ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

船長(指揮官)の妻〜帆船「バルクルーサ」サンフランシスコ海事博物館

2018-07-11 | 博物館・資料館・テーマパーク

「バルクルーサ」はじめ、この時代の船には 

The Slop Chest

と呼ばれる言葉がありました。

これは「スロップ・チェスト」というタイトルの説明に付けられた絵です。

「スロップ」というのは「水兵の」という意味があります。

ほとんどの船は乗員にタバコや冬服を「スロップチェスト」、つまり
水兵のチェストと呼ばれる
供給システムによって購入していました。

船長は通常、スチュワードに売り上げを任せていましたが、
一部の「金コマ」船長は自分自身で商品を売り捌いていたそうです。
なぜそんなことまでするかというと、ありがちなことですが、
売り上げを「ピンハネ」して自分の懐に入れるためでした。

1910年当時、オーストラリアやリバプールに輸送を行っていた「バルクルーサ」は
ジョック・ダビッド船長と、それまで七年間船員として乗り込んでいて
その後結婚した彼の妻、
マギーの指揮下にありましたが、その間、マギーは

She knew the ropes.(コツを知って)

いました。
船員から玉の輿的に船長夫人に収まった彼女は、

どの程度与え、そして与えないか」
(She knew also how to give us our whack and 'nae mair')
='nae mair'、ノーモアのスコットランド語=

の采配を振るい、権限を持って毎晩キャビンに物品販売のお店を開いては
茶、砂糖、ネッスルのミルク、燻製のニシンなどを陸の三倍の値段で
売りつけていたとか・・・。

「値段が正当だったのは、彼女がジョック船長の本に値段を付け、
船長が”髪を逆立てた怒りのジョック”になったその一度だけだった」

船長はどうやらカミさんのやることを黙認していて、自分の本を無断で
売り捌こうとした時くらいしか、彼女を叱りつけることはなかったようです。

キッチン近くの棚の写真です。
右側は中身はわかりませんが、瓶が1ダース入った木箱です。
左側はソーダの便が入っていたようです。

「バッテリー・ストリート803」という住所があるので調べてみたところ、
「エンバーカデロ」という海沿いの突堤が並ぶ通りから入ってすぐの場所でした。

甲板から船尾に向かって進んでいくと、船長室があります。
帆船の「一等地」は昔から船尾と決まっていたようで、サンディエゴで見た
映画「マスター・アンド・コマンダー」の撮影に使われた帆船でも、
船長(ラッセル・クロウ)の部屋は甲板デッキの船尾にありました。

天井からはバーにあるようなグラスを吊って収納するラックがあり、
壁一面を使ったソファも、肘掛の木彫が優雅な椅子も、昔は鮮やかな
真紅であったに違いない天鵞絨が張られていて優雅さを偲ばせます。

中央のテーブルは足が床に固定されて動かないようになっていました。

いつの時代もそうですが、船長というのはたった一人の特権階級であり、
狭い船内のため荷物を持ち込むことができない大多数の船員と違い、
好きなものを好きなだけ船に持ってくることができる唯一の存在でした。

船長の特権階級ぶりを伝える専用バスルームをご覧ください。
多くの船員が風呂など入らずに過ごしていた(多分)中、
日本人もびっくりの豪華バスタブがあるじゃありませんか。

右側の朝顔型はトイレかビデかはわかりません。

それにしても、こんなバスタブに満たすだけの水を
どうやって調達していたのでしょうか。
まさか海水風呂に入っていたとも思えないし・・・。
そもそもその湯をどうやって沸かし、どうやって入れたかですね。

こんなことを考えると、船長というのは、文字通り
特権階級、ヒエラルキーの頂点であったと思わざるをえません。

しかし、このページを読んでおられるような方なら、
船長すなわち指揮官は、如何に優遇されようと、
それが当然の権利であるという海の掟を知っておられることでしょう。

船は運命共同体で、何かあれば全員の命を握るのは船長の判断です。

かつて「バルクルーサ」もその長い航海の間に幾度か危機が訪れました。
例えば船に海水が流入してきてあわやという時に、当時の船長は、
荷物を積み下ろしするためのモーターをポンプに繋ぎ、人力なら無理だった
排水を可能にして沈没から船を救っています。

いざという時判断を決して過たないことが当たり前とされる船長には、
大変な重圧と、責任という名の錘がいつもかけられている状態です。
一見不公平な船長の「有り余る特権」は、これらの軛(くびき)に値する代償であり、
およそ人が船という乗り物に組織化された団体が乗り込むようになった太古の昔から
海の男たちに受け継がれてきた揺るぎない不文律でもあります。

現代では飛行機のパイロットにも絶大な権限が与えられていますが、
それは
空飛ぶ乗り物が誕生した時に、海の上での常識が
そのまま踏襲されたからに他なりません。

先ほど「海の男」と書きましたが、ジョック船長の妻マギーのように
軍隊の船でなければ船には女性が乗りこむこともありました。

(ギ・ド・モーパッサンの『蝿』みたいな話は別に置いておいて)

なぜバスルームにビデまであったのか、その理由はこれです。

そう、船長はその特権として、妻を帯同してもよかったんですね。

船乗りの妻というのは夫が航海に出てしまえばしばらく会うことができず、
これが原因で破局を迎えるということも不幸にしてしばしば起こるものです。

船の命運を握る采配を行う船長には、後顧の憂いなく任務に邁進すべき、
という理由で、夫婦で航海に出ることが許されることもあったのです。


ここからは余談です。

船長は特権階級、と力一杯説明しておいてなんですが、実のところ
世界各国、もしアメリカなら各州の法律によって
様々な制限が決められています。
これによると、
アメリカではなんと、

船長は船上での結婚式をすることができない

とほとんどの州で決められているんだそうです。

なぜ船長が船上で結婚してはいけないということが、わざわざ法律で
禁止されなければならないのかその理由はさっぱりわかりませんが、実は

イギリスなどもそうで・・・というか許されている国は少数なんだとか。

驚いたことにそのその少数国の一つが、我がジャパンです。
お互いが日本人である場合に限り、
船長が船上で結婚式を挙げることは
法律において可能なのだそうです。

時折アメリカやイギリスの映画で見られる(スタートレックを含め)
船上で結婚を行うシーン、あれは実は法律違反ということなんですね。



その存在を特権階級とするだけあって、船長というポジションは、
船が海にある時、特別なものになります。

ある元船長が自らいうように、船長は時計でいうと「主バネ」といったところでしょう。
全ての部品がそれぞれの義務を果たし、うまく動いても、メインのバネが壊れるとか
あるいは何かがそこに起こるだけで、その途端時計は動きを止めてしまいます。

というわけで、船長たるもの、メインのバネとして、完璧な仕事をするために、
自分を律せよと人に命令する自分こそが、まずそれを実践せねばなりません。

船長は良きにつけ悪しきにつけ、自分自身の行いの結果の中に
自分自身が放り投げられることになるわけですから。

 

船長=指揮官、としてもいいと思うのですが、彼らは孤独なものです。

普通の船員というのは、船員仲間同志で気心の知れた会話をすることができます。
多少階級の上下はあっても、例えばコックがスチュワードに、
一等船員が二等船員に
相談したり、親しく話したりすることもあるでしょう。

しかしながら船長というものは、特に船上では唯一の、孤高の存在であらねばなりません。

古い英語のことわざに

「慣れすぎは嘲りのもと」(Familiarity breeds contempt)

という警句があります。


いかに尊敬していたり憧れていた相手であっても、親しく交わりすぎると、
人には悲しいことに相手を甘く見る気持ちがどうしても生まれてきて、
それが軽い軽蔑に変わっていくことがあるという意味です。

権威なり敬意なり、そういったフォーマルな距離を保ちたいのなら、
人にあまり近づくな、あるいは人との距離を縮め過ぎるな、
ということなんですが・・・・・・あーなんかこれすごくわかる。

「ここまでならずっと長く気持ちのいい付き合いができる」

というラインをずいずいと超えてくる人というのが、
わたしはほとんど恐怖を感じるくらい苦手なので。


という自分の話はさておき、このことわざが最もぴったりくるのは
船の上の権威である船長をおいて他にない、と思われるわけです。

ある船長はこのように書いています。

マスター(船長)というのは、例えば一等航海士と
船の全ての問題について会話したり、
時には打ち解けて
任務以外の話をすることがあっても、
決して誤解されたり、
ましてや利用されることのないように
一線を引かなくてはならない仕事です。

だからこそ、もし船長が結婚していたら、彼の妻は健康で航海を楽しみ、
決して海を恐れることなく、海の上で孤独な仕事に就く夫の
精神的な支えとして互いに向き合ってやるのが理想なのです。

女性が船に乗り込むことにはいろんな説があると思われますが、
その女性が正しい人間ならば、必ずや良い影響があるでしょう。

女性がいることによって、男性たちの間に、言葉や行動を慎もうとする
「ジェントルマン精神」が生まれ、老若を問わず、水兵たちのなかに
彼女を言葉や態度で傷つけようとする者などいなくなります。

そしてわたしは船長の妻、「オールド・ウーマン」がちょっとした、
優しく女性らしい、親切な一言をかけることで、
男たちの顔がパッと明るくなるのを何度見たことでしょう。

この「オールド」は年齢のことではなく、若い船長と彼の若い妻の場合も、
船上での彼らの存在は、水兵たちにとって

「オールド・マン」「オールド・ウーマン」

であるのです。

よく世間で耳にする一般論は『女性は船の上に居場所がない』
ということですが、
それもわたしに言わせれば正しくありません。

もし彼女が海を愛しているなら、そして船の上で快適に過ごせるなら、
わたしは彼女が夫と一緒に航海することの是非について
何の疑念も持ちませんし、
逆に船の上ほど彼女が敬意を払われ、
恭しく扱われる場所はないとさえ思うのです。

 

冒頭画像はそんな「オールド・マン」「オールド・ウーマン」の姿。
「セント・ジェームス」というバーク船の甲板を歩く船長夫妻の姿です。

船は航行中で、水平線を見る限りかなり波に揺られているようですが、
そんな甲板の上を、まるで公園の歩道のようににこやかに笑いながら歩く
船長、ロバート・タプリーとその妻。

遠目に見てもこの若くハンサムな夫と美しい妻の姿は、
おそらく「セント・ジェームズ」の船員たちの敬愛を集めたことでしょう。

ところで、自分の立場を利用して船員に物を高値で売りつけて
暴利を貪っていたらしい船員上がりの妻を持ったジョック船長は、
果たして「バルクルーサ」船長として皆から尊敬されたのでしょうか。


続く。




”上海”されたブラスバウンダー(真鍮野郎)たち〜バルクルーサ・サンフランシスコ海事博物館

2018-07-10 | 博物館・資料館・テーマパーク

しばらく遠ざかっていましたが、実はまだ
サンフランシスコ海事博物館の帆船「バルクルーサ」についての
見学記が途中なので、ここでちょっと割り込みます。


上部デッキのバウスプリットを見て、この時代特有の投錨用設備
「キャットヘッド」なるものの存在を確認して降りてきたところからです。

この構造物の上に上がる階段は、後から見学者用に付けたものではないか、
と前回推測したのですが、それが違っていたことが判明しました。

この絵です。
階段に腰をかけて船員たちが憩いのひと時を過ごしている様子。

「ドッグワッチ・コンサート」と題された絵です。
4時から6時、6時から8時、というこの4時間のワッチのことを
「ドッグワッチ」ということは、以前「コンスティチューション」の項で
お話ししたことがあります。
通常の見張り時間の半分で、どちらのグループも夕食を食べる時間ができ、
ドッグワッチは船員たちの唯一と言っていいほどの楽しみでした。

