アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

ああ、人間の果てまで来てしまった

2025-02-19 12:06:03 | ダンテス・ダイジの風光

◎距離(老子狂言)

 

距離

 

距離などというものはない。

遠い遠い昔も未来も

これにしかない。

 

すべての二元対立を悪戦苦闘して 

私の最後の疑問に到る。

私は何か? 

すべてをすべてと認識している

私とは何か?

 

誰れが私などというものを

現わしているのか?

 

こう現れている 

この私とは何か? 

こう書いている私は何か?

私を忘れている時の私とは何か?

そもそも 

すべてとは何なのか?

それさえ 

まだるっこしい。

 

これは何だ?

これ何者ぞ?  

 

これは何だ??

 

ああ、人間の果てまで来てしまった——

というこれは何だ?

そんなことどうでもいいという——

これは何だ?

 

これは何だ???という——

これは何だ!

 

断じて知的疑問ではない。』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩から引用。

 

【距離などというものはない。

遠い遠い昔も未来も

これにしかない。】

過去、現在、未来も、時間、空間、物質も一枚鏡になった今ここに、距離はない。

 

【ああ、人間の果てまで来てしまった——

というこれは何だ?

そんなことどうでもいいという——

これは何だ?】

ダンテス・ダイジは、竹富島で自殺した友人の霊に一緒に死んでくれと求められ、直ちに首をくくって死んだ。その時、「その友人の人間の果てにある孤独感を理解した」。それが命の悲しみ、慈悲。

 

【この私とは何か?】

の私について、冥想十字マップ狂言から、

『私の正体を開示しない限り、私達人類は、とめどもない混乱と崩壊の中に悲惨な死滅を死滅するだろう。
私達は、何はさておき、私自身というこの根本前提の暗黙の了解を否定して、
私とは何かを、まったく新しく究明し直さねばならないのである。
これが、この終末の時代の全人類的な最重要問題なのだ。
私の正体を見破り、
神に目覚めるのだ。』

(アメジスト・タブレット・プロローグ/ダンテス・ダイジp194-198から引用)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冥想が公案なのだ!?

2025-02-18 06:59:13 | ダンテス・ダイジの風光

◎自動車ブーブー(老子狂言)

 

自動車ブーブー

 

冥想が公案なのだ!?

公案が冥想なのだ!?

 

冥想が冥想なのだ!!

そして

公案が公案なのだ??

 

戯れには果てしがない』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩から引用。

 

アメジスト・タブレット・プロローグから公案に関する説明。公案は禅の冥想法の一つ。

『初心者にとって、

冥想とは、 

永遠をかけた全面的努力である。 

そして、 

純粋冥想が開示されるのは、 

時節が熟した、 

ほんの一刹那の瞬間。 

 

冥想とは、 

全次元存在と絶対的非在との、 

最終的結末であり、 

それと同時に、その中間であり出発点である。 

 

それゆえに、 

人類の全努力は、

純粋冥想に打ち込むための

余暇を作ることにある。

 

快楽は苦痛であり、

安心は不安であり、

満足は不満足であり、

悟りは迷いである。

これでよいのだ。

それでよいのだ。

ただし、君は決して、これもそれも信じてはならない。

 

一般に臨済宗では、

身息心の調和を重視した坐禅を修行している。そして、公案によって人為的に大疑団を起こそうとする。

 

しかし、大疑団は、いかなる人為によっても作り出すことはできない。

公案が疑団を作り出すことはあり得ない。

大疑団が、おのずから公案として結晶化するのだ。人生と存在全体に対する内発的な根本的疑問――これが大疑団である。

 

人生と存在との根本的疑問なしで、公案禅を修行するのは、愚かさ以外の何ものでもない。

公案とは、あなたから自発的絶望として出てくるものであって、いかなる覚者も、あなたに公案を作り出して上げることはできない。

大疑団なしで公案禅をやるくらいなら、健康法としての丹田禅の方が、はるかにまともだ。 丹田禅とは、仙道などの錬丹法や丹田呼吸法を、より強烈にしたものである。』

(アメジスト・タブレット・プロローグ/ダンテス・ダイジ/森北出版P103-105から引用)

