
「東京帰りの俺たち」最終回です。
全部を翻訳してみて思ったのは、彼ら駐日アメリカ人が、
わたしたちが思うよりずっと、純粋に日本での体験に驚き、興奮し、
そして何より日本と日本の文化を愛してくれていたのだということです。
彼らの感じたカルチャーギャップは、通信の発達によって
彼らよりはるかに多くの情報を得ることができる現代人と違い、
彼らよりはるかに多くの情報を得ることができる現代人と違い、
激しい、価値観が逆転するほどの驚きと興奮をもたらしたものでしょう。
現代の米軍人は、色んな駐在地の知識をネットで仕入れて赴任しますが。
今も昔も、彼らに最も人気のある海外赴任先は日本らしいですよ。
現代の米軍人は、色んな駐在地の知識をネットで仕入れて赴任しますが。
今も昔も、彼らに最も人気のある海外赴任先は日本らしいですよ。
■満員電車

”確かに・・・帰国したては空いた車内だと孤独を感じちゃうよね”
冒険を求めてアフリカのジャングルに勇敢に挑む人もいる。
興奮を求めて山に登る人もいる。
日本ではその必要はない。
サービスマンは日本の電車に乗るだけでいい。
日本人は礼儀正しい。
しかし、電車に乗ると何かが起こる。
礼儀正しくなくなるのだ。
それどころか、荷物、ブリーフケース、傘、
ベイビーサンを抱えた群衆になってしまうのだ。
ベイビーサンを抱えた群衆になってしまうのだ。
彼らは「Gomen nasai」の一言もなく、
驚いている傍観者の横を通り過ぎたり、その場を通り過ぎたりする。
みんな電車に絞り捻り込まれる。
混んでいる。
驚いている傍観者の横を通り過ぎたり、その場を通り過ぎたりする。
みんな電車に絞り捻り込まれる。
混んでいる。
訂正: とても、とても、混んでいる。
まるでギンベル(当時存在したデパート)のバーゲンのようだ。
人間が荷物扱い。歓声とおしゃべりの渦。
早い者勝ち、かつ盛者必衰の世界。
こういうとき素早く動けないGIは吊り革を持つこともできない。
まあしかしそんなものは実際必要ない。
前にも後ろにも動けず、サイドレーンもガッチリブロックされているから。
彼は不条理に、そして不器用にそこに立ち、
彼を取り囲む頭や耳や目を見回す。
誰もが何かを抱えている。
まあしかしそんなものは実際必要ない。
前にも後ろにも動けず、サイドレーンもガッチリブロックされているから。
彼は不条理に、そして不器用にそこに立ち、
彼を取り囲む頭や耳や目を見回す。
誰もが何かを抱えている。
ママサンは買い物袋を背負い、赤ん坊をおんぶしている。
信じられないことに女学生はそんな中でも何か勉強している。
小さな男の子は、風船の紐をギュッとつかんでいる。
パパサンは釣竿を抱きしめている。
シリーズ初日のヤンキー・スタジアムに大群衆が押し寄せたようだ。
小さな男の子は、風船の紐をギュッとつかんでいる。
パパサンは釣竿を抱きしめている。
シリーズ初日のヤンキー・スタジアムに大群衆が押し寄せたようだ。
■天秤棒


