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キャデラック オブ ザ フリート(艦隊のキャデラック)〜USS「エドソン」

2023-12-30 | 軍艦

USS「エドソン」の艦内ツァー、続きです。

■ガンマウント キャリアルーム


このコンパートメントは艦の主砲の 1 つの真下にあります。
ここにある機械で、下の弾倉から銃架まで弾薬を輸送するのです。

USS 「エドソン」の砲は全自動ですので、
必ずしもオペレーションのために人力は必要ないのですが、
通常、「エドソン」では有人で運用されていました。



全体的に大きすぎて全体像が掴みにくいですが、
ここからマウントに弾薬が送られていくということです。

一つのマウントは 2 人の乗組員によって管理されていました。

そのうちの1人はオブザーバー

オブザベーションバブルという位置に座ってオペレーションを監視しますが、
必要があれば、そこからサイトをのぞいて発砲することができました。

もう一人は、装置から瞬時も目を離さず、
すべてが適切に機能しているかどうか確認するためにそこにいました。

砲架搭載室自体は 2 名の乗組員によって管理されていました。
そのうちの 1 人は、機械が正しく動作することを確認する安全監視員であり、
砲台運搬室のもう一人は砲長です。

砲長は銃のすべての機能を監視できる特別なコンソールの後ろに座り、
緊急の場合には自分の位置から砲を制御することもできました。

マガジンの担当は9名で行います。
彼らの仕事は銃の機械式装填装置に装填することでした。

ローダーは 2 つのスチール製ドラムで、
リボルバーのドラムのように機能します。
各装填手は 1 丁の銃に 20 発の弾薬を装填しました。

■ダメコン鬼十則


「鬼十則」なんていうブラック企業チックな言い回しが
アメリカにあるのかどうかはわかりません。
とりあえず10のルールなのでそう表現してみましたが、
キリスト教国ではむしろ「十戒」が適当かもしれません。

ダメージコントロール’十戒 ’

1. 諸君の艦を防水状態に保て

2. 素材の状況に違反(Violate)するな

3. 重大な損傷にも耐える艦の能力を信じよ

4. たとえ暗闇の中でも、自分の進むべき道を把握せよ

5. ダメコン用具の使用方法と維持方法を熟知しておけ

6. 損害状況を最寄りのダメコンステーションに報告せよ

7. 個人物品は常に適切に保護しておくように

8. 日頃から人的損害発生時の対応について訓練しておく
自分自身を守ることが諸君の艦を守ることにつながる

9. 少しでも希望ある限り、艦を救うためにあらゆる手段を講じよ

10. 冷静であれ(Keep Cool;)決して艦を諦めるな!



ここでさらに下の階への階段が現れました。


かつては水兵用のコンパートメントだったのだと思いますが、
今は戦争博物館のようになっています。


下の階(おそらくエンジンルーム)に続く、
垂直のラッタルのハッチがありましたが、もちろん使用禁止です。
っていうか、これどうやって降りていくんだろう。


それはともかく、この周辺の展示は、おそらく地元出身のベテランの
戦歴に基づいて展開されているらしく、ガダルカナルの戦いでした。

写真の男性、ジョン・ミールケさんという方ですが、
かつて海兵隊でガダルカナルでの戦闘に参加しています。

パトリック・K・オドネル著「イントゥ・ザ・ライジング・サン」より

約 300 人の海兵隊員が小さな丘の側面にせまっていた。
馬蹄形の戦線はヘンダーソン飛行場前の最後の防御陣地だった。

ジョン・ミールケは彼らの最後の抵抗を思い出す。
 
「私たちは集まって尾根の逆斜面に陣地をとっていました。
尾根のふもとのあたりでは、空挺部隊数名が任務から離れており、
私たちは集まって尾根の逆斜面に陣地をとっていました。

その時、彼らの中に一瞬パニックが起こりました。

基部の周りで、何人かの空挺部隊がその位置から退却していました。
彼らは口々に合言葉を叫んでいました。
パニックに陥ることより恐ろしいことはありません。

そして彼らは前進していきました。

彼らに対して申し訳なく思いましたが、私自身は怖くありませんでした。
幸いなことに、彼らは(士官の命令によって)方向転換しましたが、
その多くは穴に戻り、そこで死亡しました。
 
