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米軍基地ツァー参加記10~オネイダ号の悲劇

2014-01-23 | アメリカ




横須賀の米軍基地歴史ツァー、まだまだ終わってません(笑)
ようやくお昼ご飯が済んで、後半に突入しようというところなのですが、
お昼ご飯を食べた後の集合地になっている桜並木のゾーンには
気がつくとこのようなメモリアルがありました。

ご存知ですか?

「米艦船 オネイダ号の悲劇」を。

この碑には英文でこう書かれています。

 

USS ONEIDA INTERNATIONAL PEACE MEMORIAL

The USS Oneida distinguished herself during the American Civil War 
and foughtbravery in the New Orleans,Vicksburg and Mobile Bay Navel Battles.

It during the Mobile Bay Naval Battle where her heroic crew 
earned 8 Medals of Honor.

During the Meiji Restoration she served the best interests of the United States 
and the Emperor of Japan by having a part in putting down a Warlord uprising
near Osaka.

This is dedicated to the 115 Sailors and Officers of the USS Oneida whose lives
were lost in the service of their country.

May her legacy continue to inspire all Sailors;
past, present and future in the pursuit of freedom and international peace.

"Greater love has no one than this; to lay down one's life for his friends."

John 15:13

Memorial maintained by Yokosuka Chief Petty officer's Mess

Erected 2007

 
オネイダ号は、南北戦争始め幾多の功績を挙げた栄誉ある船でしたが、
1870年1月24日、滞日のあと東京湾を出航したとき、
横須賀沖でイギリスの貨物船「ボンベイ号」に激突され、その後15分の間に沈没しました。

碑の最後の言葉は、

「友のために命を投げ出すより偉大な愛:何物もこれに如かず」

ってとこでしょうか。
”ジョン”が、15:13に記した、おそらく最後の言葉。
最後を悟り、急いで鉛筆でしたためられた紙が遺体から見つかったのか・・。
ついそんなことを想像します。


水兵、海兵隊員、そして中国人を含む115人の全乗組員は死亡し、
そのうち回収された遺体はわずか3体だけであったそうです。
その三名のうちの一人が「ジョン」であったということなのでしょう。 



全員の名前が記されたモニュメント。

最後の言葉を残した”ジョン”が誰なのだろうと探してみたのですが、
この中にざっと見ただけで”ジョン”は1ダースいました。

さらに碑の右下には中国人船員の名前も一応記されているのですが、
名簿にも残っていなかったのか、名前を呼ばれる必要もないので誰も知らなかったのか、

全員がなんと、Ahという名前にされてしまっています。

Ah Wang 、Ah Tang 、Ah Chang・・・・。


「亡くなった人々の思い出に敬意を表し、また過去、現在、未来と、
歴史的かつ継続的な日米の協力関係を表すものである」

とありますが、少なくとも当時の中国人船員たちは「個人」としては
扱われていなかったってことみたいですね。


ともあれ、この碑が2007年に建てられたときには、なに人であろうと
その魂を悼むため、とにかくも彼らの名前は記されることになったようです。

海の男たちが安らかに眠らんことを。



集合時間を待っていると、時間差で前の団体が集合を始めました。
セーラー服の水兵さん二人が待機してます。



わがツァーも集合時間になり、全員が集まったところで

「米海軍軍人とのふれあいターイム!」

今まで何をするでもなくツァーの列にくっついて来ていた海軍軍人二人。
おそらくツァー客の狼藉がないかどうか見張る役目であろうと思われます。

見張りというと参加者もあまり気持ちがよくないだろうと関係者が気を回し、
彼らは、日米親善のために米海軍を代表して、日本人たちと交流を深めるため
こうやって付き添っている、ということにしたのです。たぶん。

つまりこのふれあいタイムは、アリバイ作りというか、ソフトな偽装!

・・・・・・・・・。

・・よい子のみんなはこんな裏ばかリ見る心の汚い大人になっちゃだめだぞー。



さて、ふれあいタイム開始。
真ん中にいるのが通訳で、これから参加者の質問を受け付けます。
ただし、

「政治的に微妙な問題に関しては質問は絶対にご遠慮下さい」

いたんですかね。
唯の見学のふりして参加し、いきなり

「イラクで罪も無い人たちを殺戮したカーティスウィルバーは
平和な日本にいるべきではありません」

とか

「憲法9条がある限り日本は戦争にならないのだからアンタたちは必要ない帰れ」

とか言い出した人が。

このグループは、撮るなと言われた写真を盗撮する人もいなければ、
(このツァーでは禁止だったのは自衛隊の潜水艦だけでしたが)
文句を言う人もおらず、カップル一組を除いては全員が時間厳守、
この質問コーナーでも、

「どうして海軍にはいったんですか」
「日本でお休みにはどうして過ごしていますか」

などの無難なもので、至極和気藹々のうちに終了しました。

そんなものかと思っていましたが、たとえ「米軍基地反対」と思っている人でも
日本人である限り参加する資格はあるのだし、
このツァーガイドのボランティアの皆さんの最大の苦労というのは、
実はこういう可能性にまで配慮しなければいけないということにあるのかもしれません。

