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不思議な検閲写真

2011-08-11 | 海軍

図書館の余剰図書処分で、なんと「不許可写真史」という本をいただきました。
これは、戦時中、軍の検閲にあって不許可になったり、画像の一部削除を命じられたりした写真の数々。
面白そうでしょう?

おまけとして?「カットシーン映画史」っていうのもあるんですが、これもなかなか興味深く、
映画「シネマ・パラダイス」のラストシーンを思い出すようなキスシーンとか、残酷すぎるとか、
反戦的であるとか、風紀上よくないとか、見えてはいけないものが見えているとか、暴力的だとか、
まあそういった画像を集めてくれていて、これは思わぬ収穫でした。



自由に表現されては都合の悪いことをお上が検閲する、ということは戦時中当たり前のように行われました。
軍によってのみならず、例えば海軍兵学校では、4号生徒の実家に出す手紙を上級生が検閲して、
辛いとか帰りたいとかうっかり書くと大変なことになったと云いますし航空隊や海兵団でも検閲は当たり前。
女きょうだいの手紙さえも厳しく誰何されました。
個人という単位でもこのようなものでしたから、ましてや報道に対する検閲は徹底的に行われました。

その検閲に通らなかった写真、それがここに見られる不許可写真です。
どのような写真が不許可になっているかということをさっくりと述べると

1、作戦の行われている戦地の写真
2、戦死体
3、敵捕虜の画像
4、大事件(5・15,2・26など)
5、裸体、下着姿(兵士の)
6、戦車、艦艇、軍用機、武器など
7、慰安所、慰安婦
8、敵の攻撃対象になり得る工業地帯の風景、工場

どれも検閲ごもっともな事案です。
検閲する側からの通達はこのようなものです。
米内内閣のときに出された「海軍省令第22号」によると

「当分の内、艦隊、艦船、航空機、部隊の行動その他、
軍機軍略に関する事項を新聞紙に掲載することを禁ず
ただし、あらかじめ海軍大臣の許可を得たるものはこの限りにあらず」

では「軍機軍略」とは具体的にどういったことか。
陸軍においてはそれは例えば

「将兵と家族との面会、送別会、見送りは動員の内容を推知させるから記事写真を禁ず」
「飛行機については、偵察機、爆撃機、戦闘機など機種を示す記事は許さない」
「飛行場の写真は一切禁止」
「軍旗を有する部隊の写真は禁止」「大佐以上の高級将校の大写し禁止」
ときめ細やかに規定されていましたが、

対して、海軍は「我が軍に不利なる記事、写真は掲載せざること」
という、アウトラインを定め、その内容については
「不利かどうかは海軍が判断」という、
よく言えばフレキシブル、ある意味応用自在の通達を出していました。

そして、担当官が写真をチェックし、個々に
「これは不許可」「これはここを消すこと」「ここには山を描け(!)」
等々、注文を付けるわけです。
本日画像は、昭和17年6月、旧式駆逐艦の上で尺八を吹く下士官たちの写真。
どういう状況で尺八だったのか、そこのところを知りたい気もしますね。
「トル」と指示された「軍機と思しき部分を削ることで許可されました。

キャプションには「南海に艦上勇士風流のひととき」とあります。

検閲前
検閲後

旧海軍関係者はこの写真を見て
「検閲官の考え過ぎです。炊事場の煙突で秘密でも何でもありません」
むしろ、赤で囲んだ、大砲左横のマントレッサ(防弾用ロープさく)の方が重要なのだそうです。

このような笑うに笑えない矛盾はいくらでも出てきました。
たとえば軍艦の船腹に堂々とペンキで艦名を書き、戦線に進出させながら、
その写真は国民には不許可としました。
戦場にいる敵側へは艦名を見せてもよかったようです。

情報を管轄し統制することそのものに大きな無理がある限り、ほころびがあらわれるのは至極当然の帰結。


さて、この本の出版元は毎日新聞。そして発行年は昭和52年です。
インターネット言論などつまみにしたくともないこのころのこの本文中の記事は、例えば
南京大虐殺が中国側の証言の通りにあったことになっていたり、
従軍慰安婦が国の命令で強制的に狩り集められたといったような、
当時検証できなかった歴史認識に立って記者が「断罪」している様子が多々みられます。

さらに、例えば「捕虜が集められている」という写真には「残虐な写真は許可されなかった」
とキャプションが付けられ、あたかもこの後残虐な処刑が行われたのが確実であるかのような
意図的なミスリードさえしているのです。

しかしさて、そんな編集側にも理屈が付けられない不思議な不許可写真があったようです。

「中国人捕虜と日本兵が相撲で力比べをしている写真」
「捕虜になった中国軍従軍看護婦を囲んでみんなでニコニコ笑っている写真」
「日本軍に投降した女性兵(手には自分の銃をまだ持っている)を微笑みながら見つめる兵士」


いずれも、捕虜と仲良くする写真は好ましくないと不許可になったものです。
これらの記事キャプションは

「捕虜虐殺事件の多発したことは事実だ 
しかし捕虜に暖かい手を差し伸べた兵隊のいたのも事実だった」

・・・・何やら歯切れ悪いですね。

殺人マシーンのように日本軍が中国人を一方的に虐殺殲滅したというのが通説であったとは言え、
これらの写真を見て昭和52年当時、毎日新聞記者は少しは不思議に思わなかったのでしょうか。