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偵察衛星の「隠れみの」だったディスカバラー計画〜スミソニアン航空宇宙博物館

2022-04-25 | 博物館・資料館・テーマパーク

当ブログのスミソニアン博物館の空中軍事偵察の歴史を扱った
「ザ・スカイ・スパイズ」 シリーズが終わって久しいわけですが、今回
このディスカバラーXIIIなるなにやら装置満載のお釜について調べていて、
これがかつては「スカイ・スパイズ」シリーズの一環だったことがわかりました。

昔のスミソニアンの資料を見ると、明らかにこれは偵察機器としての扱いで、
しかも他でもないスカイスパイズのコーナーにあったんですから間違いありません。


ところが今現在は、グラマンの「マイルストーン」展示の、
宇宙開発的なコーナーにあるわけです。
隣のモニターではX-15のテスト飛行の映像などを繰り返し放映し、
後ろには「パイオニア」と「パーシングII」ミサイルが聳え立っております。

理由はわかりませんが、このお釜がいつのことなのか、グラマンに
「マイルストーン」認定されて展示方法が変わったのだとしか理解できません。

■ ディスカバラー(Discoverer)XIII

ディスカバリーではなく、DISCOVERERです。
皆さんもあまり聞き覚えがないかもしれません。

ディスカバラー衛星計画は、実は今日に至る
「宇宙からのスパイ(偵察)」時代の嚆矢となった軍事作戦でした。

なるほど、この展示が「スカイスパイズ」にあった訳がわかりましたね。

「ディスカバラー」。

それは高度に分類されたアメリカ空軍とアメリカ中央情報局、CIAが計画した
「コロナ偵察衛星プログラム」の初期に使用された「カバーネーム」でした。

そして、ここにあるDiscoverer XIIIカプセルは、
「打ち上げ軌道から回収されたアメリカ最初の人工物」
として、ここマイルストーン展示にふさわしいとされたのでありましょう。

多分ですけど。


 1960年8月11日。
アメリカ海軍は、ハワイ北部の太平洋上から、カプセルカバー、パラシュート、
そしてディスカバラーXIII再突入カプセルを回収しました。

再突入カプセル(Reentry Capsule・リエントリーカプセル)とは、
宇宙飛行後に地球に帰還する宇宙カプセルの部分のことを言います。

カプセルの形状は空気抵抗が少ないため、最終的にはパラシュートで降下し、
陸上や海上に着地するか、航空機に捕獲されます。

「ディスカバラー」とは、極秘プロジェクトだったコロナ光偵察衛星の愛称でした。
ディスカバラーXIIIには、カメラやフィルムは搭載されておらず、
カプセルの中には診断用の機器しか入っていません。

しかし、1週間後の「ディスカバラーXIV」からは、カメラとフィルムを搭載し、
なんとその後、1972年5月のコロナ計画終了までに、
120機以上のコロナ衛星が、ソ連や中国などの撮影に成功しているのです。


この前日、バンデンバーグ基地から打ち上げられた
人工衛星「ディスカバラーXIII」は、空軍のC-119によって空中で回収されました。

航空機の後ろに見える空中ブランコのような装置には、
カプセルのパラシュート索を引っ掛けるためのフックがいくつも付いています。

C-119の愛称は「フライング・ボックスカー」
「ボックスカー」という名前に日本人ならピンときてしまうわけですが、
あちらは爆撃機で、こちらはフェアチャイルド社製造の輸送機です。

双銅の、P-38を思わせるような独特の機体で、ボックスカーの意味は
有蓋の貨車なので、あまり深い意味はなかったのだと思います。


■冷戦と偵察

1950年代、アメリカとソビエト連邦の冷戦が深まるにつれ、
アメリカ人のソ連に対する警戒感はますますひどくなっていきました。

海の向こうから伝わってくる共産主義国家特有のプロパガンダもさることながら、
この秘密主義の巨大国家の軍事力に対して実質的な情報が全くなかったことも、
この恐怖を増大させたと言っていいでしょう。

