「プー・プラ・バート歴史公園」を代表する遺構「ウサー姫の塔」です。
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■民話「ウサ姫とバロット王子」
昔々、プー・プラ・バートの山の近くにムアン・パーンという都市国家があり、国主コン・パーンが統治していました。国主にはウサーという娘がいました。ウサーは山の蓮の花から生まれ、国主の師であった森の隠者が育てていたのを養女にしました。
ウサー姫は成長すると香りの良い、たぐいまれな美女となり、多くの国の王子が求婚に来ましたが、国主は全て断り、山の上に塔を建て娘の教育を森の隠者チャンタに託します。
森の隠者「チャンタ」から教育を受けるウサー姫が暮らした「ホー・ナン・ウサー」(ウサ姫の塔)です。
高さ10m、屋根の大きさは幅5m、長さ7mで、入口と二つの小窓が付いた部屋が上部にあります。
古代は霊媒者、巫女などが住む神聖な場所であったと推定されています。
■ある日、池に泳ぎに出かけたウサー姫は花を摘み、ハンサ鳥(聖鳥)を模った花輪を造ります。そして、花輪に愛を求める呪文をかけて川に流しました。
花輪はムアン・パコの国主の息子バロット王子が治めるムアン・パコウィアン・グアーに流れ着きました。花輪を拾い上げたバロット王子は、さっそく流し主を探す旅に出ます。
王子の一行がムアン・パーンの山に近づくと馬は進むことを止めてしまいます。王子は馬と従者に休息を与え、一人で森へ入っていきました。森をさまよった王子は水浴をするウサー姫を見つけ、花輪の主であることを悟りました。
「ボー・ナム・ナン・ウサー」(ウサー姫の池)
2mの正方形の池で、深さ5mあります。「ウサー姫の塔」から70mの所にあって、姫はここで水浴びをしていました。
■二人は恋におち、コン・パーンの許しを得ずに、欲望によって姦通を犯しました。(表現があまりよくないですが、解説をそのまま訳すればこんな感じです。)
【別の伝承では、バロット王子は遠出で狩りに出かけました。日が暮れバンヤンの木の下で休むことにしました。王子は眠る前にバンヤンの木の精霊に儀式を捧げて敬意を顕しました。
パンヤンの木の精霊はバロット王子をウサー姫のもとへ連れて行き、七夜の間性交をさせ、再びバンヤンの木の下に戻しました。
ウサー姫が起きてバロット王子が既に居ないことに気付き、ひどく嘆き悲しみました。ウサー姫はバロット王子の似顔絵を描き、侍女に恋文を届けさせます。
恋文を受け取ったバロット王子はウサー姫のことを知り、急いで塔に駆けつけ、密かに滞在を重ねます。】
後に、コン・パーン国主は娘とバロット王子の性的関係を知ることになります。激怒した国主はバロット王子を殺害しようとします。しかし、側近たちは、バロット王子の父親が統治するムアン・パコの勢力が強大であるからと諌めます。そこで、コン・パーンはバロット王子に夜明けから明けの明星(ダオ・パーカイ・プルック)が昇る一昼夜で寺院の建立競争を持ち掛けます。もし、競争に負けたら、敗者の首を刎ねることにしました。
国主はムアン・コン・パーンから頑強な労働者をたくさん雇い入れ寺院(ワット・ポータ)建設にかかります。一方のバロット王子は少人数の従者達とゆっくりとした速度で建設しています。心配したウサー姫は王子を助ける一案を思いつき、山の高い木の上に灯明を灯しました。
灯明を見た、国主の労働者達は、明けの明星が昇ったものと思い建設作業を止めてしまいました。
王子はその後も仕上まで建設を続けます。競争に負けたコン・パーンは冷静さを失ってしまいました。
「ワット・ポータ」(義父の寺)、「ポータ」は「妻の父親」という意味でバロット王子からみたコン・パーン国主になります。
岩の下に石仏が安置されています。壁面には仏画が描かれていました。
