ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

2013観閲式~車両部隊行進と観閲官退場

2013-11-15 | 自衛隊

昨日、この車両行進のときに鳴っていた「祝典ギャロップ」を検索したときに、
陸自の式典曲を集めたページが見つかったのですが、そこに

鬼軍曹は今日も往く

という、思わず嬉しくなってしまうようなタイトルの曲を見つけました。
ハートマン軍曹のテーマソングか?と思ったら、日本人の作曲でした。
曲調も少しアメリカの軍歌っぽいんですけどね。

さて、情報科部隊に引き続き、戦闘部隊です。
冒頭写真は

西部方面普通科連隊。
ついでに西部方面隊歌をどうぞ。 

こういうのを聴くと、昔の軍歌そのままで、いわゆる「軍歌調」というのは、
まだまだ日本人のDNAに刻み込まれて健在であると思ってしまいますね。

我が国を北部(北海道)東北、東部(関東甲信越)、中部、西部の
5つの地域に分けたとき、西部は九州地方の防衛の要所となります。



この西部方面隊だけがゴムボートを積んだ装備を展示していました。



空自ペトリオット部隊

デジタル迷彩の色が少し陸自のよりブルーがかっています。
マフラーも空自らしい奇麗なスカイブルーです。

近くに座っていた人が、

「ペトリオット?パトリオットだよね」

と笑っていたのですが、これは英語読みに忠実なんですね。
ネイティブの発音をそのまま書くと

「ペイツリオッ」

になります。 
パトリオットミサイル、という言い方は日本のメディア等が慣例的に始めたもので、
元々米国製のpatoriotミサイルを運用する部隊なのですから、
原語とかけ離れないように空自がこう決めたのも当然のことなのです。 

「パトリオット」はいわばネイティブに通じない「日本語英語」なんですね。
theme「シーム」(シは舌を上前歯に当てる)が日本では「テーマ」になるようなものです。

もっとも、なんでも省略する日本人にかかっては「ペイトリオット」が「長いのでペトリオット」
さらに、内部では「ペトリ」になってしまっているようです。



弾道ミサイルを撃墜する能力を有する迎撃ミサイル、
PAC3を有するのもこのペトリオット部隊です。
それにしても、迎撃ミサイルを運用するのが、陸自ではなくなぜ空自なのか、
ふと気になったのですが、これ、なぜなんでしょうね。
やっぱりミサイルを識別するのが航空レーダーだから?
そもそもこの部隊、空自なのに陸自基地にあるんですよね。

PAC3のデータのソフトウェアは、あたかもアップル製品のように日々更新されており、
ミサイルの種類(”ミサイル”も英語では”ミッスル”よね)が巡航ミサイルか対レーダーか、
UAV(無人飛行機)かを識別することが出来ます。




これもペトリオット部隊の装備ですが何か分からず。



高射特科部隊。
対空戦闘部隊として侵攻する航空機を要撃し、対空情報活動を行う部隊。
職種標識色は「濃黄」。
指揮官飯田二等陸佐。
指揮官の階級は部隊によって一佐から三佐まで違いがあるみたいです。 

昔の陸軍砲科は、現在 野戦特科とこの高射特科に大別され、前者は
火力戦闘部隊として大量の火力を集中して地域制圧を行います。



93式近距離地対空誘導弾。近SAMといいます。
略称はSAM-3、愛称はクローズドアローという、やっぱりそこはかとなく
中二的なかっこいい系の名前がつけられているわけですが、
隊員にはきっと「きんさん」って呼ばれてるんだろうな。

ちなみにこの車体はトヨタで、システムの生産は東芝がやっております。

射撃姿勢は、目標物に対して車を横向きに停め、
発射装置をぐいっと90度動かして目標空域を向けます。
隊長はヘルメットについた目視照準具で目標を決め、
助手が助手席に在るジョイスティックで方向を定め、
テレビカメラや赤外線センサーで目標を確認したらレーザーで照準。
あとはジョイスティックの発射ボタンを押して「ファイアー!」



87式自走高射砲(の後ろ姿)。
接近する敵航空機を射撃します。

高射特科部隊は、その他中距離地対空有用弾中隊、150ミリ榴弾砲FH−70中隊、地対空ミサイル中隊などが行進。



野戦特科部隊。



155ミリ榴弾砲FH70(を引っ張るトラック)。
手前に例のイケメン自衛官がさり気なく入っているのだった。

というか、この隊員の立っている場所のせいで、どうしても入り込んでしまうんですよ。



地対空ミサイル中隊。
88式地対艦誘導弾が群れをなして・・・・!

地対空、ではありません。地対艦、です。
おそるべきことに「シーバスター」なんて愛称だそうです。

日本は周囲を海に囲まれているので、艦船に対する侵攻に備える必要があり、
1970年代から対艦ミサイルの開発が行われてきました。
航空自衛隊が先駆けて80式空対艦誘導弾を配備していましたが、
これを基にして陸自が運用する対艦ミサイルとして開発されたのがこれです。



中隊の指揮官の紹介はありませんでした。



155ミリ自走榴弾砲中隊。





戦車部隊。
さすがにトリを務めるだけあって、車両部隊の花形と言った感じです。
轟音を響かせながら隊列を組んで疾走してくる戦車を見て、
興奮を感じない人間が果たしているでしょうか。(アオリ風)

これは74式戦車。





90式戦車(の上部分)。

これを持ちまして、観閲行進は全部隊を終了いたしました。
続いて国旗降納です。



観閲台の上の安倍首相、小野寺防衛省、そして防大校長。



国旗に対し敬礼する各駐在武官。
ところで写真に撮れなかったのですが、海自の行進が前を通り過ぎたとき、
駐在武官の何人かが自衛艦旗に対して立ち上がって敬礼していました。

外交プロトコルから、世界の海軍儀礼はほとんど共通の形を取るからです。
船で外国を訪れるというその特性上、海軍というのは昔から外交において一端を担ってきました。
そして、定められた共通の礼式にしたがって、各国海軍軍人は忠実にそれを行使しますから、
軍旗である海上自衛隊旗は、世界の軍人に取って国旗と同じく敬礼の対象となるのです。

 

そして、閉式です。
特別儀仗隊が入場して栄誉礼が行われたのち、観閲官は退場。
この間、観客はそのまま席についているように求められます。

安倍首相は外国武官の前を通り過ぎたのですが、何人かは敬礼を送りました。
そのうち一人に首相は一瞬立ち止まって特別の挨拶を送ったように見えたのですが、
気のせいかな。



その外国武官が退場のためバスに乗り込みます。
なぜか客席の女性?をガン見している(らしい)インドネシアっぽい軍人さん。



海自の自衛官と名刺交換してます。



駐在武官の奥様のファッションも見所。
ゼブラ柄のコートにハットが気合い入ってます。
我が自衛隊の駐在武官夫人ならダークな色一色になってしまうかも・・。
少なくとも真っ赤なドレスはないだろうなあ。
髪が明るい色なので、奇麗な色でも派手にならないんですね。



一番後ろは、もしかしておフランス軍かしら。
奥様が超ファッショナブルなんですけど。
ここぞとお洒落して来た様子ですね。

というわけで、観閲式は無事終了。
一週間前の波乱を感じさせる雨が信じられないくらいの晴天でした。

ちなみにこの観閲式、観閲官は総理大臣、
主催者は防衛大臣なんですよ。


さて、観閲式、このあと観客に向けた音楽演奏などが行われました。

(続く)



 


2013観閲式~車両部隊行進

2013-11-14 | 自衛隊

2013年観閲式、飛行部隊の展示が終わり、
続いては車両部隊の行進となります。

陸自主催の観閲式において、普通科部隊の行進と、戦車を含む
この車両部隊の行進は、観閲行進のハイライトとでも言うべき最後に行われます。



車両行進は、軽快な

「祝典ギャロップ」

に乗って始まりました。
誰が考えたか、いかにも車両行進にふさわしいスピード感あふれる選曲。
というか、陸自の「音源ページ」に載っていたくらいなので、もしかしたら
最初から車両行進用に作られたのかもしれませんね。

この曲が鳴ったとき息子が

「あ!これ知ってる」

と即座に言いました。
母親のiPodにかなり昔から入っていて、何度も聴いている曲だからですね。
というか、どんな母親だよ。





国際派遣の際先遣隊をになう中央即応連隊。
装輪装甲車、軽装甲機動車など16両でなる車両連隊です。

指揮官はアベ一等陸佐。
うーん、指揮官、渋い。苦みばしっている。

最初に行進してくるのは「国際貢献部隊」。

自衛隊の国際貢献は、主に

「復興・後方支援」

「PKO・国連平和維持活動」

「難民救援」

「国際緊急援助隊」

「海賊対処」

「遺棄化学兵器処理」

「能力構築支援」

などです。
災害に対する派遣で記憶に新しいのはハイチ地震やパキスタンの洪水でしょうか。
平和維持活動では現在も南スーダンに派遣部隊が継続して派遣中です。



偵察部隊。
ちなみに指揮官はモトヨシ二等陸佐です。



バイク軍団は、座っていた位置の関係でほとんど見えませんでした。





87式偵察警戒車「RCV/ブラックアイ」

これも偵察部隊の運用車。

装甲車の定義とは(素人はこういうところから始めるんですよ)、
つまり敵弾の飛び交う中、生身の人間の盾になり、より安全に移動をするための車両。

現在は装輪式と装軌式の2タイプが運用され、戦闘のサポート車両、
そして前線での司令車両の役割を担っています。
このブラックアイを装輪装甲車といいます。



普通科車両部隊。

主目的は兵員の移動ですが、移動中の事態に備えるための武器も装備しています。
砲塔の両側面には、発煙弾発射筒も装備しています。
ちゃんとこの写真にも写ってますね。




89式装甲車中隊。







35ミリ砲、対戦車ミサイルを備えつつも軽快に走行。
96式装輪装甲車中隊。



高軌道車中隊。




即応予備自衛官部隊。
予備自衛官とは自衛隊の予備要員で、有事・訓練等の際に召集され、自衛隊における各任務に就きます。

「即応予備自衛官」は、自衛官としての勤務経験が1年以上ある者、
又は予備自衛官に任用されたことがある者から選抜され、
第一線部隊の一員として運用し得るよう、従来からの予備自衛官よりも高い練度が要求されます。

分野は通信、衛生、情報処理、語学、建設などの分野にも亘ります。
待遇は公務員で、階級は例えば「二等海尉」のように称し、一般の自衛官と同じです。

 

 

現段階の予備自衛官は定員に対して下回る数しかおらず、
現役よりも予備役の方が多いアメリカ軍などとは大きく違います。

民主党のあの悪名高きマニフェストには、最初


「予備自衛官の拡充」

が謳われていたようですが、当然のように実際のマニフェストからは割愛されました(笑)



予備自衛官部隊。

指揮官はマツオカ予備二等陸佐。

予備自衛官の階級にはこのように「予備」がつきます。
そして予備自衛官の「宣誓」は、通常の自衛艦宣誓とは少し違います。


私は、予備自衛官たるの責務を自覚し、常に徳操を養い、心身を鍛え、
訓練招集に応じては専心訓練に励み、防衛招集、国民保護等招集及び災害招集に応じては
自衛官として責務の完遂に努めることを誓います。

 


予備自衛官部隊は、大型トラックなど9両からなる編成でした。








施設科大隊。
指揮官の顔が敬礼で隠れてしまいましたが、旗手の表情が凛々しいです。
スカーフはえび茶です。



陣地の構築などで戦闘部隊を支援する部隊です。
92式地雷原処理車(MCV/マインスイーパー)など、
10両編成の部隊です。





ブルーの隊旗は通信科部隊。

後ろにアンテナのついた通信車両が見えます。



指揮官は奈良二等陸佐。




無線発信監督装置など8両による部隊。



何にするのか分からないけどきっとこのブームはレーダーに違いない(笑)




化学科部隊。
マフラーの色は金茶です。



放射線物質やサリンなどの化学物質の対応と除去を行う、
化学防護車。(CRV)
地下鉄サリン事件で出動し物質の特定を行ったのもこの車です。

その他、NBC偵察車など、核(N)、生物(B)、化学(C)物質に対応する車両も。




衛生科部隊。
指揮官山田三等陸佐。

旧陸軍の軍医部です。
防衛医大とか看護学院を出た隊員がいるわけですね。





この敬礼の仕方は、陸軍というより海軍式に見えますね。



おおお、道理で見るからに頭脳明晰そうな隊長だと思った。
軍医殿でしたか。

率いているのは野外手術システムなどの車両です。
この日、これらの医療システムは展示場で公開され、全て中に立ち入って見ることが出来ました。






需品科部隊。

旧陸軍では「輜重」と称したところで、各部隊の後方支援が主な任務です。
災害派遣では入浴、給食で活躍する第一線部隊で、あの
「野外炊具1、2号、(1号改)」「入浴セット2型」もここの装備です。

「野外入浴セット」の導入のきっかけは、日航機墜落事故でした。
ボランティアである製作会社から提供を受けたところ、
隊員の維持、向上に著しい効果が認められ、装備としての導入、制式に至りました。



指揮官、サワヤ二等陸佐。



情報科部隊。
指揮官若林一等陸佐。

指揮官の雰囲気というのは、自ずとその隊の任務を彷彿とさせます。
この情報科とは英語で言うとミリタリー・インテリジェンス。
中期防衛力整備計画に基づき2010年に職種になりました。
陸上自衛隊開隊以来、職種の新設はこれが初めてだったそうです。

情報科の特技とは以下の通り。(wiki)

  • 語学:国賓に対する通訳支援・諸外国からもたらされた出版物等の翻訳に従事(基礎情報隊の任務)
  • 地誌:公刊情報の収集・整理等(情報処理隊の任務)
  • 地理空間情報:測量・地図作成(地理情報隊の任務)
  • シギント:電波情報の傍受(情報本部通信所、方面通信情報隊等)
  • スパイ・防諜:情報保全隊の任務
  • ヒューミント:現地情報隊(中央情報隊隷下部隊)の任務

陸軍中野学校の流れでしたか・・・。



この車両の上についている葉っぱみたいな形のものは何?
これがもしパラボラアンテナなら、

衛星単一通信可搬装置 JMRC-C4
(えいせいたんいつつうしんかはんきょくそうち ジェイエムアールシーシーフォー)


かな?
無人偵察機などで編成されている、というアナウンスはありましたが・・・。



これは何か分かりませんでした。

各部隊はただそのときは目の前を次々通り過ぎて行くだけでしたが、
こうやって後から写真を見ると、指揮官や隊員の雰囲気に
それとわかる特色が歴然とあって、わたしのような自衛隊ファンには、
(繰り返しますがハードではなくソフトに興味があるのよ)
非常に多くの収穫がありました。

車両部隊行進、もう少し続けます。



 



 


ベース歴史ツァー参加記~ドブ板通りの海軍カレー&ネイビーバーガー

2013-11-13 | お出かけ

この日横須賀で見学した海軍の「国威発揚の碑」への
損壊行為を見て「左翼テロリズム」への怒り心頭に発し、
発しついでに、「飛んで火に入る夏の虫コメント」への集中砲火という、
いわば大立ち回りを、楽しくご報告するべきツァー参加記でやってしまいました。
反省はしていませんが、読者の皆様すみません。
コメント下さった”mizuki”さんにはいい迷惑だったでしょうが、
当ブログにああいったコメントを下さるからには覚悟のうえ、ですよね?

異論反論ございましたら当方討論はいつでも受けて立ちますので、
今度はちゃんとIDを明記の上コメントくださいね!


