エミール・ガボリオ ライブラリ

名探偵ルコックを生んだ19世紀フランスの作家ガボリオの(主に)未邦訳作品をフランス語から翻訳。

2-XIII-15

2025-01-15 11:06:08 | 地獄の生活
「ああ、そのとおりさ!何百万という金のためならばね!」
「あなたがその危険な性向を抑えられないのを見て、私はよく考えてみました。大金を手にするまで何もあなたを止められない……。毎日のパンを稼がねばならないような貧しい生活を強いられたら、働くことが大嫌いで、おそらく働く能力もないあなたは、どのような泥沼に転落して行くことか?贅沢や物笑いの種になることや不品行が大好きなあなたは、お金を得るためにはどんな卑劣な手段にでも訴えるでしょう。遠からずあなたは刑務所に入れられるか、それと同じような運命を辿ることになるでしょう。あなたについての消息を知るとしたら、あなたが不名誉刑(市民権剥奪などの)を宣告されたときでしょう。でも金持ちになれば、あなたはおそらく正直に生きられる。何も不自由がなければ、恐ろしい物欲に曝されることもない。安易な誠実。そんなものは称賛に値しないけれど……。人間の美徳というものは誘惑と戦い、勝利することにあるのだから……」
 あまりよく理解出来なかったものの、ウィルキー氏は異議を差し挟みたいと思った。が、既にマダム・ダルジュレは先を続けていた。
「なので、私は早速今朝、私の公証人のところへ行って、全てを話しました。今この時間にはもう、ド・シャルース伯爵の遺産を私が相続放棄する旨の文書は、裁判所に提出されている筈です……」
「え、何だって、放棄するって!ああ、そりゃ駄目ですよ……だって、だって……」
「意味が分からないなら、最後まで私の話を聞きなさい……。私が相続放棄をした時点で、遺産はあなたのところに行くのです、息子よ……」
「ほ、ほんとに!」
「ああ心配はご無用、あなたを騙すつもりはありません。私が望むことと言えば、リア・ダルジュレの名前が人々の口に上らないことだけ……。必要な書類はあなたに渡してあげます。私の結婚契約書、それにあなたの出生証明の写しを」
今やウィルキー氏の喉を詰まらせているのは喜びであった。
「そ、それで、い、いつそれらの書類が貰えるんです?」 と彼はどもりながら尋ねた。
「あなたが帰る前に渡してあげましょう……でもその前に、あなたに話しておくことがあります……」1.15

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2-XIII-14

2025-01-11 08:36:43 | 地獄の生活
 「引っ越しではありません」
 「おっと、そんな手は僕には通じませんよ……中庭に並んでる馬車は、それじゃ一体何なんです?」
 「このドルーオ通りの邸に備え付けてあった家具をすべて競売場へと運ばせるためです……」
 ウィルキー氏の顔に一瞬仰天の表情が浮かんだ。
 「何だって、家財道具の投げ売りかよ!一切合切売るつもりですか?」
 「そうです」
 「そりゃ驚いたなぁ!……でもその後は?」
 「パリを出て行きます……」
 「え、そんな! で、どこへ行くつもりなんです?」
 彼女は痛ましく無頓着な風を装い、ゆっくりと答えた。
 「分からない……誰も私を知らない土地に行きます。自分の恥を隠せるかもしれないところに」
 この話題を押していくのは上手くないと考え、ウィルキー氏はそれ以上追求しなかった。
「待てよ」と彼は思っていた。「このままだと彼女はまた俺に説教を始めるぞ。そんなもんは真っ平だ!」
しかし一方では大きな不安が彼の心を騒がせていた。『こんな風にすべてを売り払って出て行く、というのはまるで夜逃げじゃないか。それにこの氷のような応対。非難の嵐に遭うと思っていたのに。ということは、これはマダム・ダルジュレの揺るがぬ決意を表しているのではないだろうか。あくまでも俺の要求を拒否するという……』
「とんでもないことだ!」と彼は再び口を開いた。「そいつは笑えませんね。貴女がいなくなったら、僕はどうなるんです? どうやってド・シャルース伯爵の遺産を請求できるんです? 遺産ですよ、僕が欲しいのは。それは僕が受け取るべきものだ。譲れませんよ。前もそう言った筈だ。僕が一旦こうと決めたら……」
彼は言葉を切った。マダム・ダルジュレの相手を圧し潰すような視線にそれ以上耐えられなかったからだ。
「安心なさい」と彼女は苦々しげな口調で言った。「私の両親の財産を相続できるよう要求する権利を、あなたに残しておいてあげます……」
「ああ!それなら……」
「私の意図とは全く逆だけれど、あなたの脅しを受けて私は決心しました。あなたはいかなる恥辱、悪評を受けようと退くことのない人間だということがよく分かりました……」1.11
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2-XIII-13

