◎現象界即神界の遊戯三昧
冥想道手帳〔知的理解の冥想〕の続き
『[霊界]
ここには、どのような制約もなく、それぞれの仮現したルールにしたがって霊的イメージという現象宇宙の原型を作り出している。
ここには、天使も悪魔も、天国も地獄もある。
現象界のすべては、霊界の中にあるイデアが表現されたものであり、ここには、すべての現象宇宙の出来事が貯蔵されている。
心理的に言えば、集合的無意識に相当する。一切の超自然的現象や超能力が発現する場所である。
カルマ・輪廻転生・先祖霊・守護霊が作用する世界であり、人間の本質的個別性が死んでから帰る世界でもある。
分断された自我意識を形成する原動力になっている霊的境域を地獄と言い、宇宙的愛そのものなる神界からのヴァイヴレーションによって成り立っている霊的境域が天国と呼ばれる。
冥想は、冥想者を、最終的には神界の住人にせしめる。神のみが実在だからだ。
そして自己の神性を自覚した人間は、霊界の中に神的な霊的原型を形成し、それが、現象界即神界の遊戯三昧を実現することとなる。
般若心経の色即是空、空即是色ということである。「空」とは神界のことであって、 断じて空々寂の空ではない。
「空」あるいは「絶対無」とは、これを情的に表現すれば、「愛」そのもの、「自由」そのものにほかならない。』
(冥想道手帳 MEDITATION WAY MEMOダンティス・ダイジから引用)
ここは、結構思い切ったことが書いてある。霊界とは現実を構成していく元となる原型イデアだとか、空とは空々寂の空ではなく、ニルヴァーナの属性の一つである愛あるいは自由である、など。
霊界には、天使も悪魔も地獄も天国もあって、やがて現実に実現していく元のイデアの世界が霊界。プラトンのイデアとは、永遠不壊というイメージだが、その点には言及していない。永遠不壊は、七つの身体で言えば、第六身体アートマンだが、宇宙、世界、過去現在未来のすべてを含むアートマンにイデア界ありと見れば矛盾はないか?
ただし個別霊の世界は、コーザル体、メンタル体、アストラル体、エーテル体であり、ダンテス・ダイジの言うところの霊界とは、第六身体アートマン以下を総称しているようにも思う。
『カルマ・輪廻転生・先祖霊・守護霊が作用する世界であり、人間の本質的個別性が死んでから帰る世界でもある。』ここは、人間Aが輪廻転生すれば、人間Aとして再誕するのでなく、人間A`として再誕するという彼の見方において、人間の本質的個別性を仮に人間Aと見ているのだろうと思う。また人間の本質的個別性が帰って行く世界はチベット死者の書などによれば、神(原初の光)である。
さらにカルマ・輪廻転生・先祖霊・守護霊が作用する世界とは、コーザル体以下なのだろうが、そうであれば、それらに永遠不壊の属性はなく、この点でダンテス・ダイジはどういうつもりで霊界を定義したのかわからないところがある。
分断された自我意識はどこから来るかと言えば、えり好み、多様な価値観から来るものであるし、見ている自分が最後まで残るところから来るとも言える。事程左様に、地獄的でなく天国を志向するというのは、現代人の生活と意識からすると簡単なことではない。
一方宇宙的愛を実現しようとすれば、天国と地獄の結婚を経て大悟せねばならない。天国を生きるハードルは結構高い。
そして天国と地獄の結婚を経れば、最終的には人は神界の住人として生きる(諸悪莫作衆善奉行)。
『自己の神性を自覚した人間は、霊界の中に神的な霊的原型を形成し、それが、現象界即神界の遊戯三昧を実現する』とは、類似のことを言っている人が他になく、確かめるすべがない。ただ、人は悟りを開いて、悟りに生きるということを言っているようだぐらいのことしかわからない。
そして、現象界即神界の遊戯三昧とは、色即是空、空即是色と言ってのけているが、これは自分が悟って追体験せねばその感じはわからないのだろう。