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Vメール〜ミリタリー・ウーメン

2017-08-17 | アメリカ

戦艦「マサチューセッツ」艦内における展示「女性と軍」シリーズ、
独立戦争から近代までの戦争と女性、そして20世紀になって現れた
飛行機という兵器と関わるなど、軍隊におけるパイオニアとなった女性。
昨日は暗号解読や発明など、頭脳で軍とか変わった女性についてお話ししました。

展示場にあったビデオ映像では、軍と関わった経歴を持つおばあちゃまが、
かつての自分の思い出を語っておりました。
時間がなかったので彼女が何をしていたかはわかりませんでしたが、
彼女の後ろにある写真を見ると、実際に軍籍があったようです。

今日もそんな女性を紹介していきましょう。

まずは政治家の立場から軍隊に関与した女性。

エディス・ヌース・ロジャース。(1981-1960)

なかなか可愛らしいおばあちゃまですが、女性として初めて
マサチューセッツ州議会議員になった女性で、晩年は議会の最長老議員でした。

真珠湾攻撃以降、軍に女性の補助的マンパワーが必要となったことを見通し、
正式な軍人としての女性登用を法制化する原動力になった政治家です。

 

ルーズベルト大統領の承認によってWAACと呼ばれる女性補助部隊が発足したのは
1942年の5月のことです。

この補助部隊は、あくまでも後方勤務に限られた活動をすることが厳重に規定され、
死の危険のある任務や任地に女性は配属せざるべし、ということになっていました。

なお、同年7月にはWAVES(ちなVはボランティア-志願-のV)、海軍の女性部隊、
沿岸警備隊の SPARS、海兵隊の女性予備部隊も44年には議会承認されました。

WAACはその後「補助」を意味するAがなくなった「WAC」となります。

例えば前々回話した沿岸警備隊の「ヨーマネッツ」や海兵隊の女性事務は、
男性の同ランクと同じ給料をもらい、退役後の扱いも同等でした。

しかし部隊に所属した看護師たちは軍服こそ着ていましたが、給料の点でも
退役後も、あくまで補助的な扱いしか受けていませんでした。  

WACはこの点でも完全に男性と対等の給与体系を取っていました。


また、彼女は、男女を問わず退役後の軍人の再就職やローンの面倒を見る

G.I.BILL

という名前の法律を作るのに大きな働きかけをしています。


軍が募集した女性の人材は、看護や事務、そして新たに必要となった
航空業務関連の仕事に就いたわけですが、そのための特別な訓練をするキャンプは、
マサチューセッツのスミス大学、マウントホリヨーク大学などの女子大に設けられました。

おそらく、東部の「セブンシスターズ」と呼ばれる、憧れの名門女子大で
訓練が受けられる、
ということで人が集まるという効果も見据えてのことでしょう。

さらに、軍に何らかの関わりを持った女性政治家というと、この人。

「今どこかで誰かがわたしのために死んでいることを忘れてはいけない」

戦争の陰にある個人の生死と彼の残された家族について、
常に深い関心を寄せていたエレノア・ルーズベルトさんの図。

彼女はリベラル思想を死ぬまで貫き、

「戦争が最高の解決策なんてとんでもない。
この前の戦争で勝った者はだれもいないしこの次の戦争でも誰も勝たない」

という言葉も残していますが、左翼・共産思想は徹底的に批判しました。

その彼女の夫は「戦争しない」ということで大統領になったのに、
日本軍の真珠湾攻撃が起こり、否応無く開戦を決めてしまいましたが。

一旦そうなってからは、彼女は戦争遂行を決定した大統領の妻として、

「わたしは今死んでいく人たちのために何ができるのか?」

をモットーに、精力的に兵士たちの訪問を行なったということです。 

さて、前回、アフリカ系女性だけの「郵便大隊」があったという話をしましたが、
今日は戦時中の軍隊と郵便について少しお話しします。

このポスターは、

「心を込めて書いた手紙が戦地にいる彼の元に届くことで
あなたは彼と一緒に居られるのです

つまり

「戦地の恋人に手紙を書きませうキャンペーン

このポスターの下部には

「Vメールは確実で個人情報も守られます」

書かれていて、これが戦時中に戦地に届けるための手紙システム、

ビクトリーメール=Vメール

の宣伝であったことがわかります。

Vメールとは、第二次世界大戦中、アメリカが海外に駐留する兵士に
対応するための
主要かつ安全な方法として使用された、いわば
「ハイブリッドメールプロセス」でした。