一日の中でヘビーな仕事のない唯一な時間だったので、
軽い作業をしながら歌が出ることもあったのです。

 

この上部構造物全体を「デッキハウス」と言いました。
前回お話ししたギャレー、カーペンターショップ、
見習いの者と”idlers”(怠け者たち)の居場所などがあります。

ボースン、セイルメイカー、大工、コックなどは、乗員の中でも
特に仕事がハードで、朝6時から仕事が始まり、朝食と夕食を取る30分間を除き、
夜6時まで休むことなく働き続けなくてはいけませんでした。

「怠け者たち」はそんな彼らに与えられたわずかな特権で、
夜通し仕事に就く代わりにワッチに立たなくてもよかったのです。

デッキハウスという構造物はバルクルーサが建造される50年ほど前、
商船に導入されたのが最初だそうです。
「カブース(Caboose )」と呼ばれる大きなコンロを備えた調理室が
それまでの小さく持ち運び可能なな構造物に取って代わりました。

それまでは構造物がコックごと(!)波にさらわれることもあったのだとか。

デッキハウスはバルクルーサのもののように鋼鉄製になっても、
(それまではチークのパネル製だった)難攻不落というわけにはいきません。

「ビーコン・ロック」という帆船は1905年、ありえないほどの強風で、
鋼鉄製のデッキハウスが綺麗に薙ぎ払われ、構造物が何もなくなり、
船体が三つに砕けたという記録があります。

「ミッドウェイ」の艦首楼は広大なスペースに鎖が渡されていますが、
帆船の船首楼、フォクスルはどのようなものでしょうか。

このドアから入っていきます。

規模は全く違いますが、基本構造は同じですね。
全く違うところは、「バルクルーサ」のフォクスルは、船員のベッドがあることです。
壁に沿って備え付けられているのは二段ベッド。

こちらは「バルクルーサ」ほど広くない船の船員居住区です。

しかし、船員は自分の寝床で機嫌よく楽器(マンドリン?)などを弾いてます。
船の中で唯一の「自分の場所」であるベッドには、布団の他
棚などを作り付けにしているようですね。

写真の説明には「寝室は狭く、病気が蔓延しがちだった」とあります。

もっともそこが快適かというとやはりそうでもなかったようです。

この絵はデッキ下のフォクスルでの生活を描いたもので、

「我々は船の暗くてジメジメした船首楼に寝床を割り当てられた。
そこは暗くていつもウィンドラスの周りからの潮で濡れていた」

そりゃまー、外につながる穴が空いてるのが仕様ですから。

しかし、「バルクルーサ」の水兵たちはこの絵の頃の船に比べれば
かなり待遇は改善されていたと言われています。
快適さは船の大きさも大いに関係していましたが、「バルクルーサ」の
メインデッキ上のクォーター(ここです)はご覧のように三角形の
壁に沿ってベッドがあったわけで、これは格段の広さだったのです。

「フォクスルにピアノが置ける」

というのはこの広さに対する彼らの印象です。
(もちろん置いてませんが)

近年は法律で乗員の寝室を艦首に設置することは禁止されています。
万が一衝突などの事故が起こった時の被害を避けるためというのですが、
先日のアメリカ海軍の事故を鑑みると、どこで寝ていても
事故が起こった時に安全な場所など船にはないという気もします。

海軍の水兵でなくとも、セレモニーの時にはこんな正装をしました。
1904年に行われた「水兵労働組合」の行進の様子です。

一般に当時の「バルクルーサ」のような船の船員の仕事は過酷でした。
もしかしたら、ビクトリア朝の船員より、後期のスクエア・リグの
帆船の船員の方がひどかったかも、というくらいです。

水兵と消防士の労働組合ができたのは1889年ですが、もちろん
外国航路を回る船に乗り組む外国人船員はその対象ではありません。
超過酷と言われた英国の水兵よりは、アメリカの帆船の乗組員は
ましと言われていましたが、それでも士官からはほぼ人間扱いされませんでした。

当時のサンフランシスコの船員たちの間にはこんな話も囁かれていました。

「タールをこぼしたのを咎められ殴り殺された男の体が、
ずっとワッチをする場所に手首を縛られてぶら下がっていたが、
仲間の気まぐれで彼のボディパーツはどんどん無くなっていった」

写真の水兵さんたちは、世界初の成功を収めた海事労働組合の会員です。
「シーマン・ユニオン」は最初スクーナーの船員の間で創立し、
蒸気船の船員が加わり、組織を大きくしていきました。

「シーマンズ・ユニオン運動」は、アメリカの船でかえりみられていなかった
船員たちの権利を守るために起こり、1915年には実を結びました。

「船を辞める権利」「賃金の支払いを要求する権利」

が初めて認められたのです。
居住区の改善と、船のオーナーに対し、士官の指揮全般の
責任を持つようにと要求する権利もその時初めて与えられました。

船が港に着き、荷を降ろすと、船員は給料をもらい、船を去ります。
その時に歌われる彼らのチャントの歌詞が書かれています。

目を瞑れば老いた男がいうのが聞こえる 船を去れ、ジョニー、船を去れ

「もう一度舫を引いてビレイピンに掛けろ」 船を去る時がやってきた

ああ、船はオンボロ、あっという間に水が漏る 船を去れ、ジョニー、船を去れ

ああ船はオンボロ、これが最後じゃない 船を去る時がやってきた

ああ、仕事は辛くて賃金は安い 船を去れ、ジョニー、船を去れ

荷づくりをして上陸だ 船をさる時がやってきたよ


船に残された書類が拡大して掲示してあります。
その一つが船員名簿。

全部自己申請なので、偽名も年齢詐称もし放題なわけですが、
やっぱり船にはそういう素性のわからない人も紛れ込んでたんでしょうか。

それはともかく、この船員名簿は1888〜9年、「バルクルーサ」が
イギリスのウェールズからサンフランシスコにきて帰っていった時のものです。

最初のページには雇われた人の名前とともに、支払われた賃金が書かれているのですが、
これによると、平の船員は驚くことに、何ももらっていないことがわかります。


乗組員はイギリスとアメリカの往復でみっちり二年間は船の上にいたわけですが、
彼らが始めて金を受け取るのはこの航海が終了した時。
おそらくはその金額は
二年間の苦役に相当するほどではなかったでしょう。

リストには24名の船員のサイン、年齢、国籍、前に乗っていた船、賃金、
"AB" (Able Bodied 五体満足)”OS"(Ordinary Seaman 普通船員)
などが記入されています。

給与規定などもポンドで書かれており、これによると大工は二等水兵より高給です。

これを仔細に読むと、イギリスからサンフランシスコに着いた時、
サンフランシスコで8人が船を降りたので、代わりに現地で採用した船員が
8人いて、彼らは昔からいたメンバーよりかなりの高給で雇われたこともわかります。

 わたしは見た 彼ら航海する海の男を

コットンクラッド船で、濡れた犬小屋で寝起きし、暖かい餌を与えられ、
騙され、こき使われ、一ヶ月3ポンドを小さな喜びとする者たちを

穏やかな波と天国の風を守る者たちを

しかし、彼らの汗を伴う強さから生まれる号令によって
帆船は楽しげなラインを張る

ジョン・メイスフィールド(詩人)

 他の船より広かったといえども、彼らの寝床でもある船首楼というのは
基本こういう鎖が海に向かって引かれている場所であるので、
寒さはもちろんのこと、終始海水か雨水のどちらか、
あるいはどちらもが吹き込んでくるような環境だったということです。

「手の空いた者はデッキに出ろ!」

という叫び声がフォクスルに聞こえるときは大抵が緊急事態だ。
ワッチに最後に参加していた者が帆の操作のためにデッキに出る。

ボートがドアのところにつっかえたようにあり、

「デッキで手の空いた者はとにかく出てこい!」

と叫んでいる。
叫んでいる者はランプを掲げ、彼の防水着はその上で割れて
落ちてくる薄い氷のようにカチカチ鳴っている。

「寝てる者は叩き起こせ!」

彼のアクセント大声で叫ぶにつれ低くなる。

「俺たちは氷の中にいるんだ。地獄みたいな吹降りだ。
両方のトップセイルをなんとかするぞ」

「ハーフデッキ」〜ブラスバウンダーズ(士官見習い)が住んでいた

というパネルの写真です。
後ろの四人が「ブラスバウンダーズ」。(Blassbounders )
真鍮野郎、みたいな呼び名と考えたらいいのでしょうか。

ただしこの写真を撮るときは、いつもの「ブラスバウンダー」が着る
汚れたダンガリーではなく、ちゃんとしたスーツの格好をしています。

ハーフデッキとやらはここではないかと思うんですがね。

この説明によると15〜6歳でハーフデッキの生活を始めるということは
ある意味もっともチャレンジングで勇気のいる決断だ、というんですよ。

その年齢で火の中をくぐり抜け、強風と上からの激しいシゴキと叱責、
港につけば荒んだ男たちからの誘惑にあらがわなくてはいけない。

しかし、この洗礼によって弱々しい少年が海の男に育てあげられるのです。


英語には「上海する」(SHANGHAIING)という船員の隠語があります。

人の意思に関係なく連れて行く、拉致する」という意味で、日本人なら
ここは怒りを込めてPyongyangを同義語にしたいところですがそれはともかく、
「上海される」(shanghaied)で拉致された、となります。

イギリス軍が、成り手のない軍艦の船員にするために、港で
若い男を片っ端から拉致していた、という話をしたことがありますね。

イギリスだけでなく、ここサンフランシスコでも、システマチックに
男の子を攫って人手を欲しがっている船に『調達』し、手数料を稼ぐ、
という超ブラックな人材派遣組織が存在したことが知られています。

この傾向は十九世紀末には世界中の港港で見られ、大型帆船が入港すると
なぜかピカピカのブラスバウンダー(誰うま)が増えていたとか・・・。

 

攫われてきた”ブラスバウンダー”たちは、拉致されて海の上に連れてこられ、
当時のことですからそのうちこれも運命と諦めて、そこで生きていくことに慣れ、
いつの間にか「海の男」になっていったのかもしれません。

この写真後列の四人が「上海」されてきたのでなかったことを祈るばかりです。
(-人-)

 

 

続く。


MiG仕様のアグレッサー「ホーネット」〜空母「ミッドウェイ」博物館

2018-07-09 | 軍艦


わたしたち日本人にはすっかりおなじみ

 F-4 Phantom II ファントムII
マクドネル社

ファントムIIは海軍、海兵隊、空軍に初めて採用された
ジェットエンジン式の多用途戦闘機です。


全てのミサイルを搭載できるだけでなく、爆撃や近接航空支援にも対応でき、
それだけでなくソ連のMiG戦闘機とドッグファイトを繰り広げる能力もありました。

最終的にF-14に置き換えられるまでF-4は一線で活躍し続けた名機です。
「ミッドウェイ」でF-4が運用されていたのは1987年までということですから、
ここにあるのが「ミッドウェイ」のものだとするとすでに30年前の機体ということになります。

