アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

すべてが異郷のものだから帰郷する

2023-01-31 17:31:03 | 現代冥想の到達点neo

◎ユダヤ神秘主義ハシド派の一言

(2020-05-31)

 

ハシド派は、ハシディズムのこと。到達した人々がいることが、以下の言葉でわかる。

 

『ある師について、彼は「私はこの国では寄留者である」(出エジプト二・二二参照)という、モーセの言葉にならって、まるで寄留者のようにふるまったと語られている。

 

遠方から、生まれた町を出てやってきた男のように。

 

彼は名誉にも、彼を益するなにものにも心を向けなかった。ただ、生まれ故郷の町に帰ることだけを考えていた。

 

彼はおよそなにものにもとらえられないが、なぜなら彼は、すべてが異郷のものであり、自分は帰らねばならない、

と知っていたからである。』

(忘我の告白 叢書・ウニベルシタス マルティン・ブ-バ-/編 田口 義弘/訳 法政大学出版局P252から引用)

 

世俗感覚で読めば、エジプトが異郷でカナーンが故郷だが、ここではそう読まない。

 

あるいは、故郷を出て都市で暮らしていた者が老境にさしかかって、故郷でセカンドライフを送ることでもない。

 

聖者にとっては、この世のすべてが異郷であり、エクスタシーたる根源だけが故郷である。

 

ダンテス・ダイジは、『私は私という心身の異郷の客』である悲しみを歌い上げたが、全くそれと同じ感慨を持つ者がハシディズムにもいたのである。

 

悟りとは帰郷のことである。

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ユダヤ教ハシディズムの神人合一への5ステップ

2023-01-31 17:06:55 | 現代冥想の到達点neo

◎イェヒダー(単一性)

(2012-01-02)

 

ユダヤ教ハシディズムでは、神人合一へ5段階を立てる。

これは、もともとはユダヤ人の聖書解釈ミドラシュから出てきたもので、ルバヴィッチのドブ・ベエルが、これにならって霊性5段階説を説く。曰く、

第一段階 ネフェシユ (生命)

第二段階 ルアッフ(霊)

第三段階 ネシャマー(魂)

第四段階 ハヤー(生命)

第五段階 イェヒダー(単一性)

 

デベクートとは、「間断なく神と共にいること、人間と神の意志との密接な合一と一致である」(ユダヤ神秘思想研究のゲルショム・ショーレムによる)だそうですが、以下の説明をみると、単にトランスみたいな状態を指しているところがあるように思う。

 

『第一段階 ネフェシユ (生命)

この段階の人々は、神の言葉を聞いてその意味を理解します。しかし彼らは神の言葉の価値を認めても、神からは遠いままです。

 

第二段階 ルアッフ(霊)

ここは善き思いのデベクートにいる段階であります。ここでは人々は神の言葉を聞いて理解するだけでなく、彼らが神から遠いにもかかわらず、神に近づきたいと願います。この段階は「自分が個人的に関心を持っている商売について耳よりの話を聞き、彼の心の全力がそれに吸収されている。彼は、(寝ても覚めてもそれ思う、いわゆる)思いに密着しているとして知られている恍惚にすっかりはまっている人」に似ています。

 

第三段階 ネシャマー(魂)

ここは光明の段階です。この段階までくると、「神の側近くにある」と実感します。その喜びによって、人の心は直ちに恍惚の中へと進み、そして神の臨在を身近に感じるがゆえに、恐れと愛の中で行動します。そして恍惚状態にある心の中からメロディを伴った歌が生じて来ます。

 

第四段階 ハヤー(生命)

ここは「精神の恍惚」の段階であります。ここでは人の心と頭脳は神の光に完全に集中され、そして「神の前にはすべてのものが無である」という状態になっています。

これは、「人が、心の内奥で、その精神の深みから、仕事上の良いプロジェクトに没頭する時に似ている。その仕事に彼の魂のすべてが引っ張られ、(中略)彼の心も精神もその物事の良さだけに吸い込まれているのに似ている」。

 

第五段階 イェヒダー(単一性)

ここは至高の段階であり、理性と知性を越えています。人間の全存在はことごとく神に吸収され、何物も残りません。ここでは、人はみな自己意識というものを持たないのです。』

(ユダヤ教の霊性/手島佑郎/教文館P124-126から抜粋)

 

これを見ると、仏教でいえば、第一段階のネフェシユ (生命)が声聞、第五段階イェヒダー(単一性)は仏に該当するように思う。そして、第五段階イェヒダー(単一性)の定義が十全なものであることによって、ユダヤ教ハシディズムの正統であることがわかる。

