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ナバホ・コードトーカーズ〜フライング・レザーネック航空博物館

2021-11-03 | 歴史

サンディエゴの海兵隊航空博物館、「フライング・レザーネック」。
わたしがここに見学に訪れたとき、相変わらず艦内は森閑として、
わたし以外の見学客は二組程度というところでした。

その中の中年女性の見学者が、この展示の前で立ち止まり、

「ナバホ・コードトーカーじゃないの」

と言ったのには、失礼ながら少し驚いたものです。
まあ、わざわざこんなマイナーな博物館に
お金を払って見学に来ているような人なら
知っていても全く不思議ではなかったのですが。

それに、ナバホ・コードトーカーは「ウィンド・トーカーズ」というタイトルで
映画にもなっていますから、それで知ったアメリカ人も多いかもしれません。

Windtalkers (6/10) Movie CLIP - Call in the Code (2002) HD

サイパンの戦地から送られたコードトーカーの言語を
日本軍の暗号解読班が全く聞き取れないまま、
USS「カリフォルニア」はその情報をもとに艦砲射撃を行うシーンです。

「フライング・レザーネック」に展示されているのは、
ナバホ族のコードトーカーのオフィシャル・ユニフォームでした。

いくら特殊な分野とはいえ、コードトーカーもアメリカ軍兵士なのに、
これほど民族色を前面に打ち出した制服を公式採用するのは、
海兵隊の少数民族に対する敬意の表れといえるかもしれません。

真っ赤なキャップ、真っ黄色の(現地の説明にはゴールドとあった)シャツ、
これにライトカラーのズボンを合わせて着用しました。
ライトカラーは「母なる大地」を意味する色です。

また、靴の色(アバローン=アワビの内側の色)は「聖なる山々」を表しました。


着用例ですが、このおじいさんたちが着ているのは、
それに似た既製品で、おそらく自分たちで探してきたのだと思われます。
二人のシャツの色がかなり違っていますね。
このゴールド色は彼らの主食となっていたとうもろこしの花粉を表します。



これに赤い帽子はちょっと派手じゃないか?と思いますが、
赤い色そのものが海兵隊を意味しているそうです。

そしてベルトは、ファッション用語でいうところの「コンチャベルト」で、
いわゆるインディアンジュエリーの装飾が施されています。



以前、アメリカ軍が暗号として
ネイティブ・アメリカンのナバホ族の言語を使い、その言葉を喋る
ナバホ族をコードトーカーとして採用していたという話をしたことがあります。

ここでもう一度コードトーカーなるものについて解説しておきます。
それは、暗号通信手段としてあまり知られていない言語を使用するために
戦時中に軍が採用した人のことです。

コードトーカーは今日、世界大戦中に採用されたネイティブアメリカンの
サービスメンバーのこととされています。

これらネイティブアメリカンの言語はアルファベットを使わず、
さらに発音も独特で、その言語がマザータングでない者には習得は
まず不可能であるということが暗号に使われた大きな決め手となりました。

米国海兵隊は約400〜500人ものネイティブアメリカンを採用し、
秘密の戦術メッセージを送信する仕事をしていました。
コードトーカーは、それぞれの部族の言語に基づいて開発されたコードを使用し、
軍の通信システムを介してメッセージを送受信しました。
第二次世界大戦の最前線における通信で、コードトーカーは
暗号化の速度をおおきく改善したと言われます。

■ ナバホ・コードトーカー

前回お話ししたときはナバホコードについてだけ取り上げましたが、
海兵隊の何百人ものコードトーカーの出自はひとつではありません。
その中で主流となったのは、
コマンチ族、ホピ族、メスクァキ族、ナバホ族
といった部族です。

【ナバホ】Navajo

ナバホ族のコードトーカー、サイパン、1944年6月

海兵隊にナバホ語を暗号として使用することを提案したのは、
ロサンゼルス市の土木技師であるフィリップ・ジョンストンという人物です。

ジョンストン

第一次世界大戦のベテランであるジョンストンは、
ナバホ族の宣教師の息子としてナバホ族居留地で育ちました。
彼はナバホ語を流暢に話した数少ない非ナバホ人の一人でした。
真珠湾攻撃が起こると、多くのナバホ族の男性が軍に協力を申し出ました。