が、

我が航空自衛隊では2018年5月現在、まだ現役でございます。
それは日本だけでなく、ギリシャ、エジプト、韓国、イラン、トルコ空軍では
まだまだ改良、近代化を重ねて運用され続けてているのです。

ただもう日本はようやくというか、次期後継機 F-35の運用が目前ですので、
日本の空にファントムが飛ぶのを見られるのももうあと僅かでしょう。


ちなみに2018年1月26日にF-35 1機(AX-6)が午前11時頃、三菱重工業の
小牧南工場がある小牧基地から三沢基地に到着、航空自衛隊三沢基地に配備されました。
到着時には同基地の隊員らが整列して出迎え、パイロットに花束が手渡されたそうです。

このパイロットというのは、F-35を操縦してきたパイロットということですね。
wikiの情報によると、2017年5月18日には2名のパイロットが空自で初めて
アメリカのルーク空軍基地においてF-35の訓練課程を修了したということですので、
この2名が三沢基地に機体を運んだということなのでしょう。

それにしても、この二人がどういう経過で第一号パイロットに選ばれたのか、
どんな優秀な人たちなのかものすごく興味があります。

ブルーインパルス出身とかかな。

話が逸れました。
このファントムIIは空母「コーラル・シー」に搭載されていたものです。

「コーラル・シー」はミッドウェイ級の3番艦で、やはり1990年まで
「ミッドウェイ」のように元気に第一線で活躍し続け、

「Ageless warrior」(不老の勇士)

と奉られていたということです。

不老の勇士、その尊称は現在日本の空を飛んでいるファントムにこそ
捧げて欲しいと、わたしは心から切望するものです。

搭載されている爆弾には

Mk82 General Purpose Bomb

とマーキングされています。

Mk82はダグラス・エアクラフト社が開発した航空機搭載爆弾で、
アメリカ軍が制式化している低抵抗通常爆弾としては2番目に小さく、
単体で投下することも、GPS誘導のJDAMキットなどを装着することで
誘導爆弾としても用いることができるという優れものということです。

インスタにアップでもしているのか、携帯をずっと打ち続けている人が
一向に前を退いてくれないので、そのまま撮ってやりました。

F/A 18 Hornet 「ホーネット」攻撃戦闘機
マクドネル・ダグラス社


 F/A-18ホーネットは、戦闘機と爆撃機の両方の機能を持つ艦載機として
初めて空母で運用された機体となります。

1983年から運用されて以来、徐々に他の航空機に取って代わってゆき、
今では現行機体のほとんどを占める攻撃爆撃機です。

それにしてはこの色はなんだか変じゃね?と思われた方、
そして、なぜ赤い星がついてるんだ?と思われた方、あなたは鋭い。

この塗装はMiGファイターに似せたものなんですよ。

MiGに似せてペイントされたこのホーネットは、アグレッサーとして
トップガンの航空戦闘のために使われた経歴があるということなのです。



アメリカ海軍航空隊の訓練で敵機を「演じる」部隊を

「アドバーサリー部隊」(Adversary)

と呼称します。
日本では「アグレッサー部隊」の方が有名かもしれませんが、それは
映画「トップガン」のもたらした影響かもしれません。

前回フライングで映画「トップガン」について散々お話ししてしまったのですが、
ここは基本に帰って、「トップガン」のなんたるかを説明しておきましょう。

 

ベトナム戦争時代、アメリカ海軍では航空戦でMiGを相手に苦戦した体験から、
1969年、アドバーサリー(仮想敵)を務める技術を学ぶ、

NFWS(海軍戦闘機兵器学校)“トップガン”


を開校しました。

ご存知かと思いますが(わたしは割と最近まで知らなかったので一応)
「トップガン」というのは、そのものがアグレッサー部隊なのです。

そして同時に「アグレッサーとしてMiGを演じる部隊」が編成されました。
最初にアグレッサーになったのはA-4、空軍のT-38F-5E/Fなどです。

しかし実際の敵であるソ連空軍にもそのうち高性能なSu-27MiG-29などが出現したので、
そうなるとこのF/A-18A/B、またF-14F-16Aが「仮想敵」となりました。

ちなみにF/A-18は現在もアグレッサーとして使用されているそうです。


それではなぜここにその現役のアグレッサー機体がいるのかという話ですが、
おそらくこの機は単に経年劣化のため、引退することになったのでしょう。


映画「トップガン」(1886年作品)はここサンディエゴで撮影されました。
映画撮影時はまだ「トップガン」はサンディエゴにありましたが、
その後1996年、ネバダ州のファロン海軍基地に移転しています。

学校といっても1年に6回トレーニングが行われるだけ、しかも一回のクラスには
たった12人しか採用されないので、(彼らはエリート中のエリートです)

特に施設を必要とするものではなく、移転は簡単に行われたようですね。

 

しかしサンディエゴ市内には映画でグースが弾いたピアノのあるバーがまだそのまま
存在しており、サンディエゴに寄港した練習艦隊の幹部などは訪ねることもあるようです。

しかし、ただ一人酔わなかったと聞いた途端手のひらを返しておいてなんですが、
グースのアンソニーって、トップガンに選ばれるようには見えないよね。
ERの「グリーン先生」みたいな役の方がぴったりくると思う。

まあ映画でも向いてなかったという設定にされてましたけど。

蛇足ですが、トップガン出演者のビフォーアフターというページを見つけました。
これを見ると、トム・クルーズがいかに超人的若さを保っているかわかります。

アイスマンなんて太ってしまって酷いことに・・・。
前回、わたしが「トップガン2」ができたら「アイスマン」だった
ヴァル・キルマーは海軍バーのマスターがいいところだ、と書いたのですが、
この写真を見ればきっと賛同してくれる方も多いことと思います。

 

ちなみに、ベトナム戦争におけるキル・レシオ(撃墜対被撃墜比率)の結果
3対1という
アメリカにとっては非常にショックな数字を踏まえ、
空対空ミサイル性能の低さによる「ミサイルキャリアー論」の批判と、
空中戦闘機動の重要性をレポートした、

「Missile System Capability Review」(俗にいうオルト・レポート)

によってこのトップガン構想を打ち出したのは空母「コーラル・シー」艦長だった
フランク・オルト( Frank Ault )大佐だったそうです。

このレポート、もちろんわたしもちゃんと読んでませんが、
表紙とかが無茶苦茶雑で、アメリカ海軍ってこんな書類を出すんだー、と
結構興味深かったので一応添付しておきます。

後半にはトップガン構想(レポートでは "Advanced Fighter Weapons School"
の必要性、となっている) について言及されていますので、

原文ですが、もし興味がおありでしたら読んでみてください。


さて、前回トップガンについて書いたところ、Kさんから本のご紹介をいただきました。

F-14トップガン・デイズ 最強の海軍戦闘機隊 デイブ・バラネック著

映画「トップガン」のクレジットには、MIG PILOTの中に
DAVE”BIO"BARANEKというこの著者の名前が見られるそうです。


この本(を読んだKさん)によると、映画「トップガン」では
トム・クルーズ扮する『Maverick』が教官『Jester』に墜とされていましたが、
実際は生徒の乗るF-14の機体能力が格段に優っていたため、
教官の乗るA-4やF-5が墜とされていたのだそうです。

上の方でわたしもF-16の導入理由について同じことを書いていますが、Kさんも

「共産国にMIG-29やSU-27が配備されると慌てて教官機を
空軍機F-16に換えたことも頷けます」

というご意見だそうです。

この本には、函館事件でアメリカに亡命したベレンコ中尉が、
米軍航空基地を巡回してブリーフィングをしていたことも書かれているとか。

ヴィクトワール・ベレンコは亡命後、アメリカ軍に情報供与を積極的に行い、
政府から身体の安全を保証されていたそうですね。


Kさんによると、航空自衛隊浜松基地にある航空教育集団の幹部の方などは、
パイロットを志した要因に『TOPGUN』の影響があると云っていたそうです。

ところが、現在T-4練習機で訓練をしている戦闘機乗りのタマゴたちのなかには、
この映画を志望動機に挙げる訓練生はまずいないのだとか。

映画「TOPGUN」の公開は1986年。
昭和は遠くになりにけり、というところでしょうか。

 

こちらは空軍アグレッサー部隊の超かっこいい編隊飛行です。
手前から二番目はここにあるホーネットと全く同色にペイントされています。

 

続く。

 

 

 


振り向けば、エアボス〜空母「ミッドウェイ」博物館

2018-07-07 | 航空機

 

空母「ミッドウェイ」の飛行甲板から見た艦載機エレベーターです。
前にもご紹介しましたが、「ミッドウェイ」博物館はエレベーターを
ハンガーデッキ階に固定して、カフェというか休憩所として解放しています。

ここで買ってきたパックのサンドウィッチやバーガーを食べながら
航空機やこの前の広場の巨大な「水兵とナースのキス」像、そして
眼前に広がるサンディエゴの眺望を楽しむこともできるのです。

左のほうに見えているブリッジで、右手全般に広がる島
コロナドと陸が繋がれています。

画面の右に行くと海軍基地が広がっています。
コロナド・ブリッジが開通するまでは、車のフェリーも操業していたようですが、
今ではフェリーは人間専用となって完全に住み分けができているようです。

ちなみにフェリー料金は4ドル75セント、所要時間は15分です。
本当に呉から江田島みたいな感覚ですね。

ところでこのエレベーター部分に展示されているのは

Douglas A-4 「スカイホーク」Skyhawk

で、今はもうない「黒騎士」とあだ名されたVA-23攻撃隊の飛行機です。
操縦しやすく、「ハイネマンのホットロッドなんてあだ名もありました。

前回は空中給油のプローブの位置にやたらこだわってみたのですが、
その目で改めてこの機体を眺めると、

「ノーズから生やすのはイマイチなのでここに付けたんだな」

とつい考えてしまう場所にある給油プローブに目がいってしまいます。
クーガーの、ピノキオみたいにノーズから給油口が生えているのもなんですが、
だからと言ってこの場所も中途半端な気がしないでもありません。

映画「トップ・ガン」ではこれが仮想敵機を演じていました。

それからここでもお話しした「ライト・スタッフ」では、海軍出身の宇宙飛行士、
スコット・グレン演じるアラン・シェパードがこの「スカイホーク」で
母に着艦するシーンが描かれていましたが、
彼が本当にスカイホークに乗ったかどうかはその経歴からは窺えません。

シェパードは海軍のテストパイロット出身宇宙飛行士で、彼がテストした機体は  

McDonnell F3H Demon Vought F-8 Crusader, Douglas F4D Skyray 

 Grumman F-11 Tiger  Vought F7U Cutlass   Douglas F5D Skylancer

カットラス試験の時にはスナップロールの時に機体が復元せず、
機体を立て直せなくてベイルアウトしています。

そういえばカットラスは「ガッツレス」(根性なし)という不名誉なあだ名以外に
「未亡人製造機」とも呼ばれていたんでしたっけね。

また、スカイランサーのテストをしてこれが気に入らなかった彼は
上に無茶苦茶な報告を上げたため、海軍はこれを導入するのをやめて
代わりにF8Uクルセイダーを導入したという話も・・・。

サービス画像、アラン・シェパード海軍兵学校時代。

さあ、今日もフライトデッキに展示されている飛行機を見ていきます。

「ミッドウェイ」博物館は展示に工夫が行き届いており、さすがは
西海岸で最も人が訪れる展示艦であると感心します。
コクピットに座ることはできないと思いますが、上から見ることができます。

