ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

映画「フライングフォートレスの物語」〜メンフィス・ベル 国立アメリカ空軍博物館

2024-02-20 | 映画
The Memphis Belle: A Story of a Flying Fortress

メンフィス・ベルのシリーズを始めてから何度も触れたように、
この爆撃機は「官製の英雄」として、有名になりました。

有名になる前からそのように仕立てようというプロジェクトありきで、
とにかく25回の任務を最初に終えそうな爆撃機に目星をつけ、
その直前から、任務達成に向けた記録作りが始まっていました。

その手段として選ばれたのが、ドキュメンタリー映画の制作です。
映画の制作にあたっては、陸軍所属だった映画監督、
ウィリアム・ワイラーがヨーロッパに派遣されました。

■ ウィリアム・ワイラー中佐


Lt. Col William Wyler軍服

アメリカという国がいかに映画を情報伝達と、
プロパガンダに有用なものと認めていたかは、
この映画監督を映像での宣伝を指揮する「司令官」として
中佐の階級まで与えていたことからもわかります。


イギリスの陸軍航空隊基地にて

ワイラーは1943年末に中佐に昇進した。

1943年末に中佐に昇進したワイラーは、この軍服を着て
イタリアで次のドキュメンタリー映画、 "サンダーボルト!" 制作をした。

このカラー映画は、戦争末期の戦闘爆撃機作戦を描いたものである。

1945年に戦争が終わると、ワイラー中佐は軍役を退いた。

その後もハリウッド映画の監督として、
『わが生涯の最良の年』

『ローマの休日』
『ベン・ハー』
などを監督し、12部門にノミネートされ、
3度のアカデミー監督賞を受賞するなど、数々の栄誉に輝いた。

陸軍の協力を行ったのは第二次世界大戦のときでしたし、
むしろ、その後に輩出した作品群が凄過ぎて、
陸軍中佐としての経歴を知らない人の方が多いかもしれません。

「嵐が丘」「黄昏」「大いなる西部」
「ファニー・ガール」「おしゃれ泥棒」

これらの有名作品もワイラー監督作品です。


ちなみにワイラーはドキュメンタリー「サンダーボルト」撮影時に
風圧と爆音で聴覚神経を傷めてしまい、右耳の聴力を失っています。

Thunderbolt (1947 film)

1947年にワイラーとジョン・スタージェスが監督した「サンダーボルト」は
第二次世界大戦中、コルシカ島を拠点とした第12空軍の飛行隊による
「ストラングル作戦」を描いたものです。

アンツィオのビーチヘッドへの枢軸国軍の補給線を妨害するという作戦で、
最初にプロローグを読み上げるのはジェームズ・ステュワート

ちなみにジェームズ・ステュワートは志願入隊して
ヨーロッパ戦線に爆撃機パイロット&指揮官として参加しており、
最終的には准将にまで昇進したガチの高位軍人ですが、
俳優として宣伝映画にも出演しており、この作品もその一つです。

ナレーションでは陸軍航空隊司令官のカール・スパッズ将軍の言葉、
「1944年は古代の歴史になってしまった」を引用しています。

この時の撮影では、リパブリックP-47サンダーボルト
パイロットの背後、主翼の下、ランディングギアのホイールウェル、
計器パネル、銃が発射されたときに同期して撮影する銃の中に、
ワイラー監督はカメラを搭載して撮影
しています。

爆撃機と違い、戦闘機に同乗するわけにいきませんからね。

映画の30分すぎから、隊員たちの余暇の様子が描かれますが、
子犬にミルクを与えたり、犬をボートに乗せたり、
カラスをペットにしている人なんかが出てきます。


撮影のためB-17に乗り込むワイラーとクルー。

右:ウィリアム・クローシエ(Clothier)カメラマン
窓の中:ウィリアム・スカール(Skall)カメラマン
左:キャヴォ・チン(Cavo Chin)イギリス戦時特派員

ワイラーとカメラマン二人の名前が全員ウィリアム。

ワイラー、名前でスタッフを選んだのか?

ところでお断りしておきますが、この人たちの全員、
軍事教練など軍組織での訓練を受けたことは一度もありません。

ワイラーが陸軍に関わるようになったきっかけは、彼が戦前に
「ミニヴァー夫人」というプロパガンダ映画を監督してからのことです。

映画の内容は、アメリカの「不干渉主義」への批判であり、
積極的な戦争への参加を推進するものだったので物議を醸しましたが、
この映画はイギリス国民の共感を強く得ることになります。

そんなことから、ワイラーは自ら志願して航空隊に報道枠で参加し、
何の軍事的下地もないまま、少佐の肩書きで映画を撮ることになります。

陸軍がワイラーに少佐の階級を与えたのは、年齢もあったでしょうが、
(当時40歳)実際戦地で危険を犯して映画の撮影をしたことに対する
「功労賞」の意味合いが大きかったと思われます。

「毎日全体の80%の搭乗員が失われていた」


と言われる当時の戦況で、実際にB-17に乗り込んで、
爆撃任務の全行程を撮影するには、死の覚悟が必要でした。

実際にワイラーは、一度爆撃機の中で酸素不足により失神していますし、
彼のチームとして撮影に当たっていた撮影監督の、


ハロルド・J・タンネンバウム中尉

は、「メンフィス・ベル」の撮影中、1944年4月16日、
乗っていたB-17が撃墜されて戦死しています。

このとき、爆撃機クルーの数人はパラシュートで脱出し、
タンネンバウム中尉もベイルアウトしたのですが、不慣れだったため、
パラシュートが外れたのではないかと言われています。