 

人生と存在全体に対する内発的な根本的疑問が大疑団。その大疑団により、あなたから出て来る自発的絶望が公案。

そこで公案という冥想に取り組む中で、

【冥想とは、 

全次元存在と絶対的非在との、 

最終的結末であり、 

それと同時に、その中間であり出発点である。 】

ことに気づく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

完全なるマーヤーが今っている

2025-02-18 06:18:25 | ダンテス・ダイジの風光

◎(無題)(老子狂言)

 

(無題)

 

バイクの 

ケタタマシイ戯れ

 

ああ ヘドロがあるヘドロがある 

ああ 花がある花がある

 

完全なるニルヴァーナがいる 

完全なるマーヤーが今っている

どっちがいいといったものではない

 

メイッテ、メイッテ、メイル

ステキで、ステキで、ステキだ

 

秋の虫が鳴いている

老子は、おさな子のように泣いている

なにもかもがいいという言う必要もないだろう』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩から引用。

 

老子はタオなる無想三昧にあって

【老子は、おさな子のように泣いている

なにもかもがいいという言う必要もないだろう】。

 

この【なにもかもがいい】は、天国も地獄も越えている。だから

【メイッテ、メイッテ、メイル

ステキで、ステキで、ステキだ】。

 

老子狂言の目次&リンクス

ダンテス・ダイジの老子狂言の歩き方

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

哀しくもあるし、恐ろしくもありんす

2025-02-18 06:11:20 | ダンテス・ダイジの風光

◎タオ(老子狂言)

 

タオ

 

これは絶対でも相対でもない 

流れているわけでもないし 

久遠の寂静というわけでもなし

 

これはこれだろう

あれはあれなんだ

 

静かじゃないかい・・・

うれしいじゃないか 

哀しくもあるしね

もちろん 

恐ろしくもありんす

 

みんな生きてる 

なにもかも死ぬ

 

そんなにツッパルなよ! 

もっともっとどうしようもなく、

ツッパレ、ツッパレ、ツッパレ!!

 

無が有を産んだのだろうか? 

有が無をあらしめたのだろうか?

それとも、

無と有が同時にからまっているのか?

 

ニルヴァーナが真実なのだろうか?

マーヤーが真実なのだろうか?

それとも、

ニルヴァーナもマーヤーも真実なのか?

それじゃなきゃ、

ニルヴァーナもマーヤーもありもしないのか?

 

いいじゃないか!

断じてよくない!!

いいじゃないか!

いいや、だめだ!!

・・・・・・・・

秋の虫達が鳴いているよ・・・』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩から引用。

 

【これは絶対でも相対でもない 

流れているわけでもないし 

久遠の寂静というわけでもなし】

これとは、無想三昧にして、ニルヴァーナ。

 

【静かじゃないかい・・・

うれしいじゃないか 

哀しくもあるしね

もちろん 

恐ろしくもありんす】

この情感も、無想三昧にして、ニルヴァーナ。

 

【無と有が同時にからまっているのか?】

【ニルヴァーナもマーヤーもありもしないのか?】

も第六身体アートマン止まりでは起こらず、第七身体ニルヴァーナに到達してわかること。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これが人間世界という狂気のありさまである

2025-02-17 07:20:35 | ダンテス・ダイジの風光

◎黒は白なのだ(老子狂言)

 

黒は白なのだ

 

黒を白と言いくるめる 

そうすると

黒は間違いなく白だ

これが人間世界という

狂気のありさまである

 

それは

暗示とかイメージとかのことではない

潜在想念界のトリックのことでもない

ただ

黒と白が別れる以前からの

断言にすぎない

夢、気の持ちようだだとか

信念の力だなぞと考えるなかれ

 

夢しかない世界では

黒は白なのだ

されば、汝、人間よ、

進め、進め、進め!