さて。

海軍関係の碑の見学の後は、ヴェルニー公園を出て、横須賀の町を歩いて行きます。



公園に美しく咲き乱れていたセージ。
ハーブですが、花の色が実に美しい植物です。

ヴェルニー公園をちょうど出るところに・・・



公園の駐車場があります。
横須賀駅まで歩いて行くのに近くて便利かな、とここに停めた
エリス中尉のネイビーブルーの愛車が、ぽつんとあります。
後から、ここは高いので皆モールの駐車場に入れるらしいと知りました(笑)

いいんだも~ん。空いてたし。
このときも自家用車はわたしの車だけでした。



少し前まではこんな高層のホテルなど横須賀にはありませんでした。
プリンスホテルだったところにメルキュールというフランス資本のホテルが入っています。

その左側にはこれも新しい立派な劇場が出来ています。
ボランティアの方が、

「これまで内外からの演奏会や催し物のために横浜や東京まで行かねばならなかったけど、
このようなものが出来たので、横須賀市民は本当に喜んでいる」

と二回繰り返して仰っていました。
この「横須賀芸術劇場」は丹下健三氏の設計によるものです。

このあとこの左の角まで歩いて行ったのですが、
そこにはこのような碑がひっそりとありました。



ちょうどこの芸術劇場の角から「ドブ板通り」は始まるのですが、
ここは明治時代から横須賀鎮守府の「門前町」として栄えた通りです。

その盛り場の入り口に、下士官兵の集会所がありました。
この施設は、今の芸術劇場とホテルを足した部分全域に亘っていたですから広大で、
当時は横須賀のシンボルのような建物だったそうです。
中には劇場や宿泊施設も備えられていたとか。

戦後は進駐軍が横須賀の海軍施設を接収したため、ここには
米軍軍人のためのクラブ「Enlisted Men's Club」、通称「EMクラブ」がありました。
そこではオーディションを受けた選りすぐりの日本人ミュージシャンによるジャズが演奏されました。

駐留軍での演奏を拠点として戦後の日本で爆発的なジャズブームが起こりました。
裕次郎の「嵐を呼ぶ男」なども、このブームにあやかって作られた映画の一つです。

その跡に立つ芸術劇場には、かつてのEMクラブの写真が飾られているのだそうです。




フリマのお店が用意を始めていました。
この日はこのあと結構な雨が降り店じまいを余儀なくされる運命のみなさん。



ん?

もうすでに開店直後の店でカーキのアーミーコートを買ったらしい男性が。
ここは米軍から流れたグッズが手に入るお店がたくさんあるようです。
制服を一般に流していいものなのかどうなのかわかりませんが。



まるでハリウッドのように、ドブ板通りの歩道には、この地ゆかりの有名人の手形が。
雪村いづみは先ほどの江利チエミ、美空ひばりと「三人娘」として人気がありました。


ドブ板通りの名は、本当に昔はこの通りが、溝の上に渡された板だったからです。
中央に溝があったのですが、通行がしにくいので、海軍工廠から厚い鉄板を調達し、
それで通路を確保したのです。

戦前までは海軍の「門前町」でしたが、戦後は米軍軍人向けのお土産物や、
あるいはテーラー、バー、肖像画を描く店などができました。
その後、日本人向けの店が増え、「スカジャン」(横須賀ジャンパー)や、
横須賀バーガーなどが軒を連ねています。



何となく年季の入っていそうなブティック。
スカジャンがウィンドウに飾ってあります。



むむ、これこそが正しいミリタリーショップ。
消えてしまったノーズアートの女性みたいなペイントとか、
魚雷のマークはおそらくかなり昔に描かれたままでしょう。

ここ、行ってみた~い!

アメ横の中田商店も一度話の種に行ってみたいのですが、機会がありません。
変なものをつい買い込んで家族の顰蹙を買いそうなのでなかなか足が向かないんですが。



そんなドブ板通りに、少し不似合いな

「明治天皇横須賀行在(あんざい)所 入口」

の石碑が。
明治天皇はその45年のご在位の間、16回も横須賀御行幸あらせられました。
その理由は、横須賀鎮守府において海軍の施設ならびに軍艦に視察を賜ったからです。
その際、必ず陛下はこの「行在所」と言われる宿泊施設にお休みになったのでした。



行在所はこの階段を上って行った上に在ったそうです。
今では行在所跡は幼稚園になっており、そこには昔海軍官舎がありました。
わざわざ作るのではなく、既存の施設を畏れ多くもご利用賜ったということだったのですね。


そういえばエンペラー気取りで台湾の各地に自分たちの”行在所”を作らせ、 一度泊まると

浴槽から便器から皆取り替えさせた、蒋介石と宋美齢というバカップルがいましたっけ。

比べるのも汚らわしいですが。




ガイドさんの持っている解説資料を横からぱちり。

非常に瀟洒な感じの洋風建築です。
この「向山」という名前は、製鉄所の「向かいの山」にあったからつけられたとか。

昭和8年にこの建物は当時の「文化遺産」として史跡となり、
そのことを示す碑文はあの加藤寛治海軍大将によって揮毫されました。
しかし、戦後進駐軍が横須賀の軍施設を接収したとき、その指定は解かれたということです。

この美しい建物は、大震災で失われたんでしたっけ・・。



空き地が在るとそこに駐車場が出来てしまう。
昨今の盛り場なんていまどこもそんな感じですが、
ここはそもそも一般車が入ってくることが出来ないらしく、
空き地はこのようにイベント広場として利用されます。
ライブでも予定されていたのでしょうか。
それにしてもパイプ椅子が少なすぎないか?



ネイビーバーガー専門店、TSUNAMI。
ところで、のネイビーバーガー勃興の陰には、こんなストーリーがあるのです。

横須賀は今や「カレーの町」として認知されているのですが、それはごく最近で、
少なくとも、横須賀が「町おこし」としてここをカレーの町にしよう、と決めた
1999年(平成11年)以降のことなのです。

勿論、それまで、「海軍カレー」を標榜するカレー屋やレトルトメーカーはありました。
しかし、横須賀市がこれらも含め「町の名産」とすることを決めたのは、
たかだかここ14年のことなのです。

そして、横須賀市は、そのプロジェクトに当たっては

海上自衛隊横須賀基地に

海上自衛隊横須賀基地に

海上自衛隊横須賀基地に

協力を仰いだのです。

なぜなら海自横須賀基地とはかつてのヨコチンつまり横須賀鎮守府。
未だに金曜日には旧軍と同じく当たり前のようにカレーを食べている、
正当な海軍カレーの末裔であるからです。
じゃなくて海軍の末裔であるからです。


わたしは無論この頃、自衛隊というものに対し全く関心がなかったわけですが、
少なくとも海自が「金曜日はカレーを食べている」などという知識は、
この1999年以降世間に広まったように思われます。

「海軍がカレーを開発した」
「昔から海軍ではカレーが食べられていた」
「海自では未だに金曜日はカレーである」

→「金曜日はカレー曜日」

海自横須賀基地の情報戦は戦果をおさめ、ついに世間には

「海軍(つまり海自)」「横須賀」「カレー」

の三点が一つのイメージとして認知されることとなったのです。
そして10年が経ちました。

横須賀市は考えました。
海自を巻き込んだカレー作戦は一定の成果を上げた。
しかし、横須賀というのは昔は海軍でもいまは

米軍基地の

米軍基地の

米軍基地の

町。
カレーは海軍だが、海軍だった場所にいま在るのは米軍基地である。
これを何か「食い物」と結びつけ、海軍カレーのようなシンボルに出来ないものか。
そこで彼らが思いついたのが、アメリカ人の大好きなハンバーガーでした。

アメリカ人のハンバーガー好きは全くDNAレベルからのものですが、それも当然、
幼いときから何かというと「バーベキュー」と称してハンバーガーを食べていれば、
それがソウルフードにもなろうというものです。

(アメリカでバーベキューとは、ハンバーガーのパテとソーセージを焼くもので、
横に置かれたバンズとドッグに自分でそれらを乗せて自分でバーガーを作る)


海軍カレーによる町おこしを始めて10年目、横須賀市は第七艦隊を巻き込み、
今度は大胆にも「ネイビーバーガー」による第二次町おこしを始めたのです。

それにあたって、横須賀市は米海軍からレシピを入手しました。
それは次のようなものです。

●パテには、赤身の多い100%牛肉を用いている。

●パテの調理は極めてシンプルで、牛肉本来の味を損なわないようにしている。

●トッピングはタマネギやトマトが基本。

●食べるものがケチャップやマスタードで調味をする、


アメリカ人が「バーベキューパーティ」で食べるあれと何が違うのだろう、というバーガーです。
つまり、別に第七艦隊でなくても、おそらくレシピはこうなるだろうと思われます。
でもまあ、このあたりに深く突っ込むのはやめます。 

米海軍第七艦隊からレシピをもらった、ここに意味が在るのであって、
アメリカ人がバーガーの味に「艦隊秘伝」とか「海軍幻のレシピ」とか、
ましてや「究極の」なんて研究をしてまで食べ物の味を極めようとするような人種でないことは、
おそらく横須賀市観光協会だって百も承知の上だったでしょうから。



そして、横須賀にはこの「第七艦隊お墨付き」のネイビーバーガーの店が、
一気に4軒立ち上がりました。
そのうちの一つがこのTSUNAMIというわけです。

もし、横須賀にお立寄りの折にはぜひどうぞ。
ちなみに冒頭のバーガーの写真は、ここのものです。



そしてこの店には、まさかのヒットを狙ってペリードッグというのが・・・。
なにがサンキューペリーマッチやねん、と関西人なら即時に突っ込んでくれるでしょう。

どんなホットドッグなのか、ちょいとググってみたところ、
ドッグにレタスを乗せ、さらにマヨネーズで和えたタマネギのみじん切りを乗せ、
その上に粗挽きソーセージを乗せたもののようです。
これは美味いかもわからんね。

ただ、なぜこれがペリーなのか全くわかりませんでした。



ドブ板通りのお店の店先に飾られた小泉兄弟と店主の写真。

そう言えば、「小泉進次郎議員と米軍基地を訪問!」というツァーをある会報で知り、
何となく申し込んだことがありましたっけ。
今にして思えばこの「ベース歴史ツァー」の100倍くらいの倍率だったんだろうな。




ドブ板通りを左に曲がって、さあいよいよ正面が米軍基地、というときに
ガイドさんが

「ここから先は撮影禁止です!」

と大声で止めるんですよ。
わたしが撮っていたのは、米軍基地のゲートではなく、
このiPhone壊しちゃったうっかり者の米軍軍人さんに向けたお店の看板だったのに。

というのは、この少し前に、岩国基地で海兵隊のF-18ドライバーが、
わたしの目の前でiPhone落として割った、という事件があったのです。
とっさに「彼に教えてあげねば」と思って撮ったのですが、
よく考えたら岩国から横須賀にiPhoneの修理出しに来られるわけないよね。
いくらF-18に乗っててもね。

というわけで・・・・いよいよベース内に入るかと思いきや、
まだそこには「セレモニー」という恐るべき行程が待ち構えていたのであった。


続く。
 



 


ベース歴史ツァー参加記2~「海軍の碑」とあるコメントへの返事

2013-11-12 | 海軍

米軍ツァーと言いながら、なかなか基地の中に入るところにたどり着かない
相変わらずの当ブログですが、こだわる過程も含めてお楽しみいただきますと幸いです。

米軍基地が目的ですが、集合場所を横須賀駅(待ち合わせしやすい)にし、
ヴェルニー公園の中を通り抜けてさらにドブ板通りを歩き、基地の前。
このような行程を考えた横須賀観光協会の企画の方のアイデアに感心します。

横須賀の観光名所は(あまり知りませんが)横須賀駅から基地までの間に
ほとんどその全てのエッセンスが網羅されていると言ってもいいからです。

さて、開国と近代化発展の父であるオグリンこと小栗忠順と、
日本近代化の父であるヴェルニたんこと(勝手にわたしが命名)ヴェルニーの像を見、
横須賀のみならず、
我が国の近代史における重要人物の名を知ることになったこのツァーですが、
実は海軍に興味を持つわたしにとっても、このあと非常に興味深い見学があったのです。

それが、ヴェルニー公園内にある海軍関係の碑でした。



様々な色のバラが咲いている公園内を歩いていくと、



軍艦山城の碑

「山城」は構造的に問題が多く、連合艦隊にいるよりドックにいる方が多い、
いわゆる「欠陥艦」で練習艦として使われていた老朽艦ですが、
それにもかかわらず戦況が悪化するとレイテ沖に投入されました。

最終的に上陸部隊を攻撃せよというただでさえ無茶な命令が、
この老いた山城に下されたのです。

しかも、栗田艦隊が激しい航空攻撃を受けて避退したことにより、
山城は、米艦隊が魚雷艇も含めて70隻あまりもひしめく海面に単独で突入し
集中砲火、そして魚雷艇や駆逐艦から放たれる雨のような魚雷を一身に受け、
総員退艦の下命後、わずか二分で、海底深く沈んで行きました。



実質特攻というしかない最後の戦闘でした。

絶望のなかでも最後まで果敢に戦い続けた1400名の御霊に
粛として首を垂れずに入られません。



亡くなった山城乗員、1400名あまりの氏名が碑の裏に刻まれています。

海中に投げ出された者もサメに食われ、あるいは救助を拒み自殺し、

あるいは島に流れ着いた後住民に虐殺されたりして、生存者はわずか10名足らずでした。



軍艦長門の碑

「軍艦長門の生涯」という阿川洋之の書を読者の方に教えていただいたことがあります。
その本で最も衝撃的だったのは、この戦争を生き延びた戦艦が、
戦後アメリカの手で核実験の標的にされ、沈んだという事実でした。
長門の歴代艦長の一番最後には、

W・J・ホイップル 大佐

というアメリカ軍人の名前が記されています。
接収されてから実験海域まで回航するための艦長です。
かつての敵をこうやって実験で沈めることに対し、日本人としては
つい道義的な怒りを感じずにはいられないのですが、このときの実験では
日本だけではなく、アメリカ国内の老朽艦や、ドイツの艦船も含まれていました。
また日本からはもう一艦、軽巡洋艦の「酒匂」も使用されています。



長門は船首に穴があけられ、さらに艦体に機雷が装着されており、
他の艦より不利な条件であったにもかかわらず、実験後4日、沈みませんでした。





軍艦沖島の碑

ここに写っている撮影者はわたしではありませんので念のため(笑)

「沖島」は日本軍が最初に持った大型敷設艦で、
1942年のラバウル攻略作戦に参加し、潜水艦の魚雷により火災を起こし戦没しました。




海軍の碑

この「海軍の碑」を始め、各種海軍関係の碑が集まっている一角があります。



この「建立趣意」には、要約すると、

●黒船来航のあと、鎖国を解いた日本が近代海軍を創設した

●明治維新の目指した近代化はこれすなわち海軍の増強であった 

●日清日露戦争を経て日本の海軍は世界三大海軍の一となった

●かつての一漁村だった横須賀はその海軍とともに一大発展を遂げることになった

●しかし、大東亜戦争終戦とともに日本の海軍の歴史は80年の幕を下ろした

●この碑は海軍終息から50年目を記念して、この地にあった日本海軍の歴史を記録し、
また戦争で失われた人々を偲ぶよすがとして、また我が国の永遠の平和を希求するため
全国の海軍関係者、および有志の浄財によって建立されたものである


ということが書かれています。

「我が国の永遠の平和を希求するため」

・・・・これねえ。
ごもっともな一文ですが、わたしはこれに一言言わせていただきたい。


この海軍の碑の「本当の建立趣意」というのは、つまりここに生まれ発展した

「帝国海軍を偲ぶため」

だったと思うんですよ。
しかし、そのものの趣意を謳うと必ずそこに、ややこしい人たちの

「旧軍懐古アンド讃美は戦前復帰と軍靴の足音がどーたらこーたら」

というイチャモンが絡んでくる、らしい。

例えば戦艦「三笠」の前に建立された「君が代の碑」には、
横須賀市の関係者の中にすら「反対派」がいてその製作過程に大変な介入をし、
あるいは設置後の碑には、ペンキで塗りつぶされるというような、
常識では考えられないような損壊行為があったと聞きます。

そしてそういった「軍国主義反対平和主義者(笑)」であろうと思しき過激派は、
ここにある碑の一つにもこのような損壊行為を行っていました。



国威発揚の碑

この、「国威発揚の碑」とされている艦橋を象った碑ですが、
ごらんのとおり、碑文などの部分が剥がされてしまっています。

ボランティアはこれについて何も知りませんでした。
見たところ50代後半の学校の先生タイプの女性で、だからというわけでもないでしょうが、
なぜ、誰がこのようなことをしたかという質問に対し

