岩国基地は海上自衛隊と米海兵隊とが共同使用していますが、
敷地内はとくに両者を厳しく分けるようにはなっていません。
自衛隊の食堂にはマリーンズが「本日の定食」を食べに来ていましたし、
公共部分に関しては殆ど何の制限もないように見えます。
勿論海兵隊の区域、とくにハンガーやシミュレータ室などには鉄条網で区切られ、
そこに入るにはゲートにIDを認証させなければならないようになっているのです。
それではたとえば我々が入り込んできゃっきゃうふふと写真を撮りまくった、
パイロットの更衣室やブリーフィングルームはどうかというと、
とりあえず自衛隊員やゲートのセキュリティテェックを受け身分がはっきりしており、
関係者と一緒であれば特に誰何されることもなく、入ることができるようです。
ところで、そのブリーフィングルーム「中国の間」(笑)で、
ブラッドがブリーフィングでは本当にこんなことやるんだよ、とばかりに
模型の飛行機を使って実演してくれたのですが、
前回その写真を貼り忘れたので、追加情報ついでに貼っておきます。
注目していただきたいのはブラッドのかっこいい航空時計でも、
ばーん!とアカラサマに広げてあるブリーフィング資料ではなく、彼の持っている模型。
この写真をアップしたときに、いつものように単純に「ひこうき」とだけ認識していたわたしは、
適当に「ファルコンが」などと一度は書いてしもうたのですが、
アップされたのを読み直したときにさすがにこれは違うわ、と思ったので即座に消しました。
しかし、消す迄の一瞬の間に読者の、特に大変うるさい親切な方に見られてしまい
「相変わらず大変に大らか、かつ、意味不明な機体識別」という愛の無いコメントついでに、
大変な情報(ってほどじゃないと言われそうですが)をいただきました。
つまり、ここに見える「ひこうき」ですが、
(一瞬F15にも見えますが、良く見ると機体の最後部にちょこんと尻尾(^^)
が出ているのが判りますか?これが大きな識別点)
・・もとい、確かパンダの国の国産戦闘機と思われます。
・・・・・・
パンダの国の
パンダの国の
パンダの国の
大事そうなことだから三回言いました。
うーん、これはどういうことかな。
もしかしたらアメリカがー、パンダの国を仮想敵国としているってことかしら。(ぶりっこ)
もしかしたらも何も、このブリーフィング室が「中国の間」である時点ですっかりその気、
っていうか、全然隠してないないみたいなんですけど。
SU27型機、スルメイカ戦闘機共、主翼には赤星が付いた国籍マークが描かれている様に見えますが?

写真拡大。
ボケていて
読めね~(笑)。
いい加減にシャッターを押したのが悔やまれます。
きっとこの赤い文字で、海兵隊飛行隊の皆さんは何か面白いことを
やらかしてくれていたに違いないのに・・・・。
なんて書いてあるんだろうこれ。
ブラッドにメールで聞くわけにも行かないし・・・。
続き参ります。
何れにしろ赤星ですが。
建造中の空母にも、それの艦上機型を載せるとか言っております。
なるほど。
さらに続編メールでは(行きがかり上さらしてすみません)
簡単にこの様なモノを写せて様々な意味で大丈夫なのでしょうかね?