限りない黒と白の混沌の中を・・・

ところで・・・

 

黒でも白でもいいじゃないか』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩から引用。

 

【ただ

黒と白が別れる以前からの

断言にすぎない】

さらに

【夢しかない世界では

黒は白なのだ】

でも、黒も白も

重苦しい今の夢・・・

過ぎ去る夢の夢よ・・・≫

であって、

≪我れもなく現し世もなく何もかも

夢の中なる夢の戯れ

なのだ。

 

これはすべてのすべてである神(第六身体アートマン)を経てニルヴァーナに到達して初めて言える。

 

隋代の禅宗第三祖僧さんも信心銘において、えり好みをしないと説いている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この静けさを分かってくれるだろうか?

2025-02-17 06:59:03 | ダンテス・ダイジの風光

◎まるで一輪の野の花のように・・・(老子狂言)

 

まるで一輪の野の花のように・・・

 

何が、何だと言うのだ 

これはこれなんだ 

いいや、これはこれだという必要もない

 

何もかも、何もかもいいんだ 

こんなことを言うのも愚かしい 

それ位、これはこれなんだ

 

生命はジグザグに進む 

絶対の到達点などありもしないからだ

この静けさを分かってくれるだろうか?

 

しかも、生命は流れる 

ニルバーナといったところで

それもまたひとときのふるさとにすぎない

 

何もかもがすてきだ 

何もかもが

時間でない今を楽しんでいる

極楽の極楽と

極限の地獄とを戯れている

 

私は何と無駄な言葉を書いているのだろう!

とことん無駄だと知りながら・・・

まるで 

一輪の野の花のように・・・』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩から引用。

 

【これはこれなんだ】のこれは、ニルヴァーナ。

ニルヴァーナに居れば、【何もかも、何もかもいいんだ】。

 

何回もの転生は、今ここ一枚鏡の動画だからこそ、【生命はジグザグに進む 

絶対の到達点などありもしないからだ

この静けさを分かってくれるだろうか?】

と見るのだろうか。

帰るともなく帰ってくるのもよい。

 

【しかも、生命は流れる 

ニルバーナといったところで

それもまたひとときのふるさとにすぎない】

では、ニルヴァーナを終着駅と見ない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ありがとうすべてのいのち

2025-02-17 06:24:04 | ダンテス・ダイジの風光

◎わが父に感謝をこめて(老子狂言)

 

わが父に感謝をこめて

 

どんなに

えらくなったつもりでも 

どんなに落ちぶれたとなげいたつもりでも

父よあなたのいのちなしには 

今の私はありえないのです

 

ありがとうおとうさん 

ありがとうすべてのいのち

 

どんな人でも 

心の底では 

自分も宇宙も 

どうなるものでもないことを

深く深く深く知っています

 

おとといは 

どんよりしたくもり空

きのうは 

あたたかく輝く初夏の甘やかさ 

きょうは

カラスが鳴いています

 

おれは

カケヒキとハッタリと鉄面皮の 

油ぎった支配者だ!

おれは 

一ぷくのタバコの煙に 

共感の涙を流す 

か弱き浪費家です

 

なんでもいいんだ 

スチャラカチャン! 

どうでもいいんだ

スチャラカチャンチャン・・・

チャン!』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩から引用。

 

【ありがとうすべてのいのち】

感謝は、人間の立場から神を見る。

 

【どんな人でも 

心の底では 

自分も宇宙も 

どうなるものでもないことを

深く深く深く知っています】

隙間理論でいけば、人間は平常の一瞬に神を見るし、一生の始めに神を見ているから、神を自分を深く深く深く知っている。

 

私は、ダンテス・ダイジの父との面識はないが、一度ダンテス・ダイジの実家でダンテス・ダイジと会ったことがある。その部屋の間口10m以上ありそうな壁面にはびっしりと本が詰まっており、蔵書の多さに圧倒されるとともに、その蔵書の半数以上は、彼の実業家の父のものだろうことが想像された。

 

ダンテス・ダイジは、高校中退だったが、その読書量は半端なものではない。ただ、なんでも手当たり次第読むものでもなく、「的確に学ぶ」ことは、重要であると語っている。

 

