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潜水艦パンパニト見学記~「パンパニト・アイスクリーム」

2014-01-29 | 軍艦

サンフランシスコの観光スポット、フィッシャーマンズワーフ。

ここにはサンフランシスコ在住のときに、息子を水族館に連れて行くために
何度か来たくらいでしたが、ここに大戦中日本と戦った潜水艦があるとは
このときの滞在中初めて知りました。

それまでは特に海軍的なものに関心もなかったので、情報を見逃していたのでした。 

さて、パンパニトの見学は必ず一方通行に、船尾から入って船首から出ます。
中が狭く、防水壁は一人しかくぐれないので、当然の対策ですね。
ここはいつ行ってもアメリカ全土、並びに海外からの観光客でいっぱいで、
この埠頭も一日中大変な人数が行き交っているのですが、
この旧式潜水艦を見学していた客は意外なくらい少なく、わたしとTO、
それからドイツ人の4人家族(兄妹)、そしてメキシコ系のグループのみ。

観覧料大人12ドルは、普通のアメリカ人には高いと考えるのか、
まあおかげで中をゆっくり写真を撮りながら見ることができたというわけです。
パンパニトには解説員も一応いましたし、毎日掃除もするわけで、
維持費も必要でしょうが、何と言ってもこれが「艦内が混雑しない」ぎりぎりの値段なんだなと。

ただ、このメキシコグループが、皆で逆行するのよ。
艦尾から入れという指示がちゃんとあるのに、英語が読めないのか
はたまた空気が読めないのか、狭い艦内を逆流してくるわけ。

見るからに単なる仲間内のノリで、遊園地のアトラクションでも乗る気分らしく、
わいわいと騒ぎながらの逆行は、わたしたちもそうでしたが、
ドイツ人もきっと眉をひそめたことにちがいありません。



あまりにも単純なので、逆に怪しむレベルの装置。
これは沈んだりするのではなく、海上滑走のためのスイッチなんでしょうね。



メインイグジット、つまりメインの出入りハッチのバルブです。



艦橋につながる梯子は、上り下り厳禁。
昔、「どんがめ乗り下克上」というエントリで、艦長ともなると
若い乗員に動きがついていけないので、急速潜行で艦内に飛び込むとき
もたもたしている艦長を踏んづけてしまう、という話を書いたことがありますが、
こういうのを見ると、体のデカいアメリカ人、さぞかしあっちこっちで
肉弾戦となってしまったのではないかとお察しします。



けっこうあちらこちらにあるイグジット。
この閉め方が甘かった日にはそれこそ全員が一蓮托生で海の藻屑。
さぞかし神経を払ったのだろうと思いますが、急速潜行の際、
飛び込んだ乗員はこの階段の手すりに片手をつかまったまま、
片手でハッチを完全に閉めなくてはならないわけです。

ハッチの閉め忘れみたいなミスは過去一度もなかったのだろうか、
と思って調べてみると、キスカ救出に従事したこともある伊169潜が、

1944年4月、トラック島の北方に停泊していた時、
アメリカ軍の空襲を避けるため潜航したところ、
後部荒天通風筒の弁が開放された状態であったため浸水し沈没した。
篠原艦長以下21名が上陸中であり、乗員103名が殉職した。(wiki)

という事故があったことがわかりました。
艦長が在艦していれば、もしかしたら避けられた事故だったのでしょうか・・。



デスクの上の万力のような器具は何をするものでしょうか。



艦内、特に天井はバルブだらけです。
こんなにあるのなら、一つくらい閉め忘れても仕方が・・・・
いやいや、閉め忘れたら死ぬんですから。

今は違うそうですが、この頃の潜水艦のバルブはほとんどが手動でした。



さすがはアメリカ軍、ちゃんと扇風機がついています。
ここサンフランシスコに繋留している限り扇風機の出番は永久に来ませんがね。

太平洋沖ではおそらくずっと回しっぱなしだったのでしょう。



部屋と部屋の間はこのような人一人がようやく通れるような孔があり、
ここを跨いで移動します。
向こうの区画の出入り口も見えていますね。

万が一区画が水没したら、別の区画に移動しそこを閉鎖してしまうので、
このようにコンパートメントの出入り口は小さいのです。
どの区画に残されたとしても外に脱出することができるように、
ハッチは各区画にかならず一つあるらしいとわかりました。



字がはっきりしないのですが、艦内の空気を清浄するための何かが収められているようです。



艦内の通気のための孔を開けるバルブがここ、という矢印。
緑のも酸素ボンベでしょう。



各コンパートメントを仕切る扉。
いざとなったらこれを閉めて進水した部分を封鎖します。
そして覗き窓からそこを見ると・・・。

そこには脱出できなかった同僚が!

