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呉地方総監部訪問記~「縁は異なもの」

2014-09-23 | 博物館・資料館・テーマパーク

呉地方総監の歴史的な建築物、第一庁舎は、
毎週日曜日には一般公開されているそうです。
艦艇見学と共にぜひお奨めしたい観光コースですが、
建物の中も見学できるのか?というと、どうもそうではないようです。

ネットに挙がっている写真やいくつかのブログも確認しましたが、
どのツァーも、正面玄関からの写真が精々でした。
どうも、建物の周囲をぐるりとまわって説明を聞くだけみたいですね。
 


ということで、あまりネットでは見ることが出来ない冒頭の光景。
正面のエントランスを入ると、立派な石の階段があるのですが、
それを上って行くと踊り場から階段は左右に分かれます。
その踊り場に大きく切られているのが、この美しい窓です。




海軍兵学校もそうですが、ここも海に面した方を「正門」として造られています。
つまりこちらは海軍的には「裏側」ということになるんですね。

この日は外側を見ることは出来ませんでしたが、

一般見学では「正門側」に回ってそこから庁舎を見るのだそうです。


窓から見えるのは、呉鎮守府の正面側だった方向。
遠くには赤と白の目障りな鉄塔もあるにはありますが、
優雅なバルコニー風の手すり越しに見えるのは、
いまだに目にも鮮やかな緑の木々ばかりです。

呉鎮守府の主たちは、応接間の奥、二階の端にある
司令長官室に向かうために、そして一日の執務を終えたのち、
この窓からの景色を必ず目にしながら階段を昇り降りしました。





さて、海軍5分前どころか海軍15分前に現地に到着してしまったので、
海将とのアポイントの時間まで、お相手?を2佐が務めてくれました。


2佐も、一緒に接待下さった海曹長も掃海艇出身です。
ここ呉は、戦後、海軍が解体した後も掃海艇を瀬戸内海に派遣し、
掃海隊群の直轄艦艇である掃海母艦の「ぶんご」も呉基地所属。
だから掃海艇出身隊員が多いのでしょうか。

今回呉基地への訪問について、窓口となって下さった2佐ですが、
わたしが存じ上げている元海将が掃海隊群司令だったとき、
その隷下におられたことがあるそうです。


前にも言ったように、狭い世界にわたしが首を突っ込んでいるだけなのか、
という説もありますが、

「知り合いの元海自将官に教えていただいた曲の作詞者が、
わたしが仕事でかかわった会社の創業メンバーで、元海軍軍人だった」

という、単に狭い世間というだけでは説明のつかない偶然を体験した以上、
やはり「縁(えにし)」というものはあるのだと思わずにはいられません。



のみならず、最近では当ブログをきっかけに、本来なら一生お会いする
可能性もなかった方々と、ある意味家族より「濃い」交流をしつつも
お互いを見たことがない、という不思議な人間関係ができました。

「海のさきもり」の作詞者との縁のように、海軍と海自、
そしてわたし自身を結ぶ因縁は、実際の人間関係と、インターネットでの
相手の顔を知らないままに始まる関係が複雑に絡み合い、
ある日突然こんな形で明らかにされあっと驚くこともしばしばです。

「縁は異なもの」とはまさにこういうことをいうのでしょう。



応接室の中の写真を、会談の前に撮らせて頂きました。
ずらっとならんだ盾の数々。
比較的新しいものが多いような気がします。



右側はうわじま型掃海艇「まきしま」の除籍記念。
言っては何ですが、少し製作に手抜きが感じられます。
「まきしま」は2014年、今年の4月に除籍になったばかり。


左側は2012年に竣工したやはり掃海艇「えのしま」



横須賀港の「えのしま」です。
わたしも「軍港廻り」でここにいた「えのしま」を撮ったことがありますが、
ここが定位置なのかもしれません。



左から、わたしがこの3月引渡式に出席した「ふゆづき」
2011年に就航した「いせ」潜水艦「けんりゅう」

「けんりゅう」のマークは、「剣と龍」でそのままです。
シンボルが絵にし易い艦名です。

後ろは左から、

「あけぼの」(2002年就役)


「あさかぜ」
(2008年退役)


一番右は艦名が見えませんが、

「ICEBREAKER」

とありますから、砕氷船「しらせ」の就役記念か、あるいは
一代目「しらせ」の退役記念だと思われます。




国際軍交流の徴に他国軍から贈られたものもあります。

左前からアラブ首長国連邦海軍、後ろ左はよく分からないのですが、
先代の呉地方総監M海将への贈呈であることから、
米海軍からの呉地方隊への親善のためであるかと。

その右側の鳥居に潜水艦隊章は、第7艦隊潜水隊からやはり
前任者のM海将に贈られたもの。
その右、「70」が見えるのも第7艦隊の戦闘隊、とあります。

まえの右側は敷設艦「むろと」の就役記念。
敷設艦というのは機雷を敷設する「機雷敷設艦」と、
通信ケーブルを敷設する「電纜(でんらん)敷設艦」がありますが、
「むろと」はこの「電纜敷設艦」で、2012年に二代目が就役したばかりです。