ナバホ語の文法は大変複雑で、同族内の最も近い親戚でさえ
言葉を相互に理解することはできないそうです。
あまりに複雑なので方言も含めると第二次世界大戦の勃発時、
言語を理解できた非ナバホ族の数は30人未満だったというくらいです。

しかも当時、それはまだ文章として書かれたことのない言語であり、
ジョンストンはナバホ語が解読不可能なコードとして
軍事的な使用に耐えると考えたのです。

大東亜戦争開戦直後は、日本軍はアメリカ軍の暗号をたやすく解読していました。
「暗号学」はありませんでしたが、アメリカ国内で学問をしたり住んでいて
それなりに文化について理解をしていたこともその糸口となったのです。

アメリカ先住民族の言葉は日本人には全く馴染みがなく、
想像もつかないということは、解読されにくいということです。

しかしこれは画期的という前に実に皮肉な思いつきでした。 
人種隔離が公然と行われていた当時のアメリカでは、
政府や宗教団体が運営する寄宿学校でも、当たり前のように
先住民の同化政策に基づき、伝統的な部族の言語で話した学生を
規則違反で罰するようなことが行われていたからです。

1942年、ジョンストンは、ナバホ族の男性を伴って海兵隊指揮官と面会し、
当時の暗号機で30分かかる暗号の送信と解読を 
ナバホ族がわずか20秒でできることを示しました。

これで海兵隊はコードトーカーとしてナバホ族を採用することを決定します。
最初の29人はキャンプペンドルトンでナバホコードを作成しました。

彼らは英語のアルファベットの各文字に彼らの言語からの単語を使用し、
単純な換字式暗号を使用してエンコードおよびデコードします。
コードトーカーたちは、

ナバホ語には存在しない単語を存在する単語に置き換える
さらにそれをナバホ語に翻訳して暗号にする


という段階を踏んで、解読されにくい置換暗号を作りました。
たとえば、

BATTLESHIP(戦艦)→ WHALE(鯨)→ LO-TSO
AIRCRAFT CARRIER
(空母)→BIRD(鳥)TSIDI-MOFFA-YE-HI

MINESWEEPER
(掃海艦)→BEAVER(ビーバー)CHA

SUBMARINE
(潜水艦)→IRONFISH(鉄の魚)BESH-LO

DESTROYER
(駆逐艦)→SHARK(鮫)CA-LO

と言った具合です。
また、Cを表すのに、CATの猫を意味するMOSSI、
Aを表すのに「アリ」を意味するwo-la-cheeが使われるというように
アルファベットを言い換える方法も編み出されました。

ナバホ・コードトーカーは、その技術、速度、正確さに定評がありました。
硫黄島の戦いでは、戦闘最初の2日間、6人のナバホコードトーカーが
24時間体制で任務を行い、800を超えるメッセージを送受信しましたが、
エラーは一度たりとも発生しませんでした。

この時の信号隊司令は、後に、
「ナバホがいなかったら、海兵隊は硫黄島を占領することはなかっただろう」
と語っています。



■第一次世界大戦のコードトーカー

さて、コードトーカーの歴史は第一次世界大戦からすでに始まっています。
その頃のコードトーキングは、チェロキー族とチョクトー族が採用されました。


【チェロキー】
米国第30歩兵師団のチェロキー兵士に、第2次ソンムの戦いで
メッセージを送信する仕事が割り当てられています。

【チョクトー】
第一次世界大戦中、米陸軍第36歩兵師団の中隊長が、
チョクトー族の二人の兵士の会話を耳にしたのがきっかけです。
その後大隊には8人のチョクトーの男性がいることがわかり、
彼らにチョクトー語で暗号通信する任務が与えられました。