「だからわからないんです」

と答えるのみ。
何が「だから」なんだろうと思いましたが。
君が代の碑にペンキを塗ったのと同じ考えのアグレッシブな人々による行為でしょう。
まあ、終戦直前の金属不足で供与させられたという可能性も無くはありませんが。

ネットから断片的にこの事情について拾ってみたのですが、

●艦橋の形は重巡「高雄」型で、そのことから「高雄」竣工の昭和7年以降のものである

●後ろには南洋海域の地図があり、海軍の勢力の及んだ範囲を表している

●かつては『八紘一宇』の文字が刻まれたプレートがあったらしい

●かつては例の逸見門(衛門)の内側にあり、海軍軍人への顕彰のため造られたらしい


ということのようです。
映画媒体やこのような歴史的記念の製作となると、断固

「この世から『軍』と名のつく痕跡を
全て抹殺してしまわなかれば気がすまない」

連中ががいちいち口五月蝿く絡んでくる。


この日本の現状について、わたしはなんどもこのブログで嘆いて来たわけですが、

冒頭写真の「海軍の碑」も、建立された平成7年当時にはさぞ色々な障害が予想され、
そのため

「決して海軍を懐古讃美するのではなく、戦争に対する反省の意味も込めてます」


というその方面に対する「言い訳」を付け加える必要があったのかもしれません。



「海軍」(陸軍でもいいですが)というものが我が国にあった、そのことは歴史的な事実です。
この横須賀の史跡からも窺えるように、日本の近代化、工業化は
軍隊の増強つまり富国強兵の国家的指針くしてありえなかったのですから。

「平和を希求し戦争は二度と起こさないと誓う」

こういう考えそのものにはわたしは全面的に賛同するものですが、だとしても、
「戦争を起こさないこと」がどうして「過去に現実としてあった軍隊を存在からして全否定」
となるのか、わたしにはこの左翼の言う両者の因果関係がまったく理解できないのです。


先日このブログのあるエントリにこんなコメントを頂きました。
HNは偶然かも知れませんが常連の方のもので、ただIDがなく、
念のためその方に直接確かめたところ「わたしではない」という返事でした。


「海軍兵学校自体に何の価値もないと思います
惨めに敗れた旧軍、明治以来脈々と築いてきたモノを
この無能な兵学校出身者たちがすべて破壊したのです
彼らがもう少し有能であれば
今日の竹島、尖閣、拉致問題はすべてなかったでしょうから」



「海軍兵学校」というある一つの組織が、日本の敗戦やそれまでの勝利や発展を破壊し、
しかも現在の近隣諸国との摩擦を生む全ての原因になった 、ということですね。


それではこの方にお聴きします。
読んで下さっているかどうか分かりませんが。

明治以降、近代日本の発展とともに海軍は設立され、ほとんど同時に兵学校も生まれました。
このヴェルニー公園に立てばわかることですが、日本の近代化とはすなわち「重工業の発展」であり、
その科学技術力は、海軍の艦船、のちには航空機を始めとする軍装備の充填によって培われて来たわけです。

貴女は海軍兵学校の出身者が「明治以来脈々と築いてきたモノ」を破壊したとおっしゃるわけですが、

彼らが破壊したモノ、とは具体的になんでしょうか。
そのまえに「明治以来脈々と築いて来た」の主語はなんですか?

その壊したモノ(なんでカタカナなの?)の中には、もしかしら
「明治時代の日清日露戦争の勝利の栄光」なんかも含まれますか?

これらの勝利に寄与したのは、近代化と同時に生まれた海軍であり、
その指揮を執った将官たちは、東郷長官を除いて皆海軍兵学校で学んだわけですが?


「惨めに負けた旧軍」

この言葉をあえて選んだあなたに、もう一つお聴きしましょう。
それでは日本は「負けなければよかった」のですね?


日本が戦争をせざるをえない世界の情勢に飲み込まれて行った過程については


「それでも戦わない道もあった」

と考え、それゆえあくまでも日本が間違っていたとする人たちもおりましょう。
そういう考えもあることは承知の上で、わたしの考えを言うと、
当時の弱肉強食の大国主義の中で、日本に選べる道は二つしかなかったのです。

戦うか。
欧米列国に搾取されるだけの被支配国に成り下がるか。


あなたのような人々は、日本が「他国を侵略した」という善悪の観点でのみ語りますが、
そのとき世界がどのような基準のもとに、大国による他国支配を是としていたか、
冷静に一度考えていただきたいものです。


日本は勝てると思って戦争に踏み切ったわけではありません。

山本五十六も、長期戦になれば国力差ゆえ日本に勝ち目がないことを知り抜いていました。
日本の誤算は、短期決戦で戦争を終わらすことができると踏んだことであり、
アメリカが大国の威信に掛けてもそれを許すはずはないことを読めなかったことにあります。


あなたは日本が負けたと言わず、「旧軍が負けた」といい、
それをただ惨めの一言で罵倒します。
「旧軍」という幽霊のような存在だけが、戦争を始め、そして負けたのですか?
当時の財界や政界、そして言論人、思想家は、戦争に反対していましたか?
そもそも、その勝てるはずのない戦争を決定したのは誰ですか?


貴女(男の成り済ましだったらごめんなさいね)が言うように、
海軍兵学校出身者だけが戦争を決定しましたか?

陸軍は勿論のこと、軍部を腰抜けと煽った朝日・毎日新聞は?国民は?

何より日本と戦争をしたがっていたアメリカの野望をどう考えますか?

長期化する戦争をなんとか終わらせようと奔走したのは、井上成美を中心とする

海軍の一派で、終戦を決定した内閣の総理大臣は鈴木貫太郎海軍大将でしたが、
このことはご存知ですか?


あなたの論法で敗戦の責任の在処を問うのであれば、

「戦争に負けた日本人は無能であり、
戦争に負けたからには日本そのものの存在は無意味である


という結論に帰結せざるをえないとわたしは思うのですが、いかがでしょうか。


それから最後にもう一つだけ。

尖閣を奪い取ろうとしているのも、竹島を不法領有しているのも、
日本国民を拉致したのも、すべては、中国であり、韓国であり、北朝鮮です。
たとえ日本の対応がそれを悪化させたのだとしても、日本は、あくまでも、被害者です。

「それらの侵略をを看過する戦後社会をつくったのが、無能な海軍兵学校出身者である」

とあなたはおっしゃるわけですね。


言わせていただくと、わたしは、貴女のような日本人こそが、これらの国々に甘く見られ、

その結果侵略を許す、今日の日本を作ったと思っています。

戦争に負けたということを以て「軍隊」の存在と、そのときそこにあった人々までをも否定する。
「国威顕彰の碑」の文字をはぎ取った連中と同じで、存在を無意味と決めつけ、
この世からその痕跡さえも消すために「ノイジーマイノリティ」にすらなる。

あげくは、自衛のための組織を持つことすら大声で「平和に対する逆行だ」と反対する。


領空侵犯を隠しもせず「無人機でも撃墜したら戦争だ」と恫喝する国や、
自国民を殺害された上、不法占拠されている島に対しても、自分からは決して武力行使できない軍隊をもつ国。
日本をそんな国にしてしまったのは、あなたのような

「自国の過去は勿論、存在意義を否定するが故に防衛力すら放棄しようとする、
近隣諸国に取ってただ都合のいいだけの平和主義者」


だと思います。
この手の人々にもう一度言っておきます。

沖縄で日本人を虐殺したのはアメリカ軍です。

広島と長崎に原爆投下を決めたのはアメリカです。

日本領土である尖閣、竹島に領有権を主張し、
領海侵入や不法占拠をしているのは中国であり韓国であって、

日本国民を拉致したのは北朝鮮です。




秋山真之とともに「坂の上の雲」で有名になった正岡子規の句です。

「横須賀や 只帆檣(はんしょう)の 冬木立」

 
横須賀の軍港に冬木立のように立つ帆檣(船のマスト)。
そのマストが「軍艦のもの」であるとは子規の句からは全く窺えません。
子規に取ってはそれは「そこに在るもの」であり、
かれの眼はは只その情景をそのままに見るだけです。


この句ではありませんが、そこにただ「在る」ものを、そして「在った」ものを
「在ること」として「在ったこと」として見る、
どうしてこの日本という国は、それすら許すことのできない
「歴史修正主義者」の声ばかりが大きいのか、わたしは不思議でなりません。



 (続く)

 



 


横須賀米軍基地見学ツァー~「ペリリン&オグリンとヴェルニー」

2013-11-11 | 博物館・資料館・テーマパーク

おそらく読者のM24さんに教えていただかなくてはこんなこともあるとは
ついぞ知ることなかったであろう、この

「日米親善 ベース歴史ツァー」。

観光協会と米軍横須賀基地双方による、米軍基地への理解を深め、
ひいては日米同盟への理解とご協力を賜り、ついでにアメリカにも
親しみを持っていただこうと企画された見学ツァーです。

前回この申し込みのことを教えていただいたときには残念ながら
落選の涙をのんだわけですが、今回は当たりました!

後から聞いたところによると、このツァー人気のため当選倍率3倍。
激戦を勝ち抜いて(大げさだな)当選したわけですが、エリス中尉、
ベースツァーどころではない倍率と言われる音楽祭りのチケットも手に入り、
この秋はちょっとこの「くじ運」が非常によろしいんです。
年末ジャンボ宝くじでも買ってみようかしら。

さて、このベースツァー。
M24さんに詳細を教えていただき、さあ申し込もうとしたときに、
締め切り時間5分前であることに気がつきました。
息子やTOが行けるかどうかなど聞いている場合ではありません。
しかも、三人分の申し込みを入力している時間もありません。
あわてて自分一人の参加を申し込み送信を終えたのが1分前。

そのギリギリなのが功を奏したのか、はたまた一人参加のためスペースがあったのか。
いずれにせよ、しばらくしてから「当選」のお知らせを頂きました。 

岩国米軍基地もそうであるように、このツァーに参加できるのは
日本国籍を持つれっきとした日本人のみ。
パスポートの確認があるので「成りすまし」は許されません。
なぜならこの企画はあくまでも
「日本人にアメリカ軍への理解を深めてもらう」ためのものだからです。 

 当選の確認書にも、「当日の身分証明書は国籍の分かるものを。
免許証は不可」ということが明記されていました。

さて。そして迎えた当日。
わたしはヴェルニー公園の駐車場に車を停めて
集合時間までの時間、スターバックスで過ごすことにしました。



スターバックス数あれど、この港を臨む店舗ほど素敵な場所はこの辺にはありますまい。

行きませんでしたが、どうやら二回にはアウトドアテラス席もあるようですね。
もしかしたら喫煙者向きのスペースかもしれませんが。



目の前が港湾に漂うゴミのたまり場になっているのはすこしがっかりですが。
注文のときに店員が

「ご旅行ですか?」

と訪ねて来たのでツァー参加のことを言うと、

「いいですね!楽しんで来て下さい」

職業的なお愛想ではない、心がほわっと暖かくなるような口調で言い、
さらに横須賀駅への行き方を丁寧に(つっても道一本ですが)教えてくれました。
こういう何気ない触れ合いが一日のスタートをよりいっそう気持ちいいものにしてくれます。
スターバックス横須賀シーサイドヴィレッジ店のバリスタさん、ありがとうございました。



客の少なくない人々が米軍の関係者らしく、
雰囲気がまるでアメリカのスターバックス。
テーブルが広々と取ってあるので長居し易そうです。

朝ご飯がわりにサンドイッチとラテをお腹に入れて、出発。



横須賀にふさわしく公演のライトもベンチもレトロなデザイン。



第七艦隊の艦船と海自の潜水艦が同じドックに見ることが出来る、
これが横須賀軍港です。

ん?
我が海自潜水艦の上に人影発見。



おおっ!もしかしたら敬礼してますか?
以前教えていただいたところによると自衛艦旗の掲揚はもっと早い時間。
(このときは9時少し前だった) 
これは何をしているんでしょうね。



スターバックスの前にいた鳩。まるまると膨れてます。



もういっかい写真を撮ったときには向こうの潜水艦の上に一人いるだけでした。
腕章は当直の印でしょうか。

 

右手の艦番号423は、補給艦「ときわ」です。
定係港はここ横須賀です。
左に仲良く並んでいるのは、右が「おおなみ」であることがわかりましたが、
左は「たかなみ」ではないかと適当に推測してみる。

それにしてもこの外灯は美しいですね。
もしかしたら往時のデザインをそのまま使用しているのでしょうか。



護衛艦の浮かぶ軍港に面した公園。
いいなあ・・・。
将来横須賀に住むのもいいかもなあ。



何の違和感もなく潜水艦と米軍艦が公園の景色にマッチしています。 



いろんな種類のバラがまさに満開でした。
紫の色と重なり合った花びらが変わっているので一枚。
そういえば「紫のバラの人」なんてのもいましたね。



薔薇と潜水艦。
(という題で絵を描いてみたい)



何やら衛兵が立って番をするための検問のようなものが。
昔はこのキューポラのある塔の両側には壁があったようですね。
軍港ですから一般人は立ち入り禁止だったのでしょう。



軍港逸見門、とあります。



こちらには逸見上陸場、とあります。



この横に説明が立っているのですが、これに

「横須賀市指定市民文化遺産 逸見波止場衛門」
旧横須賀軍港逸見門の番兵詰め所。
左右二棟あり、左側には「逸見上陸場」右には「軍港逸見門」
と表示されている。
建築年代は明治末から大正初期と思われる。

と、最後の一文以外は見れば誰にでもわかるようなことが欠かれています。
つまり、詳しいことは何も分かっていないってことなんですね。



集合は横須賀駅。
横須賀駅集合、と知ったときに「降り口もろくに指定しないなんて、わかるのかしら」
と思ったのですが、全くその心配は必要ありませんでした。
横須賀という地名の有名な割に、こぢんまりとしたローカルな雰囲気の駅舎です。

もともとこの駅は、軍港に貨物や人員を輸送するために開業したという経緯があり、
80年までは貨物線も稼働していたのだそうです。
ターミナルというわけではないので必要最小限の大きさなのかな。

駅舎そのものは関東大震災で倒壊し建て直したそうで、その原型のままなので、
未だにこの駅は階段がなく「バリアフリー」です。

さて、心配することもなくツァーのデスクにたどり着き(笑)、
10人単位のグループを一人のボランティアが案内して、ここから米軍基地までの道を
横須賀観光をしながら進んで行くという仕組みです。

ちなみにわたしのグループは全員がカップルや女子二人で、
一人参加はわたしだけでした。 (´・ω・`) 



スカレーってなんすかれー。


海軍の町とか米軍基地の町、と大声で言えないせいか、横須賀市としては

「海軍」→「海軍カレー」→「カレーの町」

というマイルドなキャッチフレーズ偽装を行うことにしたようです。
でも、もともと海軍がなければカレーが横須賀名物なんぞになってないでしょ?
素直に「海軍カレーの町」って言っちゃえよ。

・・・とこのように「この種の逃げ腰姿勢」にたいしていつも手厳しいエリス中尉ですが、
その話はさておいて、(後からもう一回この手の話をしなくてはならないので)
横須賀のカレーなので「スカレー」。

この眉毛カモメは知る人ぞ知る(わたしも去年の防大祭のときに知ったばかりですが)、
ご当地カレーのキャラクター・スカレー君です。(たぶん)
おずおずと困ったような顔でカレーを勧める様子が実に控えめで好感が持てます。

このスカレーくんも海軍所属のセーラー服を着ているのだった。



小さいので待ち合わせの場所としては最適ですね。
駅舎の向こうにはトンネルが見えていますが、これも明治から使われているもの。



9人が時間通りに揃ったのでツァー開始。横須賀駅からすぐのところに
建物の陰に挟まれる形である塀の説明。



昔は一般人が立ち入ることができないように塀で厳密に軍港への立ち入りを禁じていたのです。



このような古い構造物を見ると、わたしはこの塀が長く連なっていて、
その入り口から出入りする海軍軍人たちの姿を瞬時に彷彿としてしまいます。



ここでの説明は、軍港が海自と米軍の共同使用されていることや、
真ん中の島が爆薬や魚雷の調整をするため「危険な島」であること、
まあ、わたしにとっては周知のことばかりでした。

