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オークランド航空博物館~スカイウォリアーの憂鬱

2013-08-09 | 博物館・資料館・テーマパーク

Grumman KA-6D Intruder

タダのハンガー(格納庫)に航空機を並べただけ、のシンプルな航空博物館。
しかしだからこそ、本当に飛行機が好きな人しか来ないマニアの城とも言えます。

この展示のいい加減というかぞんざいなせいで、触りさえしなければ
まじまじと近づいて矯めつ眇めつしてもいいわけです。
まあ、そんなにまじまじと見るものも特にありませんが。

このグラマンの「イントルーダー」は、1963年から1997年までのなんと34年間、
艦上戦闘機として長い間運用された長寿シリーズです。

イントルーダー、というのは邪魔する人とか、出しゃばり、とか侵入者とか、
いずれにしてもあまりいい感じの響きではないのですが、敵にとって
嫌な感じのネーミングであるほうが効果的とも言えますね。

イントルーダーA-6は、それこそ雨が降っても晴れても、昼でも夜でも攻撃できる
全天候型戦闘機で、アメリカがかかわった戦争に全て何らかの形で参加しています。

派生型も多く、ここにあるKA‐6Dは、初期型を空中給油機に作り変えたものです。
給油するわけですから、電子機器や搭載武器の部分を全てタンクにしてしまい、
攻撃能力はありません。

そしてこのイントルーダーというと思いだす話。
以前も一度書きましたが、イントルーダーは、リムパックで標的曳航の役をしていて、
護衛艦「ゆうぎり」に撃墜されてしまったこともあります。



Mac Donnell ADM -20  QUAIL

部屋の隅に転がっているこれを見たときに、てっきり「子供用の玩具」
だと信じ切っていたのですが、違いました(笑)

これ、デコイミサイルなんです。
クワイルというのは「ウズラ」。
誰が付けたか、この小ささがいかにもウズラな感じで的を射ています。

このデコイは航空機から発射され自力で飛する空中発射式。
敵のレーダーに、ミサイルだと認識されるものです。
なぜ「ウズラ」なのかというと、ウズラは石の擬態をして敵を欺くから?



Douglas DC-6B

頭の部分だけ。




Hiller Ten99 (1099) Helicopter

サンフランシスコ空港を少しだけ南に下ったところに、サン・カルロスという市があり、
この高速道路に面して「ヒラー・航空博物館」があります。

このヒラーとはなんであるかと長年謎だったのですが、これを見て謎が解けました。
ヘリコプター開発者である、スタンレー・ヒラー・Jr.の名前から取っていたんですね。

このヒラー1099は、1942年から研究開発を始めたヒラーの初期作品で、
1961年に製造されています。



今でこそ当たり前の形ですが、当時このような後部に多人数のシートがある、
という形そのものが画期的だったのですね。

初期モデルと言いながら、基本の形は今とほとんど変わっていません。
それだけ完成度が高かったということでしょうか。



Douglas KA-3B Skywarrior

取りあえず大きいです(笑)

艦上戦闘機なのにどうしてこんなに大きいかというと、これが米海軍の
最初に作ったStrategic bomber、つまり戦略的核爆弾輸送戦闘機だったからなんですね。
当時は小さい核爆弾を造れなかったので、飛行機を大きくするしかなかったのです。

核を「爆撃」するのに、一応「戦闘機」となっていて、名前もそれらしいですが、
やはり搭乗員からは「クジラ」と呼ばれたり、爆撃機扱いされていたようです。

今後予期される核戦争の(!)ために、アメリカもこんなの作ってみました、というところですが、
核なんて基本地球の最後の日まで使う機会は訪れませんから、当然このスカイウォリアーも
「これが活躍するときには地球は終焉する」
という位置づけの戦闘機となってしまい、そのうち核運用の主役が何かと危険な(ですよね~)
航空機ではなく、空母から原潜へと移るにしたがって、存在する意味が無くなってしまいました。



誰もいないのをいいことに、こんなところの写真も撮ってみる。
意外と雑な作りのエアーインテーク内部。



こういうのも剥き出しのままなので、その気になれば(なりませんでしたけど)
ヒューズ一本くらいなら取って来れそうです。



このコクピット下の名前、Frank Brrows大尉ですが、「傑出したエアマンシップでクルーと機体を救った」
ということで殊勲飛行十字章を授与されて、この機体に名前が刻まれています。

(何をしたのか、博物館内に展示してあったそうですが、見落としましたorz)

ところで、この飛行機、三人乗りなのに、パイロットつまり操縦するのは一人。
核爆弾を輸送しようかという飛行機なら当然長距離飛行が予想されますが、
いったい生理現象とかそのあたりどうしてたんですかね。

しかも、この機体、脱出のための射出席もついていなかったので、
離艦着艦のときには必ずキャノピーを開けていたというのが泣けます。
海に落ちてしまったときにとりあえず溺れて死なないようにですね。

海軍は何を思ったか、こんな大きなものを空母で運用しようとしたわけですが、
その主な理由は、核攻撃用の戦略爆撃機を持っていたのが、

当時空軍だけだったので、それに対抗した

ということのようです。
どのくらい核搭載機が実用化されるかという予想より「空軍が持ってるのに」
という対抗意識が主な理由だったとしたら、搭乗員ははっきりいっていい迷惑だったと思います。

さて、結局前述の理由でこのスカイウォリアーは「失業」してしまいました。

一応その後、ベトナム戦争では機雷投下などの任務を行っています。
機雷投下程度でこんな大きい飛行機が必要あるのかって話ですけどね。

それにしてもいまさら驚くのが、核爆弾を積んだ飛行機を空母で離発着させようとしていたことで、
そもそもこの巨大な機体、これを艦上で運用するというのもすごいです。
繰り返しますが、核爆弾積んでるわけですからね?
素人が適当に言ってますが、もし着艦失敗でもしたら、
そこが爆心地になるかもしれなかったってことなんじゃないんでしょうか。


もし何かあったときのリスクはそれこそオスプレイどころではありません。
(オスプレイは元海幕長もおっしゃってましたが、安全ですよ。
次のエントリでお話ししますけど)


つまりそういう時代だった、ということなのでしょうが、
このスカイウォリアー、潰しがきいたというのか、大きさが幸いしたのか機体に汎用性があって、
その後結構長い間(1991年まで)運用された、というのが救いといえば救いでしょうか。