チョクトー・コードトーカー

1918年10月26日、彼らが投入されると戦闘の流れは24時間以内に変わり、
72時間以内に連合国は総攻撃を開始しました。

■第二次世界大戦アメリカのコードトーカー

第二次大戦では上記の部族以外にも、
ラコタ、モホーク、コマンチ、トリンギット、クリー、クロウ
のコードトーカーが太平洋、北アフリカ、ヨーロッパに配備されました。

【アシニボイン】Assinibboine
アシニボインはアメリカ北部からカナダ南部の先住民族です。
アシニボイン族のコードトーカーの1人、ギルバート・ホーン・シニア
その後裁判官および政治家になりました。

ホーンsr

【バスク】Basque
バスク地方という言葉をお聞きになったことがあるでしょう。
フランスの地方ですが、ここに住む人々(全部ではない)と、
スペインのバスク県に住む人、そしてアメリカでは
バスクの祖先を持っているとする人々のことで、
国内に5万7千人ほどいるそうです。
アメリカのバスク人はヒスパニック系が大半です。

彼らは海兵隊によってサンフランシスコに集められ、
バスク語のコードトーカーとして訓練を行いました。

ただし、バスク族と遭遇する地域、ならびに
バスクイエズス会が布教をしている地域(広島県も相当する)
を避け、ハワイとオーストラリアで任務を行いました。

彼らが行った有名なミッションは、
1942年8月1日、サンディエゴからチェスター・ニミッツ提督宛に、
ソロモン諸島から日本軍を排除する「アップル作戦」について
バスク暗号を送信したことです。
暗号にはガダルカナルへの攻撃開始日である8月7日も記されていたとされます。

しかし、戦争が進むとバスク語を理解する人が多くなり、
(侵攻した地域が広がったという意味です)
コードトーカーの主流はナバホ族になりました。

【コマンチ】Comanche
ドイツ当局は、第一次世界大戦中のコードトーカーについて知っていました。

これについて驚くべきは、ヨーゼフ・ゲッベルスが
「ネイティブアメリカンはアーリア人の仲間である」
と宣言したことです。

ドイツは第二次世界大戦の勃発前、ネイティブアメリカンの言語を学ぶために
30人の人類学者のチームを米国に送ったのですが、
さすがのドイツ人学者も方言を含む部族言語のあまりの多さに、
その採取は難しすぎてうまくいかなかったようです。

にもかかわらず、アメリカ人の「ドイツコンプレックス」だったのか、
これらの試みが行われていたことを知った米軍は、
ヨーロッパでのコードトーカープログラムを控えめにしました。

ドイツ人ならそれでもなんとかしたのでは?という疑心暗鬼というか、
彼らを必要以上に買いかぶっていたのかもしれませんね。

それでもノルマンディ侵攻には14名のコマンチ兵士が参加しています。


ヨーロッパの第4歩兵師団信号隊のコマンチコードトーカー14名

彼らが編纂したコマンチコードでは、母国語にない言葉は
戦車=カメ 爆撃機=妊娠中の鳥 マシンガン=ミシン
アドルフ・ヒトラー=狂った白い男
と置換されました。

1944年6月6日に上陸部隊がユタビーチに着陸した直後、
コマンチ族はメッセージの送信を開始しました。
被害は負傷者のみで死者は出ませんでした。

1989年、コマンチのコードトーカーは仏政府から国家功労勲章のシュヴァリエを、
1999年、米国国防総省よりノウルトン賞が授与されています。

【クリー】Cree
クリーはカナダとアメリカの先住民族です。
第二次世界大戦でカナダ軍はクリーをコードトーカーに採用しました。
しかし、秘密の任務すぎてその実態は謎に包まれていました。
2016年に製作されたドキュメンタリー、Cree Code Talkersによって、
「最後のクリーコードトーカー」”チェッカー”トムキンスが紹介されました。


トムキンス

【メスクワキ】Meskwaki
第二次世界大戦中、米陸軍は8人のメスクワキ族の男性に
部族語であるフォックス語をコードとして使用するように訓練し、
彼らは北アフリカの戦地に割り当てられました。

【モホーク】Mohawk
モホークのコードトーカーは、モホーク語派生であるカニエンケハを使用して
暗号の送信にあたりました。
モホークの最後のコードトーカーであるリーヴァイ・オークスが亡くなったのは
2019年5月のことです。

