戦艦「マサチューセッツ」についてようやくお話しし終わったばかりですが、
他の展示艦のお話に進む前に、真珠湾攻撃の日にちなんで、
バトルシップ・コーブで見た「体験ショー」について書きます。
その前に、まずは積み残した写真を一枚。
「マサチューセッツ」艦内の「敵国コーナー」の「ナチス・ドイツ」。
ナチスドイツの海軍少尉の制服だけをこの間ご紹介しましたが、
コーナー全体の写真が出てきました。
ナンバーが打ってありますが、その説明を撮り忘れたので
なんの補足もできないのが辛いところですが、
左下のは全てドイツ海軍の下士官の袖章で、
どれも錨のマークで、例えば雷があしらってあるのが通信、
羽ペンが庶務、舵輪がメカニックなどとなっています。
亀の甲文字で「マリーン」と書かれた帽子の水兵は
楽しそうにもやい結びをやっております。
袖のデザインにひねりがあって大変よろしいですね。
こちらはなんのコーナーか忘れましたが、水兵の制服は米海軍のもの。
一等兵曹、Petty Officer First Class(PO1)のものです。
右下のお札は、日本統治時代にグアムで流通していたお金。
発行はもちろん日本政府となっています。
左は、なんと日本海軍の魚雷が搭載していたジャイロスコープです。
魚雷のジャイロスコープホイールは、圧縮された空気によって回転し、
回転するホイールが進行方向をホールドします。
ジャイロの回転方向が逆向きに固定されており、
魚雷のコースが左右にずれている場合は、
圧縮空気モーターが作動して魚雷の垂直舵を回し、
まっすぐなコースで走行させます。
・・・・という説明がありますが、そんなことより、
この魚雷のジャイロがレイテ湾でどうのような状況で
アメリカ軍の手に渡ったかを知りたいものです。
ところでわたしは、ここバトルシップ・コーブに入った途端、
「パールハーバー・エクスペリエンス」
のお知らせを目ざとく見つけて注目しておりました。
これはチケット売り場のようなところにも貼ってあったので、
もしかしたら予約が必要なショーなのか、と思ったのですが、そうでもないようです。
どこでどんな風に行われるのか全く説明がなかったし、
わたしはとにかく「マサチューセッツ」の中を駆け回るのに忙しかったので、
それどころではなく、もし万が一、タイミングが合えば
見ることもやぶさかではない、程度に思っていました。
ニューヨークの「イントレピッド」艦内でやっていた
「カミカゼ体験ショー」というので大体この手の「体験ショー」が
どんなものかわかったような気になっていたせいもあります。
2回目に訪れ、駆逐艦「ジョセフ・P・ケネディ・Jr.」に乗艦し、
さあこれから見て回ろうとしたとき、そのショーが始まるという
アナウンスがあったので、しばし足を止めることにしました。
その辺にいた人たちがなんとなく集まってきています。
「ジョセフ・P・ケネディ・Jr.」の舷側からショーが始まるのを
待っている間、下に展示してあった飛行機を撮ってみました。
アメリカでこの「トロージャン」を見るのは何度目かです。
しかし練習機として赤と白に塗り分けられたものは初めて見ました。
T-28は1940年後半から、T-6/SNJと置き換えられていったもので、
基本練習機でしたが、戦闘バージョンが作られたこともあり、
ベトナム戦争の時にはアメリカ空軍が運用していました。
このT-28は、フロリダのペンサコーラ基地で、空母への着艦が
可能な機体として長年運用されてきましたが、1975年、
に空母「レキシントン」に「ハードランディング」してダメージを受け、
それがきっかけで退役したそうです。
ハードランディングとは、「軟着陸」の反対で「硬着陸」のこと。
早いはなし、甲板に「叩きつけられてどこか破損した」ってことですね。
「レキシントン」(CV-16)といえば、映画「トラ・トラ・トラ!」で
空母「赤城」を演じたことがありましたっけ。
「ミッドウェイ」その他多数の映画に出演してきましたが、あの抱腹絶倒映画
「パールハーバー」でも「赤城」を演じたという経歴があります。