係留はいつも同じところにされるらしく、前に軍港巡りをしたときに
ここに同じように艦ナンバー54の「カーティス・ウィルバー」が留められていました。



この公演はヴェルニー公園といいます。

慶応元年(1865)「より強い海軍」を目指してここに横須賀製鉄所が建設されます。
協力を申し出たフランス公使とフランス艦隊司令長官から紹介された

フランソワ・レオンス・ヴェルニー(1837~1903)

という若干27歳の優秀な青年が指揮を執り、 これを全て完成させました。
ここにはその資料が展示されているとのこと。



ヴェルニーが手がけたのはこういった港湾の機能全てといってもよく、





この向こうのドライドック(船を入れてから水を排出する仕組みを持ったドック)
は第1ドライドックといい、1867年、日本で最初に作られたものです。
多少手を加えて現在でも現役で使用されているというからすごいですね。



いつもここに海自の潜水艦が二隻留められているのも同じ。

可笑しいと思ったのは、こうやって対岸からは写真が撮り放題なのに、
米軍基地の中に入ってからは

「潜水艦の写真は機密保持のため撮らないで下さい」

なんて言われるんですよ。
といっても、そんなに近くに行けるわけでもないし、望遠レンズを使えば
周りにうろうろしている隊員たちもばっちり対岸から撮れるのに。

ちなみにわたしはそれを言われたときにはもうすでに何枚か撮った後でした(笑)
もちろんここでアップはしませんけどね。



いつも舷門で見張りをしていなくてはいけないんですね。
セーラー服が見張りの隊員でしょうか。

 

以前「どうして米軍側のドックに海自の潜水艦だけが係留してあるのか」
という疑問についてお話ししたことがあります。
結局答えは出ないままだったのですが、このときふと、このボランティアの方に

「どうして米軍側に海自の潜水艦があるのかご存知ですか?」

と何気なく聴いてみました。答えは

「米軍基地に海自の潜水艦基地があるからです」

でした。orz
・・・・いやまあそうなんですけどね。


わたしもこの中年女性がそれを知っていると思ったわけではありませんが、
それ以前におそらく質問の意味が分からなかったんだろうな。



先ほどの衛門を軍港側から見た図。



バラの展示場としてあちらこちらに変わった種類のバラが見られます。
バラは世話が大変だと聴きましたが、これもボランティアが行っているんでしょうか。



ピンクと白のグラデーションが美しいバラ。



ヴェルニーさんの像。
日本政府はこの27歳の青年に現在の価値にして年俸1億を支払いました。
しかし、この人物の働きはそれに見合う、いやそれ以上であったと評価され、
未だにこの地にその功績をたたえるためのゆかりが残されています。

 

11年も日本に滞在していたんですね。
この彫像は帰国前のもののようです。



日本に来る前、ヴェルニーは中国でやはり同じように港湾建設の仕事に携わってきました。

しかし、帰国後のヴェルニーは健康状態もさることながら、
フランス海軍内での求職にあまり芳しい結果は出せなかったようです。
つまり、日本の恩人もフランスに帰ればただの人。

本国ではあまりその実績を評価されなかったということでしょうか。

しかし、日本では彼は日仏友好の象徴として、日本近代化の恩人として、
彼の名はここ横須賀に残されています。
今でも1865年11月15日に行われた横須賀製鉄所の鍬入れ式にちなみ、
11月中旬の土曜日には「ヴェルニー・小栗祭典」が行われています。


その「小栗」ですが。

 

小栗上野介忠順(おぐりこうずけのすけただまさ)

日本初の遣米使節をつとめ、外国奉行や勘定奉行など、
徳川末期の要職を歴任した後、フランスの支援のもと横須賀製鉄所建設を推進した人物です。

司馬遼太郎は「明治の父」とも称しています。
ヴェルニーを任命したのもこの人物で、製鉄所の建造は、彼の思うところの
「強い海軍」「世界に通用する海軍」に急務だと考えたのでした。

なお、日本で最初のホテルである「築地ホテル館」を作ったのも小栗で、
火災で焼失するまでの4年間の寿命だったそうですが、これは当時の錦絵にも描かれ、
連日物見客を集める話題のスポットとなっていたようです。

このときに小栗が建築を命じたのが清水組(現在の清水建設)二代目の清水嘉助でした。

あと、英語の「company」を「商社」と訳したのも小栗だと言われています。

つまり、司馬の言う「明治の父」そのままの多くの実績を残しているのですが、
その割に知名度が低く、「偉人」として語り継がれなかったことの原因は、
何と言っても彼の最後が「官軍によって処刑された」というものだったからでしょう。

その理由は、徳川慶喜の大政奉還後も徹底抗戦と、新政府軍に対する攻撃を唱えたからで、
それをもって役職御免の上追われる立場となった小栗は、米国への亡命のすすめを断り、
故郷の上野国(現在の群馬県)に隠棲しているところを捕らえられ、
裁判もなくその日のうちに河原で家臣三人とともに斬首されました。



そのとき、その河原にあった(であろう)石がここに記念石として飾られています。
ただし、これがここに送られたのはこの公園が整備された昭和28年のことです。

横須賀でのみヴェルニーや製鉄所の功績ゆえ有名な小栗。
この日観光客が持っていた紙バッグに、

ペリリン&オグリン

こんなキャラクターを見つけたんですけど・・・・。
決して一般的な「ゆるキャラ」ではないけど、元々のペリー、小栗のシリアスから見ると
かなり「ゆるい」ので、これも「微妙ゆるキャラ」認定してもいいかな。

しかしペリリンの方はともかく、小栗ってこういうノリで語ってもいいのか?

いやまあ、確かに日本の近代化に尽くした人物として、
もっともっと日本人が名前を知っていなくてはならないとは思いますが、
非業の最後を遂げた人物を「ゆる」扱いはさすがにいかがなものか・・・。


しかし。

この観光協会のページを見ればおわかりのように、
このキャラクターを考案したのはなんとその名も「小栗かずまた氏」。
小栗忠順の直系の子孫であらせられるお方です。

なら仕方ないね。
って何が仕方ないのかわかりませんが、まあ少なくとも子孫公認ってことだ。


小栗は処刑されるいまわの際に「何か言い残すことは」と聴かれたのに対しにっこり笑って


「私自身には何もないが、母と妻と息子の許婚を逃がした。
どうかこれら婦女子にはぜひ寛典を願いたい」

と言い遺しました。

彼の死後かつての家臣のもとで世間から身を隠していた小栗の家族は、
親族であった大隈重信に引き取られ、その後婿養子を取って御家再興を果たしています。
その子孫が、平成の現代にその小栗を「(微)ゆるキャラ」として蘇らせたというわけです。


それにしても小栗以上にこの製鉄所については大きな力となったヴェルニーの立場は? 

ここはもう一歩踏み込んで

「ペリリン、オグリン、ヴェルニたんの開国発展トリオ」

としてキャラの追加再構成をお願いしたいところです。 


続く。
ちなみに米軍基地の入り口にたどり着くのは3エントリ後の予定です。

 
"You ain't heard nothin' yet!"


 


2013入間航空祭~帰投ヘリのご挨拶

2013-11-10 | 自衛隊

ブルーインパルスも帰ってしまったあとは、さらに人の減ったエプロンを
ヘリが駐機してある左手に向かって進みました。

去年初めて入間の航空祭に参加して、わたしにとって航空祭とは
なんといっても手を振り、バンクを取り、深々とお辞儀をして去っていく
航空機たちの姿を愛でることに大きな喜びがあると思いました。

いやもう、可愛いんですよ。特にヘリというのは。

こういう無機質な鉄のカタマリに対する「萌え」というのは、
高じるときっと「艦これ」の世界に行き着くのだろうと思うのですが、
別に美少女風キャラを当てはめずとも、冒頭写真のようなけなげなお辞儀をされて

「かわいいいい~~」

とヘリに対して思わない人がこの世に果たしているでしょうか。
・・・・いやまあ、普通にいるんでしょうけど、やっぱり実際に見た人なら
少なくとも、それがわからないでもない、程度の賛同はしてくれると思うんだな。





ぺこり。

少し頭が高い(笑)。
ヒューイくんUH-1は、正面顔の印象に比べて機体が長く、
そのせいなのか、お辞儀が慎重です。

さてお次ぎはSH−60。
意外と腰の低いところを見せてくれました。
今日は救難訓練おつかれさま。
駐機しているところからの連続写真をどうぞ。

ハッチが開いています。

パイロット乗り込み。

移動開始

向こうまで行ってから

上昇

「・・・・・」

くるり

深々とお辞儀

さらにお辞儀

まだやるのかーっ(笑)

えっへん

すごいでしょ

というわけで

帰りまーす

帰り道はあちら

それじゃみなさん

また来年ね

あ・・・

そうだ

応援してくれて

ありがとうございました

上空でもお辞儀


あくまでも礼儀正しい奴であった

さてつぎはAH−1コブラ。

横向き状態から

ゆっくりと正面を向きます

急に振り向いたらバランス崩すタイプ?

慎重に

慎重に少しだけお辞儀

お辞儀の姿勢のまま

上昇

そのまま行ってしまいました



最後にわたしが大ファンであるところのニンジャOH-1。
ときには宙返りもしてしまうこのヘリがどんなご挨拶をしてくれるのか。































 


2013自衛隊観閲式~飛行部隊飛行(と張り合う鳥)

2013-11-09 | 自衛隊

2013年観閲式の模様を、事細かにお送りするシリーズ。
徒歩行進の次は、飛行隊の観閲です。

この日は風が強く、第一空挺団の降下展示は行われず、それがアナウンスされたとき、
周りの観客が一斉に

エェエェエェエェエェエ(゜Д゜)ノエェエェエェエェエェエェエェ

になった、というのは先日の入間航空祭のブルーインパルスが

途中で演技中止となったのと同じ。
全く同じ反応でした。

なんというか、日本人もこれだけ感情を露にできるようになってきたのね。
いいことなんだかどうなんだかわかりませんが。




航空部隊、まずはチヌークCH-47Jから侵入。
どの航空機も、日章旗と一緒のカットで撮っておきました。


 




OH-6D。
カイユースです。



OH-1。
単体で見ることが多いニンジャですが、編隊を組んでいるのは初めて見ました。
かわいいっす。



ヒューイくんUH−1Jも5機。



コブラAH−1Sも5機編隊で現れました。 

 

チヌークの5機編隊も初めて見たなあ。
壮観です。



なんかこういう昆虫がいそうな・・・・。



ヘリ軍団の後は固定翼機。

この観閲飛行は、何と言っても時間調整が難しいのだとか。
とくに展示の後半の固定翼機はヘリよりスピードが速いので。
最後の支援戦闘機は特に大変です。



LR−2。
陸自の偵察機です。
愛称は「ハヤブサ」。これも隼です。
どうしてこういう名前をあっちこっちにつけるかね日本人は。

たかが、と言ってしまったらLR−2に失礼だけど、偵察機に
「隼」は・・・・なんというか、勿体ないというか。

まあ、このハヤブサ、なかなか精悍でかっこいいですけどね。

 

緑のと赤いのが来ました。



岩国から来たUS−1AとUS−2。
海自の誇る世界唯一の水上艇です。
周りでは「あれが辛坊治郎の」という言葉が飛び交っていました(笑)
辛坊さん、本当にUS−2の名前を有名にしてくれましたのね。

最近ニュースで見ましたが、実はその後US−2の隊員、こっそり、
辛坊事件の件で表彰されていたそうですよ。

まあ、大騒ぎされるのは彼らにとっても本意ではないでしょうし、
しかししっかりその功績にたいし感謝状が贈られたのなら
それに対してわたしとしては何の異論もありません。

あとは、辛坊氏とその周りのテレビ局の連中が個人的に感謝の意を表明すべきだったと思いますが。



鳥さん。(伏線)



海自からはP3−Cも。
P3−C、日本国内に100機以上あるらしいですね。
一昨日の入間になぜ来ていなかったのか不思議でした。
まさか全機尖閣に出向いているわけでもあるまいに・・・。


わたしの右手の青年が

「うおおおおっ!俺やっぱりP3−C好きなんだよな!」

とかなり興奮していました。



ここで変わった色の飛行機登場。

U36−A訓練支援機。
初めて見ました。
これも岩国の海自基地からやって来ています。 

艦艇部隊の訓練支援のための飛行機で、チャフポッドや曳航標的を吊るし、
あるいは訓練評価用のカメラも搭載しています。
現在は岩国基地にある4機のうちの二機がこれ。

もともとは6機だったのですが、二機は事故で失われました。
そのうち一機は訓練中の事故で、4人の隊員が殉職しておられます。

 

C-130H。愛称ハーキュリーズ。
パンフには陸自の迷彩ハーキュリーズが掲載されていましたが、
この日展示に使われたのは空時の仕様でした。



このC-130Hを「戦術輸送機」といいます。
輸送機は「戦術輸送機」と「戦略輸送機」に分けられますが、
皆様違いをご存知ですか?

戦略輸送機とは

『本国の空港から、戦場手前の大型空港までを結ぶ補給線を飛ぶ飛行機』

で、速度が速く大型で輸送力が大きいことが求められます。

対してこのC-130Hである「戦術輸送機」は、

大型空港から前線の補給基地までの輸送をする飛行機』
 
で、輸送力よりどんな空港でも着陸できる性能が優先されます。
短い距離のための輸送の脚なので速度も必要ありません。

C-1もこの「戦術輸送機」にカテゴライズされる輸送機です。



F-2A/B。

Aは単座でBは複座です。



そして、F-15J/DJ。

ところで、F−2の写真を撮っていたときに、その辺を負けじと飛んでいた鳥さんが・・・



イーグル?


2013入間航空祭~ブルーインパルス帰投(と不思議な写真)

2013-11-08 | 自衛隊

「ブルー初心者」は、演技が終わったら結構な数が潮が引くように帰ってしまいました。
しかし、おそらく本当のファンはこれを楽しみにしているはず。

各機ウォークダウンに続く、全機そろっての帰投です。



前にもお伝えしたように、4番機を欠いたこの日の演技は、
途中で空域にドクターヘリが侵入する緊急事態のため中止になりました。



列線で帰投の準備が始まります。



かがみ込んで目の高さで確認することがどうやらあるようです。



エンジンがかかっても、キャノピーは最後まで閉めません。
「暑いから」という話ですが・・・。



そして一番機からエプロンを移動。
機体ナンバー731っていうと、「あれ」ですね「あれ」。

安倍首相がコクピットに乗って写真を撮ったところ、
「わざと731部隊の同じ番号をつけて挑発している」
と、目ざとく番号を見つけ、被害妄想全開で「軍国化」にこじつけた国がありましたが、
その、件の一番機。

この件に限らず、この国は精神的に稚拙で成熟していない、
まともとはほど遠い外交を最近はよりいっそう押し進めているかに見えます。
最近は世界中で卑日運動を国家首脳はじめ総力を挙げて展開している国ですが、
最大の目的は「日米離間」で、国が生き残るまで「中国につくかアメリカにつくか」
をはっきりさせず二股外交を続けるしかない、という事情があるとわたしは見ています。

防衛大学校に留学している韓国からの留学生は一人一人は非常に優秀で、
日本人学生が「あいつらにはとてもかなわない」と思うくらいなのに、
なぜか二人、三人以上の集団になると途端に「ダメ」になるらしい、と、
防大卒の子弟をお持ちの方が言っておられました。 

これはとりもなおさず「民族的メンタルの未成熟」が全ての根源なのだと思うのです。
個人の優秀さはその人間の組織での栄達を約束するかもしれませんが、
他人を蹴落として自分が頂点に登ることだけを皆が考える社会というのは、民度が未熟なままで、
決して社会単位の豊かさや、発展繁栄につながるものとは思えません。

中国人にもこの傾向は明らかにあって、彼ら自身がこう言っています。

「一ケ中国人是龍、一群中国人是虫。一ケ日本人是虫、一群日本人是龍」

幼稚で馬鹿げた韓国の卑日反日も、一群になると途端にお互いが譲らず、
自分がトップに立とうとする「船頭多くして船山に」の成れの果てであると言う気がします。




と、相変わらず話が本題から逸れてしまいましたが・・・。


二番機の後席は両手でご挨拶。
やはり全機キャノピーを開けたままですが、これは「暑いから」というより、
挨拶が観客によく見えるようにという配慮でしょう。



前席は手を振らないパイロットも。

 

リードソロの5番機。
四番機を欠いて何かと大変だったこの日の飛行を、
相変わらずのソロでそれでも十分盛り上げてくれてありがとうございました。

わたしの後ろの女の子たちも、新聞にインタビューされていた人も、
多いに興奮し、その素晴らしさを堪能したようですよ。



6番機も両手サービス。
白い手袋が一番目立っていました。



そして、エプロンのエンドに向かって進んで行き・・・



発進前に盛大にスモークを噴出(笑)

今日は途中で中止になってスモークを使い切らなかったから、
帰投前に吐き出していくのかな? 

