ人である。
今年(2002年)の初め1月21日にスウエーデン社会を愕然とさせた事件が起こった。一人のうら若い美貌の女性が実の父親にピストルで射殺されたという事件である。彼女の名前はファデイメ(Fadime)、二十六歳であった。彼女は七歳の時両親に連れられてトルコのクルデイスタンよりこの国に来た。ウプサラで育つたのであるが、彼女が十五歳になればトルコに戻り、故郷の片田舎に住む、まだ一度も合ったこともない従兄弟と結婚することになっていた。しかし、彼女は勉強を続けて自分に合った職業につき、独立した人生をスウエーデンで送りたいと願った。父親や親戚の男たちによって決められたことに従わないために摩擦がおこり、彼女は家を飛び出した。二十二歳の時彼女はスウエーデン人の男性と恋におちいった。そのため父親は怒って、その当時十八歳の息子と一緒になって何度もファデイメに暴力をふるい、その命を脅かした。そのため裁判沙汰になり、父親と弟は執行猶予になった。その公開裁判中に弟は姉のフェデイメ対して「この淫売婦め!」と大声でののしり、母親も彼等の行為を弁護した。この裁判に関連して彼女は数回テレビや新聞のインタビューに出て、彼女がいかに耐え切れない生活を強いられてきたかを訴えた。1998年の6月にボーイフレンド、パトリック君と結婚するはずであったが、彼は交通事故で死亡してしまった。それから一週間後、弟は彼女のアパ-トを探し出してファデイメを殴ったり蹴ったりして人身暴行をはたらいた。そのため彼は五ヶ月の監獄の刑を言い渡たされた。彼女はその心痛にもめげず別の町に移って社会学の勉強を続け、卒業後はソ-シャルワ-カとして働きたいと願っていた。運命の日、1月21日、ファデイメはウプサラに住む妹のアパ-トを訪問中であった。久しぶりの対面であったため、母親と二人の妹もその場に居合わしていた。その日の晩10時少し前に、どこで聞きつけたものか父親がそのアパ-トに来た。妹がドアを開けるやいなや五十六歳の父親は自分の妻や娘たちの見ている前でピストルをかざして近距離から数発弾を撃ってファデイメを撃ち殺してしまったのである。彼女が親の決めたことに従わず、親や親戚の反対にもかかわらずスウエーデン人の男性と不義の性的関係を結び、サヒンダ-ル一家の「名誉」を傷つけたから、というのがその理由であった。2002年2月4日、ファデイメ・サヒンダ-ル (Fadime Sanhindal) の葬式がウプサラの大教会で盛大に催された。四千人もの会衆がその告別式に参列し、その中にはスウエーデン王家や政府の代表も参加していた。ファデイメは彼女のボイフレンド、パトリック (Patrik) の墓石の横に葬られた。そして実の娘を射殺した父親は裁判にかけられて終身刑を言い渡された。
この事件はこの国のマスメデイアで非常に大きく取り扱われ、どうしてファデイメが死ななければならなかったのかと、その理由、原因が色々と取り沙汰された。「名誉の殺人」が今なお実行されている国としてパキスタン、インド、バングラデッシュ、エジプト、トルコ、マロッコ等が挙げられているが、一般のスウエーデン人にとっては実にショッキングな事件であった。そして似たような境遇で起こった殺人事件が他にも数件あったことも知らされた。(ファデイメは自分の命が危ないことを十分に承知した上で、スウエーデン国会においても彼女と同じ境遇にある移民女性を代表して証言したのである。これは非常な勇気と確信なしに出来ることではなかった)。この事件を契機として非ヨ-ロッパ文化に対するスウエーデン社会の無関心、無知、理解の足りなさを反省するようになり、警察ももっと積極的にファデイメと同じような境遇の移民女性の身辺を警護するようになっている。朝刊「メトロ」によると非ヨ-ロッパからの移民達はスウエーデン社会にいつまでたってもまともに受け入れられず、自国では高等教育を受けていても、その教育に相当する仕事をさせてくれない。職を求めるにしてもスウエ-デン語が満足にできないと皿洗いとか掃除夫の仕事位しかない。スウエ-デン人にとって発音しにくい難しい名前だったり、皮膚の色が黒かったり、黄色だったりするだけで初めから断られてしまう。そのため自国からきた者同士で固まるようになり、いつまでたっても言葉も上手になれず疎外感を感じ、除け者のメンタリテイになってしまう。娘はどんどんスウエーデン的な自由な考え方になって親の言うことを聞かなくなる。それにひきかえ親である自分はいつまでたっても一人前として取り扱われず、まともな仕事もなく欲求不満になっていく。ファデイメの父親もそのような切羽詰った精神状態にあったのに違いない。今のように不景気な時代ではなおさらそうである。それにもかかわらずスウエーデンの福祉制度にひかれてこの国に押し寄せてくる難民の数は増える一方である事実は統計の数がはっきりと示している。これらの難民の受け入れ対策がどのようになっていくか、また一般スウエーデン人の非ヨーロッパ人に対する理解がどのように深まっていくのか、この国に定住するマイノリテイの一アジア人として人事ではなく深刻な問題として受け止めているわけである。もっとも私自身はスウエーデン人の良識を信じているため、この国の将来についてそんなに悲観的ではない。