「ここを開けてくれええ!」
「すまんザック!ここを開けたら皆が死ぬんだ!
迷わず成仏してくれえ~~!」




とは言ってませんでしたが、そんな場面がある映画を観たような気がするな。

気を取り直して横を見ると、
なかなかお洒落な洗面ボウルが。
ここに書いてあるのは、

「このシンクは使用禁止です。
液体とかそういった類いのものは流さないで下さい」

そして小さーい字で、

「こととしだいによっては罰則もあります」

だって。
アメリカ人ちゅうのは基本行儀が悪いので、コーヒーやコーラを片手に
平気でその辺りを歩き回り、買い物の途中でカップを置いて来たり、
こういうのを見たら飲み残しを捨てたりしたんでしょうね。

で、こういう貼り紙で警告しなければいけなくなったと。
そんなら入り口で飲み物を持った客に注意すればいいのに、
ご予算の関係か諸般の事情で、そういう人が立っていないわけ。
中に暇そうな説明員がいることはいたけれど、艦内にいて、
自分の近くを客が通ったときだけ説明するというやる気の無さ。

陸自第一空挺団の空挺館で、頼みもしないのに近づいて来て
懇切丁寧に時間をかけて展示物の説明をしてくれた元自衛官の爪の垢でも
煎じて飲ませてやりたいレベルでした。



この貼り紙で驚いたのは「オーバーナイトグループ」という言葉。
このシンクも詰まっているので使わないように、という呼びかけを、
「泊まり組」に対して行なっているのですが、
もしかしたらパンパニト、「宿泊体験」なんか企画があるのかな。

あったら泊まって・・・・・みたくない(笑)



意味もなくセクシー水着写真。
いやまあ、昔はそれなりに意味があったんでしょうけど。



下士官兵用食堂兼休憩所。



ここにどうやって座ったのだろう、と思うくらい狭い。
テーブルにはゲーム盤が書かれています。



こちらに描かれているのはチェスボード。
日本でも碁や将棋で無聊をしのいだと言いますから、
彼らの休憩時間の過ごし方は世界共通です。

解説員の話によると、乗員の勤務は6時間交代制で、
三つのグループが睡眠、休憩、勤務を6時間でぐるぐる繰り返していたそうです。

もちろん非常態勢になったら総員配置につきます。



水飲み場。



冷蔵庫。



キッチン。
いまだに使われているかのような気配があって驚きましたが、
もしかしたらこれも時々はイベントで使われているのかもしれません。





まじか(笑)

味覚の野蛮人と誉れ高いアメリカ人の、しかも潜水艦のキッチンの中で
わざわざ料理の本を見て作るような料理を作っていたとでも?

朝はシリアルか卵の焼いたの、昼はサンドイッチ、
夜は肉の焼いたのに申し訳程度の野菜。

たとえフネの中でなくても君たちアメリカ人の食べるのはせいぜいこんなところ。
勿論この料理本は、ただの「飾り」なんですよねわかります。



お風呂の蓋かと思いましたが、どうやらカッティングボード、
即ちまな板のようです。
70人分の食事を作るのですから、大量に刻む必要があるのですね。



ドイツ人の家族の方がハッチをくぐろうとしています。
この辺りがどうしてこんなに赤いのかというと、
時間によって電球の色を変えていたから、ということでした。
潜水艦の中は夜昼の感覚が無くなるので、日本でも電球の色でそれを示します。



指令室付近にひしめくバルブとメーター。



日本本土にはかなり近づいていたということが分かります。
中継地となっていたのはミッドウェイで、元々は真珠湾を母港としていました。

パンパニトが日本近海を哨戒していたのは1944年6月のころだそうです。
このときの行動は50日間に及び、このときに我が潜水艦から攻撃されましたが、
これを回避し、日本軍の砲艦一隻に損傷を与えてミッドウェイに帰りました。



航海長の持ち場。
inboard valvesは艦内バルブ。
これでどこのバルブが解放されているかがわかるというわけです。 




潜水艦溶接と出口切断・・・・?