軍事郵便システムを通じて、元の手紙を転送するコストを削減するために、
V-mailとして投函された手紙は検閲され、フィルムにコピーされ、
目的地に到着すると、紙に印刷されだものが宛先人に配達されるという仕組みです。

なぜこんなことをしなければならなかったかというと、本来の手紙によって
占められる
何千トンもの貨物搭載スペースを、少しでも節約するためでした。

例えば1,600字の普通紙の重さは23kgですが、フィルムの1,600字はわずか140g。
今では電子メールによって解決している問題ですが、当時は切実だったのです。

 

Vメールはマイクロフィルムでサムネイルサイズの画像として撮影され、
運ばれる前に、メールセンサーを通過させます。

目的地に到着すると、ネガは印刷され、元の原稿サイズの60%となる
10.7cm×13.2cmのシートが作成され、受取人に渡されました。

Vメールに使われた封筒。
もともとマイクロフィルムの画像で手紙を撮影して送るシステムは、イギリス発祥で、
イーストマンコダック社が開発し、軍用ハトに運ばせたりしていたものです。

 

ところで上のポスターには「あなたの個人情報は保全される」と書いてありますが、
マイクロフィルムで撮影する段階で検閲され、第三者の目に触れることになるわけで、
その時点で個人情報は漏れる可能性が出てきますね。

Vメールを運営する軍としても、この問題については色々と対策をしており、
Vメールで送る情報をスパイから守るために、

●インビジブル・インク(目に見えず何らかの手法でしか再現されないインク)

●マイクロドッツ(機器を通して長い文章をピリオド一つ分にまで圧縮)

●マイクロプリンティング(小さな文字を専門のプリンタで打つ)

などという手法を用いたということですが、それにしても
見えないインクで書かれたVメールって、どうやって再現したんだろう・・。

こちら、1944年のクリスマスのためにデザインされたVメールカード。
C.B.Iとは「CHINA-BURMA-INDIA」THEATERの略。

Theater には戦場という意味もあり、これは中国、ビルマ、インド戦線のことです。

第二次世界大戦時代、戦地に届くメールは何よりも兵士たちの心の支えとなり、
生きて帰ることの希望の糧となり、そして士気にも大きく影響するものだったので、
郵便物に関わることを専門にした部隊が、女性を中心に編成されました。

写真はフランスのどこかの病院で1944年に撮られたもので、
メアリー・ファーレイ中尉が看護部隊の女性兵士に手紙を配っているところ。

 


 

従軍記者も本来は男の仕事ですが、女性の従軍記者もいました。

マーサ・ゲルホーン Martha Ellis_Gellhorn(1908−1998)

記者として一流であったという彼女ですが、ヘミングウェイの三番目の妻として有名です。

「私が愛したヘミングウェイ」(原題は”ヘミングウェイとゲルホーン)というタイトルで
ニコール・キッドマンがゲルホーンを演じた
テレビドラマがあったようですね。

Hemingway & Gellhorn: Tease

 

このドラマのwikipediaを見ると、そのストーリーは・・・

 

1940年、(ヘミングウェイは)ゲルホーンと再婚する。
しかし、時は第2次世界大戦下。
戦時特派員のキャリアを重視して海外に向かいがちなゲルホーンから
ヘミングウェイの心は次第に離れていき、2人はついに正面から衝突するように・・。

というものらしいです。

つまりゲルホーン女史は結婚生活を第一にするよりも、
従軍記者としての仕事を優先していたので、男の心は離れてしまったと・・・。
まあよくある話ですが、女史にとって不運だったのは、その男が
文学史に名を残す大文豪であったことかもしれません。

彼女の仕事を見ると、第一次世界大戦、第二次世界大戦共に従軍記者をつとめ、
フィンランド、香港、ビルマ、シンガポール、イングランド、
そしてノルマンディー上陸作戦も病院のトイレに隠れていたとはいえ、
現地から報道を行ってきた剛の者です。

当然ですが、自分の仕事にプライドを持っていた彼女としては、後々まで自分が

ヘミングウェイの付属品のように扱われることがよっぽど頭にきていたようで、

"I do not see myself as a footnote in someone else's life."
(私の人生は、誰かの人生の”脚注”ではありません!)

 という至極ごもっともな怒りのお言葉を残しておられるのでした。

合掌。

 

続く。