アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

思春期の水平の道

2023-10-01 06:56:03 | ジェイド・タブレット

ジェイド・タブレット-03-01

◎思春期の水平の道

一般に、赤ちゃん、子供は、まず両親の愛を受けて育てられるべきであり、その保護は少なくとも思春期頃までは続けられるべきであるといわれるのは、そうしないと子供は、まともに素直には育っていかないからである。

子供はそうして何度も何度も新たな欲望を持ってはそれを実現していき、また別の欲望を持ってはそれを実現していくことを繰り返して、自分を形成、確固たるものにしていく。そして思春期となる。思春期では、義務教育の場や人間関係や環境などで、不如意、理不尽をしばしば思い知らされるのである。それはネガティブな出来事ではあるが、学校教育の基調はポジティブなものであり、社会との調和、ある程度の自分個人の願望が実現されるものだということで、生への希望を抱かせるものである。

このようなまともな社会生活を展望して、その中で自分の幸福を実現していこうという方向性は、学校教育だけではなく、水平の道の方向性でもある。

ただし、水平の道では、その幸福というものは、何時でも如何なる境遇の人にも、揺らぐことのない至福、慈愛、そういったものが真実であることを実感させてくれるメソッド、生き方があるというところまで踏み込んでいる。いじめも、貧困も、片親も、両親不在も、孤独も越えるのだ。

 

その方法が冥想というもの。それぞれの宗派はそれぞれの冥想メソッドを持つが、深まれば自分の状態にマッチした坐法に自然に変わっていく。一般に冥想は、柔軟体操と呼吸法で始まり、坐に移るのが典型。

さて、どんな人間でも思春期と老年の入り口で自分の死というものを考えるものだ。これは、冥想に向かう時期でもある。思春期においては、肉体の成長に対しアストラル体以上のボディの成長にアンバランスが生じ、世界のすきまを感じ取りやすい。

これに対し老境の入り口では、肉体の衰えに比し、アストラル体以上のボディとの間でアンバランスが生じ、これまた世界のすきまを感じ取りやすい。

換言すれば、思春期は、肉体が急速に大きくなることで霊体とのバランスを失い。老年期では、肉体が急速に衰えしぼむことで霊体とのバランスを失う。人によっては霊能力の発現するタイミングともなる。

こうした時期が、物質、時間、空間という固定観念を打破しやすい時期なのだろうと思う。

 

そうした不安定な思春期を念頭に置いて冥想のロードマップを考えれば、義務教育の6歳の頃から冥想教育、冥想練習を開始することができれば、遅くとも思春期には、見神、見仏、見性、見道が起こる可能性が高いのではないかと思う。

冥想教育といえば、実際に坐ることが第一であり、その中で水平の道か垂直の道を選んでいく。実際にどういう坐法をとるかは、純粋冥想である広義の禅か広義のクンダリーニ・ヨーガである。現在の宗教の趨勢からいけば、天国極楽行きを当面の目標とする宗教は中間プロセスとしては正しいものの、その先にニルヴァーナ・神人合一があることを明に暗に示唆していくことが必要なのだろうと思う。

天国極楽の先に、見神、見仏、見性、見道があり、その先にニルヴァーナ・神人合一がある。どれを目標にとったとしても、人間の基本線は、自分というものを小さくして行って最後は自分をなくするという方向性である。

その方向性を生きるという姿が、仏教でいえば諸悪莫作(悪いことをしない)、衆善奉行(善いことをする)、自浄其意(心をきよらかにする)であって、これは義務教育での冥想教育が行われれば、思春期での見神、見仏、見性、見道者の大量出現により、自ずから実現されていくのだろうと思う。なお、神を知った人間は、自ずと悪いことをせず善いことしかしないものだ。

 

思春期における水平の道とは、将来的には、初等教育での冥想訓練だが、思想宗教がここまでバラバラで、カルト宗教が跋扈跳梁し善男善女の懐(金)と心を狙いまくっている状況では残念ながら現実的とはいえない。

よって覚者が個人個人を個別に相手にして冥想を説いて行くのが最初の姿にならざるを得ない。一対一では地道すぎると思われるかもしれないが、樹木は小枝を一本一本伸ばしてその結果が大樹となっていくもの。

20世紀以降、有名覚者が次々と出現したにもかかわらず、世界は相変わらず悪人たちの思うがままに動いていって、全面核戦争と人類滅亡の危機にさらされている。

またITの進展でSNSのように一対多の情報伝達手段ができたのにもかかわらず、あらゆる宗教は基本的なバックボーンが共通であるという考え方も伝播しているとは言い難い。

 

それにしても思春期の少年少女は、スマホという皮袋は持ったが、その中に入れるべき良い葡萄酒が何かをまず冥想を坐ることで知るべきなのだ。彼ら彼女らが、冥想により見神、見仏、見性、見道という小悟体験を得た後もあるいは大悟した後も、社会の中で働いてまっとうにやっていく道が水平の道である。

水平の悟りメモ-1(水平の悟りは生の側を極める、垂直の悟りは死の側を極める )
水平の悟りメモ-2(君が愛人と出会う時そこにはどのような意味での必然も偶然もない )
水平の悟りメモ-3(救世主であることの条件は悟っていること )
水平の悟りメモ-4(水平の悟りと垂直の悟りを同時に生きる)
水平の悟りメモ-5(本当に生きているエネルギーの充実感)
水平の悟りメモ-6(水平の悟りと垂直の悟り)
水平の悟りメモ-7(それがどんなに恐ろしいことであっても、ありのままに見る)
水平の悟りメモ-8(まとめ )
 

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