「状況」が想定内での「話」で終れば良いのですが・・。
というこちらは正真正銘愛のあるご心配を頂いてますが、多分いいんじゃないかな。
そもそも隠すつもりなら関係者なら誰でも入れるブリーフィングルームに
でかでかと中国国旗など貼りはせんだろうて。
まあダメだったら消しますので、そのときには海兵隊憲兵隊の皆さん、連絡よろしく。
さて。
冒頭にでかでかと零戦の写真を挙げておきながらこのまま終わるわけにはいかないので、
話を続けます。
海兵隊のホーネットドライバーであるブラッドの妻のアンジー(仮名)
の運転で基地内を案内してもらっていたとき、彼女はこの前を通過しながら
「ここには零戦が格納してあるんだけど、夫が後で見せて上げるって言ってたわ」
というので、全く基礎知識なくここに来て、こんなものがあるとは
夢にも知らなかったわたしは驚喜した、というところまでお話ししました。
これは、旧軍時代からあった掩体壕をそのまま零戦の格納庫として保存してあるのです。
岩国に海軍基地ができ、呉鎮守府練習隊が配置されたのは昭和14年(1939年)のこと。
練習隊は96名の訓練生と150機の零戦を有していました。
1943年9月には、海軍兵学校の分校が岩国基地内に設立され、その前年度大量に採用された
約1000名の士官候補生が常時訓練を行っていました。
一度このブログでお話しした小沢昭一氏の兵学校78期もこの「岩国分校」組です。
その後、本土空襲が激しくなりますが岩国もまた1945年、8月に米軍のB-29爆撃を受け、
その被害は製油所、鉄道運輸事務所、鉄道駅周辺に集中していました。
集中して掩体壕を狙ったものらしく、凄まじい銃痕が壁に残ります。
掩体壕の中の航空機(多分零戦)はいったいどうなったのでしょうか。
壁面には12.7 mm AN/M2機銃の銃痕と、20 mm 機関砲のそれが
はっきり分かる大きさの違いを見せています。
20ミリ弾が穿った深い孔は、当時のコンクリートが非常に粗い、
小石が混入した状態で生成されていたことがよくわかります。
岩国が最後に空襲に遇ったのは、終戦のまさに前日、8月14日のことでした。
インターネットで岩国の零戦画像を検索すると、このガラス窓が全開され、
中に格納してある零戦が外に引き出された状態のものばかりです。
つまり、こちらの方が結構希少な画像であると言うことになりましょう。
この零戦は基本岩国基地に入ることができるなら、誰でも見ることができるそうです。
ところで、マリーンコーアの英語サイトは、この「ゼロ・ハンガー」を紹介する文を
このような出だしで始めているのです。
「1940年代初頭、多くの太平洋の空の要所は
単座式三菱零型戦闘機のプロペラエンジンに支配されていた」
うむ、なかなかかっこいいではないか。
で、興味深く読ませていただいたんですが、零戦の歴史の中にこんな文章も。
「1940年に日本と交戦中であった中国の国民党の為に仕事をしていたシェンノート将軍は、
ゼロファイターがが空に現れる2年前に、その航空性能についての警告を米国に報告していた」
クレア・シェンノート大将、フライングタイガースの件でこのこともお話ししましたね?
「彼の報告は一笑に付され無視された」
はい、その通りでしたね。
ところで、今この項を書く為に「零戦燃ゆ」を観直したのですが、
この映画の主人公は加山雄三演じる下川大尉でも、堤大二郎演じる浜田正一でも、
(浜田正一は杉田庄一がモデル) ましてや語り手の整備兵、水島でもなく、
零式艦上戦闘機そのものなんですね。
この映画ではシェンノート報告が無視された下りをこんな風に説明しています。
マニラの極東陸軍総司令部。
ブレリートン極東航空司令官とサザーランド参謀長が
「ゼロファイターは台湾からやって来た。シェンノートの報告にもそうあります」
とマッカーサー司令官に報告する。
(このときサザーランドは台湾のことを『フォルモサ』と言っている)
「Well, that is a lot of Fxxk!(翻訳自粛)
自動車も満足に作れん日本人にロングレンジファイターなんぞ作れるか!」
と言い捨てたところにちょうど零戦が掩護する爆撃機がやってきて
派手に空爆を始めるのを見て驚くマッカーサー。