というわけで、めでたく超間接的にタイトルの「パールハーバー」とつながりました。
ところで、バトルシップコーブに入場して最初におおっと思ったのが、これ。
なぜか昔のアメリカ軍用車が停まっています。
こんな感じで、なぜここに車が?と不思議だったのですが、
これはいわゆる一つの演出だったことが後から分かりました。
さて、いよいよ「パールハーバー体験ショー」の始まりです。
ハンガーのようなトタン屋根の展示棟(こちらにもPTボートの展示が)
の前に、大きなスクリーンがあることが始まって初めて気づきました。
DECEMBER 1941
と映画のような出だしですが、会場には緊張感ゼロ(笑)
んー、なんか第2次世界大戦のヨーロッパ戦線だったと思う。
アメリカは真珠湾以前から中立国としながらも
「レンドリース法」
という武器貸与法を作って、イギリス、ソビエト連邦(ソ連)、中国
(蒋介石国民党政府)、フランスやその他の連合国に対し、
膨大な量の軍需物資を供給していたわけですね。
もちろん、義勇軍と名乗って中国大陸にも参入していました。
ハワイに駐留しているアメリカ軍は、日本軍の攻撃があることなど
夢にも知らずにフラダンスを見ていましたとさ。
そこに襲い来る日本軍の機動部隊。
アメリカ側航空機もこれを迎え討たんと飛び立ちます。
ちなみにせっかくなので、大石第一航空艦隊参謀が書き遺した
その時の感激ぶりを戦史叢書から抜粋して書いておきます。
0327頃 奇襲成功電来る 東京及び連合艦隊全部の喜び想像に余りあり
0530ー0830頃まで収容 本日ウネリ大なるため発進、収容諸作業困難を極む
僅に一時間半にて米戦闘部隊に布哇空軍を事実上殲滅せり
武人の本懐之に過ぎず
之にて戦争の前途に無限の光明生ぜり
四二年の生涯 唯今日のためにあり
藤田第8戦隊参謀の日誌も紹介しておきましょう。
ちょっとわかりにくいので、現代文に翻訳しておきます。
間も無く攻撃隊総司令官の電報「奇襲成功せり」
敵は警戒していなかったということだ。やったぜ!
ついにアメリカ側は攻撃に気づくことがなかったんだ
「見たか、アメリカ!」
30余年の積年の恨みが刃となって今お前らの胸を刺しているのだ
まず匕首で敵の心臓を衝く雷撃は始まった
続いてきた報は
「我的主力艦を雷撃す、効果絶大」
この頃から我奇襲に続き、敵の緊急通信を頻々と傍受する。
敵は狼狽を極めているらしく、平文電報を乱発している。
愉快、てか、平文でなんて馬鹿みてーじゃね?
曰く「日本軍のオアフ空襲により日本との戦闘行為開始さる」
曰く「真珠湾状の空襲は演習にあらず」
wwwwwww(原文・笑止々々)
曰く「オアフ空襲さる SOS SOS」
曰く「出航容易なる艦より出動せよ」
曰く「港外に機雷を敷設した 戦艦は止まれ」
狼狽の様子が手に取るようにわかる
曰く「ウェストバージニア付近の重油大火災、
メリーランド、テネシーを脅威する 防火艇送れ」
惨状を目の当たりに見るようだ
我が攻撃隊指揮官から「雷撃終了頃敵防御砲火あり」と
あっという間に防御砲火を出してくるとは敵ながらあっぱれ
次いで、雲の上はるか、水平攻撃で弾を降り注ぎ、
飛燕のように頭上から急降下爆撃と銃撃によって敵飛行場に
縦横無尽の攻撃を開始した
フォード、ヒッカム、ホイラー、カネオヘ、敵機のあるところ
余すこと無く獅子奮迅の猛襲だ
次いで第二次発信部隊の攻撃は続く
この隊は手を変えて、艦爆隊には艦船攻撃、艦攻隊、戦闘機隊は対地攻撃、
この頃から敵の防御砲火は悉く熾烈なりとの報があった
戦い終わって誇らしげな我が機の攻撃報告、周章狼狽のうちに
懸命に手配を命じている敵の平文電報が入り混じって
艦橋のテレトークは連続してくる快報で耳も裂けそうだ
艦橋に立つ司令官以下は緊張と愉快の連続に顔面が軒昂としていた
こちら側の記述ばかりになりましたが、肝心の「真珠湾体験」は、
藤田参謀が平文で聞き取った「これは演習ではない」などといった通信や、
警報音、爆音などが流れ、そうするうちに、しょぼい水しぶきが!