ここにことさらに「わが父に感謝をこめて」と上がっているのは、神人アヴァターラを産みだす父親が見つかることが稀有だからだと思う。

イエスの父大工のヨセフは結構冷遇されているが、神人も父なかりせば世に出ないのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もっとも弱き者はかみとなって

2025-02-16 06:48:58 | ダンテス・ダイジの風光

◎永遠の旅に出る(老子狂言)

 

永遠の旅に出る

 

あらゆるものが 

そのままで 

絶対なのだ。

 

だから 

あらゆるものは 

夢として

相対し愛し合っている。

 

一つの雨だれの音声が

エメラルドの海と

完き解放の

太陽を誘そう。

 

バランスがパラノイアであれば

パラノイアは

この上ない甘美なバランス。

 

もっとも弱き者は

かみとなって

この地をつぐ。

 

複雑で不安な頭脳は

この上ないシンプル。

 

とうとう

私は

神になった。

 

あなたが神であれば

どうして

私が神でないことがありえよう。

 

さあ

すべてが終わった

私達は

永遠の旅に出る。

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩から引用。

 

【あらゆるものが 

そのままで 

絶対なのだ。

 

だから 

あらゆるものは 

夢として

相対し愛し合っている。】

これは、第六身体アートマン、すべてのすべてである神の視点。

 

【もっとも弱き者は

かみとなって

この地をつぐ。】

キリスト教では、神人合一を認めないので、キリスト者は、ここをどう思うんだろう?

 

【複雑で不安な頭脳は

この上ないシンプル。

 

とうとう

私は

神になった。】

人は、迷いと混乱と苦悩の果てに神となる。

 

【さあ

すべてが終わった

私達は

永遠の旅に出る。】

すべてが終わったとは、ニルヴァーナ、大悟覚醒だが、インドではニルヴァーナに至ったら、その後の再誕生はない。日本、中国(今の共産中国のことではない)では、一円相後にも人生という永遠の旅に出る。神あっての人、人あっての神。

 

老子狂言の目次&リンクス

ダンテス・ダイジの老子狂言の歩き方

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

だから果てしなきものに帰るがいい!

2025-02-16 06:31:17 | ダンテス・ダイジの風光

◎帰っておいで(老子狂言)

 

帰っておいで

 

自分が存在しているという世界の存在は 

結局あらゆるものに 

悪意をもっている

 

新宿駅で

飛び込み自殺があった 

係員がレールのあちこちに散った 

肉体のかけらをひろっていた

 

人間は無限なるもののかけらにすぎない・・・

これが最もごうまんなる人間の 

至高のセンチメンタル・エゴイズムだ

 

人間は無限なるものの一部にすぎない・・・ 

かけらと一部とは似たようなものだが

月とコカコーラ程の違いがある 

たいしたちがいじゃないけれどね・・・

 

人間は無限なるものの一部に過ぎない・・・

これが 

人間性の究極の深淵である

これが人間のたましいの基調音である 

これが人間性の最初にして最後の美、

あるいは人間性そのものという何ものか

 

君は果てしなきものの一部にすぎぬ

だから果てしなきものに帰るがいい!

もっとも、

その頃には、

君という人間性の夢も 

夢の中へあとかたもなく消え去っている

 

とにかく、

どういうわけか、

越えていくのさ 

越えていくんだ

石を越え 

山を越え 

彼女を越え 

いとしい娘子を越え 

スモッグを越え 

文明を越え

ニルヴァーナを越え 

越えることを越え・・・

そして 

帰っておいで  

ここに

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩から引用。

 

まず冒頭のこれは読み飛ばす人が多いだろう。自分もそうだった。

【自分が存在しているという世界の存在は 

結局あらゆるものに 

悪意をもっている】

自分が存在しているからこそ起こる、悲劇と苦悩と不条理と新宿駅の飛び込み自殺。

 

【君は果てしなきものの一部にすぎぬ

だから果てしなきものに帰るがいい!