 

第四段階ハヤー(生命)の段階は、仏教ならば菩薩に該当するのだろうが、その定義には見仏、見性にあたるような表現はとりあえずない。

 

この本には異言の例が挙がっており、この五段階は、神下ろしの手法の段階を述べている可能性があるように思う。

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グルジェフの生い立ち

2023-01-21 19:40:53 | 現代冥想の到達点neo

◎最も大事なものを捨てる

(2008-01-02)

 

グルジェフのやり口は、単刀直入で、人の意表をついて、いろいろな意味での先入観を打ち壊すことから始める。これに対して、彼のよき紹介者であったウスペンスキーのアプローチは、知的論理的であり、絶対に人の意表をつかないという弱点があり、出会いの最初から「何かあるぞ」という目で見ない人には、ウスペンスキーのアプローチでは気づきを得ることはなかったのではないだろうか。グルジェフも、ウスペンスキーのやり方のその点を心配していた。

 

さて20世紀ロシアの神秘家グルジェフの生い立ちは、謎に満ちている。おまけに後年欧米で出会った人には、その多くを語らなかった。

 

グルジェフのパスポート上の生年月日は1877年12月28日。彼は当時ロシアとトルコの間で領土争いの焦点になったグムルーの町に生れた。この誕生日は、当てにならないとされている。

 

グルジェフの父はギリシア人の大工で、叙事詩ギルガメシュを朗誦する吟遊詩人でもあった。母親はアルメニア人。

 

カルスという町で、この地方の軍事学校のボルシェ神父に神学と医学を学ぶかたわら、アレクサンドロポールまで出かけて壊れた家具や機械を修理しては小遣い稼ぎをした。

 

そして10代の初めには、チフリスの駅で火夫をしたり、鉄道新設ルートの町や村に駅を作る便宜を図ると言っては賄賂をもらっていたようだ。また、この頃彼は、アルメニア正教発祥の地であるエチミアジンに巡礼をしたり、様々な社で祈ったりするという経験を積んだ。

 

チフリスに戻る頃には、鉄道の仕事をやめていいくらいのお金がたまったので、古いアルメニアの本を一山買ってきて、古都アニへ友人ポゴッシアンと引っ越して、読書と研究、そして廃墟の発掘・探検の日々を過ごした。

 

そうしたある日廃墟で見つけた修道僧の古い羊皮紙の手紙をきっかけにエジプトへ渡り、グルジェフは、エルサレムに移り、ロシアの観光客のガイドになった。

 

こうした放浪の末、どういう修行があったのかはわからないが、1902年ゴビ砂漠のはずれのヤンギヒサールで、流れ弾にあたり3か月も意識を失っていた。その2年後同じ町で、ロシア皇帝と革命家の争いに巻き込まれ、また流れ弾に当たった。

 

この怪我の回復過程において、自分が全く無価値であるというネガティブな意識状態におちいったが、駱駝が動いたことをきっかけに、グルジェフはこの魂の暗夜を振り払うことができた。

 

これは全的な自己知覚状態であり、グルジェフの見性にあたるものだと思う。この時、彼は超能力を自分のために使うことを含むすべてを捨てれば、自己知覚状態の源泉を引き出すことができると考えるに至った。

 

見性前には、グルジェフですら、それまで積み重ねてきた一番大事なものまであきらめる覚悟が必要だったということ。その後の老獪に見える彼のやり口に比べ、暗夜を乗り越える時はとても人間的であった事を知り、ほっとさせられる。

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OSHOの光明-2

2023-01-20 20:00:29 | 現代冥想の到達点neo

◎光明

(2006-02-17)

 

『わたしは八時ごろ眠った。それは眠りとはちがっていた。いまなら、パタンジャリが睡眠とサマーディは似ているという意味を理解できる。ちがいはただひとつ―――サマーディのなかで、あなたは完全にめざめていて、また同時に眠ってもいる。眠っていて同時にさめている。からだ全体はリラックスしている。肉体のどの細胞もひとつ残らず完全にリラックスしている。あらゆる機能がリラックスしている。しかしなおかつ、覚醒の光があなたの内で燃えている。明るく、煙もださずに――。あなたは目を見はっていて、しかもリラックスしている。ゆったり としていて、しかも完全にめざめている。肉体は可能なかぎりもっとも深い眠りにはいっていながら、意識はその絶頂にある。意識の頂点と肉体の谷間が出会うのだ。

 