最後まで演技できなかったフラストレーションをここで発散しているみたい。
この「大噴出」が起こったとき、広い飛行場にスピンドルオイルの独特の匂いが立ちこめました。
スモークは1番、あるいは5番機の指示によって噴出させますが、
ソロのときは「自分の判断で出していい」ということになっているようです。

東京オリンピックのときに、当時のブルーが、五色の輪を、

カラースモークを出しながら飛びました。
黒のスモークの着色が難しく、完成したのはオリンピックの10日前であったそうです。

カラースモークは1998年まで使用されていましたが、オイルに染料を混ぜるのにも、
終わってから抜くのにも手間がかかり、費用もかさむ上、
染料が機体につくと除去に時間がかかること、 そして何より、近隣住民の

「洗濯物に色がつくと落ちない」

というクレームが大きかったようです。



スモークは二回に分けて噴出されました。



まず、1、2、3番機、そして後発が残りの5、6番機というテイクオフです。



前輪が上がった瞬間をトップ画面に揚げたのですが、もう一度。

 

これ、なにげに凄くないですか?
前輪の上がり具合が、センチ単位でほとんど同じです。
そして、三番機のパイロットの顔の向きを見て欲しいのですが、
しっかり一番機の前輪を見てますね。

もちろんインカムでの合図があるのでしょうけど、
恐ろしいくらいシンクロした動きが出来るんですね。

まあ、これくらい、数々の演技の難度から見れば基礎中の基礎なのかもしれませんが。



そして、滑走路を飛び立って行ったのですが・・・・・。

・・・・・・あれ?

この写真、何か変なのです。
後ろに移っている建物は、横長の窓が幅、縦長が高さを見る、
監視装置を備えたもので、

「今使っているかどうかは分からない」

ということでしたが、変なのはそのことではありません。
この写真をアップにしてみますと・・・



なぜ

建物の向こう側に

ブルーインパルスの機体が写っているの?

だって、この建物ですが、

滑走路の向こう側に建っている

んですよ?
物理的にあり得ませんよね?



もう一丁アップ。
いかにも古びていて、実際ここはもう使われていないらしいのがよくわかりますが、
どうしてこんなことになってしまうんですか?


 

参考までに、滑走路の向こうにあることがよくわかる画像。



もう一度問題の写真。

こういう現象って、デジタルカメラだと起こるものなんですか?
なんだか凄く気持ち悪いんですけど、どなたかこの現象の解明していただける方、おられませんでしょうか。


 


2013入間航空祭~外来機ウォークダウンと帰投

2013-11-07 | 自衛隊

ブルーインパルスの演技が中止になった後、
わたしはどっと減った人の隙間を少しずつ縫うように前に進んで行き、
F−15Jの飛行のときにはエプロンから3列目にまでたどり着いていました。



こんな感じの位置です。
これは手を上に持ち上げて撮ったものです。
F−2の移動のとき、後ろのバズーカレンズがわたしと隣の人の間にずいっと突き出され、
しかもそれがわたしの頭に長時間押しつけられて実に不快だったので、
急激に首を傾げてレンズを押し、シャッターチャンスを台無しにしてさしあげました。
 




このベレー帽は高等工科学校の学生さん。
パイロット志望なんでしょうか。
横にいた人が

「どうも工科学校の制服はあまり格好が良くない。
特にベレー帽の被り方が皆ダサい」

と仰っていました。
まあ・・・・一応高校生ですから。
鏡の前で格好よく見える角度を研究するスタイリストももしかしたら
いるかもしれませんが、少数派でしょうな。



飛行そのものはあっという間に終わり、
待っている時間の方が長い。
これが航空祭というものです。

飛行が終わってしまえば、各機帰投の瞬間を見るだけが皆の目的。
しかし、暇なので目の前を何か通ればシャッターを切ります。



こんなのとか。
手前はパイロットでしょうか。




こんなのとか。

 

こんなのも。



この軽トラのときは、周りの皆が一斉にシャッターを切っていました(笑)



この日はブルーインパルスの飛行の合間にこの鳥が編隊を組んで飛んでいました。
去年の入間では2番機がバードストライクで演技中止。
この日来ることが出来なかった4番機と予備の無番号機は、
みゆみゆさんに教えていただいたところによると、
やはりバードストライクによる故障とのこと。 

鳥の飛翔に憧れた人間が実際に自分で空を飛ぶことになった結果、
こうやってその先生である鳥さんの命をしょっちゅう奪っているのね。

合掌。 





F−15のウォークダウン。
左の整備員が手に持っている長いものは、セーフティピン。
セーフティピンとは、機能を停止させるための安全ピンで、フライト前には
これを必ず解除して一本も残さないようにする作業があります。



たとえばベイルアウトのための装置は、地上にあるときには万が一の誤作動を防ぐため、
このセーフティピンによって作動出来ないようにしておくわけです。
レッセン(列線)と言われるフライト業務では、検査隊隊員は必ず
飛行前に解除したこのセーフティピンを手に持ち、パイロットに見せます。

ピン自体は決して大きなものではないので、
このような赤いベルトのようなものに付けられています。



ピンが抜けているかどうかは、パイロットと整備員が目視で行います。




エンジン始動後は、インターホンでパイロットとやり取りをしたり、
もう1人の整備員へ指示を伝えたり、連絡を受けたりして点検を進めます。
機体の右側からのびているのはインターホンのケーブル。らしい。





F-2の帰投準備も着々と進んでいます。
赤いキャップはパイロットで、手にしているのは耐Gパンツ?
(適当に言ってます。念のため)



ここで見ていると、フライトの準備というのはとてつもなく時間がかかるのがわかります。
慎重にも慎重を期して、安全を確保してからでないと飛ぶことは出来ません。


わたしはかねてから

「松島基地が津波で浸水したときに、震災発生から津波が来るまでの間に
F−2だけでもスクランブル発進のように飛び乗って逃れることはできなかったのか」

と言う疑問を持っていたのですが、この発進までの手順を見ていると、
とてもではないけど短時間で避難のために発進など無理ということが分かりました。
かつて飛行機に乗っていた方も、

「受け入れ先とか、どこまで飛べるかとか、飛び立ってからのことがあるので無理」

とおっしゃっていましたし、あれは残念ですがああいう運命だったんでしょうね。 



間違っていなければ整備員が手にしているのはインターフォンのコードのはず。
コクピットとお話中? 



機首の前にしゃがむのもかならずやっていますね。
もしかした後ろにももう一人整備員がしゃがんでいますか? 



さて、そのF−2もウォークダウンが終わり、いよいよ発進です。
手を振って通り過ぎるパイロット。
この瞬間のためにパイロットになりたい!って思う人もいるかもしれない。

ジョッキーとゼンっていうのはTACネームでしょうか。



松島までなら一瞬で着いてしまいそう。
また来年~。




U-125Aが帰投のための準備を始めました。
この機種は救難展示で活躍したことから分かるように救難機ですが、
小牧基地、千歳基地など配備している基地が多く、
このU−125Aがどこに帰って行くのかは分かりませんでした。



しゅっぱーつ。







そしていつの間にか準備が整ったハーキュリーズCH-130も。



どすこ~い。

とばかりに巨体が空中に上がります。


去年はたしかC−1が帰投のときにバンクをして挨拶したのですが、
今年の固定翼機は、一機も翼を振ってくれませんでした。
もしかしたら近隣の「落ちたらどうする」みたいなことを言う人種に配慮して、
そういう「危険につながりかねないパフォーマンス」は控えた、とか?
考えすぎだったらいいのですが。


次回入間航空祭、ブルーインパルスの帰投をお送りします。

 





 


2013自衛隊観閲式~徒歩部隊行進

2013-11-06 | 自衛隊

ある読者の方から観閲式行進をウルトラ警備隊のテーマに乗せた
YouTubeを教えていただきました。

自衛隊を「ウルトラ警備隊」で パレードさせてみた

勿論「陸軍分列行進曲」や「軍艦」にはかないませんが、
空自のときだけはこの曲でもいいような気がするなあ・・・・っておい
というような黛敏郎先生が草葉の陰で憤死しそうな与太話はともかく、
今日はこの曲をBGMにお送りします。



観閲徒歩部隊の先頭を切るのは、陸海空の音楽隊長です。



海上自衛隊東京音楽隊隊長河邉一彦二佐。
先日この方の作品「序曲変ロ長調」「旅立ちの日」をダウンロードしました。 
特に後者は、卓越した音楽センスを持ったメロディメーカーの本領発揮です。



三人の音楽隊長は音楽隊を率いて中央へと進み・・・
・・・・・・って、おい、

ピントが手前に合ってるぞ。

と思われた方、あなたは鋭い。
中央を撮るかに見せかけて、しっかり手前の超イケメン隊員に
フォーカスを合わせてしまう罪深いエリス中尉であった。
観客の方を向いて、ちらりとも後ろを振り向かぬまま警備を続けていた
この日の隊員の皆様、本当にご苦労様でございます。



このあと音楽隊は正面を向いて演奏隊形になります。



そこで以前お話しした「マスコミの一群」が
なぜかほとんどが白い帽子を被らされて?ぞろぞろと入場。



いよいよ観閲徒歩部隊の行進開始。
水色のマフラーは情報科のはずなのですが、どうして最初?

情報科はインテリジェンス、すなわち諜報のための部隊です。
インテリジェンスも迷彩服着るんですね。

この隊員の掲げている旗が、情報科のものではないので、
これが「観閲部隊」の部隊旗ではないかと推測してみる。

ちなみに、音楽隊の次は
観閲部隊本部の行進、となっています。



旗手はどんな状態であっても旗をそのままの状態で支えていなくてはいけません。
たとえ顔に被さって呼吸が苦しくとも・・・。



陸海空の三人が国旗を押し立ててその次に行進。



そして、防衛大学校学生隊が徒歩行進の最初の部隊です。



サーベルの放つ光が美しい。



向こうに髪の毛のないツルネン・マルテイみたいな外国特派員が・・・。
どこの国の記者で、どのようにこの観閲行進を見、どう伝えたのか非常に興味がありますね。

今年はこと観閲式に関しては中国からも韓国からも「右傾化」
だのなんだのの非難が聴こえてこなかったような気がしますが、
自衛隊のイベントごとに「日本の右翼化がががが」と騒いで来た両国にしては
今回はおとなしかったですね。
・・・・・・わたしが知らなかっただけ?





防衛医科大学学生隊。

ウルトラ警備隊のYouTubeは平成22年のものですが、その年も
指揮隊長を女子学生が務めています。
最近聴いたばかりの話なのですが、防医大では例年女子の方が全般的に優秀なんだそうです。



高等工科学校生徒隊。
この学校の正式名は英語で

Ground Self-Difence Force High Tecnical School

となります。
つい最近自衛隊の中の人から聞いた話ですが、工科学校は偏差値も高く、
防衛大学に行こうと思えば十分その力があるのにもかかわらず、

「部隊の気楽さに安住して」?

防大に進学せずそのまま実地部隊に進んでしまう生徒が多いのだそうです。
将来の為であっても回り道をしたくない、というのも若さのなせる性急さなのでしょうか。

その昔、旧軍での出来事ですが、海軍が

「すぐに飛行士官になれて(兵学校出と)同じ出世が出来る」

というような美味しい謳い文句で予科練習生を募集し、

「兵学校を受けるよりこちらの方が早い」

と勘違いした大量の優秀な青少年が難関を経て予科練に入ったものの
実際は兵学校出とは全く待遇も地位も違うことを知り、入隊後に

「だまされた」

と憤慨した一部の期生がストライキを起こしたという事件がありました。

まあ、これは飛行兵欲しさに海軍が純粋な青少年を口車に乗せたわけで、
現在の自衛隊部隊は勿論予科練とは全く違いますが、いずれも言えることは、

「急がば回れ」

と、きっと彼を心配する周囲の人間なら言う(言った)だろうなってことです。



続いては普通科部隊。
昔なら歩兵連隊です。
この観閲式のときにも伊豆大島の土砂災害に陸自が出動していました。

今日のニュースですが、伊豆大島の子供たちが、学校前で
「警視庁・自衛隊・消防の皆さんありがとう」と書いた横断幕を掲げ、
献身的な捜索・復旧活動に感謝したということです。

児童らは学校の門の前に立ち、自衛隊などの車両が通るたびに
「ありがとうございます」と声を掛けた。
6年の柳瀬奏夢君(11)は「がれきは少しずつ片付いてきている。
感謝の気持ちで手を振った」と話した。
企画した大島交通安全協会の春木望会長(79)は
「一人一人にはお礼できないのでこういう形にした」と笑顔を見せた。
(産經新聞ニュース)

こうやってちゃんと防人に感謝することを子供たちに教える大人がいる限り、
日本はまだまだ大丈夫と言う気がします。



空挺部隊。
この日、風が強かったため空挺降下が中止になりました。
無理矢理決行していたら、狭い観閲会場に降りられない、
という可能性もあったのかもしれません。

「風が強いときも戦争は起こるのに!」

とTOが無茶なことを言っていましたが、風が強い日は作戦を延期するんじゃないかな普通。



空挺団の隊長。

というだけで、もう常人とは違うレベル99くらいの、
ランボーみたいな生存能力を持った最強の男、って思ってしまいますが、
実際にそうなんだろうなあ。見るからに強そうだわ。

普通レベルでも彼らは二階から下りるのに階段を使わずに窓から飛び降りるそうですから。






海上自衛隊。



旭日旗はプリントではなくちゃんと縫製したものなのですね。

わたしの三段くらい後ろにいた一団が、
海自部隊の行進のアナウンスがあったときわっと沸き立ち、
声援を送っていました。
おそらくこの観閲部隊に家族がいるのでしょう。

一段下には、40代の茶髪の女性と、60前後の女性二人が、
初対面にも関わらずお互いが「陸自の母」であることがわかり意気投合していました。

わたしのように「全く関係者でもなければ知り合いもいない」
という唯の「自衛隊ファン」というのはもしかしたら少数派なのでしょうか。

もちろん後は「カメラ小僧」「カメラおじさん」「ミリオタ」ってところでしょう。
「自衛隊ファンとミリオタって何が違うんだ」
って言われそうですが、違うんですよ。
一口で言えば、前者はソフト、後者はハードに対する関心っていうかな。



まるで旧海軍の白黒写真から抜け出して来たようなきりりとした水兵さん。
彼の持っている錨に番号付きの旗が何なのか分かりませんでした。
護衛艦隊の第2護衛隊群とかいう意味でしょうか。 



航空自衛隊の隊長の眼鏡装着率なぜか高し。 
空挺部隊には一人も見なかったような気がします。



高等看護学院学生隊。



女性自衛官部隊。
中国のニュースではこの女性部隊の写真が大きく揚げられたようです。
「女性も戦闘をする国」
というイメージで武力化(彼らの言うところの)と右傾化(彼らの思うところの)
を印象づけたいというわけでしょうか。
実質女性自衛官は戦闘行為を行わないということが明文化されていることについては
きっと触れないんでしょうね。



