ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

映画「炎のランナー」

2010-09-10 | 映画

「好きな映画を3つ挙げよ」と言われたら、迷いなく最初に挙げるのがこの
「炎のランナー」です。

あと二つは、「ショーシャンクの空に」と、最後の一つはその時によって変わりますが、

「リトル・ダンサー」
「メンフィス・ベル」
「アポロ13」
「K-19 ウィンドメーカー」
「シネマ・パラダイス」

のどれかですね。

どうも私は、名画と言うより「男(たち)が何かを成し遂げる」系の映画に弱いようです。
女性が出てくる映画は最後だけですね。

この映画は原題をChariots of fireといいます。
チャリオッツオブファイアとは、聖書に出てくる天駆ける高速の火の車のことで、以前「スピットファイア」の稿でお話に出た、バリー作曲「イエルサレム」の歌詞に出てきます。

主人公、ユダヤ人のハロルド・エイブラハム(ベン・クロス)がパリ・オリンピックでメダリストになるというストーリーに、オックスフォード大学やスコットランドにおける当時の若者たちの姿をからませた、美しい音楽(ヴァンゲリス・パパナサシュー)とともに永遠の名作だと思います。


この映画で私が愛してやまないシーンが二つあります。

一つは友人の青年貴族リンジー卿が広大な屋敷の庭でハードルの練習をするシーン。
執事がハードルのバーの端に一つずつ置かれたグラスにシャンペンをなみなみと注ぎます。

「こぼれたら教えてくれ」

といって純白のガウンをはらりと落とし、金髪をなびかせて駆けるリンジー卿(ナイジェル・ヘイバース)。
実在のリンジー卿も、銀メダルに輝いています。

もうひとつは、今日画像のシーン。

ハロルドがユダヤ人ゆえ、表向きはともかく、何かにつけ陰でしんねりと批判をする学長はじめ大学関係者ですが、ハロルドが個人で雇ったコーチ、ムサビーニ(イアン・ホルムス)がアラブ系イタリア人であると聞き、眉をしかめます。

(余談ですが、この批判的な描き方のため、オックスフォード大学からは、学内でロケーションをする許可を得られなかったそうです)

ハロルドにスプリンターとしてのノウハウを教え込んだコーチ、ムサビーニは、競技場に入ることすら許されず、近くの安ホテルで競技のスタート時間を迎えます。

息をつめてスタジアムを凝視するムサビーニ。

スタートの砲声のあと、湧きおこる歓声ののち目に入ったのは「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」とともに翩翻と揚がるユニオンジャックでした。

「我が息子よ」

そう言ってムサビーニは持っていた帽子を拳ででぶち破ります。


実在のハロルドは、その後、弁護士として成功し、長寿を得て亡くなりますが、その葬儀のシーン(冒頭とラストシーン)で「イエルサレム」が歌われます。


ところで、この映画は、美しい映像とサクセスストーリーの中に、イギリス上流社会の、上流ならばこそ厳に存在する階級意識と差別を、さりげなく訴えています。
ハロルドのライバル、スコットランド人のエリック・リデル(イアン・チャールスン)の宗教問題や、主催国フランスに対する意地などにもそれはわずかに現れます。

この映画のプロデューサーはその名を「ドディ・アルファイド」と言います。
この名前にお聞き覚えは無いでしょうか。
そう、1997年、イギリス皇太子妃ダイアナとともに事故死した男性です。
彼はムサビーニと同じく「アラブ系」イギリス人でした。



イギリスの権威の象徴である王室の女性に近づいたアルファイド氏も、はたしてこのような上流階級の中の疎外感の中で生きて来ざるを得なかったのでしょうか。

炎のランナー - goo 映画


タイタニック設計図を手に入れる

2010-09-06 | つれづれなるままに


かねてから知人に「タイタニックの設計図を額装して差し上げますよ」
とありがたいお言葉をいただいていたのですが、週末、それがやってきました。

1923年、氷山と衝突して沈没したタイタニック。
映画化のずっと以前、子供の頃からエリス中尉のタイタニックに対する興味はつきませんでした。

設計主任であったトーマス・アンドルーズが暖炉にかかった絵(入港する船の絵)を沈む直前に眺めていた、というエピソードや、脱出を拒み夫と船に残った名士夫人、タキシードに着替え、上等の酒を飲みながら悠揚として死出の旅についた一等船客、そこでおこったさまざまな人間のドラマを読みふけったものです。


そのタイタニックの設計図。
当時の設計図はキャンバス地を目止めした上に書かれた数千枚の物ですが
長期間の保存で劣化しており、公開、複写はほぼ不可能だと言われています。