了
ストックホルム在住 (2002年12月23日)
http://www.bekkoame.ne.jp/~hujino/no53/53_008.htm
●いまだ中東に残る「名誉殺人」エジプトから
エジプト国営の日刊新聞アルアクバル五月四日号に、結婚後十カ月で離婚して、カイロのアインシャムスにある実家に戻ってきた妹を、彼女の兄弟二人が、妹の行為を恥ずかしく思って殺害した、との記事が掲載された。
実は妹が男性と付き合っていることをかぎつけた兄が妹を殺害したり、父親が娘を殺害するという事件を二カ月に一度ぐらいの頻度で目にしており、報道されない事件を含めれば、かなりの同様の悲劇が行われていると推測される。
一方、五月二十日のCNN電子版は、イラクのバグダッドで、ヤジディ教の信者の家庭に育った十七歳のクルド人少女が、イスラム教スンニ派の男性と一緒にいたことを家族に責められ、首を腕で締め付けられた状態で、人込みの中に引きずり出され、石を投げられ、殴るけるの暴行を受けて死亡した、と報じた。他教徒との交流を不名誉と見る「名誉殺害」だが、現場にいた警察官は「名誉殺害」を阻止することはできないとの見解を示したという。
中東地域には、これらの事件に表れているように、氏族・民族社会での伝統的価値観や、宗教上の価値観がいまだ広く残存しており、近代的な自由民主主義的価値観からは「古い時代の価値観」としかみえない部分がある。
イスラム法(シャリア)では、女性は結婚するまでは父親か兄に、妻は夫に完全に従うことが基本的に要求されている。相互に愛情があれば、それほど美しく安全なことはないのだが、愛情が欠ければ、その主従関係は地獄の人間関係に転落せざるを得ず、数多くの女性が苦悩している。
中東地域は、独裁制やイスラム体制を維持するための情報管理が厳しく行われている部分もあり、そのことが一層、文明の光が差し込むことを妨げている。
http://blog.worldtimes.co.jp/archives/50699560.html
●名誉の殺人 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E8%AA%89%E3%81%AE%E6%AE%BA%E4%BA%BA
●名誉殺人に反対する国際運動 International Campaign Against Honour Killings
http://stophonourkillings.com/
【私のコメント】名誉殺人に代表されるように、中近東イスラム圏では女性の人権が著しく侵害されている。名誉殺人はイスラムに由来するものではなくイスラム以前の地域風習の影響という説もある。東南アジアイスラム圏で名誉殺人が存在しないのはそのせいかもしれない。日本でこの「名誉殺人」が問題となることはないかもしれないが、欧州ではイスラム移民の中で実際に名誉殺人が起きている。これこそ、欧州文明と中近東イスラム文明の衝突に他ならない。イスラム文化を持った中東移民の流入を押しとどめない限り、欧州文明は将来滅亡しかねない危険があるだろう。
日本は石油の安定輸入の観点から中近東イスラム圏との友好関係を必要としている。しかし、その裏にはこの「名誉殺人」に代表される深刻な女性の人権侵害が存在することを念頭に置かねばならないだろう。
厳格なイスラム法の適用で知られるサウジアラビアで、拉致され集団レイプの被害に遭った女性(19)に対し、事件直前に夫以外の男性と2人きりだったことなどを理由に、裁判所が禁固6月とむち打ち200回の刑を言い渡し、国際的な論議を巻き起こしている。加害者の男7人は2~9年の禁固刑を言い渡された。
司法省は、女性が一緒にいた男性との不倫関係を認めたと発表。拉致される直前、車内で性行為に及んでいたと示唆し女性の罪を強調、イスラム法に従った判決とし「外国の介入」を非難する。
だが、欧米メディアは女性の権利や司法制度の問題点に焦点を当て大々的に報じ、ブッシュ米大統領も4日の記者会見で「同じことが娘の身に起きたら、私は被害者を助けない国家に怒りを抱く」と批判。サウジのサウド外相は「判決は見直される」と述べ、沈静化に乗り出している。
事件は昨年、東部カティフで発生。一審は女性にむち打ち90回、レイプ加害者には禁固10月~5年の判決を言い渡し、女性側が控訴した。
イスラム法は配偶者以外との性行為はもちろん、女性が親族以外の男性と2人きりになることも禁じている。イスラム教スンニ派教学の最高権威機関アズハル(カイロ)のオスマン研究員は「男女が2人きりになれば性行為の誘惑が強まるのは自然の摂理。過ちを防ぐためだ」と説明する。
被害者とはいえ、親族以外の男性と車内で2人きりになった女性は「罪を犯した」と受け止める市民は、エジプトでも少なくない。ただ同研究員は、禁を破った女性を罰するか否かや量刑は、個々の裁判官に委ねられていると指摘。今回の判決が通常より重いとの認識を示した。(共同)
http://www.sanspo.com/sokuho/071215/sokuho057.html
