ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

ブルーインパルス 医療関係者への「感謝飛行」

2020-06-02 | 自衛隊

先日、コロナ医療に携わる関係者への激励として
ブルー・インパルスが東京上空を飛翔しました。

17号を北から入って8の字周回をして駒込⇒尾久あたりに抜けるコースを
2周する、と事前(ぎりぎり)に発表があったようです。

残念ながらわたしの住んでいる地域は轟音だけがきこえる状態で、
ヨガをしながらああやってるなー、と思っていたのですが、
これを教えてくださったKさんがなんと写真を撮っておられました。

自分の写真ではないので解説はできませんが、
掲載ご許可をいただきましたので見ていただこうと思います。

2周するということですが、見る場所によっては4回通過することになり、
Kさんは4航過全てを写真に収められたとのこと。

ちなみに地図の○印は区役所の所在地だそうです。

第1航過め。デルタフォーメーションです。

雲があるのもいいものですね。
飛翔撮影の7番機も写っています。

第二航過。
7番機はスモークを出さずにひっそりと着いてきています。

この随伴機が撮った映像が近々自衛隊公式HPにアップされるそうです。

Kさんによると、

一昨日のニュース映像を一通り見たら、ANN系では編隊と言わず
「隊列」と言って、徒歩行進みたいな実況。

「煙を出して飛んでいます」ってのも空中戦で被弾したみたいで大笑い。
前例ない実況に思ったことを喋っちゃったんでしょう。
局に教えられる人も居ないでしょうし、現在のテレビ局の実力でしょうね。

ありがち(笑)

第三航過ではデルタでも先ほどと微妙に違っています。
フェニックス(ローパス)というフォーメーションなんだそう。

ちなみにKさん、

航路図を大きな地図に落として、
病院と病院を線で結び航路を算定しましたら、
予想コースと実際の飛行の誤差は200mありませんでした。

とのことです。
針の穴を通すような正確な飛行、さすがは「戦技班」です。

第4航過、といってもKさんにとってで、実際は二周目です。
これで都庁、スカイツリー、東京駅の上空を航過したのですから、
いずれかのセットを見られた方は本当にラッキーでしたね。

少し前、ニューヨーク上空を海軍のブルーエンジェルスと
空軍のサンダーバーズが合同で医療関係者への激励飛行を行いました。

おそらく空自もこれに倣って今回の飛行となったのでしょう。

今回は流石に自衛隊嫌いのメディアも報じないわけにいかなかったようで、
これもKさんによると、

エッ、朝日が中継を。

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20200529-00000030-ann-soci

あの自衛隊嫌いで縮小解隊を叫ぶ朝日新聞の子分である
細菌噴霧アナの居るテレ朝が、
ネタの尽きたワイドショーの時間の繋ぎに使ったとはいえ、
ブルーを、自衛隊を、中継するとは・・・、
私は、支那肺炎騒動の間に日本で革命が起きたのかとの錯覚に陥りました。
でも油断してはいけません。
夜のニュースで「もっとやるべきコロナ対策があるでしょうが・・・」
と朝日らしさを爆発させるかもしれません。
 
まあ、メディアとしても万人に告知する使命がありますからね。
今回「報道しない自由」は発動しなかったのには訳があります。
なぜなら案の定このニュースを受けて、

ブルーインパルスが飛んだらなぜ医療従事者を励ます事に繋がるのか
全く理解出来ない。

と三鷹市の共産党市議がツィートし、無事炎上したようなので、
朝日としては十分(火付けの)役目を果たしたと言えるのではないでしょうか。

まあ、いろんな考え方があってもいいと思うけど、もしアメリカで
戦技チームの感謝飛行に議員がこんな感想をもらしたら、
おそらく世間の非難は日本の比ではないのではないかと思われます。

これが第4航過で最後の写真になります。

初夏の青空に感謝の白線 ブルーインパルス、都心を飛行

最後に産経ニュースの動画をどうぞ。
マスクをした医療関係者が拍手を送っている様子を見て
思わず涙が出てきたわたしです。

 

Kさん、写真の提供どうもありがとうございました。

 

 