”だから言ってるだろ、ここじゃそれ使えないって”
天秤棒。テンビンボー。
作曲家がハワイアン・ウォー・チャントに使った言葉のような響きだ。
註:Hawaiian War Chantはハワイ語の歌詞を持つアメリカのポピュラー。
タフタフアフアイというこの歌は、
日本では「あーやんなっちゃった」というポール牧の歌で有名。
Hawaiian War Chant (Ta-Hu-Wa-Hu-Wai)
註:Hawaiian War Chantはハワイ語の歌詞を持つアメリカのポピュラー。
タフタフアフアイというこの歌は、
日本では「あーやんなっちゃった」というポール牧の歌で有名。
Hawaiian War Chant (Ta-Hu-Wa-Hu-Wai)
しかし、これは日本人が肩に担いでいる樫の棒の名前なのだ。
天秤棒の両端には竹かごが吊るされ、
かごの中には農家で栽培された農産物が入れられている。
かごの中には農家で栽培された農産物が入れられている。
滑空する天秤棒は、日本の高速道路を移動する軍人が目にする、
カラフルな動く塊の一つに過ぎない。
そこには多種多様な乗り物が行き交う。
カラフルな動く塊の一つに過ぎない。
そこには多種多様な乗り物が行き交う。
喘ぐ三輪バイクタクシーもある。
ジープや自転車リキシャもある。
虹色に輝く巨大なバスもある。
洗練されたアメリカン・オートバイもあれば、馬車もある。
陸軍のパトカーもあれば、
何千本もの日本酒の空き瓶を積んだ巨大なトラックもある。
何千本もの日本酒の空き瓶を積んだ巨大なトラックもある。
金切り声を上げる路面電車もあれば、
金切り声を上げる歩行者を狙って猛スピードで走る自転車もある。
そして最後が、人間の鼻孔にとってのパブリックエネミーNo.1、
「ハニーバケツ」である。
金切り声を上げる歩行者を狙って猛スピードで走る自転車もある。
そして最後が、人間の鼻孔にとってのパブリックエネミーNo.1、
「ハニーバケツ」である。
ハニーと言っても決して蜂蜜の匂いではない。
バケツに入ったゴミを満載したこの馬車は、
街のゴミ捨て場が道を転がっているようなものだ。
バケツに入ったゴミを満載したこの馬車は、
街のゴミ捨て場が道を転がっているようなものだ。
サービスマンは驚きながら、公道セレブの魔法のような操縦を眺める。
そして、彼もまたすぐに、まるでテンビンボーのバランスのような、
危険な生き方への欲望に駆られずにいられない。
危険な生き方への欲望に駆られずにいられない。
■ 日本の通りの自転車

”これ忘れてない?”
日本のストリートにおける車輪の王様は自転車である。
混雑した狭い道で時間を稼ぐには自転車が一番だ。
老若男女を問わず、日本人は皆自転車に乗っている。
信じられないほどの正確さで、自転車は交通の合間や合間を縫って走る。
自動車、タクシー、路面電車、人力車などを驚異的な能力と敏捷性で回避する。
自転車は日本における歩行者の一番の敵である。
どこからともなくやってきて、高速道路をあっという間に走り去る。
その間、歩行者は狂ったように飛び跳ね、荒々しく叫び、
荷物を乱暴に放り投げ、必然的にパニック状態に陥る。
自転車やライダーの姿はほとんど見えないことが多い。
見えるのは、道路を暴れまわる動く荷物の塊だけだ。
自転車はしばしば配送トラックや移動用バンを兼ねており、
大げさに言えば荷物を積んでいる。
箱、樽、ボトル、毛布、その他もろもろをその弱々しい骨組みに括りつけて、
二輪車がくるくる回っているのはよく見る光景だ。
そのため、軍人は自転車に新たな敬意を抱くようになる。
家に帰ると、他の人たちはそのバイクで新聞を配達したり、
サイクリングを楽しんだりしている。
■日本の英語広告と標示

