の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

「聖なる剣」プリヤ・カーン(1)

2015年08月28日 | カンボジア
プリヤ・カーンは「聖なる剣」を意味する、創建時の名前で呼ばれる数少ない寺院の一つです。
環濠と東西800m、南北700mの外周壁を含む4周壁の壮大な寺院です。
東向き寺院の塔楼門の左右に砂岩の巨大なガルーダの彫刻が嵌められています。

1191年、ジャヤヴァルマン7世によってチャンパ軍との激戦跡地に、戦勝記念と父王ダラニンドラヴァルマン2世の菩提を弔うために大乗仏教寺院として建立されました。
ガルーダの上の壁龕や塀の屋根飾りの彫刻が削られていますが、ジャヤヴァルマン7世の没後にヒンドゥーに改宗した国王は、全ての寺院から仏教的要素を排除しています。
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日本語の解説板がありました。

東参道を環濠まで来ました。土産物売りの女性が待ち構えています。



環濠を渡る橋には、アンコール・トムと同じナーガを引く神々と阿修羅の欄干です。



頭のなくなった像が多いです。

東楼門です。

まだ、塔頂の四面観音菩薩像はまだ見られません。

冒頭のガルーダです。門の左右に嵌められています。

楼門周りは砂岩で構成されています。偽窓の連子格子は下部だけです。
彫るのを途中で止めたのでしょうか、窓回りの装飾に対して物足りないように思います。

プリヤ・カーンも女神像がいたる所に彫られています。中央祠堂近くには、崩れた石材の瓦礫を乗り越えて、地元の人が参拝に訪れるという女神像があるそうです。







楼門をくぐる前に、来た道を振り返ります。

門内から見る楼門です。


ニヤック・ポアン(2)

2015年08月26日 | カンボジア

ニヤック・ポアン(絡み合うヘビ)の大池に水があるときの写真です。南側から撮影しています。基壇の右(東)はナーガが鎌首をもたげ、左(西)には尾が絡み合っています。

大池はヒマラヤのカイラース山の麓にある、全ての病を治す神秘の湖アナヴァタープタ(無熱悩池)を象徴しています。四方の小池は、その湖を源とする4本の大河、ガンジス、インダス、オクサス、シーターを表わしています。
実際に多くの病人がここに訪れて病を癒していたようです。

大貯水池「ジャヤ・タターカ」の中央に神秘の湖を造り、四方に水を流す仕掛けは、水を制したクメール人ならではの発想です。はるかプノン・クレーン山から導管を引いて、常に水を満たしていたのではないでしょうか。

とぐろを巻いたナーガの絡めた尻尾がはっきりと分かります。



祠塔堂の東には観世音菩薩の化身、神馬ヴァラーハとヴァラーハにぶら下がる18人の彫像です。水が満たされれば天を駆けるように見えるようです。

観世音菩薩を崇めていた商人シンハラは、航海中に難破します。一行が漂着したのは人喰い女「ラクシャシー」の住む銅の島「タームラ・ドゥヴィーパ」です。
シンハラ一行は美しい女に化けた人喰い女たちの夫にされてしまいます。
ある夜、シンハラは部屋のランプが笑っているのに気が付きます。ランプは「彼女は人喰い女です。危険が迫っているので、海辺で待っている馬に乗って逃げなさい。ただし、向こう岸に着くまで目を開けてはいけません。」というお告げをします。
シンハラは仲間と共に馬にしがみついて逃げました。馬は天高く駆け、目を開けなかったシンハラだけが助かりました。
この馬こそ観世音菩薩の化身「ヴァラーハ」です。








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東に入り口を持ち、三方向のは観世音菩薩の彫像が彫られています。
その間には三つの頭の象、その上に乗るガルーダ像が彫られています。

祠塔堂の南側面に彫られた観世音菩薩像です。





三つ頭の象とガルーダです。

基壇の上の蓮華座がよく分かります。水が満たされていたときは、水に浮かぶ蓮華の上に祠塔堂が建っているように演出されていたのでしょう。


西側の観世音菩薩です。ジャヤヴァルマン7世の死後に始まったヒンドゥー教のバラモンによる激しい廃仏運動でも立像は被害が少なかったようです。



塔には獅子像もあります。

北側の観世音菩薩の顔は削り取られています。







フタバガキの花が満開でした。

ニヤック・ポアンでチケットをチェックしていた青年です。

ニヤック・ポアン(1)