わたしは眠りについた。それはとても不思議な眠りだった。からだは眠っていたが、わたしはさめていた。それはじつに奇妙だった。まるで、自分がふたつの方向に、ふたつの次元に引き裂かれているかのようだった。まるで、二極性がその極致に達したかのようだった。自分が同時にその両極であるかのようだった。正と負が出会っていた。睡眠と覚醒が出会っていた。死と生が出会っていた。それこそ、「創造主と創造物が出会う」と言うにふさわしい瞬間だ。   

 

それは気味が悪かった。生まれてはじめて、それはまさしく根底からあなたにショックをあたえる。あなたの基盤を揺るがす。その体験のあと、あなたは二度ともう同じあなたではありえない。それはあなたの生にひとつの新しいヴィジョンを、ひとつの新しい質をもたらすのだ。

 

一二時近くになって、突然目が開いた。わたしが開いたのではない。眠りがなにかべつなものによって破られた。わたしは、部屋の中の自分のまわりにひとつの大いなる<現存>を感じた。それはとても小さな部屋だった。わたしはあたり一面に脈動する生命を感じとった。大いなる波動だ。ほとんどハリケーンといってもいい。光の、よろこびの、エクスタシーの大いなる嵐---。

 

それが実に途方もなく現実的であるあまり、なにもかも非現実的になってしまった。部屋の壁が非現実的になり、家が非現実的になり、自分自身のからだも非現実的になった・・・

 

その夜、もうひとつの現実(リアリティー)がその扉を開いた。もうひとつの次元が姿をあらわしたのだ。突如として、それはそこにあった。もうひとつのリアリティー、分離したリアリティー、本当に現実(リアル)なるもの―――あるいは呼びたければどう呼んでもいい。<神>と呼んでもいいし、<真理>と呼んでもいい。<ダルマ>と呼んでもいいし、<タオ>と呼んでも、ほかのどんな呼び方をしてもいい。

 

それは無名なるものだった。しかし、それは厳然としてそこにあった。じつにすきとおっていて、実に透明で、しかも手でさわれるぐらい確固としていた。そのおかげで、部屋の中は窒息しそうだった。それはトゥーマッチで、わたしにはまだそれを吸収する力がなかった。

(中略)

 

わたしはなにかべつなエネルギーの手中にあった。

生まれてはじめて、わたしは孤独 (alone)ではなかった。生まれてはじめて、わたしはもう、ひとりの個ではなかった。生まれてはじめて、水滴は大洋に落ちたのだ。いまや、海全体がわたしのものだった。わたしが海だった。そこには限界というものがなかった。まるでなんでも好きなことができるかのような、 途方もない力が湧いてきた。そこにわたしはいなかった。ただその力だけがあったのだ。

(中略)

 

わたしはあたりを見まわした。一本の木が途方もなく光り輝いていた。モールシュリの木だ。それがわたしを惹きつけた。それ自身にむかってわたしを引き寄せた。わたしがそれを選んだのではなかった。神自身がそれを選んだのだ。わたしはその木のところへ行くと、その下に腰をおろした。そこへすわると同時に、ものごとが落ち着きはじめた。全宇宙がひとつの天恵となった。』

(反逆のブッダ/ヴァサント・ジョン/メルクマール社P136-140から引用)

 

最初の『二極性の極致』は、天国と地獄の結婚直前なのか、神人合一直前の様子か。

 

次の「光の、よろこびの、エクスタシーの大いなる嵐」は、あたり一面に脈動する生命で、最初のリアリティで、非現実。これは、サビカルパ・サマーディ、有、アートマンと思われる。

 

この次に無名という言葉で表現できないものが来る。これは、最初のとは別のリアリティ。OSHOバグワンはそれを吸収できず、外出し、庭園のある樹木の下に坐った。これは、ニルビカルパ・サマーディ、無、ニルヴァーナと思われる。

 

OSHOは、この直前には、上体を立てた冥想姿勢でなく、意識は醒めながら深い睡眠にあった。このサマーディが呼吸停止、心拍停止で起きたかどうかは定かでないが、限りなくそれに近い深い睡眠で起きたのかもしれない。

熟眠中の夢を見ない状態で、それは起こった。

 

またこの大悟覚醒が、クンダリーニ・ヨーガ型か、只管打坐型かといえば、どちらでもないように思う。

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私のことも、私のまわりの出来事も知ることはできない

2023-01-20 16:42:46 | 現代冥想の到達点neo

◎すでに知っていると思いこんでいることは未知

(2020-07-28)

 

 

ダンテス・ダイジの未公刊の詩集『老子狂言から』

 