●51才の男性にレイプされた16才の少女が死刑 - GIGAZINE 2006年07月28日
何を言っているのか分かりませんが、そういうことらしいです。
事件が起きたのは今から2年前のイラン。2004年8月15日、Atefah Sahaalehという16才の少女がイランの公共広場で絞首刑に処されました。
経緯は以下の通り。
・BBC NEWS | Programmes | Execution of a teenage girl
イスラムの法律である「シャリーア」によると、死刑に相当する罪は大きく3種類。殺人、麻薬密輸入、そして婚外交渉、だそうで。少女が死刑にされた理由は「姦通」の罪と言うことですが、もちろん結婚なんてしていないわけで。このことは出生証明書と死亡証明書の双方が揃っていることから証明されており、これがきっかけで調査が行われたそうです。
彼女は13才の頃にパーティに出席した際、自動車の中で少年と2人きりでいたという理由で「道徳警察」によって「純潔に関する犯罪」で逮捕され、刑務所で短期間ではあるが放り込まれ、むち打ち100回の刑を受けたそうです。
また、刑務所からの釈放後、彼女の年の3倍と同じくらいの年齢の男性から暴行を受けていたそうで。それが、Ali Darabiという既婚で子どもがいる51才の男性。この男から数回にわたってレイプされていた、とのこと。
彼女はこの事実を警察や家族にも言わず、結果として再び道徳警察によって逮捕されたそうです。
さらに追い打ちをかけるようにしてとんでもないことに、彼女が不道徳の原因であり、地域の同年代の少女に対して悪影響を与えている、という申し立ても地元民によって行われたそうです。
逮捕されてから3日後、彼女は裁判にかけられ、この段階にいたってついにレイプされた事実を告白したのですが、年齢を考えると、レイプされたことが証明できなければ彼女の罪となり、そしてレイプされた事実を証明することがイランの法廷では極めて難しく、さらに男性の証言の方が女性の証言よりも重視されるため、絶望的状況となりました。
彼女は自分の主張が全く受け入れらないため、裁判官に叫んで訴え、挙げ句の果てにベールを脱ぎ捨てたそうです。その行為が致命的な打撃となり、彼女には死刑が宣告されました。翌朝の午前6時、絞首刑となりました。
彼女の死刑は家族には通知されず、裁判所の記録によると彼女の年齢は「22才」ということで処理されたそうです。一応イランもいろいろな国際法に批准しており、18才以下の場合にはイスラム法を適用しないとなっているのですが、それを無視するために「22才だ」ということにしたようです。22才という年齢は裁判官が彼女の体を見て決めたそうです。
ちなみにレイプした男性の方は95回のむち打ち刑で済みました。
2006/07/28 20:06追記
あと、調べてみるとイランの絞首刑というのは日本のような首つり式ではなく、まずクビに縄をくくりつけ、その縄をクレーンで引っ張って首を絞めるという方法のようです。BBCのサイトに置いてある画像は何かの比喩なのかと思ったら、そうではないようです。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20060728_execution_teenage_girl/
●第53号/「名誉の殺人」とは何か? 中村 衛
普通ここスウエーデンの人口は八百万と云われている。ところが昨日の日刊新聞 「メトロ」(2002年12月20日)によると、この国の人口増加は1994年以来今年2002年が最も大きく、まもなく総人口は九百万に達するそうである。(それでも東京の人口よりも少ない)。しかしこの人口増加は自然増加ではなく外国よりの移民が増えたためである。同じ日刊新聞「メトロ」によると、今やこの国に住む5人に1人は(片親が外国生まれと言うケ-スを含めると)外国移民だという。例えばここストックホルムで日常使用されている言葉はスウエーデン語以外に50ヶ国語に達するという。ではどこの国からそんなに多くの外国人がこの国に来ているのであろうか。先ずトップを占めているのは隣国からのフィンランド人。次に多いのはユーゴスラビア人。それから、やはりお隣のノルエー、デンマーク、そしてドイツと続く。6番目と7番がイラク、イランで9番がポ-ランド、10番目に多い移民がトルコ人である。これから分かるようにスウエ-デンに居住する外国人の大半はヨ-ロッパ系の白人であり、彼等はたいした問題もなくスウエ-デン社会に入っていける。問題になるのは非ヨ-ロッパ系、特に昨年の9月11日以来はイスラム教徒であるアラブ人やトルコ人である。
