●中華民族
中華民族(ちゅうかみんぞく)という言葉は、一つには中国(中華民国、中華人民共和国)の国籍を持つ全ての文化的集団(エスニック・グループ)を統合した政治的共同体(ネーション)を表す概念である。漢族だけでなく、蒙古族、チベット族やウイグル族などの少数民族も含む。
もう一つは自己を世界の中心とする意識の表現の下、漢民族が自民族を表現する概念である。この二つの概念の違いは、元々「中華」という言葉が「漢民族文化」を指す言葉であり、それが中国においては「中国国籍」と拡大解釈されたため、生じたものである。
この言葉は章太炎が漢族を表す新しい民族名として提唱し、袁世凱が外蒙古独立時に「外蒙古は数百年家を共にした中華民族のものである」と言って使用し、孫文は1912年に自身が発表した漢満蒙回藏五族共和説を基に、「よく五族共和と言うが、中国はこの五つの民族だけか?私が言いたいのは、中国内全ての民族を同化して一つの中華民族を作り上げなければいけない。中国の民主主義はその後完成する。」と言って使用した。
現在、中華人民共和国にて中華民族とは、「中華人民共和国国内に居住し、中国国籍を有する者」として「中華民族=中華人民共和国国籍」と定義する一方、「黄河は中華民族の揺り籠」「中華民族は炎黄子孫」など、「中華民族=漢民族」と定義してその場に合わせた解釈を繰り返し、決まり文句が「中華民族は一体である」という政治的な意味を込めて広く用いられている。
中華人民共和国は世界最大の多民族国家であったソビエト連邦が掲げたソビエト民族、ニューソビエト人、ホモ・ソビエトといったソビエト型国籍政策をモデルにさせているともいわれるが、文明を基盤とさせている点で後者と差異がある。
「中国人」という意味における「中華民族」と言う概念は中国における公的機関や多くの愛国者によって支持されており、漢族を中心とする中国人の政治的なアイデンティティーとなっている。しかし、一部の少数民族への労働改造所への強制収容、漢族への文化的、言語的同化政策、果ては中国人民解放軍による軍事行動による制圧への反発から、分離独立運動や自治権拡大運動を起こしている(東トルキスタン、ウイグル、チベットなど)。
一方「漢民族」という意味における「中華民族」は、中国のみならず台湾、シンガポール、華僑など、広く華人社会において受け入れられ、自称として使われてもいる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E6%B0%91%E6%97%8F
【私のコメント】
21世紀以降の日本の行方はどの様なものになるのだろうか?それを占うのに有用なのは、中国での漢民族と遊牧民族の争いの歴史であろうと思われる。
中国では、中華民族という民族が存在し、それが中国で次々と政権を作ってきたという公式の歴史観が存在する。中国全土を支配したものは皆中華民族になるのである。当然、モンゴルのチンギスハンも中華民族の一員とされている。しかし、中国の歴史を客観的に見れば、それは農耕民族である漢民族と遊牧民族であるモンゴル系・トルコ系・あるいは満州系民族の争いであったことは明らかである。中国の王朝は元や清などの征服王朝以外にも、鮮卑系とされる唐王朝など、遊牧民族を君主とするものが多い。また、北京や長安などの草原地帯に近い地域に首都を置いた王朝の多くは、遊牧民族が西方や北方から伝えた軍事技術で政権を維持していたと思われる。ソビエトの援助や旧満州国の工業力を背景にしていた建国初期の中華人民共和国もその例にもれない。むろん、倭寇の様な海からの侵入者も存在したが、それは勢力としては決して強いものではなかった。少なくともアヘン戦争以前の中国史は、遊牧民族と農耕民族の対立という視点から分析出来ると思われる。