「我々は甘く見すぎました。新しい敵、ゼロファイターです」
とサザーランド。 一同愕然と空を見上げる。
さて、この映画「零戦燃ゆ」のときに制作された実物大の零戦五二型。
こ岩国のゼロ・ハンガーに格納されているのは、外でもないそのレプリカなのです。
ご存知の方はもうご存知でしょうが、わたしはこのときまで知らなかったの。
われわれが基地見学に行くことが決まったときから海兵隊のホーネットドライバーである
ブラッドは、最初からどうもこの日本人家族をせっかくだから
基地内にあるゼロ・ハンガーに連れて行ってやろう、と思っていたようです。
思っていても前もって予約など一切していないあたりがアメリカ人ですが、
逆に、当日誰かに頼んでも何とかなると思っていた節があります。
絶対そういう融通の利かなさそうな自衛隊と違って、所詮アメリカ人の組織ですし、
パイロットでしかも大尉ならすぐいうことを聞いてもらえそうだし。(たぶん)
取りあえずハンガーの前に来てみたわたしたち。
鍵がかかっているのは当然のことですが、ブラッドはこの内線番号に
ここで電話をかけ始めました。
部署を呼び出して、ちょっと開けてくれないかと頼んでいます。
(電話中のブラッドと彼を見守る妻)
いや実はですね。
このときにブラッドが電話をかけ終わり、
「今誰か開けに来てくれるって」
とニッコリ笑ったので我々はわーいと盛り上がり、待ちながら
雑談をしていたんですが、電話を弄びながら話していたせいか、
ブラッドはよりによって何もカバーをしていないiPhoneをコンクリート上に落とし、
見事にガラスを割ってしまったのでした。
あーあ。
この日一日しかつき合ってないけど、ホーネットドライバーといってもアメリカ人、
しかも若い男。
見かけは強面なのに結構お茶目で粗忽さんだったりしたのが可愛かったです。
ところでそのとき、岩国基地の周りにも「米軍基地反対」「オスプレイ反対」みたいな
いわゆる基地の外の人たちは来ないのか、みたいな話になったんですね。
「しょっちゅうくるよー。そういうの」
ブラッドは苦笑いしていたのですが、そのとき何を思ったかTOが、
「彼女(わたし)は、そうやって日本からアメリカ軍を追い出そうとしている層は、
どこかでちゅ(ぴーっ)とうと繋がっていて、本人たちがそう思っていないながら
日米離反工作をさせられているというのが持論でね」
と言い出すではありませんか。
な、何を言うかな当の米国軍人を目の前にして。(動揺)
ところがブラッドは妙に真面目な顔になって
「あ・・・・そうなの?」
とわたしに聞きます。
ええまあ、みたいなことを答えたのですが、ブラッドはもう少し後になって
わたしに改まって
「あなたは歴史にも精通しているのか」
とか聞いていました。
日本に住んでいても案外日本人との付き合いがない米軍人としては、
リアルの日本国民からこのような意見を聞くこともなく、ましてやこういった考えは
彼に取って新鮮だったというか、もしかしたら少し驚いたのかもしれません。
ブリーフィングルームにあった戦闘機の模型や「中国の間」から、
日本に配置されている米軍人が、というかアメリカがパンダの国のことをどう見ているか、
うっすらと(実はそれどころじゃなかったけど)わかったような気がするわたしでしたが 、
米軍軍人であるブラッドも、一般日本人の中にもこういう考え方をする人間もいるのだと
もしかしたら初めて知ったということです。
これが本当の国際交流(笑)
そんな話をしたりブラッドがiPhoneを壊したりしていたら、車が来て
女性の兵が鍵を開けてくれました。
来たときちゃんと敬礼をしていたんですが、間近だったので写真に撮るのは控えました。
開けたらすぐ行ってしまうのかと思ったのですが、中に入って隅のデスクに座りました。
さすが大ざっぱなアメリカ人とはいえ、内部を見せている間放置できないらしく、
我々が見学し終わるまでここでじっと待つ構えです。
奥さんのアンジーはここに入るのが初めてだと言っていましたが、
ブラッドは基地祭などのときに零戦が出されているのを何度か見たことがあるそうです。
というわけで中に入ったので、次回は、展示してあった零戦と写真などの資料についてお話しします。