◎輪廻転生の実態-2
◎ジェイド・タブレット-10-12
◎垂直上昇への仕掛け-12
◎あなたは誰かの記憶・カルマを引き継いだ
日本人は、お盆の送り火などで、人は一人で輪廻転生するものだと思い込んでおり、それが社会通念にまでなっている。ところが、実際には、それとは、やや事情が異なる。砕霊なんかを視野に入れると、人間とカルマと記憶についてまったく異なる説明が必要であることに気がつかされるものだからだ。
以下のOSHOバグワンの説明が、輪廻転生についての決定版の説明であるように思う。
つまり、あなたは大方複数の誰かの記憶・カルマを引き継いで、この世に生まれてきたということ。
奇しくも彼がこの説明を行ったのは、彼自身の死の前夜であって、そういうポジションに語り手が居て初めて出てきた説明なのだと思う。これは側近のシュンニョの質問にOSHOバグワンが答える形の話で出された。
『私の質問は輪廻についてではなかったのですが、和尚は次のように答えました。
「東洋の全宗教に見られる輪廻という考えは、『自己』は、ひとつの肉体からつぎの肉体へ、ひとつの生からつぎの生へと存続するというものだ。
こうした考えは、ユダヤ教を源泉とするどの宗教にも見られない。たとえば、キリスト教やイスラム教には見られない。
現在では、精神科医でさえ、人が過去生を思いだすというのはほんとうにありうることだと認めるようになっている。輪廻という考えは、その信憑性を高めつつある。
だが、私はあなたがたに言っておきたい。輪廻という考えはまるごと誤解にもとづいている。人が死ぬとき、その人の存在は『全体』の一部になるというのはほんとうだ。その人が罪人だったか聖者だったかは問題ではない。
しかし人にはマインドと呼ばれるものもある。つまり記憶だ。過去においては、記憶を思考の束ないしは思考の波として解釈するに足るだけの情報がそろっていなかった。だが、それはいまではもっと簡単だ。
そしてこの問題に関して、私には、ゴータマ・ブッダが多くの点で、彼の時代にはるかに先んじていたことがわかる。彼は私の解釈に同意するだろう唯一の人間だ。
彼は暗示的なことは言ったが、いかなる証拠も提示できなかった。口で言えることはなにもなかったのだ。
彼は言った―――人が死ぬと、その人の記憶が新しい子宮へと向かう。その人の自己ではない。現在の私たちにはそれが理解できる。
死ぬときに、あなたはまわりじゅうに記憶を放出するということだ。あなたがみじめな生を送ってきたのだったら、あなたのすべてのみじめさは、それにふさわしい場所、だれかの記憶システムに入るだろう。
それらがすべて単一の子宮に入るかもしれない。
人が過去生を思いだすというのは、そうしたことがあるからだ。それはあなたの過去ではない。あなたが引き継いだ、だれかのマインドだ。』
(和尚と過ごしたダイアモンドの日々/マ・プレム・シュンニョ/和尚エンタープライズジャパンP423-424から引用)
※マインド:頭のこと