今年(2002年)の初め1月21日にスウエーデン社会を愕然とさせた事件が起こった。一人のうら若い美貌の女性が実の父親にピストルで射殺されたという事件である。彼女の名前はファデイメ(Fadime)、二十六歳であった。彼女は七歳の時両親に連れられてトルコのクルデイスタンよりこの国に来た。ウプサラで育つたのであるが、彼女が十五歳になればトルコに戻り、故郷の片田舎に住む、まだ一度も合ったこともない従兄弟と結婚することになっていた。しかし、彼女は勉強を続けて自分に合った職業につき、独立した人生をスウエーデンで送りたいと願った。父親や親戚の男たちによって決められたことに従わないために摩擦がおこり、彼女は家を飛び出した。二十二歳の時彼女はスウエーデン人の男性と恋におちいった。そのため父親は怒って、その当時十八歳の息子と一緒になって何度もファデイメに暴力をふるい、その命を脅かした。そのため裁判沙汰になり、父親と弟は執行猶予になった。その公開裁判中に弟は姉のフェデイメ対して「この淫売婦め!」と大声でののしり、母親も彼等の行為を弁護した。この裁判に関連して彼女は数回テレビや新聞のインタビューに出て、彼女がいかに耐え切れない生活を強いられてきたかを訴えた。1998年の6月にボーイフレンド、パトリック君と結婚するはずであったが、彼は交通事故で死亡してしまった。それから一週間後、弟は彼女のアパ-トを探し出してファデイメを殴ったり蹴ったりして人身暴行をはたらいた。そのため彼は五ヶ月の監獄の刑を言い渡たされた。彼女はその心痛にもめげず別の町に移って社会学の勉強を続け、卒業後はソ-シャルワ-カとして働きたいと願っていた。運命の日、1月21日、ファデイメはウプサラに住む妹のアパ-トを訪問中であった。久しぶりの対面であったため、母親と二人の妹もその場に居合わしていた。その日の晩10時少し前に、どこで聞きつけたものか父親がそのアパ-トに来た。妹がドアを開けるやいなや五十六歳の父親は自分の妻や娘たちの見ている前でピストルをかざして近距離から数発弾を撃ってファデイメを撃ち殺してしまったのである。彼女が親の決めたことに従わず、親や親戚の反対にもかかわらずスウエーデン人の男性と不義の性的関係を結び、サヒンダ-ル一家の「名誉」を傷つけたから、というのがその理由であった。2002年2月4日、ファデイメ・サヒンダ-ル (Fadime Sanhindal) の葬式がウプサラの大教会で盛大に催された。四千人もの会衆がその告別式に参列し、その中にはスウエーデン王家や政府の代表も参加していた。ファデイメは彼女のボイフレンド、パトリック (Patrik) の墓石の横に葬られた。そして実の娘を射殺した父親は裁判にかけられて終身刑を言い渡された。
この事件はこの国のマスメデイアで非常に大きく取り扱われ、どうしてファデイメが死ななければならなかったのかと、その理由、原因が色々と取り沙汰された。「名誉の殺人」が今なお実行されている国としてパキスタン、インド、バングラデッシュ、エジプト、トルコ、マロッコ等が挙げられているが、一般のスウエーデン人にとっては実にショッキングな事件であった。そして似たような境遇で起こった殺人事件が他にも数件あったことも知らされた。(ファデイメは自分の命が危ないことを十分に承知した上で、スウエーデン国会においても彼女と同じ境遇にある移民女性を代表して証言したのである。これは非常な勇気と確信なしに出来ることではなかった)。この事件を契機として非ヨ-ロッパ文化に対するスウエーデン社会の無関心、無知、理解の足りなさを反省するようになり、警察ももっと積極的にファデイメと同じような境遇の移民女性の身辺を警護するようになっている。朝刊「メトロ」によると非ヨ-ロッパからの移民達はスウエーデン社会にいつまでたってもまともに受け入れられず、自国では高等教育を受けていても、その教育に相当する仕事をさせてくれない。職を求めるにしてもスウエ-デン語が満足にできないと皿洗いとか掃除夫の仕事位しかない。スウエ-デン人にとって発音しにくい難しい名前だったり、皮膚の色が黒かったり、黄色だったりするだけで初めから断られてしまう。そのため自国からきた者同士で固まるようになり、いつまでたっても言葉も上手になれず疎外感を感じ、除け者のメンタリテイになってしまう。娘はどんどんスウエーデン的な自由な考え方になって親の言うことを聞かなくなる。それにひきかえ親である自分はいつまでたっても一人前として取り扱われず、まともな仕事もなく欲求不満になっていく。ファデイメの父親もそのような切羽詰った精神状態にあったのに違いない。今のように不景気な時代ではなおさらそうである。それにもかかわらずスウエーデンの福祉制度にひかれてこの国に押し寄せてくる難民の数は増える一方である事実は統計の数がはっきりと示している。これらの難民の受け入れ対策がどのようになっていくか、また一般スウエーデン人の非ヨーロッパ人に対する理解がどのように深まっていくのか、この国に定住するマイノリテイの一アジア人として人事ではなく深刻な問題として受け止めているわけである。もっとも私自身はスウエーデン人の良識を信じているため、この国の将来についてそんなに悲観的ではない。
了
ストックホルム在住 (2002年12月23日)
http://www.bekkoame.ne.jp/~hujino/no53/53_008.htm
●いまだ中東に残る「名誉殺人」エジプトから
エジプト国営の日刊新聞アルアクバル五月四日号に、結婚後十カ月で離婚して、カイロのアインシャムスにある実家に戻ってきた妹を、彼女の兄弟二人が、妹の行為を恥ずかしく思って殺害した、との記事が掲載された。
