◎私は神秘な恋の囚人だ、牢獄は私自身
ダンテス・ダイジの未公刊の詩集老子狂言から。オカルチック・ソネット。
『オカルチック・ソネット
私の歌を
わかってくれた
たった一人の
マーヤ。
求めて尽きることのない
情熱よ。
しなやかな美しさを秘めた
おまえ—私自身よ。
私は神秘な恋の囚人だ。
牢獄は、私自身。
おおマーヤよ、マーヤよ。
帰しておくれ
おまえの何ものかのもとへ。
今や、私の情熱は尽きんやもしれぬ!?』
(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)
OSHOバグワンによれば、釈迦は、臨終直前まで第六身体アートマンに留まり、臨終時にようやく第七身体ニルヴァーナに入ったという。これをマハパリニルヴァーナ(大涅槃)と呼ぶ。
よって釈迦が生前悟り(ニルバーナ)について説いたのは、ニルバーナの外側にいて、ニルヴァーナについて語ったものだと、OSHOバグワンは説明している。
マーヤは、転変する現象にして幻影であって、迷いにして宇宙全体。禅家では、自分自身とか本来の自己などとよぶ。
オカルチック・ソネットの立ち位置は、第七身体ニルヴァーナであって、そこから自分自身である第六身体マーヤを恋している。
迷いなくして悟りなく、悟りなくして迷いなし。
人が、宇宙全体なる神として生き、同時に語り得ぬ神秘そのものであるニルヴァーナとして生き、同時に時にみじめで情けない個人として生きるには、『十分すぎる生きる情熱』が必要。生きる情熱が尽きれば、七回の転生コースは終わる。
こうした三重の生は、ヘルメス・トリスメギストスは三重に偉大とか、仏教の三身とか、キリスト教の三位一体に見られる。全人、完全人は三重なのだ。