2025-01-07 11:33:54 | 地獄の生活
というのも、召使い達は皆ぶしつけに彼をじろじろと眺めていて、彼らの目にあらゆる種類の脅しと、これ以上はないほどの軽蔑が浮かんでいるのを感じないでいるのは不可能だったからだ。彼らは声高に嘲笑を浴びせ、彼を指差していた。五、六回も聖書に由来する力強い言葉が聞こえたが、それらは彼を形容する言葉でしかあり得なかった。
 「ごろつきめが」と彼は怒りで腸が煮えくり返るのを感じながら、頭の中で罵った。「ならず者め!もし俺がその気になったら、どうなるか! ああ、俺みたいな紳士はこんな下賤な奴らと関り合いになるものではないと決められていなかったら、どんだけ杖で打ちのめしてやることか!」
マダム・ダルジュレに知らせに行った召使いが戻ってきて、彼の地団駄踏む思いに終止符が打たれた。
「マダムはお会いになるそうだ」と召使いは言い、無作法にもこう付け加えた。「あ~あ、もし自分が奥様だったら……、ま、仕方ない、こちらへ……」 
ウィルキー氏は召使いの後を追って駈け出した。そして通された部屋からは壁掛けもカーテンも取り外され、家具は既に運び出されていた。その部屋で、マダム・ダルジュレは大きな旅行鞄にリネン類やさまざまな衣類を詰め込んでいる最中だった。哀れな彼女は、死んでもおかしくないような危機を奇跡的に乗り越えていた。しかし無残な打撃を受けたことは確かで、そのことは彼女を一目見るだけで明らかであった。
彼女の外見は一変していて、最初ウィルキー氏は、これが昨夜会ったのと本当に同じ女なのかと自問したほどだった。
今の彼女は老女だった……。五十歳以下には見えないと人は言うであろう。二十年に渡る幻滅と後悔という拷問を受け、涙と眠れぬ夜、そして絶え間ない苦悶が続いたその最後にやって来たのが息子から受けた卑劣な行為だったのだ……。
この黒い服の下に隠れているのがかのリア・ダルジュレだとは誰にも分からなかったであろう。ほんの昨日も彼女は自分のビクトリア(四輪無蓋馬車)のクッションにたおやかに凭れかかり、着飾った姿をみせびらかしながら池の周りを巡っていたというのに。彼女の煌めく金髪を除いては、かつての颯爽たる姿を彷彿とさせるものは何もなかった。毛染めの力を借りて保っているその金髪はまるで彼女の過去を告発する犯罪者の烙印のようだった……。
ウィルキー氏が入って来たとき、彼女は痛々しく立ち上がり、絶望しきった者の抑揚のない声で言った。
 「私から何がお望みなの?」
 ウィルキー氏は、いつものことながら、一番言いたいことがあるときに限って喉が詰まって言葉が出て来ないのだった。
 「ええと、僕が来たのは、その、僕たちのことについて話し合おうと思ったからじゃないですか!……そしたら、いきなり、何なんですか! 引っ越しをするんですか」1.7
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2-XIII-12