実は妹が男性と付き合っていることをかぎつけた兄が妹を殺害したり、父親が娘を殺害するという事件を二カ月に一度ぐらいの頻度で目にしており、報道されない事件を含めれば、かなりの同様の悲劇が行われていると推測される。
一方、五月二十日のCNN電子版は、イラクのバグダッドで、ヤジディ教の信者の家庭に育った十七歳のクルド人少女が、イスラム教スンニ派の男性と一緒にいたことを家族に責められ、首を腕で締め付けられた状態で、人込みの中に引きずり出され、石を投げられ、殴るけるの暴行を受けて死亡した、と報じた。他教徒との交流を不名誉と見る「名誉殺害」だが、現場にいた警察官は「名誉殺害」を阻止することはできないとの見解を示したという。
中東地域には、これらの事件に表れているように、氏族・民族社会での伝統的価値観や、宗教上の価値観がいまだ広く残存しており、近代的な自由民主主義的価値観からは「古い時代の価値観」としかみえない部分がある。
イスラム法(シャリア)では、女性は結婚するまでは父親か兄に、妻は夫に完全に従うことが基本的に要求されている。相互に愛情があれば、それほど美しく安全なことはないのだが、愛情が欠ければ、その主従関係は地獄の人間関係に転落せざるを得ず、数多くの女性が苦悩している。
中東地域は、独裁制やイスラム体制を維持するための情報管理が厳しく行われている部分もあり、そのことが一層、文明の光が差し込むことを妨げている。
http://blog.worldtimes.co.jp/archives/50699560.html
●名誉の殺人 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E8%AA%89%E3%81%AE%E6%AE%BA%E4%BA%BA
●名誉殺人に反対する国際運動 International Campaign Against Honour Killings
http://stophonourkillings.com/
【私のコメント】名誉殺人に代表されるように、中近東イスラム圏では女性の人権が著しく侵害されている。名誉殺人はイスラムに由来するものではなくイスラム以前の地域風習の影響という説もある。東南アジアイスラム圏で名誉殺人が存在しないのはそのせいかもしれない。日本でこの「名誉殺人」が問題となることはないかもしれないが、欧州ではイスラム移民の中で実際に名誉殺人が起きている。これこそ、欧州文明と中近東イスラム文明の衝突に他ならない。イスラム文化を持った中東移民の流入を押しとどめない限り、欧州文明は将来滅亡しかねない危険があるだろう。
日本は石油の安定輸入の観点から中近東イスラム圏との友好関係を必要としている。しかし、その裏にはこの「名誉殺人」に代表される深刻な女性の人権侵害が存在することを念頭に置かねばならないだろう。
ヨーロッパには思想信条信仰の自由がある。之はイスラム教にはない考えである。
私達が中東へ行った時、女性には目もくれなかった。下手に見て何かあると、その親が出てきて、とんでもないことになると記して在ったからである。
日本に留学したしたことがあるアラブ人(日本語が正しく、私が何処で習われたのですかと尋ねたが教えてくれなかった)が日本人には、俺の顔に泥を塗ったなと言うことですよ。つまり親の顔に、と説明してくれた。別に日本人は言った、言わないといって争うと笑って、話したので、私達も苦笑いをした。
彼はヨーロッパは野蛮であると日本語で話した。
私もヨーロッパ文明の背後にあるある種の残虐さが少しわかっていたので、えそうですよと応じたが、その後の会話はなかった。私がもっと英語が(中学生程度)出来ればと思った。
機械室で偶然、女の人と一緒になった。まずいと思った。彼女は多分何処にでも居る少し貧乏な家庭で、それをなんとも思わず、快活で、賢い人であり、何をやらせても出来るという人である。(女房にするといい人かな) 手先は器用でドリルをとぎに来た。
そのすぐ後に私のカウンターパートが来たので、あわてて、状況を説明した。すると彼は笑って心配ないという。すると彼女がアラビア語で何を話したの何を話した(私にはそう思えた)と聞くので、彼が説明すると、にっこりして、大丈夫(多分アラビア語で)と話した。その笑顔は全くよかった。
それでも我々が動くのを注意していることはわかった。必ず避ける。何処でどのように見ているか知らない。多分未婚の女子がそうだったトオモウ。
西洋文明はイスラムから見れば危険だろう。西洋文明から見ればイスラムは危険だろう。当然対立するに決まっているが、一概にヨーロッパが優れているとは私は思わない。
その問題は我々日本人にもある。西洋文明から日本人を見れば形を変えた名誉殺人に相当するものを日本人の行動に見るだろう。
日米における経済摩擦はその視点から見ると、又別のものが見えるだろう。我々はアラブ人のように名誉殺人に相当する行動をアメリカ(西洋文明)に対してしている。自覚していないが。
この頃,お偉方や、知識人はしていない。する気力も、度胸も、その精神的な基盤(イスラムへの信仰に相当するもの)がないからである。然し庶民は無意識に行動でして居る。
それこそが大和魂と呼ばれるものである。
では大和魂とは?