しかし士官たちは


『銃撃を続けろ!そこから上がれ!』

といい続けました。・・・・」
 

戦いの行われた尾根に立つ海兵隊員

600名からなる日本軍が何度も奪還しようとしたヘンダーソン飛行場。

尾根の高台の後ろに陣取った海兵隊は、島への侵攻初期、
この場所で何度も血みどろの戦闘を余儀なくされました。



この時の戦闘風景がジオラマにされていました。
日本兵が突撃していく先には海兵隊の潜んだという「穴」があります。


日本語によるガダルカナル島「攻撃要図」

一木支隊の攻撃と米軍の防御
第一次総攻撃と米軍防御
第二次総攻撃と米軍防御

第二次攻撃後の日本軍態勢


日本軍の攻撃が矢印で記されています。
赤で記された場所が写真に撮られたヘンダーソンフィールドです。

■ 海軍関係展示


木箱に入れられた機器は、

スタディメーター(STADIMETER)

といいます。

スタディメータは、高さがわかっている物体の距離を測定する機器で、
2,000ヤード以上、10,000 ヤードまでの距離をかなり正確に測れます。

艦隊で行動しているとき、艦隊内の他の艦までの距離を測定するために、
ブリッジではほぼ継続的に使用されていました。

とてもデリケートな機器であるため、許可された担当者だけが
慎重に取り扱う必要があります。

ブルージャケットマニュアル 1943より

ちなみに写真右がわの金色のゴミ入れ(にしか見えない)には、

ミサイル駆逐艦 USS「バリー」DDG-52

の刻印が入っています。



エドソンのパッチの横にあるのは海兵隊の帽子でしょうか。

■ 乗組員室
Crews Berthing(B&M Division)


水兵用のバンクにやってきました。
ロッカーのようなベッド、極限まで細長い個人用ロッカー。


ここはファイアーマン?の控え室でしょうか。
防火スーツとホースの横にチェッカーボードが備えてあります。
配電盤の上には昔のタイプのテレビが。


 ボイラー技術者 (BT) とマシニストメイト(MM)の乗員が
このスペースに住み、寝ていました。

「フォレストシャーマン」級は、すべての停泊エリアに空調設備を備えた
最初の艦級であり「艦隊のキャデラック」と呼ばれていました。

中段と下段のマットレスとパッドは、持ち上げて
下に物を収納することができましたが、
最上階のベッドののラックはそういったスペースがなかったので、
そこの住人はロッカーを使用しました。


ロッカーで作られた壁の向こうは、立ち入り禁止。
G&ASの「補給」とあります。
Gはガス、ASは「Aviation Support」?(適当)



ところで、この、大人一人がギリギリで、起き上がると頭を打つ
狭い空間が、現在の展示艦で驚くべき利用法をされていました。



ガラス張りの大型艦船模型展示棚として活用。
誰が思いついたか知りませんが、なかなかスマートなやり方です。

そしてこの模型はもちろんUSS「エドソン」。



「エドソン」の上下には、


USS「インガーソル」INGERSOLL DD-990

下のは文字がぶれてどうしても読めません。
USS Ha
だけはわかるのですが。
「Hawaii」かな?





USS「ジョン・ポール・ジョーンズ」JOHN PAUL JONES DDG32


USS 「アイルウィン」AYLWIN (FF-1081)

「ノックス」級フリゲートです。


艦尾にはヘリポートがあります。
しかしこのヘリポートは波があるとき着艦しにくそう・・・。

ちなみに自衛艦のヘリパイロットから、何回やっても
波の高い日や暗いときの着艦は怖い、と伺ったことがあります。

しかも、決して他の者にその不安を悟られてはならないという・・。



それでは、この青い目の水兵さんに見守られながら次に進みます。


続く。




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6 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
艦隊のキャデラック⇒冷房艦 (Unknown)
2023-12-30 08:49:39
>USS「エドソン」の砲は全自動ですので、必ずしもオペレーションのために人力は必要ないのですが、通常、「エドソン」では有人で運用されていました。

あとに書かれていますが、5インチ単装速射砲Mk-42は無人砲ではありません。弾庫を含めると約十人で運用します。装薬と弾丸を載せるドラムへの装てんは人力で、その後の発射までは自動です。

弾薬ドラムに乗る弾数(即応弾数)は自動・連続で撃てますが、それ以上撃つ場合には、ドラムへの装てんが必要です。装薬と弾丸はそれぞれ20キロあるので、装てんは結構な力仕事です。

オブザーバーの仕事は、砲が味方に向いていないか目視で確認することです。哨戒配備の時には、ここにも当直員が入りますが、全天が見渡せるので、夜間の当直だと、それはそれは絶景です(笑)

ダメコン十戒は自衛隊だと「安全守則」相当だと思いますが、実際問題、こんな風に書かれても覚えないし、身には付きません。一番身に付きやすいのは、何と言ってもやっぱり身を以て体験することなので、自衛隊だと修理中等、非稼働になる時期に防火訓練をやらせます。

