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「リトルロック」最後の航海〜USS「リトルロック」

2025-02-11 | 軍艦

バッファローネイバルパークのUSS「リトルロック」内展示から、
彼女自身のヒストリーを紹介しているコーナーです。

■ 第六艦隊旗艦

A DAY IN THE LIFE
ある日の一コマ
「The Rock」の上での日常生活について、私たちに教えてください。

このように書かれたパネルがありました。



これはまさにその「リトルロック」=ザ・ロックのある1日の一コマです。
UNREP、アンダーウェイ・レプレニシュメント=補給作業を行っています。

今日は、1961年以降の「リトルロック」の歴史についてです。

1961年2月9日にフィラデルフィアを出港した「リトルロック」は、
6ヶ月間、北大西洋条約機構(NATO)軍と第6艦隊の両方と行動を共にした。

1962年から1965年にかけては、第六艦隊の一員として、
条約兵器と核兵器の二重戦力として、地中海方面に定期的に巡航した。


第2艦隊の旗艦として東海岸やカリブ海での作戦に参加したほか、
北ヨーロッパ沖でNATO部隊の任務に就いた。
1966年には、オーバーホールと乗組員の再訓練が行われた。

リトルロックは、1967年1月25日に第6艦隊旗艦の任に就き、
イタリアのガエタを母港とし、3年半に及ぶ旗艦としての任務の後、
1970年8月24日に帰港した。




第6艦隊とはなんぞや。

第7艦隊が日本の横須賀に母港を置く駐留艦隊であることはご存知でしょう。

対して第6艦隊は2004年以降ヨーロッパにおける運用部隊を指し、
地中海に進入するすべてのアメリカ海軍艦隊が割り当てられ、
その旗艦はイタリアのガエタに母港を置くことが決まっています。

第6艦隊の発祥は19世紀初頭に遡ります。

アメリカ海軍がバルバリア(バーバリー)海賊と交戦し、
商船の警備を行うようになって以来、
アメリカは地中海に海軍を常駐させるようになりました。

(ここでちょっと豆知識ですが、アメリカが海軍を設立した直接の理由は、
独立戦争後、バルバリア海賊の脅威に対抗するため
でした)

初期の派遣艦隊は「地中海艦隊」と呼ばれていたそうです。
これがのちに「ヨーロッパ艦隊」となり、「第6任務艦隊」となります。

同艦隊は、第一次世界大戦時の艦隊はバルカン半島と中東諸国の平和維持、
第二次世界大戦中はイタリアへの上陸作戦支援などの任に就きました。

戦後、その規模は縮小されましたが、1946年以降、
ソ連の脅威に備えるため、東地中海に戦艦「ミズーリ」が派遣され、
その後、第6艦隊として現在も展開が継続されています。

第6艦隊旗艦を務めるのは歴史的に軽巡洋艦の役目で、「リトルロック」は
1961年、1963年、1964年、1967年、1974年と5回旗艦を務めました。

旗艦の任務期間は6ヶ月〜7ヶ月だったり、3年だったりと、
状況に応じてさまざまでした。

■ タロスミサイル搭載艦


「タロス・ファースト」

海軍と、インディアナ州ベンディックス航空会社のミサイル部門が、
700万ドルの契約で製造したタロス誘導ミサイルは、
海軍の戦略と戦術における革命的な時代の幕開けとなりました。

ギリシャ神話のクレタ島を守る半神にちなんで名付けられたタロスミサイル。

それは、タロスミサイル搭載艦隊、最初の一隻である
USS「ガルベストン」(1958年5月28日就役)の主要武器となりました。

超音速の地対空および地対地ミサイル、タロスは
海軍に長距離、高火力の防空システムをもたらすため設計されましたが、
その開発プログラムは、多くの「初めて」を生み出すことになります。

ジョンズ・ホプキンス大学応用物理学研究所の指揮の下、
「バンブルビー・プログラム」としてその開発が始まりました。

このプログラムにより実現した技術は以下のとおり。

1、
先進のラムジェットエンジン
2、
固体燃料ブースターロケットのサイズ(縮小化)と性能における新記録
3、
ラムジェットエンジンを搭載した完全制御ミサイルの初飛行
4、
短&長距離での正確さを持つデュアル誘導システム搭載の初のミサイル
5、
原子力弾頭の導入における先駆的な取り組み

また、タロスに搭載された4万馬力のラムジェットエンジンによって、
過去、爆撃機が到達可能だった最高度をはるかに上回る機位で、
水平飛行を維持することが可能となったのです。

またラムジェットはロケットよりはるかに「少食」つまり燃料が少なくすみ、
(同じ時間維持するために必要な燃料の6分の1から8分の1)
推力と速度の制御が容易である上にパフォーマンスに優れています。