海軍航空の黄金時代〜水上艇と飛行船 スミソニアン航空宇宙博物館

2020-06-01 | 航空機

今日は、ワシントンD.Cのスミソニアン博物館の展示から、
海軍航空のちょっとした歴史のパネル展示をご紹介します。

黄金時代の海軍航空

米海軍航空の歴史において、1920年代は、航空兵器が技術的に進歩し、
それらを海軍での使用に適応させる努力が実を結んだ時期として際立っています。

一方、1930年代は海軍の軍事力縮小と大恐慌により静かに始まりましたが、
後半にはより多くの航空機、艦船、航空基地の資金が支出されるようになります。

しかしどちらの10年間も、鋼体飛行船と巨大な巡視飛行機に乗って
海に乗り出すという作戦によって特徴付けられるものです。

という解説から始まる海軍航空の歴史、始まり始まり〜。

■ Pボート〜第一次世界大戦のレガシー

NC-1の搭乗員 ベリンジャー、ミッチャー、バーリン

NC-1というのは、1919年に大西洋を横断に成功した飛行艇です。

この三人はその搭乗員で、左から隊長のパトリック・ベリンジャー少佐
パイロットのマーク・ミッチャー少佐(中)、そして副機長のバーリン大尉

第一次世界大戦が終わった1919年、海軍の大西洋横断飛行遠征が企画され、
ベリンジャーは総指揮官としてカーチスNC-1に搭乗することになりました。

ベリンジャー中将(最終)

ベリンジャーはNC-3、NC-4とともに出発しましたが、
濃霧のため着水を余儀なくされ、貨物船に救出されました。
この頃の「横断」は、ノンストップではなく、島伝いにいくので、
出発から到着まで19日かかりましたが、とりあえずNC-4の一機だけが
リスボンに到着して大西洋横断作戦を成功させました。

ベリンジャーは成功こそしませんでしたが、リーダーシップを評価されて
海軍十字賞を授与されています。

ちなみに彼は真珠湾攻撃の時に

「Air raid. Pearl Harbor - this is no drill.」

と緊急放送した人物としても知られています。

海軍航空工廠製作(NAF)PN-9、1929

第一次世界大戦では海軍のF-5L水上艇が普及され、PN-9が
1925年9月、サンフランシスコからハワイまでの太平洋横断に成功するという
歴史的な飛行を行いました。

ジョン・ロジャース少佐とクルーはこのとき最後の964キロで
海に着水することを余儀なくされた後、帆走でゴールしたにもかかわらず、
この記録は水上艇の最長距離記録にレコードされました。

最長耐空記録じゃないからいいんだよ!ってか?

出発するところと、最後にガソリンが足りなくなって
ズルしているところ
(3:00〜)がバッチリ写っています。

 

■ 艦隊の哨戒機

1918年の終わりまでに、アメリカが保持していた唯一の戦艦
U.S.S「テキサス」です。
「テキサス」は支援なしで発艦でき、地上に着陸も可能な
ソッピース・キャメルのような偵察機のために
木のプラットフォームを備えていました。

7隻の他の戦艦は最終的にターレット・プラットフォームを装備し、
キャメル、ニューポート、ハンライオットHD-1ヴォートVE-7が運用されました。

ターンテーブル・カタパルト

第一次世界大戦以前に使われていた圧縮空気を用いるタイプは
戦艦や巡洋艦のターンテーブルにインストールされました。
1924年、推進力が火薬が空気に置き換えられ、1927年、カタパルト
戦艦の砲塔の上部に装備されるようになります。

ターンテーブル式カタパルトは1920年代の終わりに主流となり、
戦艦と巡洋艦クラスには哨戒艇の搭載が常態化しました。

■ 空母・キャピタルシップとその将来

アメリカ海軍は1919年、議会が石炭船の取得について議論を始め、
同時に空母を取得する本格的な段階に入りました。
海軍のリベラルにとって、それは海軍の空軍力の増強のための
もう一つの論理的なステップとされましたが、保守派にとって
大鑑巨砲があくまでも海軍力の核である考えられていました。

 U.S.S「ラングレー」=”カバード・ワゴン”

アメリカ海軍初の空母「ラングレー」は、石炭輸送船を改装したもので、
排水量はわずか11,050トン、全長は165mでした。
しかし、艦内にはマシーンショップや格納庫のための広大なスペースがありました。

U.S.S「サラトガ」とU.S.S「レキシントン」ー第二世代

1922年のワシントン軍縮条約により、第2世代の空母、
戦闘巡洋艦から改造された33000トンのサラトガとレキシントンが生まれました。

U.S.S「ホーネット」

1941年10月20日に就役した「ホーネット」は、真珠湾攻撃以前に
任務についた最後の空母でした。
アメリカは第二次世界大戦開始当時空母を7隻所持していましたが、
1945年の対日戦勝利の日、VJデイの段階で就役していた空母は99隻です。

 

米海兵隊航空団

 

1920年代、海兵隊の航空隊はドミニカ共和国、ハイチ、グアム、
そして中国における作戦に展開しました。
急降下爆撃、空中給油、救難救急脱出、そして近接航空支援などが
すでにこの頃から採用されています。

1933年には、海兵隊艦隊(the Fleet Marine Force =FMF)が創設され、
戦時における海上任務のを果たす使命の基礎が築かれました。
MFMはの後海軍艦隊組織の不可欠なパートとなります。