マサカ、日本人は 敷島の 大和魂の 人問えば、朝日ににおう 山桜花 であると思って居られる訳ではないでしょうね。
従がってごく普通の人々と話しても、かなわないと私は思っている。
仕事が完成すると生贄の羊、または牛をとさつする。そのやり方は殺された日本人のビデヲが流れたが、それと同じである。
羊はもう自分が殺されることが判っているらしく、本当に悲しそうな声でなく。暴れることはなかった。そしてたぶん専門の人だと思うが、実に手際よく処理した。そしてその血を飲むわけであるが、我々の生理的反応は、ゾクとして、首筋が寒く感じた。
そしてその肉を従業員に分けるのである。
皆うれしそうにそれを貰って、かえって行った。
かの地の会社の仕組みは、会社を所有している人には、一度会っただけであるが、多分ほとんどが同属経営だと思う。
所有者が居て、その下に会社を経営する人(マネージメントをする人)が居て、その下に管理者が居て、その下に労働者が居る。この労働者をworkerといい、管理者は明らかに彼等と自分達は別であると思っている。
一般にヨーロッパ、ラテンアメリカ、アメリカ スラブ諸国、中東はそうだろう。
資本論はそのような世界の分析である。従がって我国の資本論に関してごたごたいう人は、彼等から見れば名誉殺人のようにたぶんその理解は頓珍漢に見えるだろう。私は読んだことはない。読めない。
給料ははっきり覚えていないが週給か、二週間に一度だったトオモウ。
労働は目に見えない秩序がある事は判るが、我々から見ると勝手に来るが、帰る時は3時半であった。又休日は金曜日であり、夜が主である。それは気候を考えれば当然である。
確かではないが金曜日は木曜日の夜から始まり、金曜日の日の入りまでと言う感覚ではないだろうか。つまり夜が主である。イスラムの暦は月の運行と連動して居ることは、活動が夜を主として居ることになる。閏で時を修正しないから季節感はない。
イスラムのお祈りがあるが之は5回で、我々が見たのは昼である。之はマイクから声が流れる。たぶん時を知らせるためもあると思うが詳しくは判らない。その時間は場所によって異なる。太陽の動きに連動しているトオモウ。
男子のそれしか見たことがないが、する前に手と口をそそぐ。
近くで見ていると不思議な気がする。私には彼等のように祈る対象がないということに気がつき、なんともいえない気分に襲われ、頭の中が停止する。それを考えると心の中がむなしくなる。之は明治以降生じたことで、それを近代化と呼ぶが、それは一体なんだろう。
私が見たところ女子が姿を隠すことは、意味がある。それは男性の性的興味は目から入ると言う生物学的な要素から来るからである。之については私はイスラムが正しいと思っている。
表向き売春はないが、実際はそうではないが詳しいことは判らない。本当に。
男子は女子にちかずかない。あるとき少女が同僚にプレゼントをくれた。之には愕いたが、その後がいけなかった。それに答えようとする同僚に若い男子が怖い顔をして、駄目だと言う。そして腕を捕らえて、同僚を引っ張っていき、駄目だ駄目だという。私はあわてて、とりなした。その顔はとんでもないことをするという表情であった。アハディーズと言う教えが在るらしく、それに違反していると言うことである。
一般に女子は保護されているトオモウ。ただその保護は西洋的ではなくイスラム的で、あると思うが詳しくは判らない。
人が歩く時その姿はゆっくり見えるので、遅いかと思ったが、一緒に歩くと、早足で歩かないといけない。私がその話をすると同僚がそれはコンパスが長いからだよというのでなるほどと思った。
歩き方は私には優雅に見えた。
我々の歩き方は彼等から見るとおかしく見えるらしく、まねをされた。逆の名誉殺人である。
彼等があるとき私達のまねをした。それは我々東洋人は上下関係にやはり敏感で、社長が来るとすぐに態度を変えることが判るらしく、その態度のまねをした。始めそれが判らなかったが、我々がそれにきずくとにこっと笑った。
そして彼等と社長とのやり取りを見ていると、別に普通に話している。これが神の前の平等(契約社会の人の行動)である。この契約社会ということは、私も色々考えたがよく判らない。もっと居ればわかったトオモウが。社長が怖いですかときかれたこともある。之は我々の態度を見てのことだろうと思う。つまり社長の前での我々の態度は社長を怖がっている態度に彼等には見えると言うことである。
人に優劣、上下感覚はない。之はイスラムの特徴ではないだろうか?