多分薄々お気づきかと思いますが、これは日本軍の爆撃を意味しています。
当時の軍用車がこのときのためにそこにあったことがわかりました。
子供たち「はえー」
攻撃が終わった後、アメリカ側にはこれだけの犠牲が・・・というシーン。
ちなみに、藤田参謀の日誌から日本側の犠牲について言及している部分です。
しかしこの大戦果の影には尊い犠牲もなかったわけではない
約30機の飛行機はこの大壮挙の犠牲として敵地上空に散華した
惜しんであまりあるが、栄光ある壮挙に加わって名誉の戦死を遂げたのだ
武人の本懐之に過ぎず、勇士たちに莞爾として冥するものである
ふと気づくと、岸壁にこのとき使われた93式酸素魚雷が(嘘)
「体験」とやらがあまりにもしょぼいので思わず目眩したわたしは、
この手のアメリカのアナウンスがあれこれとうざいことを言い出す前に
場所を移動することにしました。
まあ、最後までいても知っていること以上のことはなにもなかったと思います。
さて、パールハーバーと言えば、「マサチューセッツ」の艦内には
「パールハーバールーム」というのがあって、若干の資料がありました。
真珠湾攻撃時のパールハーバーの艦艇の位置とか。
手前には「カッシン」「ペンシルバニア」、
画面右上にはあの「ウェストバージニア」「アリゾナ」の姿があります。
パールハーバーの生存者協会なんてのがあるみたいですね。
今でも集まっては「リメンバー・パールハーバー」とかやってるんだろうか。
USS「パールハーバー」 LSD-52
はまだ1998年に就役したばかりのドック型揚陸艦です。
冒頭写真のいかにもアメリカらしい怨みを忘れず、
さらに「フリーダムノットフリー」(自由は無償ではない)
というアメリカ人の好きそうなロゴをこれでもかとあしらったマーク、
わたしはてっきり戦時中に制作されたものだと思っていましたよ。
E PLURIBS UNUM(エ・プルリブス・ウヌム)
というのはラテン語で「多数から一つへ」という意味を持ち、つまり
「ユナイテッド」であるアメリカ合衆国を意味します。
この言葉はアメリカ合衆国の国章にも書かれています。
1941年以来、「パールハーバー」と名付けられたフネが一隻もなかった、
というのもなんだか不思議なのですが、それを20世紀も終わる頃、
わざわざ恨み骨髄忘れんぞみたいなマークをくっつけて作るかねえ・・・。
察するに、パールハーバーの生存者協会が、新しくできる揚陸艦に
このマークを否応なく押し付け、いや贈呈したみたいですね。
このマークに書かれた赤い飛行機は日本機、そして、
2403って・・・もしかして
真珠湾攻撃の犠牲者の数?
現代に生きるアメリカ海軍の軍人さんたちにとっては、正直なところ
微妙なマークではないのかとわたしは考えるのですが・・。
だいたいほら、この揚陸艦、何があっても日本には持っていけないし、
同盟国海軍たる海上自衛隊と一緒に行動しにくくなるじゃない?