各教育隊には、防火訓練用の施設があります。二種類やるのですが、最初は丸タンク(直径5メートルくらいのオープンエアのタンクに水を張って、灯油を入れて火を点け、防護服に防火ホースを持って、三人一組でこれを消す)で、次は機関室火災(機関室を模擬した密閉出来る小屋で、丸タンク同様、床に水を張って、灯油を入れて火を点け、やはり三人一組でこれを消す)です。

丸タンクはオープンエアなので、さほど難しくないのですが、機関室火災は火だるまになっている小屋にドアを開けて入るので、これは怖いです。これを経験すると、火種になるような悪さは絶対にすまいと思います。

タービン室に入る垂直ラッタルは、当たり前ですが、この梯子を伝って入ります。エドソンは冷暖房完備だと思いますが、自衛隊では先代なみ(あやなみ型)あめ(先代むらさめ型)クラスまでは冷暖房がなく、夏の暑さで「暖房艦」と言われていましたが、このタービン室に入る垂直ラッタルは、タービンに入る空気を吸い込むので、この上は物凄く涼しく、よくこのハッチの場所で涼んでいました(笑)

>スタディメータは、高さがわかっている物体の距離を測定する機器で、2,000ヤード以上、10,000 ヤードまでの距離をかなり正確に測れます。

自衛隊(海軍でも恐らく同様?)では、これを双眼鏡で角度を測って、距離を暗算します。実際問題、それ程距離を正確に出せなくても、あまり問題はなく、前の船との間がつんのめっているのか、開いているのかがわかれば十分なのですが、慣れるまでは、それもなかなかうまく行きません。

>「フォレストシャーマン」級は、すべての停泊エリアに空調設備を備えた最初の艦級であり「艦隊のキャデラック」と呼ばれていました。

自衛隊では冷暖房完備の船は「冷房艦」と呼ばれていました。

>ガラス張りの大型艦船模型展示棚として活用。誰が思いついたか知りませんが、なかなかスマートなやり方です。

これは模型好きなら誰でも考えます。わざわざ二段ベッドを買って、自分は上段で寝て、下段に鉄道模型のレイアウトを広げていたことがあります。

>下のは文字がぶれてどうしても読めません。USS Haだけはわかるのですが「Hawaii」かな?

オリバー・ハザード・ペリー級ミサイルフリゲートUSS Hawes, FFG-53です。

>USS 「アイルウィン」AYLWIN (FF-1081)

模型ではSH-60を搭載していますが、ノックス級はその前の機体でもっと小さいSH-2しか積めませんでした。発艦はそうでもないと思いますが、着艦は怖いだろうと思います。搭載中は、毎日、夕方は1~2時間、発着艦訓練をやっています。
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Hawes (お節介船屋)
2023-12-30 10:55:14
FFG-53「Hawes」です。
ミサイル・フリゲイト「オリヴァー・ハザード・ペリー級51隻の1艦でした。
1985年2月就役、2010年除籍
満載排水量3,486t、全長135.64m、主機ガスタービン2基、1軸、40,000馬力、速力28.5kt、兵装SAM単装発射機1基、7.6㎝62口径単装両用速射砲1基、32.4㎝3連装対潜魚雷発射管2基、ヘリコプター2機、乗員176名
全艦米海軍から除籍されて、そのうち21隻が外国に譲渡されました。「Hawes」は譲渡されていません。
現在もトルコに8隻、台湾に2隻、パキスタンに1隻、エジプトに4隻、バーレーンに1隻、ポーランドに2隻が在籍しています。
なお台湾は8隻をライセンス建造しており計10隻が在籍、スペインが6隻をライセンス建造、在籍、オーストラリアが米国建造艦4隻購入、2隻ライセンス建造しましたが除籍され、ライセンス建造艦2隻をチリが購入し、在籍しています。
参照海人社「世界の艦船」No878、910、970
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「ノックス」級フリゲート (お節介船屋)
2023-12-30 11:27:07
>しかしこのヘリポートは波があるとき着艦しにくそう・・・。
建造当初はダッシュを搭載していましたが1972 から76年にLAMPS1有人対潜ヘリコプター1機に換装する工事で発着甲板改造、格納庫拡大が実施されました。ヘリはSH-2でしたので模型のSH-60より小型であり、格納庫も入子式で模型ではこの入子が出っ張っていますが右舷の出っ張っている管制室の部分まで縮小します。