ラマダンと言う断食月がある。この時期は仕事にならないから、我々はそのときをはずしていった。従がってどのようなものかは判らない。日の出から日の入りまでつばまで飲み込んではいけないと言うことである。
イスラム教の人々は幼い頃から之をしている。食べると言う基本的な欲望のコントロールをする訳だから、動物としての要素が少なくなり、人として練られることになると私は思っている。之は日常的に我慢ずよさを育てるのではないかと想像している。従がってそれが取れたときの爆発は却って大きいのではとも思う。
いずれにしても名誉殺人は簡単に反近代性としてかたずけられるものではないと私は重ねて思う。
西洋の近代は色々な部品で成り立っており、それが絶対ではないが、西洋もイスラムも普遍性を基本としているから、大きな問題を起こす。
もう一つかの地でイスラムについて聞くと、ややこしくなる。彼等が言うにはcreation,creatioと言う。色々聞くが中学程度の英語では、尻切れトンボになる。天地創造のことだがこれが私にはよく判らない。
従がって私の見方、理解はその程度のものと思っていただきたい。
又行ったところで見たこと、感じたことであるから、それも了承していただきたい。
いずれにしても彼等が石油がなくなる前に石油以外のもので国を成り立たせることが出来ることを私は祈るが、その前途は困難であるとも私は思っている。
イスラムはこれでいいんだよ
2007-12-19 10:52:03
イラクからアメリカ軍が撤退した後、ロシアイラン連合軍が南下するようです。
http://www.teamrenzan.com/archives/writer/omnibus/uaeprinceinjapan.html
天皇陛下とUAE国防大臣兼副大統領
http://www.asahi.com/international/update/1217/TKY200712170255.html
ロシア、イランに核燃料供給
するとなんと返事をされたと思いますか?
それは敵が御前達にそれを読ませないようにしているからだとの返事であった。私は不意をつかれて、返事が出来なかった。すると敵のまねをして、彼等は絶えず見張っているから気をつけないといけないといって、見張るような格好をした。
やはりユダヤ人は敵とみなされている。その後子供の遊びのように、これが敵だ、やっつけろと笑って、じゃれくった。
この出来事は私に大きな衝撃を与えた。
私は御前達は一体誰を敵と見ているかとは聞けなかった。
然し彼等が敵と言う言葉を使用したことは、私に、では我々日本人は何を敵としているだろうか。男子家をいずれば、7人の敵がありということわざすら、失われている。
凡そ生き物としては必ず敵が在る。その生き物としての人間にもあるはずであるが、我々日本人はまったく、その感覚がない。
このことは私に色々なことを考えさせた。考えれば考えるほど我国と我々は一体何なのだと思うがその答えらしき物がが出てこない。気が狂っているのではと思うこともある。
又従業員が 19世紀においてフランス、イギリスが彼等にしたことを私に話した。右手を鉄砲のまねをして。
我々が19世紀のことを日常的に話すだろうか。そのときのことが今影響しているだろうか。彼等が考える歴史のスパンは長い。
そして今の支配者は外国と繋がっているから駄目だという。
明快に支配者と一般とを区別している。そして支配者をさらさら信用していない。
我々日本人が今の支配者は外国と繋がっているとして、さらさら信用してないことがあるだろうか。実際繋がっていることが見え見えである政治家が居るが。政府なるものに対する感覚が我々とは全く異なる。然し我々は今後彼等と同じ感覚を持つことが正しい世界がクルかもしれないとも私は思う。
あるときスーパーでジュースを買った。その金額は婦人の一ヶ月の給料の3パーセントであった。それで私がその話をしてジュースを飲むのかと聞くと、いや呑まない。生のジュースを飲む。その金額でオレンジはその十倍以上は買える。それを絞って呑むと言う。
食べ物はたくさん食べようが、いい物を食べようが、必要な分が体に吸収され、後は出て行く、余分に出す必要ない。それ以上のものは不要だと言う。
豆で作ったハンバーガーは一ヶ12円で不思議とそれを一ヶ食べるとおなかは空かない。もっと長く居れば別かもしれない。
あるとき現地の人に頼んで一日案内してもらった。そのとき現地の人々が行く店へ行ったがその食べる量の多いことには魂消た。彼等の一食が我々の三食ぐらいである。
あるときわが国の経済的発展の話になったが経営者が言うには我々は絶えず外敵に気を配らなければならない。そのために使う、金、能力は大変なものがあるが御前達日本は本当にうまくやった。アメリカを利用して、敵の心配をしなくて、すべてを経済に使うことが出来た。本当にうまくやった。(かの地は経営者以上と、一般民衆は異なるが、最終的には一般民衆のほうを取ると私は思う)