リーヴァイ・オークス


【マスコギー/セミノール】Muscoge/Seminole
マスコギ族、セミノール族という少数民族からも
コードトーカーが採用されました。
セミノール族のコードトーカー、エドモンド・ハーホ(Harjo)も、
ヨーロッパ戦線で母国語の歌を歌っている同族の兵士と出会い、
話をしているところを見た上官が通信係に採用する、
という経緯でコードトーカーになった人物です。
彼は最後のセミノール・コードトーカーとして2014年3月31日、
96歳で亡くなりました。

こうしてみると、コードトーカーだったネイティブアメリカンの皆さん、
随分と皆長寿であったように思われますね。

【トリンギット】tringit
愛知県のリトルワールドにはなぜかトリンギットの家が復元されているそうです。
(それがどうした情報)

リトルワールドのトリンギット族住居

対日戦における暗号要員として、トリンギット族も採用されました。
わずか五人しかいなかったため、コードトーカーの機密解除と
ナバホコードトーカーの公開後も、彼らについては謎のままでしたが、
亡くなった5人のトリンギットコードトーカーの記憶は、
2019年3月にアラスカ州議会によって表彰されています。

■コードトーカーの実態と戦後

基本的にコードトーカーは、ペアで軍隊に割り当てられました。
戦闘中、1人が携帯ラジオを操作し、2人目が母国語でメッセージを
中継、および受信して英語に翻訳するという形です。

日本軍はまず将校、衛生兵、通信兵を標的にしましたから、
メッセージを送信しながら動き続けなければならないコードトーカーは
狙われやすく、大変危険な任務でした。

しかし、何百人ものコードトーカーが危険を冒して行った任務は
第二次世界大戦での連合国の勝利に不可欠なものでした、
D-Day侵攻中のユタビーチ、太平洋の硫黄島など、
いずれも彼らの働きがなかったら成功しなかったとされています。

また、ナバホ族の外見が日本人と似ているので、捕らえられた兵士
(彼はコードトーカーではなかった)が、
日系二世の「裏切り者」として酷い目に遭ったという話を前にもしましたが、
彼らが日本人と間違えられ、アメリカ兵に捕らえられるという事件が起こった後、
コードトーカーの何人かはボディーガードを割り当てられました。

つまり、アメリカ兵からの誤解による攻撃を防ぐためです。

「ウィンドトーカーズ」を見るまでもなく、ナバホコードは
戦争が終わるまで解読されることはなく、
ナバホコードはいまだにUnbreakable cordとされます。

ナバホ族のコードトーカーの存在は戦争中はもちろん、 1968年に
機密解除になってからも秘匿されていました。

コードトーカーを必要とする場面が(冷戦で)今後起こるかもしれず、
プログラムを温存したままにしておきたいと考えたからです。

1968年になってコードトーカープログラムが機密解除されたあとも、
コードトーカーが世間に認識されることはありませんでした。
初めて議会の金メダルがナバホ族や他のコードトーカーに与えられたのは
2001年になってからのことです。

■それ以外のコードトーカー

【ウェールズ】
第二次世界大戦中、イギリス空軍がウェールズ語を使用する計画を立てましたが、
実行されないまま終わりました。
1991年から始まったユーゴスラビア紛争で、
重要でないメッセージのために使用された例があるそうです。

【温州】
中国は1979年の中越戦争の間、温州語を話す人々を
コードトーカーとして使用しました。
温州地方の方言は発音が非常に難解として有名で、中国には
「天も恐れない、地も恐れない、ただ、温州人の話を聞くのが恐ろしい」
などという言い回しがあるくらいだそうです。

【ヌビア】Nubian
1973年のアラブ・イスラエル戦争では、エジプト軍がヌビア人を
コードトーカーとして採用しました。
ヌビアはエジプト南部アスワンあたりからスーダンにかけての地方です。

■ ナバホコードトーカー、サミュエル・ツォシー

さて、ここであらためて、フライングレザーネックに展示されている
ナバホ・コードトーカーの制服を見てみましょう。


左肩のパッチはコードトーカーが所属していた海兵隊の大隊で、
赤い『1』の中にガダルカナルと書かれています。
シルバーのバッジの右側は海兵隊の印、
左側は彼がライフルのエキスパートであることを表します。