あらためて、この方々の奉仕精神に感謝する気持ちになりました。






NEX NAVY EXCHANGE

基地に在留するネイビーたちの生活必需品、たとえば車とか家具とか、
日本での任務が終わって移動になるときに不要になるものを引き取ってくれて、
あらたな赴任者が必要なものを購入する、というシステムだと想像します。
日本人の留学生や赴任者も、同僚や知り合いの中でこういうことをしますが、
アメリカ人はこの点じつに合理的なので、それを業者が商売にしているのです。



ランチタイムが終わってまた移動が始まります。
先頭を切っているのが解説員の方。
解説員はここでも目立つ赤いジャケットを着用しています。



「サスケハナ」(Susquenhanna)

というのはどうも「佐助と花」みたいで、おそらく当時の日本人には
非常に親しみ易かったのではないかと思います。
我々の祖先が「黒船」と呼んだ ペリー提督のあのフネ、
あれが「サスケハナ号」だったんですね。

もともとはペンシルバニアを流れる「サスケハナ川」から取られていて、
その名はネイティブアメリカンの言葉で「広く深い川」の意味です。 

 

病院の看板を見つけました。

 

このときはサンクスギビング前でした。
ターキーのディナーをテイクアウトできますよ、という食堂のポスター。

アメリカ人が一年のうち唯一「食べ物」そのものにこだわるのが
このサンクスギビングかもしれません。
皆日本の盆正月のように郷里に帰って、お母さんの作った
ターキーやパンプキンパイのディナーを食べるのです。

アメリカから遠く離れたここ日本でも、故郷と変わりなくターキーを食べたい、
そんな海軍軍人たちにとって有り難いサービスかもしれません。 





さて、あまりにも前のことで前回の「米軍基地ツァー」

がどうだったか、もう皆さんは忘れてしまったと思うので、
一応繰り返して書いておくと、米軍軍人が利用するダイナーで
ドルを使用して中華もどきを食べ、その後、何を思ったか

「シナボン」

という、おそらく使用している角砂糖をそのまま横に並べたら、
本体よりも大きな山ができるのではないだろうかと思われるくらい
甘いシナモンロールの擂鉢山に果敢にも挑戦し、そして破れたエリス中尉。


ああひでえ目にあった、と水を飲みながら周りを見回すと、

そこには悩めるアメリカ海軍軍人の姿が。
雨が降っているのに傘もささず(あ、軍人は傘ささないんだっけか)、
濡れたベンチに座って何事かを考えている風。


何があったかしらないけど、思い詰めるなよお若いの。


 

 


映画「ハワイ・マレー沖海戦」付録~軍艦写真解説

2014-01-23 | 海軍

というわけで「ハワイ・マレー沖海戦」シリーズ、堂々終了したわけですが、
行進曲「軍艦」に乗って映るエンドタイトルの軍艦写真について、
詳しい方から解説を頂いたので補遺として載せておきます。

 

艦名まではわからないが、間違いなく「重巡」。
「高雄」級とも違うようだが「妙高」級かも。
主砲塔形状に特徴あり。



「高雄」級。

大きな艦橋形状に特徴あり。

 

間違いなく「高雄」級。
イージス艦「たかお」に艦橋の形状が似ていますね?

(ということです)



これも間違いなく重巡。

艦名までは判明しない。
この砲塔は20センチ主砲塔である。


 

艦名までは判明しないが、特型?級とかの駆逐艦。
「雪風」と同型艦ではないか。


  


「長門」あるいは「陸奥」の主砲発射の瞬間。



20センチ砲塔の並び具合から、多分重巡「利根」または「筑摩」。
後甲板に主砲はなく、その代わりに水偵多数を搭載している。

「航空巡洋艦」「偵察巡洋艦」など「萌え」な呼ばれ方をしている。
写真の上部に見えるマスト形状も「利根」級の特徴である。


以上です。
もしお願いしたら残りの写真も全部解説してくれそうでしたが、
取りあえず頂いた情報だけ、特にこの映画のファンの方のためにアップしておきます。

ちなみに、「これくらいは基本中の基本」なんだそうで、あらためて物事には
何にでも「通」という方がいるのだなあと感心した次第です。
下手なピアノアレンジなんか聴いていて、連続5度とかとか導音下降とかDS進行とか、
和声のの間違いに我々がすぐ気づくようなもんですかね。

この方は「赤城」の甲板傾斜について、当時の日本の空母の発艦・着艦について
知っている範囲での薀蓄を書いて下さっていたというのですが、
ふとした弾みで消してしまった、とのことです。

うぁぁあぁ~。とのことです。
 
「要は、飛行機は飛び上がるのに、速力が必要です。これに尽きる。
甲板の風向指示装置等も、現在の米空母のカタパルトもこれを得る為に必要なのです」

まあ、いくらなんでもこれくらいはわたしにもわかります。

万が一気力を取り戻すという奇跡が起こったらで結構ですが、空母の離着艦について、
そのうちぜひお話を伺いたく存じます。