『〇私のことも、私のまわりの出来事と称せられるものについても、

本当には、

あるいは、

真実には、

まったく知ることはできない。

その

絶対は起こる。

その

至福でない至福は起こる

その確信ではない確信は起こる。

だが、

私は、

これが、

何であるかを、

知ることは決してない。

 

○すでに知っていると思いこんでいることと、未知であることとには何の違いもない。』

 

その絶対とはニルヴァーナであり、

まったく知ることはできないものは神・仏・道(タオ)であり、すでに知っていると思いこんでいることとは、父母未生以前の自己であり、大日如来であり、禅の絶対無である。

 

この詩で特徴的なのは、ニルヴァーナに特有の未知の薫香を見せていること。そして、ニルヴァーナ突入以前と以後を際立たせて、ニルヴァーナをチラ見しただけの平板な人々とその違いを明らかにしているところである。ニルヴァーナと一体化したら、ニルヴァーナを一人称で語るから。

 

すでに知っていると思いこんでいることをすべて棄てた先の実感を描いている。

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渓山行旅図(范寛)

2023-01-17 17:08:13 | 現代冥想の到達点neo

◎迷いと悟り

(2010-10-04)

 

北宋初期の范寛の山水画。

 

中央の圧倒的な存在感は、悟りであるニルヴァーナが峨々たる山稜として現れている。そして手前には、迷いのシンボルたる旅人がいるはずだが、それは道の右端に数頭の馬を引く隊商として現れている。

 

この構図では、神の圧倒的な威力に対して、ひれ伏しおろがむことしかできない、あまりにもちっぽけな人間の存在感の小ささが一目瞭然である。

 

この絵を見る人は、神の視点に居て、山を山頂上空から眺め、そして人の視点から隊商を斜め上から見る。その二種の視点の混在は、巨大山塊の手前の雲霧により峻別される。

 

雲霧が晴れさえすれば、山と渓谷の道を同時にはっきりと見ることができるのだろうか。雲霧が晴れても山と渓谷の道を同時に見ることができないのであれば、そこに意識というものの深遠な秘密がありそうに思う。

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OSHOの光明-1

2023-01-15 18:58:12 | 現代冥想の到達点neo

◎光明の始まり

(2006-02-16)

 

OSHOは、一年間の精神の暗夜を過ごした。そして、7日間の神秘体験を経て、1953年3月21日に大悟した。

 

その七日間の始めに、OSHOは自分自身と取りくむのをやめて、探求がやみ、何かを追い求めなくなり、何かが起こるのを期待しなくなった。OSHOは、実に希望のないお手上げ状態で生きていたが、同時に何かが湧き上がってきてもいた。希望が不在だったが、とても平静で、穏やかで、まとまっていて、中心(センター)がすわっていたので、希望も絶望も消え失せていた。

 

希望も絶望もないこの状態は、原始仏教の分類で言えば、無所有処定(なにもかもがないという意識)または、非想非非想処定(なにもかもがないという意識もないという状態)であろう。どちらにしても、窮極のものではなく、一歩前の段階であるように思う。また、これほどまでに細かく心境を描写してもらわないとそうした分析すらできないものだけれど、わざわざわかるように説明してくれたOSHOの親切心が感じられる。

 

『その希望のなさは、絶対的で全面的なものだった。希望が消えて、それといっしょにその片われである絶望もまた消え失せていたのだ。それはまったく新しい経験だった。希望がないという状態---。それは否定的消極的な境地ではなかった。・・・・・・完全に肯定的、積極的だった。それはただの不在ではなかった。ある<現存>が感じられた。わたしの中でなにかがあふれ出していた。氾濫していた。

 

そして、わたしがお手上げだったと言うのも、辞書に出ているような文字どおりの意味ではない。それは単に、わたしが無自己だったということだ。それがわたしのお手上げという意味なのだ。わたしは自分がいないという事実を認識した。

 

だとしたら、自分というものに依って立つことはできない。だとしたら、自分自身の地歩に立つことはできない。・・・・・わたしは・・・・・底なしの奈落に落ちこんでいた。しかし、そこに恐怖はなかった。なにひとつ守るべきものはなかったからだ。そこに恐怖はなかった。だれもこわがる者がいなかったのだから---。』

(反逆のブッダ/ヴァサント・ジョン/メルクマール社P133から引用)

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OSHOの暗夜-2

2023-01-15 18:50:48 | 現代冥想の到達点neo

◎OSHOの暗夜

(2006-02-15)

 

というわけで、OSHOの精神の暗夜です。

 

