◎準備の一年の終わり
例年末には、『〇〇年末の終わり』という記事を上げるが、2023年分は上げていないのに気がついた。ジェイド・タブレット執筆中だったので、それどころではなかったのだろう。
ジェイド・タブレットは、瞑想とか宗教にほとんど知識がない青少年や大人を念頭に、日々の冥想が世界平和と真の幸福をもたらすものだという流れを、簡単に書いてみたもの。構成は、ライフ・ステージ別の窮極に至る道と天国希求以降のポイント。
本編の方は、2024年6月17日に完了。外典の方は、本編に書ききれない分を入れ、同年6月6日に完了。
この先入観と抑圧を必要とする時代は、間もなく終わる。
2024年は、最高気温30度以上が6月中旬から4か月続き、いかに健康で正気で暮らすかがテーマになった一年だった。
以下は今年の記事で気になったもの達。
と言わなければいけない時代も過ぎ去ろうとしている。
彼のように日本各地に悪神を封じ込めた覚者は多数いるはずだが、名も知れず歴史の陰に隠れている。
では、とかく善対悪が最終決戦ととらえがちな現代人を戒めている。
これは、光偏重の現代文明批判。
釈迦-5-最初のニルヴァーナと臨終時のそれの違い-1-見ることと飛び込むこと
マハパリニルヴァーナのことは意外に知られていないが、知っているべきポイントである。
これは、出口王仁三郎の祖父と並んで考えさえられるところがある。
クンダリーニ・ヨーガも只管打坐も極めたのは釈迦とダンテス・ダイジ。
これは、ただのドラマチックな布石回収ではない。
それは真正の覚者の特徴である。
亡くなった教祖を見たり、光を見たり、クンダリーニが上がったり
その体験はみな、意識に漂う心象にほかならない。
どこから歩いても同じ一つの終着点に至るような人間共通の宗教モデル
これだけが現代に求められるもの。
見られるものは見ている自分を解放するために経験を提供する。
皆、キーポイントがそこだとは言わない。
人間には結局苦悩と絶望からの救いはないから・・・。
神とは絶対の未知自身だ!
オープン・マインドは最終ステップでの必要条件だが、対応次第で、人は神にも悪魔にもなる。
現代人は、ほとんどすべての人が召命されて生きている。召命とは、自分が神とコンタクトするべく、神の側から召されること。
呼吸の隙間にそれがある。
まれに一人二人が覚醒するのはいわば当たり前だが、万人が覚醒するのは奇跡である。
エジプトのピラミッドからアトランティスの叡智を集めた真エメラルド・タブレットが発見される。
現代人が神に成るには、誰もが薄々感じているが言葉にしにくいことがある。
無意識とのせめぎ合いの中でも気づいている意識。
善いことは容易にできない世の中だが、善いことをし続ける
人は眠りを通して神に入っていくがそれだけでは決して神を知るには至らない。
3年で解けるということ。
人が冥想に真剣に取り組むモチベーションあるいは分水嶺。
世界の運命は大筋は神様が決めているが、人間の行動状況を見て、節目節目で大きな転換点すなわち天変地異や戦争などが神様の決定で起こる。
詐欺にあった被害者が、逆恨みし、神も仏もあったものかと神仏を離れ、地獄への道を進む者がいると、出口王仁三郎は注意している。
情熱があってこそ宇宙が宇宙としてある。
見守ることを通して奇跡が起こる。
愛は死だ。
社会では、政府、マスコミ、コマーシャル提供企業などからの情報や、SNSでの“らしい”言説を、無意識に受動的に信じ込み、あたかもそれが自分の考えであるように思ったりしゃべったりするに至る。
クリシュナムルティは、時間すべては今であると唱えた。過去も現在も未来も、今であるということ。
本当の当たり前さを出す、ただそれだけ。
【Overview of the meditation 冥想の全体像】
一年間ご来訪ありがとうございました。
よいお年を。