そこでアイゼンハワーは、鉄のカーテンの向こう側の有益な情報を提供するため、
ソ連領上空の写真を撮影する新しいシステムの開発を許可したのです。

アメリカ初の人工衛星計画

この命令によって開発されることになったシステムのひとつが
コードネーム「アクアトーン」Aquatoneでした。
当ブログでもお話ししましたが、防空システムの届かない上空に
高高度偵察機U-2を飛ばして、偵察撮影するという計画です。


犠牲者も出た

これは確かに多くの成果を得ましたが、国際法違反であった上、
当初からソ連のレーダーとミグ戦闘機に追尾されていたので、
結局1960年までソ連領内での20数回のミッションしか行えませんでした。

そこで次の新しい計画として、偵察衛星を飛ばすことを考えました。
軌道上からソ連の詳細な画像を送ることができる衛星の開発です。



1956年7月までに、秘密の高度偵察システムの開発計画が承認されました。
これは、あの失敗計画、バンガード計画が緒につく2ヶ月前だったといいます。

これは偶然でしょうか。
そんなわけありませんよね。

この計画は、秘密だったとはいえ、国家初の衛星計画だったってことです。

というわけで、U-2を製造したロッキード社が開発を受注したのですが、
予算はというとたった300万ドル(現在の金額で約2800万円)。
まあ、やる気がないというわけではないが優先順位は低かったってことですね。

その後企画開発は粛々と進められ、フィルムを露光し、軌道上で現像し、
その後スキャンして地球に送信するシステムを開発しました。🎉

信号情報パッケージ、後にミサイル発射を探知するための赤外線センサー、
スピン安定化写真システム(これってもしかしてジンバル的な?)も研究されます。
小型の帰還カプセルの中に露出したフィルムを戻すという方法も開発されました。


打ち上げはソーThor)中距離弾道ミサイル(IRBM)を使います。

IRBM「ソー」は、ダグラス・エアクラフトの製造です。
核弾頭を2,600kmの範囲に飛ばすことができる兵器システムで、
全長約18.6メートル、底面の直径2.4メートルの大きさです。

エンジンはロケットダイン社のMB-3パワープラントを搭載。
ケロシンのロケット推進剤と液体酸素(LOX)を燃焼させて推力を発生させます。

ロケットは3段式で、ソーの上に、バンガードロケットの2段目を改造して搭載。
第3段はスピン安定化型X-248ロケットモーター、エイブルで、
これも海軍がヴァンガードロケット用に開発したものでした。

この仕組みは1958年に最初のパイオニア探査機を月に打ち上げるために採用され、
後にNASAのデルタロケットの基礎となっています。

しかしながら、計画が遅々として進んでいないらしいことが明らかになりました。
というのも、あの「スプートニク・ショック」による不安と、
秘密であるはずのこのプロジェクトをどこでかぎつけたのか、マスコミがこれを
「空のスパイ」(Spy in the Sky)
などと呼び始め、プロジェクトの安全性が懸念されるようになったのです。

そこでアイゼンハワー政権は、思い切った行動を取らざるを得なくなります。

偵察衛星の開発を加速させると同時に、上空からの偵察という
微妙なテーマに関する世論の議論を避けつつ計画を軌道に乗せるために。

コロナ計画誕生

「プロジェクト・コロナ」と名付けられたこの計画で、
ロッキード社は、この小規模で集中的な取り組みの契約を継続し、
カメラの下請けにはフェアチャイルド・カメラ&インスツルメント社
帰還カプセルやSRV(衛星再突入車)の開発には
ゼネラル・エレクトリック社が選ばれました。

この後の開発についての詳細は省きますが、注意したいのは
この時に開発された推進システムなどは、のちの宇宙開発プログラムに
そのまま採用されたりすることになります。
「アジェナA」と呼ばれる推進システムもその一つでした。

フェアチャイルド社の開発したカメラは、近地点約190kmの軌道から
衛星の地上軌道に対して、垂直方向に70°の範囲を
最大12mの解像度で撮影することができるものでした。