『どんな小さなことでも、疑いまた疑いの連続でしかなかった。・・・・疑問は解答を得られないままだった。ある意味で、わたしは狂人同然だったと言っていい。自分でもいまにも発狂するのではないかとおそれていた。夜は眠れなった。

 

 夜も昼も・・・・・・わたしは疑問に取り巻かれていた。いうなれば、船もつかまる岸辺もなく、深い海の真っただ中に取り残されていたのだ。そこへ船が通りかかったとしても、自分でそれを沈めるか拒絶してしまっていた。船も航海者も数多くいた。が、わたしの方で・・・・・・ほかのだれの船にも足をかけようとしなかったのだ。

 

 もしこのこと、つまり自分で自分を溺れさせることが、わたしの生の導いてゆくところだとしたら、それも甘んじて受けいれるしかないだろうと感じていた。

 

 わたしの状況はまったくの闇としか言いようがなかった。それはあたかも、暗い深井戸に落ち込んだかのようだった。その当時、わたしは何度も、底なしの井戸のなかへどこまでもどこまでも落ちていく夢を見たものだ。そして何度となく・・・・・・汗びっしょりになって夢からさめる。その落下には終わりがなく、地面も足をのせる場所もないのだから・・・・

 

わたしにとっては、はっきりとした道などなかった。なにからなにまで真っ暗だったのだ。踏み出す一歩一歩が闇に閉ざされていた。目的もなく不確かだった。

 わたしの状況は緊張と不安と危険でいっぱいだった。』

(反逆のブッダ/ヴァサント・ジョン/メルクマール社P112-113から引用)

 

その後のOSHOは、一年のあいだ、何がどうなっているのかほとんどわからない状態だった。食欲も消えうせて、何日たっても、何の空腹も、何のかわきも感じない。自分に無理やり食べさせ、無理やり飲ませなければならなかった。

 

OSHOは、自分自身を感じるため、毎朝毎夕、五マイルから八マイルほど(九~十三km)走ったので、人々はOSHOのことを気ちがいだと思っていた。

 

なにか言ったら、自分が狂っているのがわかるので、OSHOは、だれにも話しかけることができなかったので、自分の部屋に閉じこもっているよりほかになかった。

 

それは一年間続いた。ただ床の上に横たわって天井を見上げ、1から100まで数えては、また逆に100から1まで数える。まだ数を数えられるというだけで、少なくともなにかではあった。何度も何度も、途中で忘れてしまう。ふたたび焦点を取り戻すのに一年かかった。

 

組織宗教のトップが自分の覚醒以前のみっともない状況を自ら公表することは大変勇気のいることだ。覚醒以前は「ただの人」なのだから、ただの人がひどいノイローゼか統合失調症みたいな状態になっていたことを発言するのは、大変珍しいことである。というのは、ピースフルとか、ハッピネスとか、エンライトゥンメントとか言っているくせに、この宗教は、ノイローゼや、統合失調症になるようなことをするのかと世間の人に思われるからである。それは、組織拡大上大きなデメリットになるからである。

 

ところがそういった部分にこそ、我々ただの人が覚醒に至るプロセスやヒントが示唆されているのである。OSHOのこのエピソードに限らず、絶対光明の前に、精神の暗夜、自我の死というのは避けて通れないことを、シャーマンになるためのイニシエーションでも、世界各国の神話でも、暗示している。

 

このように暗夜とは、ほとんど精神病のことなので、こんな状態では、社会生活を営むのは非常にむずかしい。しかしそういった状態を通過していかないと、宇宙意識、ニルヴァーナ、神、仏といったものに、最終段階のアプローチができないのもまた現実なのである。

 

社会全体の視点から見れば、こうした状態の人を、無条件に社会から排斥、隔離するのが現代社会の実態である。もちろん精神病の患者の中にもそうした人は数少ないだろうが、高い精神性をはらんでいるかもしれない人をも社会に受け入れず、分離してしまう。この大きなジレンマが、現代社会全体に突きつけられた、次の時代の精神性を迎えられるかどうかの一つの鍵になっている。

 

まずそうした状態があるということについて理解してもらうことから始めるのだろう。

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OSHOの暗夜-1

2023-01-15 05:46:48 | 現代冥想の到達点neo

◎OSHOをしのぶ

(2006-02-14)

 

OSHO(バグワン・シュリ・ラジニーシ)はもう、故人となったが、20世紀末インドとアメリカで活躍した聖人である。アメリカでは、カルトとみなされ、本人も当局に収監されたり、ひどい目にもあったようだ。

 