 North American T-2 「バックアイ」Buckeye

Tというからにはトレーニング、つまり練習機なのですが、空自が昔
採用していて「ブルーインパルス」にもなっていた三菱製のT-2と違い、
こちらはノースアメリカン社製の練習機です。

「バックアイ」というのは後ろに目がある人のことではなく(そらそうだ)
オハイオ州バックアイにあるノースアメリカンの工場で生産されたからです。

バックアイはトチノキのことで、オハイオは「トチノキ州」と呼ばれ、
またオハイオ州の人のことはそのものズバリ「バックアイ」といいます。
ついでに州立オハイオ大学のニックネームも「バックアイ」。

中・高等練習機として1990年代まで使われていましたが、その後

T-45 Goshawk「ゴスホーク」

に置き換えられて引退しました。
「ゴスホーク」はシェイプがT-4そっくりです。

wiki

艦上で給油中のゴスホークさん。
ゴスホーク=「オオタカ」というよりイルカっぽい。

North American A-5「ビジランティ」 Vigilante
爆撃機

unknownさん、お待たせいたしました(笑)

遠目に見てもまるでヒラメのようなうっすーい機体。
超音速爆撃機である「ビジランティ」は空中給油機も着艦フックも
空気抵抗を減らすため内蔵しています。

こんなでっかいのに乗員はたった2名、冷戦時代に核爆弾搭載用に、
先日お話しした「スカイウォリアー」の後継機として作られました。

こんな薄いのにどこに核を積むつもりだったのかというとここ。
インターナル・ボム・ベイ(内蔵爆弾格納室)といい、なるほど、
薄いが胴体が長いわけがこれを見るとよくわかります。

この図は、核爆弾を射出したという想定で、全体が4つに分かれていますが、
先端が「テイルコーン」、
真ん中の二つが燃料タンク、一番後ろのが核爆弾です。

というわけでこの「ビジランティ」、導入後すぐに起こったキューバ危機では、

「アメリカも核攻撃は辞さない」

ということをアピールするため、フロリダに配備されたのでした。

 

冷戦時代、米ソはお互い核爆弾を航空機に積んでウロウロさせていました。

落ちたら一大事の核爆弾を、落ちる可能性がある飛行機に載せること自体、
はっきりいって素人目にも無謀としか言いようがありません。

実際チューレ空軍基地米軍機墜落事故を始め、この時代に、
表沙汰になっているもの、
なっていないものを含め、アメリカは実際に
核を積んだ爆撃機を何機も
(一説には30件以上の事故があったとか)
墜落させているといわれています。

しかし爆弾の小型化と戦略原潜がその代わりをすることになったせいもあって、
核の爆撃機搭載は(ソ連との協議もあり)自然に廃止の方向に動きました。

しかしそれをいうなら現代の原潜も

「核を積んでウロウロしている」

ことには間違いないのですが、なんというか、空を飛んでるのと
海底に貼り付いているのでは随分安全度も違う気がします。

 

ちなみに「ビジランティ」とは「自警団員」という意味です。
試しに自動翻訳にかけると「自衛隊」となりました(´・ω・`)
自警団員といっても自宅警備員という意味ではありませんので念のため。

 

その後「ビジランティ」は、戦略爆撃機構想が終焉したので
変換を行うことになったわけですが、いかんせん発想が
特殊すぎました。

投下時はテイルコーンを切り離し、核爆弾をドローグガンで後方に射出するのですが、
この時、目標地点で空になった燃料タンクも一緒に射出する仕組みです。

しかし、カタパルトから射出すると、しばしば衝撃で燃料タンクが脱落したり、
また、ベイ内には1発の核爆弾しか搭載できない・・・・。

つまり爆撃機としては使えねーと判断され、どうなったかというと
その機体のでかさにも関わらず偵察機に生まれ変わったのでした。

・・というか、偵察機くらいにしか使い道がなかったんだと思います。

しかし転んでもだだでは起きないアメリカ海軍、核爆弾投下の際には
ウェポンベイだった部分に、偵察機本来の偵察用カメラだけでなく、
監視のための電子機器を一切合切内蔵するための「カヌー」と呼ばれる
フェアリング(空気抵抗を減らすためのエアロパーツ)をつけました。

写真機体下部に見えているのが「カヌー」です。

こちら、横から見た「カヌー」。

カヌーには電子偵察システム用のアンテナ、赤外線センサー、
そして側方監視レーダーなどが収納されていました。


「ビジランティ」の横に黄色い機械と紫の人がいます。
紫の人は通称「グレープス」という燃料補給隊。
燃料補給ができるのは「紫のシャツの人」だけです。

最初黄色い車は航空機の牽引車ではないかと思っていたのですが、
コメント欄でunknownさんに「それエンジンのスターター」とご指摘を受けました。

ですが、それ繋がりでトウイングの話題に突入してしまっていたので、
今更流れを変えるわけにいかず、そのまま掲載します。


牽引を行うのはやはり黄色いシャツを着た「イエローシャツ」軍団です。

このタイプは陸上でも使われるのですが、空母にはもう一つ別の形の牽引車があり、
それは高さがわずか50センチくらいの小さな形をしていました。

牽引車の操縦のベテランになると「名人芸」並みのスキルを身につけていて、
航空機同士の間隔わずか数センチのところを、ものすごいスピードで
スルスルと引っ張ってしまうのだとか。

もちろん牽引していて航空機を何かにぶつけるなんて、ありえません。


ちなみに、牽引の時にはこの車がトー・バーという接続のためのバーで
牽引する航空機に取り憑くのですが、その間航空機のコクピットには
必ず人が乗っていなければなりません。

八戸基地の記事でも出てきましたが、「ブレーキ・ライダー」という役です。

ブレーキ・ライダーの役目は、例えば海が荒れていたり、あるいは
牽引車の重さが足りなくて、機体が滑ったり動いてしまったりした場合、
ブレーキをかけて機体の暴走を止めることです。

ただ、自分で操縦するならともかく、牽引車に引っ張られるコクピットに
ただ乗っているのは、パイロットでもない者にとって本当に怖いものだろうなと思います。

特に怖いのがエレベーターに乗る時

機体はコクピットを外に向け、しかもヘリコプターなどは、
スキッドを端ギリギリに寄せてエレベーターを動かすため、その時
コクピットはパレットから完全に海の上に突き出した状態になります。

この時、海が荒れていたりすると、機体がもろに波をかぶることもあるので、
ただでさえ避けられがちな「ブレーキ・ライダー」、こんな日は誰もやりたがりません。

海に慣れ、艦を住処として、いつも任務をこなしている乗員にも
怖いものが存在するということは興味深いですね。

ちなみに、ただ一つ、率先してブレーキライダーを皆がやりたがるケースは、
先日もお話しした、
アラートの際のコクピット乗りこみだけでした。

ただじっとして寝ていれば、じゃなくて目をつぶって待機していればいいからです。


余談ですが、かつての「ミッドウェイ」乗員の証言によると、その人が勤務中、
当時の「ミッドウェイ」のエアボスは、どういうわけか牽引車の操縦が好きで、
しょっちゅうフライトデッキに降りてきては(エアボスの勤務場所は艦橋)
「イエローシャツ」になりきって、艦載機を牽引するのが趣味という人でした。

彼は一般的なエアボスがそうであるように、戦時平時を問わず
「寝ない」人でしたが、エアボスにしては超気さくなタイプと評判で、
そうとは知らずに気安く牽引を任せた何も知らない新入りを、
背中の「AIR BOSS」という文字でしょっちゅうビビらせていたそうです。

ただ黄シャツ軍団のベテランによると、くだんのエアボスの牽引は
いわゆる「下手の横好き」というやつだったそうなので、エアボスでなかったら
趣味の牽引などとてもやらせてはもらえなかったと思われます。

おそらくエアボスが牽引する機のブレーキライダーには、
部隊の「生贄」が乗らされるはめになったことでしょう(-人-)ナムー


 

続く。



F9F「クーガー」空中給油の長すぎるブーム〜空母「ミッドウェイ」博物館

2018-07-06 | 航空機

空母「ミッドウェイ」のハンガーデッキに展示されている航空機を
一つづつ懇切丁寧に紹介しています。

うおおっ、これはまたいかにも時代を感じさせるシェイプの飛行機。
艦載機として生まれた飛行機そのものといった翼の形をしているではありませんか。

 

Grumman F9F 「パンサー」Panther

グラマンの「猫一族」、パンサーです。
どこかで見たような気がするけど「イントレピッド」艦上だったかな?
と思って調べたら、その時に見たのは「クーガー」の方でした。

両者は似ていますがF9Fの「パンサー」に対し、主翼を後退翼にしたのが「クーガー」です。

にゃんと!(猫だけに)

パンサー(下)とクーガーが一緒に飛んでいる写真をwikiで見つけました。
翼の形状だけが違うのがよくわかります。
ちなみにクーガーは、翼にエルロンが付いていない数少ない飛行機の一つです。


朝鮮戦争が起こった頃、空母艦載機として最初に採用されたジェット戦闘機で、
1947年に制式採用になってまだ3年の新型でしたが、空力設計においては
翼が直線的であるなど、明らかにライバル戦闘機には劣っているといわれていました。

ただ、その割には敵地深くもぐりこむように攻撃したり、敵地やあるいは
追い詰められた前線の部隊に即座に一発爆弾をお見舞いする、などといった
任務には大変優れていたため、戦闘機としてよりこちらで重宝されたといいます。

 

性能的にはあまり優れていない飛行機でも、
パイロットの腕で2世代分は
カバーできる、ということを
我が空自のファントムパイロットがF-15相手に証明した

という話を最近どこかで読んだ覚えがあるわけですが、

参考:【下剋上】「ファントムII」は死なず 
   退役間近、空自「F-4EJ改」が「F-15J」をバンバン堕としているワケ 


「パンサー」にも同じ話があります。

朝鮮戦争時代、アメリカ海軍で初めてジェット機(MiG15)を撃墜したのは
実は「パンサー」初期型のF9F-2でした。

 

そういえば、わたしも、「イントレピッド」のクーガーを語るログで、
初期のパンサーに乗ってMiG15を撃墜したエイメン少佐とやらの写真を上げたんだったわ。

MiGを撃墜して帰ってきたエイメン少佐が、機嫌よく機体から降りてきてるシーンですが、
機体がまさにこのパンサーであることが星の位置からわかりますね。

 

上の写真は、英語サイトの「航空機今日は何の日」で見つけました。
これによると、撃墜されたMiGパイロットはミハイル・フョードロビッチ・グラチェフ大尉

別名「日本やっつけ隊」であるサンダウナーズのドライバーであったエイメン少佐は、
「フィリピン・シー」より発進したF9F「パンサー」で、グラチェフ機に
20ミリ砲を
四発撃ち込み、撃墜したとされています。

MiGが墜落するところは確認されていませんが、グラチェフ機は未帰還となったので、
被撃墜認定されたというものです。

F9F-8P 「クーガー」COUGAR

何ということでしょう、「ミッドウェイ」では「パンサー」の隣に、
後継型の「クーガー」も展示してあるじゃないですか。
サービス満点です。

しかし後継型と言いながら、こうしてみると翼だけでなく機体の形も全く別物ですね。
F9F-8P は写真偵察機バージョンで、おそらく撮影機材の関係でノーズを延長しているため、
少しシェイプが
変わって見えるのかもしれません。知りませんが。

これによって同機は上空からの撮影が水平、垂直どちらからも可能になりました。


そしてつい先ほども書いたように、初期の「パンサー」を後退翼にしたのが「クーガー」です。
後退翼を採用した理由は、艦載機として翼がよりコンパクトにたためるからかな?