海兵隊初の飛行家

アルフレッド・A・カニンガム大尉がアナポリスで
航空過程を終了した1922年5月22日は、同時に

海兵隊航空団の誕生した日

とされています。
カニンガム大尉は史上初の航空隊司令として
第一次世界大戦でフランス戦線に加わりました。

Marine Corps Museum on Twitter:

戦後彼は最初の海兵隊航空団のトップとなっています。

ちなみに、急降下爆撃というものを開発したのは実は海兵隊航空団で、
この技術はドイツに取り入れられ、ドイツ空軍の名機Ju87を生みました。

リクルートポスター

海の上のFMF

海兵隊航空団部隊は空母艦載機に置き換えられることもありました。
最初の海兵航空隊は「海兵哨戒部隊14」(VS-14M)として
1931年に空母「サラトガ」に搭載されました。

10年後、海兵隊航空部隊はグラマンF3F2-S(写真)など
全てのタイプ計251機の航空機を有する13の部隊を有することになります。

 

■ 海軍の哨戒用リギッド・エアシップ(硬式飛行船)

硬式飛行船というのは妙な名称ですが、rigid airship を直訳したものです。

「ツェッペリン」と呼ばれるヒンデンブルグ号がこれにあたり、
定義としては、

 「エンベロープ内の揚力ガスの圧力によって形状が保持されるのではなく、
内部フレームワークによって形状を維持するタイプの飛行船=半剛体飛行船 」

ということになろうかと思います。

二つの世界大戦のはざまの20年間、アメリカ海軍は、わずかの間
この飛行船を哨戒用に採用してそれをエンジョイしていましたが、
ある日訪れた悲劇によってそれは短期間で終わりを告げました。

 

これは、アメリカ海軍が初めて取得し、機嫌よく運用していた

ZR-1, U.S.S 「シェナンドー」

が1923年9月4日、初飛行を行っている勇姿を撮ったものです。
「シェナンドー」は艦隊行動に偵察機として投入されました。

 

アメリカ海軍が保有した4隻の硬式飛行船のうち最初のもので、
レイクハースト海軍航空基地で1922年から1923年にかけて建造されました。

「シェナンドー」と一緒に写っているのは

給油艦パトカ(AO-9)

海軍最初の飛行船母艦です。

パトカには水面から38 mの高さの試験的な係留塔が立てられ、
「シェナンドー」の乗組員と地上支援要員のための居住設備を持ちました。

ヘリウム、ガソリンその他の必需品のための設備も造られ、
3機の水上機の収容・取扱設備も設けられるという充実ぶりです。

「シェナンドー」は給油艦パトカのマストに係留されての曳航も経験しています。

曳航中(船の人も怖かったかも)

飛行船による最初の北アメリカ大陸横断も成し遂げた「シェナンドー」ですが、
1925年、57回目の飛行の際、オハイオ州上空において暴風雨に遭遇し、
2つに裂けて墜落し、指揮官以下14名が死亡しました。

残りの29名は機体を気球のように操作することによって助かっています。

墜落現場

The Wrecked Shenandoah (1925)

残骸の処理を行っている映像が残されています。
なんかあきらかに一般人の野次馬とか子供が、
機体の周りをうろうろしているんですけど・・・・。

この頃は立ち入り禁止とかにしなかったんでしょうか。
持って帰ろうと思えば誰でも破片が手に入ったかもしれません。

墜落したのは初飛行からきっちり2年後の1925年9月3日でした。

そして冒頭写真ですが、「シェナンドー」型の3番機、

ZR-3 U.S.S「ロスアンジェルス」

は、海洋超えを目的とした2隻の大型飛行船の一つです。
米国海軍のために2つの硬い飛行船が海外で建造されました。

まず、ZR-2となるはずのR.38はイギリスに発注されたのですが、
アメリカに届けられる前ににイギリスでの試験飛行で墜落しました。

ドイツで建造されたZR-3は、1924年10月15日にニュージャージー州の
レイクハーストへの8143キロの配達飛行を無事完了し、これが
「ロスアンジェルス」と命名されることになりました。

空母「レキシントン」と一緒に写っているこの飛行船は、
8年4292時間に及ぶ、驚くべき、目を見張るほどのキャリアを得て
1932年6月30日、ご予算の関係で廃止されるまで飛び続けました。

USS Shenandoah (ZR-1) - Wikipedia

係留されている状態の硬式飛行船。シュールです。

File:ZR3 USS Los Angeles upright.jpg - Wikimedia Commons

風の状態によってはこんなことにも・・・。
乗り込むときこんなになってたらどうするんだろう。

 

黎明期の海軍航空シリーズ、続きます。