日本には一度も来日しなかった。アメリカに渡った理由は、アメリカの方がOSHOを率直に理解してくれる人が多いという目算があったのだろうと想像する。日本に来なかったのは、日本ではまともに理解してくれる人が、ほとんどいないと見ていたのだろうと思う。つまりOSHOの目から見ても、日本人の精神世界音痴度は、ひどいものなのだと思う。

 

日本人は、文化遺産が国土の津々浦々に多数散在し、それだけで、精神世界に造詣が深い国民だなどと思い込んでいる。ところが、覚者の目は厳しく、住んでいる国はそうかもしれないが、人は全然であることを見抜かれているのだと思う。ブランドには価値があると思うのは普通。しかし、精神的なものに価値があるなどと思っている人は変な奴だという考え方が根強くあるではありませんか。

 

OSHOは、どちらかというと真面目な聖者ではなく、いたずら好きの茶目っ気のある聖者であったようだ。行状をみると、晩年は、あまり布教活動的なことは行わず、読書三昧であったようなところがうかがえ、布教に飽きてしまったような印象を受ける。

 

そうは言っても、その悟境は、充分なものであるので、彼の大悟に至るまでの過程は傾聴に値する。

 

OSHOも大悟直前の一年ほどは、暗夜に落ち込んだという。

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日蓮が不動明王を見る

2023-01-13 10:15:36 | 現代冥想の到達点neo

◎不動愛染感見記

 

日蓮は安房小湊に近い天台宗清澄寺に入り、この寺の虚空蔵菩薩に願をかけ、「日本第一の智者となし給え」と祈っていた。その修行の延長で、不動明王、愛染明王を見た。

 

その実体験を弟子向けに、挿絵入りで1254年6月25日に、不動明王一幅https://darumamuseumgallery.blogspot.com/2007/07/fudo-kankenki.html、愛染明王一幅https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/n171-004.htmlに、それぞれ望見しましたと描き残している。

 

同年正月の日蝕時に愛染明王を、正月15日から17日の満月以降の3日に不動明王を見た。

 

これにより日蓮は、大日如来から数えて23代目の嫡流であると確認したと書いている。授記ですね。

 

また不動明王のビジョンを見たのと不動明王の段階を体験したのとは異なる。天台の筒井叡観師もビジョンを見た。本山博は、不動明王段階を通過したが、日蓮はそれについては触れていない。また望見であるので、合体ではない。

 

人が神に成るあるいは即身成仏までの段階には、本山博が自証したように不動明王段階があり、西洋錬金術では、サラマンダー段階と表現した。

 

日蓮は、大衆宗教を目指したので、いわゆる隠遁者として密教家の道を歩むことはなかったのだろう。

 

だが、その望見の体験が日蓮の宗教体験全体に深みと広がりを与えているように思う。

 

愛染は煩悩即菩提、悟りと迷いは幻影であり現実である。

不動は生死即涅槃、ニルヴァーナ=第七身体の前に生死の違いも何もかもなし。

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ホセイン・マンスール・ハッラージ-3

2022-11-28 10:16:34 | 現代冥想の到達点neo
◎自分の逆転、世界の逆転-9

ハッラージの、処刑台上での続き。

『それから、目がくり抜かれた。人びとからどよめきが起った。涙する者あり、石を投げつけるものあり。彼の舌を切り取ろうとすると、彼は、「少しだけ待ってほしい。一言いうことがあるのだ」と言った。

彼は天に向ってこう言ったのだった。
「神よ、この者たちが汝のために味わうこの苦しみに鑑み、彼らを不幸な身となさいませぬよう、また、この者たちに恵みを与えぬことなきよう。神に賛辞を、この者たちは、汝のために私の手足を切り取ったのでございます。私の首を彼らが切り落すなら、それは、汝の栄光を目の当りにする中でのことでございます」
そして、耳と鼻が切り落され、石が投げつけられた。』
(前掲書P359から引用)

イエスですら、ここまでひどい目には会わなかった。こんな目にあったのは、古代ローマの競技場でのペルペトゥアが有名である。
だが、イエスという大聖者を惨死せしめた反作用は○○人のディアスポラに現れたと見れないこともない。大聖者は、洋の東西を問わず、丁重に扱われなければならない。
覚醒した人間の多くは、法を説くことはないので、積極的に真理を説く覚者であればなおのこと貴重なものである。

イスラムの当時の人たちは、ハッラージをここまでの姿にしなければ気づかなかったのだろうか。

釈迦が、鞭の影を見て悟る人は上根であると言ったのは、誠にこのあたりの消息である。
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ホセイン・マンスール・ハッラージ-2