『芝生に立ち入るな どうぞ そこに止まれ ここから離れて』
"自分でもまた書きましたです”
"自分でもまた書きましたです”
アメリカ人に自分たちのメッセージを伝えるために、
日本人は非常に横着で、こっけいな言葉を用いる。
その言葉の標識は、歪んだ言い回しや回りくどい言葉を点滅させている。
彼らの宣伝文句はたいてい、駐日兵士の頭の中では
ユーモラスなごちゃまぜになってしまう。
その言葉の標識は、歪んだ言い回しや回りくどい言葉を点滅させている。
彼らの宣伝文句はたいてい、駐日兵士の頭の中では
ユーモラスなごちゃまぜになってしまう。
キャバレーの看板は、しばしば独特の言葉選びをする。
あるキャバレーではこんな風に。
"1000 of Beautiful Girls.Give your Passionate Cheek.
Homely Atmosphere."
「1000人の美女。あなたに情熱的な頬を与える。アットホームな雰囲気」
別の酒場はこんなふうに、
"No Body Can Find Out More Nice Place Than Our Night Club."
「私たちのナイトクラブより素敵な場所は誰も見つけられない」
あるキャバレーではこんな風に。
"1000 of Beautiful Girls.Give your Passionate Cheek.
Homely Atmosphere."
「1000人の美女。あなたに情熱的な頬を与える。アットホームな雰囲気」
別の酒場はこんなふうに、
"No Body Can Find Out More Nice Place Than Our Night Club."
「私たちのナイトクラブより素敵な場所は誰も見つけられない」
自慢する。
また別のキャバレーの看板は、洗練さやソフトで優雅なアプローチを避け、
嬉しそうにはしゃぐ。
"Wow! Cold Beer, eh? Let's Go! To Keep Up Our Morale!"
「わお!冷えっ冷えのビールだって!さあ行こう!士気をあげるために!」
また別のキャバレーの看板は、洗練さやソフトで優雅なアプローチを避け、
嬉しそうにはしゃぐ。
"Wow! Cold Beer, eh? Let's Go! To Keep Up Our Morale!"
「わお!冷えっ冷えのビールだって!さあ行こう!士気をあげるために!」
タイヤ修理の看板にはこう書かれている。
”Specialist in Puncture."
「パンクの中のスペシャリスト」
高速道路の交通量の多い交差点に掲げられた標識は、
ドライバーに警告している。
”Speed keep Strictly"
”Specialist in Puncture."
「パンクの中のスペシャリスト」
高速道路の交通量の多い交差点に掲げられた標識は、
ドライバーに警告している。
”Speed keep Strictly"
「スピードを厳格に保て 」
高速道路に架かる鉄道の高架では、ドライバーにのために
”Pray Safety Traffic”
「安全な交通を礼拝する」
と書かれた標識がある。
と書かれた標識がある。
これらはこの国の典型的なサインランゲージだ。
「ホットドッグと日本酒」「サドルシューズと着物」が
もはやこの国で不思議な組み合わせでないくらい、そして
「さようなら、ジョー」とか「さようなら、ボーイさん」と同じくらい、
それらは今やこの国の一部となっている。
もはやこの国で不思議な組み合わせでないくらい、そして
「さようなら、ジョー」とか「さようなら、ボーイさん」と同じくらい、
それらは今やこの国の一部となっている。
標識は驚くほど素晴らしいものではないが、まあ、意味はわかる。
ウェブスター氏(辞典編纂者)はどうにもこれらに落ち着かず、
墓の中で寝返りを打つかもしれない。
アメリカ人の広告マンは、見かねて彼らの仕事に加わるかもしれない。
英語教師は、悪影響を恐れて教え子から広告を隠すかもしれない。
しかし、まあ、
ウェブスター氏(辞典編纂者)はどうにもこれらに落ち着かず、
墓の中で寝返りを打つかもしれない。
アメリカ人の広告マンは、見かねて彼らの仕事に加わるかもしれない。
英語教師は、悪影響を恐れて教え子から広告を隠すかもしれない。
しかし、まあ、
”What They're About Talking We Know. ”
「彼らは何を言っているのか、我々は知っている」
「彼らは何を言っているのか、我々は知っている」
なら、これらの何が問題なんだろうか。
■そろばん

日本ではしばしば、巨大な電算レジが、そろばんと呼ばれる
木製の玉を並べた小さなシンプルな計算機に置き換わっている。
木製の玉を並べた小さなシンプルな計算機に置き換わっている。
このポケットサイズの無生物のジーニアスは、
日本人の素早い指先が触れるだけで、
奇跡的に加算、減算、乗算、除算を行う。
日本人の素早い指先が触れるだけで、
奇跡的に加算、減算、乗算、除算を行う。
玉を上下に動かしながら数えることで、
商人は請求額と客が支払うおつりの額を正確に把握できる。
商人は請求額と客が支払うおつりの額を正確に把握できる。
(あまりに素早く簡単に計算できるので、この竹製の会計係は
天気予報もでき、世界平和の計画も立てられ、
そのうち子供も育てられるのではないかという印象を受ける)
天気予報もでき、世界平和の計画も立てられ、
そのうち子供も育てられるのではないかという印象を受ける)
サービスマンは、商人が算盤で数学のマジックを披露するのを見て、
この「スライディングボール」の使い方を習得したいと強く思う。
運よく彼がそれを実際にマスターできたら、
彼もまた、計算機を使わずに済むようになる。
アンクル・サムが彼を所得税のことで苦境に追い込み、
計算の決闘に駆り立てられることになった決算月でさえも。
この「スライディングボール」の使い方を習得したいと強く思う。
運よく彼がそれを実際にマスターできたら、
彼もまた、計算機を使わずに済むようになる。
アンクル・サムが彼を所得税のことで苦境に追い込み、
計算の決闘に駆り立てられることになった決算月でさえも。
■ 日本の工事足場と地震