では、アヘン戦争以後の中国史はどうかというと、遊牧民族の勢力は著しく弱くなっている。北方から満州に侵入したロシアという例もあるが、やはり海から中国に侵入した西洋諸国(日本を含む)の勢力が強い。中国は全土が完全に西洋勢力に軍事支配されることはなかったが、国土の大部分が半植民地化された。そして現在も、西洋勢力の文化・技術・経済の強い影響下にある。つまり、アヘン戦争以後の中国は、大陸民族と海洋民族の対立という視点から分析できると思われる。かつてシルクロードの起点として長安が繁栄したように、現在は海運路の起点である上海や香港が繁栄している。
アヘン戦争以前の中国では、基本的に遊牧民族は攻め込む側であり、農耕民族は攻め込まれる側であった。しかしながら、漢の武帝が匈奴や西域に派兵したのを皮切りに、漢民族王朝も何度も遊牧民族領土に攻め込んでいる。また、シルクロードの交通路であった西域のウイグル地区は何度も漢民族王朝によって軍事支配されている。遊牧民族が攻め込む頻度よりは少ないが、漢民族側も遊牧民族側に攻め込んでいるのである。同様のことが21世紀以降の東アジアでも起こると思われる。中国の対外貿易ルートとして重要なのは、インド洋に至る南シナ海と、北米に至る日本近海である。従って、この二つの海域の支配を巡る海洋民族と中国の争いが重要になってくると思われる。現在の中国が陸軍力を減らし海軍力を増強しているのは、第一には台湾の回復が目的であるが、究極的には対外貿易ルートである日本近海・南シナ海の支配が目的であると考えて間違いないだろう。
では、中国はランドパワーであることを止めてしまったのだろうか?そうではないと思われる。中国にとって陸地は資源の産地として重要であると思われる。ウイグル・チベット・内モンゴルなどの人口希薄で資源豊富な地域には多数の中国人が送り込まれ、先住民族が少数民族化している。これが中国の対外膨張の方法である。中国の北側にはモンゴル・シベリアというやはり人口希薄で資源豊富な地域が拡がっており、今後多くの中国人を送り込んでいく戦略を中国は考えていると思われる。ただ、大陸方面の領土拡大よりも海洋方面の領土拡大が優先されるであろう。香港回復→台湾回復→南シナ海・日本近海支配権樹立→モンゴル・シベリア進出という順序になるのではないだろうか?
海洋勢力と大陸勢力の争いの焦点はやはり台湾になると思われる。ここを支配した側が東アジア全体の覇権を握ることになるだろう。かつて宋と遼が北京周辺の領土(燕雲十六州)を巡って争った歴史からも分かるように、北京は軍事拠点として非常に重要な場所にある。同様に、軍事拠点としての台湾は今後数百年の間、海洋勢力と大陸勢力の争いの場になると思われる。
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冷静な視点、考察拝読させて頂いております。
私は真の日中友好は
絶交する事、つき合わぬ事と愚考しております。
宣伝、ご容赦下さい。
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元警視庁通訳捜査官である坂東忠信氏サイト「 外国人犯罪の増加から分かる事 」
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ご高覧下さい。m(_ _)m乱文にて 敬具
ですが、中国国家がやがて共産主義の看板を下ろし、宗教としてのチベット仏教を積極的に受入れたら?
元代から清朝滅亡まで、チベット仏教は中国の事実上の国教でした。政治僧として国家に関わったラマも多数いました。
中国人はもともと迷信深くて、実際、現在でもかなりの宗教が復興しています。
無宗教が建前の共産主義国という看板を下ろせば、一気に宗教天国化します。そこにチベット仏教を国家的に布教してチベット仏教国になる。
ダライラマ亡命政府は世界的なコネクションがあるので、共産主義を降ろした中国にとってこれは好都合なシナリオになるのです。
21世紀半ば頃の世界にとって、チベット仏教はイスラム以上に重要な要素となっているかもしれません。
その時は、中国仏教の流れを継ぐ日本仏教も否応なくそれと対峙するということになるでしょう。