2022-11-28 10:14:48 | 現代冥想の到達点neo
◎自分の逆転、世界の逆転-8

ハッラージは、処刑台の上で、四肢を切り落とされつつ、冷静にいや何も感じていないかのように、わが身に起きていることを評価してみせる。

『それから手が切り落されたが、彼はにやりと笑った。「笑うとはどういうことだ」と言われて彼は言った。
「縛られた者の手を切り離すことは容易い。真の人間というのは、意志の王冠を玉座の先端から奪ってしまう、あの属性という代物の手を断ち切る者のことだ」
それから足が切り落とされた。彼は微笑をうかべて言った。
「この足では地上を旅したものだが、私にはこうしている今も二つの世界を旅する別のもう一本の足がある。できるものなら、その足を切ってみよ」
すると、彼は血まみれの両手で顔をこすり、顔と腕を血だらけにした。
「なぜ、そんなことをするのか」
「血が私の肉体からあふれ、私の顔色が蒼白であることが私にはわかる。あなた方が、私が恐怖のあまり青ざめたと思うのではと考え、顔に血をぬり、血色良く見えるようにしたのだ。
ほんとうの人間たる者の化粧の紅はその者の血だ」』
(前掲書P357-358から引用)

腕を切り落とされても、真の人間は我が身の属性には一顧だにしないのだと微笑してみせる。これは、例の禅の三祖の信心銘の好き嫌いのことを属性として表現している。こういうのを高度に人格を解放したとでも云うのだろうか。

足を切られて後のもう一本の足とは、微細身のことだが、もう一つの世界である永遠不壊なる今ここなる第六身体に到達するものでなければならない。

真人間の化粧とは、真紅の血によるとは、人と人との出会いの窮極形である愛は、血によらなければ成就しないということか。 
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ホセイン・マンスール・ハッラージ-1

2022-11-28 10:12:44 | 現代冥想の到達点neo
◎自分の逆転、世界の逆転-7
◎私には斬首台の上でしか語れぬ、あのお方との秘密がある

ホセイン・マンスール・ハッラージは、9世紀のスーフィの聖者。私は神であると唱えたばかりに、イスラムの組織宗教側から斬首命令を受けた。ところがその斬首台の上で四肢を切り刻まれつつ語った言葉が、21世紀の今に大きく伝えられている。

私は神であると唱えた時点で、自分と神は逆転を遂げた。

しかしながら組織宗教では、教派の如何を問わず、人間である信者が、私は神であると唱えた瞬間に、異端のそしりを受け、磔にあったりする。中東や欧州では、どの宗派であっても最終的には神人合一を目指すはずなのだが、教団側は、神人合一の一歩手前に留まることをベストとし、実際に神人合一になると排斥しがちである。

これは、後進の者が「私は神だ」とやると、教祖の権威を犯すことになるので、組織防衛の見地からそういうことをやるのだろうが、お粗末なことである。

ハッラージは、刑死前夜、刑務所に300人いた囚人を超能力で枷を解き、扉を開け、全員逃がしてやったのだが、自分だけは牢内に留まった。その理由を問われて、「私には斬首台の上でしか語れぬ、あのお方との秘密がある」と応えている。

彼の処刑には10万人が集まり、早速彼に石を投げ始めたが、途中から知り合いの聖職者が泥を投げたのを見て嘆息して言うには、
『自分がしようとしていることを知らぬ者たちは許されるが、石を投げてはならぬことを知っている者のことは私には辛い。』(イスラーム神秘主義聖者列伝/ファリード・ウッディーン・ムハンマド・アッタール/国書刊行会P357から引用)

求道者の立ち居振る舞いは、かくの如く厳しさを求められる。曹洞禅の師家でも悟りなどないと主張し、未悟の修行者を混乱させる方がいたことを知った(「悟り体験」を読む 大乗仏教で覚醒した人々)。これでは悟りと修行は一つ(修証一如)と唱える方にはきついのではないか。

エックハルトも神との合一を表現したが、異端認定されないように苦労したらしい。

人間が神に逆転するということは、人間の側から見れば、狂人とされ相手にされない、異端と認定され迫害される、神人として尊敬されるの三種類があるが、この世界的近代西欧文明では、狂人とされるか異端とされるかがほとんどである。あのOSHOバグワンへの扱いは、その典型である。
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みじめで情けない自分と向き合う