”あがっておいでよ。絶対安全だから”
もし世界の8番目の不思議を選ぶとすれば、
野次馬の軍人たちによって選ばれるのは「日本の足場」に違いない。
それは奇妙な構造物だ。
突起物のある木材でできているというわけではない。
ただ長い棒を藁縄で結んで組み立ててある。
野次馬の軍人たちによって選ばれるのは「日本の足場」に違いない。
それは奇妙な構造物だ。
突起物のある木材でできているというわけではない。
ただ長い棒を藁縄で結んで組み立ててある。
足場を組み立てる際の日本の職人たちは実に興味深い。
彼らは、腰に長い藁縄の束を尻尾のようにぶら下げながら、
あちこちをせわしなく動き回る。
出来上がった足場の上では、男たちは
木と長方形の蜘蛛の巣に捕らえられているように見える。
彼らは、腰に長い藁縄の束を尻尾のようにぶら下げながら、
あちこちをせわしなく動き回る。
出来上がった足場の上では、男たちは
木と長方形の蜘蛛の巣に捕らえられているように見える。
足場は決して高いものではない。
なぜなら日本には低層の建物が多いからだ。
度重なる地震の経験から、高層ビルは建てられない。
何しろわずかな地盤の揺れは日常茶飯事だ。
揺れを最初に経験する在日軍人は胸が詰まったようになるが、
2度目の揺れには英雄的に立ち向かい、
3度目の揺れには日本人のように全く無関心な態度を会得する。
しかし、日本の足場に対しては無関心ではいられない。
なぜなら日本には低層の建物が多いからだ。
度重なる地震の経験から、高層ビルは建てられない。
何しろわずかな地盤の揺れは日常茶飯事だ。
揺れを最初に経験する在日軍人は胸が詰まったようになるが、
2度目の揺れには英雄的に立ち向かい、
3度目の揺れには日本人のように全く無関心な態度を会得する。
しかし、日本の足場に対しては無関心ではいられない。
彼はそこに建設的な酩酊感をすら感じるのだ。
そして、故郷に戻ると、家を建てるために足場を組もうとする。
そして、故郷に戻ると、家を建てるために足場を組もうとする。
■ 縦書きの日本語は左から読むこと

"なんでアメリカの雑誌は裏側を表紙にしてるんだ?”
サービスマンは日本人のやり方を知ると驚く。
なぜ、日本人は何でも逆さまにするのか?
もっとも日本人の方もアメリカ人の習慣を目にしたとき、同じように思う。
なぜ、日本人は何でも逆さまにするのか?
もっとも日本人の方もアメリカ人の習慣を目にしたとき、同じように思う。
なぜ、手のひらを自分の方に向けて手をひらひらさせて人を呼ぶのか?
なぜ、居心地の悪い硬い木の椅子に座って高い木のテーブルにつき、
しかも鋼鉄製の道具を使って食事をするのか?
そして、なぜいつも雑誌を最後のページから読み始めるのか?
アメリカ人が日本で雑誌を手に取ると、彼が表紙だと思ったものは
日本人にとっては雑誌の裏表紙である。
日本の雑誌は後ろから始まるからだ。
彼らの文章は縦書きで、英語とは逆に右から左へと読まれる。
これは当初サービスマンにとって奇妙に感じられがちだが、
しばらく滞在していると、他のことと同様、ごく自然で秩序正しく感じる。
あまりに慣れすぎると、故郷に戻ったとき、
彼は言語解読に起こった転換を理解できないかもしれない。
なぜ、居心地の悪い硬い木の椅子に座って高い木のテーブルにつき、
しかも鋼鉄製の道具を使って食事をするのか?
そして、なぜいつも雑誌を最後のページから読み始めるのか?
アメリカ人が日本で雑誌を手に取ると、彼が表紙だと思ったものは
日本人にとっては雑誌の裏表紙である。
日本の雑誌は後ろから始まるからだ。
彼らの文章は縦書きで、英語とは逆に右から左へと読まれる。
これは当初サービスマンにとって奇妙に感じられがちだが、
しばらく滞在していると、他のことと同様、ごく自然で秩序正しく感じる。
あまりに慣れすぎると、故郷に戻ったとき、
彼は言語解読に起こった転換を理解できないかもしれない。
■電話の「もしもし」