女性部隊の旗をご覧ください。

海自を表す錨、空自の翼、そして陸自の草。
全てを盛り込んだ上に日本を表す桜、
そして向かい合っている赤い鳥は「女性」を表します。 

と、別に何を見たわけでもないのに旗の意味するところが
ばっちり分かってしまうのだった(笑) 

というか、分かり易すぎ。



後ろの車の空自、陸自の隊長。



海自の「桜に錨」の旗にはWomanのWが記されています。



この空自女性部隊の旗手がなかなかの美人さんでした。

女性自衛官部隊の行進が終わり、次は飛行部隊がやってきます。
(続く)







 


2013入間航空祭~ブルーインパルス

2013-11-05 | 自衛隊

この日入間に来る目的がブルーインパルスの演技を見るため、という人は
おそらく去年より増えた人数の6万人はいるのではないか、と思われます。

自衛隊という、日本では決してメディア的に持ち上げられることのない組織ゆえ、
ろくに報道もリポートもされず、そのためブルーのようなかっこいいものがあることすら知らなかった、
そういう層がテレビドラマで興味を持ち、実際にこの目で見てみたいと思った結果、
観客数の大幅増加につながったという面があるようです。

ドラマを放映したTBSというのも最近のネット情報によるとかなり微妙な放送局ですが、
このドラマは好評だったとのことで、やはり日本人に観てもらうには
かっこいい日本人を取り上げた方が結果がよいと改めて認識したのではないでしょうか。



さて、わたしは会場に落ち着く前に昼用のカツサンドと飲み物を買い、
午前の展示が終わって皆が阿鼻叫喚で食べ物を求めるための列を作り始める頃には
フードコーナーには立ち寄らなくても良かったのですが、
ふと気の迷いを起こして荷物を置いたまま物販コーナーに移動してみました。

そしてたちどころに後悔しました。

だって動けないんだもん。
何もなければ一分で通過できる通路が、密着率120%の人間団子のようになっていて、
昨日も書きましたが、センチ刻みの進行しか出来ません。
一所しかない通路に向こうから来る人と向こうへ行く人が順不同で進むのですから、
日本人でなければとっくに喧嘩が起こるか将棋倒しの事故が起きているでしょう。



動けなくて暇だから途中で撮った建物の入り口の写真。

「整備群本部」「検査隊」

つまり、チェッカーズ、じゃなくてフライトチェッカーの部隊ですね。
空自では「群」が「隊」の上にきます。

さて、やっとおしくらまんじゅう状態から逃れたものの、
食料をすでにゲットしているので取り立てて買い物もなし。
何の収穫もなく徒手を空しくして元の場所に帰ろうとしたそのとき・・・・!



大日本帝国海軍大尉発見。

航空士官らしくちゃんと飛行帽着用です。
航空バッグまで当時のものをちゃんとそろえて、完璧です。
中田商店で買いそろえたけど、着る機会がないので
こういうときに思い切って全身成りきってみるのでしょうか。
この日は曇りでしたがそれなりに日差しもあり、この高高度用の毛皮の飛行帽は
地上ではかなり暑かったと思われるがどうか大尉。

これを載せるとおそらく本人特定されてしまうので少し迷いましたが、
顔が写っていないので極小画像にて掲載させていただきました。
世間に公開されるのは望むところではない、ということでしたら、
即刻削除いたしますので、もしご本人、ご覧でしたらですが連絡ください。


さて、ブルーインパルス展示は12時45分にウォークダウンから始まります。
パイロットが乗り込む前のエンジン始動からが本番。

勿論わたしのいるところからは何が起こっているのか全く見ることは出来ません。

ブルーの駐機前とか、ブルー隊員のサインをもらう列とか、
こういうのに並べる人というのはもしかしたら前夜から寝袋持参で来ているのでは・・・。



演技開始。
始まっていきなり大疑問が。

「なぜ4番機がいないの?」

1、2、3番ときて4が飛んで5、6番。
初めて見る人は「4は縁起を担いで欠番なのかな」と勘違いしてしまうでしょうが、
これは不規則編成です。

4番機は後尾機、スロットといって、後方から隊形をチェックする役割の機です。
通常1番機の後ろを飛ぶため、その排気をもろにうけ、隊形によっては操舵次第で
キャノピーが排気の中に入り込む過酷なポジションで、別名

「地獄の後尾機」

とも言われているそうです。

ニュースによるとこの日の4番欠番は機体の故障であったとのこと。
最初からケチがついてしまったってことだったんですね。



横にいた人の話によると、通常は6機の他にナンバーのついていない予備機が
ついて来ているはずなのだが、ということです。

ブルーインパルスは3・11でたまたま7機が芦屋基地に展開しており、残りの2機も
整備に出されていたため一機を除いて難を逃れました。
その後は芦屋基地を拠点として訓練、展示を行って来たのですが、今年の3月に
二年ぶりに松島基地に帰還しました。








4番機がいないと、フォーメーションも左右比対称に・・・。



こうですから。
なんかわずかにいらっとする不均衡ですね。



一機で行うソロ飛行は無問題。
6番機は5番機とともに一機だけ、あるいは両者で行う「デュアル・ソロ」を受け持つパートです。

これはインバーテッド&コンテニュアス・ロールであったかと。



レインフォール(ループ頂点からスモーク開始、
真下を向いたところで一番機以外がブレイク)なのですが、
4番機がいないため、6番機だけが45度ブレイクを行っています。

うーん、やっぱり非対称って、イマイチですね。




サンライズでも、右に60度ブレイクする4番機なしでこの通り。




これ、5番機が凄いですね。
5番機も6番と同じく単独機ですが、こちらは「リード・ソロ」のポジション名です。

この演目は「バック・トゥ・バック」といい、先に5番機がロールし背面飛行に入り、
その後6番機が移動して二機が背中合わせならぬ「お腹合わせ」になります。



これ、どうみても何メートル単位の距離ですね。
真横から見ると、ぴったりと対称形になっています。

お腹ではなく、背中合わせの隊形になるフォーメーションを「カリプソ」と言います。 



これも本来4機で行う「チェンジ・オーバー・ループ」の
スモーク使用前であると思われます。
縦の隊形なら三機でも大丈夫ですね。



これはおそらくフォーシップ・インバートならぬスリーシップ・インバート。
通常1番機から4番機までが4機で行います。

でも、通常は見られないフォーメーションが見られたので、その点良かったかな・・・・



と思っていたのですが、このキューピッドで嫌な予感。

この、曇り空に描かれたハートが全くきれいに浮かび上がらず、
通常ハートの矢になるはずの4番機がいないため、キューピッドではなく、
Tー2時代の演目である「ビッグ・ハート」(ハートを描くだけ。
キューピッドは後からこれを発展させたもの)になってしまいました。

4番機の存在は大きかった・・・・・・・。


わたしの後ろにいた「初ブルー」らしい女の子二人が
もう興奮の極みでほとんど絶叫していました。
ビートルズの公演で叫びすぎて失神する女の子たちの映像を見たことがありますが、
まさにあんな感じです。
あまりの騒ぎぶりに、周りの人たちは振り返って彼女らを見ていましたが、
その視線は決して咎めるようなものではありませんでした。(たぶん)
わたしの横の人が、

「これくらいでキャーキャーいってたら、コークスクリューなんか見たら
あの子たち失神してしまうんじゃないか?」

とマジで言っていました。

が、彼女たちは失神せずにすみました。
コークスクリューは勿論、キューピッド(矢無し)以降の演技は中止になったからです。



彼女らのような初参加組が興奮しているのに対し、従来の観客は
当初から

「あれ?なんか今日は様子違くね?」

といった、「ノリの悪さ」を感じていたのですが、こうして最後の一機が建物の後ろに消え、
音楽とノリノリのDJ(去年も思ったけど、これ誰がやってるんだろう)は鳴り響けど、
その後の演技が全く再開されず、「す」が続き、しまいには
「航空自衛隊に入隊を希望される方は・・・」
みたいなリクルート勧誘アナウンスまでして場つなぎを始めたので、
さすがに33万人の観衆の頭上に「?」が浮かびだしたころ、

「上空に航空機が侵入のため中止いたします」

というアナウンスが。
そのとたん周りの人々がいっせいに

エエエエエェェ(´д`)ェェエエエエエ工工

になりました。
どうも後からニュースを検索するとドクターヘリだったようですね。
ということは緊急救命の要請による実働があったということですか。
それなら仕方ないね。

その後は、どっと人が減ったので、わたしはじわりじわりとエプロンに向かって直進。
一人分が空くとそこに身体を滑り込ませ、最終的には最前列に・・・・・・

・・・・・たどり着いたときにはもう帰投すら終わりかけていたんですが(笑)
次回はブルー初め各外来機の帰投をお送りします。

というか、わたしブルーインパルスよりもこっちを写真に撮りたかったのよね。
だから、こんな状態でも別にがっかりしたりしなかったの。



彼らはドルフィンキーパーズ。
つまりブルーインパルスの整備チームです。
パイロットすなわちドルフィン・ライダーたちが帰投した後は、
松島基地に帰る輸送機に乗って帰るのだそうですよ。



ところで、ニュースでこんな一文を見つけました。

都内から訪れた30代の女性会社員は
「ドラマの『空飛ぶ広報室』を見てから航空自衛隊に興味を持つようになって、
各地の航空祭をハシゴしています。やっぱり、ブルーインパルスはすごいです」
と興奮した様子で話していた。


やっぱりドラマ以降ですか。

テレビの影響力はすごいですね。
(そんなテレビの力で総力を挙げてゴリ押ししてもブームにならないようなものは、
つまり積極的に嫌われているってことなんだと気づこうね、テレビの中の人)


海自と陸自も、これに追随して、何かかっこいいドラマを作ってはどうでしょうか。

海自音楽隊員を主人公とした青春もの「戦う音楽隊」
(テーマソングは三宅三曹の歌う『我は海の子』。
訓練でカッターを漕ぐ音楽隊員のアップからドラマが始まる)とか、

陸自特殊部隊のサバイバルアクション、「風林火山な野郎ども」
(富士山頂の三日三晩行軍のシーンからドラマが始まる)とか、どうかな?(提案)









 


2013入間航空祭~救難訓練展示と推しメン総選挙

2013-11-04 | 自衛隊

前回の「予告編」で、

「航空祭、横須賀、岩国米軍基地見学記の三テーマを並行してこれから書いて行く」

と書いたのですが実は「観閲式」報告もまだ終わっていませんでした。
書くつもりだったテーマすら忘れているとは、先が思いやられます。

さて、予告編でも触れましたが、わたくし実は前日の夜までうっかりしていて
11月3日文化の日が入間の航空祭であることを忘れていました。
11月2日、この日は以前M24さんに教えていただいて応募した

「日米親善ベース歴史ツァー」

に当選し(いきなりアップしてM24さんへのサプライズにしようと黙ってました)
雨のそぼ降る基地を一日歩き回り、疲労困憊して

ああ、明日はゆっくり休んでエントリ製作しようっと」

などと考えつつ料理の支度などしているとき、あまり日頃電話のかかってこない
携帯のリングトーンが鳴りました。

「携帯鳴ってるよ」
「俺のじゃないよ、ママの音だよ」
「え・・・・」

慌ててバッグの底から取り出したけど間に合わず。
留守録が入っていました。

「明日入間の航空祭ですが行かれますか」

うわー、この期に及んでまたもやイベント追加。
疲労もさることながら、去年の航空祭の過酷さを思い返し、体力に不安を感じつつも
参入を決意しました。

もうここまで来たら毒喰らわば皿までってやつです。
ちょっと違う?


少し前と違い、息子も14歳になって、クラスの女の子とデートするお年頃。
一人で家にいるくらい、本人にもたまには開放感があっていいだろうと
自分の都合のいいように解釈して、一人家を出ることにしました。
キッチンにはコーンフレークと、昨日購入した「海自カレー・ひゅうが」の缶。
息子よ、この海自カレーでなんとか夜まで生き延びるがよい。


さて、当日は10時開場に合わせ、7時に家を出ました。
情報を頂いた方には「所沢の駅前の駐車場に車を留めてそこから電車に乗るべし」
という作戦指令を頂いております。 
基地の近くには車が押し寄せて大変な混雑だそうですが、5駅離れた所沢は
車で来る人は関係ないのでガラガラだから、ということでした。

当地まで車で来る予定の方、来年からのご参考に。

ただねえ。
大変だったですよ。そこからが。
電車に乗っているのは全て稲荷山の航空際に向かう人々。
去年は池袋からの始発にのり、しかも指定席だったので楽でしたが、
今年はもろに混雑度100%の満員電車。

毎日のようにこういう電車で通勤しておられる企業戦士の皆様には申し訳ないことながら、
わたくし生まれてこの方このような満員電車に揺られたことが数えるほどしかございません。
見知らぬ赤の他人とこれほど密着する空間というのに慣れていないため、
久しぶりのおしくらまんじゅう状態に驚きつつ、いつの間にか到着しました。



駅を降りたらまた電車の信号待ち。
こういうときも周りの人と身体触れ合いまくりです。



これでまだ開門と言われる10時には30分も間がありました。
しかし・・・・今年の人出は昨年より多くないか?

去年はたしか電車に乗り遅れたため、到着が10時半。
Tー4の飛行展示を電車の中から見たという状態でした。
それでも取りあえず普通に歩いて現地まで行けましたし、
飛行機の周りに近づくことも出来たと記憶します。



なんと。
この時点で展示飛行機には幾十もの人垣が出来ていて近づくことも出来ません。



前列のロープ前に場所を占めた人というのは、一体何時から並んでいたんでしょうか。
入間基地はあまりの人出に開門を早めたようです。

今ニュースを見ると、この日の人出は過去最多の32万人。
去年が確か27万人だったと記憶します。
やはりドラマの影響でしょうね。

森のくまさんが「入間の人出が怖いのでここ数年行っていない」
というコメントを前エントリにくださっていましたが、森くまさん!
怖いなんてもんじゃありあせんでしたぜ。
格納庫前の見学スペースから裏手の売店や屋台の購買コーナーに行く細い道は
電車の満員状態のまま皆がじわじわとすり足で進む修羅場。
あちらこちらに人々がてんでに座り込むので、通路がまっすぐに確保できない状態。
ところどころ、整理係の隊員が配備されていましたが、一人や二人では
この「数の論理」を制圧するのはまさに焼け石に水。

去年の人出も凄かったですが、昨日のそれに比べれば雨の平日のディズニーシーみたいなものでした。

来年からこのイベントは一体どうなってしまうんだろう。
ついそんな不安を覚えずにいられない異常な盛り上がりでした。



何でも、11月3日というのは統計的にも降水が少ない日なのだそうです。
この日も、前日と、そして次の日(今日)の雨天に挟まれているのに雨だけは降りませんでした。
しかしその代わり、何とも言えない曇天。

おかげで、いくら去年よりバージョンアップしたカメラを持っていても、
うすらぼけた写真しか撮ることができませんでした。
もっともわたしの場合は、天気のせいだけではないのは確実ですが、
ニュース映像を見ても結構同じような写真だったので、今安心したところです。

やっぱり航空祭は雲一つない青空の元で行われて欲しいですね。

そして待つことしばし、T−4の展示が始まりました。



T−4はブルーインパルスの機体に使われているように制動制御が楽で、
練習機として非常に優れているそうです。
なんというか、先鋭ではないけど安定した美しさがありますよね。



格納庫では、T−4のコクピットに乗ることが出来るイベントをやっていました。
二機展示されていましたが、ここもものすごい人が並んでいました。
もしかしたらブルーの演技のときなら乗れたかもしれません。



ちゃんとパイロットの名前が漢字で書かれています。
基地や機体によっても違うのでしょうが、最近は漢字が流行かな?