もっとも、

その頃には、

君という人間性の夢も 

夢の中へあとかたもなく消え去っている】

これは、神仏へのアプローチとドッキング後の忘却を繰り返す求道者の姿。

 

最後のこれは、おわりなき幾転生の果てに、何回もの人生を回顧して思う

【そして 

帰っておいで  

ここに】。

これはやさしい今ここ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なにもかもゆるすというところに

2025-02-16 06:06:40 | ダンテス・ダイジの風光

◎すべてがわかるっていいね(老子狂言)

 

すべてがわかるっていいね

 

なにもかも

ゆるすというところに

ただようことになるさ・・・

 

天国は素適だし

地獄は嫌だし・・・

快楽はイイし

苦痛はいやだし・・・

 

なにかも

よかったんだと

味わう時よ

時でない時よ

 

すべてを

ゆるす時よ

完全敗北の時よ

 

すべてがわかるっていいね

・・・それさえ忘れ果てて・・・』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩から引用。

 

これは、降伏の詩。水平の悟りにあって老子の生き方を狂言するとは、このようなことなのだろうと思う。

降伏にはパワーと情熱が要る。

 

すべてがわかる無想三昧を経ても、それさえ忘れて生きる。

【すべてがわかるっていいね

・・・それさえ忘れ果てて・・・】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サマディーを体験したからとて

2025-02-15 06:54:06 | ダンテス・ダイジの風光

◎私はとこしえに楽しく生きたい!(老子狂言)

 

私はとこしえに楽しく生きたい!

 

天馬、空を行き 

行くところ可ならざるはなしという 

人生の達人だからとて

本当にわかっているものなど何一つなかろうよ

 

死の悟りを開き 

神と霊のカラクリを 

つぶさに体験したからといって

実際のところ何がわかったと言うのだろう

 

光明以上の光明 

至悦以上の至悦 

わかることとわからないことの彼方の

サマディーを体験したからとて 

それが何だというのだ

 

庭先にマーガレットの花が咲き乱れ 

すづめの鳴き声はすづめの鳴き声らしい

そして 

私は生きているらしい・・・ 

時には不安にめいり 

時には極楽のエクスタシーに酔いながら

 

私はどこからどこへ行くのかを知らないばかりか

こう書いていることも 

こう書いている私とやらも 

ぜんぜん知りはしないらしい・・・

 

やれ観念的だ抽象的だ 

やれ実質がある実行がある 

やれ現実だ

やれ夢だ

私達は何て馬鹿げたゲームにうつつをぬかしているのだろうか

 

草花が初夏の風にゆれることが現実であろうか?

ノイローゼ青年が見た空飛ぶ円盤は幻覚だというのか?

誰も何も知りはしないさ・・・

 

私はとこしえに楽しく生きたい! 

たとえ、それが、まっかなウソであろうと』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩から引用。

 

【本当にわかっているものなど何一つなかろうよ】

これは、別の『サッパリわからん(老子狂言)』に出て来る

≪おれは、すべてを見抜いたぞ!

 

けれども、

おれは、

何が何だかサッパリわかりはしない・・・≫

を前提にしており、同様の感慨が次に続く、

【死の悟りを開き 

神と霊のカラクリを 

つぶさに体験したからといって

実際のところ何がわかったと言うのだろう】。

 

さらに、

【光明以上の光明 

至悦以上の至悦 

わかることとわからないことの彼方の

サマディーを体験したからとて 

それが何だというのだ】

では、サマディーという水平の悟りを得ても、人間である以上、人間の二重性は変わらないので、【それが何だというのだ】と、突き放す。

究極という体験とはいえない体験を経て、再び人間に戻ってくるというのは、こういうものなのだろう。

 

通俗的には、彼はこの世とあの世をすべて知っており、必要があれば、霊能力、超能力を使いまくれるが、【それが何だというのだ】。

 

【私は生きているらしい・・・】

これは、死の世界から生還すると、自分が生きているのが、現界なのか霊界なのかわからなくなることがあるらしい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みんなみんな同じであると

2025-02-15 06:23:19 | ダンテス・ダイジの風光

◎ただそれだけのこと(老子狂言)

 

ただそれだけのこと

 