しかし、そのうちの一枚のコピーを所蔵している日本人がいたわけです。

この設計図はよく言われる「設計図」ではなく、rigging plan、つまり艤装設計図と言われるものです。
つまり、何枚かある設計図のうち、マストや帆を支えるロープやチェーン類一式についてのみ設計図に描きこんだもの。

いずれにしても、設計図そのものが門外不出(映画のときオリジナルの青焼きがされたそうですが)となっている現在、貴重なものであることには間違いありません。

おまけに、これを下さった方は青、白、黒の三色で一枚ずつ刷ってくれました。

考慮の末、黒を選択。
白はオリジナルっぽいですが、黒の方がアーティステックでインテリアには映えます。

大きさは、80×200。
これを巨大な木材で額装したものを壁に吊るものですから、当然プロに依頼しました。

驚いたことに、平行に補強木材を取りつけるのに、このような兵器を繰り出してきまして、壁に平行、垂直線を投射するんですね。
こんな現場初めて見たので驚いてしまいました。

作業中。額には保護フィルムが貼られています。
額の木材は、家の建材に近いものを下さった方のおられる西日本某地方まで脚を運び、現物を見て決定しました。
その甲斐あってまるで誂えたように建材と色が一致しました。

作業終了。

船首部分です。光ってしまい見えにくいですが。

さて、ここで海軍ファン、とりわけ戦艦ファンの方を羨ましがらせてしまおうかな。
実はですね。
いただくお約束をしたのはタイタニックだけではないんですよ。

戦艦大和の設計図も、今後いただける予定なんです。

蛇の道は蛇、というと人聞きが悪いですが、これを下さった方は、タイタニックとは全く別ルートの「戦艦オタク」(名前は特に秘匿、とのこと。その道では有名な方なのかも)から、大和のコピーも手に入れ、所蔵しているのでした。
タイタニックを見に行って大和があるのに気付き、こちらが欲しい!とひそかに思っていたのですが、こちらの方が何やら秘匿性の度合いが重くて、なかなか言い出せなかったのです。

その後、大和についてはさりげなく?
「大和はダメなのかなあ」
「コピーだけで、額装は要らないんだけどなあ」
「写真だけでもいいんだけど」
「何なら写メールでも」
としつこくしつこくTOに伝言を頼んでいたのですが、TOがおそるおそる頼んでみると
このタイタニックより1メートルも大きい大和設計図を、額装の上いただけることになってしまいました!!!

復元された設計図(こちらも今やぼろぼろでコピーは不可能だそう)の一次コピーを持っておられる方に許可を得てあらたにコピーしてくださるとのこと。
今日許可がもらえたと連絡をいただきました。

なんでも、「戦艦など部屋に飾りたがるようには見えなかった」ということで、提案すら思いつかなかったそうです。

今日は、大和をどこに架けるか、という件についても話し合いをしたのですが、スペース的には廊下と、このタイタニックをかけたリビングルームのどちらに大和をかけるかについて議論が紛糾。

3メートルの大和を廊下にかけると全体像が見にくいから、リビングに架けたい、と私。
ところがTOは「まあでも、戦艦だし~(TOは全く海軍に興味なし)、それに沈んでしまってるし」

どっちも沈んでるってば。

結局、大和は重量も半端でないので、廊下の壁をくりぬいてニッチを作り、壁に埋め込んでしまう、ということになりました。
二日がかりの大工事ですが、大和のためなら致し方ありません。

「そんなに欲しいんだ・・・大和」

見知らぬヒトを見るようなTOの目が突き刺さって痛い。


戦艦大和が来たら、写真アップしますね。



昭和16年夏の敗戦

2010-09-04 | 日本のこと

テレビを見ないエリス中尉の方が、NHKでしか国会中継を見たことがない人より国会でどんな質疑が交わされているか知っている、と言ったら意外に思われるでしょうか。
インターネットではその日のうちに国会の模様を(テレビ放映されていなかったものでも)全編見ることができます。
夜のニュース番組のように恣意的な編集ができないからでしょうか、NHKはときどき「重要でないと局が判断した」という言い訳の下に中継をしなかったりします。

すでに、この対応で「ネットの情報が一次ソース、テレビは二次ソース」ということを決定付けてしまい、ネットを「当てにならない」ということにしたいテレビ的には全く木を見て森を見ない愚かな行為だったと思うのですがね、
NHKさん?