ケーブル敷設装置や海洋調査に関わる各種水中機器を装備しており、
できるだけ船価を押さえるため、かなりの部分が商船構造となっています。



手前「はるゆき」
「むろと」は向こうにちらっとみえています。

というか、Wikipedia「むろと」のページの写真がこれしかないって・・。



部屋の突き当たりにもコンソールがあり、色々と飾られています。




まず、両側のミサイル発射写真は、どちらも「いせ」からのもので、
右は短SAM装置SQT、左は垂直発射式アスロック。

VLAというのはVLS、垂直発射「システム」が「アスロック」
となったという違いがありますが、簡単に言って、甲板に設置された
チョコレートバーのようなセルから発射されるのがアスロック、
VLSの方は、たいてい非常に高いところに発射口があって実際には
セルを全く目にすることが出来ません。

護衛艦「さみだれ」の見学でも「あそこから発射されます」
と指を指されて「は?あの塀の上ですか?」という感じでした。


そして、画面左の方にある金色の星マーク。
これは、人民解放軍の青年将校が研修団を派遣してきた、
ということがあったようですね。


元陸幕長や元海幕長の話などを聞いても思うのですが、
自衛隊はトップレベルで頻繁に中国人民解放軍と交流があるようですし、
このように研修団も受け入れているようです。
ただ海自の研修団が人民解放軍に派遣された、という話はあまり聴かないので、
もしかしたらこちらが受け入れているだけかなという気もしますが、
とにかく、どんな形であっても軍同士の顔通しを良くしておくことは、
「相手に隙を見せない」ということ以上に「いざ」という事態を
未然に防ぐための有効な手段なのかもしれません。



さて、わたしたちが窓を背に向けて二人並んで座っていると、

2佐と海曹長につづいて、幕僚長が入室してきました。

たかが「なんちゃって地球防衛軍顧問」の表敬訪問に、
海上自衛隊というところは
幕僚長まで投入してくるのかと驚くわたし。


しかも、2佐と

「いや~ご縁ってありますね!」

などと人の縁の結ぶ偶然について感嘆し合った直後に現れた
この幕僚長との間にも、ちょっとした奇縁があったのです。

なんと、この幕僚長は当ブログ読者の知恵蔵さん(仮名)の同期なのです。

前もってそのことは伺っていたわたしですが、
まさか幕僚長が本当に出て来ると思わなかったため、
そう言う意味で二重に驚かされたのでした。

「あの、つかぬことをうかがいますが」

「今名刺制作中」といいながらのご挨拶をすませるなり、
わたしは幕僚長にさっそく切り出しました。

「片岡さん(仮名)という方と同期でいらしたとか」
「片岡というと・・・・片岡千恵蔵(仮名)ですか」
「はい。実はまだわたしもお会いしたことはないのですが」
「・・・はっ?
「何といいますか・・・・ネット上でお付き合いを頂いておりまして」
「はあ・・・ネット上の・・・」

幕僚長、あまりそういう世界にはなじみがないと見えて
何となく腑に落ちないご様子。

うちの息子など、顔も見たこともないオンラインゲーム上の知り合い、
しかも10歳は年上の地球の裏側の国の人間を「俺の友達」と言い切り、
家族構成から家庭教師の曜日まで知ってたりしましたが(笑)
この世代は「顔を知らない友達」ができるソーシャルネットワーク上の
人間関係というものに対し、
たとえそういう付き合いがあると知っていても
イマイチ信頼感を持てない、
という人が多いのかもしれないと思いました。


まあ初対面の人間の口から思わぬ知り合いの名前を出されれば
幕僚長ならずとも思考停止になったとしても無理からぬことかもしれません。


こちらにしても、横にTOが控えているため、
「ブログの読者」という説明が全くできないことにそのとき気づき、
さて、このあと話をどう持って行くべきかと考えを廻らせたとたん、
応接室のドアが開きました。
管理部長の1佐を伴って入ってきたのは、9月に着任したばかりの新地方総監です。

「どうも初めまして。ようこそおいで下さいました!」



あれ・・・?
この方・・・・・・・どこかでお見かけしたぞ。
・・・どこかで・・・。




このときかっ・・・・!



またしても偶然の結ぶ縁に軽く驚いたわたしでした。



続く。