2022-11-26 07:05:29 | 現代冥想の到達点neo
◎恐怖パワーと期待しないで坐ること

自分が人間である限り、自分はみじめで情けないものだ。それは悟った人を除くすべての人に共通している。

落ち着いて自分に向き合ってみれば、ここは冥想するという意味だが、そのまま、あるがままの自分が次第に見えてくる。

自分が、実は元気がなく、愚かで、空虚なことを追い求め、お愛想と外面とは裏腹に、醜い存在であることを感じる。

さらに日々、自分の生活、生存のため、あるいは、自分のメリットのため、自分がちょっと便利になるためにやってきた大小様々な行動や他人への仕打ちを振り返ると、自分が罪深い一方で、不安におののく、ちっぽけでつまらないものであることを感じている。

こういうアプローチは、開運招福、恭喜発財、ラッキー引き寄せなどとは、対角にあるのだが、これが人間の真実である。ネガティブな故にマスコミでは、「本当はネガティブな自分」という題材は、視聴率もとれないし、アクセス数も稼げないので稀にしか取り扱わない。

だが、それを正面から見据え、逃げないことがまともなアプローチである。

その時、自分は何ものにも頼れない、寄る辺のない孤独感を味わう。資産数兆円の大金持ちでも、金メダルのスポーツのヒーローでも、人気絶頂の芸能アイドルでも、アクセス数トップのユーチューバーでも、権力の頂点にある大統領でも国家主席でも首相でも、官僚の事務方トップでも、孤独でみじめで情けないことには変わりない。

この時代は、自分にあった職業で自己実現するという教育、宣伝が行き渡りすぎた悪影響で、人生のポジティブさを尊重しすぎる弊風がある。そのおかげで、「孤独でみじめで情けない」自分に向き合うことはますます恐ろしく、暗いものに感じられるものとなった。

当たり前の人間として生きるとは、「孤独でみじめで情けない」自分を認めつつ生きるということ。それは恐ろしいことである。それはとてもいやなことである。でもそこから逃げずに向き合ってみるのが冥想。

冥想する。ただ坐る。背骨を垂直に伸ばして腰を入れて、脚を組んで坐る。あるいは姿勢は自由で、目を閉じ、目を開け、あるいは半眼で、聞き守りつつ坐る。

時に、私は、こんなにまじめに坐っているのに、頭が混乱して翻弄されるだけで、気分も落ち着きやしないなどと思うかもしれない。

それでも坐るのが健全な自分自身への向き合い方。

誰もが簡単に悟れはしないのだが、覚者は「悟った人は、悟ってない人との差はない」と言い、「悟りは簡単なこと」だとも言う。

さはさりながら、禅でも密教でも古神道でも念仏でも、覚者の修行ぶりで伝えられるものは、冥想フリークのように冥想に打ち込む者が多いというのも事実なのである。

大災害にあって停電でスマホ携帯も繋がらないと自ずと自分に向き合う。孤独と不安と恐怖。でも自分に向き合う訓練は平常時から行わなくてはならないのだと思う。

世の終わりというマスで発生する大量死の時期も、自分が孤独に死んでいく死の時期も死としては自分にとって同じなのだ。

悟っていない身にとっては、どちらもとてつもない恐怖であることに変わりない。自分が自分に向き合うためには、いかに本気で向き合うかがためされる。

その本気には、「本気1.0」「本気2.0」「本気3.0」・・・・・「本気max」がある。

本気に向き合うエネルギーは恐怖から供給されることもあるのを見て「恐怖の恵み」などとも言われる。

「本気1.0」から「本気max」への深化は、只管打坐でもそうだしクンダリーニ・ヨーガでもそうだし、その皮の向け具合を玉ねぎの皮に例えてシュンニャとも言う。

ある程度進んだところで、真正な師匠に出会うことがある(自分が偽りならば、偽りの師を選ぶという法則もある)。

何の期待もせずに坐る。
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人はいつ正師に出会えるか

2022-11-23 07:18:26 | 現代冥想の到達点neo
◎ユクテスワの説明

厳密に言えば、悟ってない人は、誰が悟っていて誰が悟っていない人か見分けることはできないし、誰が正師かどうかもわからない。

パラマンサ・ヨガナンダの師匠の師匠がユクテスワ。彼が説く、人はいつ正師に出会えるかについては、真剣な求道者が一定の進境に達すると出会えるとしか書いていない。(聖なる科学/ユクテスワ/森北出版P23)

例のイエスの到来を日々願っている篤信者のところに、ある日ついにイエスがやってきたが、彼は眠っていて気がつかなかったという話を思い起す。
正師に出会ったかもしれないが、それをわからずに過ごすということはある。

そこでは、自分の真剣さ本気度が問われる。笠地蔵の老夫婦も実は結構真剣で本気だったのだろうと思う。
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