2015年08月24日 | カンボジア

12世紀末にジャヤヴァルマン7世により、東バライの北に北バライ「ジャヤ・タターカ(ジャヤヴァルマン王の池)」が建設されます。
東西3.5km、南北1kmの人造湖の中心部に「ニヤック・ポアン(絡み合うヘビ)」は浮島のように建造されました。

ニヤック・ポアンは一辺が70mの正方形の池と四方に一辺が27mの小池が配置されています。大池の中心には蓮華座の円形基壇に祠塔堂が建ち、小池との間には正面が小池を向いた祠があります。



祠には東西南北にそれぞれ違う大きな彫像が据えられて、大池の水を小池に流す樋口となっています。
入ってきた北側には象の頭が大きな口を開けて水を流すようになっています。

大池です。干上がったい大池に仏像の台座が置かれています。

祠塔堂の基壇に2匹のナーガが巻きつき尾を絡め合っています。「絡み合うヘビ」と名前の由来です。


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東の祠へ歩いてきました。









東の樋口は人の顔です。







南の祠から祠塔堂を眺めます。
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南の祠はシンハです。彼女の母親はここで働いており、仕事が終わるのを待っています。






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彫像は涅槃図です。

西は馬の頭です。(ニヤック・ポアンを紹介している本は西がシンハ、南が牛となっているのもあります。)







仏陀座像が削られています。削られリンガに改造された仏陀坐像もあります。


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次回は池に下りて祠塔堂を紹介します。

東メボン

2015年08月22日 | カンボジア
東バライの中心に、大海に浮かぶように建造された、3層基壇の上に5基の煉瓦造りの祠堂が建つピラミッド型のヒンドゥー寺院です。

東バライはアンコールに初めての都城「ヤショダプラ」を造営した第4代国王ヤショヴァルマン1世(在位:889年~910年頃)によって890年に完成した、東西7km、南北2kmの貯水池です。
巨大な人造湖の中心部に第9代国王ラージェンドラヴァルマン1世(在位:944年~969年)は、952年に国王の先祖の霊を弔うためにヒンドゥー寺院を建立しました。

東バライは完成後、200年余りで涸れてしまいます。現在は干上がった東バライ跡にブリアダック村という大きな集落があります。

二重周壁に囲まれ、内壁を兼ねた一辺120mの基壇の四隅には巨大な象の彫像が四方を睨んでいます。西門から基壇を上っていきます。



基壇を上る階段を守る獅子像です。建造時は獅子が眺める先に広大な人造湖がありました。







各層の階段両側に立つ獅子像です。かっては貯水池を見ていました。



最上段の5基の祠堂です。





神象アイラーヴァタに乗るインドラ神です。祠堂の煉瓦は風化していますが、砂岩で造られたまぐさ石の彫刻はきれいに残っています。





















煉瓦の表面にあけられた小穴は仕上げの漆喰のつきを良くするためです。


















東側へ下りてきました。





東門から出ます。

タ・プローム(4)

2015年08月21日 | カンボジア
東楼門までやって来ました。和文解説板に書かれていたように、寺院の正門になります。

祠堂には装飾として偽扉が付けられていますが、この偽扉は回廊に設けられています。

ここにも大きく成長したスポアン(榕樹)が屋蓋から根を垂らしています。





回廊の小部屋に打ち捨てられ壊れた仏陀像が集められています。

線彫りだけで終わったバラモン像です。

東回廊門の横に設けられた門の壁に彫られた彫刻です。上段の台座の上は仏陀像が彫られていたのでしょうか、削り取られて空白になっています。



門柱前にあった石材です。並んだ石がずれないようにホゾが入っています。神像が安置された台座だったのでしょうか。

東楼門です。













鬱蒼と茂る巨木に太陽光を遮られた遺構は、苔に覆われて伽藍に施された彫刻の風化が促進されています。また、あちこちで寺院を崩壊しながら成長する榕樹には、改めて熱帯樹木の脅威を認識させられました。

やっと寺院の東門までやって来ました。

女神がずいぶん傾斜しています。





壁に羽の一部が残っています。ガルーダの一部で、身体部分の彫刻は持ち去られ、別の石を積み重ねただけです。

東門へ出てきました。正規の入り口になります。西門と同じ観世音菩薩四面尊顔の塔門だったはずですが、頂部は崩れ去っています。