彼はもともとRKOの音響マンでしたが、ワイラーに誘われて
監督としてヨーロッパに一緒に乗り込んできていました。

年齢は47歳とワイラーより上でしたが、
監督になれるチャンスと考えて、ワイラーの誘いに乗り、
危険な職場と知りつつ、転職してきたのだと思われます。



■ 映画「メンフィス・ベル
:フライングフォートレスの物語」


さて、それでは映画「メンフィス・ベル」についてです。

冒頭の映画は、ワイラー監督がドキュメンタリーに徹し、
故郷の家族談とかいらんサイドストーリーを一切省いたシンプルな作りで、
劇場映画でありながら40分という短い尺に収まっています。

~1:05 オープニングタイトル


~4:05 出撃前に整備&武器搭載が行われるB-17
爆薬の上にまたがってハモニカ吹きつつ一緒に移動する整備員たち

~5:28スタンリー・レイ司令によるブリーフィング
本日の爆撃目標はドイツのエムデン


最後にチャプレン(従軍牧師)によるお祈りあり


ジープでクルー到着、乗り込み


乗り込み前に機長からの短い指示あり
士官は全員最後になるかもしれない喫煙をしながら


ボールターレットに乗り込むクィンラン
(まさかとは思っていたけど、離陸時から乗り込んでいる)

7:06 離陸
ボールターレットの中に仕込んだカメラからの映像あり

11:20~クルー紹介
経歴と出身地は必ず

爆撃目標はエムデンのウィルエルムズシャーベン。

ウィルヘルムズシャーベンは戦争中、連合軍の爆撃により
町の建物の3分の2が破壊されましたが、
主要な標的であった海軍造船所は深刻な被害を受けながら操業していました。

 19:53〜ドイツからの迎撃開始、対空砲

21:29〜目的地上空 敵戦闘機と交戦
爆弾投下、帰投

24:20〜敵戦闘機と抗戦

25:30〜僚機が被弾、撃墜されて落ちていく

「カモン、お前ら脱出しろ!」
「テイルガンナーが脱出したようだ。戦闘機に気をつけろよ」

「クィンラン(ボール砲手)どうなったか見ておけ」
「9時方向でパラシュート二つ確認」

と意外と冷静な感じで淡々と言っています。
僚機は機内には8名が取り残された状態で墜落し、まさに
「10人のうち8人が帰らなかった」という統計通りになりました。

26:21ごろ、戦闘機がパラシュートを引っかけたらしく、

「あいつが捕まりました、チーフ(機長)!ベイルアウトしたのに!」

「インターコムで叫ぶな」(冷静)


というやりとりもあります。

27:07〜傷ついて弱ったB-17に群がってくる敵戦闘機

みすみす仲間がやられていくのを見ているしかありません。
フォーメーションを崩すわけにはいかないからです。


27:28〜帰投してくる機を待つ基地の人々

搭乗員たちはゲームをしながら

負傷者がいる機は優先的に着陸できるきまりです。

29:25〜負傷者ファースト

対空砲の破片が身体にめり込んだ人など。


「彼らはパープルハート徽章を授与されるだろう。この男も」

しかし、遺体が帰ってこられただけ良かったとも言えます。
男が受けている輸血について・・・

「彼が体内に入れている血は、デモインの女性高校生のかもしれないし、
ハリウッドの女優のかもしれない。
いずれにしても彼に感謝している人たちのものだ」

30:35〜次々と着陸してくる機体

全くの無傷は1機だけ。
29機目はパイロットが怪我をしているので着陸が粗い、と。


テイルガンナーは死亡したとのこと


爆撃手を失った機(下部の赤はおそらく血の色)

中には、ノーズのエポキシグラスごと破壊され、
ナビゲーターが機外に失われた機もあったようです。

この日出撃したのは36機、帰投したのは32機でした。
メンフィス・ベルは3機で一番最後に帰投してきます。

35:27〜メンフィス・ベル タッチダウン
25回目のミッションを完了


手を振るモーガン機長とハロルド・ロッホ上部砲手


タキシングの時にすでに上にまたがっている人


ノーズから手を振る爆撃士エバンスとナビゲーター


胴部ガンナー二人


地上に降りるなり地面にキスするクルー



映画ではこれを尾部砲手の役をしたハリー・コニックJr.が再現しています。

クルーに持ち上げられて「ベル」のヒップにタッチするモーガン

37:01〜イギリス国王夫妻謁見



エンディングでは、ミッションの後の穴だらけの地面に
the endのタイトルが重なります。
どれだけ落としてるんだよ。


映画の広告はかず多く作られましたが、
このバージョンは犬のスコッティも含め、まるで全員俳優のようです。


おまけ:このシーンは不採用


続く。



最新の画像もっと見る

2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
何度も済みません。 (Unknown)
2024-02-21 18:16:34
何度も済みません。映画を観ました。機長(大尉)クラスだった頃を考えると、部下がきちんと帰って来れること以外には、何も考えていなかった気がします。

イギリスの女王様?の検閲を受ける場面がありますが、言われたから並んでいる気持ちだと思います(テキトー)生きて帰れてよかった。それしかありません。
返信する
死亡補償? (Unknown)
2024-02-20 14:23:50
>陸軍がワイラーに少佐の階級を与えたのは、年齢もあったでしょうが(当時40歳)実際戦地で危険を犯して映画の撮影をしたことに対する「功労賞」の意味合いが大きかったと思われます。

死亡補償のためだと思います。軍人なら払えますが、民間人だと払えません。

蛇足ですが、防衛省が借り上げ、自衛隊の輸送に使っている元フェリー「なっちゃんWorld」ですが、船員はほとんど元自衛官です。有事の際に、民間人を就ける訳には行かないので「予備自衛官」に任命されるはずです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3World
返信する

post a comment

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。