さて、先般行われた選挙後の8月12日、衆議院予算委員会での石破茂氏の質疑です。
氏が冒頭にこの猪瀬直樹氏の1983年、昭和53年に書いたノンフィクションを紹介しました。

「昭和16年の敗戦」

27年前の作品ですが版を重ね読み継がれ、この夏あらたに再発行された名作です。
石破氏はその本の内容の説明から質疑を始めました。
(国会中継の動画ページからの注文で某ネット書店では一時この本が品薄になり発注ができなかったそうです)


昭和16年、開戦の年、当時平均年齢30歳の武官(陸海大出の大尉あるいは少佐)高等文官、企業、教諭、ジャーナリストの中から選抜された選りすぐりの精鋭を集め「総力戦研究所」が発足しました。

彼らは総理大臣、外務大臣、陸海軍大臣と役を振られ、模擬内閣を結成。
持てる知力を尽くし「日米もし戦わば」をシミュレーションします。

「青国政府内閣」総理大臣はある日研究所教官にこう宣言します。
「開戦はできません。そういう結論です」

そして、それでは演習質疑はできない、と教官に言われ、「開戦したという想定で」シミュレーションを続けた青国政府は、あらゆる討議を繰り返します。

「『ソ連参戦』を座して待つか、もはや石油備蓄も底をついた。佐々木は両手をあげた。思わずギブアップのポーズをとり教官にたしなめられた」

佐々木直は「日銀総裁」。戦後「日本国政府」で実際に日銀総裁を務めることになります。

「『アイ・アム・ソーリー(残念だ)』と佐々木がいうと『俺こそアイ・アム・ソーリ(総理)だ』と窪田は苦笑い。わずか四十日あまり。彼らはタイムトンネルの中を駆けめぐり、焦土の風景の中に立ちつくしていた」


近衛文麿、東条英機の前で発表されたその「敗戦」は、ソ連参戦、原子爆弾投下を除き実際の開戦から日本が辿った敗戦への道と全く同じであったそうです。


さて、石破氏が何故この本の内容を国会で紹介したか。
続いて氏は総理にこのように質問をしました。

「文民統制とは何か。それが有効に成立するためにはどのような条件が必要か」

管総理の答弁です。

「まー、あたしのぉ、考える文民統制いい、基本的にはー、国民が・・・・(十秒沈黙)軍事についても最終的に判断する、とー、しかしー、現実の社会にで言えばあ、軍事組織にー、属さない政治家ーーーが、民主的な手続きの中で判断する、それが、文民統制だと思います」

二十秒で言えることをくだくだ(管々?)と(笑)

石破「有効に成立するためにはどのような条件が必要ですかっ」(-_-メ)
管「何かー、口頭試問を受けている気がしますが・・・、私なりの考えでいえばあ、民主主義が成立をしやはりいろいろな発言の自由が保持されているー、手続きとしては一般的に言う議会制度とか―そういうモノがきちんと機能しているーそういうことだと思います」

石破先生の正解です。

文民統制
一、軍隊が強大な組織であるゆえにたとえばクーデターなどの暴走を防ぐ
一、軍事を利用した国益、安全の確保

そして機能する条件とは
一、最高責任者である総理が国防、安保についての正確な知識を持つ
一、専門家である軍つまり自衛隊制服組の現状認識と考えに耳を傾ける



つまり、冒頭説明した「昭和16年夏の敗戦」の話がここでフィードバックされるわけです。
石破氏はあえてその話に触れず話を進めたので、鳥頭の総理がフィードバックしたかどうかは疑問ではありますが。

総力研究所の模擬内閣の彼らが事態を曇りない目で見抜き、データだけを虚心坦懐に突き詰めた結果予測したものが全くその後の歴史をそのまま再現したものであったという事実は、いかにタテ割り行政にとらわれない情報の汲み取りが大切か、ということにつながるという論旨だったわけですが、総理の答弁は

「そういう機会はできるだけ早い段階で設けたいと思います」


今まで設けなかったから大変なことになってるって言われてるんだろうが。



「緒戦、奇襲攻撃で勝利するが、国力の差から劣勢となり敗戦に至る」


こう予言した「青国政府」の「海軍大臣」であった海軍少佐の志村正は12月8日、実際の開戦に際し「警視総監」に向かってこう言ったそうです。

「真珠湾奇襲の大戦果の報道で国民は有頂天になっているが、国民も為政者もわれわれ軍人の大部分も余りにもアメリカの実力を知らなすぎるよ。褌担ぎが横綱に挑戦するようなものだ。全く無茶な戦争を始めたものだ」

しかし、そう言ったその口で同じ日、別の研修生にこうも言うのです。


「敵艦に体当たりして死ねたら本望だなあ」

模擬政府における強硬な開戦反対論者だったかれは、戦時中は憲兵隊から要注意人物としてマークされ、復員後は立身出世と無縁の市井の人として生きたとのことです。