浸水し始めたら溶接するしかない場合もある、ということですが、
つまり非常時に外とつながる(つまり浸水してくる)部分を溶接してしまう用具が
ここに収納されているということでしょうか。



上と下に続くはしご段。

 

ドイツ人家族の男の子。
お父さんは中々インテリらしく、息子にあれこれと展示について
細かい説明をしてやっているように見えました。



見学コースは甲板から一階降りたところだけですが、潜水艦は結構広く、
その下にまだ一階フロアがあり、ここも一応使用されているようでした。


・・・・・が、それが少し見えたところによると、無茶苦茶。
掃除もしていないし、ゴミも置きっぱなし。
おそらくパンパニトの乗員が草葉の陰から文句を言いそうな惨状です。

あ、まだ生きておられる方もいるかもしれませんけど。 

 




なんと驚くことに、アメリカの潜水艦には洗濯機がある!
我が帝国海軍の潜水艦は雨が降っている雲に突入し、そこで一斉に風呂&洗濯したというのに。
まあ、もしかしたら各自が桶で一人ずつ洗うより、何人か分まとめて洗濯してしまった方が、
水の節約になっていたのかもしれませんが。

ちなみに、日本の軍艦では洗濯機を備えているのもごくわずかでした。

こういう部分でも負けは明らかだったんですね・・・。



兵員用ベッド。
わたしがこれまでに実際に見た潜水艦というのは、これと「あきしお」だけなのですが、
このベッドの広さで言えば、パンパニト、圧勝です。
確かにこっちだって狭いですが、あの「あきしお」で見た、まるでモルグのような
一段せいぜい70センチのベッドの高さを思えば、こちらは広々したものです。
少なくともベッドの縁に座れますからね。

いかに日本人が狭い居住区に慣れているからって、この違いは何?

と思ったら、パンパニトは「あきしお」より19メートルも全長が長いのでした。



持ち物入れロッカー。



医療器具入れ。



などと思っていたら、とんでもなかった(笑)
先ほどのはおそらく下士官用。
平の水兵用ベッドはご覧の通り。寝返りうてるってレベルじゃねーぞ。

これなら「あきしお」の水兵用のほうが体が皆小さいだけまだマシかな。
この部屋はなんとベッドが三段重ね。
たぶんこのなかでも偉い人が上段で寝られたんだろうなあ・・。

現代のアメリカ人なら三人に一人はここに入ることもできないと見た。





出た、レイジーな解説係。

ずっとここにいて先に来ていたドイツ人に、説明をしていました。
でも、ここの部分にある意味パンパニトの「ハイライト」
とも言えるものがあるので、それでもよかったんですけどね。



というのはこれ。

解説員は、女の子に

「もし君が暑くなったら何が食べたい?」
「アイスクリーム!」
「そう、これ、アイスクリーム製造機なんだよ」

そうそう、忘れてました。
アメリカ人はアイスクリームを食べないと死んでしまうんでした。

というわけで、この極限のスペースの、これだけを割いて、
彼らはアイスクリームを製造してしょっちゅうぺろぺろしていたのです。
日本と違って食料の不足など無かったわけですから、不思議な話ではありませんね。

ちなみにこのアイスクリーム製造機、いまだに生きている、つまり
アイスを作ることができるのだそうです。



キッチンにこういうのがありましたが、この冷蔵庫で冷やし固めたのを、
この大きな混ぜ機で撹拌し、アイスクリームを作っていたようです。

ほんのたまに、「パンパニトアイスを味わう日」などがあって、
会員限定でここで製造されたアイスクリームを食べているのかもしれません。

パンパニトはこれだけではなく、エンジンも魚雷も、実はまだ「生きて」いるのだそうです。
ですから、映画「バトルシップ」のように、他のフネが皆エイリアンにやられてしまい
絶体絶命のピンチになったときに、

「あれがあるじゃないか!」

と主人公がパンパニトを担ぎ出す決心をすることになったとしても、
少なくともミズーリを動かすよりは無理のない設定だってことです。


だれか、SF潜水艦ものでこれやらないかな。