プー・プラ・バートには石器時代から鉄器時代、ドヴァラヴァディー仏教、クメールへと続く4000年にわたる遺構が残っています。
「ワット・ルーク・クイ」(娘婿の寺)「ルーク・クイ」は娘の夫で、コン・パーン国主からみたバロット王子です。
「ワット・ルーク・クイ」の内部です。ドヴァラヴァディー時代の地方色をおびた仏像、クメール時代の神像が安置されています。手前の台座になっているのはヒンドゥーのヨミです。
■競争に勝ったバロット王子はウサー姫を連れてムアン・パコへ帰ります。ムアン・パコには王子の妻や妾がたくさんいて問題が起きました。
たくさんの妻や妾達は宮廷占星術師と共謀して、バロット王子に禍の前兆があるからと呪文をかけて森へ追いやります。
バロット王子はウサー姫をムアン・パコに留めて森を彷徨います。王子がいなくなると嫉妬深い妻たちにウサー姫は嫌がらせを繰り返され、ムアン・パーンへ逃げ帰ります。
一年後、ムアン・パコに戻ったバロット王子はウサー姫が居なくなったことに気づき、急いでムアン・パーンに駆けつけます。
しかし、ムアン・パーンに戻ったウサー姫は悲しみのうちに既に亡くなっていました。ウサー姫の死を知ったバロット王子も心痛のあまり病で倒れ亡くなってしまいました。
従者達はウサー姫のお墓の隣にバロット王子を埋葬しました。
「ヒープ・ソッブ・ナーン・ウサー」(ウサー姫の棺)です。
民話では、恋愛の破綻で傷心のうちに死んだウサー姫が埋葬されている場所です。
5mX6mの厚めの天井岩の下岩を両端に支柱を残し平らに削り取り小部屋を造っています。
床面積は2.5㎡で宗教儀式に用いられた部屋だと推測されています。
「ヒープ・ソッブ・タオ・バロット」(バロット王子の棺)です。ウサー姫の棺の隣にあります。反対側には「義父の棺」があります。
ウサー姫の後を追うように亡くなったバロット王子が葬られた場所です。
5mX7mの岩が載っています。周りの岩盤には15cmほどの穴がたくさんあります。
野獣から身を守るため棒を立て柵を造っていた。とか、夜間に燈火を灯すための燭台の支柱跡ではないかと言われています。
「ヒープ・ソッブ・ポータ」(義父の棺)です。
寺院建築の競争に敗れて、首を刎ねられたコン・パーン国主の墓です。
全体を見ると、一番遠くに「ウサー姫の塔」があって、隣り合ってコン・パーン、バロット王子、ウサー姫が埋葬されているのが分かります。
岩の間から蘭の花が咲いています。
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「タム・パー」(仏像の岩穴)と名付けれられた、6世紀から11世紀のドヴァラヴァディー時代の磨崖仏です。仏像の彫られた向かいの岩はその後崩れたようです。
仏像の顔は削り取られて、写真のお顔は新しく付けられたものです。
クメールの神像が崩れた岩に押しつぶされています。
「ターム・チャーン」(象の岩穴)、3mX10mの屋根岩の下には象の壁画が描かれています。
線書きされた象の頭部です。
岩の下には池が掘られています。
プー・プラ・バート歴史公園の手前にある案内板です。
ウドン・ターニーはタクシン派団体・反独裁民主戦線(UDD)(俗にいう赤シャツグループ)の発祥の地で、一番の勢力をもっている場所です。
道路沿いにはタクシン元首相のポスターがたくさん並んでいます。
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帰路は「ウドン・ターニー」を経由して、イサーンの玄関口、タイ第二の都市「ナコーン・ラーチャシーマー」に泊まります。
「プー・プラ・バート歴史公園」から宿泊の「シーマー・ターニー・ホテル」まで390kmでした。
ちなみに「シーマー・ターニー・ホテル」は朝食付きで宿泊料1200バーツです。