2025-01-03 10:21:51 | 地獄の生活
「彼があのような人間だということは幸運だと感謝しよう」と彼はきっぱりと言った。「頭脳と情を持った若者なら、私の書く筋書きをそのまま演じたりはしないだろうから。そしてあの誇り高いマルグリット嬢と彼女の財産を私に譲ったりなどしないだろう……。私が心配なのは、彼が果たしてマダム・ダルジュレに会いに行くだろうか、ということだ。彼の憤慨ぶりを見ただろう」
「ああ、その点なら心配は要りませんよ。安心していてください。彼は行きます。高貴なド・ヴァロルセイ侯爵に行けと命じられたら、どこへなりとも彼は行きますよ」
フェルナン・ド・コラルト氏はウィルキー氏のことならお見通しだった。
ド・ヴァロルセイ侯爵のような貴族から『勇気がない』と思われるのではないかという心配が、彼の躊躇をすべて吹き払い、常軌を逸した無鉄砲な行為さえ辞さないところまで彼を高揚させていた。なんなら、更にもっと先までも……。
彼にとってド・コラルト氏が神の言葉を伝える預言者であるなら、ド・ヴァロルセイ侯爵は『上流階級』の更に一番高いところから世の中を俯瞰している神のごとき存在と言ってもよかった。マダム・ダルジュレ邸への道を元気よく辿りながら、彼は考えていた。
「へん、だ。彼女の屋敷に行けない筈がないじゃないか。俺はなにも彼女に危害を加えたわけじゃなし。彼女だって俺を取って食おうとはしないさ……」
それから彼はこの会見について報告せねばならないことを思い、自分自身を卓越した存在のように見せ、同時に冷静で嘲笑的であらねばならぬ、と心の準備をした。ド・コラルト氏がそのようにするのを何度となく見てきたので……。
「何と言っても、彼には洗練された雰囲気があるよな」 と、ちょっぴり嫉妬を感じながら彼は思っていた。「ああ!洗練されてる。それに何という品格!」
しかし、ダルジュレ邸が見慣れない様相を見せていたので、彼は驚き、理解に苦しむこととなった。門の前に途方もなく大きな引っ越し用の馬車が三台停まっており、はち切れるほどの荷が積まれていたのだ。
屋敷の中庭にも同じような馬車があり、十数人の引っ越し人夫が袖をまくりあげて作業をしている最中であった。
 「えっ、これは!」とウィルキー氏は呟いた。「ちょうど良い時に来たもんだ! これって本当についてる。彼女、逃げ出すつもりなんだ、現金持ち逃げした会計係みたいに」
 彼はすぐに召使いたちが玄関の石段の上に集まって何やら相談をし合っているところに近づいて行き、出来る限り尊大な調子で言った。
 「マダム・ダルジュレは?」
召使いたちはまず驚いた視線を交し合った。この訪問者が誰か、彼らはすぐに分かったのだ。彼らは彼が昨夜ここにやって来たことを知っていて、そのとき起きたおぞましい事件の後で再びのこのこと姿を現すずうずうしさと羞恥心のなさが理解出来なかった。
 「マダムはおられる」と、ようやく一人がとても丁寧とは言えない口調で答えた。「面会なさるかどうか聞いてくる……ここで待て……」
 その召使いはその場を離れ、ウィルキー氏は石段の下で、取りつけ襟の中で首をまっすぐ伸ばし、自慢そうに細い口髭を捻り上げながら待っていた。が、実際は自分がどういう態度を取ればいいか分からず当惑しきっていた。1.3
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2-XIII-11

2024-12-30 11:00:08 | 地獄の生活
「しかし、こう考えてよろしいのですね、貴方がこの青年を助けてくださる、と?」
ド・ヴァロルセイ侯爵はしばらく瞑想にふけっていたが、その後ウィルキー氏に向かって言った。
「ええ、よろしいでしょう、貴方のお力になろうと思います……まず第一に、貴方の言い分に理があると思うからです。第二に、貴方がド・コラルト氏の友人だからです……ですが、私が協力するに当たっては一つ条件があります。それは、私の忠告に絶対的に従っていただくということで……」
若いウィルキー氏は片手を差し出し、努力をしてなんとかこう答えた。
「ど、どんなことであろうと貴方の仰ることに従います! 誓って! このとおりです……」
「お分かりのことと思いますがね」と侯爵は言葉を続けた。「私が介入するからには、事は成功させねばなりません。世間の目は私に注がれていますし、私には守るべき威信というものがある。私が貴方に与えようとしているのは大きな信頼の印です。いいですか、私が自分の社会的影響力を利用して貴方の後ろ盾になれば、私は言わば貴方の代父になるということです。そういった大きな責任を引き受けるわけですから、私が全面的な指揮権を持っているのでなければお引き受けすることは出来ません……」
「もちろん、その……」
「ということであれば、我々は今すぐ本日にも戦いを起こさねばなりません。大事なのは、貴方の父上の機先を制することです。貴方の母上が警告なさったという、その恐るべき男の」
「ああ、その通りですとも!」
「それでは私は早速正装をしてド・シャルース伯爵邸に赴くことにしましょう。あちらではどういう状況になっているか、知るためです。貴方はマダム・ダルジュレのもとへと急いでください。そして丁重に、だが断固たる態度で、貴方の権利を請求するのに必要な書類を渡して下さるよう、マダムにお願いするのです。もし彼女が同意してくれれば、万々歳! もし彼女が拒否すれば、法律の専門家に取るべき処置を尋ねに行くのです。いずれにせよ、ここで四時に落ち合いましょう」
しかし、ウィルキー氏にとってマダム・ダルジュレに再び会いに行くという考えは嬉しいものではなかった。
「そうですね……僕は手を渡しても全然構わないんですけど……。誰か他の者を代理に行かせることは出来ないもんでしょうか?」
ド・コラルト氏は幸いにもハッパの掛け方を知っていた。
「それじゃ君は怖いのかい?」
怖い? サイコロの角のようにきちっとして動じない自分のような男が怖いだと!
「まさか!そんなことはあり得ません!」
ウィルキー氏が帽子を目深にぐいっと被り、ドアをバタンと閉めて出て行く様子に彼の態度がよく表れていた。
「なんたるバカ!」とド・コラルト氏は呟いた。「しかもパリにはあれにそっくりな馬鹿が一万人はいるんですからね!」
ド・ヴァロルセイ侯爵は重々しく首を振った。12.30
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