と素人のわたしなどは考えてしまいますが、もちろん目的は機能向上。
後退翼にすることで高亜音速〜遷音速領域での抵抗減少や臨界マッハ数を上げることができる、
つまりぶっちゃけ速くなるのです。

 

 

wiki

サイドワインダー・ミサイルを翼の下に装着した偵察型「クーガー」。
ノーズの下にカメラのためのカヌー型レドームがあり穴が開いているのが見えます。

写真偵察型の「クーガー」は全部で110機製作されました。

また「パンサー」と比べていただければ一目瞭然ですが、「クーガー」は
空中給油のためのブームを鼻面というかフロントから生やしているのが特徴です。

冷戦時代になって、空中給油の必要性を感じたアメリカ軍は、空中給油の方法を模索しましたが、
その段階で実験的にこのスタイルのブームをつけられたのが「クーガー」でした。

これは1950年台半ば、空中給油の実験を行なっているところで、
A3D-2「スカイウォリアー」が F9F-7「クーガー」に給油しています。

空中給油の方法には二種類あって、こちらはドローグと言う小さな漏斗のついた
給油パイプをタンカーが伸ばし、給油を受ける側はその漏斗にプローブを差し込む

ドローグ&プローブ方式

です。
この方法は小型機に限られます。
大型の飛行機への給油はもう一つの方法、直接相手の給油口にパイプを挿入する、

フライングブーム方式

で行われます。

フライングブーム方式でC-141に給油中のKC-10
なるほど、どちらも大きいですね。

KC-10は空中給油と輸送の専門機で、愛称は「エクステンダー」
その意味は「拡張するもの」。

何をエクステンドするかというと、そこはやっぱり

「給油する機体の滞空時間」

でしょう。

そう豪語するだけあって?KC-10は副給油装置として、小型機に給油できる
プローブ・アンド・ドローグ方式の給油装置1基も装備されています。

つまり、給油相手によってアタッチメントをつけ替えたりする必要がなく、
アメリカ軍の規格に準じた、いずれかの空中給油装置を持つ航空機であれば、
ほぼ全ての航空機に対して給油が可能となっているエクステンダーなのです。

ただし、ドローグとブームの両方式を同時に用いることは不可能だそうです。

大きな飛行機だと給油機から出されたプローブを受け取るのは難しいのかもしれません。
プローブ式で受ける方が小さいと、こんなに一度に給油ができます。

あー可愛い・・・・(萌)

クーガー正面から。

思わずかっこ悪っ!という言葉が出てしまうわけですが、
やっぱり後からつけたのでノーズが全体のシェイプをまずくしてるという感じ。

真正面からこうしてつくづく眺めると、やはりこういう改装を重ねた機体は
造形的にどこか無理があるという気がしてしまうんですね。

個人的意見ですが。

そして、空中給油が導入されようとしていた頃に、実験として
このような長〜い給油プローブを
つけてみたものの、無駄に長すぎて、
タンカーから伸ばされる小さな傘をキャッチするのは
結構チャレンジングだね、
という話になり(たぶんね)、いつの間にかそれ以降
の給油プローブは
クランク型の短いものになっていったのではないかとわたしは想像します。

だいたいタンカーから出てくるあの傘を受け止めるのに、こんなに長い必要あります?


向こうに見えるのはおなじみ、

 Grumman A-6「イントルーダー」 Intruder 艦上攻撃機

戦闘機でも爆撃機でもなく、艦上攻撃機は地上、あるいは洋上の目標物を
爆撃するのが主任務です。

攻撃型のイントルーダーは「侵入者」という意味ですが、
この電子戦機型は、

プラウラ=「うろうろする人」

その後継型は、

グラウラー=「唸る人」

であるのはもうこのブログ的におなじみですね?

ところで、イントルーダー・プラウラー&グラウラーには、
他と見間違えようのない特徴的なツノがおでこに付いています。

これって、実は空中給油のための給油ノズルなんですよ。

 ツノを使用しての給油例。
スーパーホーネットから燃料を補給される「プラウラー」です。

それにしてもこれ、どうして小さい方が大きな方に給油をしてるんでしょうか。
そもそもホーネットが他の飛行機に給油することがあるとは知りませんでした。

しかしこうしてプラウラーの給油シーンを見ると、「クーガー」の
給油プローブの長さって、
いかに意味がなかったかわかるような気がしますね。

給油のことだけ考えるならこの形が一番リーズナブルなんじゃないかしら。

ただしこのツノをデザイン的に了とするかどうかは全く別問題です。

この時ちょうど塗装をし直すか展示をやり直しているらしく、
足場が組まれ
周りに近づけないようにロープが張ってありました。

「イントルーダー」は全天候型の攻撃機としてデザインされており、
ナビゲーション・コンピュータを、攻撃のために搭載していました。
そのおかげでベトナム戦争の時、北ベトナムの奥地に入り込む危険で複雑な任務にも
最適な選択を行い的確な攻撃で相手に効果的な打撃を与えることができたのです。

A-6は1990年代になって F/A-18 「ホーネット」が登場するまで 
中型爆撃機の主流として活躍し続けました。

その近くには同じツノ族の「プラウラー」もいました。

Grumman Aerospace EA-6B Prowler 

プラウラーは先ほども言ったように電子戦機で、「スカイナイト」
「スカイウォリアー」の後継機として1971年に置き換えられたものです。

ベトナム戦争からイラク、アフガニスタンまで、「プラウラー」も
後継のF/A-18ホーネットが登場するまで電子戦機の主流として広く配置されました。

ところで、今の戦闘機とかって空中給油のプローブはどうなってるの?

F/A-18ホーネット空中給油(KC-30A)・オーストラリア空軍 - F/A-18 Hornet Aerial Refueling, Australian Air Force
 

 
今はプローブを内蔵して必要な時だけ出してくるんですね。
やっぱりブームが外に出てる必要ってなくね?長い必要はさらになくね?
ってことでこういう形に落ち着いたのかと。
 
 

続く。


ホエールと呼ばれた「スカイウォリアー」〜空母「ミッドウェイ」博物館

2018-07-05 | 航空機

空母「ミッドウェイ」の見学、メインデッキにあるギャレーやメス、
医療施設であるシックベイなどの乗員の生活空間などの見学を終わりました。

順路を進んでいくと、外側の階段に続いていました。
階段を登っていくとそこがハンガーデッキ階に当たるところです。

ハンガーデッキ階の高さに当たる踊り場に、ライフラフトが展示してありました。

Life Laft とは日本語で救命いかだです。

型番はMark 6 、25名用で、万が一「総員退艦」の号令がかかった時、
乗員の脱出のためにはこの筏が167隻用意されていました。

それはフライトデッキ(飛行甲板)の下に特別にマウントされていて、
人力で、あるいは自動的、海面に落下すると、もしくは
20フィート以上沈む前に放たれるしくみになっていました。

つまり、人力で海面に落とせなかったラフトは、たとえ船と一緒に沈んでも
6m沈むとそれだけが切り離され浮上することになっていたのです。

それはご覧のようなカプセルになっていて、自動的に展開する救命いかだ、
非常食、サバイバルキットが一式含まれており、要救助者が
救助されるまでの間、命をつなぐことができるようになっています。

子供が見ている写真の上にある茶色いのが救命いかだです。
これが広がって二十五人の男が乗ることができるのか?
と不思議になるくらい小さく収納されていますね。

それが一旦展開すると、この上の図のようになるのです。

膨らませるためのホースはもちろん、上部に覆いをすることもでき、
内部には電気を点灯することもできました。

レーダー探査にかかりやすいようなスクリーンが備えてあり、
どういう仕組みかはわかりませんが、錨まで下ろすことができます。

構造的には海から上がってきやすいように、下図右側に
「ボーディング・ハンドル」がついていて、これを掴めるようになっています。

8番と14番は食べ物と水。
喧嘩にならないように(多分)一人1パックずつになっています。

水をかい出すバケツ(一番左)、4番は鏡ですが、これは信号に使うためのもの。
6番はホイッスル。

映画「タイタニック」でロウ機関士のボートが救いに来た時、朦朧としながらも
ローズはボート漕ぎ手死体からホイッスルを取って吹き、助けを呼んでいましたね。

7番はサバイバル用の毛布ですが、とても薄いもののようです。
そして面白い!(本人たちには面白くもないですが)と思ったのが10番。

何とこれ、外からはわかりませんが

サバイバル・フィッシング・キット

つまり非常食を食い尽くしてもまだ助けが来なかった場合、
これで釣りをして飢えをしのいでくださいというわけです。

ファーストエイドのキットももちろんありますが、特に
12番は酔い止めの薬です。

空母の乗組員がいきなり筏で波に揺られたら酔うかもしれない、ってか?

そして13番は「シーダイマーカー」。
海に放り込むと一帯が蛍光緑に染められて上空からの認識を容易にします。

というわけで、もう至れり尽くせりなので、一度くらいはこの救命いかだでの
サバイバルを経験してみるのもいいかな?という気にさせてくれますね!

というのはもちろん冗談ですが、これらの同梱品や工夫などは、船の沈没と
海上での漂流を経験した人から意見を聞いて作られていると思われます。

ところで皆さん、昨年公開された映画「パシフィック・ウォー」ご覧になりました?

 どうして日本の配給会社はわざわざ「インディアナポリス」という原題を
こんなつまらん題に変えてしまったのかとわたしは大変不満ですが、
それはともかく、この映画、邦題の「パシフィック・ウォー」がいかに
内容からみてピントが外れているか、ってくらい、ストーリーが

「艦が撃沈されて海に漂流し、鮫の恐怖に怯えながら救出を待つ」

シーンに重きが置かれており、戦争映画というよりウェイトでいうと
パニック映画、サバイバル映画と呼ぶべきかもしれません。

(もちろん、わたしはそれは皮相的な見方であって、本質はやはり
戦争映画であると思っており、近々これについても書く予定です)

映画で沈没から逃れた「インディアナポリス」の乗員がつかまって
漂流する「ラフト」、これは周囲が浮きになっていて、
チェーンの張られたところに乗るという仕組みです。

確かにこれだと海水が入ってきて転覆する心配はないですが、
ずっと下半身が海に浸かりっぱなしというのは、大変な苦痛だと思われます。

Survivors of USS Indianapolis floating in rubber rafts at sea and being rescued 

この実際の映像には、1:12あたりに救出した後のラフトが固まって
浮いているのが映っています。

「インディアナポリス」はご存知のように帝国海軍の潜水艦に魚雷を受け、
命中からわずか12分で沈没しています。

乗員は1,199名のうち約300名が攻撃で死亡し、
残り約900名のうち生還したのはわずか316名。

ほとんどは5日後に救助が完了するまで、救命ボートなしで海に浮かんでおり、
水、食料の欠乏、海上での体温の低下、これらからおこった幻覚症状、
気力の消耗などで亡くなりました。

この映画やディスカバリーチャンネル(多分”シャーク・ウィーク”という季節シリーズ)
など「インディアナポリス」沈没を扱った媒体でサメが演出として過剰に語られたため、
大多数がサメの襲撃の犠牲者になったかのように思われているようですが、
おもな原因は救助の遅れと体力的限界が死亡の原因だと言われています。

つまり、例えばこのようなラフトがあれば、「インディアナポリス」の
生存者は二倍くらいに増えていたかもしれないのです。

それにしてもこの映像の冒頭で「インディアナポリス」の出航シーンがあり、
舷側の乗員たちがくまなく映し出されていますが、その人々の
三人のうち二人はこの後亡くなったのだと思うと、観ていて切ないです。


さて、そこから階段をもう一階上がると、いよいよフライトデッキです。
「ミッドウェイ」はいつ行っても見学者が多く、どの写真にも人が
バッチリ写り込んでしまうのですが、いなくなるまで待っている時間もなく、
常におかまい無しに撮ってしまいました。

都合のいいことに、アメリカ人の夏場での野外におけるサングラス着用率は100パーセント。
ネットにアップするにあたって目隠しをする必要もないのでありがたいです。


それはともかく、デッキに出るとそこは艦尾側でした。
ここから航空機を見学していくことにします。

まず最初に遭遇するのはご覧の「スカイウォリアー」。

EKA-3 Skywarrior スカイウォリアーまたは”ホエール”
ダグラス・エアクラフトカンパニー

電子戦機であり「タンカー」であると説明があります。
この場合のタンカーは空中給油機と考えていいでしょう。
設計者はエド・ハイネマン。あーすごくこの名前聞いたことがある。

いかにもな感じのするユダヤ系技術者。

ちなみにハイネマンがグラマンで設計した飛行機は以下の通り。

やっぱりこの中の最高傑作はドーントレスとスカイホークでしょうかね。
よく聞くからという以外なんの根拠もなく言ってますが。


スカイウォリアーは空母で運用する飛行機としてはもっとも大型の機体で、
その大きさゆえ一般的には「ホエール」という呼び名があったそうです。


どうしてこの大きな機体を空母で運用しなければならなかったかというと、
当時の技術では小型の核爆弾を製造することができなかったからです。
この時代、米ソの航空機が核爆弾を積んであっちこっちウロウロしていたという話を
以前別の機会にお話ししたことがありましたが、「ホエール」もまた
その戦略爆撃機の一つとしてデザインされたため大きかったというわけです。

広い範囲のセンサーとジャマーを搭載した電子戦機の一つでしたが、
結局のところもっとも従事した任務は「フライング・ガスステーション」としての、
つまり空飛ぶガソリンスタンド、空中給油任務でした。

飛行中の航空機に飛びながら給油するのが空中給油で、
スカイウォリアーのバスケットボールのゴールのような給油ノーズを
給油する飛行機に連結して行いました。

The US Navy's twin jet A3 'Sky warrior' provides mid air refueling to the bombe...HD Stock Footage

あまり画質は良くありませんが、ベトナム戦争時代の給油シーンが見つかりましたので
貼っておきます。

ちなみに体は大きい割に、スカイウォリアーの定員は3名です。

この機体は「ミッドウェイ」で運用されていたようですね。
脚を格納するスペースが横についていて面白いのでアップで撮りました。

Belly landing NAS ATSUGI A-3B 胴体着陸Slide photograph Bu.147666


厚木でまだこの航空機が現役だった頃、胴体着陸したことがあったようです。
飛んでいるところも写っていますが、この脚格納庫に
きっちりと脚が収まっている(でもハッチは開いている)様子を
2:10あたりで見ることができます。

艦尾には乗組員の等身大パネルが設置されていました。
いたるところにこのような人が立っていて、セルフィーに活用されている模様。
アメリカも今日びは「インスタバエ」だらけです。

ちなみにこの写真に撮られている人はモデルなんかではありません。

現在もアメリカ海軍に勤務している、空母艦載機の搭乗員です。
特にかっこいい人を選んで写真を撮ったのだと思いますが、
このパイロットも、ブルース・ウィリス系のイケメンです。



これからは、ハンガーデッキに展示されている艦載機をご紹介していきます。
実は本当に自信のない分野で、またとんでもないことを書いてしまうかもしれませんが、
そこはそれ、どうかご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

<(_ _)>

 

続く。

 


アンレップ、コンレップ、バートレップ〜空母「ミッドウェイ」博物館

2018-07-03 | 軍艦

次のコーナーのテーマは「貨物」。
「ミッドウェイ」に運び込まれる荷物についてです。

まるでベンチのような木箱には

ROCKETS, HEAT. H.E.,3.5 INCH
M2BA2, w/ FUSE ANMFA2
QTY.4 

と記されています。

例えば乗員のみんなが食べる朝ごはん一つとっても、その材料は
どこから海軍基地に来るのでしょう、ということで流通ルートが記されています。

ワシントン・・・アップルゼリー、アップルジュース、ベーコン、梨、芋

オレゴン・・・チェダーチーズ、ミルク、玉ねぎ

カリフォルニア・・卵、オレンジ、オレンジジュース、マッシュルーム、砂糖

テキサス・・オレンジ、オレンジジュース

ミネソタ・・シリアル、オートミール、パンケーキミックス、塩

ヴァーモント・・・メープルシロップ

メイン・・・グレープジャム

ニューヨーク・ニュージャージー・・・クリーム、牛乳、砂糖

オハイオ・・・ベーコン、ハム、イチゴジャム

イリノイ・・シリアル

ウィスコンシン・・・チェダーチーズ

フロリダ・・・オレンジ、オレンジジュース

ネブラスカ・・・小麦粉

メキシコ・・・パプリカ、タバスコなど、バニラ

コスタリカ・・・パイナップル

コロンビア・・・コーヒー

オーストラリア・・・キウイ

ベトナム・・・・胡椒

カナダ・・・ブルーベリー、メープルシロップ

在外国米軍は基本現地ではなく、あくまでも内地から
乗員の食料をまかなっているということですね。

地位協定で決まっていることなのかもしれませんが、軍隊は基本
寄港先の外国との商取引を行わないということなのかもしれません。

これがいわゆるリラックスユニフォームでしょうか。
左の人が、すごく不自然な箱の持ち方をしているのが気になります。

白い箱が全部チキン、茶色い方は肉が入っています。

そういえば、アメリカの空母では毎日牛2頭だか3頭だかの肉が
消費されると聞いたことがあります。

左は肉、同じような箱ですが右側はほうれん草の缶詰です。
海軍とほうれん草の缶詰、というとポパイを思い出しますね。

コンテナを使って作ったモニターには、空母に食料品や武器など、
荷物が運び込まれる様子を写したビデオが流れています。

左の「垂直補給」というパネルは、補給の方法として、
ホバリングしたヘリから荷物を降ろしているところです。

一週間に一度行われる補給艦による物資の補給のことを、

UNREP (Underway Replenishment)

といいます。
自衛隊でなんと言っているのかわかりませんが、アメリカ海軍ではおそらく
「アンレップ」と略称で呼んでいるのだと思われます。

物資はヘリコプターによって運ばれてくることもあり、そちらは

VERTREP(Vertical Replenishment)

バートレップといいます。
ヘリ補給は垂直に行うのでヴァーチカル、海上補給は
航行中に行うので「進行中」を意味するアンダーウェイが使われるのです。

洋上補給が行われるということになると、

「UNREPの準備をせよ!」

というアナウンスが行われ、その頃には「ミッドウェイ」の右舷後方から
補給艦がだんだんと近づいてきています。

補給艦が「ミッドウェイ」の数十メートルの距離に近づき平行に並ぶと、
補給艦からロープが渡されますが、流石にサンドレッドを人間が投げることはせず、
銃のようなもので細いロープを撃つのだそうです。

そうなの?

掃海隊の訓練で掃海艇と掃海母艦を連結する作業を二回見たことがあるけど、
どちらもサンドレッドを手で投げて舫につなげていた覚えがあるけど・・・・

と思って調べたら、ニミッツの洋上補給が見つかりました。

 

まず、補給艦「レーニエ」が追いつくのではなく、「ニミッツ」が追いつくというか、
「レーニエ」が後ろに下がってくるような感じで平行になり、すぐさま
女性乗組員が(!)補給艦に向かって二発銃を撃っています。(1:05 )

 

この映像を見る限り、どちらも航行している二隻の船はかなり距離があります。
掃海母艦の時には掃海母艦が錨泊している状態で、掃海艇もギリ近づくことができ、
人間が投げても届くということだったんですね。

面白いと思ったのは、補給艦の舷側に「ニミッツ」に見えるように

「ウェルカム トゥ アロングサイド(横にようこそ)」

「レーニエ」 レジェンド・オブ・サービス

あなたは今年110番目のお客様です

と大きな看板を出していること。
補給に「ウェルカム」「お客様」という言葉を使うとはね。
もっとも英語の任務は「サービス」であり、サービスは「奉仕」ではあるけど、
サービス業と同義の意味もあるわけで。

補給艦に渡された舫を、屈強の男が数人で綱引きのように引っ張って、
スルスルと補給艦からパイプが伸び、液体の補給が始まります。

3:40になると、「レーニエ」の向こう側に一隻駆逐艦らしき船がやってきて、
右舷からも補給が行われるらしいことがわかります。
(どうでもいいけどこの駆逐艦がむちゃくちゃ汚い)

コンテナはフォークリフトで運んできた人が、四角く印をしたところに
ぴったりに降ろすと、上から持ち上げるリフトがスルスルと降りてくるので、
四人がかりで玉掛けしたコンテナが高い位置に持ち上げられると、
引力の法則によりそれが「ニミッツ」の甲板へと滑り降りるように到達します。

ダブル補給といえば、こんなのも見つかりました。

 

補給されているのは「ウィドベイ・アイランド」、補給艦が「ビッグホーン」
向こう側で同時に補給を受けているのは強襲揚陸艦「ワスプ」です。

この映像では、オイルのホースを受け取る様子がよくわかります。

補給が行われている間の二隻の距離は20mといったところだそうですが、
補給の間の二隻のスピードは全く変わらず、距離も完璧に保たれます。

それだけにダブル・コンレップ(connected replenishment (CONREP) 
を行うのはかなりの技量を必要とすると思われます。

ところで、現役時代の「ミッドウェイ」では、洋上補給が始まると必ず
クリスタル・ゲイルの「We Must Believe in Magic」が流されたそうです。

 

We Must Believe In Magic - Crystal Gayle

どういう経緯でかは知りませんが、当時彼女は「ミッドウェイ」の

「名誉音楽士官」(ミッドウェイ・オナー・ミュージック・オフィサー)

に任命されて、正式に乗組員の名簿に載っていたと言います。
なぜこの曲が選ばれていたかというと、それはもちろん「ミッドウェイ」が
「ミッドウェイ・マジック」だったからに決まっています。

でも、わたしはクリスタル・ゲイルといえば、やっぱこの曲が好きですね。
「瞳のささやき」。
本人のバージョンが載せられなかったのでローラ・フィジーでどうぞ。

 Don't Make My Brown Eyes Blue - Laura Fygi


さて、ヘリによる補給、VERTREPは補給艦の搭載ヘリ、H-46が
二機で行うのが普通で、しかもUNREPと同時進行することが多かったそうです。

U.S. Navy Underway Replenishment • CONREP & VERTREP

こちらは東シナ海における強襲揚陸艦「ボノム・リシャール」の垂直補給。

補給艦の艦尾甲板に荷物をまとめておいて、その上にヘリが飛来すると、
2:39から見ていただければわかりますが、荷物を牽引する先が棒になっていて、
甲板の二人がその棒の先の輪をヘリに引っ掛け、運んでいくという具合。

これ、見ていただければわかりますが、本当に危険な作業です。

機体の下に入る時間をできるだけ少なく、仕事が終わったらすぐさま
ヘリの近くから離れているのがわかります。

この荷物は例えば空母だとフライトデッキの後方に次々と運び込まれ、
荷物はそれぞれの部隊から駆り出された主に下っ端が、バケツリレー方式で
フライトデッキから艦内まで列を作って移動させていきます。

なお、この時には空母側のヘリも補給作業が終了するまで近くを飛んでいます。
万が一人や物資が海に落ちた場合には適切な処置をするためです。

 

「ロケット」の入っていたコンテナには、
「危険・高性能火薬」の札が掛けられています。

右側から入ってくるおじさんは、中華系で、わたしにいきなり、

「あーゆーチャイニーズ?ジャパニーズ?コリアン?」

と問いかけてきて、日本人だというと、

「コニチワー」

と挨拶してくれました。

 

さて、荷物を運ぶ場面といえば、あとは入港した時でしょう。

長い航海を終えて横須賀に戻ってくると、各ショップから各自の荷物が
(お土産などで増えている)運び出され、「トライウォール」という
大きめの段ボール箱に詰め込まれ、フライトデッキから桟橋に降ろされます。

誰しも自分の部隊の荷物を早くフライトデッキまで運びたいので、
かつては熾烈な艦載機エレベーターの取り合いがあったそうですが、
何か問題があったのか「ミッドウェイ」では飛行隊の場合、

それぞれの隊長の階級の順に

場所取りができることになったそうです。
しかし、隊長の階級は皆中佐。
何をもって階級が上とするかというと、中佐に昇進した日が早い方。

しかも飛行隊長というのはせいぜい1年半から2年で転勤になるので、
毎回入港が近づくと、下の者同士の

「おい、あそこの隊長、最近XOからCOになったばかりだから
うちのスキッパーの方が上だよなあ」

とか

「うちの隊長の方があそこのより1ヶ月早く中佐になってるぞ。
ザマアミロ」

などという会話があっちこっちで聞かれます。
(空母ミッドウェイ)

ここで不思議に思ったのが「1ヶ月早く中佐になる」という言葉で、
自衛隊の場合は人事の昇進、移動は一年に何度、と時期が決まっているため、
二佐になる人は同じ日か、それまでの人事移動日になっているかだと思うのですが、
アメリカ海軍はそういうこともあるのでしょうか。


とにかくそんな具合に最初から順番がほぼ予想できるので、
入港前日になるとエレベーターで箱を運ぶ順番が発表され、
万歳三唱して(アメリカ人もするんだ)大急ぎで荷造りする部隊、
あるいは極度に落ち込んでだらだらする部隊と明暗が分かれる事になります。


「ミッドウェイ」が横須賀の岸壁に横付けになると、日本人の基地作業員が
二基のクレーンを動かして荷物を運び出します。

どの荷物から運ぼうかと物色している日本人作業員に向かって、
フライトデッキでオフロードの指揮をとることになっている若い士官は、
英語でペラペラっと

「へい、ユー、オフロードの順番は決まってるから、私の指示に従って
まずはこの部隊の荷物から降ろしてくれ」

などとまくしたてるのですが、残念なことに日本人は彼の英語を全く解せず、

「何言ってんだこのガイジンは」

という様子で互いに顔を見合わせるだけ。
すると士官はこりゃあかんわ、とやる気をなくし、

「スミマセンコレネ、コレ、プリーズ。
ネクスト、コレ。ドモアリガト」

などといいつつ現場放棄をして逃げていくのでした(笑)

そんな時には日本語の話せる乗組員がいる部隊が断然有利。
おじさんたちにマルボロなど渡しながら

「あいつらの部隊の前に、うちの部隊先にやってくんないかな?」

などとお願いすると、日本人作業員は日本語に喜んで、

「ああいいよ」

かわいそうなのは、荷下ろしのために一人ずつ部隊から残された
ペーペーの乗員で、何が起こっているかわからないうちに
自分とこの荷物がいつの間にか後回しにされているのでした。

 

さて、これで艦内は本当に全部見学を終わりました(と思います)。
もう一度甲板の航空機展示に戻ります。

続く。

 


メタルショップと片腕の修理屋〜空母「ミッドウェイ」博物館

2018-07-02 | 軍艦

 

さて、空母「ミッドウェイ」艦内探訪、いよいよ最後の部分になりました。
郵便局を過ぎると、機関室です。

はっきり言ってわたしが一番「お手上げ」なのがこの部分。
説明がなければ何を行うものか想像すらつきません。

この狭い部屋では部品を展示していましたが、実際にここで
このような部品の調整をした訳ではないと思います。

その心は狭過ぎるから。(という程度のことしかわからない)

部屋の外側には

「マシーン&メタルショップ」

と説明ガイドのための看板がありました。

ここで使われていた調整・修理のためのパーツのいろいろ。

「マシンゲージ」「スライドゲージ」「ホールゲージ」「プラナーゲージ」

何やらゲージ的なものばかりが集まっている訳ですが、これらも
何一つ用途が想像できません。
ゲージだから「測るもの」であるくらいはわかりますが。

あっ、「センターパンチ」これはわかる。穴あけ機ですよね。
それから「Tスクェア」ってバンド名、これから来てたの!?(衝撃)

マシーン&メタルショップというのは、船の動力そのものではなく、
艦内で必要なものを修理、あるいは調整、作製する部門だと思われます。

船に必要な部品を部品を海の上でも作ってしまえるこの施設、
時と場合によっては艦載機部隊の必要な部品も調達していたそうです。


今度はわたしに少しは何に使うのかわかる道具が出て来ました。
こちらも全体的にキーワードは「測るもの」ですよね!?

カリパス(calipers)なんて言葉、生まれて初めて知る訳ですが、
ものさしで測ることのできない内径や外径を測るための道具、
三日月のような「アウトサイド・マイクロメーター」なるものは

精密なねじ機構を使って、ねじの回転角に変位を置き換えることによって拡大し、
精密な長さの測定に用いる測定器。
ノギスよりも精度の高い測定に用いられる。 一般的なものは目盛は0.01mm。

だそうです。はえ〜。

手前の機械に「ミルウォーキー」とありますが、アメリカの工具メーカーです。
アメリカではしょうもないCMを懲りもせず出している企業というイメージ。

Milwaukee Tool Commercial - Very Funny

もう一丁。

funny ad for milwaukee tools

いずれも、「強力に回転する」ということを訴えたい模様。
同社は1924年に最初の軽量ドリル穴あけ機を発売して以来、
工具一筋のメーカーとして業界に君臨しています(多分)

工作室のドアには黄色に赤字で大きく

「プロフェッショナルとは」

いやしくも価値のあることは正しく行う価値があると
信じている人間のことである

(One who believes that if something is worth
doing its worth doing right.)

と書かれています。

If a thing's worth doing, it's worth doing well.
(いやしくも為すに足る事ならりっぱにやるだけの価値がある)

というイディオムをアレンジしたものだと思われます。

壁にペイントされている指矩とハンマーの組み合わせのマークは
海軍のレイティングで、

「 HULL TECHNICIAN 」(船体技術者)

を意味します。

船体技術者は、あらゆる種類の船舶構造物とその表面を
良好な状態に保つのに必要な金属作業を行います。
また、配管、小型ボートの修理、バラスト制御システムの運用と保守、

品質保証プログラムの管理を行っています。

そのために溶接、ろう付け、リベット締めまたはコーキングを行い、
放射線、超音波、および磁性粒子検査装置を使用して、船舶構造を検査、
金属の熱間および冷間成形における熱処理、
パイプの切断、ねじ込み、および組み立て、換気ダクトの修理、
金属、木材、ファイバーグラスボートの修復
断熱材の設置と修理など、多岐にわたる作業を任されています。

右側のマークは

「MACHINARY REPAIRMAN」(機械修理士)

です。

旋盤、フライス盤、ボーリング・ミル、グラインダ、パワー・ハック・ソー、
ドリル・プレス、その他の工作機械を操作して、
蒸発器、エアコンプレッサー、ポンプなどの交換部品を製造しています。
ウィンチやホイストの修理はも行います。

機械修理師は、基本的に部品を修理または製造することによって、
エンジニアを支援するというポジションです。

ちなみにデスク下部に設置されているのは

HITACHI Super Pair 200RP

という低圧配線用の遮断器で、このシリーズは現行です。
「ペア」という名前なのは二つセットで使用するからです。


 
金属を切断するための機械だと思います。

続いて、「SCULLERY」スカラリー、食器洗い場。
この単語のイメージはどちらかというと「邸宅に設置してある食器洗い場」だそうです。

食器だけでなく調理に使ったポットやフライパンなど調理器具全てを洗う場所です。
ここではトレイだけで毎日1万5千枚を処理していたということです。

この窓口に洗うものを置いていき、中に送り込むようになっていたようです。

海軍と我が海上自衛隊でもおなじみ、トレイが見えます。
呉の海自カレー・チャレンジでは、確か最高賞に自衛隊で使っているのと
全く同じこのトレイがもらえた記憶がありますが、今もやってるんでしょうか。

左の機械まで運べば自動洗浄が行われますが、ある程度までは人間が行います。
皆さんも自宅で食器洗い器を使うとき、ある程度予洗してから入れるでしょ?


ところで超私事ですが、我が家の食器洗い器がついに動かなくなりました。
キッチンに作りつけたビルトインタイプで、他の収納部分とと一体化となる
木製のドアが貼ってあり、何よりも超大型で便利なのですが、
いかんせん耐用年数が限界まできてしまったようです。

 

もう家電では日本から撤退してしまったBOSHの製品。
本社に電話すると、地元の修理業者を紹介されたのですが、案の定

「もう部品がないので修理できないんすよねー」

と頭から直らないと決めてかかっている様子。
それどころか

「新しいのに買い換えた方がいいと思いますが」

ってそれは直らないってことにして新品をを売りつけるつもりかい?

比べるつもりはないけど「ミッドウェイ」の上なら、どんなことがあっても
何があっても故障したものは直すし、部品がなければ作る、
少なくとも見もしないで直らないなんて言わないぞ?