私は冒険なぞ求めてはいない 

血わき肉踊るディオニッソスも 

一刹那にすぎない

 

みんなみんな同じであると 

知ってしまったからには・・・ 

この上、何を求めようというのか

 

今は

初夏の香りの中で 

野の草花とともに 

うたたねしたいだけ··· 

ただそれだけのこと』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩から引用。

 

【みんなみんな同じであると 

知ってしまったからには】

これは、あらゆる人間は、すべてのすべてである神と、みじめで情けなく無力な自分という人間を、二重に生きているが、このことを指す。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢の中なる夢の戯れ

2025-02-14 07:02:50 | ダンテス・ダイジの風光

◎格言3-17我れもなく現し世もなく何もかも(老子狂言)

 

『17○

我れもなく現し世もなく何もかも

夢の中なる夢の戯れ

 

我れもなく現し世もなく何もかも

神の中なる神のあらわれ

 

我れもなく現し世もなく何もかも

なにもかもなし、なにもかもなし・・・・』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

 

夢は、マーヤーにして現象。

神こそは、リアリティ。

だが、なにもかもなし、なにもかもなし。

 

:これは、大本教出身の生長の家の創始者の谷口雅春の三神歌。ダンテス・ダイジの冥想道手帳でも採用されている。

 

老子狂言の目次&リンクス

ダンテス・ダイジの老子狂言の歩き方

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アストラル体は、この物質的世界に実質的有効性を持っている

2025-02-14 06:46:41 | ダンテス・ダイジの風光

◎格言3-16修錬によって(老子狂言)

 

『16○

修錬によって、どのようなイメージにも君がひっかからなくなったら、

客観性を持ったビジョンが、向こうからやて来るだろう。

ヴィジョンを自由に生きられるようになったならば、君はアストラル界をものにしたというわけだ。

アストラル体は、

この物質的世界に実質的有効性を持っている。』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩文から引用。

 

【修錬によって、どのようなイメージにも君がひっかからなくなったら、

客観性を持ったビジョン】

ここは、格言3-13の【君はかくありたいというイメージ、あるいは様々なイメージや、主観的イメージでないビジョン】

と同じ意味だと思う。

 

自分の将来のことを思い描くのも【イメージ】、ステキな異性と出会ってうまくやりたいと思い定めるのもイメージやビジョン。観想法で阿字観、空性観などをありありと思い浮かべるのもイメージやビジョン。

そして、【修錬によって、どのようなイメージにも君がひっかからなくなったら、

客観性を持ったビジョンが、向こうからやて来るだろう。】。

 

想像(霊界)の事件、願望は現実化することがある。

 

※サッカーなでしこJAPAN澤穂希選手の完璧な観想法によるビジョンの現実化。

出口王仁三郎が語る、霊眼に映った出来事が現実化するメカニズム

OSHOバグワンの想像と夢見と現実化

※想像を現実化する能力を手に入れればさぞ面白いだろうが、ダンテス・ダイジは、「そういうことが面白いということに留まっていれば、この世に生まれては来ない」という意味深なことを言っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神秘にして不可知な、あらゆる宇宙を旅し続け

2025-02-13 21:07:30 | ダンテス・ダイジの風光

◎格言3-15素直さと冒険心・根源的情熱(老子狂言)

 

『15○

素直さと冒険心・根源的情熱は、あなたに自信を与えてくれるだろう。

そして、あなたは、神秘にして不可知な、あらゆる宇宙を旅し続け、味わい続けることだろう。』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

以下【】内は上掲詩文から引用。

 

 

【神秘にして不可知な、あらゆる宇宙】とは、アメジスト・タブレット・プロローグのこの部分がふさわしいと思う。

『今ここにいることは、

君にできることではない。

君に、

今の中に完全にいることが起こったら、

余りの無気味さに圧倒されてはならない。 余りの未知・余りの神秘。

それは決して理解することはできない。

その時、すべてが開示される可能性を得る。』

アメジスト・タブレット・プロローグP176から引用

 

その時、【素直さと冒険心・根源的情熱は、あなたに自信を与えてくれるだろう。】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする