◎のっぺら坊に出会う
黄檗宗のある老僧が、さる婦人に臨済無位の真人の公案を授けて坐禅させた。無位の真人は、凡でもなく聖でもなく、目もなく鼻もない。この人に出会えば、大悟覚醒することができる、と。
すると婦人は、昼も夜も只管打坐三昧となった。すると彼女の前に眉も目もない身長3メートルほどの僧侶が突然やってきて面前に立った。
彼女は、怖くなって坐るのをやめた。そしてこの現象は坐るごとに繰り返した。
ある日、彼女は、老僧にこのことを相談した。
老僧は、昔さる修行僧が犬に仏性があるかどうかという公案に取り組んだところ、面前に巨大な犬が出現した。あなたのもそれと同じである。皆妄想だ。
ただし三界六道(世界全体)も妄想によってできている。だからこの公案で釈尊の肝心なところを示している。
婦人は、しっかり反省し終には大悟したという。
この老僧は、わかっている。そんなもの妄想だと切り捨てるだけなのが普通だが、宇宙全体も妄想であるとヒントを与えるのが現代風である。
のっぺら坊とか、ペットの巨大化とか、化け猫、化け犬に関わっていてはどうにもならない。
ただし、クンダリーニ・ヨーガ系、密教系、ソーマ・ヨーガ系は、こうした中間的なものを使う。観想法も、中間的なものを使う。キリスト教で、イエスの一生を観想してイエスになりきるのも観想法。イグナティウス・ロヨラの霊操は、その一例。