「もし」は1つだけで使われることは決してない。常に2個1で使う。
「もしもし、もしもし」。
これは「こんにちは」という意味である。
日本の電話は、もしもし、もしもしという音で始まる。
これは「こんにちは」という意味である。
日本の電話は、もしもし、もしもしという音で始まる。
電話でアメリカ人は「ハロー:こんにちは」、
イギリス人は「アーユーゼア?:どちらさまでしょうか」だが、
日本人は常にこのエコーのような文句を発する。
イギリス人は「アーユーゼア?:どちらさまでしょうか」だが、
日本人は常にこのエコーのような文句を発する。
TAKSANのアメリカ人と日本人が同時に電話のダイヤルを回すため、
日本の電話は時に挑戦的なものとなる。
サービスマンが東京で電話を取り、横須賀に近い郊外の町、
追浜にいる50マイル離れた同僚に電話をかけようとしても、
回線や回路が乱れていることが多く、電話がつながらなかったりする。
また、おしゃべり好きな横浜のパパさんに間違ってかかったりする。
日本の電話は時に挑戦的なものとなる。
サービスマンが東京で電話を取り、横須賀に近い郊外の町、
追浜にいる50マイル離れた同僚に電話をかけようとしても、
回線や回路が乱れていることが多く、電話がつながらなかったりする。
また、おしゃべり好きな横浜のパパさんに間違ってかかったりする。
「もしもし、もしもし」とあちこちで言われ、
サービスマンは慣れないことだらけの海の中で途方に暮れる。
サービスマンは慣れないことだらけの海の中で途方に暮れる。
しかし、他の日本の習慣に染まっていくにつれ、
GIはすぐに日本の電話のエチケットを身につける。
その時彼は、ありきたりの古い挨拶の「ハロー」を捨て、
「もしもし」という2つの魔法の響きを口ずさんでいるのだ。
■お辞儀の国

”ダメダメ、ジョー、お辞儀じゃなくて握手よ!”
日本人がFRIENDO(日本人にもアメリカ人にも好まれる言葉で、
より親しい友人を意味する)や新しい知り合いと会うときは、
握手はせず、お辞儀をするものだ。
一礼、二礼、三礼と礼を尽くし、相手もそれに合わせて礼を返す。
別れの時が来ると、また一礼から始まる。
より親しい友人を意味する)や新しい知り合いと会うときは、
握手はせず、お辞儀をするものだ。
一礼、二礼、三礼と礼を尽くし、相手もそれに合わせて礼を返す。
別れの時が来ると、また一礼から始まる。
上、下、上、下。
威勢の良い挨拶の様子を見ていると、
サービスマンはふらふらしてしまいそうになる。
威勢の良い挨拶の様子を見ていると、
サービスマンはふらふらしてしまいそうになる。
しかし、すぐにそれがとても豊かで高貴な挨拶の仕方であることに気づく。
自分の手が力持ちに握り潰されるような心配をすることもなくなるし、
お辞儀は(丁寧に正しく行えばだが)、頭蓋骨を粉砕する心配はない。
やがて、軍人は無意識のうちに「OJIGI」の習慣を身につけてしまう。
故郷に戻った時、TOMODACHI に対しついおじぎしてしまったりして、
握手の国にいることを忘れている自分に気づく。
握手の国にいることを忘れている自分に気づく。