70mm判のアセテートフィルムが露光されると、
スタック最上段のSRVに送り込まれ、地球に戻されるという仕組みです。


SRVの大きさは直径83cm、高さ69cm、質量約135kg。
お椀の外側は、再突入時の熱シールドとして、アブレーション材で覆われています。



内部には金メッキを施した「バケツ」があり、
積荷のフィルムから熱を反射させる効果があります。

大気圏に再突入すると、パラシュートが開き、最後の降下が行われます。
有人カプセルと同様、機器の安全を考えた場合、水中で回収したいのは山々ですが、
懸念される可能性もありました。

アメリカ海軍よりもソ連の潜水艦の方が先に
ペイロードを拾ってしまうことです。

そこでこれを避けるために、空輸による回収が提案されたのでした。
フェアチャイルド社のC-119「フライング・ボックスカー」貨物機に
特殊なブランコ状の装置をつけて、降下するSRVのパラシュートを引っかけ、
内部にウィンチで運ぶという方法です。


問われるパイロットの操縦技術

コロナ計画は(アメリカがコロナをCOVID-19としか呼ばないわけがわかりますね)
アメリカ政府の最高機密とされ、1960年代を通じて、
冷戦における二大国のパワーバランスを維持するのに役立つ、
最重要の情報をアメリカの政策立案者に提供し続けていました。

それにしても、どうしていまだにその名前に認知度がないのか、
ほとんどの人がこれまで一般のニュースや印刷物で見たことがないのかというと、
それは、事柄上、国家最重要機密として長年その存在は秘匿されていたからです。

計画に投入された費用は、こちらは広く広報されたアメリカの宇宙計画に
匹敵するだけの額だったと言いますが、にもかかわらず、
1995年に当時の大統領ビル・クリントン政権がその機密を解除するまで、
アメリカ国民はその事実を知りませんでした。



1960年、アイゼンハワー大統領と二人の空軍将校が、
ホワイトハウスで行われた式典で回収されたカプセルを見学しています。

一般に向けては、カプセルは科学衛星ディスカバラーシリーズの計画の一部、
という報道がなされ、その真の使命については知らせていない、
ということをおそらく大統領はこの時報告されたと思われます。

それにしても、何も知らないでこの写真を見たら、
まるで大きな金だらいかカレーを作る鍋みたいですな。


金メッキが施された再突入カプセルは、宇宙の軌道から戻ってきて回収されます。
この段階で、上部ロケットステージと熱シールドはどちらも投棄されています。

その後パラシュートを開いたディスカバラーXIIIは海に落下し、
ヘリコプターによって引き揚げられました。

これ以降のモデルは海に落ちる前に空中でキャッチされるようになっています。



スミソニアンのカプセルはゼネラルエレクトリック社製。
カプセルが用済みとなった1960年に米空軍からNASMに寄贈されました。

もしソ連がそれをおこなっていなければ、史上初めて
軌道上から回収された人工物として、このマイルストーンコーナーにあるわけです。
本コーナーでのキャッチフレーズは、

"ディスカバラー衛星計画は、今日まで続く
宇宙からのスパイ時代の幕開けとなった"


初期の偵察衛星に搭載された写真システムは、いちいち地球に戻し、
実験室で電子的に現像しなけれなならないフィルムを使用していました。
現代の衛星では画像を送信することができるので、
衛星はその分長く軌道に留まって多くの画像を取得できます。



この写真は、ソ連のチュラタム発射基地をアメリカの偵察衛星が撮影したものです。
これはディスカバラーXIIIの成功以降に開発された衛星でした。

赤い線が付けられている部分には2本の避雷針と、
ロケットは発射台の上に白い形で確認することができます。
それに挟まれた巨大なN-1が写っています。

早朝なので長い影が地面に写っており、その存在がよくわかります。



■初めて宇宙に打ち上げられた星条旗

実は、ディスカバラーXIIIカプセルの中にはアメリカ国旗が搭載されており、
この軌道上から回収された人類初の物体に密かに格納されていた米国旗は、
1960年8月15日にホワイトハウスで行われた式典で公開されています。