彼から見ると自民党政権は最も優れた政権となる。つまり外国から見ればうらやましい政権となり、外国は之を潰そうとする。従がって国内に居る自民党政権に反対する人々を二つに分けなければならない。一つは同じ政権が続くと出来る腐敗に反対する人々と、外国の意に沿って、、潰したいと思って、反対する人々である。つまり手先となって、しかも、この手先には自覚した人とそうでない人が居るが、問題は自覚していない人である。この人々は我国にうようよ居るが、一度私が指摘したら、非常に怒った。外国は彼等を利用する。外交とはそのようなものである。
近々30年自民党政権に反対してきた人々は一体どちらの人々だろうか。我々はその視点すら持たない。
世界の政治史の中で私は我国の自民党政権とその政策は大東亜戦争後最も成功した政権と評価されていると思っている。従がって戦後政治史はこの視点から見た物のみが物を言うと思って、探したがない。
まだあったがメモしたノートが見つからないので、記憶を頼りに記しました。いずれにしても我々日本人はイスラムについては全く無知で、知識、ニュースもアメリカ、ヨーロッパの目を通したものしか見ていないから、自身の目で見たものを知る必要がある。
私が思うに甘いかもしれないがアラブ社会は妙な暖かさがあると思う。とりわけ我々日本人に対しては。
そのわけは以前にも記したが神風特別攻撃隊で黙って出撃して行った人々と、メーカーで夜昼なく、懸命に製品の改良に取り組んだ人々である。
政治家でもなく、学者でもなく、名もない人々である。それが我が日本である。
しかも、外国だけではなく日本のエスタブリッシュメントに対しても。
日本のエスタブリッシュメントはそれを自覚しているのだろうか?
チンチンをマンコに入れなはれ。
それで全ての悩みが解消する。
レイプ被害者だから処罰されたように勘違いしている人いるのではないか。
女性に厳しいイスラムの慣習や法とは区別して議論すべき。
2014/10/27 09:20
10月下旬にアップされたイスラム国のオンライン・マガジン『ダービグ』の最新号が奴隷制の復活を宣言しました。ちなみにダービグはシリア北部のトルコ国境に近い町の名前です。イスラム教の預言者ムハンマドが、この土地でキリスト教徒とイスラム教徒の間で決定的な戦闘が行われると語ったという伝承があります。イスラム国は、その伝承に基づいて『ダービグ』という名前をオンライン・マガジンのタイトルに使っているのでしょう。
ダービグが奴隷化の対象としたのは、イラク北部で拘束したヤズィーディー(ヤジディー)と呼ばれる少数派です。ヤズィーディーは、ゾロアスター教、イスラム教、キリスト教などの教えが融合した宗教と考えられています。奴隷制度の復活宣言の背景には何があったのでしょうか。どういう考えがあったのでしょうか。
対象は少数派ヤジディー教徒
イスラム国の指導層の考え方では、預言者ムハンマドの時代が理想の世であったとの発想があります。つまり7世紀こそがイスラムの黄金時代だったという認識です。そして、その時代には奴隷制が存在したので、その復活をよしとしているようです。
付け加えると20世紀の半ばまでサウジ・アラビアでは奴隷制がありました。またアメリカでも19世紀のアブラハム・リンカーン大統領の解放宣言までは奴隷制が存在しました。イスラム教やキリスト教が、つい「最近」まで奴隷制と共存していた事実は忘れられがちです。
イスラム法では、ユダヤ教徒とキリスト教徒の奴隷化を禁じています。イスラム教の認識では、神は人類に対してモーゼなどの預言者を通じてメッセージを送ります。これがユダヤ教です。そして次にイエスという預言者を通じてメッセージを送ります。これがキリスト教です。そして最後に預言者ムハンマドを通じてイスラム教を教えたのです。ユダヤ教、キリスト教そしてイスラム教を一連の進歩の段階と考えています。したがってユダヤ教もキリスト教も同じ神の教えですから、その信徒は尊重すべきと説いています。したがって奴隷化は神学的に許されないわけです。ところがヤズィーディー教徒の場合は、そのユダヤ教徒でもなければキリスト教徒でもないというので、奴隷化の対象とみなされているようです。
イスラム国には世界各地から「義勇兵」が、駆けつけています。その大半は男性です。しかもイスラムは結婚の枠外での性的な関係を禁じていますので、兵士たちに妻を与える必要が感じられているのでしょう。イスラム国の解釈では奴隷の女性との結婚はイスラム的に合法であり、その子供は奴隷ではなく自由民の地位を与えられます。現実に兵士たちに妻を与えるという必要性をイスラム神学で合理化したとも言えましょう。
最後にイスラム国の人々の信じている伝承では、キリスト教徒との最終的な戦いの前に、イスラム教徒は多くの捕虜を奴隷化するというものがあります。これも、奴隷制復活宣言の背景にあるのでしょうか。
※2014年10月25日にTHE PAGE(ザ・ページ)に掲載
高橋和夫の国際政治ブログ