Crew Chief  S/SGT  渡部栄

と書かれています。渡部さんは二佐ですかね。



このT-4の演技のとき、驚いてしまったのですが、

「この部隊は全員50歳以上のパイロットなのでおじん部隊と言われている」
「ブルーと同じ機体なので、張り合って頑張っている」

ということを聞いたんですよ。
本当ですか?
前列には近づくこことも出来なかったので、このパイロットたちが
本当に皆50歳以上なのか確かめることが出来なかったのが残念ですが、
だったらすごいなあ。
50歳の現役パイロット。かっこよすぎるじゃないですか。

アメリカの航空人のことを調べていて、男女を問わず皆やたら飛行寿命が長いので
やはりアメリカ人は体力あるんだなあと感心したりしていたのですが、
日本人も50歳でも現役で編隊飛行などやってしまったりするんですね。






いつ見ても厳ついC−1兄貴と、いつ見てもスマートなU−4。
福田首相が北京オリンピック開会式の出席にこれを使用し、
政府専用機ではなく軍用機が使われたとして報じられたことがあります。

もともとジェットビジネス機ですし、自衛隊でも多様支援機ですから
全く無問題だと思うんですけど、「軍用」というだけでニュースにする、それが日本。



地上は相変わらずの人の波。
チェッカーの尾翼はここにある「チェッカー部隊」の飛行点検機。
U125が使われ、航空保安無線施設の機能を点検します。

点検=「チェック」=「フライトチェッカー」=「チェッカー柄」

という合点の行くネーミングならびにマークの決まり具合に納得。



UH−60J救難ヘリ登場。
今から救難の模擬展示です。



そこですかさず現れるU-125A。

救難捜索機で、捜索レーダーは勿論のこと、赤外線暗視装置も搭載。
UH-60Jと組んで捜索に当たります。



F−15が燃えている!のではなく、その向こうに要救難者がいるという設定。

U-125Aが発見した要救助者の近くにマーカーを投下。



上空にホバリングしたヘリから隊員が2名ロープ降下します。

 

隊員一名が要救助者を・・・・と思ったのですが、抱えているのは荷物。
いくら模擬救難でも、実際の人間を抱いて上がるのは・・・ということでしょうか。






ヘリが救難活動中、ずっと上空をぐるぐる回って哨戒しているU-125A。



隊員が収納されてロープが落とされた瞬間。



「はあ、無事に揚収完了!」



「行くぜい!」

必要以上に動きを付けて頑張るロクマルくん。
このあと勢い付けてブイーンと行きますよ。
こんな斜めになって、負傷者は大丈夫なのか。
今日は人間じゃなかったけど。



そこで登場、空自チヌークさんCH-47J。
入間には入間ヘリコプター空輸隊があります。

ところでこのチヌークですが、ローターが長く、
前方の地上から高さ130センチまではブレードが到達するため、
ローター作動時に危険範囲に近づくと確実に首から上が無くなります。

災害の際に稼働し一般人が乗ることも想定されるチヌークですが、
その際には必ず隊員や誘導員の指示に従うことを求められます。

さて、この空自チヌークが出て来たのは、続いて救難救援の飛行展示のため。
入間ではお約束、物資の引き上げが展示されます。



がんばろう、そして日本の旗。
CH-47とさりげなく自己主張を欠かしません。

しかし、確か去年、この牽引展示にはチヌークが二機参加していたというのに、
・・・今年は一機だけ?



この異種混合編隊飛行もそうです。
去年は二機のC−1を従えたU−4の三機編隊で、

プロレスラー上がりの用心棒を引き連れたスマートな社長の図」

なんて比喩をしてみたものですが、今年は二機。

プロレスラー上がりの用心棒を付けたお嬢様の図」

になってしまっていました。
なんでここで一機節約するかな。

「機種は違えど心は一つ!」

というアナウンスは、決まってでもいるのか、全く去年と一緒でしたが。
今年は例年より観客が何万人も多いというのに、
肝心の飛行展示がなんだか「しょぼい」と思ってしまったのはこれだけにあらず。
全体的になにやら「薄い」感が否めなかったのですが、理由はなんでしょうか。

経費削減、とか民主時代の経費カットの影響が未だに?と思ったのですが、
飛行にかかる予算というのは年間いくらで決められるので、
こういうときだけ削減するというのはあまり考えられない、という話も聞きました。

でもねえ。その「年間費用」そのものがカットされていたとも考えられるし。

自民政権になってから組まれた予算が反映される来年は、
せめて去年のレベルの飛行展示が行われるのではと期待します。

ちなみにこの異種混合編隊は、速度調整が特に速い方のU-4が難しいそうです。




人ごみの中に横田基地からきたアメリカ空軍の偉い人発見。
アテンドしているのは空自の自衛官で、横の人の話によると
准将であることから基地司令クラスではないかとのこと。
日本で買った(に違いない)カメラで、救難活動を激写中。
ちなみに隣にいるのは奥方の模様。
パイロットや軍エリートがモテることは日本以上のアメリカ。
さすが将官だけあって、美人妻(顔は見なかったけどたぶん)をゲットしております。



「空自モテ傾向」をこの日も目の当たりにしました。
スマートな制服を着た防大卒士官を取り囲む女性たち。

単に士官の彼女とその友達集団かもしれませんが。

わたしはもうそういうフィールドにはもはや無関係の立場なので
むしろ国防に関心のある一国民の立場で言うのですが、
こういう「自衛官モテ現象」を、ぜひブームにまでしていただきたい。

そのためにはそれこそドラマでも映画でもいいからイメージを良くし、
そして何より制服をひたすら「かっこよく」演出していただきたい。

「女の子にモテるから自衛隊に入る」

これでいいんです。
男にとっても女にとっても国防が「憧れの職業」になることは、
決して日本に取って悪いことではないとわたしは思うのです。

これまで「軍人がもてはやされるのは平和でない証拠」みたいな論調で、
左翼が
必要以上に自衛隊や自衛官を貶めるような印象操作をして、あたかも
「落ちこぼれが自衛隊に入る」
みたいな風潮を作って来たわけですが、今はもう時代が違います。

自衛隊や国防をあえてないがしろにして来たからこその最近の国際情勢の緊張であり、
つまりはそういうことをひたすら敵視軽視してきたことの反動の結果、
自衛隊が否が応でも表に立たざるを得なくなった。

左巻きの方には腹立たしいでしょうが、この「自衛隊イメージアップ」
の原因主因は、つまり自分たちが長年かかって作ったようなもんなんですよ。



一昔前は考えられなかった「推しメン選挙」掲示板。
独身の自衛隊員のプロフィールを紹介し、投票するのですが、
彼らの目標は誰が一番アピールするかではなく、実は投票用紙に「連絡先」を記入する欄があり、
お目当ての隊員にひっそりとアプローチをしてくる「将来のお嫁さん候補」。
だとわたしは瞬時に看破しました。

つまりわたしのような夫も息子も健在である者には、全く参加する意味も理由もない選挙。

しかしわたしは「もらって下さい」と書かれた段ボール箱から顔を出している、
哀愁をそそらずにはいられない隊員さんに一票を投じ、
連絡先には「資格がないので書きませんが、がんばって下さい」
と激励の言葉を残しておきました。
激励されても、って思うんでしょうけど。


というわけで、自衛官をお婿さんにしたい独身女性、
こんなきっかけもありますよ、ということなので、来年の11月3日は女を磨いて入間に走れ!



そんな軟派な話が申し訳なくなるくらい硬派なC−1の飛翔。
パイロット、張り切っていますね~。
操縦している人はいいけど、他の搭乗員は大変だ。

去年も書きましたが、C−1はこう見えても駆動性に長けていて、
45度くらいのバンクは軽々取ってしまうそうです。
まあ、宙返りは無理でしょうが。
「大空のサムライ」で一式陸攻が宙返りした話があったけど、
あれも今考えればどうなんでしょうね。
そもそも物理的に可能なんでしょうか。





航空祭で空自主催ですが、毎年第一空挺隊の降下は行われます。



わたしの後ろに、今年初めて航空祭を見るらしい女の子が二人、
いちいち「きゃあああ」「わああああ」「すごーい」
といった感嘆詞を大声で叫んでいて、注目を集めていました。

テレビの影響で来てみたら、思ったより凄かったと。
よしよし。
それでいいから自衛隊への理解を深めて、少しでいいから、
国防について考えてね。
(と全く老婆心から心の中でつぶやくエリス中尉)




降下する隊員は10名。
一列に並んだ傘が奇麗に降下して行きます。

空挺の降下は降下時にフックによって自動的に傘が開く仕組みで、
勿論予備の傘も装備しています。

それにしてもこの日、確かに雨天の合間に奇跡のように晴れた一日でしたが、
非常に雲が多く、青空に舞うパラシュートが見られなかったのは残念でした。


そして、ブルーインパルスも、また・・・・・・。


(続く)


 

 


 

 


2013入間航空祭(予告編)

2013-11-03 | 自衛隊

前日の夜8時までそのつもりはなかった、というか知らなかったのですが、
入間航空祭が明日あるよ、と教えていただき、急遽参戦しました。

昨日も実は軍関係の見学で一日歩き回ってくたくただったのですが、
今朝は5時起きで埼玉まで車を走らせること一時間半。
帰りの車では信号待ちのときに一瞬熟睡するなど怖い思いをして
ようやく帰って来たのですが、取りあえず今晩はこの疲れを癒すべく
このまま寝床に突入させていただきます。

そのまえに、今日撮った写真のハイライトだけを予告編として。


 

威風堂々、C−1の勇姿。



救難訓練を想定した降下。



ちょうど裏側で見えませんが、牽引しているのは
「がんばろう」と日本の旗のマーク。

 

C−1編隊。
空は曇り、青空が無く、写真撮影にはあまりいい日ではありませんでした。





風はほとんどなく、降下も行われました。



お待ちかね、ブルーインパルス。

 















この日の観客はテレビ番組の影響か、例年より多かったようです。
しかし、ブルーの演技にアクシデントが。
「上空に未確認の物体が」ある?という理由で、演技は中断したまま中止になりました。
コークスクリューもなし。
ハートの矢も無しです。



4番機も最初からいない演技でした。



帰投していくブルー。
後ろの隊員は是全機手を振っていました。 



他の外来機の帰投。
ちゃんとお辞儀をするお利口なやつ。



0H−1も、何もしませんでしたが人気者。




三機同時に離陸するところ。



明日からこの入間航空祭、そして岩国基地訪問記、そして、
週末行って来た横須賀米軍基地ツァーの三題噺を交互にお送りする予定です。

果たしてこれら全てをちゃんと混乱せずに報告することが出来るのか、わたし?


 


米軍岩国基地潜入記~岩国海軍カレーと米軍基地の鳥居

2013-11-02 | アメリカ

例年秋頃というのはイベントが目白押しのうえ、わたし自身、
息子が秋期休みになってお出かけが多くなるので、全てを報告していては
とてもではないけど、針小棒大に物事を語る傾向のあるこのブログでは
今年中にイベント関係の事を報告し終えることもできません。

しかるにやったこと見たこと、全てエントリにアップしているわけではありませんが、
この岩国基地訪問についてはぜひ詳しくお話ししたい。

というわけで、本日は例によってこの日の「導入部」をお送りします。


夏頃、岩国の米軍基地にF-18パイロットを訪ねて行く「かもしれない」
とコメント欄にて予告をしたわけですが、その後、スケジュールを調整し、
彼のスコードロンが移動と移動の合間にたまたま息子の休みが一致したので、
伊勢参りをして一泊し、帰ってきたその次の日に日帰りで行って参りました。

その週の前後には観閲式もあったわけで、まさしく怒濤の一週間。

これらの間隙を縫ってダンブライト氏が驚いて下さるくらいの長文で
内容の濃さはともかく、とにかく毎日エントリをアップし続けているのですから、
我ながら呆れます。

さて、今回の岩国行きは、全て我が家の米国留学に端を発します。
TOの留学した大学は世界中にそのネットワークを持っており、
日本でもしょっちゅう「OB会」が、日本人の卒業生有志によって開かれます。
TOがたまたまその幹事となったときに、そのOB会に出席していたのが、
夫が米軍岩国基地に勤務している大学院卒業生の女性、アンジーさん(仮名)でした。

そのOB会で彼女が「興味があるなら夫と会わせてあげるから、基地に遊びに来てね」
と言ってくれたのです。
日本人と違い社交辞令でこういうことを決して言わないのがアメリカ人なので、
わたしたちはご好意を素直に受け取り、今回の訪問をしたというわけです。

もしかしたら大抵の日本人は「遊びにいきます」と言っても忙しさに紛らせ、
心ならずも結果的に社交辞令になってしまうのかもしれませんが、
ところがどっこい、そんなお誘いは猫にカツオブシ、エリス中尉に戦闘機。

あれよあれよと話は決まり、当日になりました。



ところが。
当日は雨。
前日伊勢参りをしたときにはなんとか崩れなかったのですが、
この日は朝から結構な雨量で雨が降って来てしまいました。

「うーん・・・・大変だね」
「え?何が大変?土砂降りの中地面に座っているわけじゃないし、
傘もさせるし、移動はアンジーの運転する車でしょ?
先週の観閲式の事を考えたら、大変なんて言ったら罰が当たるって」

人間、一度底を見ると、大抵の事には我慢できるものです。
ときどき、あえて自分を過酷な状況に追い込み、日頃の生活で享受する
便利とか安全とか快適とかの価値を再確認する事は、
ともすれば感謝の気持ちを失くしてしまいがちな傲慢な人間には必要かもしれません。



岩国空港は非常に新しい空港でした。
ほとんど岩国基地の敷地内にあるような空港で、もしかしたら
米軍の関係者の強い要望でもあったのかと思われました。

ちなみに愛称は岩国錦帯橋空港。ゆるキャラはソラッピー。
使用航空会社はANAだけです。

外に出ると、アンジーさんが迎えに来てくれていました。
彼女は大学では建築を勉強し、こちらでデザインの仕事をしています。
夫のブラッド(仮名)の転勤に伴って、日本に来て三年目。
来年の春にはまたどこかに転勤になりそうだとのこと。

二人は結婚してまだ三年。
子供はまだ無く、アメリカ生まれの4歳の犬を連れて来ています。



基地の入り口に到着。

彼女がわたしたちを招待することになったとき聞いて来たのが

「あなたたち、日本人よね?」

岩国基地や厚木基地で行われるフレンドシップデーにパスポートを忘れて、
入り口で追い返される、という悲劇が表すように、
基地に入ることが出来るのは、米軍軍人と日本人だけなのです。
在日外国人はセキュリティの関係で入ることが出来ません。

これすなわち、通名使用の在日外国人もシャットアウト、という意味です。
こういうことに「差別だ」と文句を言う人たちも、アメリカ軍には
怖いのか言っても無駄だと思っているのか、何も言いませんね。

というか、これが普通の国の対応ですよね。
「差別」という言葉におろおろして、その場を丸く納めたい、あるいは
自分の任務を波風立てずやり過ごしたい、などという理由で妥協し、
結局母屋を乗っ取られることになった団体だらけの日本は、
本当に「甘ちゃん」で世間知らずだなあと思います。

「ダメなもんはダメ」

これでいいのにね。


さて、潜入にはまずゲートにある受付の小さな部屋でパスポートを出し、名前を記入。
入場に際してはバッジを渡されます。
基地内では関係者と必ず一緒に行動しなければなりません。

ひそかに機密部分に入り込めば、見つかり次第射殺されても文句は言えません。(たぶん)



えーと、これは・・・・
スカイホークA−4かなあ。

近づいてみれば説明板があるのですが、勿論雨なので降りてみることもしませんでした。

 

基地の中は完璧にアメリカ。
建物の中に入ったら息子が「アメリカの匂いがする」とつぶやきました。
食べ物の匂い、洗濯に使う洗剤の匂い、何かは分かりませんが、
わたしも「アメリカの匂い」だと思いました。
サンフランシスコの中華街が、中国人が住み着くことで「中国」になって、
悪臭漂う(これ本当)小汚い町になるように、
どんな人が生活しているかによって空気は作られるのだと思いました。

 写真の看板は、岩国基地の求人募集のようです。
中には日本人らしき従業員もたくさん見られました。
二つほど大学もあり、「国内留学」ができるようです。
一時流行ったインチキ国内留学の聞いたことも無い学校とは違う模様。