「大統領、このカプセルの中には、多くの遠隔測定装置や科学機器、
そしてもう一つパッケージがあります」

右から2番目のアメリカ空軍参謀長、トーマス・ホワイト元帥は、
アイゼンハワー大統領に今こう言っているところです。

「アメリカ国旗です」

ディスカバーXIII再突入カプセルに入るように慎重に折られた
幅90、高さ61センチのアメリカ国旗は、
こうして軌道上から戻った最初の宇宙記念品となりました。


アイゼンハワーは、広げた旗を手に取りながら、礼と共に

「この旗がすべてのアメリカ人の目に触れて、この偉大な業績を
思い起こすことができるような場所に置かれるよう努力するつもりです」

と約束しましたが、残念ながら事柄上公にしにくい任務だったこともあってか、
1961年のアラン・シェパードの弾道飛行の時の星条旗が「宇宙初」となり、
すっかり忘れられていました。

この旗は確かに、史上初めて軌道上から回収されたものですが、
「初めて飛行したもの」ではありません。

その理由を説明します。

先ほども申し上げたように、ディスカバラー計画は、CIAと米空軍による
一連のコロナ偵察衛星(軍機密任務)の公的な隠れ蓑でした。

そもそも再突入カプセル「ディスカバラーXIII」は、次の打ち上げから始まる
宇宙からのフィルムリール返還のために開発されたものだったのです。


ロッキード社の先行開発部門「スカンクワークス」で働く人々にとっては、
いくつかのカプセルのうちどのフライトが最初に成功するか知る由もありません。

つまり、ディスカバーXIII以前、太平洋から回収されるまでに打ち上げられ、
失われたいくつかのカプセルにも、実は国旗が仕込まれていたのでした。

これは単なる偶然なのですが、、ディスカバラーXIIIのミッションは、
ハワイがアメリカ合衆国50番目の州になったことを記念して
50星の米国旗が初めて公式に掲げられた直後に行われました。

そして、ディスカバラーXIIIが初めて地球を周回して無事に戻ってきたので、
その内部に収められた米国旗が「最初に軌道から帰還した国旗」となったのです。

あくまでも偶然だったのですが。

五十個の星がついたばかりの国旗がこのような快挙となったことを
アメリカ上層部はラッキーな偶然と考えました。
ホワイト元帥はアイゼンハワーに向かって、

「この旗が49番目の州(メリーランド)上空宇宙空間の軌道から放出され、
50番目の州であるハワイの近辺で回収されたことは、重要なことです」

と胸を張りました。

この後、アメリカの宇宙ミッションでは、カプセルに記念品を入れて
飛行させるという公式・非公式な伝統が生まれました。

その後のディスカバラー(コロナ)の飛行では、いつの間にか
打ち上げチームのメンバーが無許可でコインやらニッケルやらを勝手に乗せ、
それが後から発見されるという由々しき事態が相次いだため、
ワシントンは現場に、記念品打ち上げの習慣を止めさせる責任を課す
厳しい言葉のメッセージを送った、と記録には記されているのだとか。


スミソニアン博物館には、マーキュリー7の一人であるアラン・シェパードが、
自分でも知らないうちに、マーキュリーカプセルに混入していた?
(というかすっかり忘れていたらしい)アメリカ国旗が所蔵されています。

シェパードは何の気なしに星条旗を丸めて船内の配線の束に貼り付けていて、
それは着水した後のカプセルから発見されました。

「1961年5月5日、米国初の有人宇宙飛行としてNASAの宇宙飛行士
アラン・B・シェパードが15分間の軌道下飛行に同行したこの旗は、
米国で初めて宇宙に飛び立った旗らしい


と、スミソニアンは記述しています。
これは間違いで、つまり初めて宇宙に飛び立った旗というのが、
ディスカバラーXIIIの国旗であることは皆さんもうお分かりですね。

でっていう話ですが。


続く。



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1 Comments

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3億円? (Unknown)
2022-04-26 05:44:41
>300万ドル(現在の金額で約2800万円)

1ドル100円換算で3億円?

大規模システムの開発の場合、いきなり作り出すのではなく、最初は設計構想を提出させ、それを見た上で実際の設計に入ることが多いので、初回の契約は少額の事が多いです。
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