アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

オカルチック・ソネット

2025-01-01 06:29:06 | ダンテス・ダイジの風光

◎私は神秘な恋の囚人だ、牢獄は私自身

 

 

ダンテス・ダイジの未公刊の詩集老子狂言から。オカルチック・ソネット。

『オカルチック・ソネット

 

 

私の歌を

わかってくれた 

たった一人の

マーヤ。

 

求めて尽きることのない

情熱よ。

しなやかな美しさを秘めた 

おまえ—私自身よ。

 

私は神秘な恋の囚人だ。

牢獄は、私自身。

おおマーヤよ、マーヤよ。

 

帰しておくれ

おまえの何ものかのもとへ。

今や、私の情熱は尽きんやもしれぬ!?』

(老子狂言/ダンテス・ダイジから引用)

 

OSHOバグワンによれば、釈迦は、臨終直前まで第六身体アートマンに留まり、臨終時にようやく第七身体ニルヴァーナに入ったという。これをマハパリニルヴァーナ(大涅槃)と呼ぶ。

よって釈迦が生前悟り(ニルバーナ)について説いたのは、ニルバーナの外側にいて、ニルヴァーナについて語ったものだと、OSHOバグワンは説明している。

 

マーヤは、転変する現象にして幻影であって、迷いにして宇宙全体。禅家では、自分自身とか本来の自己などとよぶ。

オカルチック・ソネットの立ち位置は、第七身体ニルヴァーナであって、そこから自分自身である第六身体マーヤを恋している。

 

迷いなくして悟りなく、悟りなくして迷いなし。

 

人が、宇宙全体なる神として生き、同時に語り得ぬ神秘そのものであるニルヴァーナとして生き、同時に時にみじめで情けない個人として生きるには、『十分すぎる生きる情熱』が必要。生きる情熱が尽きれば、七回の転生コースは終わる。

こうした三重の生は、ヘルメス・トリスメギストスは三重に偉大とか、仏教の三身とか、キリスト教の三位一体に見られる。全人、完全人は三重なのだ。

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