たまたまこれを作成したその日にこんなことが起こったので、
ついついこんなことを考えてしまいました。

 

がしかし、流石の「ミッドウェイ」でも直せない機材もあります。
あまりに酷い事故が起こると、外部から人を呼んでこなくてはなりません。

「ミッドウェイ」では艦載機が発艦したとき、ショックを和らげるために付いていた
ウォーターポンプが破損したことで、左舷先端が吹っ飛んだことがあります。
しかも、その破片を、発艦した戦闘機のインテークが吸い込んでしまい
(ファントムだと言われている)戦闘機は海に墜落、パイロットは
脱出するのに成功したものの、カタパルトは使用不可能になってしまいました。

多少のことならなんでも直すメタルショップも、これはちょっと無理、
ということでわざわざアメリカ本国から修理人を呼び寄せることになりました。

この時、「ミッドウェイ」はその修理人の噂で騒然となったといわれています。

なぜならその修理人は元海軍水兵で、現役時代「ミッドウェイ」の、
カタパルトの修理を専門に行っていたのですが、任務中に事故に遭い、
片腕を失っていたからでした。

数人の助手を使って作業する修理屋を皆遠巻きにして見守り、
中には写真を撮る人もいるという具合に、片腕のインパクトは凄かったようですが、
凄かったのはそれだけでなく、航行中に直すのは不可能だと思われたカタパルトを
結局この人は夜にも作業を続け、修復することに成功したということです。


ちなみに我が家の食器洗い機、直らないと言われては致し方なく、
取り替えを決意したのですが、
取り付け工事の来る日、
念のため動かしてみたらなぜか正常に
動き出しました。

つまり壊れていなかったことが判明したのですが、考えた末、
工事を中止することなく続行してもらい、換装を決行しました。

新しい食器洗浄器も同じBOSHの最新型です。

ゼオライト乾燥システムを使っていて、前より若干パワーは落ちますが、
何と言っても音が静かで、使用する水の量が少なくて済むので、
結果論ですがもっと早く替えていればよかったと思っています。

 

続く。


参考:「空母ミッドウェイ アメリカ下士官の航海記」 J.スミス著

 


彼女が曳航される日〜空母「ミッドウェイ」博物館

2018-07-01 | 軍艦

空母「ミッドウェイ」シリーズの続きですが、皆様にお断りがあります。

艦内の見学がすっかり終わったと思って甲板に出てしまい、
ハンガーデッキのF-14のお話に移ってしまったのですが、
なんと、まだデッキの下部分が終わっていませんでした。

航空機シリーズが始まると思って楽しみにしていた方がいたら
大変申し訳ないのですが、もう一度艦内に引き返していただきたいと思います。

どこまで戻っていただくかというと・・・そう、告知板のお知らせ。
各種案内を読んで、「ミッドウェイ」の乗員気分になったところの続きです。



というわけで、冒頭写真の檻のある窓口、ここは艦内郵便局になります、
現金の受け渡しをするので、このようになっているわけですが、
ここを使用する人が基本全員海軍軍人で、しかも乗組員に限られているというのに、
割と人を信用していない雰囲気が漂う設計という気がします。

基本どんな団体も、内部に対して性善説では対処しない、
というのは日本以外の国ではスタンダードなのかもしれません。

「ミッドウェイ」から送る小包の仕分けをしている人あり。
ここの責任者のCPO(勤続15〜17年)の制服がかかっています。

海軍に入って郵便一筋!みたいなチーフなんでしょうか。
ちなみに仕分けしている人はダンガリーを着ているので水兵さんです。

「Letters on the sand」という映画ポスターのようなものがありますが、
同名の歌「砂に書いたラブレター」しかヒットしませんでした。

読みにくい文字をなんとか解読してみると、郵便局の宣伝で、
ハードカバーのパーソナルヒストリー」が作れるとかなんとか。
なぜ郵便局が個人伝記を作るのか内容に見当がつきません。

黒字以外はぼやけていて細部はわかりませんでした。

故郷に送る手紙、故郷からの手紙は海軍乗組員、特に「ミッドウェイ」のように
本国を離れた定係港に勤務する軍人にとっては何よりも嬉しいものです。

一体どんな経緯でここにあるのかはわかりませんが、横須賀時代に
乗員が家族からもらった手紙がここに飾ってありました。

これらのほとんどは横須賀や厚木から航行中の「ミッドウェイ」に出されたものです。

封筒を見ていただければわかりますが、切手が貼ってありません。
日本国内の基地からの郵便物は海軍の手で運ぶので切手がいらないのです。

ただしアメリカ本国からの郵便物には、国内郵送分(発送地から海軍基地まで)
の切手が必要となります。

ところでこの手紙や家族の写真など、乗員が送られたもののはずなのに
なぜこんなにたくさんここにあるのでしょう。

「ミッドウェイ」あてに届いたものの、受け取る人がいなくて、
大量に残されていた、とかいうのではないといいのですが。

 

ところで、「ミッドウェイ」は横須賀配備時代、一度も本国に帰りませんでした。

もちろん、乗員には異動がありますし、その間一度も家族に会えない人などいませんが、
いかに覚悟の上とはいえホームシックにかかるのが人間というものです。

今ではコンピュータがあり、SNSがあるので、当時ほどではないでしょうが、
「ミッドウェイ」現役時には皆数日に一度の「メールコール」を
心待ちにしたのだそうです。

郵便物が届けられるのは平均して数日に一度、運がいいと週2、3回、
「ミッドウェイ」がたとえ北アラビア海にいる時でも律儀に郵便物は届けられました。

郵便物は陸と空母の間を人員、物資、郵便を運んで行き来する輸送機、
「ミッドウェイ」の場合には固定翼機で運ばれてきます。

それは

C-2 (COD )

だったり、S-3(バイキング)

だったりします。
ちなみにバイキングは、ミス・ピギーと呼ばれていました。

ミス・ピギーといえば、「ザ・マペッツ」の豚の女優さんですが、
この「スターシステム」で、「セサミストリート」にも出演しています。

いわれてみればミス・ピギーっぽいノーズをしているような。

参考画像

郵便物が届く日は不定期ですが、前日の晩に配られる翌日の
フライトスケジュールのなかに、艦載機に混じってこの
「ミス・ピギー」やC-2が入っていると、郵便物が翌日には届くということで、
そのニュースはすぐにホームシックを患った乗員たちの知るところとなります。

 

そして翌日、いよいよ郵便物を搭載した機が到着しました。
こういうときにアナウンスするのはエア・ボスの役目です。

「今日のミス・ピギーは・・1500パウンドの郵便物で着艦!」

アナウンスでも「ミス・ピギー」って言っちゃうんだ(笑)
必ずその重さが発表されるのですが、それが重ければ重いほど、
比例して艦内に沸き起こる歓声は大きなものになります。

エア・ボスがもったいをつけて言うのももっともです。

ミス・ピギーとCODが両方同日に到着することもたまにあり、
そんなときにはもう艦内は大騒ぎの狂喜乱舞となります。

郵便物が到着すると、部隊ごとに仕分けが行われ、この写真にもある
「艦内郵便局」から

「メール・コール」

と言うアナウンスがあります。
すると、それぞれの部隊の郵便物担当者が郵便局までそれを取りに行き、
受け取った郵便物を今度はメインテナンス・コントロールまで運びます。

郵便物がメインテナンス・コントロールに着く頃は、すでに
それぞれのショップから一人ずつ、受け取りを待ち構えています。

ここで各ショップごとに仕分けされた郵便物は代表者に手渡され、
持ち帰られて送り主の元に届くというわけです。

 

郵便物搭載機が運んでくるのは手紙だけではなく、中でも「慰問品」は
皆が楽しみにしていました。

家族から個人的に送られてくるものもありますが、兵士の出身地の
町内会に相当する団体や教会が彼を励ますために送ってくる小包は

「ケアー・パッケージ」

といい、お菓子や雑誌、ローカル新聞などが詰まっています。
大の大人がお菓子しか入っていない故郷からの小包に大喜びするのは
きっとパッケージからは故郷の匂いでもしてくるのに違いありません。

この「ケアー・パッケージ」は特に1991年、湾岸戦争の頃は
アメリカ全土の見知らぬ人々が書いた何千通の励ましの手紙とともに
頻繁に送られてきたということです。

意外なことに「ミッドウェイ」艦内ではチューインガムは売っていないらしく、
ガムが入っているとありがたがられました。
かーちゃんの手作りクッキーなどは同室の皆で分け合います。

 

ところで、アメリカ本国に母港がある空母は、一般的には
「Deployment」(デプロイメント)と呼ばれる平均6ヶ月の長期航海が終わると、
次の長期航海は18ヶ月後となり、その間出航すらあまりしないのが普通です。

その間に出航するとすれば、それは艦の状態を調べたり調整するための航海、
そして長期航海が近づいてきたときに行う

CQ (Carrier Qualification )

つまり艦載機パイロットの離着艦訓練と資格取得のための航海で、
これはせいぜい二週間といったところです。

ところが、「ミッドウェイ」は横須賀を母港としていた時代、
18ヶ月の間に何回も出航していました。

我が海上自衛隊との訓練も何度か行なっていたわけですが、
当時が冷戦期間だったこともあって、日本海に出没するソ連艦を見張りに
しょっちゅう母港を留守にしていたということです。

しかし一番大きな理由は、日本政府との取り決めで、(地位協定?)

「ミッドウェイ」の一度の日本国内での停泊は30日以下にすること

となっていたから、という噂があります。

その結果、長期航海がない時も「ミッドウェイ」は一年の半分は
海に出ており、長期航海が終わっても1ヶ月で数週間の航海に出るといった具合。

「ロナルド・レーガン」がどうしているのかはわたしにはわかりませんが、
今でも30日以上の連続しての停泊を認められていないとしたら、
なんだかそれも随分ひどい話だなという気がしないでもありません。

 

冷戦時代、「ミッドウェイ」は日本にほとんどいなかったということですが、
それでは何をしていたのかというと、日本海に出かけていってはソ連軍と戯れていました。

当時のソ連空軍の最新鋭機はバックファイア爆撃機で、「ミッドウェイ」としては
ソ連軍を刺激してこいつが出てくるのを待ち構えていたのですが、
敵はせいぜい情報蒐集のための船を出してくるだけ。

しかもこの船、「ミッドウェイ」のあとをくっついてきてゴミを拾うのだそうです。

先日お話しした「深く静かに潜航せよ」で、ゴミに重石を入れたつもりが
日本軍に拾われて、乗員の名前まで知られていたというシーケンスがありましたが、
今時シュレッダーにかけない書類を捨てる海軍なんているわけないのに、
それでも熱心にくっついてきてせっせとゴミを拾うものだから、乗員は
かなり気持ちの悪い思いをしたということです。

それはともかく、ソ連軍が挑発に乗ってこなかった原因は、
この時期米軍側の暗号が解読されていたからかもしれません。

例えば海軍将校だったジョニー・ウォーカーなる人物は15年にわたって
ソ連側に暗号を渡していたと言われています。

ジョニー・ウォーカー氏死去 CNNニュース

 

時々はソ連軍もアクションを起こすことがあり、バックファイアではなく、
爆撃機ベアがなぜか「ミッドウェイ」にぶつかるのではないかと思われるほど
接近してきたときには、皆がカメラを持ち出し写真を撮って、
次の日には艦内にベアの写真が貼り出されていたということです。

アラートで発艦して行った艦載機部隊のパイロットはこれを見られなかったので
目撃者にベアーの話を子供のようにせがんでいたとか・・・。

 

このように、あまり日本にいなかったといわれる「ミッドウェイ」ですが、
こんな不思議な話が関係者の間に残されています。

1992年4月、サンディエゴで退役式を終えた「ミッドウェイ」は
ワシントン州のプレマートン海軍基地に曳航されることになりました。

出発の日、港を出てしばらくすると、
北に向かって曳航されていた
「ミッドウェイ」が、
突然海流に逆らって、日本がある西の方向に向きを変え、

曳航しているタグボートからもどんどん離れていったのです。

「ミッドウェイ」はまっすぐの位置でロックされていたため、
方向が変わるなどということは全くありえないこと・・のはずでした。

タグボートの乗組員は慌ててスピードを下げ、その後、彼女は
元どおり、北に向きを変えて何事もなかったように曳航されていきました。

それは彼女があたかも何らかの意思を示したように見えたということです。



(参考 スコット・マクゴー 『ミッドウェイ・マジック』)

 

 

続く。