「千福」酒造元三宅本店所蔵の海軍歴史資料のご紹介はほぼ終わりましたが、
一つだけ載せ忘れがあったので、上げておきます。
これは明治41年発行の「海軍」という雑誌ですが、この号の特集が
「米艦隊歓迎号」
つまり、アメリカから海軍の艦隊が日本に寄港したので、
歓迎して色々とそれについて述べているというものなのです。
オーストラリアを出発して北に帰る途中で米海軍太平洋艦隊が横浜に寄港するので、
アメリカの親友として日本はこれを歓迎しましょう、という論旨です。
その前に、本号ではアメリカ艦隊について詳しく書いているので、
歓迎の饗宴を開く前によく読んで勉強してね、って感じでしょうか。
今でこそ日米、特に海軍同士は日米安保もあって大変な仲良しですが、
タイマン勝負をした番長同士が河原に寝そべれば自動的に友情が芽生えるように、
戦後に初めて仲良くなったのではなく、このころ少なくとも日本は
アメリカの「親友」を標榜していたらしいことがなんとなくわかります。
然し乍らアメリカは、日本が日露戦争に勝利した瞬間、
その潜在能力に警戒心を抱きはじめ、この艦隊寄港の明治41年ごろには
そろそろこいつ仮想敵にしちゃおっかなーみたいに考えていたはず。
ということは・・・・・?
そう、日本側が無邪気に
「親友である彼らを歓迎しましょう!」
とかいいつつ迎えたこの米艦隊の目的は親善などではなく、
日本への戦力誇示を目的としていました。
日露戦争で、特に帝国海軍がロシア艦隊に決して偶然ではない実力で勝ち、
白人国であり世界の支配側であった列強は、大変な危機感を覚えました。
日英同盟を結んでいて、日露戦争においては日本に情報提供していたはずの
イギリスでも、日本海大戦における連合艦隊勝利の知らせに、町中が
まるで誰かの訃報に接したように静まり返ったといいます(孫文談)
そこで、早速アメリカはアメリカ艦隊の世界一周を計画しました。
日本に寄港したのは偶然やついでなんかではなく、その海軍力と国力で、
デビューしたばかりで調子こいている日本を恫喝するためだったのです。
こえーよ、アメリカこえーよ。
しかし、日本人も結構したたかで、その意図は十分承知した上で、
「アメリカさん強そう!でも僕ら親友だからね!うふふ」
と恫喝を表面上はスルーして無邪気にはしゃいでみせました。
ちなみにあのチェスター・ニミッツが少尉候補生として乗り込んだ「オハイオ」は
その「日露戦争で勝った日本を恫喝し隊」の第一陣に加わっており、
寄港時にニミッツ少尉候補生は東郷元帥と直に話をしてファンになりました。
のちの米海軍元帥は、戦力誇示が目的の艦隊派遣で日本の元帥に感化されて帰ってきた、
ということになりますが、この時の感激が、のちに日本占領時における
東郷神社や三笠保存への働きかけに繋がっていくのですから、縁は異なものです。
さて、今日は「千福」酒造元として、酒蔵ならではの資料を中心にします。
手前の「千福」の瓶は輸出用に英語のラベルが貼ってあるもの。
中身はもちろん当時の酒?
「違います」
看板に描かれている女性が満州娘ですが、三宅本店は
満州にも会社と工場を持っていたということです。
日本が戦争に負けて、会社の資本は全てそのまま帰国を余儀なくされましたが、
その施設は普通にソ連が接収して稼働していたようです。
左は、当時の社員の記念写真であろうと思われます。
右には昭和8年の特別観艦式の記念絵葉書があります。
三宅本店は呉海軍にとって重要な出入り業者であったため、観艦式にも
見物のご招待があったのでしょう。
なんだろう・・・干菓子を作る木型かしら。
千福の広告に混じって、取扱店指定のポスターがあります。
当たり前ですが、日通のマークは現在も同じものが使われています。
会社創立は昭和12年ですが、大東亜戦争中には海軍は運輸業務のことを
「日通」と隠語で呼んでいたということです。
歴史的な資料として、こういうものを保存してくれているというのに感謝です。
進駐軍の利用する米軍向けのPXの店内にあったと思われる鏡には、なんと
「日本人に非課税のタバコを売ることは法律違反です」
と書かれています。
横流し禁止の警告が、なぜ鏡にプリントされているのか・・・・。
酒造会社ですから、酒造りに使われた道具も展示してあります。
せいろのようなものは「室葢」といい、麹を発酵させるのに使います。
風呂桶のようなものは柄杓。
後ろの大きな丸いものも麹の生成に必要なものだったと思います。
(説明を聞いたのですが、海軍と関係ないので忘れてしまいました)
水桶の前にあるのは「綏芬河」行きの汽車にかかっていた行き先プレート。
右上には南満州鉄道、満鉄のMをあしらったマークがあります。
綏芬河市は現在の黒竜江省にある国境沿いの町です。
国境の向こうは・・・・そう、昔はソ連だったんですよね。
陸海軍御用達を大きく謳ったラム酒のポスター。
ここにも描いてありますが、サトウキビが原材料なんですよね。
タバコの宣伝になぜかタバコを吸っているわけでもない美人画。
「ターキシエーエー」というのは当時の高級両切りタバコの銘柄らしい。
千福の醸造工程がわかりやすく描かれています。
左は上が呉、下が満州工場。
特筆すべきはさりげなく「呉鎮守府検閲済み」と書かれていることでしょう。
しかしなんのためにこんなものを検閲・・・?
三宅さんによると、昭和20年代後半のころの写真ではないかということです。
当時はタバコは今ほど悪者にされていませんでしたから、皆が吸っていました。
営業の人などは、吸えなくても手に持って「吸っているフリ」をしていたと聞きます。
上はタバコ盆セット(後ろは弾丸?)、
下段は銀のタバコ入れと灰皿のセットで、海軍マーク入り。
灰皿は日の丸をあしらっており、そこに立っている小さい札?に
「君が代は千代に八千代にさざれ石の」
までが描いてあります。
日の丸に灰を捨てるというのもどうなのかって気もしますが。
レトロなパッケージのコレクションもあって、コレクターには垂涎。
風邪薬六神丸の「トンプク」の箱。
味の素、サクマドロップス、フルーツキャンデーの缶など。
昔の子供用の人形は、兵隊さんや水兵さんをかたどったものがあります。
まあ、外国でもそうですよね(鉛の兵隊とか)。
馬に乗った騎兵、飛行服をきた搭乗員、明らかに明治時代の水兵。
敬礼をしているものが多いですね。
セーラー服を着て日本の旗を持った赤ちゃんに靴を履かせる女の子。
ハーモニカは「ミリタリーバンド」が商品名です。
わかりにくいですが、軍艦の模型は「三隈」。
「蘇生」とはなんだろうと思ったら、「天然カルシウム」だそうです。
カルシウムによって増血ができる、と書いてありますが、そうなの?
続く。