"あなた、うちに帰ってきたのだから、もう
『東京帰りの俺たちGI』はやめてね”
年を重ね、日本は来日した軍人にとって故郷となる。
彼はニッポンの人々とそこでのやり方を理解し、愛するようになる。
彼はここで新しい生活を送り、その生活が彼を、
アメリカ人を、アジアティックにした。
涙で滲んだ目で鞄に荷物を詰め、サヨナラをいう。
船に乗り込み、はるか東の果ての岸から離れる時、彼の心は重い。
しかし、彼の一部はいつでもこの小さな国にいる。
日本に滞在した後は、アメリカはもはや前と同じに思えない。
皆が英語で会話しているのを聞くのはなんて奇妙なんだろう。
巨大な建物の間を彷徨い、混雑した通りを歩いても、
そこでは誰もお辞儀をしないし「OHAYO GOZAIMASU」を言わない。
アメリカに帰ってくるのはきっとものすごく奇妙な体験だ。
軍人の妻や彼の家族は間違いなくそれを感じ取り、理解しようとするだろう。
妻は彼に同情し、慰め、忘れさせようとするだろう。
妻は、彼が変わってしまったこと、何年か前に別れのキスをした時と
全く別人になってしまっていることに気づくだろう。
そして気づくのだ。
彼はニッポンの人々とそこでのやり方を理解し、愛するようになる。
彼はここで新しい生活を送り、その生活が彼を、
アメリカ人を、アジアティックにした。
涙で滲んだ目で鞄に荷物を詰め、サヨナラをいう。
船に乗り込み、はるか東の果ての岸から離れる時、彼の心は重い。
しかし、彼の一部はいつでもこの小さな国にいる。
日本に滞在した後は、アメリカはもはや前と同じに思えない。
皆が英語で会話しているのを聞くのはなんて奇妙なんだろう。
巨大な建物の間を彷徨い、混雑した通りを歩いても、
そこでは誰もお辞儀をしないし「OHAYO GOZAIMASU」を言わない。
アメリカに帰ってくるのはきっとものすごく奇妙な体験だ。
軍人の妻や彼の家族は間違いなくそれを感じ取り、理解しようとするだろう。
妻は彼に同情し、慰め、忘れさせようとするだろう。
妻は、彼が変わってしまったこと、何年か前に別れのキスをした時と
全く別人になってしまっていることに気づくだろう。
そして気づくのだ。
手遅れになる前に、彼自身と彼女のためにも、
彼女はそこに社会的な掟を定め、従わせるのが良いだろうと。
愛情を込めて、優しく、彼女はそれを実行する。
しかしーあたかも富士山の頂上に雪が積もるようにー
彼女の警告の言葉はあてどなく彷徨うだけである。
なぜなら、軍人にとって、今も、そしてこれからも、
「アジアティック」という賽は投げられたあとだからだ。
■裏表紙

「乗りなよ、肋骨をくすぐるライドに」
著者のヒュームトアナリーノは日本の裏道や脇道を探索し、
「交通安全祈願」や「パンクの専門家」などと書かれた標識を発見する。
笑いがページをさざなみのように駆け巡り、
二人はそうして再び家路に着く。
国に帰ると彼らは金髪の女性に目を凝らし、妻たちを困難に陥れ、
勝手に家具を売り飛ばしたり隣の男に3回お辞儀したりする。
日本に行ったことがある人にとっても、
『日本から帰国した人たちにとっても』この本は必携だ。
■著者について
ビル・ヒュームは1916年生まれ。
15歳で高校卒業、1936年ミズーリ大学卒業。
海軍予備役として1941年から1945年まで第二次世界大戦に従事し、
1951年に現役に復帰。
海軍の任務の傍ら、彼は時間を見つけて本書に収められている
人気漫画を創作し、連載を続けていた。
彼はまた、ネイビータイムや横須賀・追浜の地方紙だった
「オッパマン」の編集長として寄稿も行っていた。
ジョン・アナリーノはペンシルバニア州パンクスタウニー出身。
セント・ボナヴェンチャー大学のジャーナリズム学科を専攻し、
1951年7月に海軍に入隊した。
その後横須賀の追浜に着き、そこでヒュームと「オッパマン」を創刊、
現在も編集を行なっている。
「パシフィック・スターズアンドストライプス」に頻繁に寄稿し、
海軍のヒットショー”Damn The Torpedoes."の本と歌詞を書いた。
このショーの主題歌は、日本の映画「やっさもっさ」で取り上げられた。
註:獅子文六原作、淡島千景主演、音楽 黛敏郎
1953年松竹作品
シリーズ終わり