ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

I left my heart in San Francisco

2010-07-12 | アメリカ

神奈川よっしゃあ~!←独り言ですのでお気になさらず

ボストン最後の日、ニューベリーストリートの風景です。
この日はヒートウェイブが去ったとはいえ、陽射しは肌に痛いほど。
古さと新しさが溶け合う街、ボストンに別れを告げました。
近代ビルと100年前の建物が並ぶコ―プリー・スクエア付近。
日本でもおなじみコール・ハーン。この辺りのお店はみな百年モノの建物の一階と二階にテナントを持っています。
ここは角の一軒全部借りている例。

土曜日、サンフランシスコに移動しました。
いきなりこれ。

寒そうでしょう。

これを書いている今、サンフランシスコ午前3時。
2時にきっかり眼が覚めてしまいました。
というのも、それがボストン時間の朝6時。
時差ボケ再び・・・・(T_T)
当たり前のことですが、アメリカ国内は時差があり、西部、中部、東部と2時間ずつ違います。
6時間かけて西に飛んできたので時間が4時間巻き戻ってしまったというわけ。

これから一か月住むアパートは、ジャパンタウンの近くにあります。
スチュディオという、一番小さなタイプですが、これくらいの広さに大人二人で住んでいる例は日本にはたくさんあるかと。
特にキッチンは、大所帯マンションのものと変わりません。

着いて早々買い物に出ましたが、さっそくボストンで買ったプラダの皮ジャケットが役に立ちました。
何回も来ていて「サンフランシスコは寒い」と分かっているはずなのに、暑い日本やボストンにいると頭では理解していながら、実際の感じより甘く見てしまうんですよね。
で、来てみて「やっぱり寒かった」と毎年毎年。
ボストンでもう少しセーター買えばよかったなあ、と思うのも着いてから。


さて。
I left my heart in San Franciscoという曲をご存じだと思います。
日本で流行った時期があるらしいんですね。
で、今初老と言われる年代の人たちは、みんなこの曲が好きです。
ジャズの仕事をしていたとき、一日に必ず一度、このリクエストが来たものです。
おかげで、当時は「嫌いな曲ナンバーワン」でした((^_^;)

何故、日本人がアメリカの一都市であるサンフランシスコへの愛を歌ったこの曲がこれほど好きなのか、実のところエリス中尉にもあまりよくわからないのですが、メロディは確かにドラマティックであり、なじみやすくもあり、素晴らしくよくできています。

しかし、この曲が名曲と言われるのは、サンフランシスコのことを知っている人が「そうそう、その通り」とうなずいてしまう歌詞の魅力が大です。

「小さなケーブルカーが星に向かって坂を登っていく」
という歌詞は、カリフォルニアストリートを西に向かって登って行く坂道のこと。
この坂の険しさは半端ではなく、その昔、坂で苦しんでいる馬が可哀そう!と思った人がケーブルカーの敷設を決心した、というくらいのものです。
冗談抜きで、ここを車で走ると後ろにひっくり返るのではないかと思えるくらいです。
そして、本当に、下から見ているとその通り、車もケーブルカーも空に向かって登っていくように見えます。
その一瞬を眼にしたとき、この歌詞の本当の意味が頭でなく「感覚で理解でき」たと思いました。
そう、それは暑いところにいて「サンフランシスコは寒いよ」と言われてもなかなか実感できない人が行ってみて初めてそれを理解するのに似ていました。


そして、まだサンフランシスコを知らないとき。
その中の歌詞、

The moaning fog may chill the air
I don't care!

(朝の霧が空気を冷たくする。でもかまうもんか)

の「構うもんか」が、どうしても大げさな表現に思えていました。
朝、空気が冷たいのは結構なことじゃないですか?としか、日本に住む身では思えなかったわけです。
しかし、実際にここに来てみて霧のせいで夏でも憂鬱なくらい寒い天気が繰り返されると、たいていの人間は それを
"I care"(構う)ということが実感できます。

つまり、そういう悪天候であったとしても、サンフランシスコそのものを愛しているから
気にならないんだ、と、反語的に讃えているわけですね。

確かに、天候だけでいうと、夏に夏らしい恰好で歩けず、冬は冬で雪も降らない、中途半端な一年がだらだら繰り返される街です。
日本のことを話していて、相手に「ああ、日本は四季(シーズン)があるからねえ」と言われ、あらためてここには春夏秋冬は無いんだ、と思ったことがあります。

しかし、それにもかかわらず、サンフランシスコは魅力的な街です。

最初にボストンから引っ越したとき、実はひどく落胆してしまったものです。

寒い。
モノが高い。
車を止めるところが無い。
コインパーキングが高い。
駐車取り締まりの車(民間)がいつも走り回っていて、一分でも過ぎたらチケットを切る。
中国人だらけで、そいつらが郵便局や免許局などでやたらいばる。
一軒家が無く、家と家の間がくっついている。
街並みにボストンほどの風情がない。
英語が分かりにくい。

しかしながら、住んでみると、なかなかこれがいろんな魅力を持っている街でして、まるで「一見美人ではなく、性格も複雑な女性が、深く付き合ったらいいところがたくさんあり、ふと見せる表情が美しく、その欠点も含めて好きになってしまった」
という具合に愛してしまうわけです。
これは私に限らず、みんながこういう風にいうんですね。
年がら年中霧が出てばかりいるわけでもなく、美しく晴れ渡った穏やかな日がそんな天候のあいまにふと現れる。
そのとき、サンフランシスコは人の魂を奪うように魅力的な顔を見せるのです。


そこでみんなが「心をサンフランシスコに置いてきてしまう」と・・・。

「人生がちょっとばかり複雑」に思える、大人の街といえるかもしれません。