ピアノにしろオーケストラにしろ、いわゆるクラシック音楽と呼ばれる範疇にある音楽の演奏は、楽譜に書かれたことを再現する…ということなので、いかに楽譜をきちんと読むかはとても重要なことです。
楽譜を読む、いわゆる「譜読み」というのは、音の高さや長さや強さなどを読むばかりではなく、作曲者が書いている情報から、どういう演奏をしなければいけないかを読み取ることでもあるわけです。
スラーや休符はつい見落としがちですが、これもきっちり読まないと…なのです。
当たり前ですけど。
それがきっちりできてない人は意外に多い…かも。
生徒さんで、以前習っていた先生から、ショパンの曲で楽譜に指示がなければ自由に弾いていい…と教わったという人がいました。
初めにテンポ表示が書いてある以外、ほぼ何も書かれていない曲で、テンポを自由に変えて弾いたり、あちこちで大袈裟なrit.(リタルダンド だんだん遅く)をしたりするので、それはまずいでしょう…と。
…で、上記の自由に弾いていいという話になるわけで…。
基本的に何も表示がなければ始めた速さで弾くのは当然のことで、その中で、気持ちが高まるとか気分を変えるとか、自然に多少の変化が出る場合もありますけど、明らかに変えるのはおかしいし、フレーズの変わり目ごとにrit.をするのも流れを妨げるし…。
書いてないことを勝手にするのはよくないとお伝えしました。
楽譜を読むというのは本当に難しいことで、まずはどの楽譜を使うかということから始めますが、これが意外に難しいのです。
今では当たり前になっていますが、ベートーヴェンやモーツァルトのソナタなど、原点版で弾くわけで、私が子供の頃に流布していた、いわゆる日本版のソナタアルバムなどは、ロマン派の時代に、時代の要求に合わせてさまざまな表情記号が加えられた楽譜だったのです。
その楽譜で弾くと、時代様式や作曲家の意図を無視した演奏になってしまうのですね。
ショパンの楽譜も、ショパンの友人だったフォンタナが改訂したバージョンもあったりして…。
使う楽譜を決めると、書かれているフレーズを示すスラーやスタカートなどのアーティキュレーションにはかなり気を使います。
日頃から、楽譜に書かれたことをいかに表現するかということにかなり悩みながらピアノに向かっている身としては、気軽に、自由に弾いていいよという先生がいることには大いに驚いた…という話でした。