確かにこの時代米海軍は着艦拘束装置を装備しておらず、着艦は荒天時相当困難であったでしょう。

アメリカ海軍も大型高性能のLAMPSⅢヘリコプター(SH-60)となった時代、ペリー級FFG-36以降の後期型フリゲートはヘリ甲板の拡大と着艦拘束装置RASTを装備しました。
ノックス級は甲板、格納庫のスペース上無理ではなかったかと思います。
参照海人社「世界の艦船」No910
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みなさま (エリス中尉)
2023-12-31 18:48:37
unknownさま:
>冷暖房完備は冷房艦
暖房の方はあまりありがたみがなかったってことなんでしょうか。
>自分は上段で寝て、下段に鉄道模型のレイアウト
ベッドのスペースが模型展示的にはぴったりというのは世界共通認識であったと・・。

お節介船屋さま:
>USS Hawes, FFG-5
unknownさんもお節介船屋さんもなぜこれがわかったのか、と一瞬驚いたんですが、気がついたら、模型を見れば艦ナンバーが書いてありました。
一生懸命付属の説明紙を拡大して読もうとしていました。

>着艦拘束装置を装備しておらず
そんな時代もあったのかと調べてみたら、海上自衛隊がベアトラップを導入した最初の艦が「はるな」で、1973年だったそうです。
ベアトラップhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%97

ここを読むと、ケーブルに頼らない着艦方法をアンテザード・ランディングというそうですが、この方法は
「最も熟練したパイロットであっても、RSD開口部にプローブが入るように着艦できるのは、3回に2回程度の割合であるとされる」
だそうです。
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ガタルカナル戦 (お節介船屋)
2024-01-01 14:26:46
昭和17年8月から18年2月まで約半年のこの戦いが日本の運命を決めてしまいました。
陸上戦闘は小出しの投入で3万1千人を揚陸し、戦闘での戦死者は5,6千人、1万5千人は栄養失調、マラリア、アメーバー赤痢等での戦病死でした。

海戦はサボ島沖、ルンガ沖、第1,2,3次ソロモン海戦等、勝利もありましたが中途半端な戦いや敗戦で多くの犠牲、補給用の商船や輸送に使用された駆逐艦、潜水艦の多大な被害がありました。

航空部隊はあまりの長距離攻撃での被害が多く、歴戦のパイロット、有能な指揮官等多く失い、空母部隊の艦載機も投入され空母部隊の航空部隊は作戦不能となり、基地航空部隊も、水上機も含めほぼ全部の戦力を失いました。
航空機性能の衰えや生産能力不足、パイロットの養成不足、交代休憩不可等も大きく、新鋭機の投入も出来ませんでした。

全く戦略を考えない孤立した飛行場を設置し、その攻防に固執し、多くの海軍戦力を失い、特にパイロットと航空機を多く失ったことはその後の戦いは守勢となってしまいました。
山本五十六大将をはじめ、海軍指導者に航空戦の真の理解者がいなかったことが大きく関与していたのではと言われます。

ただ米陸海軍航空部隊が大いに活躍しているのに、わが陸軍航空部隊が海上作戦能力が全くなく、参加しえなかったことも敗戦の要因でもあったと思われます。

参照光人社「写真太平洋戦争」「海軍航空機全史」「ガタルカナル戦記」、角川文庫「ガタルカナル学ばざる軍隊」
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ベアトラップ(RAST) (Unknown)
2024-01-05 18:12:59
海上自衛隊では、米海軍の実績を踏まえて、最初のヘリコプター搭載艦「はるな」以降、空母型DDHを除く全ヘリコプター搭載艦にベアトラップ(現RAST)を搭載しています。

「最も熟練したパイロットであっても、RSD開口部にプローブが入るように着艦できるのは、3回に2回程度の割合であるとされる」というのは、米海軍の実績です。

米海軍には、ベアトラップ(RAST)が搭載されていても、LSO(Landing Safety officer:発着艦の指示を出す管制官。海上自衛隊の場合、ベテランのヘリコプターパイロット(飛行長))が配置されていない船がありますが、海上自衛隊では必ず配置されており、発着艦の時には細かい指示を出すので、RSD開口部にプローブが入らないことはありません。

ベアトラップがない船では、荒天時にヘリコプターを着艦させることが難しいので、ガブッていると発艦させず、着艦で苦労するということもなかっただろうと思います。

荒天時の着艦は、テザードランディングと言って、ヘリコプターから降ろされるプローブという金物に、ヘリコプターを強制的に引き込むワイヤーを作業員が掛けに行くのですが、ガブッていて動揺があるので、これは怖いです。
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