制服にナバホ族のジュエリー をあしらうのが正式だったんですね。
このジュエリーは、「神の子」を表します。

そして右胸の名札に、制服の持ち主であった
サミュエル・ツォシー1世(Samuel Tsosie Sr.)
の名前が書かれています。


若い頃の片岡鶴太郎似

サミュエルはでアメリカ海兵隊に入隊しようとしたとき16歳で
19歳という募集年齢が達していなかったため、
親に内緒で母親のサインを偽造したという「つわもの」でした。

戦争中はガダルカナル、タラワ、ペリリュー、サイパン、
グアムそして沖縄と、太平洋のあらゆる主要な戦いで通信兵として勤務。
その間、激しい空戦や神風特攻隊を目撃し、
一度は近くで爆弾が破裂して気を失ったこともあったといいます。

戦後サミュエルはなお2年半海兵隊に所属しましたが、
その後名誉除隊しました。

彼は制服を寄贈した時、実際に当博物館を訪れたようですが、
2014年に89歳で亡くなりました。


近年のアメリカ政府がコードトーカーに対して与えた
認定証などについて列記しておきます。


1982年、レーガン大統領からコードトーカーに認定証が授与され、
1982年8月14日を「ナバホ・コードトーカーズ・デイ」とした



2000年、クリントン大統領が公法に署名し、
ナバホコードトーカーのオリジナルメンバー29名に議会金メダルを
コードトーカーとしての資格を持つ約300名に銀メダルを授与した


ここにはその時の銀メダルが展示されています。
メダルには、太平洋の戦地で任務を行う二人のコードトーカーが刻まれています。

2001年、ブッシュ大統領は4人のオリジナル・コードトーカーにメダルを授与

2011年、アリゾナ州が4月23日をホピ族のコードトーカーの認定日に制定

2007年テキサス州が18人のチョクトー・コードトーカーに、
テキサス勇気勲章が授与

2008年、ブッシュ大統領がコードトーカーズ認定法に署名
第一次世界大戦または第二次世界大戦中に米軍に従軍した
すべてのネイティブ・アメリカンのコードトーカーを対象とする



ナバホコードトーカーの配備は、朝鮮戦争中とその後、
ベトナム戦争の初期に終了するまで続きました。

ナバホコードは、解読されたことのない人類史上唯一の軍事コードです。

続く。




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1 Comments

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火力支援要求 (Unknown)
2021-11-04 06:55:11
コードトーカーが行う通信は、いわゆる「火力支援要求」(敵味方が対峙している前線で、どこそこにいる(座標)敵がどのような目標(車両とか人員、物資の集積地等の種別)で、それに対して、どのような火力(艦砲射撃なのか、陸上にいるりゅう弾砲なのか等)を何発撃てという指示)なので、迅速確実が要求されます。

コードトーカーを導入する前には、通信文を暗号化していたというのは、ちょっと?な気がします。というのは、そういう場面だと、当然、敵からバンバン撃って来る訳で、通信文を綴るので精一杯で、暗号化するような余裕はないし、映画で見ていても、通信兵と指揮官だけで暗号兵(普通、通信文を起案するのとは、別の人が暗号化します)はいないように見えます。

よく戦争映画であるのは、新任の小隊長が敵の砲撃で泡を食って、敵の座標を伝えなきゃいけないところを間違って、自分の座標を伝えてしまい、自分達の陣地にどんどん味方の弾が飛んで来るというのがあります。

今はディジタル化等の手法で、通信内容を秘匿化し、たとえ傍受出来ても、雑音にしか聞こえないようにしています。なので、通信兵は普通の言葉を話しており、通信文自体は暗号化されていません。

陸上自衛隊の富士総合火力演習で、りゅう弾砲や迫撃砲の射撃の前に「中隊。効力射」とか「富士山」をやる時に「TOT射撃」とか言っているあれです。海上自衛隊で射撃をやる時には、間違えないように音節毎に区切って言えと教えるのですが、陸上自衛隊は早口で、流れるように言います。いつも、よくあれで間違えないなぁと感心しています。
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