タロスエンジンのこの多用途性と信頼性は、
誘導ミサイル技術における画期的な成果を実現したのです。

「 高かったIQ」



多用途のタロスは搭載された「頭脳」もたいへん優れていました。

電気機械式の頭脳によって誘導されたタロスミサイルは、
目標の「射程距離」内に入ると、近接信管が弾頭を爆発させました。

タロスは2つの「ブレイン(頭脳)システム」を持ち、その頭脳が
長距離での高火力と高精度という能力を与えていました。

一つ目のシステムは、発射機から目標地点までミサイルを誘導。

発射機から直接受信するビーム型の誘導方式であり、
レーダーから攻撃目標に関する情報を入手してミサイルを誘導します。

これをレーダービームライディング技術といいます。

第2の頭脳は「ホーミング・ブレイン」

これが標的を感知すると、ミサイルの制御は
ビームブレインからホーミングブレインへと自動的に移行します。

ミサイル発射に至るまでの過程を司る神経系である
伝達を行う回路やモジュールは、最新の技術が応用されていました。

この終末誘導段階に搭載されたのがセミアクティブレーダーホーミングです。

実験で飛ばした無人のB-17に向かっていくタロスミサイル

■ ヨーロッパ遠征中のクルーズブック



「クルーズブック」とはアメリカの高校の「イヤーブック」(卒アル)
と似ておりすべての展開が完了した時点で発行されます。

これは、乗組員の遠征中の艦上、あるいは港での日常生活などが、
写真で記録されたアルバムとなっています。

右の1969年6月9日付の艦長からのお手紙にはこんなことが書いてあります。

リトルロックの友人たちへ

前回のファミリーグラム以来、リトルロックはフル稼働のスケジュールで、
地中海とその周辺でさらに多くのマイルを記録しました。

5月の最初の1週間は、私たちの母港であるガエタで過ごしました。

そこは天候が良く、本格的な夏が到来したことを実感するように
シーズン最初の観光客がやってきたものです。

旗艦では日光浴の時間を設けたので、甲板作業中だけでなく、
誰もが太陽を満喫することができました。

「リトルロック」は5月12日にガエタを出発し、一泊停泊後に
イタリアのベニスでの公式の訪問を行いました。
これは私たちが通常予定している公式訪問より少し長い期間でした。

この港は水深が浅く、我々の艦が寄港するには懸念も多かったのですが、
現地のタグボートの助けを借りて係留することができ、
ベニスに寄港する久しぶりのアメリカの軍艦になれたことを誇りに思いました。

サンマルコ広場からわずか200ヤードのブイに停泊した我々の艦は、
滞在中、それ自体が観光名所となってアメリカ人だけでなく、
ヴェネチア観光に来ていた多くのヨーロッパ人に、
地中海におけるアメリカの存在感を印象的に示していたと思います。

ヴェネツィアでは5回以上のツァーが催され、
それは主要な名所のほとんどを網羅していました。

現地では、昨年現役訓練で乗艦したアメリカ海軍予備隊の少佐が、
(彼はヴェネツィアの美術、歴史、建築の専門家でもある)
ツァーのうち2回を手配してくれ、そのツァーで、我々は歴史的な教会、
ティントレットの絵画が展示されている「スコラ・グランデ」、
そして美しいドゥカーレ宮殿などを見学しました。


さすが最初に「友人へ」と書いてあるくらいで、
艦長からの手紙というより、イヤーブックのアルバム委員みたいな文です。

平和な時代のヨーロッパ遠征は、彼らにとって「観光」気分だったんですね。





タロスミサイル搭載艦「リトルロック」は、1973年8月から1979年9月まで、
6艦隊の旗艦として再び地中海に配備されました。

1973年にはチュニジアの洪水被害者を救助し、
1975年のスエズ運河再開通の際には最初の輸送船団の一員となり、
1976年のレバノン危機の際にはベイルートの避難を支援し、
1976年11月22日にフィラデルフィア海軍造船所で退役しました。

■ 退役



ウォレットサイズの退役証明書です。
USS「リトルロック」の退役を記念して、
対象となる乗組員全員にカードが発行されました。

これは協会会員のジョージ・ヒューム氏から寄贈されたもので、
カードには次のように書かれています。

200年退役乗組員

今こそ耳を傾けよ:

SNジョージ・ヒューム

USS「リトルロック」CG4の艦上で、バージニア州ヨークタウンから
ペンシルベニア州フィラデルフィアへの最後の巡航任務に従事した
ジョージ・ヒューム二等兵曹は、
この誇り高き艦を無事に母港に帰還させた功績を称えられ、
ここに証明書を授与されました。

ウィリアム・R・マーティンUSS「リトルロック」艦長


写真は最後の航海で登舷礼を行う「リトルロック」。
英語では登舷礼をManning the railといいます。

そして、冒頭の写真は、登舷礼で岸壁を離れる瞬間。
軍楽隊の演奏と、正装した少女に見守られて、彼女は最後の航海に出ます。

続く。