基地内は移動のためにバスが巡回しています。
この日は土曜日で、みなお休みモード。
スナックなどをを買い込んで、これからテレビでスポーツ観戦でしょうか。



雨でも自転車移動の人もいます。
ちなみに、世界基準に則して、海兵隊の軍人さんも傘は使いません。
アンジーにそれを言うと、

「そうなのよ!どんなときも傘ささないのよ。へんよね」

と笑っていました。
彼女はブラッドと結婚するまで軍関係の人間は周りにいなかったので、
軍人だけの慣習やしきたりなど、驚くことばかりだったそうです。

自衛隊でも航空隊はやっているようですが、米軍の飛行隊は、
「TACネーム」を持っていて、互いをそれで呼び合うそうです。
特に同期はそのあだ名を互いに付け合うのが慣習で、たとえ自分で
「俺はマーヴェリックな」
とか言っても、その男が「マーヴェリック面」をしていなければ却下。
大抵は周りが勝手に名前を付けてしまうそうです。

ブラッドのTACネームは「ハップ」(英語で書くと検索にかかるからカタカナ)
で、スーツの胸にはなんとブラッドではなく「ハップ」と書かれていました。
ハップが一体どのようなイメージで付けられたのか、残念ながら
日本人であるわたしには皆目分かりませんでしたが・・・。



基地の中には住居部分があって、士官とそれ以外は場所も別。
独身寮と家族用も別です。
これはたしか独身用だったかと。

ブラッドとアンジーは「基地の中とは違う空気も必要だと思ったから」
外に日本家屋の一軒家を借りています。



基地に入るなり、このような鳥居の形の建物案内が、しかもあちらこちらに
目につきました。
ここは昔岩国海軍基地で、末期には海軍兵学校の岩国分校もあったところです。
1945年に戦争が終わるとすぐに海兵隊に接収されてそのままなのですが、
当時からこのような「日本」のイメージの鳥居を看板にして来たようです。

「神様」に非常にこだわるうちのTOが、

「日本ではこの鳥居というのは神様に会いに行くため、
神様のいる場所と人間界を隔てるこの鳥居をくぐるので、
このように鳥居に看板を吊るして標識にするなどとは考えられない」

と彼女に説明したところ、アンジーは

「そうなの。
アメリカ人はきっと何もわかってないで失礼なことやってるわね。
ごめんなさいね」

とマジで謝ったので可笑しくなりました。
アンジーはインテリで決して大抵のアメリカ人のように無神経ではないので、
そういう「アメリカ人の無知」について日本人がどう思うか、十分理解しているのでしょう。





彼らにすれば「日本文化に敬意を表して」みたいな、
つまりよかれと思ってやっている確信犯なので仕方ありません。



基地の中は本当に広く、滑走路を騒音で迷惑にならないように
海を埋め立てて沖に作ったという経緯もあり、
このような「人口の湖」のようなものもありました。



そして、彼女が

「ここから向こうはJSDFよ」(すごく言いにくそうだった)
と言った柵の向こうに・・・・・・

このシルエットは!



(正確には違うけど)P−3Cが。

機体にはしごがかかっていて整備員らしい人影が見えますが、
この日の午後にP-3Cが飛んでいるのを目撃しましたから、
このときは始業点検をしていたものと思われます。



アンジーが最初に連れて行ってくれたのは、
海上自衛隊基地。
売店で自衛隊グッズを買うために寄ってくれたのです。

アンジーさん、あなた分かってますねえ。


第81航空隊はこの売店の向かいにありました。
エントランスには(正確には違うけど)P-3Cの写真が飾ってあります。

第81航空隊は第31航空群の隷下にあり、
P-3CをベースにしたEP-3で電子戦および情報収集
OP-3Cによる画像任務とする部隊です。



この「電子整備場」も、第81飛行隊が「電子戦部隊」であることを知れば
納得です。
 



そんな海自の皆さんがお昼を食べる食堂の一つ、「アクアマリン」。
今日の定食は唐揚げ定食とおさかな定食。
中をちらっとみたら、なぜか全員米軍軍人でした(笑)

毎日のことなので、アメリカン・ダイナーばかりでは飽きるのでしょうか。
こういう「日本風定食」はどうやら海兵隊の皆さんにもおなじみのようです。



岩国基地飛行艇カレー。
これ、買ってしまいましたよ。



二式大艇バージョンは辛口。

 

US-2も海軍ですかそうですか。

つまり伝統の「海軍カレー」という名前を死守しているのね。



プレミアムキーマカレーは、

世界唯一の救難飛行艇を所有する岩国で発案されたご当地カレー」

しかも、ひき肉が通常の1・5倍入っているプレミアム。
この「岩国基地発案」とは、なんと、カレーに


「レンコンが入っている」

のです。
なんでもレンコンはこの辺の名産だそうで・・・初めて聞きましたが、
もっと大事なことは、この岩国レンコン入りカレーを発案したのは、
畏れ多くも畏くも、大谷祥治前群司令なのだそうです。

でっていう話ですが、とにかくこのレシピは、レンコンを1センチ角に刻み、
さらにそれをバターで炒めて風味を出しているのだとか。
帰ってから一つ「辛口」というのをいただいてみました。

レトルトカレーには珍しく、これは合成・化学調味料を使っていません。
その意気や良し。

はっきり言って、レンコンの口触りがカレーとミスマッチというか、そもそも
「なぜレンコンをカレーに」と言う根本的な疑問を感じないわけではありませんでしたが、
柔らかいだけのカレーに歯ごたえとかを求める向きには、非常によろしいかと存じます。
 
最初にここに来たため、あまりゆっくりと自衛隊土産を買う時間がなく、
このカレーと、レンコン素麺、そしてお約束のTシャツを購入。



これ、US-2のファンにはたまらんデザインでしょ?
アンジーが「ナミノリタツジン?」(彼女は日本語が読み書きできる)
と聞くので、

「グレート・サーファーまたはサーフィン・マスターのこと」

と説明しておきました。 



売店を出ると、やはりここでも傘をさせない人たちが・・・・。
セーラー服に士官、やっぱり海自の制服ってかっこいい。









不思議な半月状のドームがありました。

「これはゼロファイターの格納庫なのよ」

・・・・・何っ。

昔海軍基地だった頃の掩体をそのまま保存し、中には21型零戦があるのだそうです。
見たいけど・・・残念、鍵が閉められブラインドまで閉められて・・。

あとでブラッドに中を見られるかどうか聞いてあげるわ」

ああん、なんていい人なの、アンジーさん。
格納ドームの壁には凄まじい数の銃弾の痕があるのがおわかりでしょうか。




もう一度入り口のスカイホーク(推定)前を通り過ぎて・・。



アンジーはわたしたちのために、一日スケジュールを組んでくれていました。
午前中は海自の売店で買い物、基地内を一周して、そのあと
米軍のレストランで昼食。
朝からミッションについていたブラッドは、仕事を終えてそこで合流し、
食後はブラッドにホーネットを見せてもらう、という段取りです。

少し分かりにくいですが、この建物はマーケットで「サクラ」といいます。

食事のため、米軍基地のビルディングに入って行きました。
すると、

 

ビルのエントランスの飾り付け。
なんだなんだ、この微妙なジャパネスクは。
松とか鶴の絵は日本風ではあるけれど、屏風って言うのが、やっぱり中国風。
しかも、



なぜ仏像がチュールのレースを巻いている(笑)
しかも、なぜそれがトランクの上に乗っている。

極めつけがこれ。



赤い大きな扇子って、これは間違いなく中国風だし、
そもそもこの家具一式、みな中国風だし、
黒の縁取りのカラフルな屏風も中国風だし、

わたしとTOでアンジーに向かって

「日本人はこういう飾りに赤とか金色は使わない。
大きな扇子はさらに使わないし、赤い花を花瓶に入れたりしない」

と正しい日本風というものをレクチャーしてあげました。
なんというか、アメリカ人って、日本と中国の違いがやっぱり全然わかっていないのね。
アメリカのテレビや、以前さんざん突っ込んだ映画「パールハーバー」などは、
所詮アメリカ在住のアメリカ人が頭で考えた「日本風」なので、無茶苦茶でも
割と当然かなという気もするのですが(許しませんけどね)、ここは日本。
日本に住んでいてどうしてこうなるかな。

チュールをまとった仏像といい、看板を掛けるために立てた鳥居といい、
無論悪意があってやっているのではないですが、文化の壁を感じます。



さて、このあとレストランで、いよいよF-18ドライバーであるところのブラッドと
ご対面することになったのですが、続きはまた後日。
 





 




 


2013自衛隊観閲式~車両部隊行進(準備)

2013-11-01 | 自衛隊

首相の観閲官訓示が終わりました。

そのとたん、車両部隊の前に整列していた隊員たちが
総員、目にもとまらぬ早さで車両行進のための移動の準備にかかります。



こういう、普段は見られないシーンが自衛隊イベントの醍醐味。



もう車両内に収まってエンジン始動の順儀にかかっている隊員もあり。



一瞬たりとも立ち止まっている隊員はいません。



旗持ちさんは車両横で車上に上がるまで待機。



車両に向いて立つことも決められているようです。
各車上で始業点検?をしているヘルメットがそこここに見えています。



全員の俊敏な動きは見ているだけでほれぼれするほど。
こんなシーンばかり写真に撮っているのはわたしくらいかもしれませんが(笑)

何度も言っているように、青のマフラーは通信科、オレンジは機甲科です。
車止めにオレンジを使っているのはこだわりでしょうか。(唯の偶然?)



装甲車の銃チェックよし。



ハッチを開けて搭乗。
もうほとんど飛び込む感じ。

これは96式装輪装甲車といいますが、ここに見えているのは12.7mm重機関銃M2のようなので、
二種類あるうちのB型ではないかと思われます。




準備が整い、出発の合図は手を挙げて。
旗を持っていた隊員も定位置に乗り込みました。

乗員は10名。
少しウケてしまったのが、製作したのが小松製作所であるということ。
重機器機のジャンルなんですね。

陸自としては愛称を「クーガー」として広報しているようですが、
それが一般的かどうかは、わたくしこのジャンルに詳しくないので知りません。
隊員たちはほとんどが「キュウロク」と読んでいるようです。



タイヤが8つもあるので、一つ二つパンクしてもOKな感じ。
しかし、万が一全部パンクしても、ある程度の距離なら走ることができるとか。

公道を走ることのできるサイズなので、東日本大震災では大活躍しました。





行進のための移動なので旗はたたんだまま。



これを見ると、お椀の中から顔を出しているようで微笑ましいのですが、
軽装甲機動車。



横から見るとお椀ですが、弾よけです。
この部分はたたんで全く平らにしてしまう事が出来ます。
雨の降っているときには車内水浸しになってしまいますから・・・

・・・・・あ、先週の雨の日、この装甲車の内部はどうなったんだろう。

防衛省の決めた愛称は「ライトアーマー」。
しかし、Light Armoured VehicleつまりLAVなので、保有する部隊内では略称をもとに

ラヴ」とも呼ばれている。

ラヴとも呼ばれている。


ラヴとも呼ばれている。

 うーん。
自衛隊内でも武器兵器を「艦これ」仕様にして「ヒトマルちゃん」とか、「キュウマル姉御」
とかの萌化に勤しむ性癖の隊員がいたら、これなんかもうそのままですね。

 

先ほどの軽装甲車が通信科でバイクが機甲科であるというのはこれいかに。
これは陸自所有の偵察用バイク。
1月に行われる降下初めでの模擬戦闘でもバイク軍団は大活躍でした。
オフロードとはいえ、あの草地を走り抜けるのもなかなかのテクニックと見た。



バイク軍団、背中に銃を背負っています。


 

土ぼこりではなく、エンジンの立てる白煙だと思います。
87式偵察警戒車。
バイク軍団とセットで偵察隊なんでしょうか。





89式装甲戦闘車。

注意していただきたいのは搭乗している隊員のマフラーの色。
赤ですね。
これは、機甲科ではなく普通科の赤であること。
89式は歩兵を輸送し、かつ乗車歩兵の戦闘ができることから
歩兵戦闘車というカテゴリに入れられます。
陸自の保有する唯一の歩兵戦闘車です。

この89式には詰め込めば8人が乗ることが出来るようです。

防衛省の定めた愛称は(さっきから思うんですが、なぜ防衛省がいちいち愛称を?) 
ライトタイガー。
しかし、現場ではこのなんと言うか総じて中学生が考えたみたいな名前より、
「FV」(Fighting vehicle)と呼ばれる事の方が多いようです。



車上の隊員があまりにかっこよすなので、ついアップ。
目つきが徒者ではない。
戦車隊の隊員は、防音と通信のためのヘッドフォンをしているようですね。


余談ですが、このVehicleという単語ほど、日本では馴染みがなく、
学校で習った覚えもないわりにアメリカでしょっちゅう使われるものも知りません。

日本で「クルマ」という感覚で、アメリカ人はこの言葉を使います。
ちなみにネイティブの発音は「ヴィエコー」。
アメリカに行く予定の方は覚えておくといいかもしれません。



これも96ですが、今度は普通科の部隊ですね。
もともとこれは普通科に配備されているはずなので、先ほど
青いマフラーが乗っていたのがなぜか不思議なのですが・・・。



輸送される歩兵の皆さん。
これを見るとどうも「柔らか戦車」を思い出してしまうのはわたしだけ?

ある訓練の帰り、後ろの隊員たちが皆で運転席の曹長のうわさ話をヒソヒソと・・・。

隊員の一人はiPadで検索した曹長のブログ「青空空挺団」(第一空挺団のこと)を皆に見せるんですが、

・・・・ありえねー。





これも降下初めの模擬戦闘で見ました。
120ミリ迫撃砲をジョイントして牽引する重迫撃砲牽引車。
模擬戦闘ではこの車が枯れ草の飾り付けを施され偽装をします。





この日は陸自の主催ですから、やはり装甲車や戦車が注目を集めます。
旭日旗が美しい。




前にショベルのついているところを見ると施設科の車両?
と思ったのですが、92式地雷原処理車(MCV/マインスイーパー)

マインスイーパー。地雷掃除機。そのまんまです。

車体の上に乗っているのは、「92式地雷原処理用ロケット弾」。
空中でロケット弾内に納められた爆薬が飛び出し、パラシュートで地雷原上に落下。
爆薬はワイヤーによって一列につながっていて、地雷原に到達すると同時に
起爆して地雷を処理します。
この作業を繰り返し、安全地帯が縦に伸びて行き、道ができるというわけです。





通信科の車両。
アンテナがこれでもかとついています。



これはなにかわかりませんでした。
隊員のマフラーの色から、通信用の車両だと思われます。
野外無線機?



化学防護車(CRV)。

第一特殊武器防護隊が装備し、放射性物質などによる汚染地域を行動できる
装輪装甲車です。
車内に空気浄化装置、放射線測定器などを装備し、車両後方のマニュピュレーターを使用して、
車外に出ずに外の汚染状況を迅速に確認する事が出来ます。
マニュピュレーターでは汚染された土壌のサンプルを採取します。
平成七年の地下鉄サリン事件で出動、サリンを特定する働きをしました。 





NBC偵察車。

○○式、という名前を持っていないのは、制式ではなく部隊使用承認の形で使用されているためです。
NBCとは、

Nuclear(核)

Biogical(生物兵器)

Chemical (化学兵器)

のことで、これらの兵器に対処するための装輪装甲車です。
化学防護車と同じく、陸上自衛隊の化学科に配備されます。
この化学科の職種標識の色は金茶、と言われていますが、
もしかしたらこれは黄土色のことでしょうか。



上の写真大アップ。
普通科などのヘルメットと違い、耳をすっぽりと覆う形になっていますね。

左の隊員が女性のように見えるのだけど、自衛隊では女性を配置しない部署に
化学隊を指定していて、その理由は「母体保護」。
ちなみに、戦車や歩兵なども過酷すぎるからという理由、
潜水艦は「男女間のプライバシーが保たれない」という理由で女性配置を制限しています。



というわけで、車両と観閲部隊が全てどこへともなく出て行って、
今度は再び観閲官たる総理大臣の右手から、観閲を受けつつ歩く
「徒歩行進」が始まるわけです。


続く。